2018-08-12

実家を継ぐ、ということ

こんにちは、悩める大学生です。

私の実家とある田舎にあります

この核家族化が進む世の中にあって、いまだに「家を継ぐ」という概念存在する、そんなおうちの長男に私は生まれました。

江戸時代徳川御三家の威光を受けて参勤交代だの江戸詰めだのでそれなりの栄華を極めましたが、明治維新によってすっかり没落してしまった武家がうちの本家であり、私の実家はその分家にあたります

一時は地域一帯を治めていたこともあり、今では誰も使っていない土地わずかではありますが残っています

そしてそんな一族歴史とは別に私の家にはもうひとつ別の顔、家業があります。それが宗教です。

キリスト教教会仏教の寺にあたるもの実家家業なのです。

さなから両親をはじめ、周囲から後継者、跡取りとして期待され、私も幼いながら「大きくなったら家を継ぐのだろう」となんとなく感じて育ってきました。

しかし、今この歳になり、それでいいのだろうかと感じるようになりました。

周りは就職活動を始め、自分人生自分の足で歩いています社会と関わり、社会の真ん中へ飛び込んでいく。しかし私は、学業を終えれば家を継ぐための準備に入ります

いわゆる神職ですから、それを継ぐためのさまざまな勉強修行に身を投じるわけです。社会との関わりはほとんどありません。信じがたいことですが、俗世とかけはなれた世界というのはこの平成の世にも存在するのです。

そして今、それを「なんだか嫌だ」と思うようになったのです。私もみんなと同じように社会に出て、普通生活がしたい、と。

しかしこの気持ちを周りに伝えることはできません。今まで「この子が跡取りだ」と育ててくれ、多大なる期待をかけて見守ってくれた人を裏切るということが、やはり自分にはできないのです。そして、今でこそ嫌だと感じていてもそれまでの自分は「跡を継ぐんだ」と思って生きてきたのです。だからこそ、継ぐことを否定することは今までの自分人生裏切り否定することにもつながるのです。

普通の家に生まれていればこんな風に悩まなかったのだろうかと何度も思いました。もっと自由自分の将来について思いを巡らすことができたのだろうか、と。

もし「継ぎたくない」と言えば父や母はどんな顔をするのか、悲しむだろうか怒るだろうか。そう考えると話を切り出すこともできません。

将来や人生に対して展望が抱くことができず、長く暗いトンネルの中を彷徨っているような毎日を過ごしています。一体これから先、どのような気持ち人生に取り組めばいいのでしょうか...

答えは未だ出ないままです。

  • 長女

  • 友達のお父上がドラ息子で、神社(家業)潰したって話は2つ知ってますし、 従兄の代の祖父のお寺も、血縁では継がないかもって話になってます。 神社か教会かお寺か存じ上げませ...

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