はてなキーワード: ももちとは
またまたid:watapocoだが、id:aquatofana氏の映画「ジョーカー」の解釈は論理的にあり得ないんだ。
その場合、妄想の可能性があるのは虐待を受けていたこともだし、母を養っていることもだし、いけてるぽい白人男性を射殺したこともだし、悪のカリスマになったこともだし。
アーサーの物語として語られるすべてが妄想かもしれない訳です。
ああいう半分幻想みたいな構成の物語において「ここは真実です」という示唆やアナウンスがない限り、すべてが等分に確かではない訳です。
が、id:aquatofana氏はアーサーを「特権にあぐらをかいてた白人男性の一人」としつつ
(背中に残る大火傷の跡やそれが虐待の記録として残っていることや加害者たる母を養っていることや通りすがりの若者にぼこぼこにされる程度の存在であることやらはネグりつつ)、
妄想物語の後半については「他人をないがしろにすることで力を経た結果、孤高・孤独に行き着いたのでは」と、
アーサーの妄想かどうかわからん物語を一部は信じて一部はネグることをしている。
これが論理的にあり得ないってんです。
あの物語を見て特権階級と言っていい男性が被害者意識にうっとりしたりテロを賛美していたらそれに対する批判が起こるのはとてもわかる。
(京王線の犯人も生い立ちとか環境まるでわからないけど、そういううっとりタイプの可能性は0ではない。)
ただ、アーサーの妄想物語をどこかは信じてどこかは信じないというのはおかしい訳。
まず前提として、ここではあえて政策論については触れない。
野党共闘の是非についても触れない。
選挙事務所とその周辺における、今さら当たり前の事実を再確認したり、
巷にあふれる選挙分析を眺めていると、無党派層をどう動かすかに終始している意見が多く見られる。
しかし無党派に頼る運動をしていては、いつになっても自民党には勝てない。
選挙の本当の闘いは、公示日(告示日)の直前までに終わっているのだ。
徹底して目に見える票を積み上げていく作業を、選挙のプロは行っている。
では、組織票とは何か。
本当の意味で選挙対策本部のコアとなるのは、そう、地方議員の存在である。
日ごろから地域活動をさせ、できる限り多くの有権者と日常的な関わりを持つこと。
それこそが、選挙運動の長期的戦略の本質であり、自民党が勝ち続けている実態である。
地元小中学校の入学・卒業式、運動会での挨拶はもちろんのこと、
地方議員はあらゆる地域活動に足を運び汗を流し、御用聞きに精を出している。
それこそが結果として、最も身近にして最大の選挙運動効果をもたらしているのはご承知の通りである。
自民党型の地方議員には、選対のコアメンバーということのほかに、もう一つ有用な意味がある。
それは、将来の国政進出へ向けたキャリアパスという位置づけである。
地方議員を増やせば増やすほど、有用な人材が発掘され定着してゆく比率は高くなり、
その中で優秀だと認められた人材が国政進出を果たすというわけだ。
それは当の地方議員たちが国政に関わる際の強いモチベーションにもなっていて、
普段はなかなか会えない広範囲の有権者と直接触れ合う良い機会となっている。
議員のキャリアパスというものが、自民党の組織拡大における大きな相乗効果を果たしているのは無視できない。
与野党問わず、複数の選挙事務所と直に触れあってきたからこそ確実に言えることがある。
総選挙が終わった今、1年足らずのうちに次の国政選挙が控えているとはいえ、
だからこそ次に野党支持者が考えるべきはこのことではなかろうか。
ビジネスの世界には、「人・モノ・金」というスローガンがある。
選挙で言えばそれは「人・金」となるだろう。
選挙のために惜しみなく金を使う。
これが、地方議員の育成に続く第二の手立てだ。
自民党が選挙のために使う金の99.99%は合法的で、その多くは費用対効果をしっかりと考えられてのものだ。
合法的に人を雇い、印刷物を刷り、ビラを撒き、ポスターを張り、広告を打ちまくる。
いくら地方議員が多く、組織が盤石でも金をうまく使えなければ選挙には勝てないのだ。
実は、地方議員の数だけを見ると、自民党と共産党では全国の議員数の合計はさほど変わらない。
(むしろ数年前までは、共産党所属議員が最も多かったし、今では公明党議員が最も多い)
https://www.soumu.go.jp/main_content/000741465.pdf
それでも共産党が国政で議席を伸ばせない要因の一つは、公約もさることながら、金によるところも大きいと私は見ている。
政党交付金の制度自体に異を唱える共産党は、党の理念として、税金から各政党に分配される「政党交付金」を一銭たりとも受け取っていない。
一方の自民党は、政党交付金だけで年間170億円近くの大金を得ている。
https://www.soumu.go.jp/main_content/000678653.pdf
仮に自民党が、衆参合わせて400人弱いる国会議員にこの大金を平等に配ったとすれば、
1人あたり年間4,000万円近い金額を選挙対策として使えるのだ。
そして、意外と知られていないのがこの政党交付金の算定方法についてで、
獲得した議席数はもちろんのこと、選挙の得票数も、交付金の額に影響するのだ。
つまり実際の選挙結果においては、いわゆる「死票」になってしまった票も含めて、
1票あたり、およそ300円ほどの価値を持っていると考えることができる。
(政党交付金の年間予算は、人口1人につき250円×約1.2億人=300億円。
有権者数は約1億人、投票率は約50%なので、投票者数は約5000万人である。
議席数に応じた算定と、得票数に応じた算定とが全体予算の1/2ずつなので、
300億÷5000万÷2=300円というざっくりとした計算。
小選挙区と比例の別、衆参の別もあるので厳密にやるともうちょい複雑。)
https://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seitoujoseihou/seitoujoseihou04.html
まるで、某放送局をぶっ壊す政党のようなビジネスライクな話になって恐縮だが、
(というかN党が、議席を取れなくても票さえ得られれば喜んでいるのというは、まさにこういった事情による)
そしてその原資は言うまでもなく私たちの税金であることは、もっと広く知られるべき事実である。
むしろ合法的にバンバン金を使って、バンバン票を集めてもらうよう働きかける必要がある。
金がなければ票は奪えないし、票は文字通り金を生む。
候補者も政党も支持者も、もっと選挙と金の関係をポジティブに捉えなおしてほしいところだ。
そしてできるならば共産党はこの事実を重く受け止め、本当に野党共闘で政権奪取をしたいのであれば、
理念として受け取らないのは理解はできるが、それでは選挙には勝てない。
交付金制度を廃止するのは、政権を取ってからでも遅くはない。というか政権取らないとそもそもできない。
これは統計的なデータがないのであくまで印象論となってしまうが、
投票に行こうと言われて、初めて投票に行く気が起こる人などめったにいない。
それよりも、自分の身近にいる他人を投票所へ向けるために効果的な魔法の言葉がある。
である。
これは是非とも、某CMに参加していた著名人に言いたいことだが、
あのクラスの著名人たちが、芸能活動のリスク覚悟で投票先を公言していたとすれば、
これは決して、「だからあなたも○○に投票してほしい」という投票先の同調を呼び掛けてほしいわけではない。
むしろ、「私は〇〇に投票する。あなたも自分でよく考えて投票に行ってほしい」というところでとどめておいた方が良い。
自分の知り合いに直接、特定政党への支持を訴えかけるという経験はないだろうと思う。
そうでなくとも、SNSで支持政党を公言している人を見かけたならば、
けれどやはり、これでは選挙に勝てないのだ。
先述した通り、全国の地方議員の合計で、公明党の所属議員が最も多いという事実を、今一度よく考えてみてほしい。
「なんとなく、近所のあの人が頑張っているから入れといてやるか」という人はかなり多いのだと思う。
とはいえ、電話帳のア行から順に投票を呼び掛けるなんてことはしなくてもいい。
「Go Vote !」という可愛げな動くスタンプを張り付けたインスタグラムのストーリー画面の端っこに、
「ちなみに〇〇に投票しました」と、ごくごく小さなフォントでテキストを載せてあげるだけでも十分だと思う。
次回の選挙では、支持政党や投票先を公言するブームが訪れていてほしいものだ。(まぁ無理だろうけれど)
と、雑文を書いている間に枝野辞任のニュースが飛び込んできた。
本多平直離党問題とか、公約発表の仕方(順序)とか、東京8区騒動の対応とか、
枝野のやり方が良くなかったところがたくさんあるのは認めるし、代表交代の議論が湧くこと自体は否定しないが、
今このタイミングで代表を挿げ替えたところで果たして良い結果となるとはとても思えない。
小川淳也待望論とかが出てきたら、ある種の風が起こったりするものなのだろうか・・・(冗談)
一体どうなることやら・・・
今回の衆議院選挙は期日前に投票に行ったら久しぶりにNHK出口調査を依頼されました。期日前でもやってるんだね。
タブレットを渡されて答えるようになって昔と違い調査員に知られることなく答えられて便利になっていました。
さて出口調査とは、その名の通り投票所の出口付近で待ち構えてどの人(政党)に投票したのかなどを聞く調査のことです。
年齢(年代)や性別、投票した人(政党)の質問だけでなく支持政党やその他時事問題に関する質問があります。
名前は聞かれません。
実は自分も結構前に複数社の出口調査員のバイトをしたことがあります。
立ちっぱなしで結構きついし、声をかけても無視する人も多いです。ときには暴言を吐かれることも。
普通の見た目の人に声をかけたら態度が急変して「○○(テレビ局名)は大嫌いなの!」と叫ばれたり「なんで俺が○○社のために答えないといけないんだよ!」などは普通です。
そういうときは「失礼↓しましたぁ↑」みたいな変なイントネーションで挨拶したりして自分なりに楽しんでいましたが。
ところで出口調査って集めたデータをどんなことに使うか知っていますか?
投票締め切り後の選挙番組で当確を出すのに使っているのは皆さんご存知だと思います。
(ちなみに当確は出口調査だけでなく世論調査なども利用しているようです)
今回の衆議院選挙のNHK出口調査では支持政党や岸田政権を支持するかどうかやコロナ対策の評価に関する質問がありました。
テレビ局や新聞社などが大量の調査員を使って集めたデータです。簡単に集められるデータではありません。
一般視聴者(読者)にとってももちろん興味深いデータですが当然各政党も参考にすると思います。
大きい政党なら金の力で自力で調査もできると思います。しかし小さな政党にとっては重要なデータとして見ていると思います。
投票結果で勝ち負けが決まり選挙はそこで終わりですが、出口調査のデータは各政党の今後に役立つデータとなります。
ですので出口調査に協力するのは投票と同じくらい価値のあるものだと思います。
自分が応援している政党(人)のためにも出口調査に声をかけられたら協力してみてはいかがでしょう?
出口調査に協力すると選挙番組や翌日の新聞も普段より面白く感じると思うし。
まあNHKは集めたデータを全部公開するべきだと思いますけどね。年代別とかBIツールのように色々な切り口でデータが見られるといいんですけど。
ところで久しぶりに出口調査を受けて今は協力する人増えてるのかな?とネットで検索してみたらイキリ、、いや誤解だらけだったので誤解を解いてみたいと思います。
→自分が応援している政党も参考にするかもしれないデータですのでそんなこと言わずにお願い↓しますぅ↑。
→1分くらい(早ければ20秒くらい)で終わるのでぜひ協力してくれると助かります。
→最近はNHKのようにタブレットで調査員に知られることなく回答できるようなところもあります。
ただし調査員の聞き取り形式で出口調査をする会社もあります。その場合は調査員に知られますがぶっちゃけ各個人の調査内容なんて興味がないので覚えていません。
→できれば正確に回答していただきたいです。でも出口調査って心の準備がないときに声をかけられるので嘘を答える準備がなく本当のことを回答してしまう気がします。
出口調査で嘘を回答するということは投票した政党(人)を応援しているのに裏では殴っているのと同じだと思う。
→投票時間と調査時間は異なるので居ない場合があります。お昼休憩やトイレに行っているときもあるでしょう。
調査員がいない投票所もあります。選挙ごとに以前のデータなどを利用してどの投票所に調査員を配置するのかを決めているようです。
→全員に声をかけるのではなく数人置きに聞く対象を決める方式です。服装、身長、体型、性別、年齢、見た目などでは対象を決めていません。(統計学でいう偏りとなりデータが腐るため)
間隔の人数は投票所によって違います。無作為抽出しているのと他の投票所と粒度をあわせるためだと思います。(たぶん)
対象が強面や面倒くさそうな人だった場合でもきっちり声をかけます。(強面の人は大抵喜んで回答してくれますが)
障害者だから無視されたという意見も見かけましたが当然そんなことはありませんのでご安心ください。
→捏造するくらいなら大勢の社員とバイトと大金を使って出口調査しないと思います。
→出口調査のデータは選挙当日の投票が締め切られた後に公表しています。夕方の当確はなにかの勘違いですかね?
→シール目当ての人がくるとデータに偏りがでるので、そういうことはしないと思います。
→現地にいる調査員はバイトです。多くは社会の底辺に這いつくばっている人です。まれに正社員の記者や職員が混ざっているときもありますが99%バイトです。
→法律違反ではないと思います。調査員に問い合わせ窓口を聞いてそこで聞くと詳しく教えてもらえると思います。
→すみません。敷地外の端っこのほうでやってました。調査員に問い合わせ窓口を教えろと言えば教えてくれると思いますのでクレームはそちらにお願いします。
なんだかんだ宅建業法等のルールは一応守ってる会社が多いと思う。守ってない会社もそりゃあるだろうが。
両手取引はそもそも禁止されていない。仲介手数料の上限は定められているからいくらでも取り放題というわけではない。
また売主へは仲介手数料をサービス(上限の半額など)にする会社も多くあると思う。
ところで多くの消費者は賃貸物件を借りる時に初めて不動産屋を訪れるということが多いのではないか。
不動産屋も同じ、契約が成立しないと売り上げがない。時間をかけて物件を勧めて内覧何件も回っても、ゼロ円だ。
売買はもっと酷い。売りに出すには様々な調査が必要だ。俺はあまり詳しくはないので割愛するが、謄本を取得したり現地調査をしたり、ネットに載せるならそれももちろんお金がかかる。
しかし売れなければ売主から1円ももらわないのだ。1円ももらえないかもしれないのに販売活動を頑張らないといけない。
一般媒介を業者が嫌うのはそういうわけだ。一般媒介は複数の業者に販売活動を依頼できる。どの業者も必死で販売活動しても、1つの業者でしか契約はできない。買主を見つけられなかった他の業者は損しかない。
仲介手数料を取ることでしか利益が得られないのだ。だから必死で両手取引しようとする。
だからその仕組みをまず変えない限り不動産屋だけが悪いとは思えない。ルール違反してレインズに載せない業者は悪いが、他社の広告を承諾しないのは違反ではない。
広告承諾したとして、スーモやホームズ等に何社も同じ物件を載せてなんの意味がある?ちょっと考えてみてくれ。
片手しか手数料もらえない他社の物件を必死こいて販売活動する業者はむしろ少なく、自社で売主から物件を預かり自社で必死に売るという仕組みがそんなにおかしいとも思わない。
まず売りに出したいという客から手数料を取ろう。査定料を取ろう。ただで査定してもらえると思うな。広告費は客に負担してもらおう。買いたい客からも手数料を取ろう。案内する際には交通費と案内料を取ろう。賃貸でもそうだ。内覧には手数料を取ろう。
それでいいんだね?
売り物件の査定が有料でいくらでいつ売れるかわからないのに手数料が必要となると、売りしぶりが増えるだろう。中古物件の流通が少なくなり、売らずに放置する空き家が増える。
賃貸物件の内覧に手数料がかかると、内覧せずに決めて揉め事が起きたりまた貧乏人が部屋を借りることを少し難しくするだろう。
そんな未来しか見えないが、頭いい人達はもうちょっと何かいい案があるだろうから教えてくれ。
ちょっと煽ったけど本気で知りたい。どうしたら不動産業界が反社と言われずに済む?ほんとの反社はともかく、他社の広告を断って両手取引するだけであの叩かれようは酷いと思った。
ガン告知を受けて2ヶ月で亡くなった。
(※最初に断っておきますが、非常に自己中心的な考えなので不快に思う方がいらっしゃったら大変申し訳ございません。)
のどっちかかと思われる。
新郎新婦やそのご家族がしきたりに厳しいようなら、喪中の出席はやめておいた方が良いかなと勝手に思う。
私の場合は大親友だったので、相手は私の母親が亡くなったことも知っているし、私も「喪中だけど出席して問題ないか」と聞いてOKをもらったから参列することにした。
さすがに忌中だったら友人の許可云々以前に辞退してたけど。
中座のエスコートを頼まれていたくらい、とても仲の良い友人なので私も結婚式にはなるべく参加したかったしとても楽しみにしていた。
母親が死んでからずっと抱いてきた鬱々とした気分も、お祝い事を目の前にすれば吹き飛ぶかもしれないという考えもあった。
結果、「親友の花嫁姿を見られて良かった、でも結婚式の演出がしんどくて出席を後悔した」というのが感想。
「自分で出席すること選んでおいて後悔とか言い出すの常識ねーわ」ってのはわかっている。
でももちろん親友本人にはそんなこと言ってないから見逃してほしい。
挙式、披露宴で随所に差し込まれる、「父親・母親・娘(花嫁)」の3人が揃っていることを大前提とした演出がしんどかった。
調べたらいろんな事情で親が結婚式に参列できない場合の演出方法もあるらしい。
もし親を亡くして数年経っていたなら落ち着いて見ていられたのだろうが、両親がいることを「完璧」として、どちらか一人でもいなかったら「欠陥」とみなされているようでとてもつらかった。
また、母親が生きているうちに結婚できなかった自分も責められているような気になってしまった。
披露宴で泣いたが、感動して泣いたわけではない。
自分の母親は亡くなったということを改めて突きつけられているようでつらくて泣いたのだ。
中座のエスコート役をやると、カメラマンが花嫁とのツーショットを撮ってくれる。
カメラマンに「笑って〜!」と何度も言われた。
笑えたら笑ってるし、笑ってないってことは笑えないということだからなにも言わないでくれと思った。
ただまぁ人の結婚式出て写真撮ってもらうのに笑わない人間は常識がない。
あり出席者側が「今日ちょっと機嫌悪いからムスッとしてる」とかはダメだと思う。(当たり前)
■結婚式後も引きずる痛み
結婚式の最中に感じた悲しみのせいでもあるし、大親友の結婚式に出てもネガティブな感情しか抱けなかった自分への嫌悪のせいでもあった。
家に着いたら、花嫁から「結婚式来てくれて本当にありがとう!!」「大好き!!!!」といったLINEが届いていた。
また悲しくなった。
これに対して私は「めちゃくちゃ良い式だったね!!」とかなんとか、素敵な言葉で返答しなければならない。
今は微塵もそんなこと思えないのに。
喪中なのに参加すると言ったのは私自身だし私がどうしようもないくらい悲しみを感じてしまうのはすべて私に責任がある。
■結論:新婦側の友人の場合、親が死んだばかりなら欠席した方が良い
結婚式からもうしばらく経つが、未だに花嫁である友人とは距離を置こうとしている。
「この友人と会って、結婚式の話になるたびに私はこのとき感じた痛みを思い起こしてしまうのか。」
「そして私はその痛みを隠して友人に当たり障りのないことを言い続けなければならないのか。」
そう思うと会いたくもなくなってくる。
中学生の時からの友人だし、社会人になってからも月1で会っているし、(コロナ前は)年に一回は一緒に海外旅行していた仲なのに、私はもう会いたくない。
結論としては、親が死んで喪中ならやっぱり結婚式への出席は考えた方が良いかもしれない。
また、結婚式を行う側の方々も、もしどうしても出席してほしい大親友が親御さんを亡くされたばかりなら、どうか気を配ってあげて出席辞退しやすいようにしてあげてください。
私は断るべきだったと思うし、もしかしたらこのままこの親友とは交流を断つかもしれない。
はじめに、これは母親と娘(私)の話です。ブログを書くことが本当に久しぶりなので、元々文才の無い自分が書くとさらに読みづらいと思います。すみません。
母親との関係に悩みが尽きないと感じるようになったのは、ここ最近のような気がしていた。
ずっと、"それ"は繰り返されていた。
諦めのような、虚無感を含んだったこの感情は、幼い時から繰り返し感じていた。
私は"それ"を知っていた。
いつも走っていて、時々転んでは汚れた服のまま、また駆け出しているような子だった。
あまり記憶が鮮明ではないが、おそらく仲の良い友人に彼が気になると話していたのだろう。
母は、私が彼を好きなことをいつの間にか知っているようだった。
ある日、お迎えに来た母に「〇〇くんはどの子?」と聞かれたのだ。
私は無邪気に指をさして母に教えた。
その時、左斜め下から見た母の顔を覚えている。
眉をしかめて、口を少し開けたまま、「そう。」とだけ呟いた母は、明らかに嫌悪を私に示していた。
悟った。ああ、母の機嫌を損ねてしまったと。
母の機嫌を損ねることは私にとって何よりの恐怖だった。
おそろしいことに、それは今でも。
小学生の頃、着て行く服は母が全部選んでいた。
天気、気温、行事、学校帰りの習い事。あらゆる条件をクリアする服装を毎日ぴったりと揃えて準備してくれる。
私は母の選ぶ服が好きだったし、母曰く「上品で程よくキュート」な洋服を友人に「似合っているね」と優しく声をかけられた日はとても嬉しかった。
きっと忙しい日もあったのに、毎日毎日準備をしてくれたことに感謝している。
ただ、一度私が着たいと思った服を「似合わない」と言われた時に、私はとても怖くなった。
可愛いな、と思って店内で無邪気に手にしたそのワンピースを「変よ」と一言、それだけで怖くなった。
「いいね」と言って、母もこちらに寄ってきて一緒にその服を手にしてくれると思っていた。
でも違った。
文章にしてみると、ただそれだけのことなのに、私は自分の感覚すべてが間違っている、と強く思った。
中学、高校は制服があったので母が毎日服を選んでくれる習慣は無くなったが、例えば友人と出かける時に服を選ぶと必ず私は母に「どうかな、この組み合わせ」とつとめて明るく聞いた。
「似合わない」「違うと思う」と言われたらどうしよう。
「いいと思う」と言われる日もあったし、「スカートの丈がおかしい(母は膝が見えるスカートのことをおかしいと言う)」とそっぽを向かれる日もあった。
たいていの場合、バツをつけられたアイテムはすぐに他のものに変更していたが、どうしてもそれを着たかった時、別の組み合わせでプレゼンする。
初めて言われた時、殴られた方がマシだと思った。
10代の私にとって、大きな壁を作られたような、それはそれはとても恐ろしい体験だった。
すぐにすがった。「やっぱそうだよね。どこかで見た感じをまねしたかったんだけど、違うよね」「やっぱり私センスないから、これやめるね」と。
ただ、ここで母の機嫌は元に戻らない。
もう、こちらの声は聞こえていないのだ。
ツーン、と。こちらの顔を全く見ない母の"それ"は大人になればなる程長くなる。
大人になると「もうその服は年齢的にきついと思う」とよく言われる。
気に入った服、お金を貯めてえいっと気合を入れて買った服、家族には話せていない思い出がつまった服。
みんな色がなくなったみたいにして、ゴミ袋に入っている。
私が些細と思っているだけで、母には大きな出来事かもしれないが、私にとってそれは静電気くらい、突発的にパチッと起きる。
金曜日、帰りにこれを買ってきてほしいと頼まれて、無事購入し帰宅してみると頼まれたものが冷蔵庫に入っていた。
「これ買ってきたよ?」と購入品を見せると、「たまたま出かけることになったから私が買っておいたの」と言う。
ここで、「そうなんだ。ごめん、私も買っちゃったから冷蔵庫いっぱいになっちゃうね」と謝るべきだった。
だけどその日ひどく疲れていた。
「連絡してくれたら買ってこなかったのに」と言ってしまった。
アウトだった。
この会話で、私は週末ずっと脅えながら過ごすことが決定した。
普段はテーブルにランチョンマットかお盆を置いて食べる夕飯時、私がそれらを準備する前に母はドン、と音を立てて食器を置く。
高校生の頃突然のことに驚いて何も言えず、立ち尽くす私に目もくれず、母は不機嫌をアピールするように食べ始めた。
時々、はあと大きなため息や、小さな舌打ちが聞こえる夕飯は心臓が苦しいだけだ。
「いただきます」と合掌しなさいと叱っていた子どもの前で、何も言わずに食べ始めた母は5分も立たずに完食し、「ごちそうさま」も無く、大きな音を立てて席を立ち、自分の使った食器を洗い始める。
私は一人静かに、なるべく音をたてないようにして夕飯を食べる。
こういう流れになったとき、自分で食事をつくると悪化するので、静かに皿の真ん中をみつめて、吐き気におそわれながら食べ進める。
リモコンを触ってチャンネルを変えると負けなのか、誰も見ていない番組が延々と流れる。
父の仕事の関係で、夕飯はいつも母と二人だったので夕飯時は好きなドラマや映画を見ることも多かったのに、あまり馴染みのない番組をBGMに冷たい時間が流れる。
そして、食後に甘いものを食べたり、一緒に片づけをする時間はもちろん無く、
食後に片づけを終えた後、私はすぐに歯を磨き、眠る準備を整え、頭を深く下げて「おやすみなさい」と伝えてから自室へ向かう。
しかし、いつもこう言われるのだ。
「何が?」と。
喧嘩ができない。
投げても返ってこない。
この冷戦期間、母がいるかもしれないリビングにはなかなか行くことができないので、薬が必要な時に飲めるように常備薬は自分の部屋に常に置いている。
自室へ行く前にコップかマイボトルに水を入れていくことも忘れないようにしている。
慣れてしまった気もしている。
気持ちが落ち着く香りがするものや好きな飴を自室にこっそり置いて、少しでもこの小さな部屋で快適に暮らせるように試行錯誤してきた。
でも、何度経験しても突然こちらを向いてくれない、口をへの字にした母の表情には慣れない。
おそろしいことに、アラサーになった今でもこわくてこわくて仕方がない。
こわがっていることが情けない。
でも、こわいのだ。
ずっとこわいなら、すぐに家を出ていたかもしれない。
でも気づいたら、大学も就職も県内で、はじめからそれ以外の選択肢は無かった。
母に「A大学へ行け」と言われたわけでも、「B社に就職しろ」と言われたわけではない。
それは多分、ずっとこわいわけではないからだと思う。
母はほんとうに優しい。
優しく、ときどきユーモアがあって、音楽が好きで、海外の映画が好きだ。
ごはんもとても美味しい。
私が作るごはんもすごく褒めてくれる。
働き始めて家にお金を入れる度に「自分の好きなものを買っていいのよ」と言った後、ありがとうと優しく受け取ってくれる。
優しい母が好きだ。
愛してもらった自覚がある。
あらゆるものから守ろうと、常に私のことを気にかけてくれたことに感謝している。
話は変わるが、通帳をしばらく紛失したことがあった。
仕事が忙しく、それどころではなかった時期なので、「家の中でなくしたのだからいつか出てくるだろう」としばらく放っておいた。
ある日、通帳がどうしても必要になり、家中を探した。どこにも無かった。
そんなはずはないと連日通帳を探す私を家族は心配そうに見ていた。
仕事に関して抱えている不安と、見つからないものへの不安がごちゃまぜになって、まるで狂ったかのように家中を探していた。
仕方ない、半休を取って通帳の再発行に行こうと思い、心配してくれた母にも報告した。
銀行に行き、「〇週間ほど、通帳を探したが見つからないので再発行したい」と伝えた。
対応して下さった行員の方の言葉に、私は鈍器で頭を殴られたかと思った。
おととい、つうちょうをつかっておかねをひきだされていますよ。
頭が真っ白になった。
何行かにわたって記された数字を見る。残高はほとんど無かった。
あまり覚えていないが、「勘違いかもしれない、すみません」と怪しまれる前にとにかく銀行を早く出たかった私は多分適当な言葉を並べて足早に去った。
私はまっさきに思った。
話してくれたら、いくらでも使っていいのに。
当時、あることでお金が必要だということはうっすら雰囲気で感じていた。
でも「私出すよ」と娘である私が言うと偉そうなのかもしれないと思っていたし、両親がそういうタイプの人間だと知っていたので、必要ではあるけど足りないという話はしていなかったこともあり、能天気に流してしまっていた。
いくらでも、あげる。
今までたくさんもらってきた。
私も参加させてほしい。
銀行の近くの本屋でなるべく人の少ない階の隅の椅子でこっそり泣いた。
立っていられなくなった。
あと少しで仕事に行かなければならないことと、家に帰ってどんな顔をすればいいのかわからないことで頭がぐちゃぐちゃだった。
話したらお金を出してくれない娘だと思われていたのか。
だから隠し続けたのか。
必死に探している時、不安でいっぱいな私をどういう気持ちで見ていたのか。
学生の時、同級生とのあるやりとりについて注意されてから、携帯のメールや通話履歴は見られるものだと思って使っていた。
話せないまま、外出が急に増えたことを不自然だと問い詰められる前に別れてしまう。
気になる人ができても、母に紹介する時のことをイメージしては〇か×を考えてしまう。
もう、こわい。
母ではない。
こわがっている自分がこわい。
今日も、"それ"は起きました。
来週、とても緊張することがあるから今週はとてもおだやかにすごすつもりでした。
そうしないと乗り越えられない気がしていたからです。
そのことを思うと怖くて眠れない毎日だったから、なんとか心のバランスをとって生きた今月でした。
でもだめでした。
私は家に帰り「言ってくれたらよかったのに」と言ってしまいました。
でも疲れていたのです。
言い訳かもしれませんが、ほんとうに心も体もふらふらだったのです。
ゴミ袋に入った気に入った自分の服を見て涙があふれてきたので、取り繕うこともできませんでした。
帰宅する旨の連絡をした時に返信で教えてくれたら助かりました。
もしくは「ごめんごめん」と笑って流してくれたら、もっと助かりました。
流れず、返されず、そっぽを向いて投げられたボールをずっと追いかけて走っています。
走る私の背中を監視するような目でずっと見ていますね、わかります、感じています。
だんだんと体が冷えてきました。
窓の外は本当に真っ暗で、でも部屋も真っ暗なので、まるで境がありません。
どちらが暗いのか、もうわかりません。
先週のことだ。
知り合ったのは3年ほど前。
趣味で通っていたライブハウスでわたしたちは出会い、半年ほどの彼からの猛烈なアプローチにわたしが半ば折れるような形で交際を始めた。
現在もう20代も半ばのわたし自身が中学生の頃に不登校を経験してからずっと心療内科にかかっていることもあって、人を信じるということに対するハードルが上がっていた。そして自分に恋愛なんて向いていないと思っていて今まで避けてきていたし、ましてや趣味で知り合った人を異性として見るなんて以ての外だと思っていた。
それでも半年もわたしがまともに相手をしなかったのに熱心にアプローチを続けてきたこと、忙しいはずなのに時間や労力を割いてでもわたしのような存在に費やしてくれたことを考えたら、この人のことは信じたいと思うようになった。
気がついたら2日に1回は会うようになっていたし、結婚を前提に同棲をしたいと頻繁に迫られるようになった。育った環境から結婚というものにあまりいいイメージがないだけに、「それは将来的に実現させられるといいね」と流していたけれど。
別れの原因になったのは他でもないモラハラだった。
彼はわたしより4歳年上で、どこか自分に自信がない様子を醸す人だった。
そのため自分以外の人間を必要以上に見下し、必死に優位に立つことでプライドを保っていたのだと思う。そのため共通の知人のことはもちろん、自分の思い通りにならなかった際はわたしのことをも必要以上にこき下ろしてきた。わたしが軽度の自閉症スペクトラムであることを説明した際に「幸せにしたい」と言ったのなんて真っ赤な嘘だったんじゃないかと思うぐらい、障害者蔑視とみられる発言も多かった。
自分の思い通りにいかないようならすぐに日本語が通じない、理解能力がないと言われる。確かにわたしはIQに偏りがあるし定型発達の人たちと比較すると頭の回転が早くはないと思う。しかし自慢ではないが論理力だけは平均値を大幅に上回っているし、幼少期から友達が少なかったこともあって活字が友達だと言っても過言ではない。それでも、彼が書いた文章がどんなに読みにくくて分かりにくい表現をしていても思っていることが伝わらないのはわたしの理解能力がないだけだという見解をされる日々が続いていた。そんなこと人生で一度も言われたことのない言葉であっただけに、それをどんどん気にするようになった。
そして隙があれば重箱の隅をつつくような感じで粗捜しされ、自分が取った行動であろうがわたしを責める。直接話していても、LINEでも、乾いた笑いが何度出たことかわからない。彼は必死に自分を正当化し、わたしに責任転嫁をすることでしか自分自身を認められなかった人なのだろうとすら思うまでである。ちなみに、この逆の行動をわたしが取ると激怒するのは言うまでもない。
おかげでどこかへ行こうと言っても心の底から楽しめなくなったし、気がついたら彼と一緒にいる時に大量の蕁麻疹が出るようになっていた。
しかしながら二度としないと言った約束は何度も何度も同じ形で繰り返された。それもすべて、わたしが知ったら傷つくような形で。三度目の正直、仏の顔も三度まで、と伝えてももちろん4度目があった。何なら2度目以降は持病の喘息の発作を引き起こすようになっていた。
そこまで約束をするほどに嫌がっていたことは、わたしが知らないと思って複数の女の子(しかもそのうちひとりは共通の知人である)にSNSで口説くことだった。この人にとっての「好き」の気持ちは、こんなにも薄っぺらくて誰にでも言えるものなんだ。そう思うと嫉妬なんていう気持ちは一切なくて、気がついたらバカバカしくなったことも正直数え切れない。どんどん自分への自信を喪失していったし、自分が彼を満足させられるような相手ではないからだろうと完全な自己嫌悪に陥った。今になって改めて思えば、カサンドラ症候群の気があったようにも感じる。
口説かれていた相手の女の子(先述の共通の知り合い)が彼の言動を嫌がっていた様子を含め証拠のスクショをもらい、それを突きつけても言い訳しか返ってこない。そして挙句の果てには「お前の言い方が悪い」「日本語の理解能力がない」「お前が嫉妬してくれないから遊び半分でやった」と感情的に何度も繰り返される。それでも彼にとっては冷静さを保っているつもりだったようで「感情的になって声を荒らげられるのは苦手だ」と何度伝えても続いた。
思えば揉めごとが起きる度に気がついたらなぜかわたしが泣いていたし、気がついたらなぜか彼に諭されていた。冷静に考えるとわけがわからない。時に彼の言葉はナイフのようで、身体的な危害を加えられないDVか何かのようだと感じた。
最終的にわたしが別れを告げた先週までは、前回揉めたことが共通の知り合いへの浮気だったというのもありまさに関係を修復している段階であった。
さすがに100%、とは言い切れなかったが、少しずつでも着実に前に進めていると思っていた。でもそう思っていたのは自分だけで、彼に一方的に期待をしていただけだったことに気がついた。
自分自身が心療内科に通っていることもあり精神疾患について勉強する機会も多々あったために彼はきっと自己愛性人格障害なのだから仕方ないと妥協していたが、それでも我慢の限界は来ていた。
前回喧嘩をした時に関係を戻したい、どうしても他の相手ではだめだと言って許しを乞うた人が関係を修復している真っ最中に同じことを繰り返せるのか、どんな理由があっても行動として出ている以上は簡単に欲に負けてしまえる程度の約束と相手だったということが示されたようなものである。幸せにしたい、大切にするという言葉は何だったのだろうか。
それでいて感情的に逆上される。喘息の発作が出るほどのトラウマがあってもう会いたくないとまで言っても、なぜかわたしの意見はわがままとして捉えられ1日でも早く話がしたいと執拗に責められる。挙句の果てには過去の自分の行動を恩を着せるかのように言われた。取った行動が約束を守っていない以上どこにも説得力なんてないし、何ならすべてが思い出話でしかないというのに。
そしてわたしは、別れを切り出した。
もう会いたいと思えない旨とさようならを告げ、LINEもTwitterもブロックした。
趣味がきっかけで知り合ったこともあり、共通の知人が多かったために特に親しい人たちやわたしたちの関係を知っている人たちにはすべて事情を説明し、わたしについて何か聞かれても何も答えないようにしてほしいと連絡して回った。
それでも彼はTwitterで捨て垢を作って執拗に連絡を続けてきた。それも何度も。
中にはリベンジポルノを仄めかすような脅しの文章もあった。晒されても困るような写真は幸い撮っていないが、プライバシーの侵害や脅迫という概念が抜け落ちている人なんだなと思った。まあそうでもなければモラハラなんて日常的に起こらないわけだが。
あまりにも何度も何度もブロックしても連絡が来るため、「何度も二度と会いたくないと伝えているし、これ以上関わるなら然るべき措置を取ります」と返した。ここで一段落ついた。
と思ったのが、間違いだった。
唯一フレンドになっていたソシャゲの公開チャットに、その返信が送られてきていた。頭が真っ白になった。時間を置くとは言っていてもこの期に及んでまだ執拗に会って話がしたいという文章にも、ソシャゲの公開チャットなんて不特定多数が閲覧できるのにそんなことが書かれていたことにも、理解にしばらくの時間を費やしたことは言うまでもない。
その後、案の定共通の知人のもとには彼がわたしについて聞く内容の連絡が次々と来ていた。事情は知っているからもう諦めるべきだとアドバイスする人、返信を送らない人。ありがたいことに、わたしはその人たちに守られた。
そのうちのひとりが事情を知らない前提で話を聞き出したところ、「どうしても会って話をして、何とかして説得したい。それで直接話をしても駄目なら諦める」と返信が来たそうだ。何度ももう会いたくないと伝えているはずなのに。
理解能力がない、日本語が通じないなどと散々罵っていた相手であるわたしの書いた文章を理解できていないのは他でもない彼だった。わたしは自分が書いた文章がアラビア語やタイ語などの専門的な知識がないと読めない言語や何かだったのか確認したが、デフォルトの日本語を使っていた。
彼と会わなくなって1週間。
日々の悩みだった蕁麻疹が出なくなった。
そして、自分自身が無意識に心身をすり減らしながらも生きることを自分なりに、必死に頑張っていたと気がついた。
彼はというと共通の知人いわくSNSで失恋ソングの歌詞や病んでいることを匂わせる投稿を連日しているようだが、わたしの知ったこっちゃない。
別れても寂しくない恋が存在するんだと思った。
既に前を向けている。
そして、少しでもわたしと同じ境遇に立っている人が、少しでもいなくなってほしいという気持ちがいちばんに強くなった。
きっと、モラハラを受けていた時よりもちょっとだけ強くなれたんだと思う。
この件で連日眠れない夜を過ごしたり、物理的な胸の痛みを感じたり、拒食気味になってきたりもしているので、そろそろ警察へ相談に行くか悩んでいる。しかし幸いにもこちらの住所(実家暮らしで友達を容易に呼べる環境ではないことにこれほど安堵したことはない)や自宅の電話番号、仕事先といったものは知られていないために、警察へ相談するのも次に何かしらのアクションが起きてからでないとさすがに彼の今後の人生に影響が出てしまうのではないかと思う。さすがにわたしのせいで彼の将来が暗いものとなっても、わたしには責任が取れるものではない。それに何より、別に人生をめちゃくちゃにしてやろうとは思わない。気力がもうない。
それほどまでに、もう関わりたくないのだ。
中国ではその昔、「文字の獄」と呼ばれる事件が多数起きていたそうだ。
誰かが書いた文書を読んで、「この字はあの字と同音やん。そう考えるとこいつ皇帝を馬鹿にしとるな!」
みたいな感じでばっこんばっこん粛清されていったそうだ。
ひどい時代だと思うんだけど、これって「差別と受け取られたら差別」もこの理屈でなんでも差別認定できるよな。
「この辮髪キャラの名前はプーだ。プーは英語でウンコだ。つまりこれは中国人を馬鹿している!」みたいな。
でも実際皇帝を縦読みで馬鹿にしてた奴もいただろうし、差別の場合ももちろんあるだろう。
だから「差別と受け取られたら差別」は一様に間違いとは言えないが、一様に正しいとも言えないものである。
な?
具は卵だけ、レンチン調理、かつレンチンしすぎてぐずぐずになっちゃったけど
それでもうまかった
というのもこの2ヶ月くらいで食べてた袋麺はプライベートブランド皆様のお墨付きのやつだったから
食えなくはないけどめっちゃおいしいものでもなかったんだなあとひしひしと感じる
次回はぐずぐずにならないように、もう少し短めでレンチンしよう
今回600w6分くらいだったけど水すくないからもっと短くてもいんだ
4分くらいで試すかな
サッポロ一番は5こパックで買ってるし、ごま味しょうゆ、みそももちろんある
それにしても急に寒くなりすぎだろ
10〜20代前半、友達はそっちのけでとにかく男にかわいいって言われることが大事だと思ってた系のおばさんです
でも別に可愛くはないしオタクなのですげーおっさんとかオタクの男にかわいいと言われて、その中の理解のある彼くんと20代後半に結婚して現在30後半って感じ
そんな感じなのでもちろん友達はいなかったのだけど、最近はインターネットを通じて同じ趣味の同性の人とも仲良くできるようになって、これからは友達と夫を大事にして心穏やかに過ごそうと思っていた
最近そのネットで繋がった趣味のコミュニティに男の子が入ってきた。
今までも男の人はいたけどかなり歳上だったり関わりがなくて特に気にしていなかった。
話してみたかったと言ってくれたのだ。
私の中で封印してたかわいいと言われたいという気持ちが蘇ってきたのを感じて、これはまずいと思った。
Aとは住んでいるところがとても離れているので会う機会は今後も無いし、夫が大事なので不倫をするつもりなどももちろん無い。
Aはみんなと仲良く、むしろ私より他のメンバーとのほうが仲が良いので、上記の発言はたぶん他の人にも、もちろん男の人にも言っているのだと思う。
でも不意にあの頃の気持ちを思い出してしまって自分が気持ち悪い。
今後どうやって絡んでいいのか、また普通には話したいけど、かわいいと思われたいおばさんと話すのって嫌じゃない?
「自分の事を可愛いと思って生きてきたブス」の話をさせてくれ、私のことなんだが
私は自分の見た目に1ミリも興味がなかったし他人という人間にも興味がなかった。
服は親がこだわって買ってくれてたのでちゃんとしてたけど、全く興味がなかったし周りの子達の女子らしい会話にも興味がなかったので友達はいなかった。
ところが当時、学年で上位3本に入るくらい可愛い子(仮にmちゃんとする)が、何故か私の事をめちゃ好きだった。
その子は天然でおっとりしてたのだが、多分私の暗さを「大人しい」と解釈して、仲間意識のもと近寄ってきたんだと思う。
私は他人のこと気にしない人間だったのでクラブ活動もオタクしか集わないお絵描きクラブに入った。mちゃんも絶対興味無いのに、私と仲良くなりたいが為に同じクラブに入ってくれたりしてた。
しかし当時の私は「なんでコイツいつも横におるねん鬱陶しい」とか思ってた。マジで最低である
ところで私には超絶可愛くて陽キャな姉がいる。
そこで初めて私は「あいつって可愛いのか」と認識したのである。
私には当時から「可愛い女は可愛い女とつるみたいんやろ」という偏った概念があったので、そこから「可愛い女に好かれるってことは私も可愛いってこと!?」という思考が生まれてしまった。
しかし超絶プリティー陽キャな姉が「そこは変な人が多いからやめておけ」と言うのでとりあえずテニス部に入る。
今思えば当時の中学生はオタクに厳しかったので、あのまま美術部に入ってたら学校生活死んでたと思う。
そして奇しくも私は、テニス部に揃っていた"学年で可愛いとされる三人衆"と連むようになった。家が近く、たまたま登下校を一緒にした為だ。
3人はまじで可愛かったので、そんなのと一緒にいる私も可愛い!と本気で信じてた。
3人は週替わりに告白されるくらい人気だったのに対し、私は1度もそんな告白されたことない。でも自分を可愛いと思ってた。
その子たちが陽キャだったので、学校の有志発表で一緒にダンスを踊るなど身分不相応なこともした。
その時のビデオに、1人だけ明らかにバケモンみたいにデブでブスのやつがいて「誰だ?コイツは?」と思ったりもしてたけどそれでも自分の美貌を信じてた。
そして高校。
入学当初、「〇組の(私の名前)ちゃんって子が可愛い!」と一部で軽く噂になり「え〜そんなの噂だよ〜」と謙遜していたが、この頃にはもう自分の美貌は揺るがないものだと確信していた。
あとから知ったことだが実は、同じクラスに私と同じ名前の子がいて、おそらく噂になってたのはその子だったらしい。
どういう事なのかと言うと、実はゲロマブクソかわギャルの実姉がこのモデルの親友の地位を勝ち取っており、幸いにも姉妹仲が良好だった為わたしも仲良くしてもらってたのだ。
そんな実姉の存在を知らないクラスメイト達から「なんであの人と仲良いの!?」などと詰められてドヤ顔していたが、今思えば「なんでモデルとクソブスなお前が交流あるの!?」ということだ。最もな疑問だった。
ここで異変に気付くことになる。
今まではオタク一筋に生きていた為、異性に興味のキョの字もなかったが、とうとうここで「そろそろ彼氏作ってやってもいいかな」などと思い至ったのだ。
かなり上から目線だが、私の彼氏になりたい人はごまんと居ると思っていたので仕方ない。
ついに行動を起こす。合コンに赴き、街コンに赴き、飲みサーに顔を出し……。
ここで違和感を覚える。
一緒に参加していた友達は、当たり前のように連絡先を聞かれている。なのに私にはまるで一声もかからないのだ。
いや、1人にだけ聞かれたことがある。
上から目線の思考はどこへやら、もはや嬉々としてLINEを教えた。しかし帰宅後彼から送られてきたメッセージは、ただのサークルの勧誘だった。
どういうことだ?
周りに話を聞いてみると皆、ご飯行きましょうやらいつ空いてますかやら聞かれているらしい。
おや?これはもしかして、私はモテないんじゃないか?と、20年以上生きてきてようやく気づく。
ふと、小中高のアルバムを見てみる。
そこには眉毛は薄く目はチベットスナギツネのように細く、全体がもう、なんだ、大根みたいなやつが映っていた。
1度冷静になってみて、はじめてわかった。
私ってブスだったんだ。
本当はひとつひとつに丁寧にコメを返したいのですが、はてな初心者ゆえ「返信とはどうやるんだ?」と詰みましたので追記にて失礼します。
こちらは不意にこれまでの人生を振り返り、ついでに記事にしたろ!ついでにみんなにも楽しんでもらお!と思い、某つぶやきツールのフレンド達に読んでもらうことを前提に綴ったものになります。より多くの人に楽しんでもらえたらラッキーだなくらいの気持ちでここに綴らせて頂いた次第です。
ネットリテラシーガバ女なので、フレンド達は私の顔を承知した上で読むという算段でした。
つまり、こんなに閲覧していただけると思わなかったという事です!本当にありがとうございます!
あまり後から足すのは良くないのかな?と思いつつ、確かに色々想像できない書き方だったな…と感じたので、簡単に家族スペックだけまとめますね。
父
・童顔
・耳がでかい
母
・若い頃はつり目、一重、鼻がでかい(今は二重、歳のせいかタレ目気味になっている)
姉
・昔からファッションや見た目に自我があった。母が買ってきた服を嫌がって着なかったり、可愛い友達の真似したりしてた
・顔が父に激似(父は全くイケメンではないけど女の子にするとこんな可愛いんだな、といつも思う)
・「ギャルなのに頭が良い」に憧れて見た目に死ぬほど気を使ってた
私
・若いころの母似
・服や化粧に興味がなかった
・性格は父似
周りの友達の影響ももちろんあるけど、この母と姉に囲まれてたから謎に自分もそちら側だと思ってたのかもしれない……という自己分析。
ただ、だからといって自分のことを嫌いになるとか、卑屈になるとか、そういうことは一切なかったです。
むしろ人生を思い返した時一番最初に思ったのは、「これ絶対ウケるやつじゃん」でした。
なので、ウケてくださったなら幸いです。
長々とすみませんでした!
楽しんで読んでもらえたなら嬉しいです!
VTuberというのはVirtual YouTuberという意味からすると、基本YouTubeを活動にするものと普通は考える。
しかしながら、今やその活動の場はつべに限らず、色んなサービスやイベントで見かけるようになってきた。
具体的に言えば、基本無料視聴可能な動画配信サイトでも、つべだけでなくTwitch、ニコ動などがあり、
他に課金限定の有料配信も複数あり、リアルにハコを借りてのライブ(+配信)ももちろんある。
そうなると、あるVTuberがつべの他に色んな所で活動するようになると、もっと具体的にはカバー曲を歌うようになると、
権利上、サービスによっては歌えない曲があったり、場合によっては会場に客を集めてのライブ以外では披露できない歌が出てくる。
まあVtuberが存在しないどころか、配信主流の時代が来る前であっても、CDに収録されない曲があったことを思えば、
当然の流れなのかもしれないが。
その中で、特にYouTubeの無料配信で行われる歌枠や3Dライブで絶対に歌われず、個人的にとても残念なのが、アイドルマスター関係の楽曲だ。
特に、先日発売の1stアルバムが、各種ウィークリー国内DLランキングで首位を獲得したことで話題の星街すいせいが、某VRライブで歌ったTrancing Pulseや、
すいちゃんの所属事務所の後輩である桃鈴ねねがやはり同じVRライブで歌ったOTAHEN アンセムとか、どちらも非常にマッチしていただけに、また聴きたいことこの上ない。
どちらも期間限定の有料配信で、今の所ソフト化の予定は出てきていない。
他にもアイマス関係は、気がつけば21世紀の代表的タイトルに数えられるくらい歴史を重ねているだけあって、本当に神曲が多い。
「世界規模のワクチン格差についての話になると左右問わず日本人みんな明らかに興味なくなっちゃうけどなんでなん?」
って話。上の文章で終わりっちゃ終わりなんだけど、色々下に書くわ。
日本のワクチン接種事情について、日本人目線で見ればまだまだ安心できるレベルじゃないし、様々な問題や不満があるけど、とはいえ世界規模で見ればかなり「使ってる」側なのは否定できないと思うんだよね。
もちろん日本含む先進国からの途上国支援のワクチン供与もあるにはあるけど、それ踏まえてもとんでもない格差が生まれたし、COVAXも頓挫したって指摘がされてる。海外メディアでは「ワクチン・ナショナリズム」的な表現で議論がされてる。
その中で日本では、右も左も「遅い」「もっと早くしろ」「まるで後進国」みたいな(もしくはこれらへの反論のような)次元の話ばっかしてて、「たくさん確保できる/する」側としての問題があんまり盛り上がらなかった。
なんでなんだろ。そういう報道も一応あるにはあったけど、国内の話に比べるとやっぱり記事数が全然違うしリアクション数の桁も違って内容によっては無反応に近い。「いっぱい接種してる国すごい日本も早くこうならなければ」って話が圧倒的に多かった。
ワクチン争奪戦に「出遅れた」という批判ももちろん正しいが、争奪戦そのものや争奪戦に参加すること、そこで「勝つ」ことの問題への指摘もありえるはずなのにね。(前者の批判を否定したいわけじゃなく、両立するしだからこそめっちゃ大事じゃねってことね。)
まあ保守の人とかは「他国がどうとかより自国のことだけ考えるべきでしょ」で終わりというかそれで筋が通るのかもしれんが、リベラル知識人みたいな人もあんま話さないよね。
命の格差がどう、救えない命があってはならないからどう、みたいな話もあくまで「日本人の命」のことで、国内限定で線を引いてる。
「世界は一致団結し、全世界の人々がまず平等に1回目の接種ができるような手配をすべき。」みたいな、WHOが言うような理想論を言うつもりはないけどさ。現実的に無理だろうし。
でも残念ながら(あえてこういう言い方をする)地球の裏側の人達にも全く同じように人権がある以上、本来ならば同じように接種が受けられるべきなことが明白な以上、今起きてるような強烈な世界規模のワクチン格差が問題であることは事実だし
現実的に平等に配布できないというのは「だから仕方ない」「だから話をしない」ではなく
それこそこういう文脈での政府批判も含めもっと議論があっていいと思うんだが。
保守もリベラルも、いざ現実に自分たちに火の粉が降りかかりそうになると
「もっと我々日本国民のために早くとってこいや」の声が9割9分になっちゃうのかな。
※
コメントで貼ってくれてる人居たので一例としてワクチン供与へのはてなのリアクション転載。めちゃくちゃボコボコやんけ笑
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210519/k10013038681000.html
※
コメントへの返事。
文中にも書いてるけど日本が「ワクチン供与してない」とか「報道が全くない」とか「国内と国外を完全に同じ比重でケアしろ」とか言ってないからね。
すごく単純に「もっと何十倍も議論されるべきだろ」ってことが言いたいわけ。特にTwitterやはてなみたいなとこで顕著だけど。
「まるで後進国」的な、本来ならもう少し注意しながら言うべき言説をリベラル知識人みたいな人達の多数まで無邪気に叫んでたのが違和感あったわけ。
※
また指摘されてたので一応書いとくけど、筆者はワクチン未接種です。↑の話を踏まえてどうこうってよりあの予約戦争に参加する気力がないんだよね。すごいじゃんあれ。Twitter見てると「ワクチン戦争、勝ちました!」みたいなジョーク飛んでてしんどいんだよ。
職域接種みたいなコネもないし。まあ死んだらしょうがねえなと思ってるよ。
ただまだ30代前半で、比較的リスクは低い方なので、「余裕があるから言えるんだろ」的な批判もまあ当たってるっちゃ当たってるかもね。
https://anond.hatelabo.jp/20210923185323
もちろんそれもあるけど、ここ10年くらい?で当該男アイドル自身がめちゃくちゃ叩かれるようになったよ
ニノ以外の嵐メンバーファン、関係ないグループのジャニヲタはむしろニノの方をボロクソ叩く
ジャニーズは恋愛禁止ではないし、90年代のSMAP TOKIOなどは堂々と交際宣言したり恋愛ネタも普通に話してたのに、嵐がブレイクした頃からファンの意識が「恋愛スキャンダル=悪」となった
モー娘。やAKB等が恋愛禁止を謳い、スキャンダルでクビになったりするようになって、ジャニヲタも女ドルヲタと同じようにスキャンダルメンバーを叩くようになったのだ
同じグループのヲタなら「うちの仕事に影響あったらどうすんねん」違うグループでも「推しが影響されたら困る」とか犯罪者扱いだよ
「愚痴垢」と称して一度スキャンダルがあったメンバーに粘着し一挙手一投足をネチネチケチ付けて叩くのを数年単位でやってるのもいる
そしてスキャンダルが(表には)出てないメンバーを推してるヲタは、なぜか「推しはアイドルの鑑!プロ意識高い!」とマウントを取るのでした