はてなキーワード: 部活とは
1年E組ハリーポッター
身長145cm
体重80kg
髪の長さはセミロング
胸の大きさはC
#もし女子高生になったら #shindanmaker
恋愛下手くそすぎるのでアドバイスください。初投稿です。ところどころ偽情報混ぜてます。
結論:
①好きな男のことが「好きだ!」と思って発作的に行動するのを辞められるのか。
②顔面•雰囲気が好きだけど、話はつまらん男に時間をかけるのはどれくらい非合理的なのか客観的な意見がほしい。
【自己分析】
どこに行っても「あなたはどこでも生きていける」と言われるタイプ。
ネットで性格診断すると、魔王とかジャイアンとか知能のある熊とかになってしまう。多分それで就活難航した。
色んな人とおしゃべりして意見を交換したり議論することが大好きなのに、無意識の断定口調や語尾のせいで引かれてしまうことが多々。人の心の機微を読み取るのがとても苦手で、愚痴を聞かされても「そんなことお金で今すぐ解決できる」「そんなに辛いなら今すぐ会社を辞めるか上司に異動の相談をした方がいい」とデリカシーのない言葉を口走ってしまう。
趣味:世界史の解説本を読む、国際政治の解説記事や動画を見る、戦争映画•アニメ鑑賞
【ことの経緯】
高校卒業まで、恋愛は時間•金銭の浪費で馬鹿がやることだと思っていた。高校のうちは勉強したり部活で努力することが、将来の仕事に役立つと思っていた。バイトも恋愛も大学生になってからやることが順当だと思っていた。
大学入学後、ラブライブが好きな男がいたので私もラブライブが好きだと声をかけた。色々ラブライブの何が好きかと話をした。最初はラブライブの買い物についていくだけだったが、花火大会に行こうと言われた。暇だったので行ったら帰り道告白された。正直大して好きではなかったが、これも経験だと思い了承した。だが、男の私への好意と私から男への好意にあまりにもギャップがあった。人間関係を円滑にするために、好きだと言われても嘘でも好きと返した。嫌いではないから好きと言っても間違いではないと思った。しかし、だんだん男と過ごすのが億劫になった。どうして貴重な休日を潰して、恋愛的に好きでもない人間の日常の愚痴だとか高校の辛かったことなどを聞かなければならないのかと憤りさえ感じた。ので、デートの約束を反故し最終的に振った。
大学3年の晩秋、ゼミの仲間の伝手で男を紹介された。「お前の顔がタイプで興味あるんだって」と言われ、自分の顔面に興味を持ってくれる人がいることが嬉しかった。3回デートして付き合った。顔が好きならそうそう嫌われることはないし、前回の恋愛がクソだったので今度こそこのチャンスを生かして彼氏を好きになろうと思った。頑張った。だが、まただんだんと土日を潰してまで男の愚痴や身の上話を聞かされるのが辛くなった。一緒にすごす時間が面白くない。時間と金が浪費されると思ったし、「私は頑張って呼び捨てで名前呼んでるのになんであんたはいつまでも私をさん付けで呼ぶんだよ」と意味不明なキレ方をしていた。またデートを反故し音信不通になってしまった。
これ以降、彼氏は未だ出来ていない。
入社後、新人を集めて研修が3ヶ月続いた。長期の座学の合間に、社会人の精神だとかだるい講義があった。休憩の折、隣の同期にふざけて「友達に軽く言ってしまったことを帰ってから後悔したりする?」と話しかけた。すると同期の男はちょっと笑って「そんなのいっぱいあるよー」と返した。
その瞬間、好きだ!!!!と思った。大抵の人間はそう返答するだろうが、彼が言うとすごくか弱くてかわいいと思ってしまった。講義中はそれ以降動悸がおかしくなっていた。帰宅してからもその男のことを考えていた。今まで感じてこなかった「付き合いたい」という感情を初めて知覚した。
これは早いうちに手を打っておかないと後悔すると思ってその同期と仲良いやつに彼女の有無を確認した。彼女はいないようなので、例の同期にLINEでGW空いてるかどうか尋ねた。とても緊張した。「一緒にピカチュウの映画を観に行こうよ」と尋ねたら、OKしてくれた。すごく嬉しかった。約束してすぐに、名探偵ピカチュウのチケット2枚を買った。
今までの私は、デート場所の移動が面倒なので、家から行きやすい場所を設定していた。が、その日はわざわざ同期の住む最寄駅まで行った。路線の端から端まで乗ったので2時間近くかかったが、全然苦じゃなかった(大学の友人曰く、普段の私からは考えられない行動らしい)。映画は面白かったが、同期と二人で出かけているということが嬉しくてあまり内容を考察などはできなかった。映画が終わったあと、電気量販店を回ったり雑貨店を一緒に巡った。その後、二人でお茶をして談笑した。英字プリントされたシャツダサくてかわいいなーとか考えながら、色々話を聞いた。真面目で、誠実で、若干要領が悪そうな雰囲気だとか、初そうな見た目がとても私のツボだった。しかし、聞いているうちに話の中身があまりないなと思った。休日は金モザなどのアニメを観たりポケモンで遊んだり、平日の暇なときはソシャゲをしているそうだ。「他に興味のあることとか、趣味はないの?」と聞いても、特にないと返された。「俺、普通の人だよ」と言われたのが印象的だった。
普通だ、と言われたときに恐怖を感じた。いくら見た目や雰囲気が好きでもし付き合ったとしても、結局また「つまんない」と思ってフッてしまうかもしれないと思った。こんなに衝撃的に好きだ!!!と感じても、自分からフったり「お前とは話が合わない」と言われてフラれるのはきっと凄く辛い。
それからスケジュールの都合もつかずやりとりも減り、彼と会うことはなかった。
※その後他の男とデートしたりなどはしたが、好みではなかったので付き合ってない
例の同期とやりとりすることもなく、他の男との不発のデートにも飽きた翌3月。たまたまその同期と会社の発表会で同じ回に参加していた。自分はそいつへの「好きだ」という気持ちはもう覚めて、これからはただの同僚への感情しかないと思った。実際、座って出番を待っている彼の姿を見ても、動悸がおかしくなったりはしなかった。
だが、同期が壇上で喋っている姿を見て、私の目論見は完全に誤算だったと強く自覚した。
やっぱり好きだ!!!!と思った。喋ってるアホな例えとか姿がいちいち全部ツボだし、「マジ付き合いてぇ!!!」と思った。非常にかわいい。守りたいのにちょっと追い詰めたいという気持ちも出てしまうという、少々アレな心情だった。
どうしてももう一回会いたいと思ってまたLINEをしてしまった。しかし、彼からはやたら「忙しい」やら「休日出勤がやばい」だとか断られ続けた。会えないなら電話しようと声をかけても断られ続けた。いちいち返信する律儀なところはとても良いが、流石に断られすぎてイライラしてきた(自業自得である)。そんなに私に会いたくないのかよ畜生!と憤り、もう彼のことは考えないようにした。
例の同期の存在すら忘れていたこの頃、友人からそろそろ喪女を脱却しようとマッチングアプリを勧められた。ちゃんと恋愛したいし知らない人と会っておしゃべりしたいと思ったので、登録した。たくさん来る通知を捌きながら、ある男が目に止まった。写真を見た瞬間、「好きかも」と思った。早速LINEで会う約束をしてデートした。
Aと会った瞬間、ちょっとがっかりした。マッチングアプリではバストアップの写真しかないのが盲点だった。この男は背が小さく、声が小さく高かった。好みじゃないのだ。
しかし喋ってみるとなかなか趣味が合って楽しかった。第一、私のディープなアニメの話にもついてきてくれるのが凄い。Twitterのオタ垢でもそうそうない。芸術への造詣も深く、彼の話は非常に興味深かった。筋肉質なのも好印象だし、国家公務員キャリア組のエリートなのに全然驕ってない。出会いのない職場だそうで、女慣れしてなさそうな雰囲気だとか、ジョークのセンスはいまいちだったりはあったがそんなの大したことはない。もう少し背が高ければ、もう少し声が低かったら私にとって満点だったけど、でも超いいなと思った。
〈今〉
Aと付き合うのはアリかもな〜とふわふわしながら仕事をしていた最中、あるメールが目に止まった。なんでもないメールだったが、そこには社員の名前がズラッと並んでいた。
例の同期の名前が書いてあった。名前を見た瞬間、「好き!!!!会いたい!!!!」と思ってしまった。今マジでLINEしようか頭抱えてる。
ABはグループ(部活とかアイドルのユニットみたいなやつ)の中の2人で、
グループには他にCDEもいるから全員いる場面を描くこともあるんだけど、
描いてると原作全員仲が良すぎるから実はこいつらで全員付き合っているのではってなる
なにもかも幻覚
・裏腿、ふくらはぎ、かかとを竹刀で何度も殴打→内出血、皮剥けで全治2週間
・掛かり稽古で足掛け、転倒させて組み伏せたあと、背部・頭部を竹刀で殴打→脚部捻挫・背部内出血で全治3週間
・床に座らせて足で顔を蹴る→鼻から出血、むち打ちで全治2ヶ月、その後不定愁訴が続く
今はこういう指導する教諭は天然記念物だけど、これでも生徒や保護者からはわりと慕われていた先生で、校長まで上り詰めたあと教育委員会で仕事してる。
死だけは全ての人間に対して平等なわけで、死んだらその瞬間にすべての理不尽がどうでもよくなる
シリコンバレーで何億ドルと稼いでるスゲー奴も、石油王も、天才東大生も、9歳で大学出たガキも、全部関係ない
俺はあらゆる苦労や苦痛をスキップして先にゴールできるんだから考え方によっては奴らに勝ってるとすら言える
賢しらぶって人生訓を垂れてるカスどもも全員無視 死にさえすればこっちのもん 後悔もクソもなく一切の苦痛を捨てられるんだからどう考えても最高だ 死後なに言われても痛くも痒くもないしな
飛び降り自殺とかだと流石に恐怖がデカそうだけど、練炭自殺とか絶対楽しいと思う
意識なくすまでの時間ずっと勝ち誇ってられる そういう自信がある 俺は学生時代、同級生が部活に向かう中ひとりサッサと帰るのが楽しくて仕方なかった
タイトルのとおりなんだけど
小学校はサッカー部で先輩後輩なく楽しくやってたんだけど、中学校になってどうもおかしな気配を感じた。
普通の公立中学校だったからなのか、サッカー部なんかド不良の集まりで、先輩は絶対みたいな雰囲気だった。
パシリとか当たり前で、体育会系でよくある理不尽な命令みたいなのも普通にあった。
最初はみんなで「先輩怖いね~」みたいな話ししてたような気がするけど
なんか途中から同級生同士でも力関係みたいなのが発生して、クソ雑魚の僕はすぐにいじめみたいな感じになった。
もともとサッカーは特別好きではなかったし、はじめた理由もちょうどJリーグ開幕の年前後に小学校に上がったからみたいな感じだったと思う。
未練はなかったし、
何より怖かったのが、先輩>同級生>僕 みたいな非常に明確な構図ができあがってしまっていた事、
さらに先輩の上には先輩がいてさらにサッカー部顧問の先生がいる。さらにその上に外部から監督が来てて
その監督見た目はジーコみたいなんだけど、キレたら頭のテッペンから声が出る狂犬みたいなヒステリーおっさんだった。
まあ何が言いたいかというと、順当に順位を上げるのはムリダナと思ったわけです。
あまりに壁が高すぎる。とても正攻法では太刀打ちできない。と中1にして悟ったんですね。
くわえて以前から親父にも「お前は闘争心がない」とのご指摘を再三賜っていたので、その自覚はあったし特に悪いことだとも思わなかった。
幸いにしてそれほど頭は悪くなかったので、ぴゃーっと部活をやめて勉強にシフトすることにした。
で難なく進学校に進んで、今度は好きなことしようと思って
男女がいたからなのか、マイナースポーツゆえなのか、先輩後輩の関係もゆるく、待ち時間に漫画読んだり、ゲームしたり、夏休みに生徒だけで勝手に合宿したり、女の子に好きになられたり、そのまま仲良くなったり、楽しく過ごしました。
で、肝心のお勉強の方なんですけれども3年になると雲行きが怪しくなって来るんですね。1,2年時は強化クラスみたいなところにいたんですけれども、3年で普通クラスに落ちたんですね。
理系には有能男子学生が集まり、頭が悪くないくらいで勉強しない僕のような生徒が第一線張れるようなところではありませんでした。そういう環境では順当に行けば勉強頑張るか、となるんでしょうけれども、僕は戦いませんでした。そう文転です。
中学の経験から逃げが身についているのか、僕はさらに逃げます。そう私大です。
センター併用とかなんとかでごまかして、有名私大文系学部にするりと合格してしまうわけですね。下手に頑張って駅弁大学いくよか随分良い選択をしたと我ながら思うね。
これはもはや弱者の戦略と言って良いでしょう。勝敗が決する前に別の戦場に移るという画期的な戦法を身に着けてしまったわけです。その姿は強い相手と対戦しないように減量する計量前のボクサーのような美しさがあります。
でですね、大学でも難を避けて暮らして、今度は就活なんですけど、やっぱり理系企業に行きたいんですよね。ほんとはIT関連に行きたいんですよね。
無謀ですよね。競争ですよね。勉強してないのに。なのであきらめました。
じゃあどこいこうかなと思ったとき、僕が選んだのは女性が活躍できる職場(男性が誰も入ってこないくらいのブラック企業)でした。当時はブラック企業情報などもあまり溢れていない環境だったかと思いますが、親兄弟からも反対されるほど名のしれたブラック企業でした。
なぜそこに入ったのか。おそらくそこしか入れなかったのでしょう。規模が大きく、成長性があり、労働環境最悪―――というのは、なんとなく自分には向いてそう、という感覚がありました。実際その会社の労働環境は凄惨を極め、朝から夜まで働き詰めで1年めの年間休日は30日とかだったと思います。(もち全部サビ残だよ)
なんか書くの飽きてきたな。増田に長編書くモチベってなんなの?
で何が言いたいかというと、女性が多い職場にうら若き男が入ると、めっちゃかわいがってくれるんですね。んでもって女性が多いからといって女性が出世できるわけではないので、大卒の男性なんて勝手に出世するんですね。女の人って大変ですね。
しかも、もともとが時代遅れのブラック企業なので、成功した他社のやり方持ってくるだけでポンポン成績が上がるわけです。面白かったですね。
そんなこんなで出世して20代のうちにちゃっちゃっと結婚して子ども生まれて、まさにヌルゲー人生を謳歌しているわけですけれども。ここでふと気づくわけですね。
なにか仕事でヤバいトラブルがあったとか、乗り越えられない壁があったとか、めっちゃすごい人物にあてられたとか、一切そういうことはなくて、ふと振り返ったときに自分の歩んできた道の軽薄さに恐怖するんですね。
今までは「戦略的撤退」だと言い聞かせてきたんだけど、今、退路を探してもどこにも見当たらないんですよ。スキルも積まず、努力もせず、社会の盲点みたいなところ一点突破してきた自分が、出世だけして家族を背負い、綱渡りしている事に気付いてしまったんですよ。
手に職つけず。年だけ食って。もう35だよ。転職するにも公務員試験も受けられないよ。
退路がないと言ったけれども、僕、前進する方法も知らないんですよ。
どうしたらいいですか?
僕は何を恐れてるんだろうか?
どうしたらいいんだ。
こんなオチにするつもりで書いてたんじゃなかったのに。
「嫌なら逃げればいいじゃん」っていう軽い感じで書いてたはずなのに。
なんだこれ。最悪じゃん。
もう寝よ。最悪だ。
私は20代後半女性。恩師であるE先生は今は50代になるだろうか、親より少し下の世代の女性。私立女子校の保健室の先生で、私の進路決定に大きく影響を与えた存在である。
私がその学校で生徒だったのは10年ほど前のこと。中学受験で入った学校に1時間かけて通学したものの他の生徒と馬が合わず、クラスや部活で馴染めないどころか「場面寡黙」のような状態になってしまった。気は強かったので、そんなことで不登校になってたまるか、と踏ん張っていたが遂に中学2年の初夏に心が折れてしまい、保健室に入り浸るようになった。
そのとき様々な声かけをし心理的ケアをしてくれたのがE先生で、私は彼女に憧れて看護学部を受験し、現在は看護師をしている。
看護師を数年したら養護教員(保健室の先生)になるだろうと高校時代は思っていたものだが、大学時代に就活をするときには一度そのことは消し去ってみた。だけど一度夢にまでみたこと、資格は“一応“持っているので、叶えてみるのが過去の自分のためだと思い転職活動を開始したのがここ1年のことである。そして新型コロナウイルスの流行があり、学校保健においては大変なことであろうと思い、E先生のことが思い浮かび、お元気だろうか、と様子伺いを兼ねて近況報告を送ることにした。
E先生はクールな方だけど、内面はとても豊かな人だったと思う。
ただ、さっぱりしすぎていてなのか、仕事上(教科・学級担任と異なり全校生徒を相手にする)致し方ないのか、年賀状を送りたいだとかEメールアドレスを教えてほしいだとかお願いしても、全く個人的な連絡先を教えてくださらなかった。
「学校に送ればいいわよ」とか「学校に来れば私はいつでもいるわよ」とか仰っていた。他の教師たちはというと、携帯やSNS禁止の古風な学校のくせに、数年前に訪問してみるとLINE交換を迫ってきた、なんてこともあった。
そういうわけで、E先生宛に手紙を書いた。もちろん個人的な連絡先を知らないので、宛先の住所は学校にした。私学だから転勤もないし、ほかの先生から消息は伺っている。
同じ県内に住んでいるので、1日もあれば届くだろう。
お返事は週明けには来るだろうか?
そんなことを考えた。
が、1週間経っても、2週間経っても、シルバーウィークを挟んでも、返事は来ない。
前述の通り、クールなお方だから、と思って、松任谷由実の「返事はいらない」さながら、返事は期待せずに手紙を書いたし、ポストに投函した。
だけども、どうしても、返事がこないとソワソワしてしまう。
私は平成1桁生まれ、とはいえ、ジャストなデジタルネイティブ世代で、物心がついたときにはダイヤル回線でポストペットがメールを運んでくれるような環境だった。
大学に入って最初の数ヶ月こそ「メーリス」を多用したが、だんだんLINEが普及しはじめ、LINEが主流の通信手段である。
仕事を始めれば職場ではメールを使うが、いま私の周囲で即時性のないやりとりはその程度。
別件で、他の恩師からコロナ禍で病院で働く私の身を案じるお手紙をいただいた時には、速攻でお返事を書いて出したくらいの即レス魔なのである。
E先生から返事が来ず悶々とし、私はインターネットの大海から「手紙」の返事を「待つ」という行為についての記事を探しまくった。スマホに穴が開くほど、といいたいところだが実際には私はかなりの睡眠時間を犠牲にした。
LINE、Twitter、4G通信、メールですら「センターに問い合わせ」をしなくても届く時代。
即時的な現代でわざわざ手紙を送るという行為は、待つ時間をも味わい、愉しむ必要があるようだ。
そして、手紙というものは、一方通行であることをある程度覚悟する必要があるらしい。
こういう話は、文化人類学にでもなるのだろうか?
毎日ポストを、封筒が入っているのを十分想像しながら開ける。そんなことをして早1ヶ月。
そういえば、E先生はお勧めの本でミヒャエルエンデの「モモ」を紹介していたっけ。時間の大切さを題材にした物語だったと思う。
E先生が返事を送ってこないのは、メッセージがあってかどうかは知らない。が、もう少し待ちながら、自分のことをまた一生懸命やってみようではないか。
すごく前の記事ながら。
自己肯定感が低くなった原因をふたつほど。
例えば九九や都道府県の暗記。メイクや髪のコテ巻き。蝶々結びにおにぎり作り。
「できて当たり前」ができない時に「母と全く同じ手順」で成功するまで叱られ続けた。
母の言う語呂合わせで都道府県は覚えさせられたし、おにぎりを握る方向が逆なだけで違う!と怒られた。
「母の考えが正しい」「母の意見を聞かなければ」が潜在意識にすりこまれた結果、「私は生きてはいけない人間だ」と15年間悩むことになった。
※自死しなかったのは、私ごときの死体のために火葬費用がかかるのが申し訳なかったから。働けるようになったら死に必要なお金を貯めてから死ぬから許してください神様.......の気持ちで生存してた。
これは友人に数年間にわたり指摘され続け、理解できるようになった。
ひとりっこゆえ、母は周囲の子どもたちを手本に私を育てようとした。(これは大人になって聞いた事)
あの子はスイミングを習っている、中学の部活はテニスにしたらしい、高校はここにしたそうよ、バイト先はここがいいらしい!等々。
ライフステージごとに成功例を持った身近な人たちのアドバイスを連れてきた。
それを信じ込み、私の意見は「普通ではない」と否定され続けた。爆笑。
同じ道をたどれど、成功例ほど成功出来るわけないので比較されてしまい、絶望される。
○○ちゃんはこうなのに.......と何度ため息をつかれたことか。死にたかった。
私なんかが生まれてきてごめんなさい、の気持ちでいっぱいだった。必死に頑張っても成功例のようにはいかず、苦しかった。
数年後、母に褒められたい一心で母の褒める人を真似してたんだ、上手くいくわけないわと気づいた。
ちなみに母に褒められた記憶はない。母はあるというが、記憶にないからしかたない。
これをみてる全親&未来の全親!まじで子どもは褒めて育ててあげて!自分の価値観で否定したり頭ごなしに怒らないで!ちゃんと!声を聞いて!子どもの存在を認めてあげて!!!!!
小学生の頃の話
隣の家の友達が犬を飼ってて羨ましくなったから、叔母さんの家で産まれた子犬をもらった
小さい頃は雨降っても抱えて散歩に行くぐらい可愛がってたけど躾などをした記憶はない
中学生になって部活などで忙しくなってからは親が主に世話していた
それから犬はどんどんおじいちゃんになり最終的に毛布の中で息を引き取った
おじいちゃんになっていく過程で脱走して車に轢かれて怪我するなんてこともあった
飼い主としての責任というのをまるで果たしておらず自分がほしいと思ったから飼っただけ
ペットは自分を癒やす存在、他人に見せるための存在じゃなくて人間とは別の生き物
それを全く考えてなかった
半年くらい前に高校3年間ずっと好きだった人に彼氏が出来た。そのあと1週間くらい何に対するやる気も起きなかったし、コロナ禍で外に出られなかったのも手伝って5キロ近く体重が落ちた。
高校で同じ部活だったけど、無事卒業したのでこれを機に連絡を切ろうと思った。でも出来なかった〜〜!! 私は結局大学でもその子と同じサークルに入り、3ヶ月に1回くらいのペースで遊ぶ関係が続いている。 私はその子にマ〜ジで邪な感情を抱いているので、「一緒のサークルに入らん?」って聞かれて断れなかった〜〜!!!
まあそんなこんなで私はその子の20番目くらいに仲良しな友達ポジションに置いてもらっている訳だけど、最近心境に変化が訪れたな〜と感じている。
変化というのも、今までは「好きで好きで仕方ない!その子に彼氏が出来たら死ぬ!」と思っていたのに、今は「その子が幸せになって私より長生きしてくれたらそれでいいわ〜」と思えるようになったのだ(後者も後者で気持ち悪いとか言ってくれるなよ)。
考えられる要因は2つ。 1つ目は「その子の彼氏がメチャメチャ良い奴だった」ことである。もしその子が大学で見つけたぽっと出の男に掻っ攫われていたら間違いなく死んでたしなんなら刺してた(その男を)。 でも、その子の彼氏超良い奴なんだよ……。 そもそも善性の塊であるその子が2年くらい片想いしてた男なんだからいい男じゃない訳がない。周りの評判も上々、顔もいい頭もいい身長も高い。 あれ私勝てるところ無くない?! それはいいとして、2年間少しずつ距離を詰めていってやっとのことで実った恋なのだ。 私は20番目くらいの仲良しな友達なので元々その子の思いは聞かせてもらっていた。 そのため覚悟が出来ていたというのもあると思う。
2つ目は「思ったよりその子が私のことを好いてくれている可能性が出てきた」ことである。 高校1〜2年生の間は私の完全なる一方通行で(今思えばそんなことは無かったのだけれど)、遊びに誘うのもいつも私からだったし、善性の塊であるその子の周りにはいつも他の子がいたし、向こうは私のことなんて眼中にないのだと思っていた。 大学に入ったら多分私のこと忘れちゃうんだろうな〜なんて夜な夜な泣いたりもした。 でもこのところ、実はそんなことないのでは?と思い始めた。 遊びに誘ったら必ず直近で空いている日を教えてくれて、コロナ禍で会えなかったときには電話してくれて、誕生日には忘れずにメッセージをくれる。えっこれ友達としては相当好かれてない? イタい勘違い? イタい勘違いだったらヤダな〜〜〜。 高校のときは「〇〇(その子の名前)過激派ファン」キャラでやってきたので(過激派なのは事実)、その子も"キモオタへの対応"的な返しをすることが多かったけど、私が大学受験で忙しかったのと、その子の恋が上手くいきそうだったことから距離を置いてみたら私からしても向こうからしてもちょうどいい距離感を築きあげることが出来た。 恋愛は上手くいかなかったけど友情としてなら上手くいっていると今は自信を持って言える。
以上の2つの要因から私は高校3年間抱き続けた激情から目を逸らし、一生消えることのないであろう恋心(と言えば聞こえはいいがただの執着もしくは信仰である)と向き合い始めている。
まだその子のことは超好きだから、時々一緒に撮った写真を見て泣いたりもするけどこれもこれで悪くない。
多分私は結婚することも子供を産むこともないだろうけど、その子のことを好きになれて、その子の後の人生を友人の立場から見届けられる人生は幸せと言えるんじゃないかな。
ただ、その子がもし不慮の事故や病気で亡くなったり、誰かのせいで不幸になったら立ち直れないしそれこそ死ぬ気がするので是非ともその子には幸せになって私よりも長生きしてほしい。これは切実に。
あとはその子の結婚式に出席出来て、その子に似た子供と年に1回くらい遊べて、その子が私のお葬式に参列してくれたら大満足かな〜〜!!(いやめっちゃ強欲やんけお前)
推し自体はは数年毎に変わっていたんだけど、推しのテーマカラー(髪の色だったり、制服の色だったり、学校や部活のカラーだったり)はここ20年くらい変わってなかった。
例えるなら緑だった、としよう。
色の濃淡はあれど、このカラーが当てはまる子を歴代好きになっていたんだけど、最近推しになった子は例えば紫が当てはまるカラーリングだった。
推し変しただけだし、気にすること無いだろって話なんだけど、今まで20年ちかく推し色が緑だったので、ありとあらゆる小物や服とかが緑&緑に合う色なんだよ。
別に今までの服や小物を捨てたりはしないけど、紫のカーディガン増やしたいなとか、差し色紫にしようかなと思っても、紫に合わせる服や靴無いな…クッション紫系にするならソファの色合わないな…とかなってしまう。
こんな長いこと推し色が変わらないとは思って無かったけど、変わってしまって今どうしたらいいのかわかんない。
みんなはこういう事になったこと無いんだろうか?推しとか関係無しに好きな色や好きなデザインの部屋とかある?そして、それを作ってる?私は無いんだ、ただごちゃついた部屋が嫌だなって消去法的な部屋作りしてる。