2020-09-16

医学の道に進みたかった

中学は、地域複数小学校卒業した者で構成されていた。

学生数の多い小学校もある。どうしてもその割合は均一とは行かなかった。

結果、私はマイナー小学校卒業生として中学入学する事になった。

医学を志した私は保健委員になりたかった。しかし、同時に手を挙げた者がおり、メジャー小学校出身である彼女は元メジャー小学生の推薦を得て保健委員となった。

ここで私の自信は打ち砕かれた。小学生時代学級委員を努めた功績は、全く何の役にも立たなかった。

仕方無く空いた枠に入る。良い人を演じる為に。その空いた枠に収まった委員何だかんだで三年続ける事になった。

結局、中学の三年間で保健委員になれた事は一度だってない。

そこには選択の自由なんてなかった。

文化系部活根暗オタク揶揄され居場所を奪われる。皆こぞって運動部へ入部届を提出した。

野球部テニス部学生顧問の格好の的だった。

グラウンドを広く使えたのはサッカー部。人気だったのは剣道部

専用の部室があったからだ。

ノーコンシュートに加えやる気のないGKのお陰で、球があちこちへ飛んで行く。

顔面で受けた事もある。また、ある生徒は一階から飛び降り足を怪我したという。

美術時間など恐ろしい。彫刻刀など凶器に近かった。

「強くなりてえ」と両腕、両足に重りを付けていた生徒もいた。

彼は通常の学生鞄でなく、白い斜め掛けバッグで登校していた。田舎の私達の学校にとって、余所から来たそういう出で立ちは珍しくかなり印象に残っている。

いずれにせよ、成績は優秀だったかも知れないが私が夢を諦めたのはあの時だ。なりたい仕事は皆席が埋まっている。数と言う名の暴力に屈服させられて、その自由は奪われるのだとあの時知った。

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