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2020-10-02

「この作品フィクションです」が読めない人達

ホッテントリに入ってる「ドラえもん のび太の新恐竜はたちの悪い『江戸しぐさ映画』」と評してるブログを見た

なんか100ワニの死の扱いに激怒している人を思い出した

ドラえもんを見た子供が、科学に対して誤解をしたまま帰る」とかいってるけど、いやいや

ねーよ、と言いたい

子供現実フィクションの違いくらいついてます

F先生だったらそんなことしない!みたいなブコメも痛々しい

だったらドラえもん自体虚構はいいのかと

ヘビースモーカーフォレストとかはいいのかと

もっと肩の力を抜いて作品を鑑賞したら?どうせフィクションなんだから

子供向け創作物にいちいち文句つけるの、みっともないよ

2020-09-25

anond:20200925165351

わりと規制されてるからなあ。

酒税は上がってるし

飲酒運転もめちゃくちゃ厳しくなって

慣習的に夜しか飲めないし

酔っぱらいヘビースモーカーより嫌われてるし。

2020-09-11

炎上してオタクやめるとか

アイドル芸能人炎上し、オタクお気持ち表明し、それを見た人が「期待しすぎw」「理想押し付けすぎw」と嘲笑する

という流れをここ数年よく見た。

応援していた対象スキャンダルを受けてファンがショックを受けるなんて、勝手理想化してただけのくせに『そんなことする人だと思わなかった』と怒りファンをやめるだなんて、あまりに愚かで勝手すぎる、

そういう意見も一理ある。

でも炎上きっかけでファンをやめることを「勝手に期待していたから」というのは安直すぎるのではないか

例えば男性アイドル未成年女の子飲酒しお持ち帰りをした、というニュースを見て出る「そんなことをする人だと思わなかった」という気持ち

もちろん「見損なった」という意味で言う人もいるだろう。そういう人達揶揄される通りに勝手自分理想人物像をアイドル押し付け妄想し、本当はそれに当てはまらないという事実勝手に裏切られた気持ちになっているかもしれない。

しかし、裏切られたとか憤る気持ちもなく、ただシンプルに、「そんなことをする人だと思わなかった」と思う人もいるはずだ。

個人の話になるが、私は誰かのファンになる時、その人の表に出ない良くない部分を想像する。

恋人いるかもしれない、恋人SNSで匂わせに勤しんでいるかもしれない、ファンレターをオタクキモいと笑いながら読んでいるかもしれない、ヘビースモーカーかもしれない、

毎晩飲み歩いているかもしれない、酔って暴れたことがあるかもしれない、共演者を食い荒らしいるかもしれない、違法薬物の経験があるかもしれない。

見えていない部分は「無い」のではなくて、「見えていないか実態はわからないけど、何かある」と思っておく。

想像じゃなくても、良くない部分が見えることもある。遅刻魔で、先輩に敬語が使えなくて、漢字にめっぽう弱い、など。

良くない部分を見ても、想像しても、自分がそれを「許容できるな」と思うくらいその人を魅力的に思えたら、私はその人のファンである自覚する。

でも、想像を超えてくる場合がある。

そしたら私は「推しがそんなことをするとは思わなかったな」と思う。

単純に「私の想像範疇を超えていた」「そのパターン想像していなかった」というだけの話だ。

未成年女の子と派手にお酒を飲んで飲ませてセックスをするなんて絶対しないような、紳士で、倫理観のある人だと思っていた」ということではないのだ。

応援している対象自分想像を超えた行動をした、それがわかった後でもファンを続けられるか。

これは個人倫理観道徳心によるものだと思う。

私は推し未成年お酒を飲んでセックスしていても合意であるなら「なるほどそんなこともあるのか」と飲み込んでファンを続けられるだろうが、これが暴行しての強制性交なら絶対応援を続けられない。

見えていなかったものが見えてしまった、見えたものが私の正義と相反した、私は私の正義が許せないものを支持できないから離れる。

これも「勝手理想押し付け勝手に幻滅するな」と言われるならそれまでだが。

2020-09-03

anond:20200903104823

俺はもともとヘビースモーカーだったが(1日20〜30本)、10年前の大増税禁煙外来ですっぱり辞められた。リバウンドも全くない。

しかし、その反動飲酒の量が増えた。

毎週のように飲み会に行き自宅でも毎晩酒を飲んでいた。おそらく初期のアル中だろうと自覚していた。

年子供が生まれたのをきっかけに晩酌することを辞めた。嫁さんが免許を持ってないから何かあったら俺が車を出さなきゃならないのでな。

禁酒したつもりは無いので飲み会には参加するつもりだったがコロナの影響で結果的に丸2ヶ月ほど飲んでないが案外平気だ。ノンアルや強めの炭酸代用できている。

甘いもの代用に何が良いかは思いつかないが、依存症対策のヒントは代用品だと思った。

2020-08-31

発達障害者なので子供生みたくない

20代前半女性。生まれつきのADHDと軽度知的障害グレーゾーンを抱えている。WAIS-IIIでの全検IQは79。

顔立ちは薄く面長、よくYouTuberのふくれなちゃんに似てると言われる。勉強はできない。運動もできない。

障害者手帳を取得しているので、仕事一般企業障害者雇用で働かせて頂いている。収入高卒一年目の事務員女性都市部在住と言われて想像できる額と言えば分かりやすいと思う。

好きなことは絵を描くことと化粧と空想すること。嫌いなことは家事特に掃除

人よりも取り柄が少なく無駄の多い私だが、数年前奇跡的に結婚することができた。

貧困育ちの私とは違って、モラルも育ちも整っている勤勉で努力家の夫。多分彼には貧困育ちとか中流育ちとか障害者とか健常者とかそういう発想がなくて、とにかく私が私だからという理由で好いてくれているようだ。

彼と過ごす毎日楽しい。一緒に勉強をしたり本を読んだりだらだらNetflixを流し見したりしながら暮らす日々が愛おしい。別に彼がいなくてもできることではあるけど、彼がいると一人よりも何倍も楽しい

だけど、彼との間に子供は生みたくない。

彼の完全な健常者遺伝子が私の出来損ないの遺伝子に混ざってほしくない。そもそも育てられない。今この暮らしに赤子を抱いて飛び込んだら、危機管理能力が薄い私は間違いなくその子を死なせてしまう。

私の実家にはヘビースモーカーがいるので里帰りはしたくない。子供を預けるとか手伝ってもらうとかも嫌。私自身、実家にあまり良い印象がなくあまり関わりたくない。

子供意志とは関係なく、生まれたその瞬間から障害者の子供にさせてしまう。私にその気はなくても、自動的に将来私の世話をさせる可能性が健常者の子供よりも高くなってしまう。障害者であっても子供を生んで立派に育てられる人はいるけれど、残念ながら私にはその力も環境もない。

何より、夫婦二人+子供(兄弟の数は関係ない)という家庭に幸福イメージがこれっぽっちとして持てない。

とにかく夫婦二人暮らし幸せ楽しい生活絶対的基盤なのだから何が何でも崩したくない。

幸い、夫も子供より勉学を極める人生を歩みたいらしいのでありがたい。

子供生まないの?なんで?コールに「障害者から」が使えるのも幸いな話だったりする。子供はいいよ生みなよ女は子供生んでやっと一人前なんだよ国の人間に対して障害者という肩書き禁じ手禁じ手、最強のカードから

私は子供を生みたくない。本音を言うと障害者から生みたくないんじゃなくて、色んな理由や都合がないまぜになって「生みたくない」という気持ちが固まってしまっている。

生みたくない。明日ピル貰いに行く日。忘れないでね私。

2020-08-16

推し性的な目で見すぎて気持ち悪い

どんなジャンルであっても、推している人を性的な目で見る人はいる。

それは腐女子であったり、夢女であったり、普通にアイドルオタク声優オタク、様々だ。

私は腐女子であり、夢女でもある。そして舞台も嗜んでいる。2次元2.5次元も好きだ。

それでも現実現実、夢は夢と割り切ってもいる。推しに一時の夢を見せてもらって、明日への活力にしている。正直なところ、推しとどうこうなりたいとかそう言う思いはない。

ただ、毎日を元気に過ごして美味しいものを食べていて欲しい。好きなことをして生きて欲しい、そんな願望しかない。

なるだけ推し舞台には通いたい、生で舞台観劇したい。それは昨今の時勢を騒がせるコロナ騒動の前から思っていることだ。

前々から、2.5の舞台に行く時に共に行く相手がいる。その人(仮にAとする)は見るからオタクです、と言わんばかりの風体だ。

個人価値観として、なるべく小綺麗な格好やメイク必須(決して上手くはない)、劇場で隣に座る人やブロマイドやグッズを交換してくれる人には挨拶や御礼の言葉を伝えるように心掛けている。服装に関しても、見るからオタク!と言うファッションは周りからも奇異な目で見られがちだし、何か事を起こしてしまえば『またオタクかよ』なんて声を聴くので、非オタの人にも不愉快に思われないTPOを弁えた服装をしようと思っている。

でも、それを他人強制はしてはいけないなぁと感じてずっと黙っていた。

何度も言うが、Aさんはとにかく古のオタクと言う風体だ。ふくよかな体型、小学生のような格好、そしてネットスラングを使って会話、話題はとにかく二次元のことのみ。

年齢は近いが、会話についていけないことは多々あった。Aさんは根っからオタクで、物心をついた時からオタクなので根が深い。

対する私は腐女子としては細々と古のサイトを巡って携帯サイトとかを見ていただけの、彼女にしてみたら生温いオタク

そもそもオタクとしてのポテンシャルは向こうのほうが高い。

なので、会話についていくのに必死だった。

Aさんは某声優の追っかけもしており、ある日自分推しイベントに参加出来ないことを悔やみ、その同じオタクのことを呪い担降りをした強者でもある。(この時点でちょっとやばい気配は感じていた)

それでもせっかく知り合えたのだから……と色々と見ないふりをしていた。

そして元気にAさんと推し舞台観劇する日々を送っていたのだが、毎回『推しの此処がえっちだった』『あれは男を誘っている』そんな感想ばかりで、舞台の内容にはあまり触れることがない。

私は推しの顔が好きだ、表情の変化や身振り手振りが好き。だから正直、観劇中はそんなことを考えていないし観劇後も推しの演技のことについて考えて、あそこのシーン好きだな、あの演技好き……等々。それしか考えていない。

そして自分の中で噛み砕いた後に性的な目でようやく見れる(こともある)

現実的に推し異性愛者だと思う。

顔の良い男性男性を掛け合わせて喜んでいる腐女子の格好の餌になっていることは知らないだろう。ましてや自分がそうやって性的な目で見られているのか知らないかも知れない。

私自身も性的な目で絶対見てないかと言われれば、それは嘘になる。顔の良い男性同士の絡みは好きだから

でも、Aさんほどではない。

『あれは犯されている』『まわされている』『尻がえっち

其処まで来たら軽く推し侮辱しているのでは……?と感じてしまうほどだ。

そして少し話は変わるが、Aさん本人は知らないところでトラブルも起こしている。

劇場座席座席の間は少し狭く、後から奥の座席に入ろうとすると先に座っている人にぶつかってしまうことも多々あるし、隣の人にぶつかることもある。

その時は『すみません』の一言は告げたほうが良いと私は思うのだが、Aさんはしない。

ふくよかな体型のAさんが座席間を通る時は人にぶつかる、相手荷物に当たる。

それなのに、だ。

平然と通る。それには流石に一声掛けたが、聴く耳は持たず。また、ブロマイドの公開でもややトラブルがあった。そんな調子なので取り引き相手から反感を喰らったが、気にする様子もない。

そしてそれが舞台専用垢や取引垢で半ば問題視されていた。

もしかして、〇〇さんの身内ですか?」

それだけで交換を断れられたり、警戒されたりした。あれ、私はとばっちり……?そう思ってしまう。狭い界隈なのでそういう話はとにかく飛び交う。劇場でもAさんといるとひそひそと話され、形見が狭い。

それに、推し性的な目で見続ける妄想を聞かされるのも辟易していた。

私はモブレが大嫌いだ。男性向けも得意ではない。♡喘ぎも濁点喘ぎも苦手だ。

とにかく、Aさんの好きなものは苦手なのだ

それは事前に彼女に伝えているのだが、忘れているのかいつもその話を聞かされる。

事あるごとに、その話をされるので誤魔化したり改めて伝えるがすぐにまた同じ話をする。

堂々巡りだ。

いつしか推し性的な目で見るAさんのことが苦手になっていた。

欲求不満なのだろうか、とも思った(彼氏はいない)

言葉は悪いが、とにかく気持ち悪い。

服装も好きなものを着れば良いとは思うが、年齢そうがあまりにもかけ離れている。30代の女性小学生女児が着るような服に、2つ結び。そしてふくよかな体型に無礼な態度。

少し自制したらどうだろうか……?と流石に思ってしまう。しかもAさんはヘビースモーカーで酒狂い。飲まずにはいられないし吸わずはいられない。そして地方から遠征してくるからなのか、半ば世間とズレが生じている。

「私がコロナ東京の人にうつさないか心配

そう言われた時は逆じゃない……?と思った。

貴女地元コロナを持ち帰る心配では……?

流石に言葉を失った。

酒を飲みながらも、とにかく推し性的ポイントしかさない。だったら自分で書けば?と思うくらいの妄想話ばかりだ。

これまた個人的な主観だが、性的な目で見られることが私は苦手だ。通りすがり痴漢に遭い、電車でも痴漢されたりと、知らない人から性的接触を強いられた過去があるからなのだと思う。

である以上、ある意味では仕方ないことなのかも知れないが、そういう目で見られることの不愉快さは知っている。

から推し申し訳ない。

妄想妄想で、現実現実だ。

現実推し男性に組み敷かれる立場ではない。

性的男性から求められることもない(はず)

そのあたりの趣味嗜好はファンである私にはわからないし、現実的に同性愛者でも推しが好きになった相手なら、と受け入れられると思う。

でも、とかくAさんはあらゆる推しモブレさせ、ビッチに仕立てあげ、まわさせる。

その後のハピエンが好き、と言うが現実にそれをされたことがある人にしてみれば地獄だ。

叫んでも助けてもらえない、泣いても許してもらえない、一方的に犯される気持ちを知らないから言えてることなのかと思うと嫌悪感しかない。

友達に押し倒される恐怖を、乱暴にされる恐怖を知らないからいけるんだろ、と思ってしまう。

そんな私の思いも知らず、Aさんは今日推し性的な目で見続ける。

私はもうそコンテンツからも、推しから担降りをしたくなってしまっている。

とにかくAさんから離れたい、そんな気持ちでいっぱいだ。

それだけじゃない、このコンテンツにいるうちに生理的に考え方が合わない人と多数出逢ったため、もうやめたいと思ってしまっている。

好きなことを好きでいたいから、もうやめたい。

しんどい気持ち悪い。とにかく今はそれしかない。

2020-08-15

8月15日に記しておきたい怖い祖父の話

大正まれ祖父は、坊主頭メガネをかけ、こけた頬に冷たい眼差しを持ち、いつも気難しそうな顔をしていた。息子であるから聞く話でも、私は祖父に対して怖いというイメージしか抱いていない。第一印象も第二印象も、とにかく怖い。祖父を評する言葉はそれ以外に無い。もっとも、祖父は私が生まれる7年前に亡くなっている。だから、私が見る祖父はいつも仏壇の脇に飾られた白黒写真のみであり、その気難しそうな佇まいを見るたびに幼心にピシッとした気分になり、怖い爺さんだなぁと思うだけだった。私にとって祖父は、無機質な写真のみで完結していた。

対照的祖母はとても優しい人で、おっとりしたお婆ちゃんだった。私は末の孫だったこともあり、とにかく甘やかされていたので、特にそう思うことも多かった。祖父とは会ったこともないが、祖母とは長い時間を共にした。私は幼稚園に入る前、母が働いている間は朝から夕方まで祖母の家に預けられていたので、祖母とは二人きりの長い時間をゆったりまったり過ごしていた。かなり幼い頃の記憶だが、何故だかその日々のことは断片的によく覚えている。暴れん坊将軍と蒸し芋が大好きな未就園児だったので、祖母とは気が合い可愛がられた。

祖母は幼い頃の私にとって第二の母のような存在で、お話もたくさんしたけれど、既に亡くなっている祖父遺影インテリアのように飾らせているだけで、その人となりについては何一つ聞いたことがなかった。息子であるはずの父や叔父からも、祖父の話は聞いたことはほとんどない。思い出話も一つも聞いたことがない。祖父がどんな人かと聞いても「おっかねぇ(怖い)人だった」と返ってくるくらいだ。そんなこんなで、私が知る祖父像は極めて薄い。とても薄っぺらい。お前の爺さんだよと言われてもピンと来ることはなく、いつまで経っても白黒写真遺影の人でしかなかった。

そんな祖父遺影の脇には、立派な額に入れられた賞状が飾ってある。内容は、抑留生活を慰労し、銀杯を贈られたという内容で、すでに故人になっている祖父政府が贈ったものだ。戦後日本には57万人以上もの人々がシベリアへ連れて行かれており、祖父もその一人であった。『祖父戦争へ行き、シベリア抑留をされていた』たったそれだけの漠然とした事実が、私の中の祖父像を大きく占めていた。小さい頃から、「うちのじいさん、ロシアに連れてかれたんか」と単純に思っていた。どこからともなくの知識で、多くのシベリア抑留者がそうであるように「終戦時は満州にでもいて、捕まったんだろう。だが、どうにか生き延びて帰ってきた」と思っていた。

去年、祖母が97歳で亡くなった。50過ぎの時にヘビースモーカーが祟って肺癌で亡くなった祖父に反し、かなりの大往生である。そこで私は、葬式での親戚が口にした言葉で「祖母が嫁いだ翌日に、爺さんに赤紙が来た」と耳にした。おいおい、なんだそのタイミングは。ドラマかよ、と思った。そもそも祖父母はお見合い結婚だし、祖父戦後抑留され、長いこと家に帰って来なかったし、つまりそれが事実なら祖母は長々と見知らぬ姑と過ごしたことになる。しかも、ど田舎山中にある村で、家業農家という典型的な家だった。時代時代とはいえ、婆ちゃんは肩身の狭い思いをしていたんだろなぁと可哀想に思った。

その頃から興味が沸いていたんだと思う。

遺影の中で怖いオーラを放っているだけの、実態の無い祖父像について。

私はどこからともなく『兵籍簿』の存在を知り、取り寄せたいと決意して、去年の8月15日実家終戦番組を見ながら父に話を切り出して頼んだ。兵籍簿の取り寄せは三等親まで可能で、孫の私でも可能だが、故人の息子にあたる父が取り寄せた方が、必要書類が少なく済むからだ。父は戦争映画などを見るのが好きな人だし、その手のものに興味があるタイプなので、あっさりOKしてくれた。断られたらどうしようと思っていたので、聞いた時はタイミングを見極めドキドキだった。

兵籍簿の取り寄せは案外簡単だ。やり方は調べればネットに載っている。うちの祖父陸軍なので、県の恩給科に電話で問い合わせ、手続きを始めた。ちなみに、海軍だと厚生労働省になる。陸軍であれば『〇〇県 兵籍簿』あたりで調べれば、どこの県もやり方を導いてくれるだろう。発行に際して必要ものは、対象者が故人の場合申請者との繋がりがわかるための除籍謄本戸籍謄本といった、役所簡単に発行してもらえる書類。あとは申し込み用紙を書いて郵送する。コピー代などで数百円かかるが、あまりにも簡単なので、もっと早く取り寄せればよかったと思った。

まぁ、取り寄せた所で、どうせ祖父はちょろっと満州にいて、そのままシベリアに連れてかれていたんだろう。祖父は誰にも戦時の話をしなかったので、家族の誰しもがそう思っていた。語らずに亡くなったがために、語るまでもない軍歴だったのかと、我々は思い込んでいたのかもしれない。みんなが祖父戦争について知っていたのは、彼が『シベリア抑留されていた』たった一言事実のみであるのだから

待望の兵籍簿は一か月かからずに送られてきた。

当時の書類ということで、読み難く難解な旧字も多かったが、やはり同じ日本語なのでほとんどは解読可能だった。それもネットで調べられた。

読み解いてまず驚いたのが、祖父1940年から43年2月まで、きっちり軍生活をしており、一度は満期除隊をしていたということだ。その時は主に満州国境警備をしていたらしい。大きな作戦戦闘に関わることなく、晴れて日本へ戻っていたのだ。もしかしたら亡き祖母は知っていたかもしれないが、祖父は息子たちへ語らずに亡くなったので、満期除隊をしていたことなど誰も知らなかった。

次に驚いたのは1944年2月祖父除隊からほぼ一年後に再び徴兵されており、(祖母が嫁いですぐに赤紙が来たエピソードは日付けから事実だと裏付けられた、祖母マジでお疲れ様すぎる)今度は満州ではなく、北海道の先にある『千島列島』に行っていたことだった。私は先入観からてっきり、祖父満州終戦を迎えたと思っていたので、想像していた祖父人生はガラリと色を変えた。

千島列島……千島列島……たくさんの島が連なる北海道の向こう側……北方領土……。そうか、そこにいた人たちもシベリアへ連れて行かれたのか……。そりゃそうか。

千島列島といえば、日本降伏後にソ連が乗り込んできた占守島の戦いが有名だが、祖父は『新知島(シムシル島)』から途中で『得撫島ウルップ島)』に回され、その二度目の徴兵では約一年半の千鳥列島生活を送り、終戦を迎えていた。兵種はずっと砲兵終戦時は上等兵だった。祖父はヒョロ長い体を駆使し、轟音の轟く砲をぶっ放していたのだろうか。なんともたくましい。

お恥ずかしいことに、私は新知島のことも、得撫島のことも、「なんか名前は聞いたことあるなぁ〜」程度で何一つ知らなかった。千島列島ソ連が攻め入った経緯すらも、占守島の戦いの名前漠然としているだけで、よくわかっていなかった。

どんな所か調べたくなった。特に長くいたらしき得撫島について。当時の千島列島について。

祖父のいた部隊結果的には戦闘をしておらず、言わば活躍をしたわけでもないので、ほとんど資料がなくて見つけ出すのには苦労した。

得撫島はもとより、千島列島自然の宝庫であると同時、一年を通してほとんど霧に包まれ、風も強く、ましてや長い長い冬を有する極寒の地。白夜であり、夏の夜は極めて短い。夏でも長袖は欠かせない。ほぼ無人島。そんな場所で「はい今日から暮らしてね〜」となったら苦労していないわけがない。制空権を奪われていたので、空から米軍攻撃もあった。制海権も奪われており、艦砲射撃が降り注ぐ。戦時中その海域では民間人も含め、2-3万人の人が亡くなっている。祖父のすぐ後に続いて小樽港を出港した同郷の部隊は、魚雷を撃ち込まれ沈没。冬の海に投げ出され、当時は軍機密に隠され2000人以上が死んでいた。祖父もほんの僅かな順番が違っていたら死んでいた。私もこの世にいない。数奇な巡り合わせで今の私は生きている。

得撫島ラッコの島と呼ばれるほどラッコがいるらしい。オットセイもいるらしい。祖父は間違いなく野生のラッコを見ただろう。自然豊かな大地。現代人の私が見たこともない美しい景色を、祖父は計らずとも見ていた。不本意戦時下に望んでもない場所へ飛ばされてはいるが、愛くるしいラッコちゃんとの遭遇が顰めっ面の祖父の心を癒してくれていたことを願わずはいられない。

兵籍簿には、祖父召集や転属などの略歴が淡々と日付けと共に記されていた。必要最低限の事務的情報であるが、その一つ一つの行間にも目に見えぬ多大な苦労があったはずだ。

昭和20年

8月15日終戦

9月29日ソ連により武装解除

10月19日ソ連により得撫島出発

10月24日ソ連ポートワニー上陸以降土工作業従事

昭和23年

7月22日舞鶴上陸

古ぼけた紙は語っていた。戦争8月15日に終わっていなかった。南方の激戦地のように食糧に困る事はなく、敵と遭遇することも戦闘もしなかったとはいえ祖父戦後も長らく闘い続けていた。自分血縁である祖父が歩んだ具体的な数字を見せられ、これはリアルなことだったと肌身に伝わってきた。日本がしていた戦争と、祖父存在への深みが増した。

シベリアでの日々を、祖父の白黒写真の顔と合わせて想像してみた。マイナス40度の永久凍土で働く、ろくな装備もない日本兵たち。栄養失調。ひもじい。所々にシラミが沸く。病気流行る。ご飯は堅い黒パン。粗末なスープ戦争は終わったのに、周りがどんどん死んでいく。いつまで経っても日本に帰れない。故郷よりももっと寒い、極寒の異国の地。日本には結婚生活を1日しか送らなかった嫁が待っている。祖父は雪深い土地で生まれ育ったから、シベリアでも適応能力が多少なりともあったのだろうか。そう思うことが唯一の救いである。

祖父が何も語らずに亡くなったのは何故か。千島列島を盗られた背徳感か。過去抑留生活に蓋をしていたのか。赤化教育を受けたことによる偏見を隠すためか。南方の激戦地に比べたらと、自分の半生は話すまでもないことだと思っていたのか。祖父の心を知る事はできない。私は想像することしかできない。祖父日本に帰ったが、一切を語らずに亡くなった。故郷山村とは掛け離れた四季の彩りのない場所で、途方もない八年もの戦争と闘ったのに、一言も喋らずに亡くなってしまった。

ここでは政治的な話はしない。

兵籍簿を読むことによって、それまで漠然としていた祖父存在がぐんと近づいた。存在のものを実感した。祖父ちゃんと生きていた。過酷時代を生き抜いた。ドラマ映画主人公になるような経歴ではないが、私が一分で根を上げるような過酷環境に長々と身を投じていたのは明らかだ。じいさんすごい。マジでお疲れ様すぎる。生き抜いてくれてありがとう。じいさんが頑張ってくれたおかげで、私はこんな平和世界ツイ廃をしながら、ソシャゲに夢中になれて、推しに心血を注ぎ、それを通して素晴らしい友人と出会うことが出来た。夏にはクーラーの効いた部屋でアイスを食べられるし、冬には暖かい部屋でアイスを食べられる。平和は素晴らしい。色んな国の友達もいる。その中にはじいさんが憎んでいた国の人もいるかもしれない。私は紙切れ一枚で戦地へ送られることなく、空や海からの脅威を感じることもなく、当たり前の明日をのほほんと待ちながら好きなように生きている。これは素晴らしいことだ。そんな当たり前のことを、強く思った。

兵籍簿を取り寄せて良かった。兵籍簿はどこからともなく知った物だが、私はこれを読まなければ自分流れる血に関してとても大事なことを知らずに死んでいた。

仏間へ行き、再び祖父遺影を見上げた。祖父は相変わらず怖い顔をしている。けれど、もうそれだけではなくなっていた。その遺影漠然とした無機質なものではなく、凄惨時代を生き抜いた血が流れているのだ。仏間を見下ろす祖父は、計り知れない威厳を背負っていた。

2020-08-07

嫌煙の中

とある場末喫茶店分煙化の潮流が激しくなる中、そこは地元喫煙家にとって未だ憩いの場であり続けた。

しかし、にわか雨に嫌われた市長が、その店に緊急避難したこと事態は急変する。コーヒーよりもケムリが優先された空間市長は眉をひそめた。嫌煙家ほどタバコに暗い情念を抱いてはいない。それでも健全であろうとする身の上が、「何か言っておかなければ」という衝動へ駆り立てた。

そんな市長に対し、店内の空気は冷ややかであった。その店を利用している客たちは普段“わきまえている”者が多く、それぞれ喫煙について一家言ありつつも享受している集まりだ。対して、市長意見はあまりにも周回遅れだった。ウンザリした客たちは、この場において自分たち喫煙が正当な権利であると主張することにした。それに加えて、市長の展開する議論が如何に古くさく、偏狭に満ちているかも指摘したのである

論理武装を整えている数名と、杓子定規竹輪しか持っていない市長。どちらが煙に巻かれるかは火を見るよりも明らかだった。タバコ一本が吸殻になる間もなく、市長は逃げるように店から出て行った。こうして店内は以前の雰囲気を取り戻したが、所詮これがピュロスの勝利しかないことを彼らは分かっていた。



それからしばらくして、この町に「禁煙法」が制定された。つまりタバコ全面禁止である。何とも極端な政策だと思うかもしれないが、市長のやることとしては日常茶飯事の範疇である市長は善良で行動力のある為政者で有名だが、同時に無能で単純な政治屋としても有名だ。

地元風土も考えず風力発電所を作ったり、「足が不自由な人を抑圧する」として公共での二足歩行を禁じたこともある。そんな市長椅子に座らせ続けているのは自分たちなのだから、この程度で驚くようでは市民は務まらない(言い訳させてもらうなら、候補の中でこの人が一番マシだったんだよ)。

それに今回の場合一般人たちの反応は概ね好意的といえた。なにせ自分たち世代タバコ有害性について耳たこレベルで教え込まれている。公共での分煙化も推し進められている真っ只中だったので、喫煙というもの社会的有意性も、政治的な優位性もないと考えるのは自然の摂理といえた。市長のやることを訝しげに思いつつも、ほとんどの人はとりあえず賛成派だった。

一部、ヘビースモーカー達による署名活動デモ等が小規模に行われることはあったが、せいぜいその程度。かの喫茶店の客たちも、この状況を心静かに受け入れていた。



禁煙法ができてから数週間ほど経つと、なんとも不思議なことが起きていた。タバコ禁止しているにも関らず、なぜか喫煙者は以前よりも増えてしまったのである理由は色々とあるが、ひとつタバコ定義について詰めが甘かったのが大きい。

そもそもタバコ植物であり、それを原材料にしたもの全般タバコといえるのだが、市長はこの辺りの知識が乏しく、一般的に普及している紙巻きだけを禁止したのである。実際は多種多様であり。蚊取り線香のように炊くものや、ガムのように口の中に含む物などがあった。中には舐めたり、吹いたりするものもあるのだが、市長はそのことを知らなかった。

厄介なのは、そのほとんどが普及していた紙巻きタイプより“重い”という点だった。紙巻きタバコ代替として使用し始めた喫煙者たちが、より深刻な依存症を患ってしまったのである

それから何とか定義し直しても、今度は企業とのイタチごっこが待っていた。再定義されても、その度に企業わずかな隙間を抜けて新たな“タバコのようなもの”を作り出す。特に煙屋が発明した「臭そうで臭くない少し臭い草」は革新的だった。どうすればこれを禁止に出来るかは、今なお思考実験として人気である

そして取り締まり問題もあった。何度も再定義するせいで現場役員対応しきれず、時に無用トラブルに発展することもあった。結局、後手に回り続けるしかなかった市長は痺れを切らし、企業のもの圧力をかけることで流れを止めたのである



しかし、この選択逆効果だった。既に喫煙行為有名無実化している状態であり、市場に出回らないのなら個々人で賄おうとする動きが活性化したのだ。“タバコっぽいもの”を密かに楽しむ人が増え、時にはそれを売り叩こうとする者までいた。栽培のものは禁じられていなかったため、取締りが後手に回りやすかったのも大きい。

第一タバコ自作ブーム」の到来である。このブームを最も苦々しく思う者たちがいた。政府圧力をかけられたタバコ企業と、それに属する元組合たちだ。タバコ販売ルート組合で決まり存在していたのだが、禁煙法でそれが丸ごとなくなってしまった。それをいいことに私腹を肥やす人間跋扈しているのだから、元組合の者たちは不満を募らせる。

そこで彼らは一念発起し、対抗すべく新たな組合を結成した。「サクリム組合」はこうして誕生したのである組合市場に出回る粗悪品を排除し、よく出来たタバコを作っていた者はスカウトして組織を大きくしていった。

当然、サクリム組合の統制を快く思わない者も多かった。そういった者達で立ち上げられたのが、悪名高き「シューリンガン互助会であるこちらは烏合の衆過激派であり黒い噂が絶えない。サクリム組合とはしばしば小競り合いが発生しており、そこに役員が介入した日には収拾がつかないことも珍しくなかった。



この頃になると、非喫煙者の間でも「禁煙法は失敗だったのでは?」という意見蔓延し始めていた。撤廃されるのは時間問題といえた。いま思うと、あの喫茶店の客たちが妙に冷静だったのは、いずれこうなることを予期していたかなのだろう。

そして某日、いよいよその時はやってきた。サクリム組合シューリンガン互助会による大規模な抗争である嫌煙家に「副流煙中年ヘビースモーカーの方がマシ」とまで言わしめた激しい争いだった。禁煙法によって生まれ組織解体させるには、禁煙法を失くすしかなかった。

これが禁煙法による大まかな歴史だ。喫煙問題が取り沙汰される度に、この出来事を挙げる人間は多い。その対象が如何に有害であっても、権利のものを奪えば支障が発生する。その典型的な事例である、と。



だが、この出来事には裏事情がある。禁煙法を撤廃する代わりに、タバコの税率が大幅に上げられたのだ。そして、これは政府にとって予定調和だった。というより、タバコの税率を上げることこそ本命だったらしい。市長は人々の健康を願って「禁煙法」を提案していたが、政府の思惑はもっと別のところにあった。

税金を何とか工面したい、市民もっと納めて欲しい状況。だが、税金には大義名分必要だ。喜んで負担するとまではいかずとも、「仕方ない」と思える程度の理由がいる。かといって、あまり踏み込んだ話をすると国民は警戒してしまう。注意を逸らしつつ、実際に論じるべき問題から遠ざける必要があった。その条件を満たすのに、タバコは丁度よかったのである

からといって皆にスパスパ吸われても、それはそれで困る。不健康になって医療費が嵩んでしまっては本末転倒からだ。タバコによって不健康人間を増やさず、その上でタバコで儲ける。このパラドックスを成立させるには、タバコに対する問題意識を国民にしっかりと持ってもらう必要があった。義務教育でしつこく教わるのも、分煙化の潮流もその一環だろう。

それらを踏まえると、「禁煙法」なんていう突拍子もない政策が通ったのも納得がいく。本当の目的は、喫煙に関する問題意識の植え付けと、税金徴収大義名分を手に入れるための物語作りにあったのである喫茶店の客は、後にそう語っていた。

2020-08-04

タバコ

私は両親が超ヘビースモーカーな元で育ち、特に吸っていた母親換気扇付けてれば大丈夫〜とかそんな理由でずっと室内でタバコを吸うし、車の中でも吸っていた。1日二箱くらい。タバコがないからと言って両親どちらも人格が変わったりするようなことはなかったし、まるで人生に寄り添っているものだった。それを見て育った私も、子供の頃から手の届く位置に常に身近にタバコがあった。父の銘柄は覚えていないが母はキャスターマイルドの5を吸っていた。

から小学生の頃は先生友達に服がタバコ臭いと毛嫌いされたりしたことがあったが、親が辞めようとしない分にはしょうがないし、親にやめろ、目の前で吸うなと何度も言ったけど何も変わらず、次第にこちらが折れた....というよりは気にしなくなった。

中学生ときには喫煙所を通ってもタバコ臭いがわからないほど慣れてしまっていた。タバコ嫌いな親友(喫煙所の前を通るとすごく嫌そうな顔をするほど)がいたり、やはり周りに喫煙者の親がいることは良くは思われない。だから中々友達を家に呼べなかった。いつのまにか父がタバコをやめた。

高校生の頃も同じような感じだった。母は相変わらず吸うのをやめない。バイト先の店長アイコスを吸っていて、アイコスの甘い臭いが母のタバコと大違いで、印象に残っている。

大学生になって、周りが酒を飲んだりタバコを吸うのが当たり前になった。タバコは家にあるが酒を飲む人はいなかったので酒が新鮮だった。タバコに関しては私は吸う意味がないなあと感じたから吸ってはいない。驚いたのが、成人後の飲み会中学の頃にタバコ嫌いだった親友タバコを吸っていた。他の女友達も数人吸う子がいた。誰かがわかばを吸っていたのが1番覚えている。

それから次に驚いたのが、あれだけタバコと共に生きてた母が病気きっかけに禁煙した。ちなみに呼吸器の病気ではない。自分関係ないのに大きなものを失った気持ちになった。家に病気を宣告される前に購入していたウィンストン(旧キャスターマイルド)を譲り受けたが、私は吸わないので親友にあげた。

人って何が起こるかわからないし、考え方も変わるんだなーと思った。この先恋人配偶者になる人が喫煙者だったとしても別に嫌では無いけど、最近だと吸わない人の方が多いのかな?昔と変わらないのだろうか....

呼吸器系の病気にかかることが多かったのはタバコのせいなら子供遺伝はしないで欲しい

2020-07-29

できる人は違うのか

伯父はヘビースモーカーで重たい銘柄バカスカ吸っていたのだが、子どもができた途端にあっさり止めていた。

意志というか家族愛が強いのか、実は「できる人」だったのかよくわからないが、意外だった。

2020-07-07

文アニが地獄より地獄的だった

DMMゲームズ(現:合同会社EXNOA)で配信されている「文豪アルケミスト」というゲームアニメ化された(通称文アニ)。

元のゲームは本を侵蝕し消そうとする侵蝕者という敵に対抗する為、アルケミストである特務司書文豪を転生させて戦わせるという、艦これとうらぶの本・文豪バージョンみたいなものだ。基本システムクリックゲー)なのも大体同じである

ただ転生した文豪は本人という訳ではなく、本人の逸話や後の評価、あるいは著作といったものから出来上がったイメージが元となっている。例えば前者なら芥川龍之介ヘビースモーカーであること、後者ならば江戸川乱歩奇術師のような格好・振る舞いをしていることなどが挙げられる。

年末アニメ化が発表されたのだが、当初の評判は芳しくなかった。

なんといってもキャラクター立ち絵だ。中嶋敦子氏の絵は華麗ではあるが癖が強すぎる。服飾の柄がかなり省略されていたことなどもあり、「大丈夫か?」という不安の声があちこちで聞こえてきた。また、他のゲームほどの知名度もないのも相まって「本当にアニメ化するのか?」と考える人もいたくらいであった。

ところでゲームアニメ化は「新規ユーザー獲得の為」と「既存ユーザーへのサービス」という二つの観点があると思う。

そう、このアニメは完全に後者に振り切っているのだ。

まずOP神風動画担当しているのだが、あまりにも小ネタが多すぎて一話にして考察タグが作られた。

https://togetter.com/li/1490059

冒頭に作成スタッフツイートも纏まっているが、現段階でまだ見つかっていない要素が三分の一あるという。

本編のストーリーに関わる箇所もあったことが判明しているので仕方がないとはいえ、まだあるだと……?!とゲームから司書(特務司書という役職からユーザーのことを『司書』と呼ぶ。提督審神者同意)に驚かれたものだ。

なお本当にやばいのはOPのものではなく、アニメ化以前からOPムービーを作らせて欲しいとゲーム制作再度へ主張し、いざ依頼してみると曲が決まる前に絵コンテが届いたということだろう。こちらはサウンドトラックCDブックレットで明かされている。

キャラクターの造形に関しても「キャラを動かす為の省略である」「立ち絵が一番アレ」と一掃された。特に戦闘シーンはキャラがよく動く。柄なんて描いていたらアニメーターが過労で倒れてしまう。

以下からネタバレを含みつつになるので、何も知らないまま見たいという人はアニメを見てから読んでいただきたい。

第一話のモチーフは「走れメロス」だ。恐らく多くの人が教科書などで読んだことがあり、また読んだことがなくとも大まかなストーリーを知っているだろう物語で、アニメで初めて文豪アルケミストを知った視聴者には良い取っ掛かりだ。

けれどストーリーの中で「当然知ってますよね」といった態で織り込まれたのが「パビナール中毒入院」と「四メートル手紙」という太宰治エピソードだ。

「パビナール中毒入院」というのは鎮静剤パビナールの中毒になった太宰が師である佐藤春夫の紹介で彼の弟が勤務する病院入院したものであるいくら深夜アニメとはいえまさか初回でそれを持ち出すとは、とあまりにもチャレンジャーな内容に驚いたものだ(しかしこれはほんのジャブであることを話数が進むにつれ思い知らされる)。

「四メートル手紙」というのは芥川賞選考委員でもあった佐藤春夫芥川賞を嘆願する手紙のことで、近年発見された書簡は何度か展示もされている。芥川賞を熱望した太宰は他にも佐藤へ色々やらかしているし、ついでに太宰が受賞することに反対した川端康成宛へ誌上で「刺す」と書いたり、嘆願の手紙を出したりもしている。

これらのエピソード司書達は共通認識として知っていることであり、改めて説明不要な内容であった。それらを深い説明もなくさらりと盛り込んだのは「司書たちならわかりますよね」といった制作者の意図が透けて見えるようだ。

そう、あくまさらなのだOP考察タグからもわかるように司書たちは元ネタ探しを厭わないし、それを共有する下地がある。知らない人が「ふーん」と流すことも「これこれこういうエピ-ソードがあるから……」と今までの知識から察し、あるいは知見ある人のツイートを共有して考察していくのだ。

それらが決定的になったのが最新話の第八話である

ただでさえ前話で人気キャラ燃えた上にコロナの影響で一ヶ月休止があったのに、更に重くなっていくストーリー、に上乗せしていくエピソード考察、そしてOPの新発見

しかしここで公式アカウント制作から衝撃的なツイートが。

クライマックスに向けて物語は加速していきます」「次回は控えめに言って凄い」「アニメチーム渾身の9話」「お覚悟を」

まさに地獄より地獄的……!

なお「地獄よりも地獄的」というのは芥川龍之介が「侏儒の言葉」という作品の中で述べているものである

https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/158_15132.html

2020-06-09

anond:20200609083946

ヘビースモーカーだとすぐ痰吐くよな。

パチンコ叩くよりタバコ叩いた方がええわ。

もともとコロナより死者多いし。

2020-04-23

63歳女優死去

コロナ死ぬ有名人二人目か。

ヘビースモーカーでもないだろうし、まだ63歳だしで、恐怖が募るなあ。

2020-04-18

フィクションです】新型コロナウイルス騒動が開始してから20年が経った

いまは西暦2040年

(当時の)新型コロナウイルスCOVID-19は、根絶されてない。

今日では、予防接種が普及している。予防接種を受けていれば、重症化しにくい。予防接種を受けていても、重症化して死亡する人はいる。年に1~3回程度接種するのが一般的。私は冬の始まり頃と、春の終わり頃に受けてる。

大戦争は起きなかった。小規模のテロは頻発した。一般人対象にしたもの事件で、公人対象にしたもの暗殺と呼ばれた。

中国共産党崩壊しなかった。

2040年の私について

昭和中期生まれの両親の間に生まれた、昭和後期生まれの私。ついに肺炎になった。熱が続いて、咳が辛い。

今は軽症患者に分類されて、軽症患者隔離施設に居る。来週には重症化して人工呼吸器をつけられ、鎮静剤を投与されるだろう。そしてそのまま死ぬだろう。意識がはっきりしてるうちに、思い出を書きなぐりたくなった。

私自身は喫煙習慣を持ったことはないが、人生前半で摂取した副流煙がまずかったらしい。

両親がヘビースモーカーだったし、昭和には{空気清浄機電子たばこ}は存在しなかった。

昭和時代は、公共交通機関ですらたばこが吸えた。今では信じられないだろうが。

平成時代は夜のきれいなお姉さんが終業後に来店する夜中の店で私は働いてたし、喫煙所以外で喫煙する人も多かった。飲食店でも副流煙をいっぱい吸い込んだ。当時は居酒屋バークラブ、小料理屋、○○料理屋、スナックカフェ、って呼び方がいろいろあった。今では飲食店レストランぐらいしか呼び方がないけど。

最初

2021年ぐらい

重症化について

2022年

  • 当時政権関係者も狩られた。
  • 最初は、重要者を警護する者が標的になった。警護を手薄にして、対象を裸にする狙いだった。
  • 警護者は、当時の首相に従いて動くので、顔がTVに写り、ネット探偵団によって個人情報を暴かれた。住所が判明した警護者の家族に対する嫌がらせが始まった。
  • 首相の警護は手薄にならなかった。重要でない関係者は徐々に警護を外され、一人になったところを狩られた。
  • 狩ったもの100%逮捕された。実刑を食らって、SNSでは神と呼ばれた。
  • 神は増えていった。比例して、当時政権人材は枯渇していった。

2025年

2030年

2020-04-03

anond:20200403001953

無症状ならともかく軽症でもおそらく肺に永続デバフが発生するみたいだけどな。

(まあ、ヘビースモーカーになったのとあんまり変わらんとは思うが)

2020-03-30

飲み歩くのをやめられない高齢者をどうやって止めたらいいんだろう

父のことなんだが

高齢者ヘビースモーカー・酒飲み・基礎疾患ありの条件が揃ってるので

志村けんの死があったのもあって流石に止まるかと思ったら今日も飲みに出かけてしまった

止めても「大丈夫だ!」「心配ない!」という調子

「俺は明日死んでも構わん」「家族を巻き込もうと他人うつそうと知ったこっちゃねぇ!」という態度ならまだわかる(最悪だが、行動原理としてはわかる)

でも根拠なき「大丈夫だ」という思いで出ていってしま

みんな有名人の不幸にはやたらと反応するな

志村けんが死んでみんな大騒ぎしてるけど、「お笑い業界(というか芸能界)における多大な損失」というのもさることながら、「70歳以上でヘビースモーカー(その後禁煙したとしても)とか飲み歩くのが大好き」というのは極めてリスキーだということを改めて知らしめたというのが一番の功績ではないだろうか。

小池百合子コメントを見て、「相変わらず政治家のくせに言葉選びが下手だ」とは思ったけど、珍しく本質をついたことを言ったように思う。今まで医学関係者をはじめとする専門家いくら口を酸っぱくして警告しても言うことを聞かなかった70代以上の高齢者が、ようやく自分ハイリスク群に属することに気付き、不摂生生活をしたり、気楽に子どもや孫に「実家に帰っておいで」と言ったりしてはいけないと認識するようになったのではないかと思う。

話は変わるけど、池江璃花子白血病になったことをカミングアウトした途端、骨髄バンクへの関心が高まったように、人気のある有名人に不幸が降りかかると、突然その対応策に皆が目覚める現金さに呆れたのを思い出した。ついこの間まで朝ドラ白血病ネタをやっていたので、スカーレットファン伊藤健太郎ファンは多少興味を持ったかも知れないけど、死んだのはあくまドラマ主人公モデルになった人の息子さんであって、リアル伊藤健太郎はぴんぴんしてるんだからみんなすぐに忘れると思う。

こういう例えが良いのか分からないけど、志村けんの影響力は厚生労働省やら感染症と現に闘っている医療関係者の訴えよりも大きな力を持ってしまうのだなと思うと日本人ってアホだなと思ってしまう。

念のため書いておくと特に志村けんに恨みはないし、私は「8時だよ全員集合!」をリアルタイムで見て育った世代だ。ただ、芸能界にとって志村けんの死が損失だというのはともかく、感染症をこれ以上広めないようにと必死努力しているプロフェッショナル努力より、一人のコメディアンの死が人々の心を動かしてしまうのは良し悪しだと思う。

志村けんには持病があった」

志村けんが夜の街に繰り出していた」

志村けんヘビースモーカー

などの情報を得て再び他人事だと安心するみなさん

2020-03-29

シムケン、だいじょぶじゃなさそうだぁ。

ヘビースモーカーで、これまでに推定100万本以上のタバコを吸ったんだって

anond:20200327191858

2020-03-03

時代のせいかもしれないけど、バブルを生きちゃった両親を持ったから今に来てのシワ寄せがすごい

バブル当時20代半ばだった母は4年続けた不倫をやめて大手企業会社員結婚した

将来安泰だと思って私を産んだものの、父は結婚3年でがっつり不倫

それがバレて離婚となった

高卒で手に職のない母は見た目が美しいけど頭の良くない人だった

祖母に私を預けながら、ホステスをやっていた

そんなある日、母に高校時代から片思いしていた男が、祖母と母と私の暮らす家に押しかけてまで婚姻を申し出たという


幼い私を抱えながら夜に働くのは限界があった

生理的に無理な男だったが、私を育てるために再婚した

その男は胸から腕、ひざ下までカラフルな和彫の入った正真正銘ヤクザだった

ホステスをやめた母は、うつ病になってベッドから起きれなくなった

田舎に建てた一軒家はたちまち虫の湧くゴミ屋敷になった

それでも、母もヤクザの父も私をよく育ててくれたと思う

虐待は何一つなかった


長い夫婦生活の中で、あの二人は殴り合いの喧嘩をすることもあったし、

50すぎた母の不倫で一度離婚している

元サヤに戻ったのも最近の話だ

それは本当に良かったと思う

そんな両親を持つ自分は、きっと将来的にこの二人に使うお金必要だなと思った

自分人生のための退職金や、10年後に出世して大金を得れるような大企業では遅い

あと5〜10年のうちに、この二人は大きな病気をすると思った

自営業でなんとか金を作った

ヘビースモーカーで、酒好き、睡眠もうまくとれないあの二人は、私が20代半ばの時に予想通り大きな病気をした

このままだとあの二人は、死ぬまでろくに仕事もできない

私がなんとか仕送りをして、食いつないでいくことになると思う


親を憎むわけでもない

誰かが悪いわけではない

全部時代のせいだと思う

それでもたまに、「実父が不倫しなければ」「次の父がヤクザでさえなければ」「母がもっと、」と思ってしま

こんなこと思いたくない

あの二人は、私をよく育ててくれたのだ

思いたくないのに、銀行口座から減るお金を見ると頭に少しだけよぎってしま

そんな自分が、情けない

2020-02-13

もう何十年も前、幼稚園児だった頃、父が亡くなる事を考えるだけで怖くなって泣いていたのを思い出す。

大人になってから祖父母や親戚が亡くなった時に残された時間は限られていると感じて寂しい気持ちになった。

そして、その時が現実に近づいていると思うと、胸が苦しくなる。

年末年始にあった時は元気だったんだけど、体調を崩して入院することになった。

父はヘビースモーカーだったので肺が悪い。高齢なので肺だけじゃなくて全部悪い。

酸素マスクの助けはあるが呼吸は苦しそうで少し虚ろになる時もあるが、ボケてはおらず息も途切れ途切れに話す内容はいつもと変わらないのが見てて何とも辛い。

病状は悪くはなっても良くはならないのがわかってるから辛い。

何かできること、すべきこと考えなきゃいけないんだろうけどそれも辛い。

最期挨拶とか考えるのも嫌だ。

葬式の準備とかしたくない。

でも結局、淡々と諸々済ませるんだろうなんて考えるのも嫌だ。

あー嫌だ嫌だ。

2020-01-17

anond:20200117104434

歯周病なのかな…ヘビースモーカーからその影響かなとも思ってるけど

ゆるゆる上司なので楽だし早く死んだら困るなあ 臭いのはやだけど

2019-12-26

職場で対面に座ってるやつが昨日からゲホゲホ咳してるんだけど

風邪ひいてるのにマスクしないハラスメントをうまく名付けてほしい。

ちなみにそいつヘビースモーカーで、

たばこ休憩から戻ってくるたびにものすごい悪臭を放ってくるので

ついでにそれも名付けてほしい。

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