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はてなキーワード: 1970年代とは

2021-12-30

1970年代舞台にした新作アメリカ映画で「日本人の顔は見分けがつかない」という事実に基づかない人種差別描写があり抗議殺到

@iso_zin_

世界中映画賞を席巻しているポール・トーマス・アンダーソン監督の最新作『リコリスピザ』で日本人に対する差別的ジョークアジア系アクセント嘲笑など)があるとの事でアジア人人権団体から糾弾されている模様。楽しみにしてただけに残念…。

あとは劇中に登場する二人の日本人女性の見分けがつかない、みたいな台詞もあるそう。時代設定がまだまだ人権意識の低い1970年代から必然性のあるジョークかもしれないし何とも言えないけど観てて嫌な気持ちになってしま可能性はある。


https://screenrant.com/licorice-pizza-boycott-media-action-network-asian-americans/

ソース機械翻訳

問題人種差別ジョークは、ジョン・マイケル・ヒギンズ演じる実業家ジェリーフリックが、『リコリスピザ』で二人の異なる日本人妻と共に二度登場することに関係している。どちらのシーンでも、彼は漫画のようなステレオタイプアジア訛りを使って女性たち(水井ゆみと安城めぐみが演じる)に声をかけている。

さらに、ジェリー再婚したことに気づかず、ゲイリーが2番目の妻を最初の妻と間違えるというジョークもある。MANAAの声明によると、アンダーソン監督インタビューでこれらのジョークについて、『Licorice Pizza』が舞台とする時代に正直でありたいと主張し、弁明している。

また、ゲイリーアラーナの年齢差についても話題になったが、この点についてはグレーゾーンのようである人種差別的なジョークについては、設定に忠実であるというアンダーソンの説明だけでは不十分だと言ってよいだろう。

ジェリーキャラクターストーリーほとんど影響を与えず、単純なジョークのために彼にあからさまな人種差別的行動を取らせる理由はない。リコリスピザ』は、プロダクションデザイン衣装サウンドトラックなど、70年代を生き生きと再現するために、すでに十分な役割果たしている。

MANAAはこれに反対する立場をとったが、他の人々が彼らと一緒に立ち上がるかどうかは、時間が経ってみなければわからない。

2021-12-25

昭和ヤンキー2021年になぜ生存しているのか?

もうすぐ成人式ですね。

成人式ニュースで見てると、田舎にはなぜか昭和ヤンキーが登場します。

あれはコスプレとずっと思っていたのですが、あれはガチのようです。

なぜ、2021年にもなって、そんな1970年代スタイルを維持できるのか?

なぜ、あんな恥ずかしい格好を素でできてしまうのか?

ネット社会自分いかダサいかわかるはずなのに。

たまに漫画で、そんな昭和ヤンキースタイル人間が出てきたりします。

漫画家が高齢で、そんな思想をいまだに引きずっているからでしょうか?

あぁ、昭和カルチャー伝承メカニズムを知りたい。

2021-12-24

Boston dataset is deprecated.

データ分析練習説明用によく使われる、「1970年代の」ボストン不動産価格データセットは、"ethical problem" があって、いろんな機械学習ライブラリから排除されるのね。

“B”

Just in case you’ve gotten this far without somehow paying attention, the column in question is called “B”:

B: Black proportion of population. (1970 US Census)

This is already offensive to 2019 eyes (and hopefully 1975 eyes). But let’s try to give the authors the benefit of some doubt that I’m missing something historical, or otherwise relevant, that would warrant the inclusion of this field in the “common specification” of hedonic house pricing.

racist data destruction?. a Boston housing dataset controversy | by M Carlisle | Medium

https://medium.com/@docintangible/racist-data-destruction-113e3eff54a8

Deprecated since version 1.0: This function is deprecated in 1.0 and will be removed in 1.2. See the warning message below for further details regarding the alternative datasets.

sklearn.datasets.load_boston — scikit-learn 1.0.1 documentation

https://scikit-learn.org/stable/modules/generated/sklearn.datasets.load_boston.html

データに含まれる "B" という「地域住民のうちの黒人割合」を示す列がいかんらしいね。まぁ、日本で「〇〇市の不動産価格データセット」があったとして、そこに「地域住民のうちの部落出身者の割合」が同じく "B列" であったら燃えるだろうしなぁ。でも、実際に目的変数である不動産価格に負の影響を及ぼしてるんだけどねぇ。

2021-11-27

anond:20211127051443

財政出動通貨安も付随するからな。まずは自国の景気を良くして付随して円安となるのは今はまだ許されるだろう。

ほぼ今がラストチャンスに近いところがあるだろう。海外需要が高まってインフレでも自国がその需要を掴めない状態はもうどうしようもない。

スタグフレーションスタグフレーション言ってるやつがいるが、スタグフレーションは、増加した需要物価が上がっても自国がその需要をつかめない状態だ。オイルショックはわかりやすいが、他に戦後復興した欧州日本に負けた1970年代アメリカもある。

まあ、ベトナム戦争という無駄財政出動の余波という側面もあるがな。

今はスタグフレーションの前にインフレにすらなっていない。最もこのまま海外が景気が良くて産業も強くなって、日本デフレ産業劣化した状態では本当にスタグフレーションになるかもな。

2021-11-16

どうでもいいが、シドニィ・シェルダンって2007年に死んでたんだな

https://anond.hatelabo.jp/20211116084612

ちなみに日本1990年代にヒットした超訳1970年代に書かれたもの

特に血族は750万部も売れたんだね。

私も読んだけど、中学生自分にとって堂々と摂取できるエロ描写がある作品はこれと清水一高の作品くらいだった。

どの作品かわすれたが、ナーサ・ムニェという名前殺し屋がめちゃくちゃ印象に残っている。

1990年以降もアメリカでは作品を出しておりそこそこヒットしていたが日本では今でも翻訳されていない。

翻訳権をもっているアカデミー出版は今では完全に英語教材の会社になっており

翻訳をしてくれないので読みたければ英語勉強するしかない

2021-11-10

anond:20211109133009

地域によるんだろうな

東京23区なら1970年代ではほとんどの家庭でも電話あったように記憶している

anond:20211110083933

1960年代1970年代(つまりから四十年前〜六十年前)あたりの写真を見ても普通に浴衣を着ているんだが...

1970年代に行ってみたい

生活するには不便だろうけど文化的にはめっちゃ楽しそう

anond:20211109132706

沢山書いたやで

 

実名主義

80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数社会的人格を持って経済活動する事ができた。

職場旧姓を使い続けても問題無かった。1986年米国マネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。

 

MDMAエクスタシー)の不使用

MDMA非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。

心臓発作を惹起する為に規制m.o.v.e.のmotsu所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。

 

マリファナの不使用

90年代クラブではマリファナ普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。

 

・式場での結婚式

1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式キリスト教教会一般的。

団塊世代ロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻自由憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。

団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。

古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。

 

公共空間でのマナー

1990年頃まで日本人の公共空間でのマナー先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。

1990年代に反省の機運が起こり急激にマナーが向上した。

 

外国で旅の恥をかき捨てない

かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本旅行者特に団体)は眉を顰められる存在だった。

遺跡名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクター痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。

これを西洋宗教倫理文化日本恥の文化共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。

自省により90年代に急速に改善

 

固定電話を初期費用無しで引ける

電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。

この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年から段階的に廃止された。

 

役所サイトが一日中閲覧できる

森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバIISインターネットインフォメーションサーバー)サービスHP提供していたため。

終業時間になるとサーバルータの電源を落として帰っていた。サイト作成役人趣味みたいな感じで作っていた。

コードレッドワームなどが流行すると当然に全滅。

 

ネットワークプリンタ共有

1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。

 

・駅のトイレトイレットペーパーがある

駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。

民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。

 

路上駐車車両が無い

90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両タクシー客待ちで二重駐車になっていた。

90年代中ごろに警察取締りを強化して根絶。

 

・TIMESなど時間駐車場

2000年から増える。警察路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。

 

洋室だけの家やマンション

和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習

 

家電量販店での価格表示

家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員交渉で決めるという風になった。この為に店員電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。

客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。

 

スリム自販機

バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機建物看板道路使用徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。

これに対応して既存機の撤去スリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。

 

日本109キーキーボード

以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフリセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。

2000年くらいに今の配列に一本化された。

 

プチフリしないSSD

2006年ころに一世を風靡したネットブックSSD一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。

 

会社員就業時間中に中抜けしない

嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。

当然平日3時までしかやっていない銀行会社員が行けるわけがない。

そこで振り込みの為に仕事中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅

 

飲酒は二十歳から

18才は未成年飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。

ゼミ飲み会普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。

 

線路を歩かない

都電ローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。

90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故連続し、その後厳しくなっていった。

 

飲酒運転絶対ダメ

初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキー酩酊するからダメ」と書かれている。

 

・小銭を所持しないで外出

1000円札の読み取り装置一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。

この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。

 

一円玉の使用

1989年消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉公共料金以外殆ど使われていなかった。

 

・個室

和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。

 

個人

家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員プライバシー踏み込む」という感覚が余りなかった。

会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。

オークマンは街で個人空間に浸るものだとして批判対象になった。個人主義はそれ自体罵倒文句だった。

 

大学生勉強する

全共闘運動はあらゆる権威攻撃し、大学の知の権威というもの破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態継続。やがて学生は脱政治化したが大学学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。

90年前後大学改革ICU上智比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり学生勉強するという当たり前の状態が復活した。

この為に卒業1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。

 

・様々な塩製品

塩は国家専売品だったので専売公社製造する塩以外の岩塩ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可標識の掲出が必要だった。

1985年自由化により今の状況になった。

 

・「メイド喫茶」などの語

メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制階級制の象徴のような職業であって、戦後身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤一般的な「雇用」となった。

一周回ってメイド構造過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。

 

・キャノーラ

キャノーラ油の原料は菜種。

米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。

米国生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。

 

弁護士事務所広告

過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。

但し「勝訴率〇%」のような広告は今でも禁止

 

・夜まで開いてるスーパーデパート

1991年大店法改正されるまではデパート閉店時間はPM6時、スーパー閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。

基本的地元商工会意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正商店街の全滅に繋がった。

 

生ビール

ビール酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール

この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。

1970年代末にサントリーフィルター酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。

から地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品生ビールサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。

 

サービス残業

バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。

それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。

これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。

 

東京自動改札機

1990年から1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的

 

あきたこまちひとめぼれ等の米

1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。

冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまちひとめぼれが席巻するようになった。

 

バイク駐車違反

駐車違反バイクと車の別はないが、バイク駐車違反2006年まで摘発されていなかった。摘発民間委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。

 

大学生の専攻無し

学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から

2021-10-10

anond:20211008180738

またわざと曲解してMMT共産主義を結びつけようというやつか。

もっぺんはっておく。

ぜんぜん違うぞ。どちらかといえばケインズ主義系譜だ。というか、そのMMT理解なんだよ。せめて、MMT入門みたいな本とかサイトとか見てから考えなよ。

そもそも、昔は政府が何もしないほうがいいという自由主義だった1930年世界恐慌世界中不景気になった。そこで、政府金融財政税制経済を調整するケインズ主義と、政府生産をすべて調整すれば景気変動が起きないというマルクス主義が起きた。

ケインズ主義1970年代オイルショックや、一部の国の経常赤字で完全じゃないということでケチが付いた。マルクス主義政府の非効率でうまく行かないとなった。

そこで自由主義金融政策だけ加えて新自由主義として再興したが、やはり一度大規模経済危機を迎えると30年でも不景気を迎えるとなった。

なおかつ、政府借金財政破綻が起きると考えられていた。そもそも管理通貨制度のもとでは自国通貨建て国債では財政破綻しない。財政破綻は外貨借金問題

そして、財政の成約がなくなった以上、不況ならインフレになるまで国債なり通貨を発行して財政出動しろと考えている。

まりは1945-1990年の成長していた日本経済理論の復活なんだよ。なお1990年2020年での経済理論である新自由主義は1930-1945年経済理論の自由主義の復活な。

2021-09-30

anond:20210930234008

金利ゼロでも企業資金調達しない以上関係ない。むしろ財政出動が弱いから景気が悪いため企業資金調達していない状態

政府財政出動企業資金調達のじゃまになっているというのは、インフレだが自国産業が弱くて金利が高い1970年代アメリカの話。

今は政府国債発行しまくっても低金利だし、低金利でも借りていないということは根本的にデフレだし、デフレから企業資金調達してないってこと。

2021-09-29

anond:20210929195227

ぜんぜん違うぞ。どちらかといえばケインズ主義系譜だ。というか、そのMMT理解なんだよ。せめて、MMT入門みたいな本とかサイトとか見てから考えなよ。

そもそも、昔は政府が何もしないほうがいいという自由主義だった1930年世界恐慌世界中不景気になった。そこで、政府金融財政税制経済を調整するケインズ主義と、政府生産をすべて調整すれば景気変動が起きないというマルクス主義が起きた。

ケインズ主義1970年代オイルショックや、一部の国の経常赤字で完全じゃないということでケチが付いた。マルクス主義政府の非効率でうまく行かないとなった。

そこで自由主義金融政策だけ加えて新自由主義として再興したが、やはり一度大規模経済危機を迎えると30年でも不景気を迎えるとなった。

なおかつ、政府借金財政破綻が起きると考えられていた。そもそも管理通貨制度のもとでは自国通貨建て国債では財政破綻しない。財政破綻は外貨借金問題

そして、財政の成約がなくなった以上、不況ならインフレになるまで国債なり通貨を発行して財政出動しろと考えている。

まりは1945-1990年の成長していた日本経済理論の復活なんだよ。なお1990年2020年での経済理論は1930-1945年経済理論の復活な。

anond:20210928083555

インフレ率が高いときは財サービス需要が高まってます。その需要日本国内でつかめることができればさらなる好景気になりますオイルショックや、相対的産業劣化した1970年代アメリカとかなら、産油国戦後復興した欧州日本需要を奪われ、物の値段は上がるが収入が増えないというスタグフレーションになりますが。

まずインフレ率が一定程度高くないと不景気を延々と続けるだけです。

2021-09-21

anond:20210921111307

違う。

山田が機会主義者表現の自由破壊であると見做されている。

論点は3つ。

 

1.元々「表現の自由戦士」という揶揄が広まったのは在特会ヘイトデモをしている頃で、ヘイトスピーチ規制派と反規制派がいがみ合っていた。

その時反規制派が「これは根源的な表現の自由だ」という主張をしていた。破廉恥表現こそ守られなければならないのが本当の表現の自由だという主張をしていた。

だがその具体的に「守る」とされていた行為殺人などの脅迫だったし、批判にも表現の自由侵害反駁しており、何より2次元エロヘイトスピーチ擁護以外彼らは興味もなく寧ろ冷笑的だった。

 

2.オタクはずっと野党側の表現の自由擁護議員パージするという事を繰り返していた。

アイデンティティポリティクスで篭絡されて利益の為の行動が出来なかった。

 

3.第二次安倍政権以前では保守標榜するが地盤が無い者は表現規制標榜するのがありがちだった。それは安易だったから。

1970年代から漫画悪書追放保守派の根強い運動で、特に宗教右派が熱心だった。この為、表現規制派を標榜するとここに訴求して安易に票田を得ることが出来た。

族議員が強かった時代自民党ニッチなの。そして第二次安倍政権以後はこの手の議員が強くなっている。

 

から山田新人議員として(3)の表現規制界隈に近いところで活動をする他なく、(1)2次エロ自由以外の表現の自由には抑圧的なオタへの訴求だけしか考えず、(2)アイデンティティポリティクスでの篭絡でオタの支持を維持して、結局表現規制に加担するのではないか?と疑問を持たれている。

統一教会への接近で炎上したのはこういう構造の為、「ほれ見た事か」となったわけだ。

 

彼の支持者は彼の行動を何でもかんでも擁護すると2.のアイデンティティポリティクス型支持に陥ってしまうという危惧が足りない。

2021-09-19

公助は削って、福祉家族による相互扶助を基本とする』に対して、そんなことしたら社会貧困化するよという主張が感想レベルからダメですかそうですか。そもそも自助互助貧困は防ぎきれず、その貧困への対策が共助、公助なわけなんだけども。こんなことは常識範疇と思っていたよ。

例えばこれは東京大学名誉教授大森彌によるもの

この自助・共助・公助という3分論は、自民党綱領平成22(2010)年)で政策基本的な考え方として採用されている。「自助自立する個人尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組みを充実する」とある。菅氏の発言自民党員として、党の綱領に忠実であったともいえる。また、社会保障制度改革推進法の第2条には、「社会保障制度改革は、次に掲げる事項を基本として行われるものとする。一 自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと。」とあり、法律文言にもなっている。

総理大臣になった菅氏が、この社会像としての3分論を具体的な政策の中でどのように生かしていくのかは分からないが、これまで、介護保険制度の創設と運用にかかわり、自助互助・共助・公助という4分論を唱えてきた筆者としては、共助の主体地域とともに家族が含まれていることと、地域以外に共助の主体が想定されていないことに若干のコメントをしておきたい。

われわれは、人生の途中で、老化に伴う日常生活上の困難や思いがけない病気事故災害など、さまざまなリスクに直面する。このように何か問題が生じて解決を迫られたときに、まず、本人が自助努力対処する。しかし、それでは無理なときは、本人の身近にいる家族・友人・隣人などが手を差し伸べる。これがインフォーマル支援、すなわち互助である自助互助ではカバーしきれない場合にはシステム化された地域・職域の自治組織支援する(共助)。この共助システムではなお解決しえない場合行政支援する(公助)。この4分論も、いわゆる補完性の原則に基づく社会形成の考え方であるが、自助と共助の間に互助を考え、共助としては地域以外にも社会保険を想定している。

個人が直面するリスクを、その本人の自助努力だけで克服せよというのは無理な話で、社会は、何らかの形で共同してリスクを分担する仕組みを備えていなければならない。自助から出発するにしても、自助の次に互助を想定せず、家族の支えを「共助」に包摂してしまうと、例えば、いつまでたっても家族を老親介護責任から解放できないのではないか家族大事だが、それに頼りすぎては家族が参ってしまう。

互助は、自発性ゆとりと思いやりに基づく支え合い活動であって、その活動範囲支援能力限定的である。それは、家族・友人・隣人が無償で行う支援活動であるからであるしかし、自助のすぐそばに、この互助が息づいていることが自助の励みになるのである老いて心身が弱っても、自分生活に関することは自分判断し、できるだけ自分で行おうとする個人自助努力尊重し励まし支援する、それが互助の意義である自然災害ときにも、真っ先に頼りになるのは自助互助の結びつきである。新型コロナ禍の困難の中でも自助に寄り添う家族・友人・隣人の親身な支援こそが大事である

わが国にはシステム化された地域自治組織として、自治会・町内会があり、近年は地域運営組織が台頭し、これらは市区町村行政相互関係をもって活動している。この地域が共助の主体として期待されている。ただし、同じ共助のなかにリスクを共有するもの同士で助け合う社会保険制度存在し、国と自治体の行政公助)が関わっているから、共助の主体地域だけではない。共助システムである医療介護社会保険制度は、経費の約半分を国と自治体の公費租税)で賄っているし、介護保険では保険者市区町村にしているから、この共助システムは共助と公助の混合型といえる。それだけに、公費負担をしている国からシステム運用を通ずる効率圧力が絶えず加えられる結果、公助から共助へ、共助から自助へとリスク負担を逆流させようとする動きが出てきやすい。要注意である

https://www.zck.or.jp/site/column-article/20702.html



共助、公助の成り立ちと役割については、このリンク先の厚生労働省白書に良くまとまっている。https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/12/dl/1-01.pdf

工業化に伴う人々の労働者化により、血縁地縁機能希薄化した)

産業資本主義社会では、企業が潰れたり、解雇されれば失業してしまい、また、けが病気などで働けなくなった場合労働者所得を得られなくなる。その一方で、労働者血縁地縁関係から一定程度独立した結果、それら血縁地縁で結ばれた人間関係を基礎とする支え合いの機能は、近代以前の社会と比べて希薄化しているため、個人にとって、生活が立ちゆかなくなってしまリスクは大きなものとなる面があった。また、産業資本主義社会では、労働力商品化の結果、モノやサービス生産が「使用者労働者」の関係を軸に展開するようになる。近代以前の社会と異なり、労働者自己労働力以外に機械原材料などの生産手段を持たない。生産手段は使用者資本)によって所有され、労働者はそれを借用しながら自己労働力提供する。この関係の下では、自ずと労使の力の差が生じる。使用者に比べて力の弱い労働者は、低賃金長時間労働という劣悪な労働条件を強いられ、解雇リスクさらされるようになる。過酷貧困生活を送る労働者は増え、労働問題が大きな社会問題になっていった。労働者たちは、同業者の間で相互扶助組織を設けるなどして生活上のリスク対応してきたが、これらの組織に加入できたのは、経済的に多少の余裕のある熟練労働者などに限られ、多数の非熟練労働者などは、それらの組織に加入することができなかった。

近代的な社会保障制度の創設はドイツからまり欧州各国に広がっていった)

近代的な社会保障制度世界最初に創設されたのは、大陸ヨーロッパドイツであった。ドイツでは、19世紀終盤に、帝国宰相地位にあったビスマルク(Otto von

Bismarck, 1815-98)により、法律上の制度として世界で始めての社会保険制度(疾病保険法1883年)、労災保険法1884年)、老齢・障害保険法1889年))が制定された*3。社会保険制度は、事業主負担と併せて被保険者労働者等)自ら保険料負担拠出)することにより給付権利を獲得するという関係があるため市場整合であるとして、多くの工業国で社会保障手法として第一義的に選好される傾向が強いものとなっていった。そして社会保険による給付は、市場経済的権利関係裏付けを欠くために、社会負担、あるいは自助能力を欠く者との差別偏見から逃れられず、受給スティグマ汚名)が伴っていた恩恵的・救済的福祉給付とは異なっていた*4。また、あらかじめ生活リスクに備える点で、それまでヨーロッパ各国で主流であった事後的な「救貧」施策から事前の「防貧」施策への第一歩を踏み出した点でも大きく評価された。

(略)

社会保障は、個人生活上のリスク社会的に対応する仕組みとして求められるようになり、産業資本主義社会国民国家の発展を支えていった)

このように、産業資本主義が発展する中で、血縁地縁がそれまで果たしてきた人々の生活保障する機能限定的ものとなっていった。それらの機能代替するため、傷病、老齢、失業などのリスク公助又は共助という形で社会的に対応する仕組みが必要となり、現在に通じるような社会保障制度が求められるようになったといえる。

そして、社会保障血縁地縁機能代替*8することにより、人々は経済活動に注力することができるようになったという意味で、社会保障産業資本主義社会国民国家の発展を支えていったともいえる。

世界恐慌から第二次世界大戦までの間に、戦後社会保障の構想が練られていった)

1929年には、アメリカニューヨーク証券取引所での株価の大暴落きっかけに世界恐慌が発生した。その影響は大変大きなもので、1930年代には各国で多くの企業倒産し、街は大量の失業者で溢れ、社会不安ますます増大した。

(略)

ケインズ理論によって完全雇用に近づければ、失業給付を激減させ、なお残る失業者に手厚い給付ができ、また、社会保障によって全国民に最低限度の生活保障すれば、有効需要が増え、さら失業者が減る。このように、ベヴァリッジケインズの考えは互いに補強しあう関係にあった。これは「ケインズベヴァリッジ主義体制)」、「福祉国家の合意」などと呼ばれる。その後、ベヴァリッジは、第2次世界大戦中の1942年に、いわゆるベヴァリッジ報告(『社会保険および関連サービス』)を英国政府に提出し、「ゆりかごから墓場まで(Fromthe Cradle to the Grave)」のスローガンの下、新しい生活保障の体系*10を打ち立てた。このベヴァリッジ報告の影響を大きく受け、第二次世界大戦後には世界の多くの資本主義諸国で、経済の安定成長と完全雇用11国民福祉の充実を目指す「福祉国家」の潮流が広がっていった*12

戦後、どの先進諸国にとっても社会保障は不可欠なものになった)

1970年代オイルショック後の経済成長の鈍化等により、社会保障福祉国家批判は大きな潮流になった)

1980年代新自由主義的な政策採用され、社会保障福祉国家の「見直し」が行われた)

新自由主義的な政策は、経済グローバル化趨勢とも親和的だった)

社会保障福祉国家の「見直し」がもたらした弊害は大きなものだった)

(当初の「見直し」という目的が実際に達成されたかについても、見方は分かれる)

1990年代以降、社会保障重要性が再認識され、過去に指摘された問題点に応える努力をしながら、社会保障福祉国家を再編成する時期に入っている)

今日では、社会保障は様々な機能を持っており、私たち経済社会に欠かせない重要な仕組みである

今日では社会保障は、個人視点からみれば、傷病、失業高齢など自活するための前提が損なわれたとき生活の安定を図り、安心をもたらすことを目的とした「社会セーフティネット社会安全装置)」という機能果たしている。また、それを社会全体としてみれば、所得個人世帯の間で移転させることにより貧富の格差を縮小したり、低所得者生活の安定を図る「所得再分配」や、「自立した個人」の力のみでは対応できない事態社会全体で備える「リスク分散」という機能果たしているといえる。

さら社会保障は、必ずしも恵まれない人たちにも社会の一員としての帰属意識を共有してもらうことで社会的な統合を促進させる。また、消費性向が高い低所得の人たちに所得移転購買力を高めることで個人消費を促進したり、医療介護、保育などの社会保障関連産業における雇用の創出を通じて経済成長にも寄与する。こうした「社会の安定及び経済の安定と成長」といった機能果たしている*20

このように、社会保障私たち経済社会にとって欠かせない重要な仕組みとなっている。だからこそ、支え手である現役世代(働く世代)の人口が減る少子高齢社会において、どのようにして持続可能制度を構築していくか、若年者等の失業問題社会的弱者が孤立を深める状況(社会的排除)を改善するためにどのように社会保障制度機能させていくべきか、経済グローバル化に伴う国際競争の激化が雇用の柔軟性や流動性要求する状況など社会保障が前提としてきた雇用基盤の変化や経済の低成長が続く中で、どのような所得再分配や雇用政策が適切なのかといった点は、先進諸国にとって、重要政策課題となっている。



社会貧困化するの件が感想しかないので、感想に対する反論などありません残念でした

感想を論だと思ってる時点で問題あり

もっと勉強しましょう

からでも大学行ってみては?

人生に遅いということはないよ

anond:20210919030225

2021-09-12

時代遅れフェミニスト議連老害キモい

Twitter上で議論錯綜している、自分気持ち理解のためにも論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。

 

1. フェミニスト議連地元市議を含む)という団体女性表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?

権力安易表現規制をしていいのかという問題

 

自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力濫用には反対する立場からだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。

 

実際のところ、千葉県警議連から忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事

 

 

2. 警察という公機関ポスターに、ヘソだしルック少女を起用すべきなのか否か

→公機関制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題

 

個人的には今回のVTuberデザインかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法性的に過度に強調されているとは思えません。

 

ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域所属するコミュニティ時代、そしてそのキャラ個人地元関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民コンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察動画税金でつくっているのだから松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現女性自身の表現自由ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。

 

今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである

 

目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲット価値観無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデート必要な人たちにはなってしまう。

 

 

3. 社長女性VTuber中の人女性女性自由活動フェミニストが奪っていいのか。

フェミニスト議連フェミニズムってどの辺なのよ問題

 

 

まず社長Vtuber本人が女性かどうかは、あまり重要イシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性自分意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分意思とはいえいか規制してもいいいのだというスタンス

 

フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフミニズムの対象ポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定集団女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuber衣装をラディカルフミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから

 

この議論フェミニズム歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム1970年代フェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニスト意見割れた話。なにをポルノにするかは個人見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦表現だったり、男性従属的露骨表現批判されたにすぎない。(その程度でもゲームポリコレ持ち込むな!と超炎上した)

 

児童ポルノ規制は実被害観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメデザインポルノ認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点からプリキュアアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっとである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現ポルノになる。

 

もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯模索しながら進んでいる。

 

その中で、未だに第二波フェミニズム残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニスト代表かのように振る舞っているのは、日本フェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフミニストたちではある。

 

ミニスカフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性自由なあり方を示す手段ひとつミニスカというだけであって、公機関制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だからスカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。

 

 

結論

今回の件、フェミニストフェミニズム関係いから、目的語を大きくした、批判はやめよう。

ただひたすらにフェミニスト議連スタンス時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)

あと、千葉県警はそんな極端な団体意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会公的機関表現のあり方を議論した方がいい。

戸定さん、応援してます

時代遅れフェミニスト議連老害キモい

Twitter上で議論錯綜している、自分気持ち理解のためにも論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。

 

1. フェミニスト議連地元市議を含む)という団体女性表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?

権力安易表現規制をしていいのかという問題

 

自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力濫用には反対する立場からだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。

 

実際のところ、千葉県警議連から忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事

 

 

2. 警察という公機関ポスターに、ヘソだしルック少女を起用すべきなのか否か

→公機関制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題

 

個人的には今回のVTuberデザインかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法性的に過度に強調されているとは思えません。

 

ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域所属するコミュニティ時代、そしてそのキャラ個人地元関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民コンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察動画税金でつくっているのだから松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現女性自身の表現自由ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。

 

今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである

 

目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲット価値観無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデート必要な人たちにはなってしまう。

 

 

3. 社長女性VTuber中の人女性女性自由活動フェミニストが奪っていいのか。

フェミニスト議連フェミニズムってどの辺なのよ問題

 

 

まず社長Vtuber本人が女性かどうかは、あまり重要イシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性自分意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分意思とはいえいか規制してもいいいのだというスタンス

 

フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフミニズムの対象ポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定集団女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuber衣装をラディカルフミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから

 

この議論フェミニズム歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム1970年代フェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニスト意見割れた話。なにをポルノにするかは個人見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦表現だったり、男性従属的露骨表現批判されたにすぎない。(その程度でもゲームポリコレ持ち込むな!と超炎上した)

 

児童ポルノ規制は実被害観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメデザインポルノ認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点からプリキュアアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっとである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現ポルノになる。

 

もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯模索しながら進んでいる。

 

その中で、未だに第二波フェミニズム残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニスト代表かのように振る舞っているのは、日本フェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフミニストたちではある。

 

ミニスカフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性自由なあり方を示す手段ひとつミニスカというだけであって、公機関制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だからスカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。

 

 

結論

今回の件、フェミニストフェミニズム関係いから、目的語を大きくした、批判はやめよう。

ただひたすらにフェミニスト議連スタンス時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)

あと、千葉県警はそんな極端な団体意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会公的機関表現のあり方を議論した方がいい。

戸定さん、応援してます

フェミニスト議連かい時代遅れフェミニストたち

Twitter上で議論錯綜している、自分気持ち理解のためにも論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。

 

1. フェミニスト議連地元市議を含む)という団体女性表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?

権力安易表現規制をしていいのかという問題

 

自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力濫用には反対する立場からだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。

 

実際のところ、千葉県警議連から忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事

 

 

2. 警察という公機関ポスターに、ヘソだしルック少女を起用すべきなのか否か

→公機関制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題

 

個人的には今回のVTuberデザインかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法性的に過度に強調されているとは思えません。

 

ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域所属するコミュニティ時代、そしてそのキャラ個人地元関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民コンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察動画税金でつくっているのだから松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現女性自身の表現自由ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。

 

今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである

 

目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲット価値観無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデート必要な人たちにはなってしまう。

 

 

3. 社長女性VTuber中の人女性女性自由活動フェミニストが奪っていいのか。

フェミニスト議連フェミニズムってどの辺なのよ問題

 

 

まず社長Vtuber本人が女性かどうかは、あまり重要イシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性自分意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分意思とはいえいか規制してもいいいのだというスタンス

 

フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフミニズムの対象ポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定集団女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuber衣装をラディカルフミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから

 

この議論フェミニズム歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム1970年代フェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニスト意見割れた話。なにをポルノにするかは個人見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦表現だったり、男性従属的露骨表現批判されたにすぎない。(その程度でもゲームポリコレ持ち込むな!と超炎上した)

 

児童ポルノ規制は実被害観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメデザインポルノ認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点からプリキュアアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっとである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現ポルノになる。

 

もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯模索しながら進んでいる。

 

その中で、未だに第二波フェミニズム残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニスト代表かのように振る舞っているのは、日本フェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフミニストたちではある。

 

ミニスカフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性自由なあり方を示す手段ひとつミニスカというだけであって、公機関制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だからスカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。

 

 

結論

今回の件、フェミニストフェミニズム関係いから、目的語を大きくした、批判はやめよう。

ただひたすらにフェミニスト議連スタンス時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)

あと、千葉県警はそんな極端な団体意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会公的機関表現のあり方を議論した方がいい。

戸定さん、応援してます

2021-09-11

anond:20210910142942

ってことは1970年代ぐらいまでってことか。

パソコン通信も立派なSNSからな。

2021-08-23

anond:20210823095535

オタク第3世代って、だいたい1970年代後半〜1980年代前半生まれやけど、これって要するに氷河期世代からな。政府への恨みはすごいで。

90年代にいち早くパソコン通信を触ってた世代でもあって、00年代ネトウヨ文化を担ってたのはもう一世代後や。

2021-08-15

日本2000年以降にメジャーになった食材

エリンギ

日本での人工栽培の開始は1993年だが、生産量が増えはじめたのは2000年ごろから

2000年11月3日放送ミュージックステーションに出演した桑田佳祐が、

エリンギにハマっている」と紹介したことから売上が10倍になったとの逸話がある。

バナメイエビ

1990年代から中国東南アジア養殖されるようになり、その養殖のしやすから生産が急増して、

世界的には2005年までにブラックタイガーを抜いて、養殖エビの大半を占めるようになった。

日本に輸入されるようになったのは2006年からと言われる。

2013年に全国各地のホテルが「芝海老」と称してバナメイエビを出していたことが発覚して問題となった。

イベリコ

スペイン生産されている豚の品種で、最高級のイベリコ豚はドングリで育てられていることで知られる。

以前からハムに加工された形で輸入されてはいたが、「調理用の豚肉」として日本に初めて輸入されたのは2003年である

ヨーロッパでの豚熱の流行理由禁止されていた豚肉の輸入が再開されたとき

2年間の熟成必要イベリコ豚のハムは輸入再開が遅れたため、代わりに生肉が輸入されるようになったという。

パクチー

英語ではコリアンダー中国語では香菜と呼ばれ、「パクチー」はタイ語に由来する。

日本も含め、世界的に古くからハーブスパイスとして利用されているが、

2007年開業したパクチー専門店パクチーハウス」が、食材としてのパクチーをふんだんに用いて、パクチーブームを巻き起こした。

本来タイ料理では、パクチーシソパセリのような使われ方をしていて、「パクチーだけを山盛りにして食べる」というようなことはない。

他にある?

以下追記

アボカド

日本への輸入は1970年代に始まり、その輸入量を徐々に増やしてきた。特に2003年ごろと2012年ごろに輸入量が跳ね上がっている。

食材としては2000年以前から利用されてきたが、スーパーなどで当たり前に手に入るようになったのは2000年以降と言えるか。

パプリカ

1993年ごろから徐々に輸入が増え始めていたが、特に2001年ごろから韓国産パプリカが輸入されるようになったことで急増した。

アボカドと同じく、スーパーなどに多く置かれるようになったのは2000年以降と言える。

ゴーヤ

沖縄ではゴーヤー、それ以外の地域ではニガウリと呼ばれる。

が、沖縄料理が広まると共に、本土でも「ゴーヤ」として知られるようになった。

1993年にウリミバエという害虫が根絶されたことで、沖縄県外へのゴーヤーの出荷が可能となり、全国に広まっていった。

2001年放送された朝の連続テレビ小説ちゅらさん」の影響も指摘されるが、普及の主要因はウリミバエの根絶だろう。

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