はてなキーワード: 1970年代とは
そもそも女だとバレたら叩かれるというのがない。KYで空気読めないメンヘラを標準にされても困る
エロゲなどがPCで出てたのはWindows95よりもさらに前の話だし
ホームページページビルダーが登場したのもYahoo!がホームページとか検索できるようにしたのもテレホーダイも1995年くらいの話だし
そもそも中学校にも高校にも図書館にも1999年以前からPCがあったのに上記のいずれにも触れる機会がなかったって
1980年代生まれですらなさそう(1970年代生まれなの?)なんだが、
もし1990年以降の平成生まれなら異常に感度低いor知能が低いのでは?ってのが一連のやりとり見てて思うこと
「日本語ロック論争」は、日本語で歌うべきか、英語で歌うべきかが「議論」された。日本語はロックのメロディーに乗らないという説に、英語派であるミュージシャンは海外成功目標で英語は不可欠という論拠の内田裕也(と、その牽引していたフラワー・トラベリン・バンド)、グループ・サウンズ時代から活動するザ・モップスは英米追随ながら本物のロック音楽志向という立場である。日本語派はっぴいえんどは[注釈 1]、その前身エイプリル・フールから移行発展するなか[注釈 2]うたごえ運動の流れを汲むボブ・ディランらに影響を受けたフォークの岡林信康ら、日本語で歌うアーティストが次世代音楽(ポップス、またはニューミュージック)に進展する中起こった「議論」がある。
誰もが通った道なんや。
ジャズ音楽・ハワイアン音楽の要素を取り入れた「ムード歌謡」。美空ひばり・石原裕次郎の登場。
都会的なムード歌謡に対して田舎的な「演歌」が登場。プレスリーの影響を受けた「ロカビリー」ブーム。ビートルズの影響を受けた「グループサウンズ」ブーム。学生運動の盛り上がりから「フォークソング」ブーム。
反商業的だったロックやフォークが徐々に商業音楽に取り込まれて「ニューミュージック」に。吉田拓郎などシンガーソングライター(=レコード会社主導の分業制ではない)が登場。新御三家・花の中三トリオに代表されるアイドルたち。ピンク・レディー。
BOØWY・ブルーハーツなどのロックバンドブーム。YMOによるテクノポップブーム。おニャン子クラブ。
小室ファミリー・ビーイング系を中心とした「J-POP」。アイドルでは光GENIJI・SMAPなどジャニーズ系。モー娘などハロプロ系。宇多田ヒカルのデビューとR&Bブーム。X・GLAY・ラルクなどのヴィジュアル系。
宇多田ヒカル・浜崎あゆみなど女性シンガー(ディーヴァ系)の人気。Dragon Ashなどヒップホップブーム。BUMP OF CHICKENなどロキノン系。EXILE系の台頭。
AKB48と嵐の二大アイドルがCDチャートを席巻。ただし音楽販売はCDから配信へ。東方神起・KARAなど第一次K-POPブーム、BTS・TWICEなど第二次K-POPブーム。インターネットを中心としたボカロブーム。
両者は2本別々の作品だが、文庫化された当時、一冊にまとめられたもの。
共通するテーマは旅。いずれも見開き2ページで一話完結。さまざまなエピソードを収録している。
高度経済成長を経て経済大国となった70年代半ば、ブームになったのはハワイや香港などの海外旅行。
おりしもジャンボジェット機が就航し、高価だった海外旅行が庶民の手に届くようになった時代。
それまでの日本人の旅行といえば、熱海など温泉旅行。そして企業など慰安旅行が当たり前で、宴会どんちゃん騒ぎに温泉コンパニオン。
そんな温泉社員旅行のノリで、庶民たちが海外ツアーに出かけると、一体何が起こるのか。。。
バスタブを初めて使い、トラブルになる場面、当時のお土産の定番だったジョニ黒をネタにした作品、常磐ハワイアンセンターにダンサーを引き抜かれて本場のハワイではすっからかん、お土産にアロハシャツを棚ごと買い占める成金、といった当時の世相をユーモラスに描いている。
こんな客もいた。
英語をしゃべってみたくて、外人のスチュワーデスをコールするが、全く通じない。ワンスカッッチャンドワーラープリーズ!などと必死に連呼するも歯が立たず、添乗員を呼びつける。
スコッチの水割りを頼んでるのに英語が通じないんだと添乗さんに話すと、そばでその日本語を聞いていたスチュワーデスがオー!スコッチ・エンド・ウォーターのことね、とはじめて理解した、という。
全く英語のわからない外人スチュワーデスも困ったもんだねえ!と添乗さんに文句をいうオチ。
こういう人、いるよねぇ。。
安孫子先生の人間観察とそのユーモアあふれる描写の仕方は本当に好きでした。
海外旅行ツアーが大ブームになった70年代、一方、国内では、一人旅がブームとなっていた。
当時の日本の歌謡曲も、心の旅(1973)、岬めぐり(1974)、いい日旅立ち(1978)など一人旅をテーマにした曲が流行していた。
こちらの作品ではサラリーマン生活に疲れ、癒しを求めて一人旅にでた孤独な青年の旅先での小話が描かれている。
添乗さんが日本人の集団心理を切り取ったものだとすれば、こちらは日本のそうした組織風土に疲れて旅に出た青年を描いている。
モーレツ、と言われた時代が去り、しらけ世代という言葉が登場した70年代半ばというのは、どこかに誰も知らないところへ出かけたい、そういう時代だったのだろう。
なかでも印象深いのは、寝台列車に乗って、普段通勤していた駅に到着した朝、カーテンを開け、ホームで通勤列車を待つサラリーマンにわざと、お酒を飲んでくつろぐ姿を見せつけるエピソード。
線路わきでのんびり昼寝をしていたら、蒸気機関車の音にむっくり目が覚まし、
いまどきSLなんてめずらしいねーなどと、近くでのんきにSLを眺め、見送るエピソード。
驚愕したのは、朝からポジションを決めて待っていた撮り鉄たち。
線路わきから突如、人がにょきっと立ち上がって姿を現したため、予想外の出来事に動揺。邪魔だ、どけー!と叫んでも機関車の音で聞こえない。
「添乗さん」では、ホンモノをゲットすること、象徴的な意味での旅の証明としての戦利品を収集したり体験することが旅の重要なアジェンダとなっている。
例えば、マカオでニセモノに騙される日本人や、ビーチでナンパを試みたツアー客が間違えて日本人女性に声をかけながらも外人女性だけを探し求める姿などを風刺している。
一方、「さすらいくん」のほうでは、旅の目的は疲れ切った日常から逃避する場所を求めた癒しであり、ぬくもりだ。旅先の情報など何一つ収集しないし、旅の思い出を語る誰かもいない。
どちらも哲学的な意味での旅の本質をさらっと描いているのが秀逸だ。
この2作品は、旅というテーマを通じて、当時の日本人が何を思い、旅先にどんな夢を描いていたかを、
藤子不二雄Ⓐ先生にしかなしえないユーモアでもって簡潔に描写している、という点で同氏の傑作のひとつ。
どうもありがとうございました。
イチキュッパはともかく、むかしのチラシをみてると、
1960年代までは、数字の8が目立つことは無かったんだけど、
「通貨が下がったら」ではあるが、海外に売れるものを売れば通貨は上がりますな。そして、海外に売れるものを作るには企業の設備研究投資と、政府の基礎応用研究投資が必要。
デフレだと企業が設備研究投資をしない。だから、デフレであれば設備研究投資をしてインフレにするべきというのがケインズ。その後、インフレでも不況というスタグフレーションがあって、政府をスリム化させたほうが良い!という新自由主義が起きた。
しかし、スタグフレーションは1970年代のオイルショックや、欧州日本の戦後復興に相対的に負けたアメリカのように、需要が高まっても、合致する供給を自分たちが作れない問題。
今のロシアの経済制裁由来の石油・食糧・資源不足インフレに、金融収縮だとか金利上げなんてのが解になっているという馬鹿なことを言ってる。足りない品物を設備研究投資をして作るしか解はないのに
ホンダのASIMOが日本科学未来館を卒業するって言うニュースがホッテントリ入りしてて、“ASIMOを作れていた頃が、日本の製造業が一番輝いていた時期なのかも”ってブコメがついててそこその星が集まってんだけど、ああ、本当に日本の製造業が輝いていた時代を知らない世代が増えてんだろうなあ、と、なんだな切なくなった。
1970年代後半から80年代は、本当に日本の製造業が一番輝いていたんだよ。
ニコンやキャノンの一眼レフがドイツのカメラを市場から追い出したんだよ。
“コイツのせいで俺たちの仕事を奪ったんだ”と日本車がアメリカの労働者に叩き潰されたんだよ。
イヤホンでどこでも一人で音楽を聴くという、それまでなかった音楽の楽しみ方をSONYが広めて、“ウォークマン”なんていう、明らかな和製英語が英語として字書に収録されたんだよ。
ビデオデッキやビデオカメラは、日本企業同士の規格争いがそのまま世界のデファクトスタンダードを決めてをきめて、世界シェアの9割を日本が握ってた時代もあるんだよ。
“電子立国日本の自叙伝”なんていうドキュメンタリー番組が人気になって、半導体もバンバン作ってたんだよ。
あれは、“でも、でも、まだこれくらい夢のある技術がまだあるもん!”という、燃え尽きる前の最後の輝きみたいなもんだろ
今も残ってるのは車くらいか。
電卓もカメラも時計もウォークマンもビデオも、スマホ一台で事足りるようになっちまった。
今更ながら、なんでこんなことになっちまったんだろ。
ゲームセンターがはみだし者を受け入れてきたんじゃない。
インベーダーゲームが出始めた頃は小金を持ったサラリーマンが主な客層だったんだが、数年もたたない内に強盗・盗難などが多発する無法地帯になってまともな人間が近寄れない場所になってしまった。
地域にもよるだろうが、当時 (1970年代後半) にゲームセンターが不良のたまり場とレッテルを張られたのは実際に不良 (というか強盗や恐喝犯) の巣窟だったからだ。
結果として一旦は急激にゲームセンターが衰退した。
今の若いeスポーツのプレイヤーはその時代とは無関係なのは承知しているんだが、ワイみたいなじいさんにしてみればああいう荒い連中はむしろゲームする場所を奪ってゲーム文化を破壊したやつに見えちゃって印象が悪い。
それがゲーム文化の代表みたいな面をして世に出るのは勘弁願いたい。
でもまあ口が荒いだけなら暴力が有った昔よりずっと良くはなってるんだろう。
いや?「何もしない」というのが自由主義だから並べていいんだよ。何もしないより、マルクスやケインズのほうがマシということだ。
もっとも、金融制御だけはしていいというのが新自由主義だが、今の日本を見てのとおり大失敗だ。
自由主義って、封建主義に対して、自由にしたほうがうまくいくという思想だ。もっとも、貧富の格差は起きるし、一度大規模経済危機を迎えると、永久に続く不景気と衰退を作る。
ケチが付いたのはインフレだが収入所得が上がらないオイルショックや1970年代アメリカのスタグフレーションだ。
それでも今の海外需要起因ののスタグフレーション懸念に対して、金融緩和を中止せよ、基準貸付金利を上げろ!なんてのが新自由主義の規制緩和だ構造改革言ってたやつの口から出てるのを見ると、本当に何も考えてなかったんじゃないかとすら思えてくる。
CG使うこと自体はそんなに違和感ないのだがCG使って秒間8fpsまで下げるからカクついて違和感が出る
今のコンピューター端末で24fpsのCGが普通に動くなら8fpsまで落とす意図がわからない
もちろんディテールにもよるがモバイル機器ですら60fpsのCG動くのだからアニメに使うなら24fpsは使うべきだろう
業務にコンピューターを導入して自動化、効率化しよう、って1970年代から、OA化、IT化、電子化とずーーーっと言ってきたよね。
業務にデータを活用して意思決定を高度化しよう、って1980年代から人工知能→データマイニング→人工知能→ビッグデータ→データサイエンス→AIとずーーーっと言ってきたよね。(細かい「エキスパートシステム」とか「AIの冬」とかは省略)
そして今、また新しい流行り言葉としてDXに飛びついているよね。
その時間の大半をビジネスパーソン (笑) として過ごして、そろそろ定年になる人たちがいなくなる途端に、「DX人材が不足!」「2025年の崖!」とかいう話になるのは変だよね。これまで40年以上、自分たちでOA化だのなんだの言ってきたんだから、それを実現していれば、今さら「DXが急務」とか人材不足とかならないはずじゃん。
DXについてご立派に語る識者や経営者は、「なぜ自分たちはOA化に失敗したのか」「なぜ自分たちはIT化できなかったのか」をまず振り返って欲しいよね。そのうえで、「自分たちは無能だったから実現できなかったけど、次の世代の人たちは優秀だからDXを実現できる」とか言うならまだわかるけど。
団塊の世代は1945年の終戦直後の1947〜1950年に生まれた世代。この頃は日本国憲法が施行、サンフランシスコ講和条約で主権回復した頃だ。
2022年現在70代くらいであと20年〜25年で居なくなるだろう。
本当の地獄は第二次ベビーブームに生まれた1965年〜1970年代に生まれた世代である。
団塊の世代の子として生まれたこの世代は20歳代でバブル景気に突入。
楽に就職を決め、結婚もしやすい年代だったと推察する。(これは田舎地域や不況の影響受けなかった職種か?)
昭和の考えを団塊の親から植え付けられ、それを今の若者に植えつけようとしている世代。また体罰や残業が当たり前で団塊世代と同じようなところがある。
しかし今の若者(所謂Z世代)は転職は当たり前、お金より休日や自由など考えが真反対である。
この若者と団塊ジュニア世代の軋轢は凄まじく、今でも「毒親」と言われている始末。
Z世代に幸あれ。