はてなキーワード: 朝ごはんとは
ゴキブリに遭遇したのは1年に1回あったらレアというくらいで、それも大体黒いでかいゴキブリだった。
洗濯物を夜間に干すために窓を開けて、その間に入られていた模様。
(2回ゴキブリの侵入を確認し、今はもう夜間に干すのはやめている)
問題は今年だ。
たまたま換気のために窓を開けてた時か(中途半端にあけてしまうので、網戸をしていても隙間から虫が入るらしい)、通販の段ボールで入っちゃったのかなと思った。
2匹目。1匹目から数日後。仕事部屋(パソコンあり)で遭遇。叫んでフマキラーAで始末。
え、何この短期間の遭遇。重ねて言うが一年に一匹みればレアというぐらい今まで遭遇してなかった。
恐ろしくなってゴキブリムエンダーと、ゴキプッシュプロ、切れそうになってたフマキラーAを購入。
ゴキブリムエンダーを全部屋に蒔いたが、後述になるがあとで気が付いた痛恨のミス。ワンプッシュごとに5秒置かないとだめらしいことを失念。
翌朝窓全開でゴキプッシュプロを冷蔵庫の下やら気になるところに散布。
3匹目。2匹目から1週間後。台所で遭遇。ここでムエンダーの使い方間違ってたんじゃね?になる。
泣きそうになりながらムエンダーを再散布。
これはさすがにおかしいと台所をくまなく掃除したが、特にふんぽいものもなくきれいなままだった。
冷蔵庫は動かせず(あと今の時期電源落とせない)冷蔵庫の下にはゴキプッシュプロを再散布。
4.5匹目。3匹目の翌日。台所で遭遇。泣いた。シンクのわきに置いてた掃除用のスポンジに2匹引っ付いてた(もちろん捨てた)
ここまで5匹でてるのだが、徐々に徐々にサイズが落ちて、4.5匹目は小さいゴキブリだった。(もともとの1匹目も黒いゴキブリに比べたら全然小さかった)
子ごきということはこれはどこかで生まれてない?…というか冷蔵庫じゃね?で
翌朝あんまり冷蔵庫の裏にはかけるなぶっ壊れるからと書かれているゴキプッシュプロを、背面の上の方(家の構造的に下にかけられなかった)と冷蔵庫の下に再散布
朝一でドラッグストアにいきブラックキャップを購入。台所(特に冷蔵庫)まわりに設置。
6匹目。本日夕方。ベランダの窓の外にいた。エアコンのため閉め切っているので壁伝いか飛んでる?のかしらないがどこかからきたらしい。
これは室内徹底掃除しなきゃ…というか2.3匹目あたりからガンガンに掃除しまくっているんだけど
ふと仕事部屋のごきが這ったあたりをみたら黒いつぶつぶが…アース製薬のごき解説ページを参考にみるとチャバネのフンぽい。
恐ろしいのは這ったあとにもそれからも綺麗に掃除したあとなわけで、つまりあれからまた仕事部屋に来てる可能性があるということ。
残ってたムエンダーをまたきっちりまいたけど、明日朝一で追加のブラックキャップを買ってくる予定。
というので今年ゴキブリ滅茶苦茶多くない?窓にはってるのなんて生まれて初めて見たよ。
いままでゴキブリ対策グッズなんてフマキラーAしか買ってなくて、しかも対ゴキブリ用というよりかは
コバエやら飛ぶ虫用だったので、この夏ゴキブリ対策グッズを実地調査してるみたいになってる。
ゴキブリムエンダーは手軽なんだけど、40プッシュで地元ドラッグストアだと1400円超えるので、コスパ滅茶苦茶高すぎるなと思った。
そのうえ1週間で子ごき遭遇で、使ってる方からだと「効いてない」のか「効いてるけどまいたときは卵にいた」のか判別がつかない。
ブラックキャップを置いてからは夜間さっさと寝て見ないようにしてるので、今のところ効いてるのかわからない。
アマゾンレビューで阿鼻叫喚のワンプッシュ プロプラスは地元ドラッグストアでは全く売ってなかった。
室外用ブラックキャップも同様にうってなくて、明日は少し足を延ばしてホームセンターに探しに行こうと思っている。
今日の窓の外側に張り付いてるのを見なければ室外用ブラックキャップを買いに行く予定もつもりもなかったんだけど、流石にええ…とぼうぜんとしたわ。しかもまだ日が落ちてない夕方。
おすすめのごき対策殺虫剤や忌避剤の効果、あと今年多いかどうか、増田にも聞いてみたい。
あとゴキブリとは関係ないけどコバエがホイホイもゴキブリ対策買うついでに今年初めて買ってみたんだけど
まっっっったく効かなかった。あれは買うだけ無駄でした。レビューに写真上げてる人みたいに、大量に沸くところだと効くのかな。
【8/21朝追記】
朝ごはん食べようとシンクしたを開けたらびよっと7匹目に遭遇。
ギャアと叫んでる間に冷蔵庫の下へ逃亡。フマキラーAを隙間からかける。ていうかそこゴキプッシュプロやってますよね…?やってたのに行くんだ…?
というか日のカンカンに出てる朝なんだけど今年のゴキブリは時間関係ないんだろうか
これはもう駄目だと冷蔵庫の中身を覚悟しつつ、巣を覚悟しつつ冷蔵庫の下と裏を掃除。
何もしないで逃亡してた1匹は死んでたけど(ブラックキャップ効果なのかゴキプッシュプロ効果なのかフマキラーAなのかは不明)
ほこりだけで特に卵っぽいのもふんも他に死骸もなかった。どこから来てるんだよこれ。
増田のエアコンからも注意してたんだけど、エアコン周りでは今のところ見ないのと、スプレーかけると壊れることがあると書かれているので、中身掃除するだけにしてる。
体感的には台所のシンクか冷蔵庫回りなんだけどパイプユニッシュは使用して掃除してるし冷蔵庫も何もなくて???になってる。
6月に買ったパソコンの箱以外(パソコンがでかすぎてヤマトのパソコン宅急便も使えないので保管)、古い段ボール箱をせっせと全部捨てようとしたんだけど、
8匹目で今度はエレベーターの中で誰かがしとめた黒ゴキブリ(でかいの)がひっくり返ってた。泣くかと思った。
あとホームセンターにいってきたけどブラックキャップの屋外用は存在しなかった。アマゾンでぽちります。
ついでにいうとゴキブリムエンダーはドラッグストア含めてどこも売り切れになってたのと、ブラックキャップ以外ごき対策系が売り切れ気味になって棚がスカスカ。やっぱりこれこの地域大発生してない?
ゴキバリアが2本だけあったので、1本買って玄関の外と、ベランダのエアコン室外機周りと窓周りにかけた。
もういい加減会いたくない。というかリモートワークでよかったのか悪かったのか難しいところ。
先日書いた記事に色々とコメント(トラバいうんか?)がついていてなかなか楽しかった。
娘のうんちパンツがキツイとかこんなに赤裸々と「イヤでたまらない」気分を吐露するのは新鮮だった。夫を憎むネット垢の人達の気持ちが何となく分かった。
「ガイの子供はガイ」という「普通」ではちょっと考えられない無神経炸裂なご指摘もあれば、「病院及び児相を試してみたら?」という建設的なご意見も頂いた。
精神医療にはもう既に7歳の息子を除き家族皆でお世話になっている。
私は昔から考えすぎる性分だったので子供の頃は人生に絶望していたし今でもちょっとしたことでイライラが昂じるので「うつ」だという自覚はある。薬は嫌いなので飲んではいないが、俗に言う心理療法に通っている。
娘は8歳から児童精神科のお世話になっている。投薬なしの遊戯セラピーでどんぐりの孤児院を作っているらしい。
旦那と二人でカップルセラピーも試した。「合う」人に中々巡り会えなくてセラピー難民になったが。
病院に行けば即問題解決するものではなく、行くことで問題と取り組む機会が与えられるくらいなので色々と試行錯誤している。
別に増田で問題解決を求めていたわけではなかったが、コメントで「とりま病院へ。。。」とか「どこかに預けてみたら。。。」というご意見がちらほらあったのは興味深い。
助けになりたい。
と思って頂けることはウザいと同時に有り難いものだ。
「思春期女児を理解できない未熟な親」みたいなコメントもあったが、思春期もクソもない。娘のことは生まれた時から理解不可能だった。
「おっぱいがなければ生きていけない」オーラを出す孫娘を見て、私の母は羨ましそうに言った。「貴女はおっぱいが嫌いで口に含ませてもペッと吐き出されてがっかりした。」グラマラスな母や祖母とは違い、父の家系の女性に似て胸も尻もペラペラな私は「おっぱいでなかったらどうしよう。。。」と不安だったが、授乳は大きな問題もなくすんなりできたし、離乳も3歳を過ぎた頃には、「吸っても吸っても何もない。。。ぺっ」って感じで自主的に止めてくれた。徳川家康みたいに6歳まで吸われたらどうしよう。。。と思っていたのでホッとした。
おっぱいが嫌いな赤ん坊だったことは流石に覚えていないが、子供の頃から「生きるのだるすぎ。。。死んでみたい」くらいに思っていた私には、3歳くらいから夜になると死ぬのがコワイとシクシク泣く娘が理解できなかった。喘息がちで息をするのが「痛い」思いをした私は、6−7歳位から「いきすることがこんなにキツイなら死んだ方がラクだろう」と思い始めていた。
暗くなると心細くなるのか、「眠ったら死んでしまうかもしれない」とか「寝てる間に何か楽しいことを逃してしまうかもしれない」とゴネる娘は、とにかく風呂に入りたがらず、歯ブラシもパジャマもちゃっちゃとしてくれず、おねんねタイムがバトルだった。寝付きも悪かった。学校も小学校中学年くらいまでは朝ごはん、お着替えのバトルを繰り広げた挙げ句、家をでる直前になって「行きたくない」と玄関先ですったもんだすることもあって「詰んだな。。。」となることもしばしばあった。
学校で先生に死ぬのがコワイと言って、カウンセリングを推められたこともあり、児童精神科に相談した。良い先生にあたったので遊戯療法を始めてかれこれ4年目になる。友達と遊びたくても「行きたくない」とは言わないのでかなり楽しいのだろう。
パンツにうんすじも困ったが、幼い頃から家具に性器をこすりつける癖があった。3−4歳の頃、お泊りに行くほど仲良いお友達の家でもやっていたそうだ。一番最初に気づいたのは生後1年目くらいだったと思う。授乳が終わって娘を膝にのせてうとうとしてたら脚にまたがって「これは。。。?交尾されてるのか?」と思ったことがあった。
またまた比較してしまうが。。。息子は「泣くな」と言ったこともないのに、2−3歳くらいから歯ぎしりをして涙を堪えたり、爪を噛んだりもしていたし、お風呂の時にちんをいじることはあっても「交尾されてる?」と感じたことはない。
娘が2−3歳くらいから爪を噛み始めた時は、こんな赤子でも爪かむのか。。。?!とびっくりした。育ってからは貧乏ゆすりや爪を噛むところは見なくなったが、娘の足の爪は伸びても手の爪は切る必要がないくらい短かったのでああ、噛んでるんだろうな。と思った。学齢期には家で宿題をしてると椅子と交尾することが目立つようになったが、そのことで娘に嫌悪感を抱いたことはない。
というのも、私も物心ついた頃から保育園のお昼寝が苦手で、退屈を紛らわせる為にすまた方式の自慰行為をしていたからかもしれない。小学校に上がってからは家の外で自慰をしたことはないが、先生にヒステリックに怒鳴られた時には自慰衝動を感じた。真面目で気弱で優しそうな若い先生で第一印象は好きだったのでショックだった。
自分にそういう経験があったので、娘の自慰行為に対してもああ『こんなことやってられない』と絶望感を感じてるのだろうな。と思っていた。
幼い頃は旦那も私も何も言わなかったが、友達の家でやっていた、と聞いてからは椅子と交尾している時は「椅子がダメになるから止めて。」と言って止めるようにした。注意するようになってからも長いこと続いていたけどいつの間にか見ないようになった。
前記事の整体の先生の話は興味深い。というだけでだからどうだ。という話でもない。人恋しい気持ち、不安、絶望、憤りを自分で慰めるとという「自慰」という言葉はよくできてると思う。
自分が経験したことは「理解」可能なので「何でやねん」と嫌悪感や批判的な感情も抱かないですむので気分がラクだし、寄り添うこともできる。保育園のお昼寝は大嫌いだったが、夜は早く寝たかったし、思春期以降は寝るのが大好きで授業中でも机につっぷして寝てた。6時間睡眠な娘は理解できない。
娘は今でも寝付き悪いし寝言が多い。数日前には夜中に「足が痛い。」と叫んでいた。
学校の成績は中の中くらいで先生や友達とも問題なくやっている。コロナの遠隔授業も課題も自分一人でちゃんと予定表を作って頑張ってこなしていた。
コロナで友達に会えないことや、先が見えないことがキツいと愚痴をこぼすこともあるが、ラインやインスタでなりに楽しくやってるようだ。
ここ2−3年「全て面倒みてあげなければならない」切迫感がないのはラクだが、喧嘩ばかりしていることがキツい。
前の記事でも書いたが息子に意地悪な気持ちになるのは予測できた。男の子のことは理解できない。と思っていたからだ。女同士分かりあえるはずの娘に対してこんなに嫌悪感を感じるとは意外で「自分はこんなはずではなかったのに」感がキツイ。事更にうんちパンツがキツイと書いたが、うんちの扱いは布おむつで慣れているハズだ。前回の記事に汚くて不愉快だ。という感想を頂いたので尾籠な話が嫌いな人はここで止めて欲しいのだが、私は生理用ナプキンが苦手で布を使っている。どんなにサラサラを謳われてもカユイ感じがして嫌いだ。あんなものでお尻を包まれるのはイヤだと思って布にした。おむつの洗濯は苦ではなかった。
娘がパンツについたうんちをまるで存在しない物であるかのように「パンツを変える必要はない」と頑なに抵抗することや、臭いを指摘する私に怒りを顕にすることがキツかった。憎悪すべきはパンツについた臭いうんちなので、ちゃっちゃとうんちを排除できたら良いのだが。。。メッセンジャーの私が憎悪されるのは余りにも理不尽だ。
初潮がきたらどんなことになるのだろう。お赤飯なんて炊いたらめちゃくちゃ怒られそうだ。
私は娘に自分の体や体から出る汗や臭いを嫌悪するような女性になってほしくない。
だから胸がふくらんできた彼女に「ママも大きなおっぱいがよかった」と言ってる。
12歳にもなったのだから自分が汚したものは自分で洗って欲しいのだが、彼女にしてみたら「私はまだ子供なのに何故全部自分でやらなければならないのか」と絶望的になり憤りを感じるらしい。
コメントで娘に無力感が伺われる。と言った人が居た。どこの誰か知らないが、娘のことをよく分かっておられると感じた。
「ママと仲良くできないのが悲しい。」発言はどこから出たのか。。。とつらつら考えていたらその晩の、直前の出来事を思い出した。
弟が「ママとお姉ちゃんが一緒じゃないとしっこに行かない」と言うので何があったのか聞いたら姉ちゃんと二人でコワイ動画を観た。という。
「そんなもん観てコワくなるならネットを使うな」みたいなことをイラ立った声で言ったら
娘が明らかにムスっとして何も言わず、息子に携帯で動画を見せ始めた。
「なるほど。そうやってカワイイ動画観たらコワい気持ちもどっかに行っちゃうね。流石はお姉ちゃん、いい考え」
と褒めたら彼女はびっくりしていた。
「ネットを使うな」という私への反抗心丸出しの行動だったので、私が怒らなかったのが意外だったのだろう。
私としては「コワくてトイレに行けなくなるようなもんは見るな。」という意図での発言だったのだが「いらんでモノをまた見せてくれて。。。」とイラついていたし、娘はむっとしてたし「キーキー煩いぞ。」と、戦闘態勢に入りかけていた。息子が一人でトイレに行けるなら万々歳なので苛立ちがどっかに行った。問題解決できるカシコイ娘は嫌いじゃない。
そんなこともあったからか、今朝、開口一番娘が
「ママ変わったね。今週まだ一回も喧嘩してない。まだ水曜日だから先が長いけど。意地悪なことを言いたい気持ちを頑張って我慢してる。」
と言ってきた。黙って弟に動画を見せてた時、むすっとしていたけど何も言わなかったのは頑張ったってことだろうな。と思った。
私が変わったのではなく、変わったのは娘の方だと思うのだが。。。
そういえば旦那も先ごろ似たようなことを言っていた。
と言われた。
「私が変わったのではなく君が『メガネがない。家が汚いから何がどこにあるか分からない』と他責口調で怒鳴ることがなくなったから私も下らないことでイライラしないだけだ。」
と言ったら「僕は今までそんなに怒鳴ってばかりいたのか。。。」と悲しそうだった。
旦那が「怒鳴ってばかりいるので私もイライラする」と言っても「僕は怒鳴ってなんかない」という不毛な会話を繰り返し、私達の話を聞いてた子供に「パパ、いつも怒鳴ってるよ」と横入りされても「そうかなあ。そんなつもりはないのに。おかしいな。」とトボケたことを言っている人だったのに。
娘にも
「娘やパパがきーきー怒鳴らないからママもイライラしないだけ。」
と言いたかったけど、それでは角が立つと思って
とだけ言っておいた。
けど、今から考えるとご指摘にもあったように自分が無力であるという重さに耐えられず逃避行動に耽り、イライラや不安が昂じて感情的に爆発し他責する傾向を示す娘や旦那には
「君が私にムッとしても怒鳴らないで我慢したら私も意地悪な気持ちになっても怒鳴る様なことはしないよ。私が変わったのは、君が変わったからだよ。」
と言えばよかった。と思ってる。
既に見えてる風景でも他者の視線が入ることで見え方が変わった気がする。どこの誰かは知らないが、増田さん、ありがとう。
あと、ネットは好き勝手に何でも言える自由な場所ではあるが見ず知らずの相手に「気持ち悪い」とか「頭も心も悪い」とか「飯も時間通りに食わせられない母親に子供を育てる資格はない」とかいう無神経な暴言を吐くのは止めておけ。リアルでもどんどん自己規制心が緩んでキレ散らかす困った老人になって孤独な最期を迎える可能性を大きくするだけだと思うよ。
不躾な増田達には、どうしても暴言を吐きたいのならせめて何故自分がそう感じるに至ったのか自省し、言語化する努力を見せろ。と言いたい。
ということで、長々と書き綴ったが、気持ちの整理がとりあえずついたのでおしまい。
見ず知らずの増田達よ。私の気分悪いお話にお付き合い下さり、コメント書く時間も費やしてくれて、ありがとう。
またどこかで会う日まで。
一つ前の日記に心療内科にかかったことを書いたが、この卒論が主な原因だ。書こうとすると息苦しくなり、なかなか取り組めない。食欲もなく、吐き気や無気力感、激しい落ち込みに襲われうずくまってしまう。卒論を思うと喉の奥が詰まって心臓が痛くて、苦しい。そういう浮き沈みの激しい感情を沈めるために泣いたり、横になったり、ぼうっと眺めていられるTwitterなんかを開いたりして自分を宥めるのだが、当然、親からすれば何もしていないに等しい。ただの現実逃避だ。
今日一日何をしていたの、どれくらい進んだの、何も言えないってことは進んでないの、もう提出を諦めてるの、辛いのは分かるけど書くしかないんだよ、いつまでも現実逃避してちゃだめでしょ、何で何も言わないの、もうあなたが何を考えているか分からないと、矢継ぎ早に言われる。親も不安なのだと思うし、言っていることはどれと正しい。だが、私も、こう言われると書かなきゃ、書かなきゃ、という焦りに襲われて逆に何もできなくなる。書けなかったらどうしよう、また息苦しくなって横になったら怒られてしまう、1ページ進められるだろうか、ちゃんと卒業できるだろうか、私は私なりに苦しい気持ちと戦って、カウンセリングや心療内科にもかかって、何とか振り幅の大きい感情を宥めながら、過ごしているのに、親には分かってもらえないのだ、何度も、書くのが辛くて、何とか頑張りたいけどなかなか頑張れないと打ち明けたが、辛いのは分かるけど書くしかない、できないなら学校をやめろの一点張りで、その言葉がますます私を苦しめる。親の言葉は至極正しいからなお苦しい。何を言っても責めているようにしか聞こえなかった。スマホを没収されそうになって、先生との連絡に使っているからと何とか回避したが、スマホがなければこうして辛い気持ちを吐き出す場もなくなってしまう、それすら奪おうとするのかと思うと、親は、私の辛い気持ちを、だから何という程度にしか思っていないのだと思ってしまう。だから病院に行ったことも言えていない。打ち明けて、病院なんかに行く暇ないでしょと言われたらいよいよ立ち直れなくなる。不安な親の気持ちも分かるのに、私の中でどうしてそんな酷いことを言うのだという気持ちが止まらない。私は私の感情だけで手一杯だ。病院の先生には自分のことだけ今は考えましょうと言ってくれたが、親の言葉がざくざく心を抉る。辛い。息苦しい。心配しているという言葉を一つも信じられない。今日は朝から調子がよくて、息苦しさも軽くて、朝ごはんもちゃんと食べれて、遅れを取り戻そうと前向きな気持ちでいたのに、親に上記のようなことを言われてまた息苦しくなってしまった。涙が止まらない。机の前に座っていても集中できない。書かないと責められる、そう思うと苦しくなって思考が止まる。親は私のことが心配だから声をかけると言うが、もう何も言わないでほしいと思うのは、とんでもないわがままなのだろう。食べさせてもらっている身で酷い言い分だと思う。私が書けばいいのだ、それで全て解決する。それなのにどうしてこんなにも苦しくて息が詰まるのだろう。不安で不安で爆発しそうだ。ぜんぶ私のせいだ。早く消えてしまいたい。不安定な情緒が苦しい。もう全部が嫌だ。だめだ。逃げちゃだめだ。書かなくちゃ。
24歳女、大卒未婚、関東在住、年収140万円ほど。手取りは月8万円くらい。金融資産なんてもちろんない。交通費も経費おりないので、自腹。
○家賃について
セフレ関係のような、よく分からない曖昧な関係の男性とシェアハウスをして、月2万くらいで暮らしている。1人暮らし用の広さなので、もちろん狭いけど贅沢は言えない。
基本的に自炊。近くに商店街があって、夕方安売りになった惣菜+米を炊くだけという日も多々ある。1日1000円以内になるくらい。飲み会は奢ってもらえる飲み会しか基本的にいけない。
朝ごはんにおにぎりかパンを1個買ったりする時にコンビニは使うけど、普通にご飯食べようとするとコスパ悪いからいかない。スーパーの弁当も、3割引き以上じゃないと買わない。
どうしても必要な時だけユニクロ、またはZOZOでセールしている服をブランド関わらず値段と見た目だけ考慮して適当に買う。基本的に服は買わない
年収上がるまで、今の家に住まわせてもらってるので何も文句言えないし、他の人とも付き合えないと思っている。そもそもデートする金もない。
○車について
もちろん無い
○貯蓄について
貯蓄は無理。奨学金の返済と税金やらなんやらで、生活費をギリギリ保つのが精一杯。どうしても生活費費足りない時は、家賃を翌月にまわしてもらったり、ちょこちょこ消費者金融から借りてる。
○旅行について
Youtubeでおのださんの機内食や、海外ホテルレビュー動画みたりして現実逃避するのが楽しい。現実は、国内日帰り旅行さえも痛手すぎるので無理。
年収140万円でも、ぱっと見みすぼらしくならない程度に暮らすことは可能。
https://anond.hatelabo.jp/20200530164357
元増田を参考に書いてみました。前職の年収は倍以上あったのですが、生活レベルは元々低かったのでなんとか暮らしていけてます。早く一人暮らしがしたい。
母の話によると父はタバコの吸い殻をダンボールにためていたらしい。なぜ父はそんなことをしていたのかは分からないし、なぜ母もそれを危険視しなかったのかはわからないが、とにかくそのせいで燃えた。
僕の昔住んでいた田舎の実家はそうやってなくなった。次に見た時には簡単に整地されており、何を入れているかはわからないが小さな物置だけが建てられていてぽつんと建っていた。整地するためにお金が足りないということで僕も30万円を母に渡していた。
その後、父と母と、一緒に住んでいた次男は一時的に市営住宅のようなところに住んだ。向かいの家ではうさぎが放し飼いにされていた。しかしボロすぎて辛かったらしく、最終的に家を買った。今もそこに住んでいる。その家は2階建てで部屋もたくさんある広々とした家だが、前の住人が物置で首を吊って亡くなったため1千万円弱で購入できたらしい。
父はぶっ壊れていた。
僕が小さい頃の記憶を思い出してみると、父と一緒にファミコンの難しいステージを試行錯誤しながら一緒に攻略したり、将棋で対戦したりしていた。父の仕事場が家から歩いていける距離にあったため、小さな僕はたまに仕事場まで歩いていき、父が仕事が終わった時に一緒に原付きに乗せてもらって家まで帰ったりしたこともあった。
しかし父は脳に異常があった。その関係で度々入院したり、手術を行ったりしていた。何度も仕事を辞め、何度も新しい仕事をしていた。
そのためうちは母がメインで働いている。働きに出ている母のかわりに家事はおじいちゃんがメインで行っていた。食事、洗濯や、子どもが病気になった時に病院に連れて行ったり、雪で学校へ行けそうにない時は車で送って行ったり。
父は特に前頭葉に異常があり、理性を保てずふとした拍子に豹変することがあった。僕らがゲームをしていたら急に部屋に入ってきて怒り出したり、部屋で普通に過ごしていただけなのにちょっとした発言で急に説教をはじめたりしだした。
一時期はおじいちゃんが目の敵にされていて、おじいちゃんのやることなすこと全てに文句をつけて自分のやり方を強要したり嫌がらせをしたりしていた。ある日次男は父に「殺いたる!」と言われながら追いかけ回されてトイレに閉じこもって避難したりしていたこともある。僕もある日「ボケてるんじゃないの?」と父にいったらそれは禁句だったらしく、急に後ろから思い切り殴られ、しばらくの間耳が内出血した状態で過ごしていたことがあった。
あとは理性が効かないためパチンコにもハマっていた。生活費をほとんど持ち出してしまったこともあるらしい。そのため家族は色々と対策をしていたようだ。とにかく数え上げればきりがない。家族みんなが何度もひどい目にあっていた。いつ何で発狂するかわからない父と過ごす毎日は地獄だった。僕は本当に父のことが大嫌いだった。
中学、高校の頃は僕も思春期を迎え、なぜ僕だけそんな境遇なのかと自分の人生を呪った。特に僕は人と接するのが不得意だったこともあり、なぜみんな日々学校であんなに楽しそうにすごしているのに僕は何もうまくいかないのだろうかと感じていた。そして僕はきっと父親のせいでこんな風になってしまったのだろうから全てが父のせいだと思っていた。
高校で1日が終わったあと、僕は毎日夕方遅くまで部室でだらだらとすごしていた。やることがあったわけではないが家で父と顔を合わせたくなかったからなんとかむりやり時間を潰していた。そうして父がご飯を食べ終えて2階の自分の部屋に閉じこもるあたりの時刻に帰宅するようになっていた。たしかそのあたりでは父に話しかけられても全て無視するようになっていたと思う。正直、早く父がこの世から消えてほしいと思っていた。
進学は田舎から遠い関東の大学を目指した。高校での人間関係は何一つうまくいかないし、家に帰っても狂った父親が家にいることが耐えられなかった。とにかく全てを捨てて新たな地で心機一転新しい生活をはじめたかった。
結局僕は関東の大学に合格し、そっちで一人暮らしをはじめた。自分以外誰もいない家。好きなことを好きなだけでき、誰からも急に理不尽な文句を言われることが決してない、人生ではじめての心から落ち着ける空間だった。
外での人間関係が決して完璧にうまくいくわけではなく苦悩も多くしていたが、それでも大学のサークルに入ってみんなと普段から活動し、その中でいつも遊べる友達も出来てそれなりに充実はしていた。
そんな4年間を過ごし色々なことを経験する中で、僕の心も徐々に溶けていった。
色んな失敗をした。失敗をする中でなぜ僕はこうもうまく行かないんだろう? と考えた。一生このままで生きていかなければならないのだろうかと思った。そんな人生に何の意味があるのだろうかと思った。何もないのであれば死んだほうが良いのではないかとも思った。何かある度にすぐ父のせいだ、と思った。しかし、父のせいにすることは何の意味もないことにある日気づいた。たとえ本当に父のせいだったとしても、この先幸せになりたいのであれば、僕自信が変わっていくしかないのではないかということに、運良くたまたま気づくことが出来た。
それに気づいてからは父のことが頭によぎることがなくなった。自分にとって重要なことは、今後自分がどうしていくか、ということだけとなった。過去は何も関係ない。ただひたすら未来を描いて進むことだけが重要なこと。ひたすら考えて、考えて、考えるようになった。
そうやって過ごしているうちに、いつの間にか父のことを許していた。正確には、父に対しての興味を一切失った自分がいた。
僕は性格的に、一つのことに極端に集中してしまう傾向がある。大切な物は愛おしい。しかし自分に全く関わらないものには興味が無い。ちゃんと考えて話している人の言葉は気になる。しかし思考停止で人を傷つけるだけの言葉には全く興味が無い。嫌悪ではない。そんな人は世の中にたくさんいることが当たり前だからどうでもよすぎて興味が持てない。だから父のことも興味が持てない。しかし形はどうあれ、許すことも興味を失うことも同列だったため、僕の中で父のことは全てが解決した。
僕は自分の普段の生活のことばかりを優先して考えていて、あまり実家にも帰らなかった。たまに帰った時やたまたま母から電話が来た時に話をするのだが、父は窃盗もするようになっていた。窃盗と言っても数千円を盗むくらいだったらしいが。
とはいえ特に意外性はなかったし、その後どうなったのかなども興味はなかった。しかし一緒に住んでいる母としては大問題だった。家族が盗みを繰り返すのを放置してはおけない。
結局そのあたりから、母は自分が不在の時は時々父を介護施設に入れるようになった。もちろんはたから見れば早くそうしとけばよかったじゃん、みたいな話だろうと思う。事実母も父と離れる時間が増えることで精神的にはかなり楽になっていたのではないかと思う。
しかし、施設の費用はそんな安いものではない。時々だけとはいえそれなりの費用がかかる。家のローンに加え、介護費用。そのころ母はもう60近かったがとにかく定年まで働かねばと嘆いていた。
そしてなんだかんだで月日が過ぎ、父はどこかの溝に落ちて負傷してしまったらしく、自分で体を動かせなくなってしまった。完全な要介護者となった。
僕はといえば、そんな話を聞いても全く興味が持てず、帰省したときにも特に会いに行こうとは思えなかった。というかそういった発想すら出てこなかった。もう僕の中では全てが終わったことだったため、このままもう二度と会わなくても別にいいと思っていた。会ったほうがいいんじゃないかと兄弟に言われたりすることもあったが断っていた。
それから数年が経った2019年の年末ちょっと前に母から連絡が来た。父がもうそろそろ長くないとの話だった。丁度正月前後に亡くなるかもしれないということだったため、喪服などを購入して準備をした。
しかし、年末近くになり、再度連絡が来た。どうも結局峠を超えて今のところ問題ないということだった。
年末になり、実家へ帰省した。正月はだいたいいつも帰省し、子どもたちを妹の子どもたちと遊ばせたりしている。
さすがに状況が状況だったため、自然と父のところへ行く流れとなった。僕は別に行かなくてもいいと思っていたが、妻が子どもたちと父を合わせてあげたいという事を言っていたため、それもまあ子どもたちにとって何かの意味があるだろうと思い、特に拒否もせず行くことにした。
母と僕の兄弟とその家族でそれぞれ数台の車に乗り、大人数でぞろぞろと介護施設へ行った。
部屋に入るとベッドに横たわっている父がいた。父はもう当然自分では動けない状態で、しゃべることもできないため、うー、うー、とずっと唸ったりしていた。目が合うような気もするが特に変わった反応もなく、何を考えているのかは分からないし、そもそも何かを考えることが出来ているのかもわからない。結構多い人数で来たためぐるっとみんなでベッドを囲み、ぎゅうぎゅう詰めとなる。みんなで父の様子を見て、きっと大勢来ているから父もびっくりしているだろう、とか、喜んでいるときの声だわ、みたいな話をしていた。
父はたしか僕の子たちを見たことがなかっただろうと思うので、子どもをそれぞれ抱きかかえて父の目線の先に連れて行った。特に反応もなく、自分の孫だと分かっているのだろうか、分かっていないのだろうかもよく分からなかった。
そんなこんなでそこで少し過ごし、写真を撮ったりして帰ることになった。
最後に大人たちがうちの子に「早く元気になってね」と言ってあげて、と促した。7歳の長男と5歳の次男がそれぞれ父に、まだ幼い可愛らしい声で「早くおもちゃ買ってね」「早く元気になってね」と一生懸命伝えた。すると突然、父が今までと違うかなり大きな声であー、あー、と言った。みんなびっくりしていた。一応子どもたちの言葉は伝わったのだろうか。詳しくはわからないがそれっぽかった。
それから半年ほど経った。コロナが流行し、緊急事態宣言が発令されて終了した頃。2020年6月29日、朝起きたら妹からLINEで父が3時頃に亡くなったという連絡が来ていた。月曜日。
妹に電話してみたところ、コロナのこともあるし別に来なくてもいいよ、ということを母が言っているとのことだったため、僕は葬儀には行かないことにした。僕も正直葬儀には興味が無いし、それよりも子どもたちに学校に行かせたり普段の生活をおくらせてあげたかった。
しかし妻が不安になって再度母に連絡をとってみたところ、そんなことは言っていないらしく、来いと言われた。一体なんなんだ。
とはいえコロナのこともあるし、妻もちょっと体調的にウロウロできる状況ではないため、僕一人だけ行くことにした。
葬儀は7/1。朝からだったため前日に仕事を終えたあと実家に帰った。弟や甥っ子たちも実家に来ていた。大切な父……というわけでもなかったため、みんな普通に過ごしており明日が告別式ということも忘れそうだった。
次の日、起きて甥っ子たちはフォートナイトをしたり、みんなでだらだらと朝ごはんを食べたりしていた。そうこうしているうちに時間になり、葬儀場へ向かう。
葬儀場は宿泊できる部屋があり、実家にいなかったメンバーはそこにいた。しばらくすると大阪のおじちゃんとおばちゃんがきた。それぞれ父の兄弟で、夏休みや冬休みには僕の兄弟と同じくらいの子どもたちをつれて実家に遊びに来ていた。大勢でマリオカートをして遊んだりしていた。おじちゃんにはいつも海につれていってもらっていたし、おばちゃんは逆に夏休みに大阪に泊まらせてもらっていたため二人とも馴染み深い。
おじちゃんによると、父は子どもの頃に事故で頭をうったという。当時は額あたりの怪我の治療は前頭葉があるため、簡単にはいじれず、医師にも難しかったという。誰もしっかりとした治療はできなかったらしい。その後父は元気にスポーツをしたりしていたらしいが、大人になって障害が出始めたのはもしかしたらそのあたりが原因だったのかも、という話をしてくれた。とはいえ母も僕の夜泣きが原因だったのでは、と言っていたりするので何が原因かはよくわからず、おじちゃんの話も懐疑的だった。
しばらくして葬儀が始まった。みんなが部屋に集まる。何もよくわからない状態だったが言われるがままに並んで椅子に座った。部屋が暗くなる。導師さんが念仏を唱え、みんなで繰り返す。
その後も式が進行し、導師さんが話を始めたりした。誰なのかもよくわからないし、何を話していたかももう忘れてしまった。
導師さんの話が終わると、今度は親族代表ということでおじちゃんが話をすることになった。おじちゃんは前に出てきたのだが、マイクと全然違うところで話をし始めた。式場のスタッフを見るとあわてておじちゃんのところに駆け寄ってマイクのところに連れて行こうとするところだった。おじちゃんはいわれるがままにマイクのところまで行ったのだが、なぜかマイクを背にしてマイクがない状態で話し始めたので再度スタッフが誘導したのがおかしかった。
おじちゃんはおじぎをしたあと、先程のように事故の話をし始めた。頭をうち、前頭葉があるため治療もできず、でもスポーツをしたりしていた、ということ。
そのあと、父が大勢の人に迷惑をかけるようになってしまったこと、そして、その父のことを母が最後まで面倒を見てくれたことを話した。すると突然、何か急にこみ上げてきたものがあったらしくウッと声を止めて泣き始めた。それを見て母も泣いた。なんとなく空気が変わった。
元々そんな雰囲気はなかったためびっくりした。僕はもらい泣きもしなかったし悲しくもなかった。ただ、みんな何かしらそれぞれ思うところがあるのだなと思った。おじちゃんからすれば身内がとんでもない状態になってしまって、父が元々赤の他人である母にひどい仕打ちをたくさんしてしまったことに申し訳ないという気持ちが非常に大きいのだろう。
母は実際にひどいめにたくさんあい、この年までずっと働き詰めで大変な思いを今もしている。しかし、お見合い結婚だったとはいえ、楽しく幸せな時期も経験し、僕らがまだ生きて経験したことのない年数を父と一緒に過ごしてきた。詳しいことはわからないが、そこには本人にしかわからない無数の思いがあるのだろう。自分と妻も一緒に生きてきているが、子どもたちはそこであった多くのことを何も知らない。当たり前のことなのだが、不思議なことだ。
そして、ここにそれぞれの思いを抱えた色々な人が集まったことも不思議に感じた。みんな何を思ってここにいるのか。僕には分からないが、何かを思っている。
その後告別式は終わり、父の棺にみんなで草花を詰めた。父の顔は処理を施されてつやつやしており、蝋人形のようだった。
その後棺を閉じ、それを男たちで車へ運んだ。そしてみんながそれぞれの車で焼却場の方へ向かう。
焼却場は僕が今まで行ったことがあるような汚い場所ではなく、きれいな施設だった。コロナの影響で焼却場には15人だけが入れるということらしい。父に近い15人が部屋に入る。部屋の中にある等間隔に並んだ足のマークの上にそれぞれが立った。
次に、父が入った棺が焼却する空間に納められた。スタッフがボタン類をアルコール消毒したあと、閉じるボタンを押した。機械により扉が閉じられる。
そしてどのボタンを押すと焼却が始まるかの説明を受け、準備が出来たら押すように説明があった。しかし誰も反応しないため僕が母に押しなよと促した。しかし、どうも嫌だったらしく、いやいやという手振りをしたので僕が押した。
その後は1,2時間ほど時間がかかるということで休憩の時間となった。密をさけるため、どの部屋も人数制限があり適当にバラけることとなった。弁当が用意されていたためそれを食べて過ごした。
しばらくするとスタッフから声がかかったためみんなで部屋に集まった。中央には棺の台を収めるスペースがあり、今は空いている。そのそばに長い箸がたくさんあり、それぞれがその箸を手にした。
しばらくして台が運ばれてきた。まだ熱く、気をつけるよう注意があった。その上には骨が置かれている。葬儀は何度か経験したことがあるため特に新たになにか思うということはなかった。そういえば昔妻が飼っていたうさぎを看取ったのだが、その時に焼却されて出てきた骨を見た時はとても悲しくて泣きそうになった。
スタッフに説明されながら、足から順に骨を入れ物に詰めていく。みんなで行ったり来たりしながらそれぞれ骨を詰めていった。思ったよりもポロポロともろい。頭の方になると、大きすぎるため箸で割って詰めていく。頭には手術の跡の金具がついていたりした。それも母が詰めていた。
そして一通り詰め終わり、葬儀の全ての工程が終わりとなった。皆それぞれ準備をし、帰宅した。僕も一度実家に帰って着替えをして荷物を整理し、車で帰路についた。
僕は仕事もあったし、あまり車で長距離移動をするのは事故で死ぬ可能性もあるし好きではない。そのためとにかく早く全てを終わらせたいと思っていた。なんとか生きて帰ってくることができたが、かなり疲れ果てていた。とにかくいつ始まるのか分からなかった大変な出来事が一つ終わり安堵した。
父が亡くなったが、母は元々次男と一緒に住んでいる。近くには妹の家族もおり、しょっちゅう甥っ子や姪っ子たちと遊んだりしている。三男もわりと話が好きで母によく電話をかけているらしい。僕は離れていて長期休み以外は音沙汰も無いが、それでも母はみんなのおかげで楽しく暮らしているように見えるため特に心配はしていない。
父がいなくなったことで母は父の介護費用を払う必要がなくなった。だいぶ生活も楽になるのではないかと思う。僕は本当に良かったなと思っている。
昔「家、ついて行ってイイですか?」という番組を見ている時に、一人の若い女性の家に行く回があった。
その女性の家には父親がいるのだが、要介護のため自分では動けない。女性はその父親の介護をしていた。自分では動けないため、あらゆる事を補助してあげなければならない。朝起きてから、昼食、夕食、風呂、トイレ、あらゆることだ。もちろん生活のため仕事もしている。ヘルパーさんがいたのかもしれないが、それでも何もなく普通の生活をしている僕らには想像できないレベルの大変な毎日であることは間違いない。
女性はまだ若く、色々なことがしたい年頃だろう。彼氏を作ってデートをしたり、友達とショッピングに行ったり。インドア派であればゲームをしたり、ゲームのキャラにハマって腐女子をしたり、好きなアイドルのライブにも行ったりしていたのかもしれない。しかし、全て介護のためできない。ただひたすら介護をしなければならない。夢もあったのかもしれない。でももう諦めてしまったのかもしれない。
父のため仕方がない、と思いながらも、女性が毎日どれだけ苦しいかを想像をするだけでも苦しくなる。
その父はどう思うだろうか。自分の娘が自分の介護のために全てを犠牲にし、尽くしてくれている。ありがたいと思うだろうか? 僕だったら死にたいと思う。一生懸命育てた自分の娘。小さな頃から育てながら思うことは、この子が楽しいことも辛いことも含め色んな事を経験し、苦悩しながらもそれでもたくさんの素晴らしいことを経験しながら歩んでいき、やりたいことをやって自分の未来を掴んで幸せになってくれればいいなということ。どんな未来でも自分が進みたい方向に進んでいってほしい。
しかしその全ての未来を自分の手で摘み取ってしまう事になったとしたら。耐えられる自信はない。すぐに死に、失いかけていた大切な未来を与えてあげたいと思う。若い娘がそのような境遇にさらされて多くの時間を失ってしまうことは世界にとっても大きな損失だ。
でも、死ぬということは難しい。自分で死ぬ覚悟ができるものかどうかは全くわからない。さらに介護されている状態で自分で死ぬこと自体がそもそもできない場合もあるだろう。
この世には安楽死が必要だと思う。死にたくても死ねない人を助ける制度が必要。綺麗事だけでは救われない人達がいる。その人達が救われる世界になってくれればいいと思う。しかしどうすればそういう世界にできるのかは壮大すぎて僕にはわからない。とにかく僕にはこうやって苦しむ人達がいるということを文字にして発することしか出来ない。
とにかく、その一つとして父が死んで本当に良かったと思う。
ここ3年かそれ以上かぐらい、
きっかけは、もうすぐ30代だし、健康診断とか気になってくるだろうし、
何より菓子パンが好きすぎてめちゃくちゃ食べたいしやめられないので、
「とりあえず野菜350g以上食べて、あとは好きなモノ食べよう」ということにしたのだ。
サラダの具材は野菜4種類と満足感が出る具材合わせてだいたい10種類。
レタス系、トマト、小松菜、ほうれん草、オクラ、MIXリーフ、にんじん、たまねぎ、なす、ズッキーニ、かいわれ大根、ブロッコリーなどスーパーで手頃な価格のやつらへんから選んで小分けに茹でたり切ったりしてボールにポイ。
最後に、調味料5種類ぐらいまぜたドレッシング的なものをぶっかけて混ぜる。
で、どんな感じかという経過をここに記しておきたい。
・とりあえず毎日快便
2週間ぐらい出ないってのが当たり前。
そんな幼少期から超便秘だった私が今では毎朝必ず出るようになった。
きのことか入れたり細い骨ごと食べたりしているのも関係しているかも。
※同時にジム通いだしたり(コロナで今は行ってないけど)、階段の上り下り毎日10階以上したりと(これは今もしてる)、横腹の筋肉動かしてるのもあるかもしれない。
・なんか確かに前より体調いい
具体的に何だよと言われると難しいけど、ハツラツ感はある。菓子パンや米を朝ご飯に食べるよりはシャキッとする。これはカルディの水出しコーヒーを飲んでカフェインを摂っている影響かもしれない。(とってもおいしい)生理前後に寝込むことはあるが、風邪とかは確かに引いてない。コロナもならずにいければいいな。
・衰えを感じづらい
3年の間に20代から30代になったけど、変化らしい変化は今のところない。老けないということは、結構すごいことなのかもしれない。これはまあ同時に運動習慣をつけたからってのが大きいかもしれないけど。あとはもともとの体質かもしれないけど白髪が周囲の同級生よりもやたら少ない。多分2本はあるけど。
肉メインの料理にしても、具材5種以上とかがふえた。具材が多いと味が複雑になっておいしいので肉が少なくてもおいしい。余ったら朝食べればいいから余る心配もない。
日中は菓子パン食べまくってるから、健康診断の血液検査は毎回数値あがってきている。やはり、野菜は万能ではないので全体的に気をつけないと健康ではいつづけられないのだなと実感。ここは最近、ちょっと意識して減らせるようにしている。
・「無理のないチャレンジ」でカラダの変化を感じるには数年単位が必要
なんか良い感じな気がするというのは確かにある。でも、例えば「そういえば毎日便でてる」とか、「そういえば!」と気づくのに少なくとも半年〜1年はかかると思う。だって無理のない範囲でだしね。でも、時間をかければ良い変化は起きる。あと2年たてば、もっといろいろな変化に気づきそう。
飽きると思っていたら案外飽きないってのがビックリどころでもあった。具材多い分、ドレッシングや野菜以外の具材を変えると案外いける。まあ朝ごはんってルーティンの人も多いしね。
・ニキビが減った
吹き出物というべきかいつも迷う。生理前に必ずできていたニキビの頻度が減った。そのかわり口内炎ができる頻度が増えたけども。(中にひっこんだのか?)ホワイトニングエッセンス以外(キールズがすき)の基礎化粧品は無印とかジョンソンアンドジョンソンとかハトムギとかの激安を惜しみなく使うタイプだけど、それでも肌キレイと言われることは少なくない。野菜の影響かもしれない。(キールズのおかげかもしれない)
これが本当に野菜の効果なのか、ストレスをなるべくかけない生活を心がけているからなのか、運動しているかなのかはわからない。でも、とりあえず私はこんなもんだ。あとは居酒屋いっても野菜メニューを欲するようになった。「オクラの浅漬け」とか「冷やしトマト」とか。もう半年ぐらい行けてないけども。
ひどい気分なので書き留めておこうと思う。
どこから書いたらいいかわからないので、気が付いたことや気持ちをそのまま書く。読みづらいと思う。
twitterを開くのも嫌になってしまった。ねたんでいるのか、単純に苦手なのか分からない絵描きさんがいて、最初はその人だけだったのに、界隈の人の身内感を見るのも気色悪くなってしまって、アプリを開かなくなった。液タブも今じゃただのサブモニタ。買ったばかりの参考書も一向に開く気が起こらない。
あつ森も楽しくなくなってしまった。
喧嘩の原因になって以降、なんとなくつまらなくなってしまって。やっと手に入れて、やっと好きな住民が来てくれたのに。もう少しで島クリエイターになって、自分の理想の島をつくれるのに。その「もう少し」がひどく億劫になってしまった。
恋人と話すのも辛い。
手があいている時間だけだけど、ずっと連絡をとっていたのに、どう返していいのかわからなくなってしまった。「私と話すの、今ストレスになってない?」なんて聞いてしまったことを今すごく後悔している。返事がないことにもまた気を揉んでしまって。黙っていればよかった。
ちょっとお高めのお菓子を奮発して買ったのに、以前食べたときのような高揚感が無い。単純に舌が肥えたのか、飽きたのか。考えてみれば、食べるの大好きなのに、朝ごはんも食べるのが面倒だった。これはいけない。でもお昼ごはんを用意するのも面倒。
寝転がっていたい。布団にくるまって、自分だけの世界に閉じこもりたい。でも今日は北海道からいくらが届く。冷凍便日付指定しているから、今日受け取らないと迷惑がかかってしまう。日付変更の手続きも面倒だ。人と話したくない。
若い頃、思春期特有のうつのような症状が出たことがあった。あの時もこんな感じだったんだっけ。あの頃はひどく眠かったことしか覚えてないな。
こんな風に怯えてばかりな私を、気にしすぎだと周りが言っているんじゃないかと不安になる。
人間関係を一旦全部整理したい。話したくない。一人になりたい。心配しないでほしい。黙っていてほしい。「大丈夫だよ」って何がわかるんだよ。ちがう、ごめん。心配してくれてありがとうって言わないといけない。酷い気分。
私が初代アカウントを作ったのは、2010年の夏くらいだ。botばかりフォローしていた。怖いモノ知らずだったので、「クリスマスの梅田で通行人をXXする」といった大量殺戮を示唆する犯罪予告を投稿していた。時効は3年らしい。
長い歴史で何か覚えているのかというと、毎日の朝ごはんのメニューを覚えているのかというのと同じで、長いお付き合いをしているため、逆に記憶があまりない。
沢山のアカウントを作っては消していた。長いお付き合いだ。煩雑な情報に疲弊している為、もう正直辞めたいのだが……のなんども思ったが、現代人の日常生活の一部になってしまったので続けている。
日本語ハッシュタグの大喜利に顔をしかめていたのに、アイドルの誕生日のタグイベントに参加するようになったくらいだ。
インタビュースもアスクもお題箱もマシュマロもやったことない、王道ツイッタラーなのだが、もうこういった交流ツールを使うことは一生なさそうだ。
ただただ、誰にも文句言われず、後ろめたく思うこともなく、ダラダラしたい。
ゲームやったり、好きな配信者さんの動画みたり、ひとりでだれにも邪魔されずゴロゴロしたい。
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朝、子どもたちを送り出すのに起きるのがつらい。
(もともと朝は苦手。夫は寝ている)
時間を管理しながら子どもに朝ごはん食べさせて水筒持たせて、コロナのせいで検温とマスク忘れてないかのチェックも増え…つらい。
(朝ごはん、シリアルとか簡単なのにしていて、時々子どもにも作らすけど)
洗濯機かけるのがつらい。
洗濯物をたたまないといけないのがつらい。
(自分の分は自分でやれといってもやらない、放置していると山になる)
洗い物がつらい。
(数か月前までは食洗器にお世話になってたのに。今の部屋にもほしいが高額なので躊躇している)
掃除はもうしない。
(ほこりくらいで死なんじゃろ。私ハウスダストとダニのアレルギーだけど。数か月前まではルンバとブラーバにry)
(おはようございます、おやすみなさい、の一言ではすまない。10分~40分くらいとられる。できるだけ逃げる)
仕事がつらい。
(接客まじで向いてない。電話きらい。メールもきらい。制作だけしていたいのに、なんなら経理や労務もしている。そして固定給になったタイミングでなぜか週7勤務みたいになってしまった。なんでだよ。転職という選択肢は離婚以外ない…が、離婚したとしてもキャリア的に現実的ではない。パートがせいぜいか。)
(お小遣いほしいなら副業したら?とか言われた。いつやれと?とにかくここはなにか考えないといけない。美容院くらい気兼ねなく行きたい。)
子どものお世話がつらい。
(なんで音読の宿題を毎日私が聞くのだ、ほかの家族でもいいじゃないか。)
(歯磨きやお風呂の管理なんてできない、そろそろ個々で風呂ってくれないものか。何年生からならいけるのだ)
(動画をひとりでゆっくりみたいのに、一緒に見たがるのがほんと困る。夫が嫌がるから大きな画面にも映せない)
(すごくインドア派なので外に遊びに連れていくこともない。ふつうはもっとレクリエーション的ななにかをしているのだろう)
料理つくるのがつらい。
(もともと好きじゃない。そのうえ、私が好きなメニューは、肉とか揚げ物とかなので健康的でもない。野菜は美味しくないので一部を除き滅びよ。いやどちらかというと私が滅びたいな。とにかく最近は包丁を使わないメニューばかり。)
とにかく日々疲れているので子どもと同じような時間に寝てしまう。が、疲れは取れた気がしない。
ここ2週間くらい、毎朝じんましんが出るようになった。かゆい。
今日は昼間にもじんましんが出た。仕事で長時間電話による接客をしたあとだった。かゆっ。
最初は寒冷じんましんかと思ったけど、もしかしてストレスとか関係しているだろうか。かゆー!
ちなみに義家族は子どもたちを預かってくれるような感じの人たちではない。
こうして書き出して、私のこの重たい気持ちがちょっとでも供養(?)されますように。
はー、美容院いきたい。好きな服を買って、お気に入りの服ですごしたい。脱毛とかエステとかもいきたいな。おいしいもの食べたいな。
ハッピーになりたい。
拾ったねこなので誕生日とかもわからないのだけど、20年前にボロボロのこねこを9月に拾った時に多分生後3ヶ月くらいだった。ということで毎年6月に健康診断と血液検査をすることにしているので、今年も行ってきた。
昔はワクチン注射もしていたけど、17歳の時に室内一匹飼いだし、老ねこには負担にもなるので。と先生がおっしゃったので注射はしなくなった。
幸いなことに腎臓の数値はまだそこまで悪くない。毎年ちょっとづつ減ってきた体重も今年は減らなかった(といっても2.7キロしかないやせっぽちだけど)。
ひと一人ねこ一匹の暮らしなので、平日の日中は20年間ほぼ留守番させていたのだけど、3月から在宅勤務になって今も継続しているので、これまで経験したことのないような距離感でねこと暮らしている。まあ、老猫なんでほぼ寝てるのだけど。
カリカリは常に出しっ放しだったけど、今までは朝と夜しかあげられなかったパウチのウェットフードも欲しいと言われればお出しできるし、ブラッシングしろ抱っこしろと言われたら可能な限り対応させていただいている。
私がずっと家にいるせいか、もしくは彼女の歳のせいか赤ちゃん帰りしているようなところもあるので、私のことを常に監視下においておかないとイヤみたいな雰囲気もあって、業務中振り向くとそこで寝てたりする。
病院の先生から体重が減らなかったことを褒められて嬉しかった。でも、あと足の関節痛が結構あるようですねとも言われた。確かにここ1年でよろよろするようになった。爪も大きく変形して切られるのを嫌がるようになった。
朝ごはんのために相変わらず朝5時には起こしてくれる。夜中にふと気がつくと顔の横にくっついて寝ている。さっきまで寝てたくせにテレ会議が始まってわたしが話し出した途端に大きな声で何か訴え出す。
もう残り時間も少ないと思うけど、その時まではこのままこうやって何気なく共に暮らしていきたいなと思ってます。
(以下追記)
みなさん、増田のうちにいるねこの長寿をことほいでくれてありがとう。
実家も含め、増田の周囲には20歳前後まで生きているねこが多かったのであまり意識してなかったのですが、振り返ると15歳過ぎるとみんなそこそこ持病を抱えていたので、うちのねこはかなり恵まれているのだと思います。
蛇足になるかと思いますが、一度くらいは人気エントリになった増田(!)に追記してみたいと常々夢見ていたので、ちょっと浮かれています点ご容赦ください。
目やにで固まった目を見開いて、見捨てたらお前を呪い殺すぞと唸りながらすがりついてきたこねこの顔をはっきりと覚えています。人馴れしていて、しかもしばらく前から周囲で鳴き声が聞こえていたらしいので、捨てられてしまったのかもしれません。そんな状況から一人暮らしの増田に引き取られたので、人への依存心が強いねこになったように思います。こねこの頃は実家ねこたちとも一緒に遊んでいましたが、世代交代した新参ものたちにちょっかい出されるのはたいそう気に入らないご様子です。
関節痛のお薬についても情報ありがとう。ソファやベッドに飛び乗るくらいはまだ大丈夫みたいだし、良いうんこが出た後のダッシュは今も健在です。なかなかの加速です。コンビニで買うおせんべいの口を縛っているきんいろにモールされた針金をひねったやつが大好きで、目の前にぽんと投げさせて、まえ足ではたき落とす遊びをよく嗜まれます。年取って動くのめんどくさくなってからは、おもにこたつで膝の上に乗った際に興が乗って気分良く遊んでいただけるようです。
ねこには九つの命がある。という説があることを浅学な増田はサクラノートというゲームで知ったのですが、うちのねこはまだそれほど回数をこなしていないようで、彼女からはまだまだこの先楽しい生活が何回も待っていることを確信している風情を感じます。九回目の最後の方に、ああそういえばこういう時もあったなあと思い返してもらえればうれしいなと思っています。ちなみにサクラノートに登場するトロイメライというねこのモデルになったねこさまは、増田ねこより年上にも関わらず今もますます美しくご健在です。という豆知識を持ってお礼にかえさせていただきます。
昔ネットで女子高生と知り合って、趣味の付き合いしてたんだけど、
「お金あげるからせっくすしたい」って唐突に言ったら「良いですよ」って言われたん。
援交はしてないけど、相手が僕で等価交換なら、って。僕はお金渡したから堂々とせっくすできるし、
彼女はお金もらったからちゃんとせっくすする。「相手が好きだから/嫌われたくないから」とゆう恋愛を排して、
「お金をあげたから/もらったから」にしたから、せっくすは楽しかった。
それからも半年に1度くらいで遊んで、他のちんこのこととか彼女の今彼のこととか聞いてた。
2年くらい連絡無いなー、と思ってたら、彼女はその間に結婚して出産して離婚してた。
そこら編の話しを聞きながら楽しくせっくす、と思ってラブホのドアを閉めたんだけど、
なんだか彼女の様子がいつもと違っていた。いつもは「せっくす気持ちが良いねー楽しいねー」なのに、
「増田さんは私の特別」とか、能天気さが無い。「中イキできるようになりたい」とか「ポルチオ開発」とか。
「右手遊んでるの乳首」とか「私変態な女でごめんなさいね、ひいてない?」とかじゃない。
(もしかして今回は楽しくないのかな)と思ったけど、ぴーんと分ったこともあった。
最初からあなるせっくすした。いつもはまんこの後だけど、ほぐさないで最初からは痛いかもだけど、
いつもなら「まずはまんこにでしょー」と反論する彼女も、僕のちんこが彼女の肛門に入っていくの、
2人で見てた。「みりみり」音がして彼女も痛いかなーと思うけど黙って見てる。
僕は普段は女子に優しくだからこうゆうふうにしないけど、今日は彼女は僕の言うことを従順に聞くと読んでた。
ある程度まで入ると「にゅるん」と級に抵抗がなくなる。あー僕のおちんちんは彼女のうんちに入ってる。
黙ってアナルファックされる女子、彼女(もち初めてじゃないよ)。
シチュエーション的にマウント取り放題。もち肛門の中に射精した。
精液には生理痛と同じ、腹痛を起こす成分が入ってるから直腸内に入れたままだとお腹痛くなる。
昔の彼女の話はせっくす冒険家みたいで、そうゆう彼女が好きだった。
だけどその時は「若い時の私は好きじゃなくてもそうゆうこと(せっくす)してた」って言ってて、
(楽しそうだったのにな。本当は辛かったのかな)とか考えたり。
結局3日間遊んだんだけど、3日目の午後に「私と付き合って結婚して」だった。
だと思ったん。前はお転婆エロだったけど、今回はおとなしめだったし(それでもやることはやるけど)。
「私と増田さんが結婚したらー、せっくすは週に4回かな。金土で2回か。
やっぱり5回?やりたいとき?毎日せっくすっておかしいのかな。
夜の9時くらいから始めて、元の旦那は10分とかで終わってた。
増田さんとくらしたら、バイブレーターいらないじゃん(さっき、アナルにローター、
おしっこしたとき振ってあげる。精液私に生で中に出して。妊娠しちゃってもいいよ。
全部私が受け止める」
チェックアウトが10時。10時前に荷物抱えて部屋を出て、違う部屋に入り直す。
入り直して僕は一息ついて、朝ごはんとか外は明るいなーとか考えてる時、
「早くせっくすしたいでしょ」かもしれない。部屋に入り直すだけだから、
そっと寄って後ろから挿入したら、すごく暖かくてボルテスVの合体みたいで、
「1人が持て余しちゃうかなー」
彼女は僕に気を使ってる。本当はおちんちん2本で彼女をいじめるのが正解で、
彼女はいじめられたい。「私増田さんと違うおちんちん入れられて気持ちが良い」とか言いたい性格。
もしも女2人の場合だとだとしても、彼女と別の女性には悪いけど噛ませ犬になってもらって、
彼女の相手する。でなければ、おとなしい彼女の後輩を部屋に連れてきて、
いきなりエロエロショー始めるも「なにしてるんですか?!」「先輩そんなことするんですね」
後輩は部屋から出ない帰らない。彼女が黙ってシャツ脱がせると、
「えっmちょっと、なんで脱がすんですか」と言いながら、平らな胸に乳首。胸隠さず。
彼女電マで股間刺激。「おなにーいつした?」「昨日。。」「おかずは?」
「自分の考えたキャラクターが、自分を抑えきれずに私に謝りながら私とするっていう。。」
彼女が後輩のパンツを脱がすときだって、その後輩は腰をあげたし、薄い縮れたまん毛だった。
「クンニされたい?クリトリス舐められたい?」「えっえっ」「指も気持ちいいけど舌はもっと気持ち良い」
彼女がするんかと思ったら、さっきから影が薄かった僕の役目だった。未経験だろうなー。
シャワーも浴びてないなー。れれろんれれん舐めた。しょっぱいし少し汗の匂い。
僕のちんこが入れられるかもとか想像してるのかな。思ってもないだろうな。
股間から顔を上げて後輩の全裸姿を見ると、貧相な体だった。決して悪口ではない。
後輩が僕のちんこを握ってきた。「固くて温かい。勃起してるぺにす。男の人のぺにす。ぴくんってした。
この先っぽの穴から白い精液が出る」。後輩はもう吹っ切れたようで、右手を自分の股間におなにーしながら、
左手で僕のちんこ握って、「おちんちんこわいよー。私本当はすごい変態で、」と言ったところで彼女が、「みんなだよ」と水を差す。
「四つん這いになってみて」と後輩にいうと、素直に「こうですか」と四つん這いになる。すごいちんこ入れられるフラグじゃない?
お湯で温めたバイブレーターを後輩のまんこに当てる彼女。「ひぎぃ」。
止めてくださいとか許してくださいとか体勢変えるとかしないんだなー。
「こんな処女喪失でごめんね。知らない男の人のおちんちんをが入れられちゃう。
後輩エロ変態だからエロ漫画みたいじゃん。このこと弱みに呼び出されて、いろんなおちんちんで輪姦されちゃう?」
そんなの嫌ですとか泣き出したりしない。なんかバイブレーターそのままはいっちゃいそう。
痛くない?非処女なのかな。おなにーでかな。彼女が「えいっ」バイブ入れたら、
後輩「はうんっ」て息が詰まった。彼女バイブの電源入れてうぃんうぃん動かしたら、
後輩「えっ」って振り返って、「バイブじゃん!」って切れた。
その後後輩の逆襲。僕に「私におちんちん入れたいですよね」と言ってくる。
僕の返事を待つ彼女。「私を強姦する予定じゃなかったんですか。私も味見してください」。
「してもいいよ」と彼女は言う。「先輩が見てる前だから、浮気とかではないですよね」。挑発挑発。
「フェラってこうでいいんですか?」。挑発ついでのフェラ。「歯を立てないように。顔を見ながら。おいしい。
大きくなってきた。元気ですねー。おちんちん好きかも。漫画の変態女の台詞」
「他のちんこ知らないのに?」「このおちんちん、ちんこ、ぺにすが良いのかな?ともあれこのぺにすは好き」。
「ぺにす欲しいです。ください」と後輩はベッドに仰向けで脚を広げた。
挿れていいわけないよなー。アナルになんてのはエロ漫画だし。彼女は挿れたきゃどうぞのスタンス。
後輩は寝取る気まんまん。
「彼女ちゃんごめんね」「どうして謝るんですか。ちんこびんびんじゃん。しても【いいけど、私の見てる前でなくてもいいじゃないですか」。
後輩が「じゃあ後日2人で?」と茶々を入れたときに、2人で後輩のまんこに僕のちんこが入ってくの見る。入った。
後輩泣きそう。「なんだこれ」って。
今夜は産まれないとタカを括って、いつもは湯船に入るけど、シャワーのみ。
寝付きが悪い。寝る前にやってたゲームを夢の中でもプレイしてる。
今振り返ると、前駆陣痛(本陣痛?)でお腹が張ってたから寝付きが悪くて夢を見てたのかもしれない。
6:55 破水
目が覚めてTwitter巡回してたら、どぅるんって胎動が下の方であった直後にシャバっと破水。
お股を手でガードしてトイレまで辿り着くも、便座に座る前に盛大にバシャっと床に落ちる羊水😂
陣痛の痛みはなし。
不規則に張る程度。
麻酔投入①
足、下腹部、腹部に保冷剤を当てられて、麻酔の効きをチェック。下腹部は本当に何も感じない(°_°)
4cmのバルーンを挿入。麻酔が効いてるため違和感程度の痛み。
麻酔がないとかなり痛いらしい、と先生から聞いて、麻酔の効きに感謝する。
11:00 やっと朝ごはん。そういえばたまに痛いかも!?程度の痛み。
11:30 お昼寝。蒸気でホットアイマスクつけてすやぁ(´-`)💤
陣痛用ご飯。かわいいサイズのおいなりさん1つとお味噌汁、一口ゼリー3個。
陣痛が激しくなったら、これしかご飯食べられないのかとびびる。
13:00 陣痛(腹部鈍痛)5分間隔に。
ゲームのイベントが14時〆だからひたすらリズムゲームに熱中。ゲームに気を取られてたら、結構痛くなってきた。
麻酔②追加。
13:45 陣痛2〜5分間隔に。
麻酔③追加
14:15 内診。4センチのバルーン挿入入れたところ、なんと子宮口5センチに😲
バルーン分よりもより開いてる‼️
ずっと上向きで寝てたら、👶の心拍が80位まで落ちる。
(正常域は110〜160程度)
助産師さん3〜4人がバタバタと駆けつけ、ちょっと異常な雰囲気。
麻酔④追加
この麻酔④から、助産師さんを呼んで注入してもらうのではなく、自分で手元のボタンを押して任意のタイミングで麻酔入れられるタイプに。
無痛分娩代(+10万円)払ってるから、絶対に痛くないお産にしようと意気込み、躊躇なくボタンを押すことを決意。
15:30 やっぱり上向くと👶の心拍が下がっちゃう。酸素マスクつけて横向きに。
やることなくて暇だから、「新鮮な空気美味しいねえ」とか「あと何時間で会えるかなあ?」とかひたすらお腹の中に話しかける。
16:30 陣痛の間隔2分おきに。👶の心拍も安定してるから、酸素マスク外す。
17:00 内診。子宮口は変わらず5センチくらい。子宮口をやわらかくするための注射をお尻に打つ💉
導尿ついでに内診したら、👶の頭の位置が下がってきてるとのこと!
18:30 促進剤やめて明日にするorつづけて今日産む会議。
→つづけるに決定!👶頑張るよー!
19:00 隣の分娩室にいきなり経産婦さん(破水始まりの子宮口全開?)はいってくる。叫び声にびびる。
隣の妊婦さんと助産師さんの「はーーー」の呼吸に合わせていきむ練習する。
廊下で助産師さんが旦那さんに電話してて、「ついたときに生まれてるかもしれません」って言ってるの聞こえる…。
こんなに叫ぶほど痛くなるのかと震えて、「この人は無痛じゃない無痛じゃない」と心の中で念仏のように唱える。
隣の人の叫び声にびびって麻酔のボタン押しそびれたから、この日一番の痛みが2分毎に。
キリキリ系痛さじゃなくて、鈍痛系痛さ。
痛さとしては、2日目の生理痛で「今日はもう仕事休んでしまおう」と心が折れる数年に一度の憂鬱な生理の日レベル。
20:00 導尿②
やったあー!!!
(新型コロナのため立ち会い出産は分娩直前1時間程度とのルール。)
でも相変わらず上向きで寝ると、👶の心拍が90くらいまで下がる。
場合によっては(心拍下がる状態が続くようなら)帝王切開or鉗子分娩かもしれないと医師に告げられる。
ただ、もう鉗子できる位置まで下がってきてるから、あとは鉗子で引っ張るだけとのこと。
このあたりから、ずーーーーんっとお尻の骨が内側から押される感じ。(痛くはない。違和感。)
21:00 旦那到着🚕
待ち望んだ子宮口全開(((o(*゚▽゚*)o)))
助産師さんからもらったクラリセージ(分娩促進成分あり)のアロマを嗅ぐと、ちゃんと陣痛の波が来る。
アロマのパワーすごい(°_°)‼️
22:00 微弱陣痛になっちゃってたから、頑張っていきもう、次に👶の心拍下がったら鉗子分娩にしよう(帝王切開はしない)と医師が決める。
でも無痛で微弱陣痛だから、いきむタイミングがなかなか掴めず。
NSTの数値が上がったタイミング(陣痛がきたタイミング)でぎゅっとお腹&お尻に力を入れてみる。
この時点でもお腹の痛みはなし、お尻の骨をズーンと押される違和感しかなく、旦那、助産師、医者と冗談言いながら笑って話せる程度。
10回位いきんだところで、これ以上なかなか降りて来ないからと鉗子分娩に切り替え。
いきむタイミングで助産師さんにグイグイお腹を押されたけど、麻酔のおかげでその痛みもなし。
押してる助産師さんは大変そうだけど、痛みがないから結構他人ごと。笑
ただ、何回目かのいきんだタイミングで助産師さんが、何かをさっと拭き取ってポイッとゴミ箱に投げ入れる動作をしてたから、💩を漏らしたんだと思う。
そんな状況も冷静に観察できるくらい痛くない。
いきむタイミングで、肛門に指を入れられて、内側から押してもらう。
このとき推しカプの姿がふっと脳裏をよぎり、わたしは無痛の麻酔が効いてるから全然痛くないけど、いつも痛い思いをさせてごめんね、となぜか懺悔の気持ちになる。
会陰をチョキンと切開する。痛くない。
鉗子の挟む器具をつけてもらう。
微弱陣痛とともに5回くらいいきんだら、つるん!で頭が出てきて、にゅるん!で肩から下が出てきて産まれてきてくれた。
体力全然余ってたから、大きい声で「おつかれさま、よくがんばったねー!かわいいー!!!」を連呼。
23時以降
「会陰縫う回数なるべく少なくしてください」ってお願いするも、「細かく塗った方が綺麗に縫合されるよ」的なことを言われ、体感8針〜10針くらい縫われる。
「麻酔が切れる前に縫合おわりますように」とひたすらに願ってたから、この時間が一番長く感じた。
あとは麻酔が切れるのを待ち、部屋に戻って就寝。
生後1週間たった今は、よく寝て、よくおっぱいを飲んで、布団をキックで蹴り飛ばす脚力強い子を育ててます。
出産時より、今の方が授乳等の肩こり、おっぱいの張り、抱っこの腱鞘炎で体の節々が痛い。
兄弟に出産祝いとしてエステ券を要求したから、届くのが楽しみ。
破水始まりで、病院到着後すぐに麻酔を投入したこともあり、「痛い」とは1度も言わなかった。
これは病院が「麻酔で、生理痛レベルの痛みをMAXにする」との方針で、すぐに麻酔を入れてくれたおかげ。
また、わたしが「無痛分娩代の元取るぞ!麻酔入れまくるぞ!」と気合十分で挑んで、全然痛くなくても麻酔投入のボタンを30分〜40分に1回は押したおかげ。
痛みがないことで、ソフロロジー式呼吸やお腹の中の👶への声かけに専念することができて、結果穏やかな楽しいお産につながった。
ちなみに一番痛かったのは、38w頃の前駆陣痛。
寝てたら急にキリキリ系の痛みがきて、「痛い💢💢💢」と半ギレ状態で目が覚めて、身体中汗びっしょりだった。
38w時点で96mmと頭が大きかったので、帝王切開の可能性もあると言われていた。
自然分娩じゃないことに対する申し訳なさ等は予習段階から一切なし。
無事に健康で生まれてきてくれたら、分娩方法は問わないよってお腹の中の👶に言い聞かせてた。
インスタで鉗子分娩で生まれてきた頭の長い👶の写真をあらかじめ見てたため、頭が引き延ばされて生まれてきた👶を見ても、「まあそうだよね!」という気持ち。
頭の長さは生後2日で元に戻った。
ただ、やっぱり頭は大きい笑
だっこしてると頭がかなり重い笑
すでに腱鞘炎になりかけてるため、バンテリンの手首サポーターのお世話になってる🙏
分娩時間は11時間、鉗子分娩もしたから一般的に「最高の安産!」というわけではないけれど、個人的には最高に楽しくていいお産だった。
痛みを感じることがなかったから、心に余裕を持てたことが一番の要因かな。
無痛分娩=時と場合によってはかなり痛い、とは知ってて、かなり運要素が強いものだと思ってたけど、幸い当たりを引くことができてよかった。
本当、私はたまたま今回運良く麻酔がきっちり効いてくれたおかげで、今後あるかもしれない第二子の出産に対する恐怖まで取ってくれた。
19700 6.2 997 24
指が震えるのと打つべきローマ字がすぐに出てこなくてスコアがここ最近で一番悪かった
https://www.coursera.org/learn/machine-learning/ の linear regresion with one variable
https://codewithandrea.com/videos/2020-02-10-starter-architecture-flutter-firebase/ 読んだ
https://www.udemy.com/course/flutter-firebase-build-a-complete-app-for-ios-android/ のセクション1,2
~7:00 睡眠
~8:00 ランニング
~12:30 授業
~13:00 おひるごはんとか
~15:00 https://www.coursera.org/learn/machine-learning/ のLinear Algebra Review
バイトのエンジニアの人たちとミーティングした。ミーティングの進行を始めてやったので準備不足を痛感した。
結局何が問題点なのかが自分でもわからなくなってしまった。漠然とこのままではいけないと思うのだけれど、いざ手を付けようとすると何に手を付けていいのかわからない。本当は問題などなかったのかもしれない。
今日はミーティング以外グダグダと過ごしてしまったので、明日はちゃんと動いていきたい。
~7:00 起床
~9:00 ランニング
~13:00 昼ごはんとか
~15:00 https://codewithandrea.com/videos/2020-02-10-starter-architecture-flutter-firebase/ これ読みたい
~19:00 夜ご飯とか