はてなキーワード: 教員とは
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私はこの方とは逆で、組合を途中でやめたものだし、そこまで大きな話はなにもない。ただ、どうして組合員が低下しているのか、運営をしている方に伝わってほしいと思う。ただ、10年ほど前の話なので、今とは違うかもしれないということはご留意いただきたい。
私はある政令指定都市で小学校の教員をしている。組合は初任のときに入った。勧誘を受けたというより、職場のほぼ全員が加入していたので、「入るのが当たり前」という雰囲気にとてもじゃないが抗うことなどできなかった。私の働く都市の組合は規模も大きく、どの学校に行っても、7、8割は加入している。
仕事内容など説明を受けないまま入ったが、正直に言えば、いったいなんの活動をしているのか、最後までわからずじまいだった。とにかく、動員・研修・署名。その繰り返しだった。
動員はノルマがある。年に数回あるイベントに、入っている組合員で割り振られる。急に(少なくとも私にはそう思えた)「ここに行ってほしい」と言われることもあり、仕事を終えて会場や路上に行くこともあった。プラカードをもち、シュプレヒコールを上げている。「憲法改正反対!」とか、「自民党を倒せ」みたいなやつだ。これがいったい、教員の処遇となんの関係があるのか、私にはよくわからず、ただぼうっと立ったままそこにいるだけだった。
研修は夏季休暇や課業後に行われる。授業研究会のようなもので、テーマが割り振られ、指導案などをつくり、壇上などで発表する。これも学校ごとに年ごとに役割が決まっている。私がしたものは、「おんなじのでいいから」と、前々からある指導案を少し手直ししたものを発表した。これは年に何回かあり、自分の発表がなくとも、他の学校のものを見に行く義務があった。
ストは1回だけしかけたことがある。給与改定かなにかの交渉を本部がしているということで、朝組合員で一室に集まり、授業が始まるまで待った。結局、委員会がなにか譲歩をしたのか、組合側が譲歩したのか、よくわからないままストは中止された。それからは、ストの話は一度もない。
そして、これらのことは、全て勤務時間外か、勤務中に行われた。
何年かして、私の家族の具合が悪くなり、医療費やそれに類するもので、保険内診療だけで20万円を超えるぐらいになった。加えて、子どもも生まれ、育児にも時間を割かれた。組合費は月5000円ほどかかっており、前述したように、授業準備や家族との時間を削って動員などにも参加することは、かなり負担になっていた。ついに耐えきれなくなり、分会長に相談し、組合の運営に退会願いを申し出た。特に留意されることもなく、すんなりと退会することができたので、嫌味のひとつでも言われるのではないかと危惧していた私としては拍子抜けした。
だが、どちらかというと周りの組合員の反応の方が私には堪えた。いわゆる分会というものが校内で開かれると、私は職員室に残ったままなので、私が退会したことはすぐに伝わる。みななにか言うわけでないが、遠巻きにされる印象はある。直接「なんかあったときあなたは守れないから」と、皮肉めいて言ってきた職員もいた。学校を異動しても、組合員の割合は高いので、すぐに質問をされる。子どももいたので、フレックスや看護休暇などの制度を使っていると「子育てして制度の恩恵を受けているくせに組合に入らないのは何事だ」と言う職員もいた。私は、すみません、いろいろありまして、と頭を下げて答える。一度、事情を説明すればわかってもらえるのかと、家庭の状況を伝えたこともあったが、「みんな状況は同じだ」「だからこそ組合に入ってみんなでよくしていかなければならない」と、彼我の隔たりを感じ、それ以降は説明することを諦めた。
でも、と私は思う。果たして、いまある制度や境遇に、いったいどれだけ組合が関与したのだろうか。どちらかというと、世間の流れや、他県の事案に追随した結果なのではないか。よしんばそこに組合の努力があったとしても、どうして、いち組合員にそのように言われなければならないのか。権利を行使するには、金を払い、労働力を差し出さなければならないのか。それをしない者を、できない者を排除してきたのが、凋落している組合の本質なのではないか。
一度、保護者から大きめのクレームを受けたことがある。私は電話応対をしただけで、その対応はしごく一般的なものであり、今でも自分に瑕疵はないと思っている。だが、校長は、とにかくその保護者に頭を下げてほしいと言ってきた。私は当初拒否をし、経緯も文書にして伝えた。周りの教員も同情的に見てくれたが、誰も助けてくれる人はいなかった。その数年前に、組合員だった職員が管理職のパワハラに巻き込まれたときは本部にかけあってくれたのとは対照的だった。確かにそれはその通りだった。組合員でないものを助ける義理はない。だが、今回の投稿主の方が仰ってるように、それこそ新自由主義のもたらした分断なのではないだろうか。
結局私は、自ら弁護士に相談し、このようなケースにおける最善の方法についてアドバイスを受けた。最終的には保護者に頭を下げることになり、彼は訴えることもちらつかせたが、弁護士の「そんな裁判引き受けるヤツいないですよ」という言葉で、毅然とした態度で望むことができた。このとき思ったのは、自分の身は自分で守るしかない、ということだった。
本当に皮肉な話だが、組合のどんな活動結果よりも、組合費の負担(年6万)と時間内外の業務がなくなったことが、私の生活をいちばん楽にした。だが、それでも、私は、労働組合は必ず世の中に必要だと思っている。組合がなければ、この社会はもっと悪くなっていたし、力が弱くなったとはいえ、最後の防波堤のような存在だ。しかし、本当に残念なことに、今の私は、私の生活を維持することに精一杯で、未来の教職員の労働環境まで考えることができない。だから、この先、私が組合に入ることはないだろうと思う。
そう思っていたから、今回の投稿者の方の内容は胸にしみた。特に最後の部分の「分断」を憂う内容は首肯することばかりだった。彼のような人がいたら、私はまだ組合にとどまり続けたかもしれない。
だからといって、組合が組合員でもない人間を助けろ、とは口を裂けても言えない。それを私の側から言うのは驕った考えだ。でも、もっとなにかできることはないのか、とも思う。いま、私は組合員ではないので、組合の手紙は届かない。だから、彼らがいったい今、なにと戦っていて、どんな成果を出しているのかなにも知らない。これは本当に不幸なことではないだろうか。全国の教職員組合は、このような非組合員が、だんだんと増えていっているのだろうということに、ぜひ目を向けてほしい。
ずっとソフトウエアエンジニアで飯食っていたのですが、2021年4月からIT系専門学校の教員を3年間やってきました。
始めるうえでやって良かったこと。逆にがっかりしたことを書こうと思います。
いずれちゃんと書くつもりだったのですが、途中で飽きてしまったのでwとりあえず下書きっぽいのを投げてます。
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教員になってすぐに、理事長含むお偉方の前で模擬授業をやったのですが、そこでの理事長の評価がとても良かったそうです。私がいないところで褒められたので、どこが良かったのかわからないのですが、模擬授業中の他教員からのフィードバックでは、「常に教室中を見回して聞き手のことを見ている」「適当な時間に質問タイムを入れている」などをいただきました。この辺りは説明やプレゼンを数多くこなしていれば普通に対応できると思います。どちらかというと、「初手で理事長に好印象付けに成功した」が大きかったと思います。
とりあえず、なんとかなりそうだとの感触を持ちました。
さて、私は大卒で専門学校のことも知らないし教員歴もありません。
なので、経験のある社員教育(OJT)をベースに、不具合があったところを修正する、という方針で臨みました。
②課題解決のための材料の提供のみ行い、課題解決は自身で行なってもらう。こちらが全てお膳立てして、こちらの想定に沿った解決策の提示を行なってもらっているので、まだ自立しているとは言えないが、本人は自分の努力で解決したという自意識を持っている。
③「なぜこの課題を解決すべきなのか」という問題提起のみ行い、解決のためのリソースを入手するところから自力でやってもらう。これができるようになると、こちらの想定を超えた課題解決を行うことがあり、仕事を任せることができる。
こちらをベースに、不具合のあるところをアレンジする方針で臨みました。
基本方針は
①専門知識は全て教員が持ち、必要な情報を全て提供する「教師と生徒(≠学生)の関係」
②体調が悪い時には自ら病院に通い、専門技術を持った医者の医療サービスを受けるような「医者と患者の関係」
③RPGの「武器屋」のように、自ら魔王は倒さないけど、各自に合った良い武器の選び方、武器の使い方は教える「勇者と武器屋の関係」
③だけちょっと表現が違いますが、これが1番学生に通じやすかったんです。
また、学生は「さん」づけで呼びました。TPOによっては呼び捨てもしますが、「あの子」のような「子」とは呼びませんでした。「あの子呼ばわり」というとネガティブな印象の方が私には強いので。
基本的に学生との接触回数・接触時間を増やすことで、学生からの好感度・信頼度は上がります(人によって上昇率に差はあるにせよ)
朝早くから在室しているメンバーは固定されがちですが、まずは少数の学生であっても、良い評判を勝ち取り、口コミで他の学生評判が広がってくれれば良いと考えました。
これはずっと続けたかったのですが、特に3年目は仕事が忙しく、時間ギリギリに通勤するのがやっとだったので中断してしまったのが残念です。
専門学校が大学と違うところの一つが、専門学校にはゼミ・研究室がないことです。
コロナ禍でオンライン登校が多かったせいもあると思いますが、学生同士のつながりが希薄です。クラブ活動も全面ストップだったので、クラス外の学生、学年を跨いだ学生同士の連携はほとんどないように感じました。
大学だと、学生が何かわからないことがあれば、まず同じ研究室生・同級生に、次に先輩に質問し、それでもわからなければ教員に聞きにくると思うのですが、専門学校だと、割と軽微な質問まで教員にきます。もちろん困っている学生がせっかく相談に来てくれたのだからそのつながりは大事にしますが、教員に聞きにくるまでに捨てられた無数の質問もあったんだろうなと思いましたので、そちらをなんとかしたいと考えました。
こんな便利なツールがあるよ。よかったら授業で使ってください。という「紹介」をしました。
細かい使い方までは言わなかったのですが、特にグループワークで学生が自主的に使ってくれました。
特に人気があったのはMiro(ブレインストーミングやカンバンなど)、Figma(アプリのデザインなど)、Notion(技術共有などWiki的な使い方)などです。どれも複数人の同時編集機能があるので、グループワークで使うのに相性が良かったようです。
ツールの使い方、どんな図面・ドキュメントを書くかなど、学生同士が細かく相談したり、あるチームの成果を別のチームで紹介したり等、学生が自主的に動いてくれました。
統制が取れた、良いチームワークができたと思っています。
統制とは(辞書に載っている意味とは違うかもしれませんが)個人が自主的に別の個人やチームに共感し、自主的にその方針に従っている状態が保たれている時、「統制が取れている」と言う言い方を、私はします。
フォローアーシップが十分に発揮されている状態、と思って頂ければと。
1年目は登校授業が週1に制限されていたので、放課後の学生居残りまで発想が及ばなかったのですが、「夏休み中に登校して、学校で基本情報の勉強をしたい」との学生の申し出があったのでいろいろ調べたところ、前日までに登校計画書を提出すれば対応可能だとわかりました。計画書さえ出せば毎日登校でも良いそうです。その後、通常授業の日も事前に学生名などを届けることで教室が使えることになったので、できるだけ学生を呼ぶようにしました。
卒業の1年以上前に内定を取る学生もいますので、彼らに未内定学生のフォローを手伝ってもらいました。
「面接でどんな質問があるか」等、最新の就活事情は私もわかりませんし、その辺の情報は学生が1番詳しいです。
教員や就活支援担当のいうことより、同年代の学生の経験談の方が、説得力もありますし、学生も真剣に聞いてくれます。
さらには、就活フォローの名目で、学生との1on1に当てていました。
「自己PRのネタ探し」などの名目で、学生の経験などをかなり詳しく聞くことができます。普段なかなか聞けない「みんなより1学年上なのはなぜ?」などの質問もできますので、私にとっては貴重な時間です。
私は座学をほとんど受け持たず、実技メインの授業でした。
実技メインなのは助かりました。
技術者として他の人に指導なり水平展開するのと、基本的に同じやり方が取れるからです。
技術リーダーの仕事は「自身のスキルを持って、他の技術者の成果を向上させる」です。それは教員でもほとんど同じです。
受け持ちも3、4年生なので、2年以上プログラミングを学んだ人たちです。ずぶの素人集団ではありません。
特にグループワークの授業では「チームがより良い成果を出すためには、チームメンバーの技術、知識、経験をフルに生かすこと」を命題に、かつて学んだCrew Resource Managementの技術をベース(CRM自体を学生に学んで欲しいわけではないので)に、Psychological SafetyやHealthy Conflictの考え方を交えた取り組みを行いました。
引き継いだシラバスから、デザイン思考を用いた企画発案、スクラムによるアプリ開発を重点に、他の部分は極力削ぎ落としたり簡単に取り上げるだけにしたのも良かったと思います。
実際の授業では、先に挙げた通り学生同士の教え合いを活発化させることをメインに、こまめに学生の机の間を回って、学生から質問なり、ただの雑談があったときにすぐに話ができるようにしていました。
このあたりは、工夫というほどではないですね。
専門学校は1コマが50分しかないので、途中で集中力が切れてしまったら、時間内の回復は難しいです。
なので、できるだけ授業を止めない。たとえばあるチームの質問を他のチームにも展開したいと思った時には、その場で一旦授業を止めるのではなく次のコマの開始時にまとめて話をするようにしました。
逆に、これは50分持たないな、と思った時には、あえて中間に5分ほどアイスブレイクを入れることもあります。
この辺り、授業進行・クラス運営は技術ではなくアートだなと強く感じました。
基本的には「中間層の学生をメインに授業設計する」「よりできる学生は本人の自主性・成長力に期待する」「それ以外の学生は個別対応」で対応しました。クラスに40名以上もいると、全員個別対応はできませんので・
ただ、できる学生だからと放っておいてもいいわけではない。常に気を配っている姿勢を見せつづけないといけない。
で、そういう学生には「こちらからお願いごとをする」機会をできるだけ作るようにしました。
直近2年連続で学年総代を私のクラスから輩出させていただいたのですが、彼(女)らは、4月の時点では特に目立って他学生への気配り・目配りができるタイプではなかったです(仲間内では人気がある学生でしたが)。「総代候補」の学生数人を中心にこちらからお願い事を増やし「ありがとう」という感謝の意を伝えるようにしました。
結局、総代になった学生は、私から最もお礼を言った学生になりました。
総代になる学生は、何か具合の悪いことが起こった時に逃げたしだりやる気を失ったりせず、問題解決しようとするか、少なくともテンションが大幅に下がることがないですね。そういう「胆力」がある学生が結果的に総代になってくれて、個人的にはうれしかったです。
高校時代の出席率が良くない学生は、(高校の入試偏差値が高くても)成績がよくないケースが多いです。高校時代の出席率は入試担当部門に行けば見せてもらえるので(そのことを知ったのは教員やって1年以上経ったころでしたが)、予め当たりをつけることができました。
ちなみに今は高校時代の成績、出席率は教務担当はオンラインで見られます。なぜか国語の成績はシステムに入ってないので、そちらは相変わらず見に行かないといけないのですが。
人数はそう多くないのですが、高卒資格で入学してくる学生は、これらの情報がありません。学生のコミュ力は結構な差があって一概にいえないのですが、教員含む大人との駆け引きは苦手な学生が多い印象です。つまり、就活が大変になるということです。
調子の良くない学生の典型例として心療内科の受診経験者も結構いたのですが、教員にも隠していることが多く、引き継ぎにも書かれていないケースや、本人から他教員に言わないで欲しいという申し出もたまにあります。
私の場合、心療内科受診を勧めた学生に受診歴なしの学生はいなかったのですが(受診歴あるのに本人から申告されるまで気づかなかった学生はいます。)こういう対応ができる教員はそう多くないので、学生が隠したがる一員になっていると考えています。
対処法は学生による、としか言いようがないですね。学生むけの無料相談室を勧めるところまでは共通ですが。
前年度の担任から、「特に問題点はない素直な学生だが成績は良くない」という引き継ぎを受けた学生が、実は大人を騙すことになんのためらいも無い人物だったことがありました。私などからすると「こんな単純なウソが大人に通用すると本気で思っているのか?」と思える幼稚な対応でしたので、すぐに保護者連絡を取って(当然保護者は気づいていますので)、保護者・担任の連携が強固に取れていることをアピールすると、少なくともウソが通用しないことは気づきます。基本的には保護者から「先生、なんとか卒業だけはさせてください」という言質を取って、とっとと卒業してもらう、というスタンスです。
やたら素っ気ない態度と、1年の時から比較して成績が急降下していた学生がいたのですが、彼女の友人から「父親と決定的に仲が悪く、そのためか年長男性に心を開かない」ことを教えてもらうまでは、全くとりつく島がなく、苦労した学生がいました。会話が成立するようになってからも、特に強い言葉を使ったつもりもないのに学校に来なくなってしまうことが時々あったのですがなんとか就職も決まり、今は元気にやっている様子です。
出席率・単位が不足する学生には補習を受けてもらうのですが、私を含めごく少数の教員は「他の人よりちょっと多く学校に来てもらうことになったけど、これが終われば進級・卒業できるんだから、あとちょっとだけがんばろう」というスタンスでした。補習が終わり「これで卒業決定です。4月からは新社会人として頑張ってください」というと、学生自ら反省とか決意とかを言ってくれるので、こちらはそれを信じて送り出します、
一方で補習中ずっと説教モードの教員も多く、聞いているこちらがうんざりしました。説教しない教員同士で「学生はすでに十分反省しているのに、なんでまだ怒るんでしょうね」とヒソヒソ話をしてたものです。
事前に全く想定していませんでした。
私自身、大学どころか、高校、中学の先生と両親が面談をやっていた記憶がありません。
とりあえず
「できるだけエビデンスを揃える」
で臨みました。
成績の良くない学生・就職を控えている学生の保護者との面談は特に重要です。
「もうすぐ社会人なのだから、自分で決断・行動してほしい。先生にお尻を叩かれてから行動を起こすようでは困る」という保護者は多い、というか、ほぼ全員です。こちらももとよりそのつもりです。
単純に放置する保護者も多いのですが、「1人前になるのはゴールではなくスタートですよね?1人前の人間としての能力を持ったら、その力をどう使うべきでしょう?困っている人を助けるのも、力の使い方のひとつと思います」などと偉そうなことを言って、保護者連携を強化しました。
最新の就職事情がわからない。自身はIT系の人間ではないので、どういう支援をしたら良いのかわからない、という保護者の方には、過去の学生の活動事例、本校学生の就職先、勤務地などの資料をもとに、説明を繰り返しました。
大学の就活に関する情報はネットにたくさんありますが、専門学校生に特化した情報は意外とありません。それはこちらも同じなのですが、「ここは大学生とほぼ同じ。ここは事情が違う」という情報を集めてご報告しました。
「先生と会ってどんな話をしたらいいのかと思っていたが、お話できてよかったです」というメールをいただいた時にはホッとしました。
1. とにかく忙しい。
去年の3月末で辞めた教員の補充しなかったため、仕事が山積みになった
その前年にもベテラン2名が辞めていたので、土日も休めない状況になった。
2.やることがなくなってしまった
2年目で数値化できる数値はほぼずべて学年トップ。場合によってはIT学科トップや全校でも2、3番手などになってしまい、さらに上を目指すものがなくなった
校長など経営陣の意向を取り違える。他の学科長と連携しないなど、独自路線を突っ走る。かといって学科の取りまとめもやらないので、成果の出ない(クラス数激減)学科になった。
4. 他教員と話が合わない
4年ではスクラム開発を取り上げるのですが、4年担任はよくいえばスクラムガイドに忠実。悪くいえば批判的精神がない、なぜこういうルールになったのかまで考えが至らないタイプでした。
スクラムガイドには、チームは「10名以下」と明記されているのですが、チーム開発経験の乏しい学生にこの人数は多すぎです。
実際、成果を出したチームは4人チームが最も多かったのですが、ずっと多人数チームに固執し続けていました。
4年生は当然実力はあるのですが、それに見合った成果が出ませんでした
5.他教員が働かない
2、3名で案内をしていたのですが、体が不自由そうな保護者の方をエレベーターに誘導したり、 Permalink | 記事への反応(2) | 13:20
前
https://anond.hatelabo.jp/20240502193040
この大学を卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。今はキーボードとか作る仕事をしている。東京~神奈川にオフィスや工場がある会社である。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民やはてな民とニアミスしてるかもしれない。
今では佛教大学に感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。
仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。
この道は、正しかった。第一志望の大学に不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格をバカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。
自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。
でも、実は後悔がひとつだけある。卒業式である。実は、自分は卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト+飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。
失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。
というわけで、先日3/18(月)に佛教大学の卒業式に参加してきた。もちろん保護者席である笑
後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。
焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館の和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。
式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館の和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。
会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。
とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後はプロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。
ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室で学位記を受け取る儀式があるのだ。
ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から「部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。
卒業式の会場を出てから、100席ちょっとの教室に入ると、今まさに社会学部のとある学科の学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。
約十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまりに煩いものだから、学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑
あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後に卒業生代表が、ステージ上で「私がこの学校に入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月の最後の最後まで受験を続けて、それで最後に合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業記念の挨拶をしていた。が、当時の卒業生諸君は大騒ぎだった。卒業生代表の話なんて聞いちゃいなかった。
今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして、少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?
それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。
(以下要約)
・あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた
・入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う
・社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい
すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。
※推測だが、2020年当時って、入学式やオリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルがコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。
ちなみに、ほかの学部の学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生も学生も、熱の篭った感じで最後の儀式に興じていた。特に、教育とか保健とか看護の学部がよかった。
大学を出た後、近くにある千本北大路の交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。
社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。
これで結びになる。
若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分が雑魚すぎて嫌だった。
「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。
大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業、アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分の雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。
今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニングの勉強をしている。
なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツ机から立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。
「あきらめないでくれ……」
夢の中にいる自分は、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。
「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」
って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。
でも、現時点の感覚で、「学生時代は楽しかったか?」と自問すると、「楽しかったよ」が答えになる。
当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。
苦しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分で自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?
確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか。自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって。無意識ではわかってる。
だから、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。
苦しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。
今回、自分の記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学の卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。
前
https://anond.hatelabo.jp/20240502193039
この時期は多くのことを考えた。特に就職のことだ。第一志望の大学には入れなかった。だからこそ、今後の人生では逆転したいと思っていた。
就職四季報を読み耽ったし、就職活動の参考になるサイトは巡回したし、就職課の方々にもクソお世話になった(ワンピース的な意味で)。
リクナビとかあるじゃん。あれで友達とかにURL付きの回答ページを送って、送り主のことを回答してもらって、そしたら他人から見た自分自身の分析結果とか、どんな業界が向いてるとか、どんな価値観で仕事をしたいとか、いろいろわかるサービスがあった。そういうのをやってた。
当時は、LINEとかTwitterが一般的だった。ひと昔前の人って、LINEとかなかったんだろ? もしかして、全部メールとか郵便で就職活動をしてたんだろうか、一体どうやって? という疑問を感じていた。
本格的に就職活動が始まろうとしていた。自分は、1回生の頃から【TOEIC】の勉強に励んでいた。少しずつではあるけど実力を身に付けていた。勉強時間はそれほどでもないけど、ずっと続けていた。二年半。
受験にはお金がかかるし、実力を付けてから挑んでみようと考えていた。そしてついに、秋頃だったかな。受験料が少ないタイプの学内試験(※本番で実施済のテストを使い回すやつ)を受けることにした。
人生で初めてのTOEICは……うん、こんなもんかって感じだった。緊張していて、そこまで問題は解けなかったけど、ベストを尽くすことができた。
その結果は、なんと……(ドラムロール鳴る)……760点だった!! 当時の自分は、大喜びだった。狂喜乱舞だった。心の中でもリアルワールドでも小躍りをしていた。実際、佛教大学でのランキングは堂々の二位だった。一位は確か、文学部英米学科の人だったと思う。
これは、この結果は……紛れもない一流である!! おそらくきっと、この点数は、同志社だろうと立命館だろうと飛び抜けた点数だろう。京都大学でも通用するし、ましてや就職活動で通用しないはずがない。祇園や木屋町などの飲み屋街、東本願寺や渉成園とかの観光地で【外国人】とトークをしても通用するだけの英語力を、ついに、ついに身に付けたのだ!!
※そんなふうに考えた時期が俺にもありました。
そんなこんなで、就職活動が本格スタートした。俺は必死で、シューカツとやらに取り組んだよ。リクスー集団に交じってさ、学内の企業説明会とか、大阪城ホールでの合同説明会とか、東京までOB訪問に行ったこともあったっけ。とにかくマジだった。
あの頃の自分は飢えていた。なんの実力も実績も持っていないのが嫌だった。とにかく何か、ほかの人から見て、「あいつはスゴイ」となるものを最低一つはほしいと考えていた。
いつからか知ることになったのだが、この佛大というのは宗教系の比較的裕福な大学である。当時の週刊誌の大学職員給料ランキングでは、慶應や関西大学などの有名私大と肩を並べていた。キャッシュフロー的な意味で裕福な理由はいくつかあるが、そこまでは述べない(この日記の趣旨ではない)。
大学構内には、相応の見た目の講義棟(兼研究棟)が鎮座している。学生時代は「おしゃれ~でかい~」くらいの印象だったが、歴戦の社会人となった今ではわかる。あの1棟ものの巨大な建物は、建設工事だけで百億とかいってるかもしれない。同じ規模の大学で、あれを作れるところは少ないだろう。
あれは確か、3回生の終わり頃だったかな。本日の部活もさあ終わりだ、という時に、部長(※教員側の部活責任者)から声がかかった。ほかの3回生も一緒だった。「佛大の就職試験を受ける気はないか? 希望者がいたら優遇する」ということだった。
考えたのだけど、大学職員というのは、その大学がすんごく好きな人がなるものだと思った。当時は、民間企業への就職を視野に入れていた。優遇できる枠は1名ということで、ほかの同回生が手を挙げることになった。
まあ、年収であるとか、職務内容とかのバランスを考えると、「魅力的だ」とは正直思った。当方は、人生の方向転換が苦手なタイプである。この頃は、先輩やOB・OGを探して、就職活動に関する考え方や情報を集めていた。何でもいい、そういう生のデータがほしかった。
けど、嫌なことはやっぱり起きる。わざわざ日記に書いているのだから、当時の俺は相当ムカついたのだろう。
就職に関する情報を探してる中で、聞き込みのために学内アルバイトをすることがあった。それは講義の出席者からレポートを受け取って、受付番号を整理して、最後に整頓するようなアルバイトだった。1日勤務で六千円だった気がする。
二人一組で受付作業をするのだが、隣の組を見てると気分が悪くなった――と日記には書いてある。
その組は、男子と女子の組み合わせだったのだが、男子の方がやたらと女子の方にがっついている。レポート提出者がいない時に、割と雑談をしていた。
その中で、男子の方が「彼氏いる?」と聞いた後で、女子の方が「いる」と答えると、男子の態度が急に悪くなったのだ。それは仕事終わりまで続いた。
最後にレポートの仕分け確認をする時も、その男子は怒鳴りつけるようにして女子に当たっていた。俺はあまりにムカついたので、「ちょっと静かにやってもらえます?」と声をかけて、ようやく静かになった……。
と、記憶を思い返したけど、今の俺にそこまで思うことはない。「男の態度がひどいね。でも、オスってそんなもんじゃね?」くらいしか思わない。間近で見たらムカつくんだろうけど。注意とかするかもしれない。
当時は、実際どんな人間だったんだろう。俺って。記憶が薄らいでるとかいう次元ではない。消失している。全然わからない。
なんかさ、十年前の自分ってさ、もはや『他人』じゃないか。体の細胞でいうと、20回分は完全に入れ替わっている。もはや完全に他人である。
余談だが、佛教大学に通ってる女子には可愛い子が多いと、アルバイト先の立命館大学の人に言われることがよくあった。
根拠は全くないものの、社会に出た後の個人的感想では当たっていると感じる。福祉や教育に強い大学はそうなのだろうか?
就職活動に本気だった。この頃は、大手企業は今よりも早く内定を出していた(4月の1週目くらい?)。就職活動以外に教職課程のこともあったが、時間の隙間を縫って面接試験を受けに行った。まあ、書類選考でお祈りされることの方がずっと多かったけど。
うちの大学の卒業生で、すごい就職先に進んだ人っているのだろうか? 自分は高望みをしていないだろうか? そんなことが気になっていた。大手病に罹患していた可能性が極めて高い。
当時は社会学部で政策学を学んでいた。社会学だけじゃなくて、社会科学ならなんでも学べる学部だった。地域を盛り上げる系のゼミに入っていたのだけど、どんな先輩方がどんな進路に進んでいるか、正直気になるところだった。
ほかのゼミと交流する機会があった時に、同輩や先生方に聞いて回ったのだけど、凄い人というのはやっぱりいた。学生が六千人もいるのだから、レベルが高い人は一定数存在しているのだ。
社会学部の先輩(俺と同じ公共政策学科)の例だと、自分が入学する数年前に総合商社の内定を取った人がいたらしい。学業だけじゃなくて、外の世界に飛び出して活動していた人だと聞いた。とにかく忙しい人で、授業にはそこまで出席してなくて、水商売の仕事に明け暮れていたらしい。
単位はそれなりに取得して、教職課程最難関の講義(兼演習)ではチーム全員で百点満点を取って、大学同士の研究分科会では発表役になって、大学の学園祭ではパヒュームのダンスを踊ってウケを取って……とにかく活動的な人だったらしい。
学歴って、仕事の実力とは相関が薄いよな。多く見積もっても3割くらいだ。『誰もが嘘をついている』という本に書いてあったのだが、高偏差値の名門校に1点差で受かった人・落ちた人を追跡調査する社会実験があったらしい。結果的には、学歴と現在の地位に相関関係はないという結論だった。相関係数は0.1程度とあった。
アメリカ合衆国での話なので、日本だとどうなるかわからない。けど、自分も同意見である。どんな中学・高校・大学を出てるとか、そういうのは人生での成功にはほぼ関係ない。
どんな瞬間だって、自分が今どこにいて、何を目指していて、どんな努力をしているか。それが大事だ。学歴を振り返ってる暇があるなら、さっさとやることをやって次の先に進むのだ。
就職活動の話に戻るけど……就職活動の面接で問われる内容(志望動機、自己分析、自己アピール、就職活動の軸、ガクチカ)とかってさ。釈迦人になった今ではわかるんだけど、ぶっちゃけ茶番だよな。はてなブログだと、借金玉さんがそんなことを言ってた。部族の掟に近いものがあるってさ。
就活的なキャラの型枠を、リクルートその他の人材会社が用意したうえで、企業側が「茶番」に対して本気になれる人材(会社の方針を素直に受け入れて、貢献してくれる)を探してる。それだけだ。
若き大学生が当日記を読んでる可能性は低いけど、たったひとつだけ、ただひとつだけ、会社選びで言えることがあるとすれば……以前、どっかの増田日記に書いてあったのを参考にすると、こんなところだ。
「自分が入りたい会社というのは、自分が将来、どんなキャリアを描きたいのか、どんな人生を歩みたいのか、どんな人間になりたいのか。そういうところから逆算して決めていく」
就職活動の軸というよりは、人生の軸という観点である。ちなみに軸、というのは「他人に関係なく、自分が正しいと思える考え方」という意味だ。
経済社会でバリバリ働きたいなら、そういう会社に行くべきだし、あなたが大事にしてる『たましいの仕事』があって、仕事は副業でやりたいなら暇そうな業界を選ぶべきだ。
将来、どんな人生を歩みたいのか? それさえ決まっていれば、業界や会社を決めることはできる。職種についてはナントモだが……敢えて言うと、保育所とか幼稚園とか小学校とか、それくらいの年頃に何が面白かったのか、が答えになるんじゃないか。その年代に心から楽しめたものは、大人になってからもきっと楽しい。
結局、その年の春の終わりに就職活動を終えて、内定をもらえたのは……京都市内にある電子機器メーカーだった。
大手企業を受けるのはやめた。大手病を克服したのだ。それで地元の会社一本に絞った。ここまで絞ると、受験できる会社の数は十社程度になった。自分の力をそんなに分散する必要もない。十分に集中できる。
当時は嬉しかったよ。両親に報告したら、父も母も衝撃を受けていた。うちの親って、自分の子どもを親戚の子と比べたがる嫌いがある。それはムカつくのだが、いい結果を報告できてよかった。
両親が、俺が出した実績をありがたがって聞いている。その実績を、電話などで親戚やご近所に知らせて調子に乗りまくっている。スタンダールの小説の『赤と黒』を思い出した。小説の中で、こんな感じの場面がなかったっけ? ブクマカで詳しい人がいたら教えてほしい。
両親よりも喜んでいたのは就職課の人だった。内定先を告げると、ご機嫌なビートで小躍りするようにして、ハッピーな感じでターンをキメていた。ずっと以前から、いろいろとお世話になっていた。喜んでもらえてよかった。
この年度の終わり頃、卒業間近だったか。大学が出してる何かの広報で、俺の就職先がデカデカと上の方に載っていた。トレーニングルームでそれを読んでいる時、隣にいた学生達も同じ広報の同じページを読んでいた。
「ん。どこどこ?」
「ほら、ここや。この会社」
「ああ、それマンコやろ」
「……」
「女の一般事務職だって。総合職ちゃうし。こんな掲載は詐欺に近い」
俺の怒りは有頂天に達していた。当時の日記には「有頂天」と書いてあったが、怒髪天と書きたかったのだと信じたい。
こういう連中はどこにでもいる。気にしたら負けである。増田の読者の人も、レベルが高い解釈と低い解釈があるとしたら、迷わず高い方を選ぼう。そっちの方が心身ともに健やかな人生を送ることができる。
次
東京の家が狭すぎて物を置けない、場所を取る活動ができないというのはその通りだけど
これは解像度が低すぎる。東京住んでたときにろくに外食してなかったんだろうな。
こういうのは支店経済になっていて地方向けの拡販やローカリゼーションが主な業務になり、仕事の中に文化がなくなるんだよね。
文化的で面白い仕事をしようと思ったら都市部に勤めざるを得ない。例外は大学教員とかだけど、狭き門過ぎる。
あとはやっぱり地方に住むなら例えば地元の酒造とか、地域の文化に根差した仕事をしたいよね…。単なるサラリーマンはなあ…。
これはイメージがよく分からんな。うちは都心部に住んでるけど食器たくさんあるしストウブの鍋も複数持ってるぞ。包丁も三徳だけじゃなくペティと牛刀と出刃と柳刃くらいはある。
例えばなんだけど、氷河期の頃は大企業の採用数がバブル期の1/10、今の1/3 だとするじゃん。実際の数は調べてないけど、この前提が大体正しいと仮定して話を進めるね。
で、採用数が少なかったら競争も激化して、入社の為に大学ランクや本人のスペックも要求されるし、入社できる人数も減るわけだから氷河期の頃が大企業に入るのが一番大変だったって話になるよね?
大企業への就職もそうだし、教員になるのも公務員になるのも倍率が段違いだったんだから氷河期当時の頃が一番難しいわけだよね?
どうして当たり前のように矛盾したことをドヤ顔で言えるのか、本気で分からないんだけど教えてもらえないかな
>その辺以上の大学卒で、ちゃんと計画的に単位取って、就職活動してれば、下手すれば今より良い待遇で就職できてたし
tribird 学校指定の学生服やかばんはいいの?この人はどこまでなら許容できるんやろ。
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ultimatebreak そんなこといったら義務教育そのものが人権侵害になってしまわないか・・・?
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n_vermillion
n_vermillion 田舎の中学校だったけど、部活が強制入部だったのに入りたい部活がなかったのは理不尽だったといまだに思っている。新規に部を立ち上げるぐらいの柔軟性はあっても良かったと思うんよね。
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hiro7373 反論多いけど、会社で考えたら普通に嫌かな。何で学校だと許容されるんだろうね コメント
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f_oggy
f_oggy こういうの見ると別け隔てなく受けられる義務教育って大事だなって思うわ
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chinu48cm 行かない自由はあるぞ。熱出ていけなかった勢ですし
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sekreto
sekreto 体育祭ならわかる
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yoiIT 「喧嘩せず自分が降りる駅まで平和に乗ってられなきゃダメじゃない?その訓練じゃないか、学校は。友達でもない仲よしでもない好きでもない連中と喧嘩しないで平穏に暮らす練習をするのが学校じゃないか。」ヒロト
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tuuz
tuuz 歳を重ねるほど思うということは嫌でも思い出してしまうトラウマになるような出来事があったんでしょう。でも楽しかった人も多いから具体的に書かないと同情してもらえないよ。
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ftq 歳を重ねてから思うことか?もっと早く気づけよ。参加するという選択をしたのは誰?
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lifefucker
lifefucker この辺の感覚は学校や教師や時代によって分散大きいだろうな。なのでブコメもバラける
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nakag0711
nakag0711 教育というのは生徒を一人前扱いしないであれこれやらせるわけで、形式的には人権侵害の面があるが、だから止めろと簡単には言えない
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nagahitoo
nagahitoo 年重ねてるのにまだ学生時代のこと繰り返し思い耽ってるの…
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ringonouen
ringonouen いや人権侵害なんか無いほうがいいでしょ。個人の人権侵害してまで県外に出る必要もない。トップブコメが軒並み「それ含めていい経験」みたいな論調なのが解せない
2024/02/19 リンク yellowyellowyellowyellowyellow
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rain-tree 個人の宿泊旅行が一般的になった今は本来の役目を終えたといえるかも。だが最初はそうでなかったから公教育の枠組みの中で全員に機会を提供する意味があったし、或いは恩恵を受けた同級生が増田にもいるかもしれない
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cl-gaku
cl-gaku 重ねるほど薄れるんじゃないのか
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sumanhoho
sumanhoho 部活も修学旅行もお金ないと出来ないよ(実体験)
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quick_past
quick_past 嫌でも参加すれば、後でいい思い出になる。なんて言い方よくあるけど、参加しようがしまいが、いい思い出もわるい思い出もあるし、人生なんて比較対照しようがない。毒親の虐待すら肯定しうる考え方。
2024/02/19 リンク yellowyellowyellowyellowyellow
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songe どんな齢の重ね方やねん
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PrivateIntMain
PrivateIntMain 修学旅行はさておき、部活は特段の事情が無い人は全員どこかに所属しないといけないとか謎すぎるだろと思って適当にやっていた。まああれも人は1人じゃ生きてけんのよって教育だったのだろうと勝手に思っている。
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pekee-nuee-nuee
pekee-nuee-nuee 生徒本人の希望制にしたら良いし、金の話は公立校なら公金で負担してやるべきだ
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eiki_okuma
eiki_okuma うちの中学、海岸から島まで6km遠泳させられたが……なんだかんだ泳げるようになったので良かったとおもう 絶対大人になってからやらないし……
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mirakukira
mirakukira 子供時代に仲間と一緒に何かをするという経験を積んでおくことは大事だよ、そういう仲間増田にもいるでしょ
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wuzuki
wuzuki 理由は分からないけど、修学旅行に行かなかった同級生いたな。私も身内の不幸と重なって行ってない修学旅行がある。まぁ、そのときは苦手な子と同じ班だったから行けなくても別に良かったけど。
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LethalDose
LethalDose 楽しくはなかったけど、家族旅行をしない家だったので、そういう行事がないと交通機関の使い方がわからなかったかも。本でなんとなく方法は理解していたけど。
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keren71
keren71 高校は任意だった。修学旅行に海外とか選択肢がある学校は羨ましい限り。
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Karosu
Karosu 修学旅行は、乗り物の乗り方を体験するという意味で必要かな。部活は入りたいっ部活がないなら、自分で部活を作れることを示すならば教育的に悪くはないと考える。
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ayumun
ayumun 修学旅行は当日病欠できるから、休もうと思えば休める
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atoh
atoh 中高ともに部活必須でなかったのは幸運だったな。部活してないと受験面接の時に部活やらなかった理由聞かれたりするんだって?大変やな。 増田 部活
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mtoy
mtoy 嫌なことから全部逃げて、人生がうまくいくとは思えない。嫌なことを経験してそこから学べることも多い。俺も部活は嫌いだったけどやってよかったと思っている。
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corydalis
corydalis 黎明期は日本人も娯楽が少なかったし江戸期同様生まれた土地で一生過ごす人も多かったので意義もあったが、今となっては修学旅行親のカネを旅行業者に流すためだし部活はお守りを教員にやらせてるだけ。やめるべき。 自民党の悪政大人とは世も末老害犯罪これはひどいあたまがわるい
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daysleeeper
daysleeeper なにをいまさら。自分は部活嫌で帰宅部、修学旅行も運動会もバックれて全く参加してないけど、授業はふつうに出てたし、ふつうに卒業して、いまもふつうに社会人です。サラリーマンではないけど。後悔もゼロ。 増田教育
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inuinumandx
inuinumandx ワイ中学も高校も修学旅行京都だったの。だから、別の所行きたかった。京都いい所だけど…見る所大体一緒じゃん。あとお金ないとつまらない。
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minaminoani
minaminoani 片田舎の公立校だが中高と部活が強制だったことは無かったなあ。今から思えば不思議だが、修学旅行はクラスメイトに恵まれたせいか、嫌な思い出がない。あの頃のまま育てば陽キャになってたのかなあ。
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um-k3
um-k3 あと「皆仲良くしよう」とかいうイジメの発端になるクソな考え方な。早く「皆仲良く」なんて無理だと気づいて、嫌いでもいいけど事務的な対応だけはしようねって教えるようになればいいのに
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natumeuashi 嫌な経験や理不尽な思いもしてみないと想像すらできないから、若いうちにできるのは貴重だよ。(学校の教師はそんなこと微塵も思ってないのが胸糞だけどー‥)
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listeningsuicidal
listeningsuicidal 部活はそう思う。中学は特に選択肢だいぶ限られてたし。
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MacRocco
MacRocco 歳を重ねるほど思うけど、校則違反とかちょっとしたことでガチギレする教師達ってすべからく頭おかしいと思う
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hate_flag 修学旅行はあんまり行きたくなかったが行ったら楽しかった。でも部活動は運動部しかない上に全員強制参加で「殺す気か」と思った。幽霊部員になるというライフハックを学んだのでヨシ!
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kagerouttepaso
kagerouttepaso 年代にもよるのかも。上の年代は体育マットで簀巻きにして殺されてもオタクならしょうがないって価値観だもんね。
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plmoknijb
plmoknijb 集団行動とか社会規範ニガテだけど義務教育あれこれは辛いことも含めて良い経験になったと思っている。なお高校は行ってない。大学は集団行動とか社会規範への不思議を紐解きたいという興味で選んだ
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dazz_2001
dazz_2001 修学旅行は社会経験の一環だからなぁ。飛行機に乗った事がない。電車に乗った事がない人とかね。プールやスキー学習とか。学校のスキー学習がなかったらスキーとかやっていないので感謝している…
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beed
beed 条件的には他の授業と同じだろうと思うが。音楽や体育、数学やりたくない人もいるだろ。自分が嫌だったものだけ切り出して人権侵害とか言ってもなぁ。
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kettkett
kettkett 確か体調不良で行けなかったんだけど。詳細思い出せない程度には記憶から消してたんだなと。このまま忘れてしまいたかったなあ
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kalmalogy
kalmalogy トップブコメ、一定理解は示すが修学旅行の積み立てできなくて行けない家庭もあるから強制感を出せば行かせてもらえるような書きぶりもどうかなぁ。ケチりたい親、下手すると子供にバイトさせて賄うよ?
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katte
katte まあ強兵のために作られたから。
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exciteB
exciteB 年を重ねると、「生み落とされたこと」が圧倒的に人権侵害だとよくわかる。結局は老化して病気で死ぬ。
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Baybridge
Baybridge コロナで修学旅行行けなかった世代が大卒就職するまであと数年。/コンプレックスになる人と開き直ってネタにする人どちらが多いんだろう。 増田旅行人生
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ykktie
ykktie 高校の修学旅行のときは精神状態が激悪で、前髪を伸ばして周りから目が見えないようにしてたくらいなのに、何故か嫌な記憶がない。というより昔過ぎて細かいことは忘れたのかも
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porquetevas
porquetevas 小中学校つまらなすぎて行きたくなかった。この世の理不尽さを学べたことだけが良かった点
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oeshi
oeshi 表向きには示されてないけど行きたくないって言えば行かなくても良くなるんだよ…ちなみに一部底辺校では面倒だし仲間で行った方が楽しいから行かないって子が結構いるんだよ…
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lavandin
lavandin 小中と修学旅行がホントに嫌で嫌で高校でも行きたくない!!と騒いだが、実際行ってみたら面白すぎてなんだかんだで別の国だけど海外住んでるから必要だったかな。でも妹は体調崩して海外ダメになったし一長一短
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sukekyo
sukekyo おれは学生生活って強制的な人権侵害があったのは絶対に良かったと思ってる。「行きたくなかった」「嫌だった」って感情や記憶も込みで大事。いろいろな気づきや思いや考えを得られるから。今後も続けるべきと思う。
2024/02/19 リンク yellow18yellow 3 clicks
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rakugoman
rakugoman 若い頃から最適化されてると、つまんない人間になるぞ。本当に歳を重ねたのかい?
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tome_zoh
tome_zoh 部活は機会や課外活動の場の提供という意味で意義あると思うけど、全力以外認めないみたいなのやめてほしい、特に強制所属なら。やる気がないとかゆるくやりたい子の逃げ場はあっていい。
2024/02/19 リンク yellowyellowyellow
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north_god
north_god 参加してつまらなかった、嫌な思いをした、は次の反省点として向いてない事はやらないとか能動的な選択に繋がるが「〇〇やれなかった」はただの後悔にしかならない。一生向いていない事を切り捨てられんよ
2024/02/19 リンク yellowyellowyellowyellow
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murlock
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tokitori
tokitori わかる~。代表学年だけのとこもあって地域性あるんだろうけど、卒業式とか何で関係ない学年が出席して馬鹿みたいな余興みたいなのせないかんのだよ、とか小学4年生の時には思ってた
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deep_one
deep_one 修学旅行がなんなのかいまだに分かっていないようだ。/「全員参加の部活」がやりたいことはわかるんだが、あれは「本気で部活する人」の妨げにもなるのよね。うちの学校は確か「本を読むだけ」とかの部活があった。
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edam 学校が嫌だった過ぎて子供産んであんなとこ入れるの可哀想は結構ある思想だと思う。
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valvelde 修学旅行を希望制にするなら毎日の授業も希望者だけでいいはず
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ledsun
ledsun それを言い出すと「義務教育は人権侵害」も言えちゃうぞ
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hobbiel55
hobbiel55 それが人権侵害なら、教室にみんなで閉じ込められて勉強させられるのも人権侵害にならないか? educationtravelanond
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keidge
keidge 確かにまともに集団生活する機会なんて学生時代くらいしかないよね。私も苦手なタイプだったけど、得られるものは多いと思うよ。知識より経験の方が何倍も強いのが現実だし。
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zubtz5grhc
zubtz5grhc 学校に通わせられるのも働かされるのも金がないと生活できないのも人権侵害だわな。私は考えるのをやめてるが。
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mtk_inrs
mtk_inrs そう、希望制にすると親の都合で行かせてもらえない子が出てきてしまうかもしれないからね、、DX進めろ進めろ言うけど当たり前のように家にWi-Fi飛んでない家庭もあるからなかなか
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rna 初等教育全般が人権侵害的と言えばそうなんだけど、一定の知識とスキルを身につけないと本人が自分の権利を守れないからなぁ。軍隊教育由来の部分とか時代に合わせて何が必要かは再検討が必要だけど。
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songsfordrella
songsfordrella 高校の修学旅行、おそらくは外で干したのだろう宿泊先の宿の布団がブタクサの花粉だらけで、ひたすらくしゃみをしていた記憶しかない。そんなしょうもない思い出でも今となっては懐かしいもんです。
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chihiru
chihiru 中学の修学旅行は積立式だったけどそのお金を親が出してくれなかったようで不参加だった子がいたな…お金のことよくわかっておらずみんな当たり前に行くもんだと思ってたから少しショック受けた当時
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mur2
mur2 拒否すれば参加せずにすんだのでは?/自分もSoundCloud聴きながら2時間でも3時間でも長風呂してしまうのでいつも最後に入るようにしてる。
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unakowa
unakowa いじめられていたら話は違うが、そうでないなら集団 Permalink | 記事への反応(0) | 19:51
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240418072231
元増田もブコメでもモヤるんだけど、常勤を無期雇用の意味で捉えてる人が多くてなんだかなあと思う
助手が()付きなのは単独では授業や研究室をもてず、特定の研究室のお手伝いをすることが多い役職だから。場合によっては、単年契約だったり年限付きのパートタイムだったりする場合もある。大学院生がアルバイトでやっていることも多いね。
なお2007年ごろまでは、以下のような順序だった。
「助教授」だと教授の下働きのように思われるので、そうでないことを強調するために、「助教授」→「准教授」という名称に2007年ごろ国の方針で変わった。
現在「助教授」はほとんど存在しないのではないかな。たいてい准教授だと思う。
なお、「助教」という役職が新しく増えたのは、人手不足の中、助手に授業をやらせるためという説を聞いたことあるけれど本当かどうかは知らない。
さてここからが大学の闇なんだけど、大学の専任のポストは非常に限られていて、そのため非常勤であったり年限付きの役職が増えている。
まず、毎年の契約更新という最も弱い立場なのが非常勤講師。特定の授業を受け持つために契約するのだけど、授業の人気がなかったりカリキュラムの変更があったりするとあっさり来年は契約更新ありませんのでと言われる悲しい職階です。
そして、大学が5年間計画などを立てて、独自に予算を確保したり、国からお金をもらって作る年限付きのポストが特任ほげほげという職階です。
特任助教、特任准教授、特任教授。こういう名称は、5年間などの期限のあるプロジェクトのために作られた臨時のポストですから、そのプロジェクトが終わったら職を失うことになる。
その意味で、数年たったら職を失う特任准教授よりも、専任講師や助教の方が安定感と安心感が上みたいな逆転現象も起きてしまう。
だから、色々な大学の非常勤・特任職を渡り歩きながら、なんとか常勤(専任)のポストに潜り込むことが大学系の定番のキャリアパスとなります。
レアケースだけど、私立大学の特任准教授(30代後半)から、国立大学の専任の助教になる人もいます。そのような人はたいてい優秀なので助教→准教授→教授とすぐに昇進するけどね。
毎日仕事のできないカスい高齢者教員、何もしない教育委員会、朝から晩まで働いても残業すらつけられず、帰ってきたら泣いてしまう家族を見て何もできない自分が歯がゆくて仕方ない。
生徒はさておき、その親も酷い。
話を聞いてるとまともな親が本当にいない。
子供が悪いんじゃない。親の質が終わってる。
福岡は東京に次ぐ都市になるとかもてはやさてるネットニュースを見ていても教育という未来につながる部分が全く
全くといっていいほど機能してない。
まともな親は福岡に来ないほうが良いです。
教員が少なすぎるから仕事が出来ないカス教員が仕事のできる教員の足を引っ張ってヘラヘラと仕事も全うしないまま帰るような現場です。
やっと土日が来ても雀の涙ほどの金しか出ない部活や、クソほどにも役に立たない講話研修に参加させられて、どんどん疲弊していっています。
こんなことをさせて何になるのか。
そのカスが教育現場に居残るってことは生徒の質もどんどん悪くなるのは当たり前。
働き方改革とか残業代出すとか綺麗事は何も機能してないし、これからも機能しません。
なぜなら上は現場を全くわかっていない、知ろうともしてないからです。
本当に改善したいのなら、無駄なことを徹底的にやめさせてほしい。
一般企業ならクビレベルの仕事もできない人材が教育を担ってることにもっと危機感を持ってほしい。
教員は増えることはありません。
今0.5秒で思いついたのはー
辺りかな~。
曖昧にしてるおかげで成立しているから残業代出せないってことなんかねー。
つまる所、業態そのものが労働基準法に違反してるってことやな。
子供を育てるなんて仕事、浮世離れしてるぐらいじゃないとストレスで心を病むし、教員は社会から逸脱した存在であるべきなんやな~~