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2021-09-02

anond:20210902122818

ウーバーイーツの自転車配達人がママチャリの荷台に100均の網と結束バンドでカゴを自作している動画を見た

自転車パンクしたら車体をひっくり返すわけだが、あのカゴは邪魔になるだろうと思った

でもDIY感が面白かった

クマ鈴を買った100均吟味したところ、底の長いバスケットと結束バンドの220円分で簡易的な荷カゴは作れそうだと思った

セリアしか見てないがダイソーにはワイヤーバスケットがあるらしい

晴れたら見に行こう

2021-08-28

アイアンリーガーに騙された -3-

2(https://anond.hatelabo.jp/20210828220400)のつづき

意志を持つということ

アイアンリーガー』は、基本的には優しい物語だ。彼らの努力や苦闘は最終的には報われ、そして(恐らく)最後ハッピーエンドを迎えるだろう。(迎えますよね?)

 しかし、物語ロボットたちが直面する苦難は、決して甘いものではない。先述したロボットとしての宿命はもちろんのこと、彼らが心を持つモノであるが故の葛藤は非常に厳しいものだ。そして彼らの葛藤を通して僕たちに投げかけられている問いも、また厳しい。

 彼らは意志を持つモノだ。意志を持つからこそ、自らの宿命を乗り越える余地がある。しかし一方で、意志は必ずしも良いものとは限らない。あるいは、仮に良いものであったとしても、それが良い方向に働くとは限らない。一つの意志は、別の意志を阻害する可能性を持っている。あるいは、意志もまた一つの「制約」になりうる。トップジョイと彼を取り巻くシルバーキャッスル葛藤は、その象徴的な物語だ。

 トップジョイスパイ行為がまだ明るみになっていなかった時点で、トップジョイシルバーキャッスルは相容れない様相を見せていた。ラフプレーをするトップジョイを、シルバーキャッスルは認められないのだ。

 それまで、シルバーキャッスルメンバートップジョイを温かく受け入れていた。そしてトップジョイ自身も、スパイという立場でありながら、シルバーキャッスル好意を抱いていたに違いない。それにも関わらず、ラフプレーを繰り返すトップジョイに、シルバーキャッスルは厳しい態度を取った。

 ラフプレーは、トップジョイスパイ行為としてのものではなく、真にトップジョイが良かれと思ってした行為だった。それでも彼らはそれを認められなかった。試合決勝点となるオウンゴールを決められてしまった時でさえ「笑って済ませた」彼らが、である。彼らは結果として、トップジョイを追いやったダークのバスケットチームと同じことを、トップジョイに宣告する。

 それは、シルバーキャッスルの「意志」と、トップジョイの「意志」が対立した結果だ。

 フェアプレーを貫く。それがシルバーキャッスル意志であり、同時に、シルバーキャッスルシルバーキャッスルである理由だ。もしトップジョイラフプレーを受け入れてしまえば、シルバーキャッスルとしてある意味がなくなってしまう。特定目的(つまり意志)を持った集団は、その目的意志に反するモノを本質的に受け入れられない。たとえそれが悪意でなかったとしても、そして、「あなたが好き」であったとしてもだ。

 そしてトップジョイスパイ行為が明かされた時、シルバーキャッスルは、彼に手を差し伸べることができなかった。

 シルバーキャッスルリーガーたちは、皆善性の象徴のような存在として描かれている。それまでの話を通して、彼らの正々堂々を尊ぶ精神や、仲間を思う優しさ、苦難を乗り越える強さは、繰り返し描かれていた。その彼らが、目の前で苦しんでいるトップジョイを、仲間として助けることを一度は拒絶したのである

 そこで提示されたのは、彼らが、彼らの持つその善性故に救えないモノがあるという事実だった。

 仲間を傷つけかねない状況を作ったトップジョイを、彼らは許すことはできない。仲間を、大切なものを守りたいからこそ、それを裏切ったトップジョイを許すことはできない。彼らは自らの意志で彼を拒絶することを選んだ。それは決して悪意ではなく、誰かから強制されたものでもない。

 トップジョイの背景を知っている僕たちは、その光景に胸を痛める。しかしその光景は、僕たちに一つの事実を突きつける。僕たちもまた、トップジョイを受け入れられないかもしれないという可能性を持っているということだ。あのシルバーキャッスルでさえ、彼を受け入れられなかったのだから

アイアンリーガー』は、シルバーキャッスルリーガーたちを聖人にはしない。彼らもまた迷い、限界を持つ、あくまで僕たちと地続きの存在として描く。それ故に、シルバーキャッスルの姿は僕たちの一つの側面である。時に悪意のないものを悪とし、集団から排除する冷酷さを、僕たちは抱えている。

 シルバーキャッスルの「シルバーキャッスルを守りたい」という意志は、トップジョイの「ここにいたい」という意志を阻むものだった。それは同時に、トップジョイが好きだという、シルバーキャッスル自身意志をも阻んでいる。「意志を持つ」こと、そしてそれを貫くということの逃れ得ない宿業を、『アイアンリーガー』は真正から描き出す。

 しかし、それでもなお、『アイアンリーガー』は希望提示する。トップジョイは自らの意志でダークの呪縛を断ち切り、シルバーキャッスルメンバーもまた、彼を許し、受け入れる。

 トップジョイもまた、自らの意志が自らの制約となっていたキャラクターだった。過去に観客を沸かせて得た喜びと、それに基づく「あの場所に帰りたい」という意志は、新たに生まれた「シルバーキャッスルにいたい」という意志最後まで阻み続けた。第八話から続いた、シルバーキャッスル子どもたちと心を通わせながら、ダークのスパイであり続けるという彼の矛盾した行動は、その葛藤の現れだったのかもしれない。

 しか最後トップジョイは自らの中にあった意志相克を決着させた。本当に自分にとって大切なものは何かを、自分意志で決めた。そして、たとえそれがシルバーキャッスルに受け入れられなかったとしても、ダークにも、そしてシルバーキャッスルにも、どこにも自分の居場所がなくなるとしても、それでも「守りたい」という意志を貫いた。外面的な制約も内面的な制約も乗り越えて、トップジョイ意志を固め、それを全うした。

 シルバーキャッスルも、そんなトップジョイを受け入れることを選んだ。それは、トップジョイシルバーキャッスルに受け入れられるようになったから、というだけではない。許すという行為簡単なことではなく、受動的な行為でもない。彼ら自身トップジョイの行動と意志を見て、彼ら自身意志で、彼を許すと決めた。彼を再び仲間として迎え入れることを選んだ。「トップジョイと一緒にいたい」という意志を貫くことを決めたのだ。

アイアンリーガー』で描かれているのは、人間に操られる可哀想ロボットたちの悲劇ではない。第十三話の最後、仲間に囲まれトップジョイの絵に描かれているのは、与えられた場所で、与えられた形で生きざるを得ない「意志を持つモノ」ーーそしてそれと地続きにある僕たちーーが、その意志故に苦しみながらも、最後に至った希望の姿だ。意志を持つモノは、僕たちは、内にそれ故の冷酷さを抱えたままで、それでも誰かに優しくなることができる。過去呪縛を振り切り、過ちを許し、弱さを乗り越え、そして、自由になることができる。『アイアンリーガー』は、意志を持つということの宿業に向かい合いながら、それでもその先にある希望を見つめている。

その旅路の果てに

アイアンリーガー』という作品を、あえて外形的な説明を諦めて一文で表すとしたらーー月並み申し訳ないが、「意志を持つモノが思う通りに生きるために戦う物語」とでも言うのだろうか。

 ロボットという存在が、人間隠喩としての機能を持っていると既に述べたが、それは作中で描かれているスポーツにしても言えることだ。確かにアイアンリーガー』でロボットたちはスポーツをしているが、作中ではどうにもスポーツに対する拘りが見えない。グローブをはめてサッカーフィールドに出るわ、サッカーチームが野球試合に出るわ(おまけに「野球なんて簡単よ」という暴言まで吐く)、剣の道はバッターボックスにあるわ、スポーツをしている人間が怒り出しそうなほどのいい加減さが、『アイアンリーガー』にはある。

 結局のところ、スポーツもまた、一つの隠喩象徴に過ぎないのだろう。大切なのは彼らが「思う通りにやりたいことをやる」ことであり、その場がたまたまスポーツだっただけだ。乱暴に言えば、別にクラシックが持て囃される世界ロックを奏でる物語でも、新古典主義に対抗する印象派という物語でも良かったということである。もしかしたら『アイアンリーガー』の世界のどこか別の場所では、やはりロボットたちがそんな戦いを繰り広げているかもしれない。いずれにしても、それがどんな場所であれ、大切なのは彼らが「思う通りに生きる」ということである

アイアンリーガー』の中で、ロボットたちは「人」と呼ばれる。『アイアンリーガー』では、人間ロボットも、同じ意志感情や心を持つモノとして、同じように「人」と呼ばれているのだろう。ロボットたちは「人」として、「人」故の葛藤に苦しみながら、自らの意志で、為したいこと為したいように為す。それはシルバーキャッスルロボットであろうと、ヒール側のダークに所属するロボットであろうと同じである。誰が何と言おうとも、それが望まれものでなくても、それが好きで、ここが好きで、ここにいたいから、だから、戦う。世界と、そして、自分と。

 マッハウインディはダークの支配を、ブルアーマーは生まれながらに課せられたバグ過去を、極十郎太は剣士としてのプライド固定観念を、キアイリュウケン自分に与えられた役割機能を、トップジョイは与えられた心の特性と思い出という呪縛を乗り越えた。

 S-XXXは、その可能性を垣間見せつつも、乗り越えるところまで行き着くことができなかった。悲劇ではあるが、それもまた戦いの一つの結末である

 そして、マグナムエースは、GZはーーそれはきっと、これから描かれていくのだろう。彼らの物語は始まったばかりだ。

 そういうわけで、冒頭に戻る。「ロボットスポーツをするアニメ」では『アイアンリーガー』の何たるかは一ミリも伝わらないし、しかもこのアニメ子ども向けでもない。いや、もちろん子どもも観れる内容であるし、ぜひ見てほしいアニメであるが、しかし、この物語に真に共感するのは、社会の中で何らかの役割立場を与えられて生きづらさを感じている大人の方ではないかと思う(無論、子ども子どもで様々な制約の中で生きているのであるが)。覚悟もなく軽い気持ちで見始めた人間が、何もかもが詐欺だと喚き散らすのも許してほしい。心の遣り場がないのである

 覚悟ーーもちろん『アイアンリーガー』というエンターテイメント作品を楽しむのに覚悟などというもの不要な訳だが、しかし、彼らの生き様に心を震わせられる僕たちは、ロボットたちの姿に、一つの覚悟を問われているような気がしてならない。

「正直に生きろ」マグナムエース第一話でそう言った。

 意志を持つということ、意志を貫くということは、痛みや葛藤と隣り合わせだ。しかしその道の先に、意志を持つモノだけが見ることのできる世界が広がっている。僕たちを雁字搦めにする世界のあらゆる制約の中で、それでも、僕たちが「意志を持つモノ」として生きていくことへの厳しくも温かい声援が、僕が第十三話の時点で『アイアンリーガー』に見た、僕の指針としてのテーマだ。

アイアンリーガー』は三十年近く前の作品だが、未だ色褪せることのない魅力と、令和の時代にもなお僕たちが向き合い続けている命題を宿している。この時代にこの作品出会えた幸運に思いを致し、僕にその切っ掛けを与えてくれた先達たちに心より感謝を申し上げる。

 そして、彼らの旅路の果てを、遅まきながら見届けたいと願う。

 おわり

※本筋とまったく関係がないのでここに書くが、そもそもとして、作品テーマというものは、作者が自分表現したいものを「表現するための」指針の一つであり、そして作品受け手の側に立てば、受け手が自らのフィルタを通して、ある種「勝手に」見出した「何か」、あるいは作品を「受け取るための」指針であると僕は考えている。そして、作品というものが、作者の発信と受け手の受信の双方によって初めて成立するものである以上、作者の意図するテーマ受け手の受け取ったテーマが異なっていたとしても(あるいは、作者がテーマを全く設定していなかったとしても)、そのどちらかが正しいということはあり得ない。(曲解を元に作品や作者を誹謗中傷するのなら、それは作品テーマ解釈とは別問題である。)作品に「真のテーマ」などというもの存在しないし、作者が作品テーマを込めようと込めまいと、そして受け取り手テーマを見出そうと見出すまいと、それは作品本質には何ら関係がないのである

アイアンリーガーに騙された -2-

1(https://anond.hatelabo.jp/20210828215226)のつづき

プログラムされた意思

 第九話では、トップジョイの正体と過去が明らかにされる。もともとダークスポーツ財団で「作られた」トップジョイは、ショックサーキットという枷を掛けられ、スパイ行為を「ほとんど」強制されていた。これまで意思を持ち、それを自由行使できると思われていたロボットが、実はそうではなかったということが、ここで明らかになる。

 もちろん、ショックサーキット自体第一話の時点でマッハウインディに埋め込まれた形で登場している。ダークスポーツ財団ロボットたちに背反を許さないようにし、彼らの自由を奪っている事実は、物語の冒頭から提示されていた。

 だが第九話から続くトップジョイ物語は、マッハウインディがショックサーキットに苦しみ、そして克服した第一話・第二話とは少し様子が異なる。マッハウインディが自らダークの元を去り、早々にショックサーキットを切除して完全にダークとの絆を絶ったのに対し、トップジョイはそこから十三話まで、「自らの意思で」ダークとの関係を持ち続けているのである

 トップジョイが――シルバーキャッスル好意を抱き、マグナムエースから手を差し伸べられていたにも関わらず――なぜ十三話までダークとの縁を切らなかったのかについては、明確な描写がなく、少々解釈が難しい。ここから先は憶測比重が非常に大きくなるので、ご容赦いただきたい。

 第九話で、トップジョイはフェアプレーを重んじるシルバーキャッスル、及びそれに共感する子どもたちを「理解できない」と言った。「ラフプレーをすれば客は喜ぶ」「客を喜ばせるのがアイアンリーガー」だと。

 これは、シルバーキャッスルを内部から撹乱するというスパイ行為による言葉ではない。トップジョイ本心だ。彼は本心ラフプレーを正しい行為と捉えているのである。同じ本心で、第八話でキアイリュウケンオーナーの絆に涙し、子どもたちと純粋交流を楽しんでいる一方で。

 同時に、九話ではトップジョイ過去と思いが垣間見える。「楽しむ」ことを大切にした結果、バスケットチームから放逐された過去。それでも忘れられない、バスケットリーガである自分に向けられた観客の歓声。あの場所に戻りたいという思いが、トップジョイ根底にある。

 彼がぎりぎりまでダークとの絆を絶てないでいたのには、この思いが大きいのではないだろうか。トップジョイがダークに従っているのは、ショックサーキットけが理由ではない。もっと根底の、自分存在のものに関わる意思ーーあるいは、心ーーである

 これは完全に僕の推測であるが、第八話で示唆された「ロボットは、人間役割を与えられ、それに相応しいように設計プログラムされて生み出される」という事実を踏まえると、トップジョイのこの「意思(心)」もまた、ある程度製造者によってプログラムされたものではないだろうか。

 作中で、ロボット意思思考、心が人間プログラムされたものだという直接的な言及は(現状)ない。だが彼らが「注文に応じて製造される商品」としての一面を持つ以上、ロボット人間赤ん坊と同じようにまっさら状態で納品されるとは思えない。彼らは製造された時点である程度の機体性能、そして知能と知識を有し、そこには人間意向が相当程度反映されていると考えるのが自然である

トップジョイ」という名前であるがーー彼らがある程度完成された状態で世に出るとしたら、彼らの名前は、その機能・性能にちなんだものであるのだろう(もちろんまったく関係のない場合もあるかもしれないが)。ロボット機能・性能は、つまり製造者が彼らに込めた役割と期待である。「ジョイ」つまり「喜び」。彼は、人に「喜び」をもたらす存在としての役割を期待されたのではないか。故に、ああいった明るい性格に設定され、他者の喜びを自分の喜びとするような性格プログラムされたのではないか。そして、そのプログラムされた心でラフプレーに喜ぶ観客たちを見て、それを自分の喜びとして、そして正しいこととして学習したのではないだろうか。

製造された時点でラフプレーを正しい行為としてインプットされていた可能性もあるが、第九話のトップジョイの「教わった」という言い振り的に、その可能性は薄そうである。)

 だが、その期待は裏目に出た。明るく楽しくを第一義とする性格チームメイトの反感を買い、彼は本来活躍するはずだったバスケットコートに立つことができなくなった。その後、シルバーキャッスルにおいてはーー彼自身純粋から本来スパイという立場を越えて、彼らに好意を抱いているにも関わらずーー逆にラフプレーを許すことができないシルバーキャッスルの皆の心を理解できず、孤立してしまう。

 そして、ダークから虐待を受けても、マグナムエースたちから手を差し伸べられても、本当に自分が望むことに気づきかけても、プログラムされた心で過去に学び、感じた喜びを忘れることができず、ダークとの繋がりを断つことができなかったのではないか

 人間の都合によってプログラムされた「心」によって、トップジョイは傷つき続けていたのではないか

 人間と全く同じように喜び、悲しみ、悩み、傷つく「心」を、人間の都合によって作り出すというこの世界の不気味さが、トップジョイによって突きつけられる。

 そして、第十一話でのS-XXXの結末が、それを決定的にする。

 S-XXXはこれまでのロボットたちとは違い、意思感情の乏しい存在として描かれる。それは本来、僕たちが「ロボット」と聞いて思い浮かべるイメージに近い。

 S-XXXはテンプレート的な「ロボット」として、命令だけを忠実に実行し、サッカーフィールドで「戦争」を繰り広げた。そして最後は、マグナムエースによって破壊される。

 第十一話では、これまでよりも明確にロボットが「商品であることが語られる。S-XXXはアイアンソルジャーという「商品」として、敵を殲滅する者としての役割として与えられ、その破壊力を期待され、品定めされる。彼のロボット然とした意思感情の薄さは、兵士として忠実に命令を実行することを求められ、そうプログラムされた結果なのではないだろうか。

 しかし一方で、S-XXXは「敵を倒す」という目的に対し非合理的シルバーキャッスルの行動に困惑し、動揺する。そして、マグナムエースの「新しい道」という言葉に、ほんの一瞬であるが、本来あるはずのなかった「迷い」を見せた。

 S-XXXにも、心は存在した。

 なぜS-XXXの製造者が「兵器であるロボット「心」が生まれるような知能を搭載したのか、その理由はよく分からない。スポーツ選手であるアイアンリーガーであれば、人間がある種のカタルシスを得るための機能として、人間と同じような心や感情を搭載する理由もある程度理解できるが、迷いが命取りとなる戦場に送り込む兵器に、それは不要のはずである

 もしかしたら「心」というものは、それは製造者意図的ものではなく、自分学習し、アップデートしていくことができるほど高度な知能には、逃れられない副産物なのかもしれない。

 いずれにしても、例え人間ほとんどをプログラムされたものであったとしても、兵器であったS-XXXにさえ、心は存在した。そして僅かに、けれど確かに「新しい道」へと進む可能性があった。

 にも関わらず、第十一話の商人たちは、彼を徹底的に「商品」として扱った。そしてS-XXX自身も、「戦場でない場所には存在不可能」と語っている。

 ロボットは、人間によって役割定義されている。そしてその役割を果たせなければ、彼らは自らの存在意義すら失いかねないのである

 この『アイアンリーガー』の世界に横たわる現実を受け止めるのに、相当な時間を要した。いや、実際まだ受け止められてはいないのかもしれない。人間は自らの都合によって、自分たちとほとんど変わらない心や感情を持つロボット役割という枠に押し込めて生み出し、その存在をも人間の都合によって左右する。この神の模倣とも思える傲慢さに、幾たび怨嗟を吐いたかしれない。

 一方で、自らの意志で生き、誇りを持って戦っているロボットたちを哀れみ、同情を寄せるようなことは、彼らに対する侮辱ではないかという思いもずっとあった。

 僕の心は千々に乱れ、分裂し、二転三転し、自己矛盾に苦しむ日々が続いた。「ロボットスポーツをする子ども向けのアニメ」を観てそんな感情に取り憑かれるなど、一体誰が予想できよう。

 しかし、である。一通り憎悪煩悶に身を投じた後に、ふと気づいたことがある。

 ロボットたちが置かれた現実は、結局、僕たちの生きる現実と同じなのではないか、と。

人間ロボットロボット人間

 僕が七転八倒している時、僕に『アイアンリーガー』を教えてくれた先達は、一つの問いを僕に投げかけた。「ならば、アイアンリーガーはどうなったら幸せなのか」と。

 頭を殴られたような衝撃を受けたせいで、僕がその時どのように答えたのか、正確には記憶していない。「彼らが、やりたいことをやりたいようにやれる」のようなことを言ったような気がする。

 月並み言葉を振り絞りながら、僕はぼんやりと「どこかで聞いたような話だな」と思った。よくある話。人間幸せを語るときに、よく言われるような言葉だと。

 そして、僕の思考は再び振り出しへと戻った。『アイアンリーガー』に最初に感じた、違和感にも似て、それでいて温かかった感覚人間ロボットが、同じ意志や心や感情を持つ存在として、同じように生きている世界

 第一話でマッハウインディはこう言った。俺たちロボットも「人間と同じなんだよ」と。

 それはつまり人間もまたロボットと同じであることを意味する。

 この国で生まれれば(その実態はどうあれ)、僕たちは一応、自由意志(ここでは各種の哲学定義無視して、単に「他から強制・拘束・妨害などを受けないで、行動や選択自発的に決定しうる意志」という意味で用いる。)を認められた存在である

 しかし、完全に自由人間など存在しない。人間もまた、さまざまな制約の中で生きている。親、夫、妻、上司、部下、教師学生、老人、若者、友人……そういった役割立場を与えられ、家庭環境ジェンダー経済力文化時代価値観……そんなあらゆる枠に押し込められながら、社会の中での「あるべき姿」「あるべき意志」を定義され、それに応える「社会人」に育てられてゆく。それは、人間、あるいは「社会」の要請意思や心をプログラムされるロボットと、実はそう大差ないのではないか(語弊を恐れずに言えば、教育とは一種プログラミングである)。

 真に自分の望むように生きている人間などほとんどいない。皆、社会の中で折り合いをつけながら成長し、社会の中で生きている。そして、労働市場の中で自らの価値を計られ、自己存在意義を証明し続けることを要求される。

(そうあるべき、と思っているのではない。ただ事実として、それが資本主義社会の一側面であることは否定できないとも僕は考えている。)

 その姿は、役割を与えられ、商品として売買されるロボットに重なる。

 もちろん、『アイアンリーガー』においてロボットたちが置かれている状況は、僕たち人間より深刻だ。彼らは自らの存在の前提として役割がある。役割がなければ彼らは存在し得ないし、その役割への期待に基づいてプログラムされた意志や心の拘束度は、人間のそれよりも遥かに強い。

 しかし、あらゆる寓話がそうであるように、度合いが強いからといって、それが全く違うということにはならない。制約の中で、それでもなお自らの意志を貫き通そうとするロボットたちの姿に、僕たちは僕たちの姿を見るのである

アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の訳者あとがきに書いてあったことだが、アンガス・テイラーという人は、フィリップ・K・ディックの書くアンドロイドについて(「機械的な行動パターンに侵された」、あるいは「内面的に阻害された」)人間隠喩象徴であると述べたそうだ。そして訳者浅倉久志氏は、この作品の中に「人間とは何か?」というテーマに取り組んだとしている。『アイアンリーガー』も、それと似たような物語ではないかと、僕は思う。つまり、『アイアンリーガー』に登場するロボットたちもまた、僕たち「意志を持つモノ」、つまり人間隠喩であり、『アイアンリーガー』は、「意志あるモノが自由を手に入れる」物語ではないかと。

 こんなことを考えているうちに、僕は『BEASTARS』のことを思い出した。『BEASTARS』の登場「動物」も、姿形は動物のそれであるが、やはり人間と同じような意思感情を持つ。彼らを通して描かれているのは、そういった心を持つモノたちのドラマだ。人間と同じ意思感情を持つモノたちが、しかし肉食・草食動物それぞれの身体特性、言い換えれば宿命という強制と制約を背負いながら、学校という一つの閉鎖社会の中で苦悩し、ぶつかり合い、時には折り合いをつけながら生きていく。負った宿命の中身や程度は違えど、そこに描かれているのは紛れもなく心を持つモノーーつまり僕たちの物語である

 と、このような書き方をしたが、あくまでこれは『アイアンリーガー』(や『BEASTARS』)という作品に僕たちが心を動かされる「絡繰」、結果論をそれっぽく言い募っているだけである。『アイアンリーガー』は(恐らく)寓話ではないし、アニメスタッフが彼らロボット人間象徴、あるいはその苦悩の投影先として選んだ、というのも(なんとなくだが)違うような気がする。正直、単にロボットが好きなだけな気がしてならない。

 これについては、象徴隠喩というよりも、同じく『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の訳者あとがき引用されていた、次のような表現が相応しいように思う。(原典に当たっておらず申し訳ない。)

ディックにおいて、人間アンドロイド生物学上の、あるいは自然科学上の区別は、まったく無意味である。(中略)ディックは、『アンドロイド』と『人間』の形式上区別には関心がない。(中略)ディック世界では、そもそも人間機械自然と人工といった単純な二分律は棄却されている」(『銀星倶楽部12 後藤将之氏「フィリップ・K・ディック社会思想」)

アイアンリーガー』に描かれているロボットたちの生き様を語るのに、彼らが生み出された経緯や理由に潜む人間の驕慢さなどは、意味をなさない。彼らの前で、人間自分たちと同じ心を持つモノを恣意的に生み出すという行為の是非を問うことは無意味であるいかに彼らのルーツに薄ら寒い人間欲望が渦巻き、彼らの意志人間によって指向性を持たされているとしても、それは彼らが「その」自らの意志決断し、戦い、生きてゆく征途の輝きを何ら曇らせるものではない。

 彼らは、ロボットとしての宿命を背負う自らの存在を呪うことはない。背負った宿命の中で、心を持つ故に葛藤に苛まれながらも、心を持つ故に抱いた意志で、自らの宿命を乗り越え、未来を切り開いていく。フェアプレーをしたい。スポーツをしたい。道を極めたい。この場所にいたい。君と一緒にいたい。たとえ世界がそれを許さなくとも、世界がそれを笑おうとも、自らの意志で在りたいように在る。その姿は僕たちと地続きのものだ。彼らはロボットであるから尊いのではない。僕らと同じであるから、眩しいのである

3(https://anond.hatelabo.jp/20210828220439)につづく

2021-08-02

anond:20210802140418

身長190㎝弱、体重100㎏くらいという、どう見てもバスケットサッカーやるべきだったし、何を好き好んで、プログラムなんぞ書いてるの?適性が違うだろ?って、言いたくなるような奴だ。

俺にそれだけのガタイ運動能力があれば、Jリーガー目指してたねって良く言ってる位には、羨ましく思ってる。女性を襲う必要なんか全くない程モテるしな。

これ自体極めて偏見に満ちていて差別的だって分からんやつにギャーギャー言われたくないだろうな

そもそも友人の町内会の話にお前が介入してるのがおかしいか釣りしかないんだろうが

なんで町内会の奴が関係ないお前に仲介を頼むんだよw

2021-08-01

COVIDからフロリダに愛をこめて

ニューヨークからフロリダへとヒッチハイクの旅はトラックを経由した。光り輝くフロリダオレンジ太陽が私の帽子を貫く。木漏れ日に目を細めるとトラック運転手は荷台へ向かって大声を張り上げた。

「おまえさん、こんななにもない場所へどうしたんだい!」

私のうまく起こせない上体はトラックの端にある紐で結ばれている。少し前運転手バスケットコートカメラから見るボールみたいに目を大きくした。私の身体は動かず、車椅子に支えられていたからだ。あんたそんなのでどうして遠出しようってんだ、と運転手は感嘆の声を上げた。それが二時間ほど前のことだ。

私は運転手家族集会があることを伝え、その用事バーベキューであることを教えた。それからフロリダ州の看板が見えたので、コントラストを強く投射する景色を風に流しながら、私の名前を伝える。そうかい、メグっていうのかい、と運転手は陽気に答えた。林立するビルを縫って突き抜ける青が歯科医に飛び込んでくる。フロリダオレンジの国じゃない。避暑地だ。だからバーベキューには都合がいいのだ。多分そうだし、そういうことにしよう。うちの家族に振り回されたことは忘れて。<溶け出しそうな>夏の頃が思い出されたとしても。そういえばあの日もこんな風に感想した風が髪の毛をさらっていったものだ。サングラスが反射する光のその先に目的地があった。





「どうしてそんな事を言うの」

電話の向こう側でケンがなにかの言い訳をしている。言い訳の仕方はまるで父そっくりだ。もうそんなところばかりだ。わたしときたらそんなケンに向かっていつもは冷静なのだけど、彼が父のように逃げ続けるさまを見ていると、どうしても声を張り上げてしまう。ケンはそんな時に決まって「メグはママそっくりだよ」と吐き捨てるようにいう。全く美味しくないチリソースアスファルトにぶちまけるようにだ。理由はこうだ。本当はここで開催される予定だったバーベキュー大会が、父の会社の都合で大きな話になり、他企業を巻き込んだバーベキュー大会に発展したらしい。それも開催地は何故か日本。私はケンに、肉よりも寿司日本でなぜバーベキューなのかと問い詰めたが、頭に血が上っているのかケン日本だって神戸牛があるし、開催地としてアメリカとは違った面白さが出せるんだといい始めた。違う、そういうことじゃない。少なくとも久しぶりの家族バーベキューが行われ、とってもプライベートものだって聞いていたのに、どうしてそれがお父さんの会社と関わっているのか聴きたいのだ。しかケンはこれは日本米国の絆を結ぶためのものなのだ、と主張してやまない。ALS-CoVζ+が未だ収まっていない時期になぜそんなに話を大きくしてしまうのだろうか。そんなことはどうだっていい。それよりも、家族の一致団結できる機会が失われた事実が私にとってショックだった。素晴らしい日差しの下でトロピカルフルーツソーダの飲みながら、サンオイル日焼けをしている人達もいるのに。





「やあケン。今回は会社から大会趣旨が発表されてね。ぜひ神戸牛アンガス牛の対抗戦をという事になったんだ」

「それで、勝った方には?」

「純金製のメダルが贈呈されるだけだよ」

「だけ?」というケンの声がスマートフォン不協和音とともに響いた。父のノキア製は日本ではマイナーだと聞かされて、その音質に少しだけ疑いを持ち始めたばかりだ。父はケン懸念事項がバーベキューの開催予定地のことばかりだと思っていたが、どうやらそのノキアで聞く限りそうではないらしいことが理解された。ケンは明らかに家族集会が壊されたことを怒っており、主催は誰だと問い詰めてきたのだ。父はやむなくドビュッシー会長という人物だと述べたが、俺はクラシック名曲よりも古いラップが好きなんだと皮肉交じりに父の言葉を投げ捨てた。まるでそれじゃあ、ダディはまたしても「お山」の大将「だ」ろうとまでいう。ダディーはクールじゃないとまで言い放った。それは一体何のジョークだいというと、日本版の4chのセリフさ、と返すばかりだった。ゼータ株はあの頃の僕たちのキャンプを奪ったが、父は僕たちから家族の有り様を奪おうとしているのではないか、そんな懸念ケンの頭をもたげた。そのくせゼータ株は活発に人々を結びつけようとしていやがる。ニューヨークからメグを追いかけるケンハンドルを回しながらそうつぶやいた。





ケンがメグと合流して数時間後、隔離完了して未感染者のみが利用できるビーチで突然人が溶けた。その液体は灰色と真っ黒な血をビーチに滴らせ、バーベキューの肉のようにビーチの砂を汚した。それとは関係なく海鳥は通り過ぎ、メグは声にならない声とともにジーザスという単語ピンク色のリップを塗った唇から漏らした。到着したばかりのケンは目の前で人々が弾けて溶けてゆくさまを見て、エボラか何かかと目を疑い、それが数年前に起こった悪夢の再来であることを知覚した。フロリダ州に緊急事態宣言が敷かれ、州知事政府圧力によって州ごと隔離されたことを発表した。通信網は途絶え、父との国際連絡も取れなくなったメグとケンは、暴徒鎮圧用のゴム弾を装備したSWATたちに誘導されて収容施設へと向かった。発電の電源はかろうじて発電機型のバッテリーとして供給され、被災地には水が運び込まれた。しかしそのどれもが決死覚悟で運ばれてくるものであり、運転手は全身防護用の白い服を着て入念な消毒を経た後にフロリダへと入り、そして出てゆく際にも消毒を行わなければならなかった。ひとまずイントラネットとして暫定的に繋がれた外との通信によりニュースだけを見ることができた。

そうして避難所での生活が進む中、ウィルス隔離された人々の間に奇妙な一体感が生まれようとしていた。それはヒステリックな怒りであったり、それを鎮めようとするものであったり、また話し合いによって解決しようとする者達や、殴り合ったあとで肩を組み合うレッドネックたちなどによってだ。彼等はお互いをファミリーと呼び合い、外にいる連中をウォーキング・デッドだと笑いとばした。正気が保てない人々は、普段忌み嫌っている低所得層レッドネックたちの話をよく聞いた。富裕層たちは臨時学校を開いて塾を作り、黒人たちは放課後と称して子どもたちにバスケットボールを教えた。そうして閉鎖空間は小さな社会になった。ケンもメグもよく話し合った。とりわけ、ゼータ株のことについてだ。彼等は先日の家族のことを思い出して悲憤慷慨し、やがてウィルスによって僕たちの絆が深また奇妙さと、ウィルスによって人々がばらばらになった悲劇を語り合った。

その頃からメグの夢枕には、なくなった叔父の姿が映るようになった。叔父家族の異事で何かをいいかけていたが、そのたびに消えてしまう。そんな夜が繰り返された後のある朝、フロリダ海岸にある変化が起こった。その変化はイントラネットTVに映し出されると、やがて通信の全てが回復した。日本企業ソフトバンク提供する緊急ブロードバンド回線につながったメグたちのスマートフォンは、あるものものしい人物たちを映し出した。それは水陸両用車両のようにも見え、中から防護服をつけた人が降りてくるのが見えた。車両には見慣れない文字が書かれており、不意にケンがそれを見て叫んだ。まるでパーティーが始まったかのような喜びようだった。見なよ、あれは"セルフディフェンスフォース"だぜ! ケンの指差す画像の向こうにあったもの。それは自衛隊揚陸艇であった。第十七小隊、フタマルマルこれより状況開始。という声とともに彼等は海岸に落ちた血や散らかった廃棄物、まるでタイフーンにやられた風に映るカビの生えた建築物撤去し始めた。そんな作業が一週間もつづくと避難場所衛星問題はすっかり快適になり、自衛隊の面々と記念写真すら取れるまでに改善した。ケンはその時彼等にどうして来たのが十七小隊なんだいと問いかけたが、ある隊員は、十七小隊は俺達のメダルみたいなもんさ。と笑って返すのみだった。ケンはそれを聞いて、じゃあ俺たちはあんたたちに助けられたから十六小隊でいいさ、と破顔した(筆者注:2021/08/01)。





日本にいる無責任な父は流石に心配な顔をして息子たちを迎えた。ただし父は両名が無事であることを確認すると1、バーベキュー大会玉石混交パトルロワイヤルでありジャパニーズヤキニクとチンギスハーン、バーベキューの三つ巴の戦いだったと熱く語り始めた。勝敗の決し方があまり不透明競技だが、メグにとってそんな話はもはやどうでも良かった。怪しげなバー審査員のことにも興味がなかった。父がミヤゲに持って帰ったネギマをケンは頬張っていたが、メグはどうしたって騙されることはなかった。クールビューティーと目される荒川静香イナバウアーが見たかったというわけの分からい答弁を無視して、メグは今回の隔離事件顛末を事細かに語った。父はそんな事知ってるさと遮ろうとするが、メグは人差し指を父の唇に当てると子供を諭すように父と目を合わせた。彼女は、「それで今回の事件でとっても頼もしいステディな人ができたのよ。自衛隊員の人なの」、という。父は喋りかけていた口を閉じると、目を白黒させた。あのフロリダオレンジの目を見開いたトラック運転手のようにである

しかしやはり父は普通人間と少し違った。それなら早く紹介しなさい。次のバーベキュー大会があるんだ、と彼を巻き込もうとし始めたのだ。メグは両手を上げて首を横に振ると、やはりちょっと前の出来事を少しだけ回想しながらジーザス、と小声でつぶやいた。

ケンはそんな様子を見て、口の中のネギをすっかり胃袋の中に押し込めながら、こいつにケチャップをかけると日本人とも仲良くできるかもね、と一人で口角を上げた。ゼータ株が運んだ全ての問題は、まるでその性質のように全てを溶かして人々をつなぎ、父子は空港で呆れながら仲良く語り合った。避難所メンバーメール着信がなり響いてメグがその知らせに目配せする。

ちょっぴり滅茶苦茶なナリタに醤油匂いが少しだけ香った。


※別作者です。おしまい

2021-07-24

はてなブックマークってもしかして「悪」インターネットなのか???

[B! オリンピック] 内村航平五輪終わる 体操予選の鉄棒で落下、決勝に進めず - 一般スポーツ,テニス,バスケット,ラグビー,アメフット,格闘技,陸上 [体操]:朝日新聞デジタル https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASP7S53V4P7SUTQP01P.html

b:id:maicou みんな叩いてるコメ非難してるけど今の日本でこれは叩かれないはずがない案件なので無理。そんな理想的社会ならもっとみんな生きやすいはずじゃないか逆張りはてな仕草

b:id:rgfx 引き際に当たって、今まで他人様の命に吐きちらしてきたツバを全力で呑んでいくスタイルアスリートって、誰の需要があるのか分かりませんがまあ大変そうですねえ。今まで大変お疲れ様でした。 オリンピック 自民党

b:id:kyuusyuuzinn 正直、今回のオリンピックに関しては、日本人の金メダル数が増えれば増えるほど日本にとってマイナスになるので、予選落ちしてくれて良かったと思う。

b:id:mirunaラグビー日本代表平尾選手発言と比べたらこんな奴擁護できるわけないじゃん。https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/3457728/

b:id:alaska4 体育の授業では公教育の場でスポーツに失敗したせいで笑い者にされ続けてきたのだから、同じ事を今まで威張り続けてきたアスリート様に対してやり返す機会があるならそれを活用したいと思うのが人情。ざまあみろ!

b:id:ippy0000 国民に敬意を持った発言と行動が出来なかったんだからアスリートに敬意を持てなんてもう無理な話では。 / 嘲笑はどうかと思うけど、あれだけ感動と勇気を届けるって言っておいてこんなにあっさり負けたら呆れるわ。

b:id:hate_flag 国民生命危険さら五輪開催を強行させた貴族様が失脚したらそりゃ快哉を叫ぶだろ普通

b:id:IZqCqpA629KuL1 エッセンシャルワーカーでもないアスリート様に対して何があっても敬意を払わないといけないという考え方もおかしいと思うがな。反感を買うようなコメントをしたのは事実だし叩くブコメがあるのも自然な気がする

b:id:akikonian 他人生活生命蔑ろにし、自分価値観を張って結果を出せなかったら、せせら笑われるのは当たり前じゃないですかね。因果応報やで。(笑う気はなくておつかれさんとは想うが

b:id:camellow 彼もコロナ被害者か。こんなタイミングでの開催でなければ、余計な発言をしたくなる状況でなければ拍手で退場を見送られたかも知れない。だけどそうはならなかったんだよ、としか思わない。カッコ悪かったなコイツ

b:id:Arturo_Ui政治が決めたことには逆らえない」とまで言っといて予選落ちとかダサすぎねえか、土下座するなら新型コロナで大変なことになってる患者病院関係者に対してじゃねえの?とは思いました。 マジレス

b:id:ch1248 コロナ禍で「もっと応援しろ」「選手への敬意が無い」的な事を言ってたので、好きから嫌いになった選手の1人。罵倒の1つもしたくはなる。擁護コメントも俺には醜悪に見えるよ。 sportsNEWS*資料はてな周辺

b:id:faaaaa 応援してないしむしろあの発言でムカついてたかスカッとした

b:id:agricola自分の金で体操してる分には外野に四の五の言われる筋合いはないんだけど、税金入ってますからね。納税者が色々言うのは避けられないかと(ドヤァッ

b:id:babaye 内村勇気と感動を届けることしかできない」←嘲笑しか届けていない件 https://www.nikkansports.com/m/olympic/tokyo2020/gymnastics/news/202107060000965_m.html

b:id:ikihaji_kun こいつらがやりたがったオリンピックのせいでコロナ禍が拡大して家族自分被害に遭うかもしれないわけだが。応援したり労う気にはとてもなれない

b:id:kenjou 「どうすれば開催できるか考えて」→「選手世界は変えられない」発言コンボのせいで、すっかり印象が悪いので、このニュースを見ても「ふーん、そうなんだ、落ちをつけたんだね」くらいしか感想が出てこない。

b:id:getcha 燃え発言は「できないではなく、どうやったらできるか?を皆さんで考えてほしい」。興味ない人に取っては「え?皆さん?」と感じる敬意の無い不遜な態度でトラブルのは避けられないと思う。お疲れ様

b:id:kindara あなた五輪出場は日本国民健康経済犠牲にしてまでの価値はありましたか

b:id:IkaMaru 今回の一件でアスリートは無条件に敬意を払われるのではなく、失敗したら笑われる程度の存在になった。それだけのことじゃないですかね

b:id:custardtarte選手には世界は変えられない」 五輪オリンピック

b:id:grdgs できないじゃなくどうやったらできるかを考えろとブラック上司のようなこと言っての結果なので、状況と身の程を知るべきと、身を持って知っていただけたでしょうか。お疲れさまでした。

b:id:FutureIsWhatWeAre 選挙出そうだなあ

b:id:pptp これが感動ってやつですか?

b:id:cotbormi 自分の事しか考えず、五輪出たいしか言わなかったクソ野郎の末路。いい気味だ。 / 発言は別問題??そんなだから五輪中止にならないんだよ! / 選手は結果が全てだろ。金メダルを口にするなら尚更。

b:id:sattox 感動の送り付け商法できなくて、さぞかし無念でしょうね。お疲れ様でした。 ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ

b:id:kintoki3 実力相応の結果。引き際が肝心と学んで欲しい。

b:id:emt0 五輪開催へのアシスト役割果たしてたし、引退後の人生は安泰じゃない?もしかして自民から立候補とか?

b:id:a_ako いやー、これはちょっと。。実力の遜色ない若手を押しのけて代表取って、五輪開催の是非にも強気発言してて。結局ベストパフォーマンスを発揮できなかったとは。。引き際の美学って大事ね。

b:id:cringe 内村ざまああああああああああwこれで夜の池江にも期待できる、女子400mリレー金逸大戦犯(予定)池江を叩くぞ!叩くぞ叩くぞ!池江を叩くぞ!池江を叩くぞ!叩くぞ叩くぞ!!池江を叩くぞ池江を叩くぞ!!叩くぞ叩く

b:id:le_cinema "できないじゃなく、どうやったらできるかをみなさんで考えて" "国民のみなさんとアスリートが同じ気持ちでないと大会はできない" https://www.nikkansports.com/sports/news/202011080001107.html 傲慢な金メダリスト様も予選落ち TOKYO2020

b:id:zapa 池江璃花子努力は必ず報われる」

b:id:cha9 ざまあ。あの言葉忘れとらんで。コロナより自分自分自分自分中心に世界回ってると思い上がった鼻っ柱で振り落とされるんや。開催まで亡くなった命とこれから亡くなる命の重さを知ってせめて無様に負けてくれや。

b:id:tokatongtong選手が何を言っても変わらない」の内村航平(32)さん、残念ながらメダル報奨金を手にできず

anond:20210724203252

2021-07-23

anond:20210723224353

微妙っぽいから安売りになった時に買うかと思ってバスケットに入れてたAVを誤クリックして定価で買っちゃった

予想通り微妙だった・・・

やれば成功だって分かってたでしょ?w

それが分かってるから、開催させたくなくて無茶苦茶なことを言って反対してきたメディアや、野党支持者の皆さんお疲れ様

開催してしまえば、ご覧の通り、世界中が皆感動してやって良かったってなる

これからメダルが獲得されるごとに喜びはどんどん増えていくし、陸上100m、バスケットサッカー野球メダルを取ろうもんなら

日本中お祭りになって、東京五輪大成功だったって結論しかならないし、世界中自国活躍を喜ぶ声が溢れる

それが分かってたから、あれだけ無様に反対してきたんだろうけど、残念でしたね

開催してしまえば勝ち確定ですw

2021-06-18

はてなやめるので10000ブクマ見返した+ブクマカの名(迷)言まとめた(13

anond:20210618213535

他2

電気炊飯器使ってるの?ご飯電磁波が!!」「えっテフロンフライパンを!?」「洗濯機!?服が汚染されるよ!!」「蛍光灯電球なんてだめ!人工的な光!!」「機械織りの布を肌に?正気なの!?」とやって文明を捨てさせてみたい - id:Tamemaru

ブコメページ - 異臭がする子供ワクチン拒否…義妹が「自然派ママ」になりまして - BIGLOBEニュース

才能あるやつは努力努力と思っていない定期 - ブコメ削除

男とか女とかではなく人間のものキチガイしかいないと早く気付こう - ブコメ削除

東京五輪は人命よりも重いのよね - id:idealstream

ブコメページ - 金なし場所なしホテルなし…東京五輪の影響で高校総体が史上初の中止危機サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュース

健全な肉体に健全精神が宿るとは限らない - id:air7743

ブコメページ - たかが二段、三段ごときが」 暴言男性全柔連処分 - 一般スポーツ,テニス,バスケット,ラグビー,アメフット,格闘技,陸上朝日新聞デジタル

お金ゆとりは心のゆとり。ただし、お金に囚われてしまった人の心には、ゆとりは訪れない。 - id:yoiIT

ブコメページ - 野村證券また逮捕者2019年だけで6人(金2薬2女2)に : 市況かぶ全力2階建

何が楽しいのかわからない記事を書いて何が楽しいのかわからない - id:chocolaterock

ブコメページ - キャンプのなにが楽しいのかわからない - ちるろぐ

ハイ中止~~~~!!!! 独り身ぶって友人のいる生活をワンランク上の人生みたいなアピールする奴が出没したか今日増田は中止~~~~~~!!! 中止中止中止~~~~~!!! - id:suimin28

ブコメページ - 人生は一人でも十分楽しい

エントリ過ぎるでしょ…世界を変える力はなくても日常を変える力が文化にはあるよな… - id:fujitaweekend

ブコメページ - 起きた奇跡と起きなかった奇跡と。 | 古坂大魔王オフィシャルブログ古坂大魔王ブログンだい魔くん!』powered by アメブロ

祝福する。結婚にはそれが必要からだ。 - id:mur2

ブコメページ - 娘が嫁を連れてきた


続きます: anond:20210618215027

2021-06-15

「会いたい」の歌詞についてずっと思ってること

あの歌ずっと気になってるんだけど

「机並べて同じ月日を過ごした」というからには同級生なんだろうけど

そうなると「卒業しても私を子ども扱いしたよね」の部分が引っかかる

同級生でも片方が大人びて片方が子供っぽくて子ども扱いするということはもちろんありうる

しかし「卒業しても」の部分にどうにも違和感がぬぐえない

卒業しても」という言い方は「卒業によって両者の立場関係に変化が生じたにもかかわらず」というような意味を含んでるいるように感じる

「片方が社会人で片方が学生だったのが卒業によって両方とも社会人という立場に並んだにもかかわらず子ども扱いされたまま」という状態ならば

「『卒業しても』私を子ども扱いしたよね」という表現は非常にしっくりくる

だが同級生であれば卒業という節目も同時に迎えてるわけで両者の立場関係に変化は生じない

相手だって同じように大人になっているんだから卒業しようが何しようが相対的関係は変わらない

わざわざ「卒業しても」なんて言い方をするのはちょっと変じゃないのと思ってしま

そこで二つの仮説を考えてみた

1.「私」は卒業したが「あなた」は留年した

これならば「私」が「あなた」より一歩先に進んだ立場になったのに「あなた」は「私」を相変わらず子ども扱いしている

まさに「卒業しても私を子ども扱いしたよね」というにぴったりのシチュエーション

問題点は「あなた」があまりにも情けない奴になってしまうこと。歌の感動も冷めてしまいそう。

2.「机並べて同じ月日を過ごした」は叙述トリック同級生ではなく先生と生徒

先生であれば生徒を子ども扱いするのは普通だし、卒業によって関係性が変わったにも関わらず子ども扱いを続けたままならば

まさにこれも「卒業しても私を子ども扱いしたよね」というにぴったりのシチュエーション

「少しの英語バスケット」もバスケ部顧問英語教師ということではないか

個人的にはこっちの解釈がいいのではないかと思ってる

2021-05-22

今日あったことの話

観葉植物(結構かい奴)の鉢隠し用のちょっとかいカバーみたいなのをダイソーで探してて、

麻の袋を使えば男前イケてる感じになるかなって思ったんだけど家で実際鉢植えを覆ってみるとこれがあまりかっこよくない

正直ない方がマシだ。220円もしたのにだよ。

でもそれっぽい鉢隠しって探してもなかったんだよなぁ。

プラ製のちょっと大きくて丸いランドリーバスケットアンティーク調のリメイクシートを貼る戦法を考えてるのだがこれはイケてる感じになるだろうか?

なんかい方法いかなあ。

2021-05-11

なぜクソみたいな体育指導が無くならないのか?

答え:感覚でやってみたらそれなりに出来た人間が体育指導をやっているか

まり自分のやっていることを正確に言語化出来てないから、言葉として伝えなければならない指導ができない。

例えばだけど「どうやったらクリボーを正確に踏めるんですか?」とゲーム慣れしている人が聞かれたとして、自分がどうやってクリボーを踏んでいるのか言語化できる人は少ないはず。

それと同じように、どうやったら野球ボールを捕球できるんですかと聞かれても、言語化することがうまく出来ない。

そうなったとき、人が頼るのは「昔から何となく言われている通説」みたいな指導になってしまう。

ボールを良く見て捕る」「クリボー位置をよく見てジャンプする」

実際はボールを良く見たり、クリボーをよく見たところで、できない人間ができるようになることはない。あれはタイミングの逆算と人体の連動なので、ただ見るだけではまったくもって意味はない。

それどころか見ることにリソースが集中するので、動きがよりぎこちなくなり下手になってしまう。体育の授業で「ボールを良く見ろ!」と怒声に近い声を浴びせられて、よりひどい動きになってしまうあれ。

さらに言えばボールを良く見て捕るのは悪手で、野球しろサッカーしろバスケットしろ球技全般は他プレイヤーの動きを把握する必要があるので、良く見ないで捕ることが最終目的地点なのに、良く見るという悪癖がついてさらプレー全般が下手になっていく。マリオも同じ話でクリボーをよく見て踏んづけたところで、周りの状況が見えてなかったら他の敵に被弾して終わり。

運動ができるやつ、ゲームができるやつ。そういう人たちは感覚的にこれらのことが出来ている場合が多く、感覚的に出来たことは誰かに教える場面になるとか、真剣自分の実力を磨かないと上に行けないと思ったときでなければ、言語化しようという機会がない。

から、いざ教える側に立ったとき、とりあえず先人たちが行っていたクソ指導をすることになる。

このクソ指導採用の強いところは、責任をあまり負う必要がないということ。

自分経験最先端指導方法ベースしたことで誰かを指導したとき、失敗したならその責任はすべて自分に降り掛かってくることになるけれど、通説を採用したのであれば責任自分だけでなくその通説自体にも分散する。

から教育という責任のある立場についた人間は、不安や保身から通説を採用する。それに効果が本当にあるのかわからなくても、とりあえず野球選手に走り込みをさせて、本当に必要筋肉量を減らすという暴挙に出る。

Youtubeを通じてメジャーリーガー教育動画作成したり、プロゲーマーが勝つための方法言語化してくれたり、情報高速道路は日々進化しているけれど、今指導者の立場にいる体育分野の人間は、まだまだ機械に弱いし新しいことに対しての抵抗感も持っている。

これから自動的小学校に行って、中学校に行って、高校に行って…。大学で古臭い教科書から学んだ体育理論ベース指導する体育教師に、これまた古臭い体育の授業を受けさせられて、運動嫌いの生活習慣病患者予備軍が生産されると思うととても物悲しいものがある。

リングフィットアドベンチャーが示したけど、運動は楽しく提供されれば楽しいし、クソみたいなやり方をさせられたら反吐が出るほどつまらない。その上指導者や運動への憎悪すら抱くことになる。

とりあえず声を張り上げて5文字ぐらいのワードを叫んで指導した気になってるやつらが明日から川崎宗則みたいに合理的かつ楽しい指導方法採用できるような脳みそになってくれないかなと思う。

2021-04-04

飲み物を横にする

スーパーエコバスケットを持ち込んで買い物をする。

スーパーのカゴからエコバスケットに移し替えつつレジを打つ。こうするとこちらの詰め替え作業をしなくていいからだ。

このときペットボトルに対して「飲み物は横にして置いてもよろしいでしょうか?」と尋ねてくる。ほぼ100%確率で。

今まで「NO」と答えたことはないのだが、「ダメです」というひとはいるのか?いるから苦情が来て確認するようになったんだろうな。

じゃあ、苦情をいうひとは飲み物を横にしたらなにか不都合があるのか。

ひとつ考えられるのは横にして底に置いたボトルの上に他の商品が置かれるのが不衛生なんだけど、他におれの思いもしない理由があるのだろうか。

2021-02-17

書いたな!俺の前で!スニーカーのことを!

anond:20210216204526

元増田のお望みとあらば微力ながら尽力させてもらうぜ。

えぇっと、スニーカーと言えばあれだな。ナイキとかアディダスとか有名なスポーツブランドの物がいいんじゃないかな? 激しいスポーツに使えるってことは普段履き用にも使えるだろうし。

スニーカーと言えば二、三十年くらい前にエアージョーダンってのが流行っていたな。アメリカバスケット選手マイケル・ジョーダンが履いていて有名だったやつ。その名の通り靴底エアークッションが入っていて、激しいジャンプをしてもショック吸収するんだ。たしかメーカーナイキでいいんだよな? 当時は品薄でメチャクチャ高価だったらしいが、今ならずっと安く買えると思うぞ。

去年あたりから駅伝話題になった厚底スニーカーナイキだよな。選手ほとんどがピンクスニーカーを履いていて話題になったやつ。今年は駅伝見逃したからよくわかんないけど。でもそのスニーカーマラソン用で靴底の消耗も激しいみたいだからマラソンプロでもなければ買うのはやめたほうがいいんじゃないかな。

ニューバランスってなんだ? ググって調べてみたらこれも有名なスポーツブランドなのか。見た目とか履き心地とかが良ければニューバランススニーカーでもいいんじゃないかな。

何はともあれスニーカーを買うなら、通販ではなくて実際に店で試着してから買ったほうがいいぞ。メーカーブランドによってはサイズが同じでも、履き心地が全然違うこともあるからな。

ちなみに俺はスニーカーをよく履くけどメーカーとかブランドとかはよくわからんABCマートで売っている安売りセールスニーカーメーカーブランドも見ずに買うことが多いからな。でも、適当に選んでいるわけじゃないぞ。買うときはだいたい靴底が分厚い物を選ぶことが多いな。靴底が薄い物は大抵ショック吸収力が弱いし、ちょっとした水たまりを歩くだけで水が染み入ってくるからな。

とにかく、ネットで調べるだけで通販とかで買うなんてことはしないで、まずは実際に店に行ってみるのがいいと思うぞ。

2021-01-19

気持ちナイーブな人が家を買うときに気をつけたほうが良さそうなもの

今年家(戸建て)をかった、

家を買うときは気にしてなかったけど、

ここは気にしたほうがよかったなぁとあとあと思うことが結構あるのでメモ

にのってることもあるだろうけど、比較ナイーブな人が気にしそうな部分をピックアップしてみる。

自分は家を買うときは、広さ、駅から距離、値段、間取りばかりを気にしてそこまで細かいことは気にしなかったけど、

以下の点は結構クリアしていて、後々よかったなぁと思っている。

──────────

・家の前に電柱がない。

家の前に電柱があると犬がしょんべんして実は結構ストレス

 

・家の前の道路私道ではない。

私道だと除雪車がこないらしい。雪降ったら絶対ストレス

あと私道はだいたいせまい。しか私道なのにいろんな人がつかってストレス

 

・大きい道路抜け道かになってない。

車の音も振動ストレス。車通りの多い通りは避ける人多いと思うけど、

その通りの横で抜け道になっているところも気にしたほうがいい。

結構細い道なのに車通りが多いとかになっていてストレス

家の前の道路は車通りがすくないほうがいい。

 

・家の前の道路がそこそこひろくて車がだしやすい。

車をよく使うと車の出しやすさも結構大事

道が狭い、車通りが激しいとかで気軽に車が出せないのはストレス

 

・家周辺の道路が狭い。

緊急車両とかが入りづらいし不安がのこるストレス

 

袋小路場所

いちいちバックではいらなきゃ駐車できないとか自分駐車場でこっそりUターンされたりとかストレス

 

旗竿地と隣合わせで柵もない分譲住宅

旗竿の住人を常に気にしないといけないストレス

 

・近所に定期的に路駐している車がない

近所にに定期的に路駐している人がいないかはみたほうがいい。

毎日路駐されていると結構邪魔ストレス

 

小学校中学校の通学路になってない。

子供がうるさいのはストレス。やはり通学中はうるさいし交通的にもかなり邪魔

 

小学校中学校高校から気持ち遠い。

小学校は校庭側でなければそこまでうるさくないかも。

中学校のほうが部活もあるしうるさい。特に吹奏楽部ストレス

あと体育館バスケとか笛のおともうるさいな。

 

学童クラブが近くにない。

学童の送り迎えは車なので、結構時間帯によって車がこみあってストレス

 

幼稚園保育園から気持ち遠い。

幼稚園は昼間かなりうるさい。

あと、送迎とか道路でだべってるおばさんたちうざい。

 

鉄塔から遠い

鉄塔が倒れてきたらどうしようって思ってストレス。(あるわけないけど)

あと、電磁波もきになるストレス

 

コンビニが徒歩5分以内

コンビニまで遠いのはストレススーパーしょっちゅういかないけどコンビニはいく。

 

公園から距離がはなれている。

公園もうるさい。昼間は子供、夜は中・高校生と1日中ストレス

 

バスケットゴールが近くにない。

バスケボールの音はかなりひびくストレス

 

博多ラーメンの店が近くにない。

本格的な店はまじ臭いストレス

 

ゴミ捨て場が近すぎず遠すぎず

ゴミ捨て場の前はストレス、くさい。

ゴミ捨て場が遠いのは毎日いくことを考えるとそれもストレス

 

ハザードがアウトでない。

ハザードマップ上で色がついていない安心感

 

・川・崖の近くでない。

洪水がけ崩れにビクビクして生活するストレス

 

行列のできるお店がちかくにない

行列がうざくてストレス

 

ゴミ屋敷が近くにない

火事心配もあるしストレス

 

老人ホームが近くにない

ボケた老人がそのへん徘徊してて絡んでくるストレス

 

救急病院が近くにない

救急車が24時間ひっきりなしに通りストレス

 

──────────

他にもあればぜひ。

2020-12-19

「月54万必要」を解説する

はじめに

昨日発表された、東京の子育て世代普通生活を送るのにいくら必要になるのか?について、

メディアのやや雑な取り上げ方や分かりにくい記載によって様々な誤解が生まれていたため、元のPDFで書かれている内容を所感も交えながら解説する

元のPDFhttp://www.chihyo.jp/oshirase/data/shiryo-kisya.pdf

 

資料における調査手法

生活必要な費目を積み上げることによって最低生計費を算出している(マーケットバスケット方式

費目の洗い出しと費目あたりの価格は以下の調査による

なお、生活実態調査と持物に関する調査についてはアンケートベースの部分もある

 

世帯モデル

居住地域は練馬区八王子市職場大学新宿

 

普通生活」の定義

明確な記載はないが、アンケート会議によって「健康で文化的な最低限度の生活」を決めている

住居費は「最低最低居住積水準」、食費は必要栄養を満たす最低限にするなど、かなり慎ましい生活を想定されているように見受けられる

 

最低生計費の費目

 

月々の支出計算されているので、よく言われる「手取りで月54万」は間違い

また、税金保険料の算出前提となる夫の賃金は以下で想定されているため、不足分は妻や子の収入、あるいは手当や奨学金で賄う想定と見受けられる

  • 30代夫:月収35万、一時金105万、年収525万
  • 40代夫:月収44万、一時金139万、年収667万
  • 50代夫:月収49万、一時金161万、年収749万

 

以降は各費目について記載する

食費

世帯モデル対応する年齢層と性別ごとの必要栄養から食品群別の必要量を試算し

家計調査2018に基づく食品の消費単価を掛けることで食料費を算出している

外食も別途考慮されている。夫は月に10コンビニ弁当子供給食学食を利用、月に1〜2回の飲み会ママ友ランチなど

余談だが、飲み会枝豆刺身盛り合わせ、鶏から揚げ、おでんビール3杯だったり、ママ友ランチは毎回ハンバーグステーキセットだったり、なかなかの侘しさである

上述の会議でも盛り上がったんじゃなかろうか

 

住居費

国土交通省の「住生活基本計画(全国計画)」による「最低居住積水準」に基づいて面積を決定している

  • 2人以上の世帯10㎡ + 10㎡ × 世帯人数
    • 世帯人数は3歳未満は0.25人、3歳以上6歳未満は0.5人、6歳以上10歳未満は0.75人とされる

以上から、30代世帯は42.5㎡、40代世帯は47.5㎡、50代世帯は50㎡とされている

家賃インターネットサイトで築34年以下の物件調査し、下から3割を目安としている

築34年としたのは耐震基準1981年に導入されたことを考慮しているとのこと

 

光熱・水道

総務省平成26(2014)年全国消費実態調査」と「東京消費者物価指数」を元に算定

 

家具家事用品費、被服・履物費など

品目別に、月価格 = 価格 × 消費量 ÷ 使用年数 ÷ 12計算する

品目は、持物調査に基づいて、原則7割以上の保有のものを「最低限必要な必需品」と定義して、費目ごとに積み上げて算定

価格は、持物調査における主な購入先である大手スーパー量販店」で実施。売られてなければネット通販等も調査

礼服背広などは「人前に出て恥をかかないように」最多・標準価格採用し、その他は最低価格を用いて試算されている

消費量は、原則として少ない方から数えて合計3割の人が保有する数を基準としている

使用年数は、「減価償却資産の耐用年数等に関する省令」や「クリーニング事故賠償基準」の平均使用年数ベースとする

 

保険医療

生活実態調査アンケート)に基づく平均額としている。また、体重計や救急箱などの「保険医療用品」はこちらに加算している

 

交通通信

持物調査では自家用車の所有率は10割超であったが、アンケートでは生活の必需品との回答が5割未満のため、公共交通機関によって通勤・通学としている

幼稚園から高校までは徒歩もしくは自転車

通勤・通学先は新宿として、定期代を算出している

レジャーにおける交通費は後述の教養娯楽サービスに含まれている

通信費は総務省平成26(2014)年全国消費実態調査」と「東京消費者物価指数」を考慮して算定

 

教育

文部科学省平成30(2018)年度子供学習調査」に基づいて、原則として支出率が7割以上の費目を算定

一応さらに費目は細分化されているが、細かい内訳が不明のため概算とのこと

大学については日本学生支援機構平成30年度学生生活調査」、文部科学省平成30年度私立大学入学者に係る初年度学生納付金について」に基づき算定

 

教養娯楽費

教育娯楽耐久財、教養娯楽用品、供養用娯楽サービスNHK受信料インターネット接続料を計上

日帰り行楽は教養娯楽サービスに含まれるが、生活実態調査会議でざっくり出している

 

その他支出

美容、傘などの身の回り品、冠婚葬祭などの交際費、こづかいを計上

結婚式葬式法事は年に1回、お中元お歳暮は送らない。誕生日クリスマス費用会議で決定。盛り上がりそう

忘・新年会歓送迎会は食費と別で年4回として計上されている

小遣いは夫婦月6000円、大学生月6000円、高校生月5000円、中学生月2500円、小学生1000円、幼稚園児月500円

この辺の費目はやや適当さを感じるので、「こんなのもあるよね」的な話をうまいことまとめたのだろう

 

非消費支出

夫の賃金は上述のとおりの想定で、夫以外の家族構成員扶養家族として計算されている

社会保険料年金保険料 + 健康保険料 + 雇用保険

税額:所得税 + 住民税

 

予備費

謎に「個々人の多様性考慮したもの」として消費支出の1割を計上されている

エネルギー消費量身長体重によって違うし、心身の健康状態障害の有無による違いもあるためとのこと

まぁ色々意見が出たんだろう

 

まとめ

以上、ざっとではあるが資料の内容を解説した

所感として、食費や住居費は最低限のもの、物品も保有率7割以上のもので算出しているなど、かなり慎ましい生活を想定しているように見受けられた

予備費で若干割増されているような気がしたり、本当に倹約するなら家電などの所持品は耐用年数を超えて使用したりする気はしないでもないが、

内容としてはそれなりに妥当なのではないだろうか

詳細はぜひ原文をあたっていただきたい

2020-10-25

anond:20201023204100

俺にそっくりな奴が出たので、俺の工夫を記す。でも女性なので、使えないかもしれないけれど。

  • そして、どの種類の服が何着あるかのリストは、壁に貼っておけ。

俺に取っては、一番、効いたのは、数を制限することだった。新しいの買ってきたら、何か捨てなければ行けないルールは本当に効く

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