2021-06-15

「会いたい」の歌詞についてずっと思ってること

あの歌ずっと気になってるんだけど

「机並べて同じ月日を過ごした」というからには同級生なんだろうけど

そうなると「卒業しても私を子ども扱いしたよね」の部分が引っかかる

同級生でも片方が大人びて片方が子供っぽくて子ども扱いするということはもちろんありうる

しかし「卒業しても」の部分にどうにも違和感がぬぐえない

卒業しても」という言い方は「卒業によって両者の立場関係に変化が生じたにもかかわらず」というような意味を含んでるいるように感じる

「片方が社会人で片方が学生だったのが卒業によって両方とも社会人という立場に並んだにもかかわらず子ども扱いされたまま」という状態ならば

「『卒業しても』私を子ども扱いしたよね」という表現は非常にしっくりくる

だが同級生であれば卒業という節目も同時に迎えてるわけで両者の立場関係に変化は生じない

相手だって同じように大人になっているんだから卒業しようが何しようが相対的関係は変わらない

わざわざ「卒業しても」なんて言い方をするのはちょっと変じゃないのと思ってしま

そこで二つの仮説を考えてみた

1.「私」は卒業したが「あなた」は留年した

これならば「私」が「あなた」より一歩先に進んだ立場になったのに「あなた」は「私」を相変わらず子ども扱いしている

まさに「卒業しても私を子ども扱いしたよね」というにぴったりのシチュエーション

問題点は「あなた」があまりにも情けない奴になってしまうこと。歌の感動も冷めてしまいそう。

2.「机並べて同じ月日を過ごした」は叙述トリック同級生ではなく先生と生徒

先生であれば生徒を子ども扱いするのは普通だし、卒業によって関係性が変わったにも関わらず子ども扱いを続けたままならば

まさにこれも「卒業しても私を子ども扱いしたよね」というにぴったりのシチュエーション

「少しの英語バスケット」もバスケ部顧問英語教師ということではないか

個人的にはこっちの解釈がいいのではないかと思ってる

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