2021-05-11

なぜクソみたいな体育指導が無くならないのか?

答え:感覚でやってみたらそれなりに出来た人間が体育指導をやっているか

まり自分のやっていることを正確に言語化出来てないから、言葉として伝えなければならない指導ができない。

例えばだけど「どうやったらクリボーを正確に踏めるんですか?」とゲーム慣れしている人が聞かれたとして、自分がどうやってクリボーを踏んでいるのか言語化できる人は少ないはず。

それと同じように、どうやったら野球ボールを捕球できるんですかと聞かれても、言語化することがうまく出来ない。

そうなったとき、人が頼るのは「昔から何となく言われている通説」みたいな指導になってしまう。

ボールを良く見て捕る」「クリボー位置をよく見てジャンプする」

実際はボールを良く見たり、クリボーをよく見たところで、できない人間ができるようになることはない。あれはタイミングの逆算と人体の連動なので、ただ見るだけではまったくもって意味はない。

それどころか見ることにリソースが集中するので、動きがよりぎこちなくなり下手になってしまう。体育の授業で「ボールを良く見ろ!」と怒声に近い声を浴びせられて、よりひどい動きになってしまうあれ。

さらに言えばボールを良く見て捕るのは悪手で、野球しろサッカーしろバスケットしろ球技全般は他プレイヤーの動きを把握する必要があるので、良く見ないで捕ることが最終目的地点なのに、良く見るという悪癖がついてさらプレー全般が下手になっていく。マリオも同じ話でクリボーをよく見て踏んづけたところで、周りの状況が見えてなかったら他の敵に被弾して終わり。

運動ができるやつ、ゲームができるやつ。そういう人たちは感覚的にこれらのことが出来ている場合が多く、感覚的に出来たことは誰かに教える場面になるとか、真剣自分の実力を磨かないと上に行けないと思ったときでなければ、言語化しようという機会がない。

から、いざ教える側に立ったとき、とりあえず先人たちが行っていたクソ指導をすることになる。

このクソ指導採用の強いところは、責任をあまり負う必要がないということ。

自分経験最先端指導方法ベースしたことで誰かを指導したとき、失敗したならその責任はすべて自分に降り掛かってくることになるけれど、通説を採用したのであれば責任自分だけでなくその通説自体にも分散する。

から教育という責任のある立場についた人間は、不安や保身から通説を採用する。それに効果が本当にあるのかわからなくても、とりあえず野球選手に走り込みをさせて、本当に必要筋肉量を減らすという暴挙に出る。

Youtubeを通じてメジャーリーガー教育動画作成したり、プロゲーマーが勝つための方法言語化してくれたり、情報高速道路は日々進化しているけれど、今指導者の立場にいる体育分野の人間は、まだまだ機械に弱いし新しいことに対しての抵抗感も持っている。

これから自動的小学校に行って、中学校に行って、高校に行って…。大学で古臭い教科書から学んだ体育理論ベース指導する体育教師に、これまた古臭い体育の授業を受けさせられて、運動嫌いの生活習慣病患者予備軍が生産されると思うととても物悲しいものがある。

リングフィットアドベンチャーが示したけど、運動は楽しく提供されれば楽しいし、クソみたいなやり方をさせられたら反吐が出るほどつまらない。その上指導者や運動への憎悪すら抱くことになる。

とりあえず声を張り上げて5文字ぐらいのワードを叫んで指導した気になってるやつらが明日から川崎宗則みたいに合理的かつ楽しい指導方法採用できるような脳みそになってくれないかなと思う。

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