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2024-09-23

スオミの話をしよう』は何故つまらないのか(ネタバレあり)

映画スオミの話をしよう』を観た。稀代の脚本家三谷幸喜氏がメガホンを取ったとは思えないほど、つまらない作品だった。何故、これほどつまらないのだろうか。端的にいえば、寒川しずお以外の人物像に説得力がないかである

もっと説得力がない人物像は、主人公スオミである。何故スオミ結婚を繰り返すのか。何故、多重人格のように出会う男に合わせて性格だけでなく、話す言語さえも完全に変えることができるのか。なぜ、身代金要求狂言誘拐を起こしてまで生まれ故郷ヘルシンキに行くための資金を捻出しようとしたのか。

本来、これらの問いに対して観客を説得するようなエピソードを描くべきだった。しか脚本は「そういう設定」といって長澤まさみ氏の演技力で観客を説得しようとし、失敗した。寒川しずお以外の他の登場人物も同様である

なぜ、設定と演技力による人物像の説得に失敗したのか。その理由は、スオミ人物像を連想させるステレオタイプが十分に確立されていないからであろう。例えば、本作品で唯一、人物像に説得力がある寒川しずおはエキセントリックな有名詩人だが、エキセントリックな有名文学者というステレオタイプ文学史フィクションを通して十分に確立されているので、設定と坂東彌十郎氏の演技力だけで観客を説得することができた。しかスオミのような人物ステレオタイプは、史実にもフィクションにも見出すことができない。

この映画比較すると、ドラマ地面師たち』はエピソードによる説得と、ステレオタイプに乗っかって設定と演技力だけで行う説得を優れた形で組み合わせている。辻本拓海がなぜ地面師になったのか、石洋ハウス青柳隆史は何故港区土地を喉から手が出るほど欲しいのか、これらの経緯を説明するエピソードを描いて視聴者を説得している。他方でハリソン山中場合、『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターなどの極めて高い知性と身体能力を持つ超人的な快楽殺人者というステレオタイプに乗っかって、設定と演技力だけで視聴者を説得することにも成功している。

個人的には、フィクションには説得力重要と考える。フィクションなのだからエキセントリックな有名文学者超人的なシリアルキラーだけでなく、人間のような意思を持つおもちゃ超能力者など物理的に存在しえない人物さえ設定で盛り込むことができる。しかし、これらは観客に対して説得力を持たなければならない。その方法は、既に確立されたステレオタイプに乗っかって設定と演技力で観客を説得するか、エピソードを描いて「だからこの人はこういう風になったのです」と説得するか、これらのいずれか(又は両方)をしなければならない。

 
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