はてなキーワード: 恩恵とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/shota_hatakeyama/n/n5662ae20a1e9
上記の記事を見ながら思ったのだけど、これは高等教育を受けたものだけが富を得られるという構造がやはり大きい。
日本にもあるがアメリカは人種問題や教育制度の仕組みもあってより深刻になってる感じがする。
日本でもアメリカでも教育は誰でも平等に受けれることになっており、勤勉に努力したものだけが努力の結果の報酬として様々なメリットを受け取るのは資本主義的に正しい気はするし、インセンティブの管理としては妥当に思える。
この前提にたって「自分たちは勤勉であったから価値があるのだ。怠惰だったものはもっと頑張れ」という主張は一見正しい。
このような人は所得の高い職に就き、お金持ちになるし何よりわが子の教育に再投資する。ゆえに正のフィードバックが回り経済格差は固定化される。貧乏人は教育を受ける余裕もなければ教育が大事という教育すら受けてないのだ。魚の釣り方ではなく魚そのものが必要な状態では仕方がない。つまり「自分たちが勤勉」という前提は必ずしも真ではなく「勤勉でいる事が容易な環境に生まれた」という本人には管理できない部分によるところも相当に大きい。もちろん「貧乏でも努力して。。。」みたいな例外はいるが例外は例外である。その例外を受け入れる姿勢は良いことだと思うけど。成り上がるチャンスはあるが、成り上がるより引き継ぐ方がずっと簡単とう話。
これが財閥クラスの真の大金持ちだと100年後の安定を求めて社会全体の教育水準を上げることが地域の安定や経済的な富になると考え投資もするだろう。彼らは社会基盤が安定してればもはや稼げるのだ。ゆえに社会基盤を安定させることが経済的な基盤を保つための原則だ。
しかし年収数百万だの一千万だの数千万と言ってる程度の中流階級な小金持ちはそうではない。競争に勝たなければ経済基盤が安定しない。勤勉が価値の源泉だ。ゆえに自分たちの同僚のような勤勉な黒人の権利を守るために働きかけるが、怠惰な黒人がどうであろうと基本気にしない。勤勉でインセンティブが得られるという構造が自分たちの利益になるのでそこを守るために動いている。
つまり「黒人差別はしないが黒人も白人も貧困層(=怠惰な層)を差別する」。別に博愛主義者じゃないので勘違いしないでよね。
もちろん、そうでない人もいるがそれは単にその人の趣味だ。「人はパンによって生きるのではない」。そういった趣味とか信念とか信仰の結果でそういった行動をする人たちももちろんいるが、経済的なメリットとか即物的なものじゃないので万人の行動原理にはなりづらいだろう。
自分は所謂がり勉でもないし、受験戦争とは無縁で家族からも過度に勉強を強いられたことはないが、塾にも通わせてもらったし大学にも行くことができた。
父は時折「お前は次男だから財産として渡せるのは教育だけだ」という事を言っていた。田舎の兼業農家なので継ぐといっても大層なものは何も無いのだけど、少なくとも人材的投資の価値を信じていた言葉だと思う。
まあ、母は学校の教師だし、父も大学ではないが農業の専門学校を出たようなので当時の地元としては高等教育を受けていた可能性は高く、そのサイクルを肌身として知っていたのではないかろうか。そんな話をしたことはないが。
いずれにしても、この状況から自分の価値感はかなり小金持ちよりだろう。実際、仕事してれば生きてける程度にはお金に困っていない。そういう感じで恩恵を受けている側なので50年、100年の未来に問題が噴出するだろうが積極的に改善するモチベーションが無いのも本当のところだ。人種によらず努力が実る環境は目指すが、努力しなくても何とかなる社会をそこまで目指してはいない。
現在の格差拡大は貴族と平民、大富豪と奴隷、そういった近代的な価値観とは違いあえて言えば平民同士の格差の拡大だ。そういった点が今回のアメリカ大統領選でも見えた気がする
大富豪は別なレイヤーに存在していて、どちらかとうとそちらの方が自分たちのメリットのために平等や底上げを目指していると思う。
構造的に政治の中枢というのはエリート、つまりここでいう金持ちが集まりやすいので抜本的な改善はクーデーターでも起こらない限り難しいのではないかな。。。
すでに富の再分配として日本でもアメリカでも高収入の人間は税金をバカすか取られてるわけだし。たしか日本だと少なくとも年収が年収890万円は無いと払った以上の公共サービスを受けてることになるみたいだし。まあ、実際は消費の担い手としての価値もあるから社会のお荷物というのは言い過ぎだけど。
これを程度レベルじゃなく根本的に変えるにはそれこそ社会主義的なドラスティックな変更でもないと無理な気がするし、個人的にはそうはなってほしくないというのが本音である。
はい。PS5買えませんでした。
以下精神の安定を図るためにPS5PROを待ったほうがいい理由を列挙する。
(ちなみにそんなに詳しくないのでツッコミどころは満載だと思う)
ZEN3でゲーム性能がものすごく向上して一部でIntel終わったとまで言われているレベルだ。
詳しく知らんがアーキテクチャが大きく変わって、4コアでキャッシュを共有するのではなく8コアで共有することになったことでコア間通信のボトルネックがなくなったらしい。
レイトレ(なんかピカピカするやつ)対応だからRDNA2なんじゃないの?と言われていたが、
一部でRDNA1ベースでレイトレ機能を追加したRDNA1.5ではないかという説が出てきている。
もしそれが真実だったら、RDNA2になることでワッパが50%向上すると言われているので、
巨大なPS5がPROでちょこっと小型化される可能性がある。
世代が変わるだけで十分性能がアップするのに、オマケが付いてくるらしい。
ZEN3とRDNA2のコンビネーションでCPUがGPUのVRAMにダイレクトにアクセスすることが可能になり、10%前後性能が上がる。
PS5のGPUがRDNA2であろうとCPUは確実にZEN2アーキテクチャなので、
PS5がAMD Smart Access Memoryの恩恵を受けることが出来ないことは確実。
PROになってアーキテクチャがZEN3+RDNA2になったらかなりの性能アップが見込まれる。
まぁ本当にPROでこの変更が入ったらPS4のときの1万円という価格差では済まなくなると思うけど、
性能は確実にアップすることはわかる。
以上、PS5を買えなかった者の恨み節でした。
てかそもそもPS5PROって出るんだっけ?
昨日接骨院行ってきて、
背骨をはめてもらった感じズレているところのね。
相変わらず
柔道場みたいなところで
プロレスのパロスペシャルかキャメルクラッチみたいな技を決められて悶絶するやいなや、
先生が立ってご覧なさいと言うので、
痛いのをかばって立とうとしたら
先生曰くソンナコトしなくても立てるはずだからって強気なわけ。
そしたら思っていた痛みがなくてすっと立てたから、
ハイジザムービーのあの有名なシーンの気持ちはそんなのだったのかも知れないわねって地で行った感じよ。
さすがに、
瞬間で完治!と言うわけにはいかないけど、
無理に動かなければ、
もう大丈夫の助よ。
寝返りもうちまくれるし、
ベッドの上で状態も起こせるわ。
昨日悶絶して起き上がれなかったのが何だったの?って言うぐらい。
大袈裟に言って、
私このまま死んじゃうのかなって
演技でもなく縁起でも無いこと言う迫真の鬼気迫る演技だったんだけどね。
コンセントは欠かさずスマホに繋げられるようにしなくてはって思ったわ。
外界とのやりとりもできないのよね。
でさ、
なんかスマホとかに備えついているスーパー節電モードにしたら、
何も使えないけど、
とりあえず
ショートメールと着信だけは出来る状態でかろうじて生きている!ってもののけ姫の台詞回しもできそうなほど
私はなんとかそれで凌いだから助かったわ。
あと意外とスマホでラジオ聴いてるとすぐに電池が無くなっちゃうし、
教訓として覚えておいて損はないわね。
で、
今の今までこの時間何していたのかって言うと、
あまりに昨日ベッドの上で暇だったので、
久しぶりに行くアップルストアってこんなんだっけ?って思うほど久しぶりに、
予約特典で奥の部屋の通されてアップルティーを飲む暇も無かったわ。
あと
それ以上になると減価償却しなくちゃいけなく、
いま11月でしょ?
今期に経費で計上出来る分は2ヶ月分しかないからあんまり恩恵ないので、
これだと、
今期で使っていい経費使い切れないので、
また何に使おうかなってベッドの上で試算していたのよ。
経営の勉強まともにしてなくてもなんか経営している雰囲気出せるけど、
細かくやってくなら
とりあえず、
私の腰は大丈夫なので、
よかったところよ。
うふふ。
腰痛いけど、
どさどさ食べれちゃうわ。
暇なので。
水出しルイボスティーおかわり作っておいたので
作り置きがあると便利だわ。
水分は極力抑えていたんだけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
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日本学術会議が推薦した第 25 期会員候補者 105 名のうち、6名が菅総理によって任命されなかったことについて、
明確な理由説明はなく、説明の要求を斥けることは学問の自由の理念に反すると同時に、民主主義に敵対するものであり、
これに断固として異議を唱えます。
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《説明しないこと》こそが民主主義に反する権力の行使(国民に対する暴力)であり、主権者である国民に説明責任を果たすことが
情報公開の制度は古代ローマの時代イタリアの地で芽生えました。イタリア学会としてこれを看過することはできません。
必ず説明責任が果たされることをイタリア学会の総意として要望致します。
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イタリア学会は「日本におけるイタリア学の発展と普及に寄与することを目的としている。」(イタリア学会会則第 3 条)
イタリア学を通じて学び得た知見を社会活動に適用することは、学会の目的に適う実践的行為と判断し、
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菅首相は「(学術会議の会員は)広い視野を持ち、バランスの取れた行動を行ない、国の予算を投じる機関として国民に
理解されるべき存在であるべき」だと述べた。これをテキスト解釈にかけると「国の税金を使っている以上、国家公務員の
一員として、政権を批判してはならない」という意味になる。ここには 2 つの大きな誤謬が隠されている。
学問は国家に従属する《しもべ》でなければならないという誤った学問観であり、国家からお金をもらっている以上、
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学問は、国家や時の権力を超越した真理の探求であり、人類に資するものである。与党に資するものだけを学問研究と
みなすことは大きな誤りである。学問研究によって得られる利益は人類全体に寄与するものでなければならず、
判りやすい例を挙げれば、日本は西洋から数学や物理・化学を始め、あらゆる分野で多大な恩恵を無償で受けた。
万有引力定数や相対性理論を発見したのは日本人ではない。その恩恵と利益を受けながら、その使用料は払っていない。
なぜなら学問成果は全人類の共通善として無償で開放されているからである。
日本国には受けた恩恵を人類に返すべき義務があることは言うまでもない。
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国からお金をもらっている以上、政権批判をしてはならない」というのは手前勝手な考え方である。
公務員は政権の《しもべ》ではないからである。公務員は国民全員の利益のために働く。
政権が間違った判断をすれば、それを国民のために批判することは、むしろ公務員の義務である。
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古代の中国では臣下が君主に行ないを改めるよう諫言することは褒むべき行為とされた。
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翻ってイタリアの地、古代ローマの時代には、時の政権の勝手な振る舞いから国民を守るための公的機関である
護民官が設置されていた。現代の公務員に匹敵する護民官は、時の権力を批判・牽制するために作られた
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次に、菅首相は憲法 23 条が保障している「学問の自由」の意味を理解していない。「学問の自由の保障とは、
学者が学問的良心に従って行なった言動の評価は、まずは学者どうしの討論に委ね、最終的には歴史の判断に委ねるべきであり、
間違っても《時の権力者》が介入すべきではない、ということである。」(小林節慶應義塾大学法学部名誉教授)
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1632 年ガリレオ・ガリレイが『天文対話』を完成させた時、ローマ教会は検閲を行ない、教皇ウルバーヌス 8 世と
ガリレオはローマの異端審問所で証言するよう出廷を命じられ、翌年、6 ヶ月にわたる裁判を受けさせられた。
ガリレオは自分の誤りを認めさせられ、異端審問官の前で研究を放棄するよう宣誓させられた。
そしてフィレンツェ近郊で残りの 9 年の生涯を軟禁状態で過ごすことになる。
教会の決定に疑義を挟むことなどあってはならず、時の権力に反する主張は時の権力の判断によって封殺された。
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「今回、菅首相は、特定の学者の言動について《広い視野を持っているか》《バランスの取れた行動であるか》
について自分の権限で判断した」と告白し、その結果、《国の予算を投じる機関(の構成員)として国民に理解され
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問題は、仮に菅氏が高い実績のある学者であったとしても、同時に、《首相》という権力者の地位にある間は、
そのような判断を下す《資格》が憲法により禁じられているという自覚がないことなのである。
にもかかわらず、高い実績の学者たちが全国から会議に集まるために 1 人につき月 2 万円余の交通費を用意する程度の
ことを逆手にとって学術会議に介入しようとするとは、《選挙に勝った者には何でも従え》という、政治権力者の思い上がり以外の
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私たちが最も問題とするのは、《説明がない》ことである。憲法 63 条は「答弁または説明のため出席を求められた時は、
国会に出席しなければならない」と義務付けている。この趣旨について政府は「首相らには答弁し、説明する義務がある」(1975 年の内閣法制局長官)
と見解を示している。
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しかし、菅首相は官房長官時代から記者会見で「指摘はまったくあたらない」と木で鼻を括った答弁を繰り返して憲法を無視してきた。
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世界で初めて情報公開制度を始めたのはイタリアである。「執政官に就任して(前 59 年)、まずカエサルが決めたことは、
元老院議事録と国民日報を編集し、公開する制度であった。」(スエートーニウス『ローマ皇帝伝』第1 巻「カエサル」20)
それまで国民は元老院でどんな議論を、誰がしているか知る術もなかった。
議員が私利私欲で談合を行なっても、知る由もなかったが、議事録が速記され、清書されて、国民に公開されるようになったおかげで、
貴族の権力は大いに削がれた。隠れての不正ができなくなったからである。
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一方、その時代から 2000 年以上経った今の日本では、安倍政権下で情報は秘匿され、文書は改竄・捏造、削除され続けてきた。
確かに、日本では民草に説明をするなどという伝統も習慣もなかった。江戸城で開かれる老中会義の内容が知らされることもなければ、
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おそらく安倍・菅首相が目指す世界はこうした江戸時代のものなのであろう。人事で恫喝して従わせる手法は、一種の《暴力》とみなされる。
紀元前 5 世紀のアイスキュロスの作品『縛られたプロメーテウス』には権力の何たるかが活写されている。
この劇は二人の登場人物がプロメーテウスを連行する場面から始まる。
プロメーテウスは絶対君主であるゼウスの意向に逆らって、天上の火を盗み、人類に与えたために、
暴君ゼウスから罰を受けて、スキュティアーの岩壁に磔にされる。
この時、彼を連行する 2 人の登場人物の名前に作者の意図が巧みに織り込まれている。
二人は Kra/toj(クラトス)と Bi/a(ビアー)という名だが、ビアーの方は劇中で一言も言葉を発しない。
ギリシャ語でクラトスは「権力」を、ビアーは「暴力」を意味する。無言の暴力を用いて他者を従わせるのが権力であるという寓意である。
ギリシャ語のビアーやイタリア語の violenzaは単に武力による物理的な暴力だけではなく、圧力や強制を意味する。
ビアーのように《説明しない》ことが権力(クラトス)なのである。
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同じく、カフカの『審判』では主人公ヨーゼフ・K は、ある日見知らぬ 2 人の男の訪問を受け、何の理由も告げられず、逮捕される
(この 2 人の男はまさに「クラトス」と「ビアー」を暗示している)。
その後、何の説明もなしに、有罪とされ、「犬のように」処刑される。この小説でも《説明しない》ことが権力であるとして描かれているが、
ソルジェニーツィンの『収容所群島』にはまさに何の《説明もなしに》逮捕され、強制収容所に連行される日常が記録されている。
逮捕するのは決まって深夜である。深夜に訪れることで逮捕者を恐怖させる効果を狙ってのことだが、
また同時に、近隣住民が翌朝、隣人が忽然といなくなったことを知って恐懼するよう仕向けるためでもある。
これが不安をかき立て、恐怖を蔓延させる。いつ自分が逮捕されるか人々は戦々恐々とし怯えるようになる。これによって国民は心理的に権力によって完全に支配される。
つまり、《説明しない》ことこそが権力の行使であり、国民を無力化させる手法なのである。こうして国民は恐怖と不安から権力に従うようになる。
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こうした事例からも民主主義がいかに「説明すること」にかかっているかが判る。
説明と情報公開が民主主義を支える命であり、それを破壊する手段は《説明しないこと》、《情報を秘匿する》ことなのである。
たかが 6 人が任命されなかっただけで、ガリレオを持ち出すのは大げさであり、学者はそうした政治的な喧噪から離れて研究をしていれば、好いではないかと思う人がいるかもしれない。
ましてや一部の学者の話であり、自分たちには何の関係もないと思っているかも知れない。
しかし、問題の本質は、時の権力が「何が正しく、何が間違っているかを決めている」点において、ガリレオ裁判と変わりない。
科学分野の基礎研究の予算は削られ続ける一方で、軍事研究には潤沢な傾斜配分がなされる今の日本にあって、
また軍事研究に手を染めない学術会議の方針を苦々しく思う自民党政権においては、杞憂で終わらないことを心得ておく必要がある。
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実際、すでに文科省は今月17日に行われる中曽根元首相の内閣・自民党合同葬義において弔旗を掲揚し、葬儀中に黙禱するよう、
国立大学や都道府県教育委員会、日本私立学校振興・共済事業団、公立学校共済組合などに通知を送っている。
国民全体の奉仕者である公務員を、自民党のための奉仕者に変えようとする暴挙は許されない。
かつて次のように臍をかんだマルティン・ニーメラーの轍を踏まないためである。
(文責:藤谷道夫)
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ナチスが最初、共産主義者を攻撃した時、私は声を上げなかった。
私は声を上げなかった。
私は声を上げなかった。
ユダヤ人が連れ去られた時、
私は声を上げなかった。
そして彼らが私を攻撃した時、
私のために声を上げてくれる者は誰一人残っていなかった。
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通常の娯楽に加えて、(古代)ローマ人の労苦に満ちた厳しい生活を陽気なものにしてくれるものに、
凱旋式があった。
(中略)民衆は大喜びで拍手喝采していた。だが、部下の兵士たちから将軍に向けて罵詈雑言を浴びせる習わしがあった。
将軍の弱みや欠点、愚行の数々を公衆の面前であげつらうのである。将軍が高慢にものぼせ上って、
自分を無誤謬の神(絶対に正しい偉い人間)だと思い込んだりしないようにするためである。
例えば、カエサルには、部下たちがこう叫び立てていた。「禿げ頭の大将よ、他人の奥さんたちを物色してんじゃねぇぞ!
あんたは商売女(淫売女たちで)で我慢してりゃいいんだ!」1現代の独裁者たちに対しても同じように言うことが
できたならば、きっと民主主義にとって怖いものは何もなくなるだろう。
(Indro Montanelli, Storia di Roma, Rizzoli, Milano, 1969, pp. 141-142)
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「犬儒派(キュニコス派)のディオゲネース(前 400/4 頃-325/3 頃)は、
《何でも言えることだ(言論の自由 parrhsi/a パッレーシア)》と答えた。」
ここ1年でリスクをとってよかったなと思えるようになりました。
周りでは「サラリーマン辞めたい!!」という人が多いので、簡潔ですが少しでも知見をシェアできたらと思ったので書きます。
圧倒的に自分の時間が増えた点です。サラリーマン時代と同等以上の年収ということもあり、この恩恵はかなり大きいです。
具体的には、週2日間の稼働でサラリーマンの時よりも稼げるようになりました。しかも通勤ゼロのリモートメインです。
稼働のない日は、自分のスキルアップのためにプロダクト開発をしたり、読書をして過ごします。
それでも夕方の4時半ごろには切り上げ、1時間ほどジョギングと筋トレに時間を費やします。
今の生活がずっと続く保証がどこにもない点です。この部分はふとしたときに怖くなることがあります。
ただ、それは多くのサラリーマンもあまり変わらないように思っています。
日本には約400万社ありますが、99%は中小企業と言われています。
そこで働くサラリーマンという幻想的な安定も、創業者が過去にとったリスクの上で成立しています。
だから、ある日突然、サラリーマンなのに不安定な状況に放り出されるなんてことも実際に起きています。
価値を生み出す仕事ができないと、生きにくくなってきます。サラリーマンであろうがそうでなかろうが。
であれば、自分の時間を傍受できる方が幸せです。自分の時間があることによりストレスもほとんど感じません。
じょうよわだからゴートゥーイート買えなかったんだが、
そういえば福岡で雇い止めにあった女が食いつめての強盗で逮捕されてたよな
その日の飯にも困ってるのにネットとかできないだろうし、ひょっとするとちょっと頭が弱いかもしれない
たまたまニュースになってないだけで同じような立場の人はたくさんいるだろう
ゴートゥーイートとかゴートゥートラベルとか、既に余裕があって情報リテラシーも高い人間ばかり優遇される経済政策はやっぱりよろしくないと思う
早く消費税減税をやるべき
ごめんね、わかりづらかったね。
ここで殴り書きしているのはそんな話。
ついでに言えば、地元から身一つで出てきている人たち尊敬している。
本来持っている能力を皆が発揮できるような世界に少しでも近づけていけたらいいな、と心から思っている。
【追記ここまで】
私は裕福でない家庭に生まれ、横浜の片隅にある ちょっとお上品な町で育った。
都心近くに育った私から見ても、やはり地方出身(と貧乏人)は不利だと思う。
一般的に身近に大学出身者がいないことは、その人の人生に不利に働くもの。
だが、横浜の片隅にあり、比較的裕福な家庭の多く住む新興住宅地で幼少期を過ごしたことは、明らかに私の人生に良い影響を与えた。
そのうち、上位5名ほどは中学受験をする人たちで、彼らは周りからもちょっと浮いた存在だった。
クラスの上位ではあるものの学年トップグループというわけでもない、少し勉強のできる目立たないグループに私は所属していた。
ずば抜けて勉強ができたわけでもない私が、この町から受けた良い影響を列挙してみる。
◎習い事
◎学習教材
※当時はマイコンと呼ばれていた。
熱心なコンピュータファンの小学生はお年玉をはたいてエントリーモデル(7~8万円)を買い、
裕福な家の小学生は親にビジネスにも使える標準機(一式で50~60万円)がプレゼントされた。
※アスキーに載っていた先駆者たちの話に影響を受けた。AppleやMicrosoft、ASCIIの創業の話など。
プログラムをかいて、大学を中退して、会社を興すような人生にあこがれていた
私は特別優秀な人間ではなかったが、町の人、家族、友人に恵まれていた。
家庭を作らない人生を選んだこともあり、今は親族の子どもたちの進学や就職を支援している。
- 技術は優秀だが、アピールが下手なITエンジニアたちの支援
といったことに精を出している。
うちのITエンジニアが「この会社にいてよかった」と思ってくれるような場所を作ることが、私の生きがいとなりそう。
まあ、誰でもいいから何か作ってくれれば自分も恩恵に与れるかもしれないし、とりあえず創作してくれた人は持ち上げちゃうかもね。
負の感情を本人に向けるのは論外だしそれよりはってところで、どうせなら生産してくれないかなーとか思っちゃうな、自分もROM専なので。
便乗して。
完全な地方都市に生まれて、国立大や早慶に入るような人がいると近所で話題になるくらいの町で育った。
周りと比較すると勉強ができたので自分は頭がいいという錯覚に陥って、かつ運動神経が悪くコミュニケーション能力も低かった自分は
勉強くらいしか人並みにできることがなかった為、勉強を頑張った。
高校は電車で1時間くらいかかるその地域ではそこそこの進学校に入った。(年に一人二人東大入るかどうかくらいのレベルの学校)
そこでもただひたすらに3年間がり勉し続けた。結果ぎりぎり滑り込めたのが文系の国立大の一橋大学だった。
東大や京大は受けられるレベルにすらなかった(今は知らないけど当時は東大は社会の科目が一つ多く、
京大は数学の範囲が広く他の国立大受験と比べても一段階大変で格が違った)
この頃から、自分は地頭がよくない唯の宿題芸人に過ぎないということを何となく気づき始めていたが
上京して大学に入ってまじまじと突きつけられることになった。高校自体のほとんどすべてを費やして
なんとか滑り込めた一橋大だったが、クラスの半分くらい?は首都圏の著名な進学校の人たちだった。
話してみると、同級生の大半は東大か医学部にいったけど、落ちこぼれの俺は一橋が限界だったとか
高校時代遊びすぎてしまった、みたいなひとが沢山いて驚いたのを覚えている。
で、実際ゼミなどで議論をしたりすると頭の回転の速さの違いに驚愕した。なんというか脳のCPUが違う気がした。
卒業できるのか不安になったけど宿題芸人の気質のある自分は単位はなんとかとれて滞りなく卒業、就職できた。
民間の就職に強い大学のブランドの恩恵にあずかって世間的には立派な会社に就職できた。田舎の出の自分が
こんな会社に入社できるとは、と当時はうれしかったし感慨深いものがあった。で、入社してみて同期のレベルの高さと家柄の良さに驚いた。
もちろん自分みたいな田舎の出もいたけど、マジョリティは東大だったし、大学を問わず所謂都市の有名中高出身の人が多かったのである。
留学したり帰国子女で英語が話せるのが当たり前だったり、聞いてみると両親も誰もが知ってる一流企業で働いていたりと
通ってきた道がそもそも全然違うんだなと思った。(脇道にそれるけど金持ち喧嘩せず、というか大体おおらかで良いやつが多かった)
その後実際働いてみると先輩や上司も含めて頭がよくて、地頭の悪さを痛感しつつやり過ごす日々だけど10年くらいなんとか辞めずに続いている。
で、いつからか思うようになったのは「自分は東京に移民してきた田舎移民一世」なんだという感覚だ。あくまで東京という国においては外人で異物に過ぎない。
結婚して自分の子供が生まれたら、その子は移民2世として自分よりは”東京”に順応した存在になるのかなと。それが何代か続いて初めてこれまで出会って来た
地頭のいい純粋培養の都心のエリートみたいな存在が生まれ得るのかなーと。とりとめがなさ過ぎるし、で何がいいたいのか?といわれるとうまくまとめられないんだけど、現実問題地方と都心では格差があることは事実だなーと。
一方で就職してから仕事の関係でアメリカとアジアの国にそれぞれちょっとずつ住んだ印象だと、日本の格差はまだましな方だなとも感じた。一億総中流風?なのが逆に諦観にまで至ることが出来ずに苦しいのかもしれないけど。
ブックマーク数だとか、カラースターとか、金額を直接表示するといやらしいってのは昔の話。
みんな欲しいのはお金!お金がどこに流れてるか知りたい!あわよくば恩恵にあずかりたい!
けどnoteのように記事書くのメンドクサイ!100字のコメントで金をくれ!
大昔の話だけど身内がそのバンドのメンバーに機材盗まれたから「とことん燃えてしまえ」としか思えん
元から同じ界隈のよそのバンドのファンからは「顔だけの歌下手アイドルバンド」なんて言われてて、私は顔が好きでハマったわけじゃなかったからそれが悔しかったし、そういう事言ってた人達の推しが解散したりメンバー脱退して活休したりすると「アイドルバンドより活動できてないじゃんざまあみろ」って内心思っていたし、そういう事言われてるうちにも事務所の恩恵もあって歌はだいぶ上手くなったし毎回大きい会場でライブをし、イベントに呼ばれれば毎回トリを飾らせて貰えて優越感あったしすごく楽しかった。
科学的態度というのはですね、その他の条件を一致させたうえで、ある条件のあるなしによる効果を検証して初めて「ある条件が存在した場合に効果があった」「ある条件は有用である」と結論するものです。
この度は元推しが皆様に大変なご迷惑を…(なりすましユーチューバーによくあるやつ)
びっくらこいた、私はツイステユーザーではないのだがツイステにハマったフォロワーのRTで元推しの名前を目にするとは。
件のバンドを最後に見に行ったのは去年のいつだったか…バンドから離れた理由はシンプルに「バンドが不誠実」だったから。
元から同じ界隈のよそのバンドのファンからは「顔だけの歌下手アイドルバンド」なんて言われてて、私は顔が好きでハマったわけじゃなかったからそれが悔しかったし、そういう事言ってた人達の推しが解散したりメンバー脱退して活休したりすると「アイドルバンドより活動できてないじゃんざまあみろ」って内心思っていたし、そういう事言われてるうちにも事務所の恩恵もあって歌はだいぶ上手くなったし毎回大きい会場でライブをし、イベントに呼ばれれば毎回トリを飾らせて貰えて優越感あったしすごく楽しかった。
だがここ数年ライブ行ったら歌詞ド忘れしたり声出なかったりして昔より歌下手になったな…って思うことがしばしばあったり、ファンと約束したこと守れなかったり、正直もういい歳なのに2.5Dバンドとか名乗り出すし…ほんと2.5次元の舞台俳優やってる人とかに失礼だし恥ずかしいからそのキャッチコピーやめて…と色々耐えられなくなりそっと卒業した。
因みに今回騒がれてるチェキなんですが、ツアー毎に売る時売らない時とまちまちなのですが値段は一貫して1枚1200円もしくは9枚10800円で9枚セットを買うと必ず1枚はサイン入りが出ます。チェキ売り始めたのは確か4年前が初めてだったかな?私も何度か買ってます、もう全部専門店に売ったけど。
基本的にそのツアーでの衣装、私服、たまに例外でサンタさんとかの季節ものや版権じゃないもののコスプレもありました。一度FC旅行でとうらぶのコスプレチェキを出してたようでメンバーもコスプレ自撮りをアップしていたんですが、その年の旅行は行ってないので販売していたのとかはよく知りません。
で、今回のツイステのチェキについて。
バンド卒業はしたものの、なんとなく公式やメンバーのアカウントはフォローしたままTLを流れていってたのを流し見してたんですが、先日のツアーが始まる4日ほど前にメンバーの一人がツイステのキャラのコスプレすることを匂わせる投稿をしてたんですね、白黒ツートンのウィッグの写真や「ツノ付ける?」という一文と共に。
リプ欄ではツイステユーザーらしきバンドのファンが「もしかしてツイステですか?」といくつか質問してて、あー今年はツイステコスしてライブするのねくらいに思ってスルーでした。まあ私行かないし…。
それとライブ直前に出る物販情報に「チェキ」の文字、ああ今年はチェキ売るのねふーん…と。
そして昨日TLに突如流れてきた元推しが営利目的でツイステコスチェキ売ってる!のツイート。びっくりしてバンド名+チェキでサーチ、普段ならライブ終わった後だとチェキの交換取引ツイートで溢れるはず、と思いきやみんな口を揃えて「画像はSNSアップ禁止なので」「写真判定はDMにて」と書いてあり画像添付はなし。なんで?と思い取引募集をしている人のアカウントに飛んでみると「今回のチェキネットにあげちゃダメって言われた」とかなんとか…ええ〜〜〜今までチェキネットにあげちゃダメって言われたことほとんどなかったのに。(FC旅行やFC限定イベントで撮影できるファンとの2ショットや6ショットはいつもSNSアップ不可でした。まあFC限定だし特別感出すために転載不可なのはわかるけど…)
突然何〜?!今まで通常の物販で買えるチェキのSNSアップ禁止なんて言われたことないけど〜?!
最初に注意喚起してたアカウントの人も言ってたのと同じ案件だと思うんだけどヒプマイのファンの人が自分のコスチェキを1000円で売ってた事案を見たばかりだったのでいやいやこれはあかんやろ…まして物販で売られるものなんて100%営利目的だしなんでこれOKだと思ったの?!いや逆にNGなの分かってるから購入したファンに「SNSアップ不可」通達を出したのか…?
以前ライブのセトリをSNSに公開しないでね!他の地方楽しみにしてくれてるファンの子達へのネタバレ配慮のためだよ!って事があったので、今回のチェキアップ禁止も「他の地方でチェキを買いライブを見るファンへのネタバレ防止」の意味合いなのかなと捉えるファンも居たけれど…しばらくしてツイステコス匂わせをしてたのとは別のメンバーが「僕はツイステのキャラコスをしてライブしましたが何か文句ありますか?」とツイート…いやいやなんで今それ言うの???ツイステのファン煽るのやめなよもういい大人でしょ!?と驚愕。
同時にこのツイートによって「他の地方で初めて観るファンへのネタバレ防止」は完全に崩れたどころか自らネタバラシしに行ってる始末。
引用先で自分より年下の、未成年のツイステファンの子から「営利目的での販売はダメって規約読まなかったんですか…?」とか諭されてるの、元ファンとは言えど見てるこっちが恥ずかしいよ…。
ファンの人やチェキを買った人の中には「別に最初からツイステコスしてライブしてチェキ売るって告知してたわけじゃない、ツイステで集客したわけじゃないからいいじゃん。」って言うけど、それじゃあ数日前のボーカルのツイステ匂わせはなんだったんですか…?「ツイステなんて作品知らないし関係ない」って言う人もいたけど買う側が知らなかったら許される話なんですか?
自分の応援してる人達を知らないジャンルのファンから責められて苛立つのも分かるし逆に口調の荒い人の「おじさん達のコスプレ似合ってない」「クオリティ低い」っていう意見も散見されたけど…けど今回どう考えても悪いのはバンド側、バンドを躍起になって擁護してるファンには申し訳ないが私もツイステの運営さんに一言問い合わせしました…。
ツイステ側が何か発信するのかはわからないけど、バンド側は非を認めて謝罪するのかどうか。
売っちゃったもんは仕方ない、返金対応っても多分無理だろうし買ったチェキ手放したくないファンだっているはずだし。
でもこれだけ騒ぎになっちゃったんだから、もうそのチェキは売らない方がいいし出来れば一言謝罪したほうがいいんじゃないかなあ。
私はバンド側の、16年もやってきてるいい大人なのに何かあってもすぐに謝れない不誠実なところが嫌でファン辞めました。
ツイッターでコスプレしましたけど文句ありますか?とかイキってる場合じゃないよ本当に…私の周りには不満言いながらもまだバンドを追っかけてる子もいるので、これ以上信用なくすような事しないで欲しい…。
俺は第二次安倍政権以降の自民党下で選挙権を獲得した20代男性だけど、これまでずっと野党に入れてきた
それは俺自身と保守的なイデオロギーとの親和性が少なく、またアベノミクスの恩恵を賜れなかった人間の1人だったからだ
あと様々な政治スキャンダルにおいて文書主義や立憲主義に反してるといった反感も、一応はあった
しかし後述するように俺はインテリに反感を覚えているので、文書主義や立憲主義といったインテリが築き上げてきた価値観を擁護することに心理的抵抗があったのも事実
表題の話に戻すが、ぶっちゃけると俺はスガーリンが学術会議のインテリどもを弾圧する様を見ていてめちゃくちゃ痛快だったんだわ
いわゆる大学人達が俺みたいな(俺は高卒である)大勢の有象無象の非インテリが払った血税を原資に学術会議等という大層な看板を掲げた象牙の塔に集ってなにやら難解な言葉遊びに終始していたわけで、スガーリンはそんなインテリどもが積み上げていた言葉遊びのジェンガを横から派手にぶっ壊してくれたんだよね
そりゃ痛快でしたよ正直に言って!!
俺はこれまで会社で新卒が入ってくる度に学歴コンプレックス拗らせてきたんだよね
俺は高卒中途採用組なんだけど、MARCHくらいの人達がよく入社してくる会社なので俺の学歴コンプレックスは高まる一方だったんだよね
それで俺もコンプレックスを補償する様に小難しい新書を読んだり朝日新聞取ったりしてきたわけさ
だけど根本的な部分でインテリに見下されてるっていうコンプレックスは解消されなかった
話変わるけど俺の同期にも高卒がいて、そいつは俺と違って大卒へのコンプをかなり明け透けに口にするんだよね
MARCH卒の新卒の後輩に対しても「大学なんて遊ぶ為に入るやつばっかでしょう?」みたいなことを言ったりする
俺はそれを端で聞いててソワソワするわけだけど、それ言われた後輩の表情には余裕が見て取れるわけ
「まあそういう人もいますね」とか言って同調してみせるんだけど明らかにアカデミアの内情を知らない高卒への余裕を感じて取れるわけ
こういう余裕に俺はとても敗北感を覚えるんだよね
まあそんな話はともかく、俺はスガーリンの学術会議虐めに正直言って喝采を送りたいよ
こういうこと言うとインテリどもは「菅政権は新自由主義政権だぞ!お前みたいな弱者が支持するのは肉屋を支持する豚に等しいぞ!」みたいなご忠告をして下さることが多いけど、じゃあお前らは俺達みたいな非インテリの為にどんなビジョンを打ち出してくれるの?って思うわ
インテリどもが支持してる立憲民主党だってマイノリティや貧困層への視点こそ分厚いものの俺みたいな能力的に劣る非インテリへの態度は多分に新自由主義的なんじゃねーの?
どうせどっち選んでも相手にされないなら俺はインテリどもが嫌がる政党を支持するね
デービット・アトキンソンでも竹中でも三浦でもインテリが嫌がるなら大いに結構
橋下徹だろうと高須委員長だろうとどんどん呼び込めばいいと思うね
まあ実際はインテリも馬鹿じゃないから大半のインテリは空気に逆らわずに文書改竄とかするわけじゃん
だからスガーリンが粛清できるインテリっていうのは自己の主張に意固地になる堅物なインテリに限定されるんだろうけどね
まさか俺だって現代日本でポル・ポトみたいなインテリ大粛清が叶うとも思わなければ望んでもいない
ただ学術会議みたいなインテリどもの巣窟が粛清される様には溜飲が下がる思いがしたよ
選挙はわかんない
正直また野党に入れるかもしれないし初めて自民に入れるかもしれない
それは事実なんだよ
20代の女性はコミュニケーション能力が低いということを知らないって不幸だなって思う。
彼は「若くてきれいな女性」が「コミュニケーション能力も有している」という偏見に囚われていた。その点が解消されたことはとても喜ばしいことだろう。
若くてきれいな女性は、話しかける能力、つまり関係開始スキルを磨く必要がない。勝手に誰かが話しかけてくるからだ。男女両方から。また、自分以外の人間に興味がなければ関係維持スキルも磨く必要がない。次から次へと友達ができるからだ、特に本人に偏見がなければ、男性の友人はすぐにできる。かわいい子と話がしたい男性は多いからだ。
一方、40代以上の女性というのは、子育てしている可能性もあるし、もうある程度、男性経験も積んでいるし(特に同年代とだからジェネレーション的に話題やコミュニケーションのテンポが似ている)特に働いている女性だと、コミュニケーション能力がないと社会でやっていけない。
職場で働いていると、男性の上司とコミュニケーションをとる必要が出てくるから、話しかけざるを得なくなるし、男性というのは話が下手だという前提で動くが、若くてきれいな女性に話しかけるような男性はコミュニケーション能力が総じて高いので、女性をもてはやすので、話下手な男性や察してほしい男性への話し方を学習する機会は少なくなる。つまり、そのあたり雑になっていく。相手に興味がなければ興味がないほど、察するという高度なコミュニケーションを磨く必要性に気付く機会は失われる。
また「若くてきれいな女性」というのは、女性の中でも強者である。容姿がうつくしいというのは、女性の評価基準で最も優遇される点である。むろん、劣化していくものなので、それに驕っていると大変な目に合うのだが。最初から、ゲームでいう人権を有している女性が弱者に配慮するなど、よほどの経験がない限り不可能だろう。
ルッキズムの恩恵で、コミュニケーションを磨く必要がない。紋切型で十分やっていける。なぜなら、継続的な客を得る必要がなく、新規客が次から次へとやってくるからだ。彼女は自らの特権を意識していないので、コミュニケーションを磨く努力を放棄している。
半分同感。
おっしゃる通りFW上で開発してる限り意識すべきはオブジェクト指向ではない。
オブジェクト指向を勉強すると小さなクラスをnewして〜メッセージをやり取りして〜継承して〜ってなるが、クラスとはユーザーが定義する単なる「型」。継承は親からの差分。これだけで良い。
現場において向き合うべきはいかに最小限の変数やコード量で実現するかが重要ってこと。
付け焼き刃の知識でオブジェクト指向が〜というヤツに限って、無駄なクラスを作りまくったり無駄なメソッドや変数が多い。
コピペプログラマはOOPとか余計なこと考えずに素直にFWの恩恵に乗っかっていれば良い。