はてなキーワード: 信徒とは
アイドルマスターミリオンライブシアターデイズのBlooming Starイベントもようやく結果発表が終わったので反省会。
ステラステージやってるPから聞いていたものの想像を超えて圧巻の一言だ。
詩花は才能があって、帰国子女のエリートで、誰からも愛され、敵役の黒井社長に反抗することができる。
Pや各アイドルは皆初対面で尊敬と畏怖を覚える。詩花の彼らに対する洞察はまさに神の視点であり迷える彼らを導くことができる。
ついでに詩花はPやアイドル達を褒めるのも忘れない。虜にした盲目的な信徒どもに飴をくれてやるのだ。
まさにメアリー・スーの神だった。
ぶっちゃけ詩花のどこが優れているのか壁の向こうから見ていて皆目見当が付かないが、劇場のアイドル達は精神汚染されて詩花マンセーしかしないので口を閉じる他無い。我々は彼女達が冷やかしのように口々に褒めそやすその言葉を信じるしかできない。詩花は不可侵であり本質的に高次存在のようだった。
昴は上位報酬イベントの主役の座を奪われたのにもかかわらずイベコミュから覚醒コミュまで神に尻尾を振り媚び諂う姿には涙を禁じ得ない。諦めよう。昴みたいな不人気より大人気アイドル詩花の方が主役の方が皆嬉しいんだ。神のお陰でイベントのポイントが伸びるんだ。感想を探している時に誰かが言っていたのを見たが、ミリシタの盛り上がりと発展のためには多少の犠牲を厭わないべきらしい。
今回コミュに出てた連中は詩花神を持ち上げるために適当に集められたような内容だった。まさか報酬なのに添え物にされるとは思わなかった。
つーか誰だこいつ。1周年祝った直後になんで知らない奴が主役なんだ。
ここで考えられる一番悲惨なパターンはゲーム内のブログを見てあの五人が新曲を歌うのを楽しみにしていたPだろう。が、リアルイベントの発表を知らないPはPにはカウントされないので仕方がない。詩花神を知らないステラやっていない奴もPではないので人権は無い。真面目な話、新規を意識して来れなかったコンテンツの力の無さが露呈したかに見えた。
このイベントを走っても称号はBlooming Starなので走った奴は昴のために走ったのか詩花神のために走ったのかわからない。走らなければいいんだが、詩花神の教義に反する邪教徒にうっかり転んでしまったPが昴を4凸にしないといけない使命を抱いていたら悲惨だ。
上位報酬になったアイドルの称号と担当の誇りために走るという需要は周年イベントの加熱っぷりを見て案外馬鹿にできないと思ったが、果たしてこれで走れたのだろうか。
まあ「そんなのやめれば?」という意見も散見された。走らない大多数にしてみればそりゃそうだろうが、それを言ったら甲斐が無い。
自分は担当だったらどうしていたかわからんが、そういう種別の人間の実数が少なそうな昴が報酬でまだ良かった結果だった。詩花神も趨勢を読んで下僕は選ぶんだろう。
この仕様のせいで詩花がいかに神であったかが問題の焦点にならなかったもまた説話的な小賢しさがある。
歌い分けとか実装するのでアイドルの組み合わせられることがメインのゲームだと思っていたが、まさか専用曲の概念が出てくるとは思わなかった。遊びの幅を狭めてくるとは。属性13人ライブ曲で縛りが入るのはただのエッセンスくらいに思っていたがこれは無い。
しかも765じゃない部外者の詩花神専用曲だ。この神しかステージに出てこない。誰を編成してもステータスやスキルだけが神に捧げられ、贄の力を持って神は下界の信徒たちのために舞う。
聞いた話では、劇場のアイドルのソロ曲は共有資産だが詩花神の神曲を侵すことは何人たりともあってはならないという判断らしい。そんな虫のいい話も神なら道理が通るという。
おかげでパターンは1通りになった。こんなの一回見れば十分だ。
組み合わせ爆発を誇るゲームは誰しも心のどこかで馬鹿にしていたかもしれないが、いくら神だろうがこいつの顔だけが見たいわけじゃないんだ。
コミュの設定を無視してポスターに割り込んでくるクソ神。現実改変を食らってしまったようだ。
詩花が人間だったらまだ愛せたかもしれないし、詩花上位なら「詩花 嫌い」がレコメンドされ続けることは無かったハズ。Blooming Starをイベント後でもいいから劇場のアイドルも踊ることができれば「普通に遊べる曲が増えた」と喜ばれた。
しかし現実はこの問題のどれか一つでも回避することはできなかった。全く非情である。何か神的な力が働いていたに違いない。おのれ神。
麻原彰晃こと松本智津夫の四女・松本聡香さん(仮名)と代理人の滝本太郎弁護士は、死刑の執行だけでなく、教団の解散まで必要と主張されています。
現在、公安調査庁によってオウムの残党と認定されている団体は3つあります。
聡香さんと滝本弁護士は、教団の解散に向けて、どのようなロードマップを描いているのでしょうか?
最終的なオウム解体に向けて、日米政府および国連、内外の有識者たちによる第三者委員会を設立して、十分に協議し、不要な混乱や遺恨を残さないように努めるべきでしょう。
今はインターネットがあり、世界に向けて誰でも自由に情報発信できる時代です。(中国の金盾のように、「言論の自由」が制限されている国もありますが。)
聡香さんと滝本弁護士は、他の日本人からも合意が得られるようにプレゼンテーションを積極的に行ない、解散に向けた支援の輪を広げるべきでしょう。
処刑から1日も立たずに麻原彰晃の霊言披露が告知されて早速ネタにされている某科学だが
高校の時、既にネタとして各所で有名となっていたので、たまにネット上で話題になると昼休みに弁当を食べながら友達と爆笑していた。
新興宗教の動画を昼間に見てると考えるとなかなか気持ち悪い気もするがニコ動のネタ動画とかと正直変わらない感覚で見ていた、スマホもあったし。
卒業後は進学で地元を離れたこともあり、高校の同級生とはあまり関わりが無かったのだが、年末に帰省して久々に集まることになった。
自分はSNSは大学で始めてTwitterも実名ではやらないことにしていたので全く知らなかったが、クラスメイトがやたら幸福関連のツイートをRTしているのだという。クラスの中には選挙活動への協力を打診されたひとや合宿を手伝って欲しいと言われたひとがいたことも発覚。フォロワーのプロフィールにはHAPPYSCIENCEの文字。
そういえば…とFBを開き、そいつのページを開くと「友達リクエストが送信されました」のまま。もう半年以上経っているはずだ。
自分たちにとっては完全にネタにしか見えないがあいつには儀式だったんだな…と思うと反省、よくその場でキレられなかったなと思う。地元には小さな施設もあったけど活動は見えなかった。個人的には完全に面白動画なのだが。
ちなみに友達じゃなくても公開設定になっているものは見られるので普通に信徒同士で交流していることが確認できる。
オウムが騒がせていたころは物心つく前で記憶も無いしどんな感じかもわからない。今残っているのは事件の映像か尊師マーチぐらいでこちらもネタとして度々浮上しているが
あんま一緒くたにするのも良くないんだけど
あるとすれば人の数だけ死後の世界はある。
生物学者のユクスキュルが提唱した『環世界』という概念をご存知でしょうか?
同じ空間を認識していても、その認識者の認識機能の差異によって、脳や心に創り上げられる世界は千差万別で、
同じ空間を認識し・生きながらにして、全く異なる世界を認識し・生きているという考え方です。
つまり言ってしまえばこの現世だって、人の数だけ異なる世界があるのです。
まして恐らく、あの世では現世の五感とは異なる認識機能によって観測するのだろうから、現世以上に環世界の差異が大きい可能性も大。
加えて、教祖があの世で観測した世界を教義に記す能力と、教祖があの世の世界が複数あることを観測する能力はまた別ですから、
例えば「あの世には野球部があったぞー!」という教義は真実でも、その教義に従っていれば将来その野球部に入部できるのは真実だとしても、
あの世には野球部以外にサッカー部もあるという事実を認識できたか…というのはまた別の話で、だからと言って野球部の教義は嘘にはならない。
実際以上に科学で判明している事を過大評価した科学的事実云々ではなく、科学技術信仰のような人の信仰自体は自由ですので。
この世に影響を与えてないものが、人の魂(コア)を動かす、ってところ。
先の環世界的な話でもあるのだけれど、例えば、人の認識機能は3次元な訳ですが、超弦理論などでは実際には10次元だそうです。
そして、蟻の認識機能はこのうち2次元だけとも評されるように、人間の認識機能もこのうち3次元だけで、
(嘘か真か、盲目の数学である者ポントリャーギンは「5次元図形を視覚的に思い浮かべることができた」なんて話もありますし)
実はあの世というのはこの世の4次元目以降にすぐそこに存在し、別に魂が動かされるとかそんな大層な話ではなく、
脳による認識機能が失われて初めて認識できる環世界にあの世があると考えれば、何も矛盾しないのではないのでしょうか。
それこそ、その認識機能が特異的に鋭敏な人がいたら、その人が教祖としてそうやって微かに観測できた世界を教義に残した…
なんて仮定すれば、先の複数ある死後の世界を一つと錯覚した件も含めて、諸々矛盾しないことになると思います。
…因みに言うまでもないとは思いますが、私も個人的な宗教観などは貴方に近いです。が、ここはあくまで論理的な思考実験としての話ですのでw
要は「死後の世界や宗教の教義を簡単に否定できる程の認識能力や材料を私達は持ち合わせているのか」って話です。
では、その時喋った私は一体誰なんでしょうか?
面白いですね。凄く興味深いですね。
ただ、麻酔は確か飛行機の飛行原理と同じく、科学的にはその原理が解明されていない事柄ですから、断定的なことはやっぱり不明でしょうね。
単純に済ますのであれば記憶を失った酔っぱらいと同じ状態なのかもしれません。
オーストリア | プリンツ・オイゲン(1663-1736) | オーストリアの名将。元はフランス貴族だが、軍人としてハプスブルク家に仕え、祖国フランスと戦い続けることになる。オスマン帝国との戦いでその西進を挫き、スペイン継承戦争においてはイングランドのマールバラ公と共に大活躍をした。 |
スイス | ウィリアム・テル(?-?) | スイス建国の英雄として知られる。オーストリアの代官に強いられて息子の頭に置かれた林檎を射抜き、後にその代官を射殺したことで、それがリュトリの誓いに始まるスイス独立運動へとつながったという。ほぼ確実に架空の人物だが、スイス国民が実在を信じているならそれでいいのだ。 |
スロバキア | ユライ・ヤーノシーク(1688-1713) | 伝説的な義賊。山間で商人や聖職者などの金持ちから金品を奪い、それを土地の貧民や有力者たちに渡していた。有力者は見返りにヤーノシークを守っていたという。やがて捕らえられ処刑されたが、民族意識の高まりと共に支配者への抵抗の象徴と見なされるようになった。 |
チェコ | ヴァーツラフ1世(907-935) | ボヘミア公。敬虔な信徒として、チェコのキリスト教化を積極的に推し進め、また神聖ローマ帝国に臣従して外圧を緩和した。キリスト教に反対する貴族たちによって暗殺されたが、その死の前後にさまざまな奇跡が起こったという。 |
ハンガリー | マーチャーシュ一世 | 反オスマンの英雄フニャディ・ヤーノシュの息子。ハンガリー王に選出されると、領土としては最大版図を、文化としてはルネサンスをもたらし、ハンガリーの最盛期を築き上げた。水戸黄門のような廻国漫遊譚があるらしい。 |
ポーランド | ヤン三世ソビエスキ(1629-1696) | 若い頃から各地で戦功を重ね、国民的人気を得たことで自由選挙によって王に選出された。オーストリアの首都ウィーンを包囲していたオスマン帝国の大軍を、かの有翼重装騎兵フサリア3000騎の中央突破によってさんざんに打ち破り、ヨーロッパの守護者として大きな名声を得た。 |
オランダ | ウィレム一世(1533-1584) | オラニエ公。ハプスブルク家の支配下にあったオランダの貴族だったが、カトリックへの強制改宗に反発して起きた独立戦争においてその反乱の中心となる。「海乞食」と呼ばれる船団を率いて港湾都市をゲリラ的に襲って勢力を拡大、事実上の独立を果たしたものの、戦争が続くなかで暗殺された。 |
ベルギー | アンビオリクス(?-?) | ガリアに住むベルガエ人の一部族、エブロネス族の王。「アドゥアトゥカの戦い」において、カエサルの麾下にあったローマの一個軍団を、谷に誘い込んで殲滅した。カエサルにとってはガリア戦争における最大の痛手となり、その後の反撃でエブロネス族の土地を占領したものの、とうとうアンビオリクスを捕らえることはできなかった。ウェルキンゲトリクスと似た扱いで、ガリアの自由を求めた英雄とされる。 |
ルクセンブルク | ヨハン盲目王(1296-1346) | ボヘミア王およびルクセンブルク伯。晩年には病を得て盲目になりながら、百年戦争の激戦「クレシーの戦い」に参戦して壮絶な討ち死にを遂げた。ルクセンブルクでは国を発展させた名君として評価が高いが、チェコでは戦争ばかりで領地に戻ってこなかった王として人気がないという。 |
ドイツ | ビスマルク(1815-1898) | プロイセン王国首相。普墺戦争・普仏戦争に勝利してドイツを統一し、外交でもフランスを封じ込めて欧州の均衡を保った。その豪腕ぶりから「鉄血宰相」の異名を取る。他の候補はオットー大帝、バルバロッサ、フリードリヒ大王あたりか。 |
フランス | ナポレオン・ボナパルト(1769-1821) | 言わずと知れたフランス皇帝。他の候補はカール大帝、ジャンヌ・ダルク、ド・ゴールあたりか。ちなみにカール大帝はドイツでも人気だけど出生地はベルギーが最有力らしい。 |
スペイン | エル・シッド(1045-1099) | 本名はロドリゴ・ディアス。通称はアラビア語の「アル・サイイド」に由来する。カスティーリャ王国のアルフォンソ6世のもと数々の戦いで活躍し、王によって追放されたあともバレンシアを征服するなど、レコンキスタの英雄として勇名を馳せた。後に叙事詩に歌われた。 |
ポルトガル | アフォンソ1世(1109-1185) | 初代ポルトガル王。伝説的な「オーリッケの戦い」でムラービト朝の大軍を寡兵で撃破し名声を得た。主君筋であるカスティーリャ王国と対立した後、和解して独立した。イベリア半島のイスラム勢力と戦いながら領土を広げ、リスボンまで占領した。 |
イタリア | ジュゼッペ・ガリバルディ(1807-1882) | 南米でウルグアイの「大戦争」に参加し、そこでゲリラ戦術を身につけた。オーストリアの支配のもと、統一の機運が高まるイタリアにおいて「赤シャツ隊」と呼ばれる義勇軍を結成、シチリアと南イタリアを占領すると、そのままサルデーニャ王国に献上。イタリア統一に大きく貢献した。その後も何度か軍を率いて決起しつつも、政治にはほとんど関わらないまま隠遁生活を送った。 |
こんばんは。
前回01と02に関してコメントやブックマークを入れて頂いた模様。有難う御座います。
SHUFFLEって2004年だそうで、14年前って何してたでしょうか。
山本直樹。懐かしい名前を聞きました。上げて頂いた作品、読ませて頂きます。
デッキが無いといいますか、撮影、編集側にもビデオデッキで再生する為の機材、今となっては化石の様な機器を使用して編集する必要がありそうですね。
親しい、大事な女性が堕ちていく様と云うのは私事ですが、まったく興奮しません。その時点で他人か汚物になります。なりました。
さて、この速筆習練は寝る30分前より行っている。寝る前に日記を書く。と云った体なのだが、書くのに時間が掛かった場合、その分寝るのが遅くなる。
01と02は結局40分前後の時間が掛かってしまった。もっと早く文章化出来る様になりたいし、ならなくてはならない。この意味不明な決意も、如何せんまったくの思い付きスタートであり、いつ私の事情で取りやめになるかも分からないのだが、まあそれは之を読んでくれている方には関係の無い話ではある。
それはそうと、誤解が無い様に記載するがニッチな性的嗜好を否定する気はまったく無い。私自身もニッチな性嗜好だからと云うのもあるが、01に記載した通り様々な性的嗜好があるのだ。何かを攻撃したい訳では全く無い。
私自身がああ、こういう性的嗜好があるのだなぁ。とラベリングしたいだけなのだと云う事を改めて記載しておく。
4.愛される事について
昨今、創作物の影響かそれとも時代の流れなのか”愛される事”に飢えている諸兄を見かける気がする。
性的嗜好と云うか人間、否さ動物としても勿論愛される事とは重要ではあるのだが、それでも此処まで愛される事に貪欲であっただろうか?
愛される事。と記載したが、それは愛では無い。愛とは得るものが無くとも与える物だ。と云うのが年寄り臭くも私の考えなのだ、確固たる信念でそう言い切る。
愛が足りないぜと歌っているのは、自分自身の愛情が足りないぜといっているのだ。
だが、この愛される事。と云うのはそもそも様相が異なる。愛する事でなく、自分自身がどうであっても愛を注いて欲しがる。
自分自身は何も変わらない、変化もしない。だが、自分を愛してくれる存在はそんな自分自身がどの様な存在であっても愛を注いでくれる。そんな存在を欲している様に感じた。これは私自身も全力を持って賛意を表明したいのだが、そもそもそんな愛情を注いでくれるのはヤンデレか、父なる神のみである、仏にはお門違いの願いだ。
誰かに愛してほしいという感情自体は、決して疎まれるものでも拒絶される物でもない。なのだが、この無償の愛のみを求めるのはいささか勝手が過ぎるのでは無いだろうか。
この考えに至ったのはとある成人向けゲーム、所謂エロゲ―をやってみた事で益々強い考えになった。
実のところ、友人に勧められたのだ。強力に。アガペーを求める私向きだと言う、求めた事は無いのだが。
年甲斐も無く、ワクワクしながらゲームをプレイしてみた。こういうジャンルがあるのかどうかは分からないが”甘やかし”とでもラベリングしようか。
で、やってみた感想としては”違うよクソ!”である。私は赤ん坊に成りたいのでは無い。こんな愛の押し付けは私が望んだものでは無いのだ。
まあ、この作品は所謂ヌキゲーらしいので、プレイ内容を煽情的に見せるのが目的であって、こういうシナリオなのだろうと無理やり納得した。
しかし、冷静に考えるとこれがフルプライスで販売される世の中なのだから、こういう愛を望む者も多くいるのだろうか。だがこの歪んだ愛され方と云うのは少し気になる流れだった。
このゲームに固執する訳では無いのだが、愛情表現が男女がする物では無く、大人が子供に向ける、云わば庇護欲、母性愛を性欲と一緒くたにして求めると云うのはまるで性的嗜好が歪に歪んでいる様に感じたのだ。可愛くてヒロインから愛されて当然だからこっちは勝手にやる。俺の性欲もママが処理してね、と。
昨今、創作物の中でも愛や恋は不変の人気ジャンルとして成り立っている、男性向けでも女性向けでもだ。
しかし、こういった作品の中でも所謂ハーレム物と謳われる作品がある、こういった作品が流行るのは時代でも何でも無い、誰でも愛されたいのは当然だ。
中々捻った作品もあるし、面白い作品もある。だが愛され具合はちょっとした宗教を感じる作品も見受けられる。名付けて主人公教だ。
他の作品の中には納得出来たり、いたたまれない理由で主人公と共にいるパートナー達も居るが、そういった作品では主人公がどういう立場なのか表明されている場合も多い。つまりは失恋前提の物もある。それが分かっていてもヒロインは主人公に惹かれるのだ。
だが、私はハーレム物で主人公が愛されて当然と、主神の様に崇め奉られている事に恐怖と違和感を感じる。その愛に応えない、愛する事もしない、優柔不断で神様気取りの主人公の何処が良いのだと。
ハーレムのヒロイン同士で約束や協定など結び出した日には目も当てられない。結局一人しか選ばれないのに、その気持ち悪い約束事は何だ。
世界観で一夫多妻制?サブヒロインがハーレムに入った瞬間出番が無くなったりしていないだろうか?それは主人公教のハーレムに入る事が目的になってしまって、ハーレムの中でどう生きるかが適当にしか描写されていないのでは無いだろうか。
作者は、そして物語の中で主人公はサブヒロインもヒロインと同じだけ愛せて無いのではないか。サブヒロインをハーレムに入れた事で彼女の人生への責任は誰が取るのだろう。
こういった作品ではこの責任という事を極力嫌がるか、表現しない作品が多い。人間の人生を無責任では負えないだろうに。
その主人公よりこっちのサブキャラクタの方が良い男だよ?と言いたいヒロインも居れば、キャラクタの愛を強調する為に登場した元初恋の人(どっちの思慕だったにせよ結局フラれる)等、不憫でならない。そのキマってギリギリのヒロインよりイイ女いっぱい居るから大丈夫と、酒でも奢りたい気分にさせる。
これが酷い物になると、異性に限らず、別世代、同性、動物、神、敵、など皆主人公を愛して止まない世界になる。主人公がやる事なす事、諸手を上げて肯定する。分かり合えない敵も居るには居るが、そういうのは主人公が来るまで、トラブルが起きなかったのが不思議なレベルの気持ち悪い犯罪者になって断罪されるか、主人公の実力を認めながら消えていくか、味方になって主人公教に入信する、全肯定なのだ。正に狂気の世界である。
こんな主人公のみに優しい世界は気味が悪いとは感じないだろうか。私が主人公なら日記に狂気を記録しながら外なる神とコンタクトを取って、死体も残さず消えるだろう。
主人公教タイプの創作物が好きな方は勿論沢山いらっしゃるだろう。そういったファンが作品を支えて市場を作っている。つまりは売れ筋なのだ。
大いなる力には大いなる責任がある。とある作品では主人公の行動をそう制した。主人公にも人としての責任があるのだと私は思う。
再婚同士。
私的には、夫の信仰は尊重するけど、和して同ぜず。そんな感じ。夫もそれで良いと云っていた。……直前まで。
話は遡るけれど、義母の本葬のとき夫の息子(成人済み。私とは血縁も縁組もない)に、「正宗ですか?」って聞かれた。
普通、成人済みで家も出て行った息子が、父親の再婚相手(の実家)の宗教なんか、いちいち確認しないと思う……。正直ドン引きだったけど、葬儀の忙しさで正直すぐにそんなことはすっかり忘れてた。
それを思い出したのが、姑一周忌の直前。数十分前。
なので、
「お義母さんの形見分けとか、お義姉さん(夫の姉。僧侶の妻)からいろいろお手紙が来てたみたいだけど、私は信徒ではないから、お数珠とかは宗教的なものは受け取れないし、生前の縁も薄かったから、何もいただく気はないよ」
って話した。ついでに、
「私は信徒じゃないし、入信する気もない。お弔いだから参列するし、お経も一緒にあげるけど、信徒さんかって誰かに聞かれたら否定するよ。それは解ってね」
とも話した。
そうしたら夫が、
「ご受戒だけ受けて、戒名は貰ってないって今回は誤魔化す。戒名ないとうちのお墓に入れないから」
とか云う。
ねえ、それおかしくない?
何で宗教とかで、嘘つかなきゃいけないのよ?
別に妻が信徒じゃなくったっていいから、入籍したんじゃないの?
入籍して5年。ずっとそう思われてきたってことか?
なんかもうとにかく許せない。
もし今土下座で許しを請われても。頭蓋骨粉砕して【いとしきみこと】するまで、踵落としするレベル。
姉が僧侶の妻だからって、自分の再婚相手の宗教まで日蓮正宗にしなきゃなんねーのかよ。冗談じゃねーよ。
結婚前にお互い尊重するって約束したのは嘘かこの野郎。騙してやがったのか糞野郎。
だいたい、嘘で受戒だの戒名だのって、本当の信仰心を持って日蓮正宗の信徒やってる方に対し、すっごく失礼だろ。
何の落ち度もない真面目な信徒さん(夫にしてみりゃお仲間さんだ)に対して、私が無礼な振る舞いをすることになると、何故気づかないんだよ!
一人の信徒が(しかも僧侶の身内とか、信心の持ちようがかなりディープな人間)、非信徒に対しそれをやるってことは、日蓮正宗全体として、嘘OKってことと受け取るぞこのド腐れ野郎。例え方便ってやつでもな!
離婚を考える程ではないんだけど、信頼感がマイナスになってしまった。
この1か月、言葉にも態度にも出さないようにしてるけど、本当に辛い。
仏壇ブチ壊したくなる。
欧米と比して宗教色が薄いと言われる現代日本でも、完全に宗教と決別して生きていくことは難しい。
いわゆる「冠婚葬祭」においても、近年では小規模化の傾向が見られるとは言え、有形無形の圧力により望まぬ負担を強いられることが常態化している。
そこで、出来る限りコストのかからない極めて簡素な宗教を新たに用意し、それを宗教的圧力からの逃げ道にすることができないかと考えた。
簡素と言っても、冠婚葬祭を全く執り行わなければ社会的摩擦が生じ、かえってコストが増大しよう。それでは本末転倒である。
なので最低限の儀式は執り行いつつ、それ以上の出費を防ぐために、「私の宗教では盛大な儀式が禁じられている」などと、宗教を言い訳に使えるようにしたい。
メタ目的が「宗教に関連するコストを低減する」ことであるので、「戒律を課す」「現世利益を約束する」といったコストの嵩む方向性は論外である。
そこで「死に対する不安を取り除く」=「死後の安楽」という点に絞る。
死後の安楽を保証するために、まず神を用意する。
神は全知である。
故に神は「人の死後が安楽である」ことを知っておられる。
これを基本にしよう。
「神によって安楽がもたらされる」でないことに注意されたい。
安楽が神によってもたらされるのならば、神に対価を支払う必要性が生じてしまう。
むしろ、
とすべきだ。
信徒は神に期待してはならない。
ただただ「人の死後が安楽であることを知る神が存在する」ことを信じるだけである。
あらためて信心を表明したり、神へ誓いを立てたりすることは、神の全知を疑う行為であるので、できるかぎり慎むべきである。
ことさら神へ祈りを捧げたり、神の名の下に騒ぎ立てたりすることは、神の無能を疑う行為であるので、できるかぎり慎むべきである。
と、このような教義を設定すれば、冠婚葬祭のたぐいを簡略化できるのはないだろうか。
神は新郎新婦の愛を既に知っている。
神は死後の安楽を知っている。
神は死後の安楽を知っている。
埋葬する必要もないが、埋葬した場合でも墓参りはしなくてよい。
といった具合だ。
もちろん冠婚葬祭以外でも様々なシーンで利用できるはずだ。
これを「全知無能神教」と名付けよう。
どうぞ信仰してくれ。
はあちゅう氏の炎上問題を見ていて、本筋とは関係ないところで気になっている用例がある。
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2017/12/20/123000
今回の告発で「お前も童貞セクハラをしていただろう」という指摘が大量にやってきたので、彼女はツイッターで弁明。
だが、この発言こそ「まさにセクハラそのもの」であり、「はあちゅうのことはキライだけど今回の件は応援する」といった層はもちろん、はあちゅうに関して最初から応援してきた人たちも焼き払う。
http://billword.hatenablog.com/entry/2017/12/20/220136
ただ、ここで不思議なのが「売れ残り」という言葉に激高するはあちゅうが何故平気で童貞を侮辱するのか、という点である。
「結婚していない」という事実を茶化されるのが堪らなく不愉快なのと同様に、「性交経験が無い」ただそれだけの事実を茶化されるのも屈辱的である。
私はクリスチャンではないが、八木谷涼子著『なんでもわかるキリスト教大事典』(朝日新聞出版)を手にしたのをきっかけにキリスト教用語として「童貞」があることを知った。正教でイエスの母であるマリア(正教では「マリヤ」と表記)のことである。virginを日本語訳したものであるが、日本語では男女において「童貞」「処女」と用例が分かれている。なぜそうなったかまでについては調べ切れていない。
『なんでもわかるキリスト教大事典』主要索引&英和対照表 増補版
http://yagitani.na.coocan.jp/kurihon/kurihon13.htm
virgin Mary 【正】童貞女〔どうていじょ〕マリヤ 【RC】(現) おとめマリア; (旧) 童貞〔どうてい〕(聖)マリア 【プ】おとめ〔処女〕マリヤ 【福】処女〔しょじょ〕マリヤ
また、日本正教会のサイトでも「生神女(しょうじんじょ)マリヤ」の説明ページを設けている。
中国と日本で同じ漢字でも意味が全く異なるように、その国において指し示す概念は異なっているのが当たり前であるとはいえ、「童貞セクハラ」「童貞dis」「童貞いじり」などは、そもそも正教会の信徒にとっては許しがたい言葉なのではないか?と勝手に推測している。クリスマスがその本来の意味を失い商業主義の象徴となったように、正教会の信徒の皆さんは「童貞」という言葉への甚だしい無礼をあきらめているのだろうか。
今年の1月に父親が死んだんだが、まあこういうことは共有しといたほうが良いかと思うのでこうだったら良かったとか、これは良かったということを書く。
病気になって弱ってたりとか入院したりとか言うことはあるが、それでもやっぱり死ぬのは突然だ。電話で死んだときかされると思っていたほうがいい。特に延命治療を希望しない場合は死んでから連絡がある(一応病院は死ぬ前に連絡はくれるが間に合わない
突然死だと用意できないが、高齢になってきたら元気でも用意しておいたほうが良いと思う。まず永代供養の墓地が常に売り出されているとは限らない(売出し時期がある)。あと墓のデザインもある。どこに名入れ(?)をしてもらうかとかもあるし、そもそも石を加工するので時間が必要だし、当然お金もかかる。死んでから用意するとバタバタすぎるし金がバンバン飛んでわけがわからなくなるので、まぁ先に余裕を持ってやっておいたほうが良いだろうと思った。先祖の墓に入るってんならいいんだけどさ。
寺にもよるとは思うのだが、うちの頼んだ寺だと先に信徒になっておくと色々と格安でやってくれる。檀家になると色々かかるので、あらかじめ市営などの墓地に墓を用意しておいて信徒になるのが楽だ。あと死んですぐはホントバタバタするのでここに連絡すれば大丈夫ってのがわかってると心理的に楽である。余談だがお坊さんからきいたところによると、遺族に頼まれてお墓にいったら、この墓うちの信徒のじゃねぇな…ってなって管理してる寺に引き継ぐことがあるらしい。いまや檀家とかよくわからなくなってることもあるので、生前にその辺りははっきりさせておいたほうが良さそうだ。
会員になっとくと割引があったりする。まああと変なところから来られても困るので、死んだらすぐに「うちは○○に頼むことにしてるので」っていうとすぐに連絡が取れて楽。葬儀社はエキスパートなので、まずは呼んでなにをするか聞くのがよいし楽(とはいえうちはすぐに全員があれこれぐぐって必要な手続きをリスト化し、いついつまでになにをして、そのときになにが必要かを洗い出した。相手も人間で抜けがあるかもしれないので一応自分たちでもスケジュールは組むべき)。ある程度年をとったらそこら辺の手配はしておいてほしい。
合成で作ってくれたりするんだが、出来があまりよろしくないのである程度年を取ったら元気なうちに写真は撮っておいたほうが良い。プリンタで引き伸ばした質の悪い写真になるので、大きなサイズも用意しておくとなお良い。
うちは地味に時間があるときにやっといてくれたので家探しせずにすんだが、まとめてないと大変だ。あっても一個ずつ確認して連絡とって手続きをしなければならないので非常に大変。忘れがちなのが家の火災保険の名義変更や、公共料金の名義変更(これがまたガス・水道・電気で違うのでややこしい。固定電話もかなり面倒)なども煩雑なので、できれば生前にできるものは名義変更しておいてほしいし携帯は解約しておいてほしい。いきてる間にやったら楽なものも少なくないので。
うちは密葬で、ということにしていたのだが、葬儀社に一応連絡だけは入れておいたほうが良いと言われたのでそうした。そうしてよかったと思う。別に死んだ人間のためというわけではなく、「人の死を軽くあつかった」というふうに思われたくない人間のほうが世の中には多いので、伝えておかないと家に線香あげに来る人があとをたたない。葬式後は相続関係で家を開けることが少なくないのでバラバラに来られると困るのだ。町内会に所属していた場合などは町内会の会長に連絡を入れ、「故人の希望で…」といって最低限以外はお断りするのが角がたたないし、相手も納得する。会社関係は厚生年金などの手続きですぐに訃報が伝わるので、会社の方から連絡があるが、その時はおなじく「故人の希望で…」と最低限以外はお断りするとよい。
当然だが祭儀場には限りがあるので、死んだ日の夜に通夜ができるわけではない。まず場所を押さえ、いろいろとプランを決めてから準備に入るので、最短でも二日か三日はかかるようだ。そもそも死んでから三日は焼いちゃいけないしな。ドタバタはするが死ぬほど忙しいわけではないので安心しよう。会社は少なくとも七日は休んだほうが良い。通夜までの間に喪服とか必要なものは買いにいけるので大丈夫だ。あと通夜までの間に実印を持っていない法定相続人は実印を作ろう。三文判でも実印にできるけど、名字の漢字が珍しいひととか三文判でも作るのに時間がかかるからね。
病院からもらう死亡診断書さえもらっておけば、焼くまでの手続きは全部葬儀社がやってくれるし、香典返しの手配とかもやってくれる(プランはいくつかあるが)。納骨までの仏壇もレンタルしてくれる。任せるのが楽だし、楽のためにお金を出したほうがいい。ただでなくても疲れるのに諸手続きをやったらたぶんぶっ倒れる。
まず花があるとかなり華やかになるので安いプランでもあらが目立たないし、遺族の気が紛れる。ちゃんと葬儀をしたという実感もえられる。祭壇をシンプルなやつにしてても花があると豪華にみえるのもよい。献花を申し出られた場合はお返しがちょっと大変だが一応受けておいたほうが良いと思う(華やかになるから)
食事は生きている人間のためのものなのであんまり食が進まないかもしれないがある程度のものを頼んだほうが良い。ただでなくてもしんどいので、食事くらい良いものにしないときが滅入りすぎるし、まずい食事は後々尾を引く。とくに通夜のあとの食事はちょっといいものにしたほうがよい。
死後、遺体も生き物なので体が腐っていくわけだが、エンバーメント処置をすることでそこそこきれいに保つことができる。夏場は腐りやすいのでやったほうがいい。うちは冬だったのでやらなかったが、やはり目はどんどん落ち窪んでいくし肌の質感とかも悪くなっていくので微妙に辛いものがある。ただまあそうやって変わっていくことで受け入れられるものもあると思うので、大丈夫だと思うならやらなくてもいいのかも。
お金がいりようになるということはよく聞くので連絡を受けて向かうまでの間にさっと引き出せる口座に百万くらい移動しておいたが特に使わなかった。うちは死ぬ死ぬ詐欺がながかったので口座の名義変更とかお金の移動とかある程度済ませていたのであんまり混乱がなかったが、まぁでも何かと入りようなので焦らないためにも近親者はすぐに大金を引き出せるようにしておいたほうが良いだろう。葬儀とか病院はクレジットカードで払えるのだが、引き落とし口座が死亡者の名義だったりすると、引き落とし日に口座が使えなくなっている可能性があるので要注意だ。そのあたりは生前によくよく確認しておくべき。
うちは女ばっかりの家なので男手がなく、出棺のときに困った。葬儀社がだいたいやってくれるのだが、あれ、ただでなくても重いからね。男手はあったほうがよい。
コートは人によって違うのでわかるのだが、マフラーはほとんど全く見分けがつかないので、混乱を避けるために名前を書いておいたほうがいい。
あと結構場所の移動があるので、それぞれに係をきめておいたほうがよい。運転係、お金関係の係、葬儀場の係、部屋を出る時に最後の確認をする係(うちでは自衛隊係とよぶ)、食べ物を用意する係、などなど。
場合によっては遺産の配分も考えたほうが良い。まぁ働けっていう話もあるんですが、何十年も専業主婦やってきた人は働けないからね…
年金受給年齢に達していない場合、生活が遺族年金頼みになる。毎月(給付は二月に一回だが)いくら収入がはいってそのなかで生活費や税金としていくら出ていくのかを見積もっておかないと生活に困窮する場合がある。うちの場合はなぜか最初から子供が全員遺産相続を放棄する前提だったのでよかったが(なんでだろうなぁまあ最初から放棄するつもりだったけど一応聞けよ)、法定通りにきちんと分けようと考えている時は、その後の援助などの計画もきちんと考えたほうが良いだろう。
http://www.izokunenkin.com/about.html
確定申告がバタバタになるので。年をこしてからだと準確定申告できるので四ヶ月猶予があるが、年末ギリギリに死なれると三月十五日までに確定申告をしなければならないようだ(死亡届を出した日になるのでほんとに年末ギリギリだと年越してから死んだことにできるかもしれないが)。つまりそれまでに相続を確定しないといけない。ここらへんよくわからない場合は遺産相続のプロに代行を頼む必要とかもでてくるので、できれば確定申告が終わるまでは頑張っていきていてほしい。
https://www.nta.go.jp/taxanswer/shotoku/2022.htm
予断を持たずに事件に取り組み、判決などで具体的な理由を示すにあたっては、最終審としての説明責任を果たす内容になるよう、力を尽くしたい。最高裁には多様な紛争についての不服が申し立てられ、どの事件も最終的な決着が求められている。社会的に影響の大きな事件も少なくなく、責任の重さを日々痛感している。
広い視野の下で、公正な判断を行うことが期待されていると感じる。その期待に応えるためには、判断の内容を説得力ある分かりやすいものにすることが大切である。また、裁判所の存在が国民に身近なものとなるよう、情報発信や手続きの工夫などといった面にも一層留意する必要がある。
地裁や高裁で勤務した時代、3人の裁判官の間でさまざまな議論を重ね、充実した判断につながったと感じられた事件は、著名かどうかを問わず長く記憶に残っている。最高裁においても同じだろうと思う。
任命権限に関わる事柄であり意見は差し控えたいが、現在、バックグラウンドの異なる同僚裁判官とさまざまな角度から率直な意見交換ができる環境にあり、日々の仕事にとって大きな意義があると感じている。
裁判の中で憲法判断を示す立場にあり、お答えは差し控えたいが、憲法は、我が国における「法の支配」の基盤となるものであり、普段からそのありように国民の目が注がれていることは、大切なことであると考える。
前項と同じ。
これまでに関与した定数訴訟についての私の意見は、大法廷判決の中で示してきたところであり、これからも個々の事件の判断の中で示していきたい。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
法的判断が司法に求められている大きな問題の一つであるが、今後訴訟が最高裁に係属する可能性があるので、意見は差し控えたい。
国民の皆さんの理解と協力に支えられて、制度が定着しつつあることを、刑事裁判に携わってきた者としてうれしく思っている。大改革であり長期的なものさしで改善を図っていくべき課題もなお残っているが、刑事裁判が、「開かれた司法」の方向に大きく変わったことは確かである。
誤判を防ぐためには、一つ一つの事件において、当事者が適切な訴訟活動を行い、裁判官が曇りなき目で判断を下すことが、何より重要である。制度や運用の改善点については、法曹三者の間で、実情をもとにして、率直で冷静な検討を深めることが欠かせない。
国民の間で議論を深めていくべき重要なテーマであると思っているが、具体的事件に関与する立場にあるので、立法論に関わるご質問についてはお答えは差し控えたい。
重大な刑事事件は裁判員裁判によって審理されており、今回の新制度の運用については、裁判員裁判の証拠調べにおいてどのような評価が示されるかが、重要なポイントになると思う。裁判員裁判と同様に、長期的なものさしで検討すべき問題であると考える。
さまざまな課題を抱えていることは認識している。法曹養成制度も教育制度の一つであり、時間をかけて行うべき人づくりの土台だといえる。長期的なゴールを見定めて、じっくり検討していく姿勢も大事だと思う。
国際的な経済活動が原因となった訴訟はこれからますます増加すると思う。裁判官は、紛争の背景にある実情も視野に入れた上で、判断を下すことが求められる。そのためには、研修、人的交流などの機会も一層充実させる必要がある。
「開かれた司法」を推進していく上で、テクノロジーの活用は重要な柱の一つだと考える。それだけに、単に「便利かどうか」というのにとどまらず、司法へのアクセスや裁判手続きの将来のあり方も念頭に置いた上で、総合的に電子化などの改革を進めていく姿勢が大切だと考える。
個人的には、今年は名演と観客席の熱気が一体となったライブに出会う機会が多く、終演後はその場の一員であった幸福感を味わえた(例えば、ロシアの劇作家チェーホフの「ワーニャ伯父さん」)。
「尊敬」という意味とは少し違うように思うが、強さ、弱さを含めて、人間的魅力に富んだ人物として、最近興味があるのは、森鷗外。趣味はコンサート、観劇。好きな言葉はゲーテの「人間は努力する限り迷うものだ」。
千葉聡の「歌うカタツムリ」。身近な生物を手のひらの上に乗せながら、生物進化に関するダーウィン以降の研究の歴史が物語られており、科学読み物として非常に新鮮だった。
約40年間、弁護士の活動から培った経験や市民感覚を踏まえ、弁護士出身の裁判官であることの自覚と誇りを持って、正義と公平にかない、かつ、健全な社会常識にかなう法律の解釈・適用に努めていきたいと考えております。最高裁裁判官に就任して約1年3カ月経過しました。最終審としての判断の重さを更に自覚し、一つ一つの事件に謙虚に向き合い、よりよい判断・解決のため、誠実に職責を果たしていく覚悟です。
裁判所に対して、一つ一つの事件について、迅速かつ適正妥当な判断を期待していると思います。最高裁判所としては、主な事件の判決などについて、ホームページなどでも公表していますし、法廷の傍聴人の方々にも事件の争点など概要がわかるような工夫を積極的に進めています。
個別事件の判決の中で示した意見のとおりであり、これを離れてお答えするのは控えさせていただきます。
いずれの質問についても、憲法で定められている任命権者が判断する事柄ですので、お答えするのは控えさせていただきます。
憲法の改正は、国会の発議により国民投票を経て行われるもので、主権者としての国民が判断される事柄であり、各国民が真剣に考え議論すべきものと思います。
国家存立の基盤である国の安全保障政策については、各国民が自分の問題として真剣に考えるべき事柄であり、司法の立場にある者として、個人的意見は控えさせていただきます。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
裁判所は、どのような訴訟においても、法にのっとり公平かつ適正妥当な判断をしていかなければならないものと考えております。
裁判員制度はおおむね順調に運営されてきていると思いますが、問題点もご指摘のとおりあります。更なる審理の工夫や制度の広報に努める必要があると考えております。
誤判は絶対にあってはならないものです。刑事事件の事実認定においては、思い込みを排し、様々な視点から十分に証拠を吟味することが大事です。刑事司法に携わるすべての者が、誤判防止に向けて、それぞれの立場で誠実に職務を行わなければなりません。
死刑制度の存廃や終身刑の創設などは、最終的に国民の意見により決められるべき立法の課題であり、司法の立場からの意見は控えさせていただきます。とはいえ、死刑は究極の刑罰であり、その適用は極めて慎重に行われるべきものと考えております。
新制度は、捜査・公判が取り調べ及び供述調書に過度に依存している状況にあるとの指摘を受けて立法化されたものであり、これにより、刑事手続きにおける証拠収集方法の適正化及び多様化がされ、公判審理の更なる充実が期待されます。
具体的な政策についての発言は控えさせていただきますが、法科大学院で5年間教壇に立った者として、法曹養成の理想に向けて開校した有力な法科大学院で募集停止が相次ぐこととなり、残念でなりません。社会の様々な分野で法律家が活動することは、法の支配する公正な社会を実現するために必要であり、大変意味のあることだと思います。わが国社会の今後の発展を支える有為な人材として質の高い法律家をいかに計画的に養成するかという観点で検討されることを望みます。
国際取引事件、家事渉外事件をはじめとする国際的紛争事件に十分対応できるよう、裁判所における人材の育成が求められるものと考えております。
裁判手続きのIT化のあり方としては、裁判手続きの利用者の利便性の向上だけでなく、本人訴訟への対応を含む関係者の手続き保障、情報セキュリティー、事務の合理化を含めた費用対効果などの諸般の事情に配慮しつつ、裁判手続きにとって真に望ましい姿を探る必要があります。
趣味は、歌舞伎鑑賞です。尊敬する人物は自分を育ててくれた両親で、感謝と尊敬をしています。好きな言葉には「道を伝えて、己を伝えず」という言葉があります。日本の幕末から明治にかけての動乱期に、キリスト教の伝道を行った宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズの生き方を表現した言葉です。私はキリスト教の信徒ではありませんが、ウィリアムズは、幾多の困難に全身全霊で立ち向かいながら人々の心を一つにまとめ、教会や学校・病院を造り、社会や世界を動かしました。そのような信仰の姿こそが、「『道を伝え』ることではないか」と思われます。そして「己を伝えず」。真の意味はいまだ計り知れないものの、「自分の考えを相手に独善的に押しつけようとしない」とか、「自分の名誉や欲望のためにけっして人を利用しない」と解釈されています。事実、ウィリアムズは一介の宣教師に過ぎない自分の名が記憶されることを徹底して拒み、日記や手紙の多くを燃やしまでしたとも言われています。