2017-09-21

ヤンキーの改心におけるキリスト教の影響

よく、改心したヤンキーを褒める言説を揶揄して、「いや、元から真面目な奴の方が偉いに決まってるだろう。」という批判が入る。

ヤンキーイジメられた怨恨か、ネットでも良く盛り上がる。

こち亀がよく引用される奴だ。

この事について最近気づいたんだが、ヤンキー側を褒めるものにはキリスト教の影響が感じられるということだ。

イエスは我々の罪のために死んだ。

悔い改めよ。という奴。

キリスト教においては、元から真面目に生きている者よりも、

過去自分の罪に気づいて悔い改める者が尊いとされる。

何故なら人間は全て罪人だから

そのとおり、キリスト教においては改心したヤンキーの方が偉いのだ。

日本でこういった話が度々美談として語られるのは、

それを言うもの受け止めるものが、ある程度こういったキリスト教的考え方を消化してるからでは無いかと思った。

日本人無宗教と言っておきながら凄く宗教的なところがあるとも言われるが、

こういった形で、日本人精神性の中に知らず知らず入っているものが有るのかも知れない。

また、人間を生まれながらに罪人にする思想は、簡単に言ってしまえばトンデモで、

ニーチェなんかはこれを奴隷根性として痛烈に批判しているし、

日本人にとって本当に有益なのかは考えなければいけないところではある。

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