2018-01-31

冠婚葬祭を最低限の費用で済ませるための新宗教をつくろう

欧米と比して宗教色が薄いと言われる現代日本でも、完全に宗教と決別して生きていくことは難しい。

いわゆる「冠婚葬祭」においても、近年では小規模化の傾向が見られるとは言え、有形無形の圧力により望まぬ負担を強いられることが常態化している。

そこで、出来る限りコストのかからない極めて簡素宗教を新たに用意し、それを宗教的圧力からの逃げ道にすることができないかと考えた。

簡素と言っても、冠婚葬祭を全く執り行わなければ社会的摩擦が生じ、かえってコストが増大しよう。それでは本末転倒である

なので最低限の儀式は執り行いつつ、それ以上の出費を防ぐために、「私の宗教では盛大な儀式が禁じられている」などと、宗教言い訳に使えるようにしたい。

まず宗教目的を設定しよう。

メタ目的が「宗教に関連するコストを低減する」ことであるので、「戒律を課す」「現世利益約束する」といったコストの嵩む方向性は論外である

そこで「死に対する不安を取り除く」=「死後の安楽」という点に絞る。

死後の安楽を保証するために、まず神を用意する。

神は全知である

故に神は「人の死後が安楽である」ことを知っておられる。

これを基本にしよう。

「神によって安楽がもたらされる」でないことに注意されたい。

安楽が神によってもたらされるのならば、神に対価を支払う必要性が生じてしまう。

しろ

神は無能である

とすべきだ。

無能であるが故に、神は何の行動も起こさない。

神は信徒に何も与えず、信徒は神に何も捧げない。

信徒は神に期待してはならない。

ただただ「人の死後が安楽であることを知る神が存在する」ことを信じるだけである

全知なる神は、既に信徒信心を知っている。

あらためて信心を表明したり、神へ誓いを立てたりすることは、神の全知を疑う行為であるので、できるかぎり慎むべきである

無能なる神は、決して信徒の求めに応えることはない。

ことさら神へ祈りを捧げたり、神の名の下に騒ぎ立てたりすることは、神の無能を疑う行為であるので、できるかぎり慎むべきである

と、このような教義を設定すれば、冠婚葬祭のたぐいを簡略化できるのはないだろうか。

結婚式

神は新郎新婦の愛を既に知っている。

よって神に愛を誓う儀式としての結婚式不要である

披露宴的なものはやっても良い。

葬式

神は死後の安楽を知っている。

よって死者のために祈る儀式としての葬式不要である

告別式的なものはやっても良い。

法事

神は死後の安楽を知っている。

よって年忌法要などは不要である

埋葬する必要もないが、埋葬した場合でも墓参りはしなくてよい。

といった具合だ。

もちろん冠婚葬祭以外でも様々なシーンで利用できるはずだ。

これを「全知無能神教」と名付けよう。

どうぞ信仰してくれ。

何の宣言許可もいらない。

あなた信仰を神は既に知っているからだ。

  • ちょっと良さそうだと思ったけど、誓ったり祈ったりという行為を禁止されるのは案外つらいな 結果にコミットしなくてもそういうことをしたい気持ちになることはあるからな

  • 2人の問題なので、別に式とかいらないんじゃないかなー。 記念に写真だけ雄着飾って一枚だけ撮っとけば良いと思う。

  •   冠婚葬祭は すでに 共済組合が 最安値で やっている                               anond:20180131161043

  • 最近行ったお葬式では、録音したお経を流すだけ、法事はなし。香典受け取り拒否というのがありました。

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