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はてなキーワード: エントリーシートとは

2023-06-23

リーマンショックの時に就職した女です。私は今でも非正規雇用

今は夜勤の帰り。就職氷河期世代エントリ話題だったのでリーマンショック世代が思いの丈をぶつけようかなと思って書いた。

当時はお祈りメールなんて言葉が生まれ自虐する同世代が多く、大学を出ても非正規雇用どころかバイトすら採用枠を取り合い奪い合う状況だった。

私の世代ではエントリーシートなんていうものが出来てしま社会へ対し"エントリー"しなきゃいけなかった。

円高政策製造業海外移転してしまい、地元高卒の後輩は更に厳しい田舎就職状況で3年間も無職だった。

人材派遣会社ですら選考によって採用するか否かを決めていて、リーマンショック世代派遣にすらならない人が多数居て品格なんて言葉に出来る状況じゃなかったんだ。

この状況は結果として就職率が就職氷河期世代を下回る。

はてなではよく就職氷河期世代の事が話題になる。透明化されていて社会から捨てられていると。

でも就職氷河期世代私たちリーマンショック世代と同じ気持ちが分かるはずなのに、自分たちよりも更に悪い就職状況だったことを想像できるのに私たちを透明化してしまう。

TVでもネットでも当時の苦境として取り上げられるのは就職氷河期世代リーマンショック世代ほとんど取り上げられることがない。

声をあげないほうが悪い?まだまだ自分たちよりも若いから大丈夫高卒の後輩も大学へ進まなかったのが悪い?当時の政府や国は悪くなく採用を絞った企業が悪い?

自己責任論かな?

半ば脅しにと捉えられてしまうかも知れないけれど、就職氷河期世代の老後は私たちが、あなた達よりも若い世代が握っている、

私の言い方に腹が立つかも知れないけど敢えて言う。一緒に協力して就職氷河期世代も含めて働き世代子育て世代次世代若者たちが苦境に立たされないよう政府や国、社会企業に声を上げていこうよ。

私の世代就職氷河期世代にすら透明化されているリーマンショック世代

私は私よりも苦境に立たされる次世代を透明化したくないから。

2023-06-22

氷河期って言葉はいつできたんだっけ

1999年早稲田一文卒、人気企業エントリーシートすら送られてこなかった気がする。

マスコミ100社受けて全滅とか当たり前で、志望動機手書きしすぎて夜中のファミレストラウマになった。

そしていま成功してるように見える同級生、たいてい家が金持ちという現実

まあでもそれなりに楽しく生きては来れたが。

2023-06-18

今日

間違えないことに血道をあげてきた。

正解したい、とも違う。「正解」がいかなるものかなんて本当はどうでもよく、赤ペンの○がすっすっとテンポよくつきさえすればいい。とにかく死なないために、下手を打たず安全に行くこと。当然、百発百中とはいかない。仮にうっかりペケがついたとしても、正解を求めて努力したそのポーズさえ崩さなければ、許される。そういう世界で、そうやって生きてきた。

いつまで経ってもエントリーシートが書けない。書けないんじゃなくてお前が書かないだけだろ、早くやれ、と発破をかけて鉛筆を手に取る。その辺のノートや裏紙に、各項目、思いつくままに書いてみる。「志望動機」「長所短所」「自己PR」「活動

歴」。

手をつけてみれば、案外楽しいかもしれないぞ、と思い始める。しばらくして、やっぱ普通に苦しいぞ、と思い始める。

これを出すのか。あと、スーツ用意して、ちゃんとした写真取らないと。めんどくさいな。

まあそう言わず、せっかく書いたんだから出してみりゃいいじゃん。

わかってるけどさ、しないといけないって。待てよ、ほんとにしないといけない?

そりゃあ。どこに職探しに行ったって求められる手順は大して変わらないんだし。いい練習になるんだからさ。大体甘えた贅沢言うなよ。今の生活だってなんも当たり前じゃないんだぞ。

自問自答、全てが苦しい。いま楽をしたい自分と、後で楽したい自分との弁護合戦。きっとどちらにも、ちょっとは正しいところがある。正しさで殴り合って、より強度の強い方が勝ち残るのを待っている。全ては私が間違えないため。

おおむね後者が優勢だが、前者も中々に粘る奴で、延長戦に縺れ込む。このところ、私の気力と体力はほとんどこれに費やされていて、自分の死による試合強制終了を試みたこともある。

こんな作業はやれば大方は得で、絶対に終わらせられることだ。なのに、どうしてこんなに躊躇うんだろう。(やるべきことに取り組む上で、こんなことを考え始めたらもう終わりなのだが)

ふと立ち止まった時、体の下の方から強烈な感覚が立ち昇ってきた。

間違えたい、という感覚

このボタン押したら、どうなっちゃうんだろうっていう、小学生の頃のあれ。

性的文脈で感じる、めちゃくちゃになりたい、戻れなくなりたい、わけがからなくなりたい。みたいなあれ。

完全に冷静さを欠いていると頭でわかる。頭ではわかるのに、視界の端でチラつくそ感覚を体が無視できない。

結局、安全に行かないと死ぬという呪いを、危険を冒すことで解きたいのかもしれない。愚かな選択に全振りすることで、その果てにあるものを確かめたいのかもしれない。運良く生き延びられたら、うっすらとした勝利感覚すらあるだろう。あるいは、死んでしまったとしても、思うがままに進んだ結果ならきっと解呪はできる。どちらに転んだって、道なりに転ぶだけだろう。

間違えても大丈夫大丈夫じゃなくても、大丈夫。私は私の間違いに付き合うし、私の愚かさを可愛がる。クズ愚鈍で考えが足りない、周りに生かされてる最低の奴。だから、弁護はしない。しようがない。でも、見放しはしない。更生を期待するでもない。ただ、私は私というそういう人間が生きて、死ぬまでを見届けるだけ。

机の上のESが目に入る。そもそも、この紙切れを出す出さない程度の、全然大した話じゃない。

でも、世に言う「自己肯定感」とはこういうことかもしれないと、ようやく体感した。

そんなこと言って、根が愚かなので明日には気が変わってるかもしれないが、まあ、それもよし。

2023-06-13

就職活動は面倒くさがったら終わり

エントリーシートなんか、今思えば1コ作ったらそれをコピーして他社に張り付けまくれば良いのに、何を面倒くさがってたんだろうなバカじゃねーのと当時の俺を叱りたい。

重要な事は全部メンドクサイんですよ。じゃあ止めますか?バーカって机に向かう人生なんだよ

2023-06-08

面接下手な就活生にアドバイスください

【6/29追記

日系大手から内定もらいました。アドバイスくれた方ありがとう

ーーーーーーー

新卒就活面接、どう準備したらうまくいくか教えてください。

増田スペック

既卒

大学レベル日東駒専以上マーチ以下

今年5月から就活開始

今の状況:

応募 18社

 書類落ち 9社

 面接落ち 1社

 結果待ち 5社

 面接調整済み 3社

面接が本当に苦手で全然からない。上に書いた以外にも就活したことがあって、そのときは受けた面接のほぼ80%で一次落ちだった。数にすると10社くらいだと思う。大手でも中小でも関係くそんな感じだった。

まあそもそも書類落ち9社の時点で最初からだめなんだけど、webテスト勉強したら通過率高まってきたからここではよしとする。

面接が通らない原因は、簡潔に話すことができないからだと思っている。面接になると頭がめちゃくちゃになって、話すとき助詞を間違ってしまったりする。間違いを訂正するからどんどん一文が長くなって、いろいろ言っているうちに質問が思い出せなくなって詰む。エントリーシート暗記してもそうなってしまう。

面接得意な人はどうやって対策してる?早く就職先見つけて熟睡したい。

2023-06-01

AIの登場で消えそうな意外な職業

就活支援する人

AIに置き換わりそう

エントリーシート書いてあげたりとか

2023-05-28

就活生にリクスー求めない方針を守るための努力」を企業がしなきゃいけないんだけどなー

[B! 企業] スカート、パンプス…就活での「らしさ」なぜ強要するの?性別を押しつけないで3万3000人署名:東京新聞 TOKYO Web

そこ分かってない人が凄く多そうだね。

「たとえば出身大学地域差別してませんよ」というのを名目上でも守るためにそういった質問禁止してる会社はある。

学生側がエントリーシートに書くのも推奨せず、もしもそれを破ったら印象が悪くなるかもって話をしてる所も。

実際に俺が会社で「現場人間としてちょっと面接に出てきて欲しい」と言われた時もそういう質問禁止されてた。

判定基準ちょっと見せて貰ったら「出自に纏わる部分のエピソードを加点対象としないこと。ただし話の流れで仕方なく出てきてしまうことはあるので、それを話したこと自体を減点対象にもしないこと」みたいなことは書かれてたと思う。(俺自身境界よりな人格なので「面接判定基準とかちょっと教えてもらっていいですか?ルールブック見ないでゲームマスター手伝うとか怖いんで」と聞いたらチラっと見せてもらえた。コミュ障って知れ渡ってるってお得ね。じゃあなんでソイツに面接手伝わせた?)

結局こういう風にしてるってのが全然伝わってないし、それを伝えるための努力もしてないのがアカンと思うんだよな。

テンプレとして「着てくる服は何でも構いませんよ。私服でも構いません(と言って私服で着てきた奴は落とすぞ)」をいまだに使ってる会社は多い。

そんな会社コッチから願い下げとけって息巻く人はいるけど、単に人事部人間がどうやって就活生に点数つけて良いのか分からんくて安易な点数の付け方に飛びついただけで、実際に事務所入ったら誰もそんなの求めてない会社とかもあるよ。

問題本質は人事が必要以上に裁量を持っていること、人事に対して会社トップ老害的な価値観に媚びることを求めがちなこととかが問題かな。

まあ人間偉くなった所で中身は幼稚園児の頃からあんま変わってないからさ、権力持ってる人からすると今時の若者感ある連中が自分会社うろついてるのは気に食わないんだと思う。

俺も自分価値観が違いそうな人が大勢いる場所では疲れるし、渋谷とか。

まあこの辺は人事の権力会社から独立しきれてない部分、その割には最終決定権は強すぎる部分の歪さが問題なんかな。

でも就活シーズン新人採用するために社内で持ち回って面接やりましょうとかは絶対労力的に見合わないんだよな。

ちょっと手伝うだけでも最新ポリコレルールへの配慮研修宿題+実際の面接で結局2日ぐらい使わされた気がするけど、慣れてないことさせられたからかなり疲労があるのに俺の人事査定的には「突発的などうでもいいお手伝い」としてしか扱われずに0査定なんだからやってられねえよね。

いやーマジでダルイと思うよ。

実務経験バイトしかないような人間の中から地雷を取り除けとか。

しかも全部本人談だから嘘つき放題だろ。

それで変なの入ったら全責任取らされるとか、そりゃーいろんな部署からちょっとずつ人質引っ張ってきて「お前らの所の人間も見抜けなかったよな?」って流れにしたがるわけですわ。

はいはい責任押し付けてる俺たちが悪かった悪かった。

そりゃー安易査定基準あったら飛びつくよね。

「少なくとも格好がだらしない人ぐらいは落としましたよ」みたいなの並べて自分を守るしかねーよな。

エビデンス🦐がクソ💩ほど集めにくい運ゲーをよくまーやってくれてますよ偉い偉い👏

2023-05-26

サッカーできるだけじゃ人生ダメなんだな 3/3


4. 人生の敗北を味わったこ

 不採用だった。全力は尽くしたが、致し方ないと思った。約一週間後、mixi日記キャプテン君が住友商事内定を取ったことがわかった。第一志望だったので、そこに行くらしい。その日記には、いろいろと別世界のことが書いてあった。

・去年の秋、大学に五大商社の人が来て、体育会部活挨拶に来た。その時に一緒に食事をして、「ぜひ弊社に!!」とスカウトを受けた(五社中の三社)。

・ほかに受けた化学メーカー(東レ)の最終面接では、「御社は第二志望です。住友商事第一志望です。そこに落ちたら弊社にお世話になります」とはっきり宣言したうえで内定を獲得。

三菱商事も、三井物産も、伊藤忠商事も、選考を途中で辞退。自分とは合っていないと感じたため。

 この時ほど、人間力というものの差を実感したことはない。アイツはすごかった。俺とはレベルが違う。俺はサッカーしか頑張ってこなかったけど、あいつはサッカーだけじゃなくって、受験勉強だって人間関係の構築だって頑張れる人だった。

 いやアイツは、どんなことにも本気で取り組むことができる。それでいて人間が好きだ。そういうエリートなのだ。当時も今も、俺はキャプテン君が羨ましい。俺もそんな人間になりたかった。なれなかった。

 もし、今どこかでキャプテン君が俺の増田日記を観ていたとしたら、匿名でいいかコメントがほしい。誰だとわからないように隠してくれて構わない。

 今では俺は、こんなに落ちぶれてしまった。正社員じゃないし、年間収入だって今のキャプテン君の五分の一に満たないだろう。クビになる可能だってある。毎年、戦々恐々だ。

 今でもサッカーが好きだ。自室の中にはサッカーゴールが置いてあるし、試しに蹴ってみることもある。部屋の壁にぶつけないよう、慎重に、慎重に蹴っている。たまに飛び出してしまうこともあるけど。

 キャプテン君はどうだろうか。今でもサッカーをやっているのだろうか。とにかく今は、二十年前の思い出が懐かしくて、愛おしい。涙が止まらない。

 第一志望の企業不採用になった後は、坂道を転がるみたいだった。入りたい会社を受けども受けども、内定は得られない。二次面接までは行くのだが、そこではなんというか、明らかにやる気みたいなのが足りてなかった。

 春を過ぎた頃だったか。同じ京都にあるITベンチャーを受けに行った。詳しい時期はもう覚えてない。はっきり言ってしまうが、㈱はてなだった。実は大学生の頃からはてなユーザーだったりする。

 俺と同じ大学出身の人が面接をしてくれて、縁を感じた。エントリーシート筆記試験も一次面接も、特に問題なく進んだけど、二次面接で一気に苦しくなった。

 志望動機とか、会社を将来どうしたいとか、自分が将来どうなりたいとか、そういうことを喋れなかった。しどろもどろだった。どう考えてもこれは落ちた――そう思った。

 相手面接官は、「自分が入りたい会社というのはね、自分が将来どんなキャリアを描きたいのか、どんな人間になりたいのか、そういうところから逆算して決めていくんですよ」「今のままだと、増田くん、僕らの仲間になれないよ。ほかの会社だって難しいんじゃないかな」「もっとゆっくり立ち止まって考え直そう。増田君がどの会社に行くとか関係ない。真剣に考えて」と、人生アドバイスまでしてくれた。

 後日、大学パソコンログインすると、二次面接の結果通知がきていた。『合格』だった。次の選考に進めるらしい。これが最後通牒だと思った。「次でなんとかしろ」。そういうメッセージだった。

 結局、俺はダメだった。はてなは辞退したし、ほかの選考が続いていた会社も悉く落ちて、ようやく内定を得られたのは夏の終わりだった。烏丸御池の辺りにある小さい広告会社だった。※今は別の場所引っ越している。

 この頃には、千亜子ともあまり会わなくなっていた。就活間中は、お互いに忙しいから会えなくて当然なんだけど、まさか俺のせいでここまで会えなくなるとは。

 千亜子は、その年の初めから一気呵成就活に励んでいた。それで、俺より四か月も早く内定を決めていた。千亜子スチュワーデス(CAのこと。当時は呼び方の過渡期だった)に内定したと聞いて、やはり只者じゃないなと感じた。劣等感だった。

 この頃の自分というのは、なんかもう、劣等感がすごかった。就職活動サッカーはできないわ、千亜子には会えないわ、勉強だって最後単位を取り終えるあたりで躓いていた。

 フツーの人生だったけど、それなりに成果を得てきたつもりだった。持ってる側のつもりだった。でも、俺はダメだった。今でいう抑うつみたいな状態になっていた。

 秋になると千亜子と会うようになっていたのだが、よそよそしくなっていた。俺が内定した会社を告げると、「あー、よかったね。一緒に東京行けないのは残念」と言っていた。

 もうすぐ最後インカレという時期だった。ある日のアルバイト帰り、千亜子キャプテン君が働いている河原町通りの飲食店の近くを通ると、千亜子がいた。ほかの大学生数人と一緒だった。私服だったし、おそらく飲み会帰りだろう。

 店の近くまで行ったところで、自動ドアが開いた。すると千亜子が中に入って行って、上の階へと小階段を昇ろうとする男子学生(※キャプテン君ではない)の背中を掴んで、ぐいっと引きずり降ろしていた。

 ちょっと驚いたけど、別に険悪な雰囲気でもなかった。それで、何やら彼と顔を近づけて話を始めた。この後の段取りとかを話してたんだろうか。俺のすぐ傍にいたほかのアルバイト友達と思しき学生が、こんなやり取りをしていた。

「千亜子さん酔うと暴走するよな笑」

「そういえばキャプテンさん、最近亜子さんにアタックしてる」

飲み会帰りにご飯に誘ってはったで。みんなが見てる前で」

「二人とも一流企業だし。似合ってると思う」

 こんな話をしていた。※当時の日記に書いてあった。

 惨めな気分だった。俺が千亜子釣り合ってないのは確かだ。内定した会社ランクが違うから。俺は就職活動に失敗した。インカレだってスタメンに選ばれなかったし、アルバイト先でも俺よりすごいやつは何人もいる。

 人生で、ここまで負けまくるのは初めてだった。「畜生」と思ったけど、当時の俺にはどうにもできない。

 千亜子にフラれたのは、新年が明けてすぐだった。大学カフェテリアで、夕方に一緒にコーヒー飲んでる時に、「卒業するし、そろそろ終わりにしない? いい人、いるんでしょ。知ってる」と言われた。

 今日、そんな予感はしていた。サッカー試合勘みたいなもので、雰囲気でなんとなくわかる。今年の初詣は千亜子の予定が合わずダメだった。おそらくキャプテン君と一緒に行っていたのだろう。

 当時、『いい人』はいなかったけど、「そうしよう。お幸せに」って言ったら、「お互い、これから人生でいい思い出にしていこうね」と千亜子が言った。

 当時の日記には、そんなことが書いてあった。記憶言葉ごまかしてはいないはずだ。当時の俺は、そこまで弱い人間ではない。40を過ぎて今それを読んでいる。やはり涙が止まらない。



これで結びになる。

就職してからの俺は、うまくいかなかった。仕事の才能は平凡のようだった。しかし、大学時代の失敗を引きずっていたせいで使えない人間だった。「あんた、サッカーすごかったんやないん?」みたいなことは何度も言われた。また、同じ会社で「学生サッカー選手権で活躍するところを観た」という同年代社員もいた。

かにそうだったかもしれないが、最後に出たインカレだって、負けかけの試合で後半でお情けで出してもらったくらいで、別に凄いわけでもない。アルバイトだって、ずっと居酒屋で頑張っていて、そこで最後に新しい彼女作れるかなって頑張ったけど、五人以上にアタックして全く相手にされなかった。素の自分というのは、モテる方ではなかった。ちょっとサッカーができるくらいで女にモテようなんて傲慢だった。

そんなこんなで、気持ちが沈んだまま新年度の四月を迎えたのだ。でもって、実社会通用するはずもなく、新卒で入った広告会社は二年で辞めて、後はずっと契約社員とか派遣社員だ。

キャプテン君と千亜子は、俺が広告会社を辞める頃に結婚した。mixi日記を読んだけど、それはもう凄い結婚式だったらしい。総合商社勤めだけあって、マイミクだったら無条件に結婚式招待OK!! という宣伝をしていた。会場までは知らないが、きっと東京都内のオシャレな会場だったに違いない。

俺は行かなかった。お金がないのもあるが、なんかもう、人生が面倒くさかった。

不惑になった今でも、当時の俺の何が悪かったんだろうと振り返ってる。昨年末も、実家にあった段ボール箱を引っ張り出して、当時の日記を読んだ。大学回生から付けている日記を、半日かけて読んでいったのだ。この増田日記ベースになってる。

俺の何が悪かったのか? 三点にまとめると、次のようなところか。よくない行動のハットトリックみたいだ。

就活で失敗した程度で凹んだのはおかしい。どんな会社に入ろうと未来はあった。

・どんな自分でも自分自身なんだって気が付いてなかった。失敗したって、自分という人間価値が下がるわけじゃない。むしろ、失敗前の自分<失敗後の自分だ。それがわかっていれば卑屈になることもなかった。俺は挑戦したのだ!! そんなメンタルから就活サッカー恋愛もうまくいかなかった。

サッカーができるくらいで調子に乗っていたこと。どれだけサッカーができようが、それは実社会必要とされる力の一部分にすぎない。大事なことはもっとある。

もっと自分を認めること。生きているだけでもすごいんだと、自分を褒めてやりたかった。人間にはみんな価値があるのだ。

いや、四つあるんかーーーーい!! と、大学時代の俺だったら、陣内智則みたいにツッコミを入れていただろう。今はそんな気力もない。

あの頃に戻れたら、とは思わない。いや、本当は戻ってみたいけど、それは間違いだ。これまで負け犬なりに努力してきた自分否定したことになる。過去自分を裏切ってる。だからダメだ。

今の俺は、あの時よりも成長してる。だったら、もっと成長できる!! もっと頑張ったら、幸せになる未来があるのかもしれない。結婚はできそうにないけどな。

ここまで読んでくれた人、ありがとう。何人読んでるかはわかんないけど。

気持ちの整理をつけることができた。また来週からは、しみじみと社会人生活をやっていきたい。

どうすれば幸せになれるんだろうかと考えて、ひとまず、今年の春から地元の草サッカークラブに入ってみた。自分自身が練習してるのもあるけど、子ども達に教えることもある。

ひとまずは、こんなところでいいのだろうか。まあ、ゆっくりやってみよう。幸せでありたい。増田ブックマーカーのみんなも幸せにな。

サッカーできるだけじゃ人生ダメなんだな 2/3


3. 就職活動のこと

 大学四年になる頃、就職活動が本格化した。当時は就職氷河期で厳しい状況だった。講義レポートもあるし、当然サッカーだってやらないといけない。居酒屋(どんがま、というお店一本になっていた。今はもうない)でのアルバイトは週二に減らした。

 当時は、三年の秋から企業説明会が始まって、四年の春以降に面接スタートというのが一般的だった。俺が行きたいと思っていたのは総合商社だった。説明会に行ってみて、とある商社に惹かれたのだ。ほかの総合商社に比べて「オレがやってやるぞ!!」みたいな社員の人が多かった。

 三菱商事は、政府の高官みたいなキャラの人が多くて、三井物産スマートイケメンキャラが多かった。伊藤忠商事は、頭を鈍器で殴られても生きていそうな人が多かった(生命力があるという意味)。そんな記憶がある。

 その春までには、俺とキャプテン君はmixi上でマイミクになっていた。お互いの日記コメントをした繋がりがあって、サッカー友達ということで俺から申請をしたっけ。いや、もう正直覚えてないけど。とにかく、俺とキャプテン君はmixi友達になった。

 キャプテン君のmixi日記はすごかった。俺も、彼もサッカーのことを綴った日記が多かったが、彼の場合はなんというか、思考レベルが違った。普通に大学サッカーをやってるヤツが、一生懸命サッカーのことを考えているのだとしたら、彼の場合もっとずっと、『上の視点からサッカーのものを見詰めていた。

 例えば、同志社大学サッカー部は、今でも大学単位ブログ更新し続けている。各選手自分生活サッカーに関する考えを書き綴っていく。

アメブロ catch the world

https://ameblo.jp/duscblog/

 ここにある後輩達の日記は、読む価値がある。若いながらも自分なりに考えて学生生活を過ごしている。

 当時のキャプテン君のmixi日記は、この内容をはるかに上回っていた。日記のものは、すでにこの世にデータはないが、当時の俺個人日記に断片的なメモがある。

 当時、キャプテン君はこんなことを日記に書いていた。ほぼサッカーのことだ。本当は繋がりのある文章なのだが、断片化しているので意図がわかりにくいかもしれない。



集団というものは常に問題に直面してる。人が寄っている以上は必ず争いが生まれる。価値観の違いとか、追求する目標の度合いとか、相手への要求基準とか、争いの種は無数にある。それでも同じ集団として、組織として「仲間」を自称して日々共に暮らしている。

自分らは、全員で一丸となって目標邁進するために集まったはず。でも、いつからか、別の方向を向いている人たちをひとつ目標に進ませることに奔走してる。組織とは難しい。

組織には、絶対に衝突や背信生まれる。リーダーには、それをまとめる人間としての自覚がいる。自分がやらなければならないという責任感が。自分には実力が足りないといって何もしないのは卑怯だ。逃げだ。後輩には、早くこのことに気付いてほしい。

理想を語って、現実に不平不満をこぼし続けるのは簡単問題を黙って見過ごすのも楽だけど、人間が腐っていく。

・オレは現状を変えたいと思った。現状を変えるにはかなりの労力がいる。俺はあの時、みんなに不快なことを言ったけど、妥協してほしくないからあえて言った。

・言いたいことを言い合えない集団未来はないんやで。お互いに機嫌を伺って本音を出せないとしたら、自分らの関係は友人ですらない。本当の仲間って、暑苦しくて、うっとうしくて、そして清々しい。

・ぶつかっても、嫌われてもかまわない。まだ間にあう。オレ達はここから勝負だ。残された時間を考えると、今は悩みながらでも正しいと信じることを貫くしかないよな!

ぶつかっても、嫌われてもかまわない。何年か経った時に俺の伝えたかった真意理解してくれれば、それはそれで素晴らしい。

・愚直にやることは本当に重要やで。ひたむきにやらない人間に付いていく気にはなれん。

・結果を出すことは、集団をまとめるための必要条件であっても、十分条件にはならん。サッカー試合に出れない人の方が多いんやし、俺達のチーム!!って愛情をみんなが持てるチーム作りをしないと。勝って喜んでいるのはレギュラーだけってことにもなりかねない。今の俺には難しい。

・好む好まざるに関わらず、人には立場が与えられ、それに見合った働きが要求される。自分には難しい、できないかもしれないと言ってるヒマがあるなら必死勉強しなきゃいけないし、責任を負える人間にならんとな。

・今のチームには、勝ちたいという執念を見せるヤツや、自分を演じてでもチームのために尽くそうとする人間が少なすぎる。たしか個人個人は頑張ってるけど、みんなそこ止まりなんよな。他人に対して意見を言おうとせん。勝ちたいなら叫ばなきゃいけない場面もあるのに。だから俺は三年に怒ったんや。なに自分のことだけ頑張ってんねんと。自分らの代やったらそれ相応に振る舞えと。

他人言及することは、自分へのハードルも上げることにもなる。言ったからには自分もやらなきゃいけない。そんな風に、自分を追い込んで成長していかんと。

・時には集団のために自分を演じる必要がある。嫌われ役でも買ってでよう。自分大事にしすぎるあまり、みんな守りに入ってもうてる気がする。

自分のことだけに集中して動くのは本当に楽。でも、それなら今の場所にいる意味はないからね。引退までに、俺らの4年間を後輩に叩き込もうと思う。そうやってチームの魂は引き継がれていくものなんやで。



 上の日記は、なんJ民が書いたものではない。日記を書いたのは、当時21歳の大学生だ。一般的学生とはレベルが違う。社会人の域に達している。キャプテン君が反則で退場処分になったサッカー試合を見た時は只者じゃないと思ったが、ここまでとは思わなかった。

 実際、彼はいい奴だった。対面で話したことは数回しかないけど、でも確実にいい奴だった。熱い闘志が漲っていて、爽やかな笑顔が眩しい。それでいて面白いことも言える。ずるい。

 就職活動に話を戻す。必死エントリーシートを磨いて、SPI勉強をして、面接対策をして、総合商社の一次試験突破した。二次試験グループ面接も通って、いよいよ三次になった。

 会場は、晴海トリトンスクエアという海が綺麗な高層ビルだった。会場には、当たり前のようにキャプテン君がいた。緊張している様子だったから、声はかけなかった。かと思えば、ほかの志望者と一緒に雑談をしていて、さすがだなと感じた。

 面接試験の部屋の前で待っていると、自分の前に終わった人が出てきて、「頑張ってください」って言われた。「ありがとうございます」と返して部屋の前に立った。

 肝心の面接試験は、一応やりきることができた。子どもの頃からやっていたサッカーアピールもできたし、面接二名サッカーをしていたことがあったらしい。「インカレスタメンで出ました」と言ったら、「おー、うまいんだね!!」と言われた。

 面接全体だと、簡単質問もあったし難しい質問もあった。覚えてる限りだと、

□なぜ総合商社を志望するのか、その中でもなぜ住友商事を?

集団の中でどのような役割を果たすか

卒業までをどう過ごしたい

総合商社で叶えたいことは何か

□今後の人生目標

あなたにとって「仕事」とは何?

□弊社の弱点を教えて

仕事ができない人や嫌いな人が職場にいた時にどうする?

 こんなところか。ゆっくり落ち着いて答えていった。こういう時、サッカーをやっていてよかった。緊張はするけど、それが心地いい。失敗してもいい、飛び込んでもいいやって思えた。よい意味で、周りが見えなくなる。

 時間というものの退屈さを感じない。これは採用試験なのだという不安も忘れて、不採用がありうるという事実すら忘れてしまって、どんな恐れすらも感じなくなる。面接、という世界に全身全霊で移り棲んでしまたからだ。

 面接が終わった後は、さっきの自分と同じく、面接試験の部屋の前で待っている人がいた。俺は、ちょっと迷ったけど、「頑張ってください」って言った。その人は、「ありがとう。行ってきます」と返して面接室の前に移動した。

 それから普通に社屋を出て、ちょっとその辺でご飯を食べて、夜行バスが来るまで街を歩き回って、バスが来る頃にはすっかり疲れ果てていた。

 続き

 https://anond.hatelabo.jp/20230526212236

中学生営業職につきたい!」女子「お前が?きもーい」

高校生営業職につきたい!」女子「お前からは買わない」

大学生営業職につきたい!」女子「あー…がんばってね」

就活生「営業職につきたい!}エントリーシート「今までに行った独自社会的活動を記入してください、同性・異性に対して何をしてきましたか?」

就活生「異性から特に避けられることが多いので出しゃばったことはしませんでした」面接官「っ……ほうほうほうそうですか、では最後質問はありますか?」

2023-05-10

anond:20230509211044

履歴書エントリーシート健康状態の項目あるでしょ

最近IT業界就活したけど、そんな項目なかったぞ

昔の話をしてる? それとも警備とかの肉体労働系の業界の話?

2023-05-09

anond:20230509202443

履歴書エントリーシート健康状態の項目あるでしょ。そこ。

知ってて書かなくて後で発覚すると解雇事由になるところよ。素行がよくて仕事ちゃんとやってりゃわざわざそれを理由懲戒しないけどな。

2023-05-01

35歳無職貯金20万円が、10年後大手IT企業正社員貯金1,000万円になった

結論しかしそこには何もない。

氷河期世代オタク。男。新卒就活に失敗してブラック企業に入ってしま精神を病んだ。

地下鉄の駅ホームに立っていたとき無性に線路飛び込みたい衝動に気づいて、1年で辞めた。

以来、バイト派遣失業保険で食いつなぐ日々が続いた。

オタ活が楽しかったし、世の中は厳しいし、やりたい仕事なんてなかったし、それでいい、というかそれとしかないと思っていた。

いつか野垂れ死だけれども、仕方ないよね。と。

35歳になった。オタ活がまったく楽しく感じない自分に気づいた。アニメ漫画ゲーム音楽もいつもと変わらず、すばらしい。

けれども、何故かそれを楽しいと感じる自分がいなくなってしまった。

あんなに情熱を傾けていた、ライフワークかもと思っていた同人活動も、なんだかどうでも良くなっていた。

オタクでなくなった自分は巨大な虚のようだと思った。自分人生、終わったと思った。

自分人生は終わったのに、命は続いている、おかしい。でもこれを受け入れなくてはならない。なら受け入れよう。

私は転職エージェント登録した。しかも4社。同日に。2ヶ月以内に就職する。心に決めて就活に入った。

転職エージェントはおそろしい。登録した翌日からケータイ電話連絡が来る。面談しましょう。会社に行く。

「何でもいいか就職したい、業種も年収考慮しない」

そう告げると担当者は、束になった求職票を私に渡していった。

「ひとまずこのなかで気になったところにエントリシートを送付してみましょうか。」

こんなに就職先はあるものなのか。これが4社立て続けにあった。

合計100社近くにエントリーシートを一気に送付してもらうことにした。

すると送付して3日と経たずに連絡してきたところがあった。

誰もが知っている有名なIT企業からだった。

条件は高待遇場所都内一等地。ここは受かるまいと思った。

しかし、運否天賦というものか、わたしはそこに就職することになった。

転職活動して1ヶ月も経たない頃だった。

おそらくの決め手は、面接の場に持参した自分同人誌だったと思う。

人事部長と最初に配属された部長がそれに食らいついた。

結果、私はすっかり社会に取り込まれた。

やることがないのだから仕事をすればいいのだ。ただ淡々仕事をした。

ホワイト企業仕事スムーズだ。周りがみんな頭が良く、ロジック正義なので理不尽なことは言わない。

36協定無視した残業も強いられない。

言われたことを、言われたことのほん少し上のレベルでこなすだけで、どんどん実績と評価はあがる。

給料は順調に上がり、貯金はどんどん溜まった。

就職して2年ほど経過した頃に、気まぐれで埼玉中古戸建も購入した。ローンは6年で返済した。

気まぐれで外貨預金NISAもはじめた。これも今のところうまくいっている。

そして、4月末、預金通帳の残高が1,000万円を超えていることに気づいた。

しかし、巨大な虚のような自分というのは、10年前のあの頃と何も変わらない。

まり自分人生は、いまだ終わったままなのだ

ただこのまま無限に与えられ続ける仕事をこなし、通帳の残高が増え続けるだけの日々を送るのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。

ぼんやりとした虚しさをずっと抱えて、このまま生きていくのだろうか。

こんな不景気な世の中で恵まれ立場愚痴というのは百も承知のうえだが、なんとなく書きたかったのでここに書く。

2023-04-20

追記有】就職して学生時代の友人関係崩壊した

真面目で頭の良いAと、

勉強は出来ないが要領の良いBと、

私で、

学生時代は3人で仲良く過ごしていたつもりだった。

自然と仲良くなって、テスト勉強したり、旅行に行ったり平凡な学生時代の友人だった。

大学卒業後の進路は、Aは推薦で大企業へ、Bは就活が嫌になり大学院へ、私は休学して海外へ行くこととなった。

みんな、それぞれの進路を進んでいると思った。

AはBを就活から逃げたと笑っていた。

Aは大企業に決まって嬉しそうだったのを覚えている。就活の時はAにエントリーシート添削を頼もうと、みんなで言っていたのを覚えている。

それから2年経って、

私は復学して大学院に進み、Bは外資系大企業就職した。Aは、事業改変で所属する会社子会社に変わっていた。

露骨に仲が悪くなったのはここから

TwitterでAが会社不安を呟く。そこにBが転職したら?と言ったのがそもそもの始まりだったそう。

Aは「無責任に口出ししてほしくない」「Bの言い方が偉そう、私は今の会社に不満はない」と言い、Bは「そんなつもりで行ったのではなく1つの案だ」と言い合っていた。

そのまま会わなくなって、気づいたらAとBはSNSの双方フォローを外していた。私は板挟みになった。

Bから少し話を聞くと、

社会人になってもAが学生時代テスト赤点ネタにしてくること

・いつまでたっても、馬鹿レッテルを貼り続け、自分意見を聞いてくれないこと

が不満だったと愚痴を言っていた。

私は、就職して立場が変わって、仲間のパワーバランスが壊れたのだろうと思った。

不安を抱える会社の子会社で働くA

外資系大企業就職したB

立場が変わったのに

大手就職が決まり、成績の良いA

大学の成績は最悪だが要領の良いB

価値観のままだと仲良くできないのかな。

Aはいつでも成績優秀で大企業バリバリ働いて欲しかったし、Bは愛嬌で乗り越えて、そんな2人を私はまだ見たいのかもしれない。

Bは、Aはいつも自分を見下して意見を聞いてくれないと言っていた。

私は、テスト前にAがBにいつも勉強を教えていたことを覚えている。



もう3人で会うことはないだろうな、と思う。

大学で共に過ごした四年間、私達は本当に仲が良かったんだろうか。

沢山作った思い出は何だったんだろうか

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追記 4/21 08:33

反応が色々あって驚きました。

こんな書き殴ったような文章でごめんなさい。

書いた後に、タイプミスや本題と関係無いなと思ったこと、書き過ぎたことは削除しました。

それに伴い性別も消したのですが、混乱させてごめんなさい。ちなみに全員女です。

関係が壊れた原因ですが、私が観測した範囲出来事なので、個々の間で何か別の問題があるのかもしれません。

そして、私がこの日記を書いた理由ですが

私が

学生時代に全く勉強ができず、遊び呆けていたBを、

今は大企業入社して威張っていたが、子会社で働くことになったAを

見下しているのでは、

と気付き、自己嫌悪に陥り、悩んだからです。

友人関係の変化を、パワーバランスが変わったからなんて、考察する自分が何よりも1番醜いです。

2023-04-17

23卒女が就活を振り返る

就活必要ものって結局なんだったんだろうねって話。

ガクチカなし、ES適当に書いた。

背は低くて、太ってる。BMI普通より上。誰が見てもチビデブ。顔は可愛くない。彼氏なんて出来たことがない。

実家は太くない。狭いマンション家族で住んでる。家のローンは無理な組み方をしてて貧乏大学では奨学金貰ってた。中高は特待生授業料無料だった。

スマートフォン大学入ってから初めて持ったくらいには貧乏な家。

良いところと言えば頭が普通よりちょっとだけ良いことくらい。

頑張って受験して入った名門高校で虐められて過ごした。

小中高大含めてリア友なるもの存在しない。

いつもネットの知り合いと遊んでた。

国立大学には落ちたか都内の名門私立大学に入った。

本を読むのが好きだったか文学系を専門にやれる学部に入った。

最初は誰かと仲良くなったりしたけど、次第にハブられた。二年の夏くらいかな。コロナ禍も関係してたのかも。

悪口言われたしブロックされたりした。

三年になって対面になったけど、同期全員からハブられてて、四年まで孤独に授業を受けた。

テスト相談とかもしたことがない。一人で乗り切ってた。

教職をとろうかと思ってたけど面倒くさくなってやめた。

バイトも1年ごとに変えてた。コロナ大学リモートになったか大学近くでバイトするのアホらしくなった……みたいな割と普通理由で変えた。

同人活動をずっとやってて、授業中に原稿やるようなゴミカス女だった。(友達がいなかったから気にせず書いてた)

留年するわけにはいかなかったし、奨学金を貰っている以上はちゃんとしなきゃなぁって授業は真面目に受けてた。授業に欠席・遅刻したことない。落単もしたことない。

成績も良かったよ。GPA3以上だった。

でも院に行くほど研究真剣ってわけじゃない。何となく研究内容を決めて何となく研究してた。

私の人生の中心は推しカプと同人で、それ以外のことはしたくなかったか資格とかは全く取らなかった。

もちろん免許もない。

インターンなんか行くわけない。

特技もない。誇れることなんか何一つなかった。

大学四年 三月

同い年のネ友が就活を始めている気配を感じたが同人活動をしていた。

大学四年 四月

4/1に就活を始める(各サイト登録)。

その時に自分の状況を知って、焦った。エントリーシートって四月よりも前に出すんだって初めて知った。

公務員勉強もしてなかったけど、血迷って公務員に応募もした。その後公務員参考書とか過去問とかを入手してちょこちょこ勉強した。

中小企業ならどこかには引っかかるだろくらいのテンションで生きてたけど業界とかも何も分からなくて、コミュ障から営業は嫌だなー事務がいいなーくらいの気持ちで色々探して適当に応募した。

ESはその場で適当に考えたものを出てた。ガクチカに関しては「授業を真面目に受けました。成績が良いです」というネットでは見たことのないガクチカを書いた。

リーダー経験なんてないし、バイトも頑張ってないし、賞も貰ったことない。人に誇れることなんて何も無い。

もう何も分からなかったかエージェントに手当り次第登録した。

学歴は良いかチヤホヤされたけど学歴しか見られてないのだろうなと思って軽く病んだ。

エージェントから「ここはどうかな?」と紹介されたもの全てに応募した。とりあえず説明会とかも沢山出席した。webのものだけ。

オンライン説明会は全く聞かず同人原稿を打ってた。

ESは落ちるものもあったけど、通るものもあった。

ESが通ったらSPIが始まった。SPI中学受験をしていたし文学をやっていたか結構楽々で解けた。これが大きかったかな。SPIは通らないことがなかった。

そこから面接だったんだけど、業界研究なんかしてなかったし、応募した職種についてもよく分かっていなかったから変な応対ばっかりだったと思う。

酷かった。

数回目で学習して、それから自分のボロを出さないためにあえて自分の話を沢山した。相手に隙を与える訳にはいかないと思ってた。

就活アカウントを覗いて、まだ内定ない人が沢山いるなと安心感を得るという行為をしていた。

応募した会社20くらいかな?

グループディスカッションが吐くほど苦手だった。終わったあとに一人で泣いてた。辛かった。

でもグループディスカッションは大体通った。謎。

大学四年 五月

GW二次元関連のイベントが沢山あったか就活はしなかった。

応募した20会社ほとんどが私を面接まで上げてくれて、そこから面接三昧だった。

一社、私の面接を一回分飛ばすと言ってくれた会社があった。理由は未だに分からない。

その会社二次面接飛ばした最終面接でも自分の話を沢山した。その会社エージェント経由で応募しためちゃくちゃ有名な会社だったんだけど(普通日本人なら誰でも知ってる)事業内容をよく知らなかったし、最終面接の時、自分の応募職種も知らなかった。

自分の話っていうのは実は趣味の話で、偉いおじさん達にアニメの話を一方的にしてた。人事のおじさんは苦笑いしてた。

緊張すると吃るんだけど、推しの話とかアニメの話とかなら流暢に話せるから、とりあえず趣味の話をした。

最終面接落ちただろうなーと思ったけど、何故かその面接最後に「是非あなたと働きたい」みたいなことを言われて、好感触?と不思議に思った。

他にも最終面接に進んだ会社があって、5/15には私は三つの内定があった。

しかも三つとも勤務は東京で異動無し。超大企業大企業中小だけどかなりデカ事業をやってる、みたいなラインナップ。

大企業面接を一回分スキップしてくれたところ。

大企業普通内定をくれた。CMたことあったから応募しただけで今でもどんな仕事をやってるのかよく分かってない。

中小のところは徒歩圏内本社があったから応募した。最終面接が終わったあとにその場で「内定です」って言われて拍子抜けした。

フルリモートで年間休日の多い超大企業で働くことを決め、その後の大学生活を同人活動に費やした。

詐欺かな?って思ってたけど私は今その超大企業で働けてる。

本当にホワイトで、年間休日が沢山あるし、残業も私が配属されたところでは全くない。

研修もじっくりあったし、職種事務。フルリモートで、フレックス

就活垢を見て安堵していた名残でリストがまだあって、23NNTを謳っているアカウントを沢山見た。

あの人たちと私の違いが分からない。

しろあの人たちの方が受かりたいって熱意があったと思う。私は民間無理なら公務員になろうって思ってダラダラやってた。

エージェントのおじさんが超大企業に対して「プッシュしておきますから!」みたいなこと言ってくれたんだけど、それが響いたのかな?

相変わらずコミュ障で、社内の新入社員研修でもアワアワしてばっかり。どうして採用されたんだろうな。

学歴だけは良いけど、本当にそれくらい。

とりあえず、私は内定のうち二つはエージェント経由で貰えたから、今から就活やる!って人にはエージェントを勧める。本当に感謝してる。

就活垢の人達ってエージェント嫌悪してるイメージがあって(そういうツイートをよく見かけた)、夏になってもエージェントを利用してない人とかいたからどうしてなんだろう?と思う。

いい人だったけどな。私の学歴が良いからかな。

私は就活のことを何も分かってなかったけどすんなり内定が出たから、結局は運なのかなぁ。

就活中はメイクのこともよく分かってなくて、眉毛なんてボーボーだったのによく内定が出たよなぁ。

ちなみに新入社員の中でもうハブられてます

(LINEグループ存在を教えられてなかったし、未だに入れてもらえていない。対面研修の時のお昼ご飯も一人で食べた)

ここまで書いて皆様も分かると思う。文章から滲み出てると思うけど私は本当に人間性問題があるタイプからマジでどうして私よりも普通社会で生きていて、ちゃんとした実家で、友達恋人がいる人が内定出てないのかが分からないよ。

【返信】

>>お前たちのことは1ミリも興味ないが私を見て見てって感じやな 押しの強い営業畑にはよさそうな気はする

まあそんな感じかも。私っていうより私の好きな物だけど似たようなものか。

自分会社商品オタクになったら才能が開花するかもしれない。気づかせてくれてありがとうね。

初対面の人と話すと本当におかしくなるし軽めの吃音があって上手く喋れないから今は事務で良かったって思ってる!電話なら対面じゃないからスラスラ喋れるんだよね。

2023-03-30

お前を選考する前に 言っておきたい事がある

かなりきびしい話もするが 俺の本音を聴いておけ

会社説明会には参加しろ

参加者エントリーは受け付けてない

写真写真屋で撮れ 顔面をそれなりに仕上げろ

出来る範囲で構わないか

忘れてくれるな証明写真機で仕上がるような顔面

お前にあるかどうかってこと

お前にはお前にしか できないアピールもあるが

エントリーシートで書いたことは質問される前提でいろ

聞かれたらまずいことは書かず当日は面接会場にちゃんと来い

2023-03-18

ツイッター炎上させた人などに謝罪したい


若かりし頃の話だ。ちょっと語らせてほしい。気持ちの整理がついたのだ。チャンスは今しかない。

当時、大学四年生だった俺は、いわゆるネトウヨに堕ちた。就職活動に失敗し、大学受験にも失敗し、にっちもさっちもいかなくなり、卒業後はフリーターとして生きる未来がほぼ確定していた。

悲しいかな、自惚れが強い性格だった。ネット上で言うのは最初最後になるけど、十数年前に慶応義塾大学法律経済のことを学んでいた。専攻は不動産登記とか、土地建物取引関係がメインだった。成績はまずまずで、サッカー部(※厳密には違うがサッカー部という名称を使う)では補欠だったけど全国大会に出た経験があったし、就職活動が失敗することはないと思っていた。、結果はこのザマだ。

日系企業を主に受けていた。第一志望だった総合商社はもちろんのこと、メーカー系もマスコミ系も金融系も20〜30社受けたけど、ぜんぶダメだった。大手も中堅もすべて。中小企業内定は取れたが、プライドの高い俺はすべて辞退した。

面接まではとんとん拍子なのだ大学名がよかったからだろうか、エントリーシート適当に書いても、SPI勉強をしなくても、とにかく面接までは辿り着ける。しかし、内定を取ることはできなかった。

今思えば、あの時の自分程度の実力では、まともな会社から内定を取ることはできなかった。30代半ばになった今の率直な感想だ。確かにサッカーはできたけど、精神はぜんぜんなってなかった。今やっている『ブルーロック』のアニメでいうと、実力のない馬狼照英みたいなものだった。

で、結果がネトウヨだった。大学四年の秋〜25才頃までなので、約三年ほどネトウヨに堕ちていたことになる。

今では黒歴史だ。『国民の知らない反日実態』とか、圧倒的眉唾感のサイトがあるだろ。ああいうのを見て、中央省庁テンプレメール送ったり、韓国人中国人応援をしてると思われる国会議員をディスったり、mixiGREE反日活動認定されたアカウント突撃をかけて垢停止になったり、とにかくクソみたいな人間だった。

今思えば、いろいろと失ってしまって自暴自棄というか、自分他人大事にしない状態だったんだろうなぁ。当時の俺は。

ここで、大学時代に読んだ本を引用したい。約二千年前の、ローマネロ帝の家庭教師ポジだったセネカの書いた『生の短さについて』だ。

長いけどすまんな。先に要約しておくと、苦しい立場に陥った人間は何かにつけて逃避行動に出る、みたいなことが書いてある。なにげに現代異世界転生ブームを予見している感がある。特にオーバーロード』なんかの異世界転生+光属性人間が死にまくるようなコンテンツ流行理由がわかった気がする。

すごく長いけど、可能な限り要約してここまでだった。

さらに、さほど移り気ではないが、その一貫性が恒心のゆえではなく、懶惰のせいであり、自分の意欲するとおりの生を送るのではなく、始めたとおりの生を送る者も、この範疇に加えるとよい。症例を次々に数え上げればきりがないが、この病態の結果は一つである自己に対する不満がそれだ。その由って来る因は、心の平衡の欠如と臆病な欲望、あるいは完全には満たされない欲望である。望むだけのことを思い切ってできなかったり、望むだけのことを達成できなかったりして、すべてを希望に託す場合がそれに当たる。そのような人間は常に不安定で流動的であるが、何事においても中途半端な者の必然的な結果である。彼らは自分の願い事を手立てを尽くして達成しようとして、不名誉なことや困難なことまでみずからに唆し、強いるが、苦労が報われなければ、願いが叶わなかった恥辱感に苛まれしかも、歪んだものを望んだことを嘆くのではなく、望みが徒労に終わったことを嘆くのである。そのとき、彼らは挫折した目論見への後悔の念にも、また、新たな目論見に着手することへの恐れの念にも捉えられ、その精神には、欲望制御することもできず、かといって欲望を満足させることもできないために、出口を見出せない心の動揺や、思いどおりに展開しない生への躊躇、断念したさまざまな念願の中で無気力になっていく心の沈滞が忍び込むのである。苦労の挙句蹉跌に嫌気がさして、閑暇の生や孤独学問研究に逃げ場を求めたとしても、こうした心的状態はどれもますます耐えがたいものになる。公人としての務めを果たそうと意気込み、行動を望む、生来落ち着きのない精神は、当然、みずからの内に見出せる慰めがわずかなために、そうした閑暇な生や孤独学問研究には耐えられないからだ。世間的な仕事に奔走しているときにまさにその仕事から得ていた喜びが取り去られると、みずからの家に、孤独に、取り囲む壁に耐えかね、一人取り残された己の姿を嫌々眺めるのは、それゆえである。落ち着き場所をどこにも見出せない精神の揺れ、そのような精神への倦怠や不満、そしてまた無為の生に耐える悲しくも病める忍耐は、ここに起因する。そうした状態の真の原因を認めることを恥じて、羞恥心が責め苦を内に向け、心の片隅に閉じ込められたさまざまな欲望が捌け口もなく互いを窒息させ合う場合がとりわけそれに当たる。そこから生じるのは、悲哀や憂鬱であり、また、希望を抱いた当初はどちらともつかない不安状態に置かれ、やがては挫折を嘆く悲哀を味わわされる、千々に乱れる不安定精神の揺れである無為の生を厭い、自分にはすることが何もないといって嘆く人々に特有の例の感情他人の栄達を蛇蠍のごとく憎む嫉妬心は、そこから生じる。不幸な無為の生は嫉みを育むからであり、自分が進展できなかったために、誰もが滅びればよいと望むからである。この他人前進への嫌悪感自分前進への絶望からは、次には運命に怒り、時代をかこち、片隅に退嬰し、みずから招いた責めにくよくよと拘泥し、そうする己の姿に辟易して嫌気がさすまで考え込む精神生まれる。実際、人の精神生来動きやすものであり、動きへと向かう性向もつものである。そのような精神にとっては、みずからを刺激し、どこか(別世界)に連れ去ってくれるものなら、どんなものでもありがたいと思う。その才知を世間的な仕事にすり減らして嬉々としている最悪の人間(の精神)にとっては、なおさらそのようなものはありがたいのである。ある種の腫れ物は潰してくれる手を求め、触れられることを喜ぶし、身体に出来た汚い疥癬は引っ掻いてくれるものなら何であれ歓迎するが、それと何ら異ならず、さまざまな欲望があたかも厄介な腫れ物のように吹き出た精神にとっては、苦しみや悩みは(ある種の)快楽となると言ってよい。

生の短さについて 他2篇 セネカ(著)大西 英文 (翻訳)  P.77-P.80



そんなわけで今回、若かった頃の俺がやってしまったネトウヨ行動を取り上げて、自分断罪したい。ネトウヨ活動では多くの人に迷惑をかけてしまった。ふたつだけ取り上げるが、どちらも個別案件だ。まずは、この一件から

それは、2011年だった。当時、ツイッターを始めたばかりの俺は、タイムラインとか、検索のやり方とか、連携の仕方とか、いろいろと勉強していた。そんな折、『炎上』というキーワードが眼に入った。炎上自体は何年も前からネット上で起こっていたのだが、自分が直接関心をもったことはなかった。

なお、この頃の俺は、都内サイゼリヤで働く一介のフリーターだ。毎日レンジオーブンIHヒーターで厨房仕事をするのが仕事だった。ムカつく年下の女社員から、「増田さん慶應卒なのwwwマジすかwww」みたいな感じでディスられていた。

それで、ある時ツイッターで見たんだよ。炎上の場面を。有名ホテル芸能人が来ていた時、そこのアルバイト従業員が「芸能人の○○が二人で泊まるみたい」とかなんとかをツイートして、「客の個人情報暴露すんな!!」みたいな恰好炎上したのだ。俺は、それを間近で見ていた。

当時は、炎上騒ぎに参加する人間が実は少数である、という科学的知見はまだ得られていなかった。本当に多くの人間炎上騒ぎに参加しているのだと思っていた。それで、当時はストレスが溜まりまくって、シロクマ先生でいうと承認欲求に飢えた若者だった俺は、誰かを炎上させたいと心に決めた。

自分でいうのもなんだが、知能が高い自信があった。中味はクズだったが。それから毎日、俺は炎上の種を探し、それらしいものを見つけてはツイートしていったけど、ぜんぜん炎上に至らなかった。ダメだった。

何週間か経って、もうダメかなと思いかけた時、あるツイートが目に留まった。プロフアディダス社員であることを明記している人物が、あるツイートをしていた。要約すると、都内アディダス店舗アディダススポンサーになっているサッカー選手が訪れたのだが、その人の容姿侮辱するツイートをしていた。

「これだ!!」

と思った。俺だって小学生の頃からサッカーをしていた。サッカー選手を馬鹿にするのは許せない。

サッカー試合で、「いまだ!!」と思う場面がやってきたとするだろう。この時、「いまだ!!」の「い」の場面で行動を起こす必要がある。「いまだ」と心の中で叫んだ時にはもう遅い――

そんな、大学時代サッカー部コーチからメッセージを思い出した。実際、俺のルーレットスピンは大変狭い界隈ではあるが知られていた。三人抜きをしたこともある。その指導を正しいものだと信じて努力した結果だった。

そして俺は、そのアディダス社員の行動を咎めツイートをした。

……その次の日、俺は大好きなハムスター速報を観ていた。ツイートのことは忘れていた。そしてある瞬間に、マウスクリックする手が震えたのを覚えている。

それはもう、見事な炎上だった。アディダス社員ボコボコに叩かれまくっていた。コメントの数をカウントしてみると、軽く数百はいっていた。

ツイッター確認した。俺と同じ時刻にツイートをした人間の数は、確か二人だったと思う。1人は準アルファツイッタラーと思しき人で、フォロワー数がけっこういた。でも、確認できた中では俺のツイートが一番早かった(その二人、もしかして俺のツイート参考にしたんじゃね!?)。いや、絶対とは言い切れないが。そのはずだ。※俺のツイートは削除済み。

あの時、俺は世界で一番賢くって、一番運がよくて、一番強い人間なんだ!! と心の底から思った。全くそんなことはなく、ただそういう運に当たっただけだった。

その日から数日、ハムスター速報に夢中になっていた。その記事ばっかり見て、コメントが貯まっていくのを観ていた。今では思う、俺がやったのはクソみたいな行為だ。具体的には、畑の隅に捨てられた白菜の欠片だ。茶色いカビが生えてしまって、もはやハエすら寄ってこないほどに腐りきったカス野菜だ。そんなレベルに堕ちていた。

から俺は今日、ここで謝罪したいのだ。俺の行動が原因のひとつで、炎上を招いたかもしれなかった。俺だけが原因ではないけど、でも、あの時ツイートをしなければ運よく炎上回避できていたか、あの子若気の至りで済んだのかもしれない。



あともう一つで謝罪は終わりだ。気が付いたらけっこう書いてるな。ここまで筆が進むとは思ってなかった。

同じく20代の頃、ニコニコ動画にハマっていた。ようつべよりニコニコ派だった。で、その中のサービスひとつニコニコ大百科というのがある。端的にいうと、wikipediaもっとバーリトゥ―ドになった感じだ。なんでもあり感が満載のネット百科事典ということになる。

ここに電通記事があった。やはり『国民の知らない反日実態』などのネトウヨサイト巡回していた当時、なにかやってやりたいという情動に突き動かされることになった。例えば、一集団内の駒として、都内某所で花王不買運動とかのネトウヨデモに参加するんじゃなくて、もっと大きいことがしてみたかった。

それで、ニコニコ大百科にある電通記事編集することにした。当時は、スパッとした端的な記事内容だったのだが、俺が編集を終える頃には、圧倒的ネトウヨ臭の漂う記事へと変貌していた。

こんなことをしていいのか、という認識はなかった。ただ、電通反日企業として認定されていたから、鉄槌を下すべきだと信じていた。俺を役員面接で落とした逆恨みもあった。

さて、編集後はとんでもないことになった。コメントの数が増えたのだ。それまでは10件くらいしかコメントが付いていなかったのが、その後1年間で百件以上のコメントが付いた。

内容はお察しのとおりだ。俺と同じネトウヨ連中か、または『国民の知らない~(略)』が引用元だから信じなくていい、みたいな二極的なことになっていた。

残念ながら、要編集記事指定されてしまった。その解除には約五年を要した。俺は、編集してから一年も経つ頃にはネトウヨ活動に興味を無くしていた。もうどうでもいいと思っていた。

というのも、内定を得たからだ。しがないファミレス店員だったが、数年間フリーターとして努力し続けた俺には、わずかずつではあるが、社会人としての力が身についていた。準社員マネージャーみたいな役職があったのだが、アルバイトでも正社員仕事やらせてもらえる。それで、組織の下部階層における事務管理とか、オペレーションの指揮とか、コーチングやティーチングを学んだ。それが活きて、就職成功したのだ。

あの時、俺を馬鹿にして、「あんた、それで慶應卒すかwww」とほざいていた女子社員も、俺のことを見直していた。あの時からはいろいろあって、なんやかんやで一緒にご飯に行くようになっていた。内定を得た時には交際していた。公園デートの帰り道、俺の方から「ねえ、付き合おうよ」と言ったのだが……おっと、けれどもこれは別の物語だ。いつかまた、別の時に話すことにしよう。

それで、ネトウヨの道から遠ざかった。ネトウヨ卒業したのだ。



今は、都内のどこかでカタい仕事に就いている。この物語舞台はずっと都内だ。思えば、勉強自体はできるのだから、これが一番効率のいい道だったのだ。この道は、父親に教えてもらった。マジで感謝している。やっぱり、こういうところだけ要領がいいのが俺だ。2023年3月になった今も、人として生きるにあたっての知性というか、そういうのが足りない人間なんだと感じる。成長していない。ネトウヨ脱出できたのと同じく、いつか成長を遂げることで、こういう気質ゼロにしたい。



終わりに、この日記を書くにあたっては、大学時代に書いたサッカー部私生活日記とか、フリーター時代サイゼの卒店式でもらったみんなの寄せ書きとか、mixitwitterマイページとか、公務員試験学習記録とか、とにかくいろんなものに触れて自分を振り返ってみたつもりだ。

ネトウヨにならない方法簡単だ。毎日食事と、朝に日光を浴びて仕事に向かう、ただこれだけで解決するものと信じている。

まらなかったのなら申し訳ない。ほんの少しでも、あなた暇つぶしになれたのなら嬉しいと思う。読んでくれてありがとう

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2023/3/18

明らかに問題のあった箇所を修正して再度投稿

お気に入りに入れてた人がいたらごめん。

2023-03-13

私生活での行為理由とした不採用について


大晦日掃除をしていたら昔の日記が出てきた。といっても4,5年前のものだが。

今も昔も、関東本社があるJTCの人事部採用仕事をしているのだが、珍しい体験をしたのを日記に付けていたのだ。改めて読んでみると感じるものがあった。身バレにならない程度に語ってみたい。

その彼をA君としよう。初夏の頃だったか、彼との面接があったのは。一次面接だった。当時の面接室は、白を基調とした明るい部屋を用意していたっけ。JTCといっても、うちは同業他社に比べてカジュアルな方だとされている。

面接形式は、年によって若干違う。面接官2対学生1の場合もあれば、2on2の時もある。コロナ流行り出してからは、ほとんど前者になったか

ところで、A君は関関同立ほどの偏差値大学だった。弊社を受ける学生の中では少数派であるしかし、そんなことは関係ない。もっといい学校の子がたくさん受けに来ているけれども、関係ないのだ。

採用業務効率を考えると、学校歴で選ばざるを得ないのは確かであるが、実際にその人を目の前にして学校のことを頭に思い浮かべるのは失礼極まりない。

実際、偏差値でいうと50ほどの大学の子採用したこともある。ずっと昔のことだ、北海道にある大学だった気がする。

実際、A君の受け答えはよかった。素直だったし、わからないところはわからないというし、偉ぶった態度はないし、中学の頃からずっと同じスポーツを続けていた。

うちは商社であり、特定製品で稼いでいるわけではない。仕事を取ってくる者の人間性が命の世界だ。正直いって、「この子はイケるかもしれない」というのが私の感想だったし、面接室で私の隣にいた上長意見でもあった。

しかし、人間はわからないものだ。いまこの日記を読んでいる増田民ブクマカあなたも、そういう経験がないだろうか。私にも何度かあるが、その中でもこのA君は悪い意味で際立っていた。



前置きが長くなった。ここからが本題だ。その日の面接がすべて終わって、帰りに居酒屋に寄った時のことだ。先の上長と一緒だった。

いつも行く店が悉く満席に近い状態だったため、大衆的な居酒屋に入ることにした。昔でいうと、和民のような感じだ。系列店ではない。個人営業のお店だ。

比較若者が多い店内で、上司と一緒にテーブル席についてメニュー吟味していると、なんとA君が近くを歩いていた。吹き抜けタイプの広い店だったから、彼が歩いてくるのがクリアーに見えた。

そこで、見てしまったのだ。A君が、年配のお客さんに声をかけられていた。お爺さんだった。店内にタバコ自動販売機があったのだが、使い方がわからない様子だった。

声をかけられたA君は、「ボタン押したらいいっすよ」とだけ言って、そそくさとエントランス店員インカムを付けて何か話しているところに駆けて行った。

ちょっと!! 注文来ないんですけど。取りに来ないんやけど!!」

と、恥ずかし気もなくインカムで会話中の女性店員に怒鳴り散らしていた。

後ろを向くと、上長テーブルから立っていて、お爺さんにタバコの買い方を教えていた。どこにでもあるタイプ自販機だったが、ここではちょっと仕様が違っていたのだろうか。

A君は、エントランス女性店員と何やら話をしていたが、やがて憤然とした様子で二階席に戻って行った。こちらには気が付いていなかった。



翌日、A君を選考から落とした。

危ないところだった。ああいう演技がうまい人間一定数いて、弊社も情けないことに引っかかることがある。多くは面接試験で化けの皮がはがれるのだが、ああやって潜り抜ける者がいる。

彼の場合は、エントリーシート性格適性検査も知能検査問題がなかった。ここまでされると手の打ちようがない。面接で落ちることを願うしかない。

そういう失敗がある度に、要注意大学リストみたいなもの人事部の中で作っておき、研究を重ねていくことになる。A君の場合立命館大学だった。関関同立だと『化けの皮率』が最も高い。私の体感だと、MARCHクラスでは立教大学or中央大学になるだろうか。国公立大学にはそういった要注意大学は少ない。

十年以上も人事をやっている者からすると、人格的にアウトな人間を見つけ出せる機構(システム)がどうしてもほしい。

実務能力が低い人が内定を取るのはいい。まだ許せる。そのあたりはわかっている、贅沢な望みというものだ……。が、能力が低いだけなら問題ないのだが、人格や人柄まで悪かった場合、他の社員に悪影響を与えることになる。能力の低い社員侮蔑する言葉を使ったり、病気障害のある社員容赦なく罵ったりする(そういう人は得てして取引先も馬鹿にする)。そして、そんな姿を見てまともな社員が嫌な気持ちになり、やる気をなくしていくのだ。

さて、そんな理想未来果たして来るのだろうか。それを待つまでに、私は経済社会から去っているだろう。できればだが、そういうテクノロジー誕生する未来を祈っている今日この頃だ。

就活ってめんどくせ

3月になって就活を初めた

おせーよカスとは言われるかもしれないけどやる気を出したのが3月めだから仕方がない

就活イベント行って話聞いてパンフもらって説明会の予約をさせられたりノベルティもらったりして2週間

待っていたのはエントリーシートの山

志望動機とかどんなことやってきたとかどんなことしたいとか強み弱み

言語化めんどくせ~~~~~~~~~~~~~

就職する人はこれを全員書いてるマジ???

一向に進まない筆

迫る期限

「こういうのは早めに出した方がいい」という心理

ノイローゼになります

就活をマジメにして就職できている人すごい:igyo:

2023-03-10

海外スナップ写真見てると皆、自分自身がよくパッケージ化されてるように見えて、面接とかエントリーシート書きやすそうだなって思う。

2023-03-09

最近就活生はかわいそう

就活代行やってる

エントリーシート量産してるんだけど「大学でがんばったことなんですか?」的な質問あるじゃん

コロナでなんにもないんだよな

そもそもほとんど学校行ってないし

バイトサークル部活ほとんど休業

かといって勉強してるわけでもない

大変そうだ

知らんけど

2023-02-22

anond:20230221235721

人口比で見たら妙齢の女の価値は同世代の100倍くらいあるんだよ

20代の男、30代の男、40代、50代、60代、70代、80代、みーんな20代の女と付き合いたいと思ってんの

最初から需要供給バランスが狂ってるんだよ

なのになんで女が金払わなきゃいけないんだよ

就活で考えてみろ

企業はみんな新卒が欲しいんだよ

それなのにエントリーシートが有料になったらどうなると思う?マイナビリクナビに金払わないとエントリーできない仕組みになったらどうなると思う?

2023-02-06

IQ100偏差値45ぐらいのINTPはどう生きれば良い?

オッス!オラ就活生!大学在学中は身勝手の極みを発動してひたすら家でゲームして暮らしたか就活ネタがなくてエントリーシートの前で死んでっぞ!

それはそれとして性格診断っていうのをやってみたんだが、どうもオラはINTPらしいぞ。

まあ元々はぼざろのキャラと被ってるかを調べたくてやったんだけど、ぼっちちゃんとオラが全然似てねえ事が判明してショックだぞ。

一番ショックだったのは虹夏ちゃんとは全然相性良くなくて、逆に喜多ちゃんとは相性メッチャいいっぽいのが「オタクはピカピカギャルになびくものなんやぞ」と神から言われたみたいな所でオライライライすっぞ!

オラも普通女の子恋愛してえ!

すまん。

脱線した。口調も戻すわ。

とりあえずだ、俺はどうもINTPなる人種らしいんだが、これがどうもいわゆる「高IQ研究者タイプ」って奴なんだな。

んでまあ漫画キャラ著名人について調べてくと、見事に頭のいい人間が並んでるわけだよ。

まあそうだよな。

理屈屋で論理的思考力を武器としていて、分析能力と発想力を売り物にして食っていくタイプ」なんだから、でもそれで別に頭良くなかったらもうただの「意味不明なことを突然ほざきだすが自分以外には理解不能だしあとになって考えるとただの勘違い屁理屈を付けてそれっぽく証明しようとした無駄努力他人を巻き込んでいたと判明」みたいなのにしかならんものな。

だが……俺はそれなんだよな。

どうしたらいいもんか。

正直、今の学力・知力・記憶力・思考力で今からIQキャラを目指すのは不可能だと思う。

目指せても「高IQっぽい雰囲気があるがすぐにバカだと判明する残念メガネ」にしからなんな。

まあギャグ漫画だと定番キャラで、「ここはクソバ作戦でゴザルよ」「さすがメガネバカだぜ……完璧作戦だな……」「俺たちはIQ60しかないけどメガネバカはなんとIQ80だからな……」「九九も言えるし有名人が産まれた年とかも即答できるしな」「ふふふ……キリスト誕生紀元前0年でござるよ」「すげぇ……天才だぜ……」みたいな感じで便利に話を引っ掻き回したり会話のパスを繋いでいけるんだが、実社会でこんな奴いらねえよな?

バイトの同僚ならともかく、IQメガネの面して実際にはIQ100みたいなアホは願い下げだろ。

つうかせめて暗記ぐらい詰め込んどけって話だろ。

偏差値は45だぞ。

もう駄目だろキャラ崩壊してっぞ。

オラマジでどうすればいいのか分かんねえ……生き方のものアイデンティティクライシスして自分への怒りでスーパーサイヤ人になりそうだぞ。

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