はてなキーワード: お墨付きとは
この手のニュースになると必ずそれ相応の賃金を払わないからだ、というブコメがつく。
それはそれで正しいのだけど、運送業、製造業など中小企業におけるこの人手はどうしようもないほど能力が足りない連中が多いんだよ。
はてなには自身が高学歴、職場の同僚が高学歴、高学歴で無くとも自身で何かを考えられる習慣がある人が多いと思う。
だから中小企業、通勤や外出時にはまず目にしない、目にしたとしても見向きすらしない、事務所や工場がどれほどの魑魅魍魎が跋扈してるか分からんよね。
遅刻欠勤などの勤務態度がよろしくない程度はどうでもいい。何度言っても、何度マニュアルを読ませても理解しない。日本語が母国語ではないのか?という絶望的な理解力。真面目なところがある人もいるから余計にどうしていいか分からない。本人に悪気はない、それをこちらも分かっている。ただ絶望的に頭が良くないのだ。
1ヶ月に1度しかないような作業なんて悲劇だよ?それなりのベテランが頭打って記憶なくしたの?レベルで覚えてないんだから。自分で書いたノートにその作業の工程が全て、注意も含めて書いてあるのがこちらでも分かるよ。なんでそのノートもあってできないのかまるで分からない。
でも辞めさせられないんだよ。マジメってだけでこの世界では貴重なんだ。はてなを知ってるような連中はまず来ないからね、このような中小企業の世界には。
世の中小企業の社長たちは上げられるなら賃金を上げたいと思っている人も多い。下請け単価の問題も多分にあるけど、お前にそれだけの価値は無いが本音、感情論だよね。だって上げたくないから。生きてくには困らない程度の賃金払ってるだけ感謝して欲しいくらいだと思ってるよ。
はてなにとって中小企業の、特に零細企業の世界は本当に世間知らずばかりだと思う。地元公立中学以降はつき合わない連中の世界だから当然だけど。
それでも賃金を、と言うならあなた方が起業して雇ってあげて欲しい。こちらからは熨斗を付けてプレゼントしますよ。
kagerou_ts 「お金ださないから人が来ないんでしょ」って話を、「仕事できないやつに払う金は無い」にするっとすり替えてる。つまりそういうこと。
ここに挙げた人材なんてクビにされないだけ有難く低賃金で当たり前ってお墨付きですよね、このコメント。肯定してくれありがとう。
「ゲーム脳」人脈との違いは,依存症対策の国立センターで過去にもいろいろあった久里浜医療センター院長がお墨付きを与えている点です.そのため,学術論文もでていない調査なのに自分たちは国よりも進んでいる,WHOは認めたんだという独善的な姿勢になっている.(続)https://t.co/zy4LqksM6j https://t.co/XbqbYgzofV— Shinji R. Yamane 🔜 GGJSetouchi (@shinjiyamane) 2020年1月10日
https://twitter.com/jmk188365/status/1215814375119810560
これについては当時テレビを見ていて、ゲーム依存症と言いながら、主にネットやスマホの事ばかり叩いていて、自称研究者側がそれの違いや見分けが全くついていないと題名で言っているも同然な時点でもう完全にアレだよねと思う。
そりゃ今回それがベースとなった素案を作ってやらかした発言をしていた奴に対して、ファミコン叩きの世代どころか明治時代から来た化石の脳みそをした人間とか言われるわけだよ。
どちらにしろまともな奴ではないよね。
しかしこの手の規制を推進する連中って国連やらユニセフやらの権威をやたら振り回して、最終的にお気持ちで規制を押し付けてくるような奴等ばかりだよね。
国連にしろユニセフにしろ色々な不正疑惑や事件などがあって、ガチで世間から嫌われたしなー。
しかし文化庁と漫画家が強行しようとしているダウンロード違法化拡大の検討会と言い、年の初っ端からこの手の規制を推進する奴等は本当に空気を読まないよなと思う。
空気が読めない連中だからこの手の嫌われる規制を押し進める様な神経をしているのだろうけどね。
https://twitter.com/mi_ne_ta_ku/status/1215865018266206208
笑えないけど草。
反自民には絶好のネタのはずなのにこいつらが突っ込まない時点でどういう事か良く判るよね。
まあ、当時この手の規制を押し進めていたのは自民党だからこう言う考えの議員が普通にいるのは理解できる。
ただ今の自民は当時と違って、オタク票も割と見ているから、この地方議員は対応を間違えるとそれこそ偉い目合う事になると思う。
https://twitter.com/okotatsudoragon/status/1215885733111558144
何せ下手に素案で国との連携等なんて書いてしまったからには普通に国政の方も絡む話な訳なので、この指摘通り問題ないんだわ。
これに関してはこんな事を言っているにもかかわらず、パブコメにしろ県内のみ募集とかみたいだし、どういう思惑なのかも本当に良く判るよ。
そもそも個人的には昨今の条例は法律で規制が出来なかったら、一部の人が悪用して、条例から国政に圧力をかけるツールとして明らかに悪用し暴走して行き過ぎている節があるので、いい加減国政側が条例と言う存在自体そのものを見直す契機にすべきとすら考えているよ。
少し前にも川崎のヘイトスピーチ条例なんてとんでもない例があったからな。
しかしこの手の規制を推進している人は10年前位の自民と組んでいた時のやり方と全く変わらない手法を相変わらずしている時点で、増長しきって今でも自分達の規制が何もかも思い通りに行くと思っているのだろうなと見ていてつくづく思うよ。
しかし山田太郎議員が地道な動きで票を得れる実証がされたからか、昨今は地方議員や一般の人間もこの手の話題に敏感になった人が本当に増えたよなとは思う。
これは良い事だ。
(それなりにニュートラルに書いたつもりなので、全部読んでね)
(苦しい人は読まないでね。苦しくなるので)
初めにまとめると、
個別でなく全体の傾向として、
人間は基本的に自分のことで精いっぱい。周りを思いやる余裕がない。
それを見た、苦痛の訴えもあまりせず救われもしない男性は「なんであいつだけ」と恨めしくなる。
表立ってはなかなか言えないが匿名なら言えるのは何故かというと、男らしくないと見なされてしまい不利になる(モテなくなる)から。
という構図なのかな・・・。
もし、いわゆる「モテないタイプの男女平等」、真に性的バイアスのない男女平等な社会であれば、こんな不均衡はもっと緩和されてると思う(それが望ましい社会かどうかはさておき)。
この、「モテと政治」の問題というのは責任を問うべき対象が誰なのか、よく分からないんですよね。
女性からおねだりされた男性は断れないことを悪用した女性が悪いのか。
モテるタイプの男女平等(=男女不平等)な政治的意思決定にお墨付きを与えてしまった男性が悪いのか。
悪用すれば、そりゃあ一方的に有利で不平等な体制にできるでしょうけども、トレードオフによって社会の持続可能性が低下したり、いろいろ社会が壊れてくんですよね・・・。だからバランスのためモテないタイプの政治主張をする人って必要なんだと思います。
でも厳しいですよね、だってモテないし。「そんなだからモテないんだよ」って笑われて、それでオーディエンスからは負けに見えてしまいますからね・・。今生のモテよりも重大に後世の社会を憂いている人なんて、あまりいないですからね。
今生のモテよりも重大に後世の社会を憂いている人なんて、あまりいないですからね。
↑ここ重要な気がする
詳しく:
見た感じ世の中こうなってるみたいだな~(個人の観測)という話ですが、
女性は守られ許される性、男性は酷使・使役される性なので仕方がない。というジェンダーロールが性別を問わず広く多くの人に内面化されているため。
それは「男らしくない」とみなされてしまうから。女々しいから。そういった意識を内面化している人が多いため。男らしくないと、社会的・性的な評価が下がる恐れがあるため。だから男性のほうが精神疾患者の統計が少なく(申告されない病は統計にカウントされないため)、自殺者が多い。
えらい人の言いなりになってないと仕事を失う状況にあるとか。
もし訴える相手が間違っていて冤罪だったらどうしよう。といったような優しさによる躊躇。
もちろん、性別を問わず訴えが出てこない泣き寝入りした苦痛はわからないので、社会的には存在しないことになるし、省みられることも対策されることもなく、個人が苦痛なだけ。暗数。ミもフタもないけども「言ったもん勝ち」。
でも「その苦しみ、わかる」と言ってもらえる、話を聞いてもらえるだけで助かる、その可能性が高い相手は同じ苦しみを持っている人というのはあるけども。それで「この苦しみを知りもしないでわかった風に言うな」という問題は回避できるが。
それと性別不問だけども、人によってストレス耐性は違うからね・・。自分には大したことないストレスでダウンするように見える人もいれば、いつ寝てるんだ?というほど活動している人もいる。
自分の命や財産を守るための行動は必要だし、そのために他者を加害するつもりも全くなく丁寧に訴えてもなお、他者への加害性はどうしても帯びてしまう。とはいえテンパってるときそんなこと考える余裕もないので苦しみの訴えは行われるのですが。
わかりやすくした例:
女性による苦痛の訴えの帯びる加害性は、先述の1によって許されが発生し相殺されるわけです。←この一文自体も事実なんですが、加害的に見えてしまいますよね、すいません。
※キーワードの使い方からわかるように、影響を受けているのは白饅頭氏やわかり手さんです。
仮にモテないタイプの男女平等が進んでも、男性が負担していた犠牲が女性に分担される比率が高まるだけで、あまり解決になっていない気がする。そもそもの犠牲を減らさないとだめじゃね?
男女ともに性的優位性に甘えてあぐらをかくのがダメなんじゃないのかな・・・。たとえば「トラブルがおきたとき腕相撲で勝ったほうが正義」って法律があったとしたら男の甘えでしょう。
「男性が社会の犠牲になっていることに心を痛める女性」という、社会が見えていて、かつ女性であることに甘えずあぐらをかかないが故に苦痛な人もいます。
「苦痛を訴えやすく救われやすいのはズルい」と自分も確かにおもいますが、じゃあ見殺しにしろというのか?って言うとそうじゃないです。苦しいほうに平等になってほしくないです。楽なほうに平等にしてくれ。男も苦痛を訴える場や機会を増やしてほしいよ。プライバシーは守ります的なやつがいいんじゃないかな。ただ現実は動きが遅いので、匿名で平和的に穏当に苦痛を緩和するのがすぐできる現実解なのだろう。
ごちうさを見ろ。
例えば、今桜を見る会の諸問題を追及すれば、こういう理由で来年後半から予測される五輪不況を防ぐことが出来ます…とかの国民目線のメリットを野党側は示す必要がある。
それを一切やらずに日々追及してるから、「どうでも良いことで騒いでる」と国民から見なされている。
別に会に反社混ざってても国民生活には影響ない。普段からあちこちに混ざってるから。
予算にしても1億すらないから国民一人あたり1円にもならない。
マルチにお墨付き~についても、スポーツ選手や芸能人がお墨付きするか与党がお墨付きするかの違いでしかなく、被害を受ける人数に差異はないだろう。サッカー日本代表のエースだった人とアムウェイとの繋がりとかな。
反出生主義(生まれてくる子供が苦しむ可能性をなくすために子供を作らない)に同意してるっていうのがもともとあったんだけど、最近チャイルドフリー(自分たちの生活にとってマイナスだから子供を作らない)の気持ちも強まってきた
ネットで離婚がどうこうって話とか配偶者の愚痴とか読んでるとかなりの確率で子育てがなんらかの形で関わってる 危険だ 子はかすがい、ともいうけどかすがいが無いとつながってられない夫婦なんてむしろ別れた方がいいだろ
あと純粋に子供ってうるさいよね 電車の中にくそデカい声で騒いでるガキがいるとかなり苛立つ (俺自身は幼少期公共の場で騒いだことがないと親からお墨付きを得ている)
妊娠後期。見た目にも腹が出て腰が反りケツが痛み肉がついて妊婦らしい見た目になってきた。
妊婦検診も2週に1回になり、分娩予定の病院に戻るための予約も取り、より一層職場に迷惑をかけている。ほんと毎日すみません。
というか夫についていった。
で、散々お世話になったA先生(50-60代女性)にお会いした。
せっかくなので夫と私とその先生とたまたま居合わせたB先生(新婚20代女性)とで10分ほど立ち話した。
「自分の経験や人から聞いた話を元に妊婦にトンデモ診断を下してしまう人」のことで、私が勝手につけた呼称だ。
A先生、まず私の腹を断りなく触り(人によると思うが私はこの行為が嫌い。せめて一言声かけろ)、質問攻めスタート。
私「女の子です」
私と夫「ん?」
夫「えっ?なんでですか?」
?????
A先生によると
……だそうで。
電磁波云々って、私が子供の頃に「電子レンジの近くにいると体に悪いからやめろ」と祖父に言われた以来ですけど。
夫は黙ってたので、どう思ったかは知らない。
→女の体に女の胎児だと成分が同じだからケンカするらしい。つわりが軽いなら男の子
「産む直前に好物が食べられなくなる」
→A先生の好物は焼肉だそうだが臨月にはほとんど食べられなかったそうだ
等々。
つわり云々に関しては私はそれほどひどくなく
短期間で落ちついたし
さっぱり共感できず、10分ほどのトーク中ずっと一歩引いて聞いていた。
そして最後に、B先生に「30歳になる前に妊娠しな!仕事のことなんて気にしなくていいのよ!」とよく分からんエールを送り、去っていった。
まあA先生まではいかないにしろ、『なんちゃって産科医』状態にはかなりの先輩ママさんが陥っていると思う。
妊娠の報告をしてからは、体調を気遣ってくれる人ばかりで本当に助かっている。
ただ1点、こちらが困ってもいないのに、謎アドバイスと自分語りしてくることを除けば。
「男の子の親っぽい」という理由から、まだ性別がわからないのに男の子だよ!と毎日顔を合わせるたびに言ってくる人、
「女の子を妊娠すると顔が優しくなる。男の子だときつくなる」という理由から、やっぱり女の子だね~と言ってくる人
(散々男って言ってたじゃん)、
体調の心配をしてくれたかと思いきや、うちの娘のときは吐くものもなくなるくらい吐いてさ〜と延々話してくる人、
「平日昼に帝王切開で産めば一番安上り」とご親切に教えてくれた上司、
あと、本当に多い、腹が出てると男の子で横に広がると女の子って言う人(骨盤の大きさの問題だっちゅうねん)。
初産婦である私のことを心配して声をかけてくれているということは分かってる。
ほんとありがたいけど、皆さまが信じていらっしゃる性別の判別法とか、医学が発達してなくて産むまで分からなかった時代の話。都市伝説ですよ。
5か月くらいまでは本気にしてたものもあったけど、もういちいち聞いてられない。
腹が出てるけど女の子だし、食べたいもの好きに食べてるけど体重も血圧も問題なし。胎児も順調に育ってると、主治医からお墨付きを頂いてますので。
(長く書きすぎたみたいだ。途中で切れてしまった。。。)
もう終わりにしよう。書評の批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員の指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版社からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文の審査結果の要旨とほとんど同じ。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf
本論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式・文法カテゴリが創発する根源的理由の説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新たな研究分野の基礎を示した先駆的研究として評価することができる。
本論文は日本語の文法事象を中心に扱っており、その記述・分析の面においても、射程の広さと事例観察の綿密さが評価される。分析対象として、格、時制、主語・目的語、自動詞・他動詞、態、形容詞といった広範な現象を横断的に扱い、本論文の主張する日本語の「主体化による認知モード」によって一貫した説明が試みられており、それらがいずれも西欧的パラダイムによる言語研究で標準的に使用されてきた文法概念と完全な対応関係を結ばないことが、説得力をもって示されている。
日本語学で所与のものとして適用されてきた「動詞の自他」や「態」といった文法概念そのものの再検討を迫るという点で、本論文は日本語学研究にも一定の貢献をなすものである。また、本論文は日本語における文法カテゴリや語彙の変容にも照準を合わせたものであるが、その主張は単なる理論的憶測ではなく、万葉集や源氏物語などの主要な古典作品をはじめとする膨大な歴史的資料に基づいたものであり、言語研究において不可欠である言語データの観察の綿密さについても高く評価することができる。
本論文は共時的な言語事例と通時的な言語事例とを並行的に分析し、日本語の言語現象全般と個別現象の解明を目指した統合的研究であり、認知言語類型論という新たな研究視点を提供している点で、学術的価値は高いと判断される。
まさにお墨付きだ。
最後にちょっと真面目な話。『認知言語類型論原理』の問題は、この書評で間違いだと明らかになったことじゃない。学問は古い学説を踏み台にして進んでいく。今の定説もいつかは否定され、乗り越えられていくかもしれない。だから、間違いを含んでいるとわかったこと自体は問題じゃない。それまでの研究に新たな知見を付け加えたのなら、たとえ間違いを含んでいても価値ある研究だ。ダメなのは、従来の研究に何ら新しい知見を付け加えず、最初から間違いだとわかる研究だ。『認知言語類型論原理』はまさにそのような本だと批判されている。もちろん、出版された本に対してそのような批判をする権利は誰にでもある。たとえ批判が当たっていなくても、ある。自由に批判ができることは、学問の発展に不可欠だ。書評子が批判をしたことで将来不利益を被ることがあってはならない。
それにしても、どうして『認知言語類型論原理』は『日本語に主語はいらない』みたいに多くの言語学者から批判されていないんだ? 『日本語に主語はいらない』は大手出版社から一般向けに出たのに対して、『認知言語類型論原理』は学術専門出版社から専門書として出たからか? それにしたって、専門書でも専門家なら読むだろうし、なんならもっと真剣に読むだろう。他に書評は出てないのかとCiNii https://ci.nii.ac.jp/ で『認知言語類型論原理』を検索したけど、ないみたいだ。もしかして京大とか超大物研究者とかの権威に怯んでるのか? 文系の学問がそんな腐敗した世界なら、世間から不要とされるのも無理はない。この腐敗した世界に堕とされても、くだらないことでビビることなく「王様は裸じゃないか! 裸の王様、何を学んだの?」と喝破した書評子には拍手喝采を送りたい。だけど、こんなものを書くために生まれたんじゃないだろ…。
日本の大学、特に文系の学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系の学者達は自分たちの存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系の研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系の先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。
だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端の研究は専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン。一般・特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系の研究も基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。
本題に入ろう。最近、1つの書評論文が東大の言語学研究室発行の紀要に出た。
田中太一「日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型論原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313
https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2
著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学科 准教授の中野研一郎先生。
普通、書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後にちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評も酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンのフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。
一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である「博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大な論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分のオリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間の知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。
そして博士論文の原稿は、3~5人の審査委員が審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学の教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文を大学に提出していいかを審査する二次審査、最後に論文が完成し、大学に提出された後、博士の学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。
ミサト:おめでとう!
アスカ:おめでとう!
レイ:おめでとう。
研究者人生のフィナーレではないが、1つのピークである。こうやって研究者の能力にお墨付きを与えるのが大学の存在意義の大きな一部分だ。
要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ。日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本の大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校の先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学の准教授になったようだ。周知の通り、大学の終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。
博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学の博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学の博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学に就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生の師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型論原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本を代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生は2014年度に京大を定年退官して、2015年度からは中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文の審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査の主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。
さて、超大物お墨付きの博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからないからパス。3節「日本語に存在しないとされるもの」から見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分からの引用がある。
「日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリが妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである「日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。
(『認知言語類型論原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)
昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋『日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579
主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型論原理』は、ミニマリストの断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞/他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。
これは熊倉千之氏の「音象徴」理論に基づいているそうで、熊倉氏は、
膠着語にかんして、「イメージとイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。
とのこと。
近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性の原理を否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣の名前は、音と意味の関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴は基本的にオノマトペ(擬音語・擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかもあくまで傾向性。言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、
「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。
知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、
「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)
と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴は
「日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)
この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである。同音異義語の存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)
確かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、
「日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味・機能も通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本語 やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)
と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信と関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。
そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生や熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、
1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学、サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年に帰国後、東京家政学院大学教授、1999年金城学院大学教授。2007年退職。
という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学。言語について言語学界とは関係なく自由に思索・著述をしている人のようだ。そういう独自の言語論を唱える文学や思想の研究者はよくいるけど、普通の言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型論原理』もその類の本だったなら、東大で言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大の言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ。
他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。
ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的に文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ、英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!
ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後の激辛書評論文を大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型論原理』は、博士論文の審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!
もう終わりにしよう。書評の批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員の指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版社からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文の審査結果の要旨とほとんど同じ。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf
本論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式・文法カテゴリが創発する根源的理由の説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た
フェミニストは大義名分を建前に自分たちの利益を無尽蔵に欲しがってる、みたいな言われ方をたまにしてるじゃん。あれはまあいい過ぎなんだけど。
でも潔癖で容赦ない感じになってんのって、フェミニストないし女性の利益の多くが、社会的正義と重なってるからだと思うんだよね。
適当だけど、六割か七割くらい?
現代社会って、協調性や社会性や穏健さや平和や安全や肉体的弱者救済が、良いものとされてるわけじゃん。
そんで、あえて雑な言い方するけど、最大公約数的な「女性的特徴」と「男性的特徴」を比べれば、女性的特徴の方が現代社会の求めるものと合致してる。
男性的特徴……テストステロンで加速される特徴は現代社会の正義とはやや噛み合わせが悪い。
だから女性にとって、社会的に正しいことが行われるよう主張すれば、自然と自分の利益拡大に繋がる事が多い。
逆に自分の利益や快楽のために活動してても、勝手に社会正義のお墨付きがもらえたりもする。
そうするともう、主張に歯止めがなくなるんだよね。
良いことだって、あんまり徹底したり急速に推し進めたら弊害が大きいんだけど、世の中の徹底的で潔癖なまでにやりたくなる。
それに、自分の生きやすさが社会正義と重なる事に慣れきって、そこの合致を疑わなくなる。
さっき女性の利益と社会的正義は六割か七割重なるっていったけど、当然重ならない部分もあるわけよ。
なのに、女性の利益……というか「たまたま女性である私個人や周囲の同調者」の心地よさに繋がるってだけのことが、即ち社会的に正しいはずだと勘違いしやすい。
この記事はフェミニストに批判的だから女性読者はむっとしてるかもしんないけど、でもちょっと思い出してほしい、女性だけのコミュニティでも、自分の得になるってだけなのに世の中や集団のために正しいという皮を被り(しかも本人は正義だと思い込んで)啓蒙してくる人目につきませんでしたか。
これは当然フェミに限らないんだよな。
普段、真っ当なことや良いことをガンガン進めてる人が、たまにめっちゃ個人的主張を、正しいことを主張するのと同じ勢いの強さで言い張る、みたいなのがWebでは沢山見られるようになった。
まぁ、だからって良いことをするのはやめろってのもおかしいけど。
協調性や社会性や穏健さや平和や安全や肉体的弱者救済を訴えるな、口を塞げ、みたいになったら、やっぱ世の中不穏になる気がするし。
いやはや、困ったもんですね。
だからパンチラなどラッキースケベと羞恥(賢い女から出たラッキースケベであったことを実証)の組み合わせにすごく価値があったの
永井豪なんて脱ぐ前より露出は少ないもののどうみてもおかしい痴女スーツを着る女を書いてPTAに干されてた
変態仮面より早いぞ
今は平気で脱ぐ女や脱いでないけど乳袋きてて不愉快に思わない女
それもゾーニングで昭和より細かい商品管理を負担できる取次や書店があってのことだ
一方もちろん現実の水泳選手や体操選手みたいに「戦うため」とかの理性によるものなら全然良い、白痴じゃない
ドラクエの女戦士のビキニアーマーも表情が恍惚としてないから大丈夫
子供が見るような日常にコロコロマガジンじゃなくて鉄道会社や赤十字のお墨付きつけて露出する行為がたたかれるの
今までに「複数のキャラクター枠を用意して絵を描きたい人を公募で募集(一部依頼)して、提出された絵を使って動画を作る」という二次創作動画をつくることを複数回やってきた。
私が企画動画をやるときは「ガチ勢集めていかにすごくて見る人が『すげえ!!』ってなる動画を作れるか、感動させられるか」に重きを置いている。だから参加者はできるだけ絵が上手い人だけに参加して欲しいとまで心の中では思っている。
私自身はたまたま人脈が広くて、フォロワーが多く絵も上手いいわゆる神絵師とも関わることが多くて、そういう人達がよくリツイートして参加してくれたし、企画をきっかけに繋がり→その後の企画にもよく参加してくれる神絵師なんかもいた。というか絵の上手い絵描きしかフォローしないし相互にならないから基本的に多くはとても素晴らしい絵を描く方からの参加希望がきた。
だけどその反面、公募故に「絵の下手な人」からの参加希望もきたのだが、私はそれが非常に嫌だった。
「絵の下手な人」の多くは、別の人から参加希望のあった枠だったりして断ることが多い。けれども全てが埋まってるわけじゃない。できる限り身内とかに頼み込んで裏で枠を埋めて参加希望断ったり、自力で描くことにして枠を埋めたり、色々した。それでも参加を了承せざるを得ないことがあった。そうして参加させると八割方トラブり、普段はとても温厚(自称)な私がめちゃくちゃキレる。この前キレすぎて壁に穴空いた。
もう次に企画やるときは絵の下手な人お断りをしたいとすら思っている。最低でも私より下手な奴はお断りしたい。
でも「絵の下手な人参加お断り」って言ったら炎上するに決まっているから言えるわけねえ。
どうすればいいんだよ…………
(公募制度やめればいいじゃんって話かもしれないけど、いかんせん枠数が多いのに加えて、公募ですげぇ絵の上手い知らない人からリプ来ることがよくあるからそれだけは避けたい。わがままかもしれないけど)
ちなみに「絵の下手な人」を参加させたくない理由はいくつかある。
•多くの絵の上手い方々の中に「下手な絵」が混ざると悪い意味で浮く。
フォロワー5桁の人間とフォロワー2桁前半の人間じゃ天と地ほどの差がある。一目見て「アッこれアイビスペイントのあのペン使ってんな……」とか一瞬でわかる。ただの影も入れないバケツ塗りの絵にフワフワ羽ペンいれてもデジタル絵初心者クソ野郎にしか見えない。手ぶれ補正使ってます?利き手と反対の手で描いてます?ってくらいガッタガタの線。鋭利ってレベルで尖ってる顎。バケツ塗りすら知らねーのか!??って感じの線からはみ出まくった塗りの絵(キレすぎて線画抽出して自分で塗って「こっちの方がマシじゃん!!」ってさらにキレて、そんなことして4時間無駄にした。)
生理的に無理。耐えられない。頑張って描かれた神絵師の絵と並べたくないし、モナリザのとなりに中学生男子の黒歴史ノート並べるような痛々しさ。
エフェクトかけても馴染まないから浮く。なんで人物が画面半分より下に肩から上しか描かれてないの?編集するともう生首にしか見えない(流石にリテイク出した。顔アップとかするともう目も当てられない)編集難易度高すぎてもはや自分で描いたものに差し替えたい。
めっちゃ暗い歌詞なのにバリバリにパステルカラーの絵とか笑顔の絵を送られても困る。お前自分のパートの歌詞見たのか???見てねえだろ??、?
•そもそも絵のサイズとかファイル形式自体を理解していないことが多い。
透過pngで出してねって言ってもjpegでだされる。複数枚ある人はZipで出してねって言ってもZipってなんですか?と言われる。メールに送るかアップローダーで送ってね、と言っても「メールアドレス持ってません。。。アップローダーってなんですか??」と言い出す。たまに絵の上手い人でも間違えてjpegで送られてくることもあるけど、送り直しを頼むと秒でちゃんと正解のものを送ってくれる。神絵師はやはり神である。
「参加に当たってファイルはこのファイル形式でこうやって提出してください、それがわかる人だけ参加してください」とはっきり明記したにもかかわらず参加してから分からないと喚いている。というか募集の時点で「下記のことを明記した上でリプorDMしてね」と言ってもそれすら無視した内容のリプやDMを送ってくる。
•連絡ができない
「参加できなくなったと判断した時点で連絡してね、連絡すれば大丈夫だよ」と言ってもバックレる。やばい奴は締め切り2度延長した上でバックれた。「不安な点やわからない点は質問してください」と言っても何も聞かずに締め切りギリギリになって色々やらかす。神絵師は早い時点で「申し訳ないのですが……」と辞退するDM送ってくれたり、分からないことを聞いてくれる上に編集のことまで考えて「ああしていいか、こうしていいか」まで聞いてくれるのに、なんだこの差は。
こんな具合だ。似たような企画をやったことのある動画編集仲間に聞くと「そもそも描いた絵の保存方法すらわかってない人が過去にいた」だの「画像全てのサイズがバラバラ」だの「参加希望してきた時点で『提出できるかわからないから万が一の代役を立てておいて』と言われた」だのヤベー噂を色々聞いた。そのくらい「絵の下手な人」というのはほんとやばいから嫌なんだ。「絵の下手な人」はもう自覚して参加を控えるか「絵がそこそこ上手い人」にレベルアップできるように腕を磨いてくれ。
私の妹も嘗ては「絵の下手な人」だったけど描きまくった結果お前ら「絵の下手な人」より年下なのに結果的には画力が私を超えて専門学校の面接でプロからお墨付きもらうくらい上手くなったぞ。努力をしろ、努力を。
ちなみに私は企画をやる際
•pngの場合は、できれば背景と人物別のやつ欲しい、人物は透過pngで。(必須ではない)
•1280×720以上の16:9の画像(変形は要相談。だいたい承諾する)
•出来たら複数枚の場合zipにまとめて、それが一括DL可能なサイトを使って。
•連絡さえすれば辞退も締め切り延長もしていい。連絡だけはして。
•枠番号とキャラ名を記載してリプかDMを送って欲しい。第1希望から多くて第3希望まで明記してね。もし複数枠できる人はそれも明記して欲しい。
•上記のことがちゃんと理解できて、実行できる人だけ参加してね。
•締め切りは伸ばせる。(募集から第1締め切りまでが4〜6ヶ月あるし、第一締め切りに始まって第四締め切りぐらいまで作ってる。第一から第四までの間が1ヶ月くらいある)
ってことを参加概要に明記してる。締め切りとか寛容すぎて聖母でわ????って思うこともあるんだけど難しくないよね????
▼応募形式を満たしてなければ落とすのが当然では?
参加希望をした時点では満たしていても、参加してからあれ分からないこれ分からない出来ないが発覚したりバックれたりがあって落としきれないんだ……「絵が下手な奴ほどそういう傾向があるから画力の低さを理由に落としたい」ってのが本音。
赤月ゆにというVTuberがいる。私の観測範囲内では大人気のVTuberだ。東京都文京区にお住まいの美少女吸血鬼である。知らない人は各自ググってみてほしい。
(厳密にはVTuberとは呼べないがここでは便宜上VTuberと表記する。詳しくは『ユリイカ』2018年7月号の記事「バーチャルなバーチャルと、ノット・バーチャルなバーチャル」を参照)
元々、YouTuberやVTuberにあんまり興味は持っていなかった。某シロイルカの動画なんかをちょちょっと見て、なんか肌に合わないなー、と思ってこの界隈には近づいていなかった。友達にハマっている人が何人かいたので、その人経由で有名なVTuberの存在は知ったりと、脇目で見ている感じだった。
けれど、友達のひとりがしょっちゅうRTしてきた赤月ゆにの放送を試しに聞いてみたら、ドハマりした。過去のラジオアーカイブを漁りまくった。
鈴を転がすような声と知性に溢れウィットに富んだ語り口。一気にファンになった。ゆにちゃん様、すこだ……というモードになっていた。ゆに様.mp3が出たら絶対課金しようと思っていたしゆにたん萌え~hshsとつぶやいていた。
でも、その友達と話をしていて、赤月ゆにの「中身」は何人かのスタッフで、あの声の持ち主は渡された原稿を言われたままに読んでいるだけの声優である、ということを聞いてしまった。
ショックだった。
残念だった。
もちろん本気で不老不死の吸血鬼なんてものがいるとは思っていなかったし、色々なテーマを扱っているからリサーチを補助するスタッフのようなものはいるのかもしれないくらいは思っていた。ゆにクリエイトという会社があるのも知っていたけれど、本人が説明しているように「仕事とか事務、営業、あとコミケのスタッフで動いてる」ものだと思っていた(動画の作業とか、一人でできるとは思えないし)。文京区住みというのも,まあ,半分くらいは本当じゃないかもしれないとは想像していた。
でも、声と中身は一致してるんだと思ってた。
あの声とあの知性を兼ね備えた存在が日本のどこかに実在していることまでは流石に疑ってなかった。
だって徹底抗戦してたじゃん、ラジオ第1回で。おっさん疑惑について尋ねられて……あっこれ改めて聞き返してみたら明確に否定してない! おっさん疑惑を明確に否定してない! ちくしょう! なんかこう勝手に「そうだよな女性がこんなものを知ってるわけないみたいなジェンダー的偏見はよくないよな」とか「そうだよな文体や話し方にみられる性差みたいなのも実は創作や翻訳の過程で強化されるものであって実際は男女の話し言葉の間に明確な性差なんてあまりないよな」みたいな感じで納得していた自分が馬鹿みたいだよ!
バ美肉である可能性もちょっとは考慮して、一応声優の卵である知り合いに動画を見てもらって「天然ものの声帯だと思う」というお墨付きをもらって安心していたのだけれど、声帯と中身が一致してないとは思わなかったよ……
おっさんが考えた美少女に声優さんが声をあてているだけ、というのはアニメやエロゲのキャラもそうなんだけど、アニメやエロゲのキャラの殆どはそもそもが架空の人物であることが自明なのに対して、VTuberとかそういうのはある程度「中の人」のキャラが出てるんじゃない? って思ってた。エーリカ・ハルトマンや暁切歌や二階堂サキや時雨亜沙は実在していなくておっさん含む何人かで考えたセリフを声優さんが喋っているだけ、というのはわかってたけど、赤月ゆにの人格と声は一致していると思っていた。
でも一致してなかったなんて。ショックだ。
どのくらいショックかというと『うたわれるものらじお』にはちゃんと台本があって柚木涼香さんの発言は全部それに沿っているものだと知ったときの5倍くらいショックだ。
YouTubeでゆにチャンネルをチャンネル登録してるけど、解除しようかどうか割と真剣に検討している。伝統芸能として知られる円盤割りを披露しようかとも思ったけれど円盤をまだ持っていないのでやめた。でも改めてラジオ聞いてみるとすごいいい声……ゆにちゃん様すこ……って思っちゃうんだよな……でもそれは声優がおっさんの書いた原稿を読んでるだけ……ううう……
未だにこの事実と折り合いがつけられていないので、ひとまずラジオをもう一周くらいしてからチャンネル登録解除の是非を考えようと思う。
皆さん、#コンパス 戦闘摂理解析システムというスマートフォンのゲームアプリをご存じですか?
ここではそのプレイヤー、通称コンパス民の気持ち悪い点を羅列してみようと思います。
一緒にやる人って意味じゃないみたい。
というか基準があいまいでみんな相方相方言ってるけど恋人だったりする、なんなのこれは
やたらトラブるし囲いなども存在するのでツイッターでは火元が絶えない。
2.やたらオフイベが好き
でも相手を煽ることを信条にしてる人を「公式お墨付き」にするのはちょっとどうかとおもう。
3でも書いたけど一定数そういう人がいるとかじゃなくほぼ漏れなくそう。
ほぼゲームをやったことがないアクターの人を生放送に出させて、トップランカーと試合させて、デスするたびに全員で名指しで笑い転げてたりします。最悪でしょうこれ。
5.ファッションメンヘラが多い
さみしいから通話したいとか言い出すゆるふわ系、もしくは塩顔っぽい二次元アイコンの中身顔面崩壊ド陰キャがツイッターにいます。
要するにかまってちゃんが多くてレベルの低いなれ合いをしている。見てて悪寒がするレベル。
「同担拒否」とか言い出すぐらい拗らせちゃった人もいるけど7割以上が別にキャラ愛とかない。
ソシャゲの悲しいところ。
ギルティギアとか誰もプレイしたことないけどキャラ性能がやたらいいのでみんな大好き。プレイしたことないけど。
いろいろ羅列したけど中身ド陰キャ顔面崩壊(ソースはオフイベ)ネット弁慶にわかイキりがこんだけ1コンテンツに集うのはすごいなあと思いました。