はてなキーワード: シロイルカとは
赤月ゆにというVTuberがいる。私の観測範囲内では大人気のVTuberだ。東京都文京区にお住まいの美少女吸血鬼である。知らない人は各自ググってみてほしい。
(厳密にはVTuberとは呼べないがここでは便宜上VTuberと表記する。詳しくは『ユリイカ』2018年7月号の記事「バーチャルなバーチャルと、ノット・バーチャルなバーチャル」を参照)
元々、YouTuberやVTuberにあんまり興味は持っていなかった。某シロイルカの動画なんかをちょちょっと見て、なんか肌に合わないなー、と思ってこの界隈には近づいていなかった。友達にハマっている人が何人かいたので、その人経由で有名なVTuberの存在は知ったりと、脇目で見ている感じだった。
けれど、友達のひとりがしょっちゅうRTしてきた赤月ゆにの放送を試しに聞いてみたら、ドハマりした。過去のラジオアーカイブを漁りまくった。
鈴を転がすような声と知性に溢れウィットに富んだ語り口。一気にファンになった。ゆにちゃん様、すこだ……というモードになっていた。ゆに様.mp3が出たら絶対課金しようと思っていたしゆにたん萌え~hshsとつぶやいていた。
でも、その友達と話をしていて、赤月ゆにの「中身」は何人かのスタッフで、あの声の持ち主は渡された原稿を言われたままに読んでいるだけの声優である、ということを聞いてしまった。
ショックだった。
残念だった。
もちろん本気で不老不死の吸血鬼なんてものがいるとは思っていなかったし、色々なテーマを扱っているからリサーチを補助するスタッフのようなものはいるのかもしれないくらいは思っていた。ゆにクリエイトという会社があるのも知っていたけれど、本人が説明しているように「仕事とか事務、営業、あとコミケのスタッフで動いてる」ものだと思っていた(動画の作業とか、一人でできるとは思えないし)。文京区住みというのも,まあ,半分くらいは本当じゃないかもしれないとは想像していた。
でも、声と中身は一致してるんだと思ってた。
あの声とあの知性を兼ね備えた存在が日本のどこかに実在していることまでは流石に疑ってなかった。
だって徹底抗戦してたじゃん、ラジオ第1回で。おっさん疑惑について尋ねられて……あっこれ改めて聞き返してみたら明確に否定してない! おっさん疑惑を明確に否定してない! ちくしょう! なんかこう勝手に「そうだよな女性がこんなものを知ってるわけないみたいなジェンダー的偏見はよくないよな」とか「そうだよな文体や話し方にみられる性差みたいなのも実は創作や翻訳の過程で強化されるものであって実際は男女の話し言葉の間に明確な性差なんてあまりないよな」みたいな感じで納得していた自分が馬鹿みたいだよ!
バ美肉である可能性もちょっとは考慮して、一応声優の卵である知り合いに動画を見てもらって「天然ものの声帯だと思う」というお墨付きをもらって安心していたのだけれど、声帯と中身が一致してないとは思わなかったよ……
おっさんが考えた美少女に声優さんが声をあてているだけ、というのはアニメやエロゲのキャラもそうなんだけど、アニメやエロゲのキャラの殆どはそもそもが架空の人物であることが自明なのに対して、VTuberとかそういうのはある程度「中の人」のキャラが出てるんじゃない? って思ってた。エーリカ・ハルトマンや暁切歌や二階堂サキや時雨亜沙は実在していなくておっさん含む何人かで考えたセリフを声優さんが喋っているだけ、というのはわかってたけど、赤月ゆにの人格と声は一致していると思っていた。
でも一致してなかったなんて。ショックだ。
どのくらいショックかというと『うたわれるものらじお』にはちゃんと台本があって柚木涼香さんの発言は全部それに沿っているものだと知ったときの5倍くらいショックだ。
YouTubeでゆにチャンネルをチャンネル登録してるけど、解除しようかどうか割と真剣に検討している。伝統芸能として知られる円盤割りを披露しようかとも思ったけれど円盤をまだ持っていないのでやめた。でも改めてラジオ聞いてみるとすごいいい声……ゆにちゃん様すこ……って思っちゃうんだよな……でもそれは声優がおっさんの書いた原稿を読んでるだけ……ううう……
未だにこの事実と折り合いがつけられていないので、ひとまずラジオをもう一周くらいしてからチャンネル登録解除の是非を考えようと思う。
今日はゴマサバいらっしゃいましたわ!今日はゴマサバいらっしゃいましたわ!
いろいろ飛んでしまいましたわ。今日は名古屋港水族館に行って参りましたわ
南館のイワシトルネードマスターの大水槽では海獣の子供とコラボ中でしたわ。そしてなんとゴマサバがいらっしゃいましたわ!
その他シャチがいたりシロイルカがいたりペンギンがたくさんいたりして素敵な水族館でしたわ。
皆様がオオシャコガイを見ることのできる日本の最寄りの水族館は名古屋港水族館ですわ!
あと深海コーナーにはダイオウグソクムシはもちろんのこと、カイロウドウケツもいましたわ。エビもちゃんと中にいましたわ
お昼は水族館内のレストランでサメを頂きましたわ。ワニもありましたがサメにしましたわ
真珠……
アナルパーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいや最近このネタはやった気がしますわ
元増田です。
いろいろコメントをいただけたので、気になるコメントに対してコメントしてみます。
というか、僕用のメモです。
相対的な意味の中で生きるのが辛いのです。
すべてが同質化した世界の中で、人生に意味を見つけたとして、それがいったいなにになるのでしょうか?
「価値」も「意味」も人生の枠組みの中で意味を成す概念だから、人生そのものに適用するのがそもそも無理なんじゃないのかと思う。
「見出せる意味」という枠組みの中でのみ、人は「意味」を見つけられる。「有限」な我々は、その中でこそ「無限」を錯覚することが出来る。「有限」の外側より、内側への思弁を充実させましょうよ。
まぁ、それは思う。
でも、人生そのものに「意味」も「価値」もないのであれば、人生の枠組みの中にあるすべてのものも「意味」も「価値」もないということになるのではないでしょうか?
私と同じ事考えてるな。守るべき物を持った時にその悩みは消え失せるよ。
たしかに、今の僕には守るべきものはありません。守るべきものを持つということは僕にとっての救いになるのかもしれませんね。
でも、それがみつかったとしても悩み続けるような予感はしています。
その通りです。
なので、僕は自分の考えにすら意味を見いだすことができません。
だからこそ、辛いのです。
とてもキモチはわかる。同じ事考えるよ。 // ただ、だからこそ人生(無に戻るまでの猶予)という時間を楽しむべき、なんだろうなというのはある。よく迷路にはまりこむけどね
楽しんだもの勝ちというのはよく思います。
でも、楽しむことにすら意味を見いだせないので非常にむなしくなります。
「楽しんだところでなんなんだ?」と。
まぁ、楽しいときは純粋に楽しいのでそんなことは考えないですけどね。
楽しんだ後に非常にむなしくなる。
オギャーと生まれたときから人生に意味を持たされるなんてさ、そんな生き方はこっちから願い下げだ。俺は意味なくこの世に生を受けたことを実にありがたく思う。何をやったっていいんだぜ
何をやったっていいんだろうけど、「それが何になるの?」と聞かれて答えられない自分がいます。
自分一人だけ世界に存在するのであれば、自分の中にだけ意味を見いだせればいいのでしょうが。
これは神のみぞ知るだと思います。考えるのを諦めるか宗教か、どっちか。
思考停止はなるべくしたくないのです。
宗教は思考停止をする装置として人類が生み出した最高の発明品だと思っています。
仏教の「毒矢のたとえ」と同じ話。(漢訳『仏説箭喩経』、パーリ文中部経典)「そんなことを考えても目の前の問題は何も解決しない」というのが答え。/定期的にこの手の話は出るな。前にもこのコメントをした覚えが
まぁ、たしかに目の前の問題が解決しないので逃げているだけかもしれません。
しかし、僕は僕のむなしさの根源を知りたいのです。
言葉の使い分けに関してはご指摘の通りです。
うむ、なんか励みになる言葉ですね。
何かの意味があれば、それに反する行為でも「無意味」という意味が生じるのではないでしょうか?
すべての行為が無意味なほうがもっと嫌ではないですか?
人は豊かな人生を楽しむために生まれ、死んでいく。たったそれだけ。頭でっかちな奴はこんな簡単な事すら分からなくなって人生を毀損する。今この一瞬一瞬が驚きと感動で満ちているのにその価値が分からんのは不幸
一瞬一瞬では驚きもすれば感動もできるのですが、やはりそれは一瞬であって、その直後にもの凄い虚無感に襲われるのです。
「驚いたからなんなんだ?」「感動したからなんなんだ?」と。
そう、価値が分かってない。その価値の根源をどこに見いだせばいいのか、それがわからないのです。
人類はいつか必ず絶滅する、などと言われるけれども、それは確実なことだろうか。宇宙それ自体を超越するようなことはありえないのだろうか。
「宇宙それ自体を超越する」って発想はありませんでした。
ニーチェの「超人」みたいなものでしょうか。 この無意味な人生の繰り返しを積極的に肯定し、それを超克していくという。
一歩間違うとカルトになりそうなので、慎重に気をつけながらそちらの方向も思索してみようと思いますみたら楽しいかも。
もとより世界に意味はない。しかし人は世界を前に無力なので、意味という幻想を求める。しかし、それは鍛えられるべき弱さだ。日々のSacheへ帰還せよ。
たしかに、僕は弱者が故に意味という幻想を求めているのかもしれません。
Sache? ググってみたら「事柄」的な意味のようですね。日常に帰れということでしょうか。
追記
たぶん増田は自分の幸せも愛してくれる人も子供も一生所属したいと思えるような社会も持ってないんだな。どれか一つでも持てば、いつか人類は滅びるなんて考えずに、一秒でも長く生きていたいと思うようになるよ。
ミクロ的にも意味がある人生を歩んでいないからそういうことを考えてしまうと。
そういう面は否めませんが、そもそもそういうものを持とうとする前に「で、なんの意味があるの?」と自問してしまう自分がいます。
ちょっと笑えました。
来世を信じるということは、現世の辛さを回避する為の手段として効果がすごくありそうですね。
でも、僕は信じることができないです。