はてなキーワード: 音痴とは
恋は白いブランコ
白いは余計な情報ですよね?
こういうの詩的っていうんですか?
って、ううきまさみが愚痴ってたけど、
レイバーを空飛ばすのも、十分詩的だと思うけどなあ。
あ、あれ? 犬だ! 犬がいるぞ!
そばに七味を山ほど入れるぞ! キモい!
サヨナラ
って言うぞ! キモい!
映画館でゴティックメードがぶつかり合う、鉄と鉄がぶつかり合う音を収録するために二年間かけたアニメ監督ばんどまんがいるぞ!
おわかれだヨ
達者でな
お前といられて
すんげえ幸せだったぜ
繁代……
って言うぞ! キモい!
あ、あれ? ここに10万人の宮崎勤がいます! って言ってないことを証明した漫画家がいるぞ!
この人のことは本当に好きなので揶揄いません。
それじゃあ、みんなも、80年代、90年代のアニメや漫画の関係者をこのテンプレートで弄ってね!
長谷川裕一がハゲに「お赤飯がまだの女性にそういうことするのはよくないですよ」って説教されたエピソードとかを盛り込むのがコツだよ!!!!!
いわゆる2ちゃんねるネタであり「あそこに書かれていることなんて気にしなくていいと思うぞ」で終わってしまう話を、あえて書いてみる。
就学前の幼少時から始められる楽器の代表例は、なんといってもピアノとヴァイオリンだろう。
そんなだから、当然2ちゃんねるにもヴァイオリンのスレはあるのだが、ピアノと違ってこのスレはほぼ十年来、ギスギスした空気で現在に至っているのだ。
理由は、幼少時から始めた人=アーリー組と、高校・大学・社会人くらいから始めた人=レイト組の対立にある。
結果、本スレから分家した、レイト向けスレの1に貼られるテンプレからして、その上から目線ぶりが尋常ではない。
以下の論争はすでに終結しています。
●耳の腐ったレイトに良し悪しは解らんだろう。
●ヴァイオリンはピタゴラス音律で弾く。レイトは基本的にヴィブラートを掛けてはならない。
●幼少期から習っている人に大人から始めて追いつけるワケがない。言語と同じ。
●チューナーは、調弦では仕方がない、運弓で使える、音階練習には使えない。
(中略)
汚い音、狂った音程に対する嫌悪感が、上達のインセンティブで、
これはもう、明らかに「にわかを見下す熟練者」「アーリー組自身が囚われている生存者バイアス」が合わさった結果であり、こういう対立がないピアノ組が正直羨ましい。
自分も一応はアーリー組の末席という立ち位置だが、どう見てもアーリー組のスタンスの問題だと思うのだ。
以下、そんなアーリーの特徴を、ヴァイオリンの特性も絡めて書いてみる。
主にピアノと比較したヴァイオリンの特性をシニカルに書くと、こんな感じである。
ヴァイオリンをとても良く弾ける人間がひとたび音を出せば、それはもう堂々の主役として、当たり前のようにステージを支配する点において「楽器の女王」であることは間違いない。
しかし楽器のポテンシャルや柔軟性から言えば、「楽器の王様」はピアノだろう。
そんなヴァイオリンは、親の時間的金銭的負担が大きい時点で幼少時からの学習者がピアノほど多くないところに、演奏技法習得の難しさ(≒誰もが知っている名曲を弾けるまでに至るための要求水準の高さ)から、恐らく多くの脱落者を生んでいることが容易に想像できるシロモノである。
それこそ面倒どころか、個人的には世界一難しい楽器としてギネス認定すべきだと思うくらいで、ヴァイオリン弾きの生存者バイアスが強いと思う理由である。
全5曲のうち、重要なのは3番以降の3曲で、これはプロオケの入団試験にも頻出する曲であり、つまりヴァイオリンでクラシックをやるなら、3曲のうちのいずれかをプロ・アマ問わず習得していることが望ましい曲である。
というかメンデルスゾーンの協奏曲やバッハのシャコンヌやチゴイネルワイゼンみたいな名曲を弾こうと思ったら、モーツァルトをまともに弾けるのは大前提だし。
そんなこともあり、実際プロ目指す人は小学生でモーツァルトをやってしまう。
しかしアマチュアになると、幼少時から習っていてもここまで来る人は1割程度だと言われている。
そして、そんなごく一部の人=アーリー組が、大人になってもヴァイオリンを続けていると、こういうわけだ。
しかし、アーリーにそんな自覚は多分ないはずで、それどころか超頑張って俺はここまで来た的な自負があり、これがレイトとの軋轢の根本原因だろう。
つまり、幼少時から始めた人が超上手くなって続けるか、そうならずにヴァイオリンを習っていたことそのものを無かったことにするかという両極端な事情をどうにかしないと、今後もこの憂慮すべき事態は続くと思われる。
口下手で、全然楽になるどころか、「何言ってるか分からん」と言われて余計に凹んでいた。
人に話しをする効用というのは、おそらく私の考えでは。
と言うこと以外には。
ということのようだ。
多分、自分も思ってもみなかったことを口走るというか、押さえ込んでいた感情に言葉に与えることで、自分の感情に気がつける、ということは、話さないと分からないことだったりする。
過去2年ぐらいまでは、なんか、無駄口を叩かない方が、大人だと考えていた。
あるいは、他者と話しているうちに、「私の話の進め方のまずさ」を指摘されることが、不安で、口が重たかった。
実際に指摘されたりしたし。
(増田で、こんなこと書くとオマエ主張してるじゃんみたいなツッコミがきたことならある。)
どうにもならなくなって、騙されたと思って、カウンセリングをはじめた。
(引越しがあったりで、担当者も変わりつつも、なんとか続けている。)
だが、どうも、自分は、それでも、話すことが向いていないような気がする。
理由は、多分、自分で話した内容を自分でも、忘れてしまうことがあるのだ。
緊張しているのかな。
話とは関係がないが、いわゆる音痴の人ーー自分もそうだがーー、「耳で聞く音」と「自分の声」とのギャップに気がつけない。
なので、充分に知覚することが出来ないために記憶に残らないために、経験が積み重なっていない感覚なのだ。
(一方で、約束できないことは話したくないしという、厳しさもあったりする)
心理的に興奮しちゃったりすると、落ち着かないしね。
ただ、今も、何かが、足りない。
なんだろうか。
ある日の風呂あがり、浴室の引き出しを開けるといつもは分けて重ねられていたパンツとTシャツが、1つずつ交互に縦にして並べられていた。
わかりづらいかもしれないが、パンツがP、TシャツがTだとすると、PTPTPTPTPTPTPTといった感じに上から見て並んでいたのだ。
それぞれ畳んで立てられているので、本棚に本が並んでいるような感じといえばわかりやすいかもしれない。
すると、当たり前だがそこに残っているパンツとシャツは、PTPTPTPTPTPTという規則性を崩さずに並んでいることがわかった。
Tシャツは丸首とVネックがあるが、特に選んで着ることはない。
ただ、パンツだけはその日の天候や運動量によって少し選びたいときがある。
以前のように重なっているときは探すのが面倒だったが、今は上から眺めればわかるから便利だ。
着替えを済ませてから嫁さんに聞いてみた。
「あの収納面白いね。一度にシャツとパンツが同時に取れるし、パンツ探してる時に便利だよ」
すると、
「そうなの。洗い終わったのは右から足していくから、基本的には左から取って行ってね」と返答があった。
「わかったよー」と返したものの、腑に落ちない点もあったので少し仕組みを考えてみた。
PTPTPTPTPTPTPTの中から、PTを取ろうがTPを取ろうが連続さえしていれば残りは必ずPTPTPTPTPTPTになる。
しかも、その後に追加するときも、端とかぶらないように並べればPTPTPTPTPTPTPTの規則性が崩れることはない。
さらに右から追加するというルールさえ決まっていれば、左に近いものを使っていれば使用頻度の偏りも起こりづらくなる。
重ねて収納していたときはいちいち全部を引っ張りだしてから古いものを下から重ねていたが、これなら片側から追加していくだけだから片付けも楽だ。
さらに考えてみると、例えばこれが3種類以上のものであっても規則正しく連続さえしていれば、その途中ランダムに連続するn個を抜き出したとしても残りの規則性が失われないことがわかった。
なんだこりゃ。まるで数列の授業のようではないか。
どうしてそんな発見ができたのか不思議になって聞いてみることにした。
すると返事はこうだ。
「いつも買ってるインスタント味噌汁の袋の中がこんな感じに味噌と具が交互に並んでて、どこをとっても味噌と具になるからすごい!って思ってたんだ」ということらしい。
そういえば我が家の朝食の味噌汁はいつもインスタントだ。味噌汁くらい作ればいいのにと思っていたがこれはなかなかに思わぬ恩恵である。
そう思って戸棚を開けてみると、早速お茶碗とお椀が交互に重ねられていた。
嫁さんが言うのには、今度はホワイトシチュー、ビーフシチュー、カレーと、白米、バターライス、バゲットとで、交互に1人前ずつパックして冷凍庫にしまい込もうとしているらしい。
それならまとめて作っておけるし、気分が定まらない時にちょっとしたガチャ感覚を楽しめそうだ。
考えればさらなる応用ができそうだ。今後の展開に期待したい。
http://www.wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10-colony.html
がホッテントリに入った。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10-colony.html
そのあと、はてブでは、これについて批判する意見が多い。「朝鮮は植民地だったぞ」というふうに。
しかしこれらの意見は、デマだ。(デマというのは言いすぎかもしれないが、間違った偏った意見であるとは言える。以下で説明する。)
元記事では
私たちが話を聞いた総督府の元官僚の多くは、自らが悪いことをしたとは考えておらず、むしろ朝鮮のためを思って一生懸命に尽くしたと考えていた。
という話があった。はてブの多くの意見は、この話を批判しているが、これはおかしい。実際、彼ら元官僚は「朝鮮のためを思って一生懸命に尽くした」というつもりだったはずだ。
そのことは、朝鮮の歴史を見ればわかる。それまでの封建的な社会で弾圧されていた一般市民が、日本の支配下に入ることによって、近代化された。そのことで、朝鮮人は非常に幸福になったからだ。
http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html
もちろん、日本は朝鮮からいくらか収奪した。しかしそれは、収奪だけという方針ではなく、共存共栄の要素を含む収奪だった。その意味で、欧米諸国がアフリカにおいてなしたこととはまったく異なる。
特に重要なのは、欧米に植民地化されなかったのはアジア・アフリカで日本だけだったということだ。それゆえ日本は戦前において先進国となれた。他の国は植民地化されたまま先進国になれなかった。
http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/45942286.html
日本が朝鮮になした植民地化に最もよく似ているのは、米国の対日占領政策だ。ここでは、従来の封建的な社会を打破して、民主的な社会を建設し、日本を真の意味で近代化した。その恩恵を今の日本も受けている。もし日本が米国に占領されなかったら、日本はいまだに軍事政権が続いていたかもしれないのだ。スペインのフランコ政権や、韓国の朴政権みたいな、軍事政権が続いていたかもしれないのだ。
日本は米国に占領されて(主権を失って植民地化されて)、それまでの旧弊な制度を打破してもらったことで、かえって幸福になった。これと同じようなことが朝鮮においても生じた、と考えていい。
そのことは、植民地化されずに独立している北朝鮮が、どれほど不幸であるかを知れば、わかるだろう。日本の占領下の朝鮮の方が、はるかに幸福な社会だったのだ。もう一度、次のページの写真を見てほしい。
http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html
1936年ごろのソウルがいかに発展していたことか。これは日本の占領の前の土人状態の朝鮮とは、大きく異なっていた。
参考文書
http://ameblo.jp/sankeiouen/entry-11331270061.html
ついでに一言。
アフリカの人々は、欧米に収奪されて、社会・部族を滅茶苦茶に分断されたことに、今でも恨みをもっている。アフリカが今でもひどい混迷にあるのは、欧米の植民地化政策のせいだ。一方、日本の占領下にあったアジア諸国は、欧米の植民地状態だったことから脱して、独立して、発展した。
仮に、日本がアフリカを植民地化していたら、アフリカ諸国は、今ごろは今のアジアのように発展していただろう。しかし、現実には、そうはならなかった。アフリカ諸国が独立したのは、1960年代になってからだった。
しかもその独立は、民主化よりも、独裁者の誕生をもたらしたことが多かった。それが今日のアフリカの混迷につながる。
歴史を見れば、以上のように複雑な事情がわかる。「日本が植民地化しなければ幸福だった」というのは、ただの歴史音痴の無知であるにすぎない。歴史の現実というものは、はるかに複雑な事情にあるのだ。単純に割り切ることはできないのだ。
http://www.wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10-colony.html
がホッテントリに入った。
ここでは
私たちが話を聞いた総督府の元官僚の多くは、自らが悪いことをしたとは考えておらず、むしろ朝鮮のためを思って一生懸命に尽くしたと考えていた。
という話が批判されているが、これはおかしい。実際、彼らは「朝鮮のためを思って一生懸命に尽くした」というつもりだったはずだ。
そのことは、朝鮮の歴史を見ればわかる。それまでの封建的な社会で弾圧されていた一般市民が、日本の支配下に入ることによって、近代化された。そのことで、朝鮮人は非常に幸福になったからだ。
http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html
もちろん、日本は朝鮮からいくらか収奪した。しかしそれは、収奪だけという方針ではなく、共存共栄の要素を含む収奪だった。その意味で、欧米諸国がアフリカにおいてなしたこととはまったく異なる。
特に重要なのは、欧米に植民地化されなかったのはアジア・アフリカで日本だけだったということだ。それゆえ日本は戦前において先進国となれた。他の国は植民地化されたまま先進国になれなかった。
http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/45942286.html
日本が朝鮮になした植民地化に最もよく似ているのは、米国の対日占領政策だ。ここでは、従来の封建的な社会を打破して、民主的な社会を建設し、日本を真の意味で近代化した。その恩恵を今の日本も受けている。もし日本が米国に占領されなかったら、日本はいまだに軍事政権が続いていたかもしれないのだ。スペインのフランコ政権や、韓国の朴政権みたいな、軍事政権が続いていたかもしれないのだ。
日本は米国に占領されて(主権を失って植民地化されて)、それまでの旧弊な制度を打破してもらったことで、かえって幸福になった。これと同じようなことが朝鮮においても生じた、と考えていい。
そのことは、植民地化されずに独立している北朝鮮が、どれほど不幸であるかを知れば、わかるだろう。日本の占領下の朝鮮の方が、はるかに幸福な社会だったのだ。もう一度、次のページの写真を見てほしい。
http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html
1936年ごろのソウルがいかに発展していたことか。これは日本の占領の前の土人状態の朝鮮とは、大きく異なっていた。
参考文書
http://ameblo.jp/sankeiouen/entry-11331270061.html
ついでに一言。
アフリカの人々は、欧米に収奪されて、社会・部族を滅茶苦茶に分断されたことに、今でも恨みをもっている。アフリカが今でもひどい混迷にあるのは、欧米の植民地化政策のせいだ。一方、日本の占領下にあったアジア諸国は、欧米の植民地状態だったことから脱して、独立して、発展した。
仮に、日本がアフリカを植民地化していたら、アフリカ諸国は、今ごろは今のアジアのように発展していただろう。しかし、現実には、そうはならなかった。アフリカ諸国が独立したのは、1960年代になってからだった。
しかもその独立は、民主化よりも、独裁者の誕生をもたらしたことが多かった。それが今日のアフリカの混迷につながる。
歴史を見れば、以上のように複雑な事情がわかる。「日本が植民地化しなければ幸福だった」というのは、ただの歴史音痴の無知であるにすぎない。歴史の現実というものは、はるかに複雑な事情にあるのだ。単純に割り切ることはできないのだ。
2037年、音痴が障害であることが社会に一般化した。音痴という言葉は差別的な表現であるとされ、音声障害者と呼称されるようになった。
また音痴の人を影で笑うことは、四肢が欠落している人、目が見えない人を嘲笑することと同じように、差別的な振る舞いとされた。
音痴を矯正するリハビリ・発声練習には保険が付き、程度の差こそあれ安価で音痴が治る時代になった。リズム音痴・音声音痴はそれぞれ音声障害A型・B型と定められ、病状に応じたリハビリが行なわれた。
コミュニケーションツールとして数十年の歴史のあるカラオケ業界は、岐路に立たされることになった。
カラオケに行けば必ずや数人の音痴が現れる。音痴が障害になったことでカラオケから人が遠のいた。
カラオケ業界は対応策として、高性能のキー同調機能をカラオケに付与した。
カラオケで発せられるべき正しい音声に、自然と矯正して音が響くようにしたのだ。
この技術はそもそもテレビ業界が、歌の決してうまくないアイドルや歌手に対して施していた技術だ。
これがカラオケでも流用され、一般人も正しい音声で歌が聞こえるようになった。
この善後策によりカラオケボックスには一瞬だけ人が入ったが、すぐにまた誰もカラオケに行かなくなった。
誰が何を歌おうと同じだからだ。
こうして、旧石器時代から続いていた営みである歌舞の文化、歌って踊って楽しむ文化は打ち捨てられた。
2106年の現在、音声障害法の制定が、カラオケ文化の衰退を生んだとされているが、これは語ってきたとおり正確ではない。
安倍首相の国会答弁から、安倍首相は はてなー であることがわかる。
http://www.sankei.com/politics/news/160229/plt1602290017-n1.html
首相はこのように述べた。しかし、元の記事では、最後に身元を示す追記が記されていた。つまり、ツイッターのアカウントだ。これだ。
https://twitter.com/hoikuenochita
これを見れば、「実際起こっているか確認しようがない」ということはなく、ツイッターのアカウントに連絡して、確認することができるとわかる。実際、朝日の記者は、連絡して、確認した。
http://www.asahi.com/articles/ASJ3355J2J33UTIL01N.html
ツイッターのアカウントが追記されたことは、最近になって増田記事を読んだ人ならば、すぐにわかる。それがわからないとしたら、追記されたことを知らない人、つまり、最初から増田記事を読んだ人だ、ということになる。
これはつまり、安倍首相が最初から増田記事を読んでいたのだ、ということだ。つまり、安倍首相は はてなーだ、ということだ。
※
別の可能性は、こうだ。
「安倍首相は、増田の記事を読んでも、最後にツイッターのアカウントがあることに気づかなかった」
もしそうだとしたら、リンクというものの存在を理解できないほど、極端なIT音痴だということになる。しかしまさか、そこまで愚かではあるまい。官僚のチェックも受けていたはずだし。リンクを知らないほどの無知であるはずがない。1世紀前から来たわけじゃあるまいし。
SMAPというのは、日本のいわゆる「失われた20年」を駆け抜けたアイドルなのだろうと思う。
今、あらためてWikipediaを見てみたら、前身である「スケートボーイズ」の結成が1988年、
バラエティーも全力でこなす新しいタイプのアイドルとしての存在のスタートとなったテレビ番組
『夢がMORIMORI』のレギュラーとなったのが1991年
そして、『SMAP×SMAP』が始まったのが1996年だそうだ。
以降、森くんの脱退という事件をはさみながらも、日本の芸能界のトップを、彼らが懸命に走ってきたことは、誰もが知っている。
ちなみに、日経平均株価が、38,957円という今では信じられない高値を付けたのが1989年の年末。
その後、バブルが崩壊して、山一證券が自主廃業を決定して、社長が記者会見で号泣して世間に衝撃を与えたのは1997年のことである。
まさに、SMAPのメンバーが光GENJIのバックダンサーなどの下積みを経て、人気を獲得しだすまでの時期に重なる。
まだまだ「一生懸命勉強して、いい大学に入って、いい会社に就職すれば、一生安定した生活が送れる」という、
高度成長期の神話(当時は、あながち神話でもなかった)を信じ込まされて大学まで進んだものの、
やっと就職した会社では、自分の目上に掃いて捨てるほどいるバブル世代の下で、
後輩もろくにできず、ブラックな働き方を長年続けさせられたり、
就職活動がうまくいかずに非正規社員になったり、ニートになったりという人が、相当数いるはずである。
そして、そんな彼らの中に、SMAPに憧れたり、勇気づけられたり、
やけっぱちになってSMAPの歌をカラオケボックスでがなったりしていた人も多くいるはずだ。
SMAP自身も、アイドルをめぐる環境変化の中で、当初はなかなか売れる見通しが立たず、苦労を強いられたという。
それが「バブル崩壊」と関係あるのかどうかはよくわからないが、ともかく、彼らは有能な女性マネージャーの下で、
歌唱力も演技力もダンスも、彼らより優れた人たちはいるのだろうが、
どんなに「スカしている」「いきっている」といわれようとも、かつてのキムタクは「カッコいい」の代名詞として人気は別格だったし、
「音痴」という、本来歌手としてあるまじきレッテルを張られながらも、その人柄と気配りで中居くんは日本屈指のMCタレントになっていったし、
闇を抱えながらも明るさを振りまく慎吾ちゃんの姿とか、
あくまで飄々と、ときにユースケサンタマリアと、女性の胸が見える見えないではしゃいでたりする草薙くんとか、
決して仲良しではないのだろうけれど、互いを尊重しながら「プロのアイドル」として彼らは日本の芸能界に君臨してきた。
そんな彼らが、「同族企業の経営一族」と「自分たちを育ててくれたたたき上げの取締役」の対立が原因で、
分裂させられそうなのだという。
これは、とてつもなく哀しい。
あんなに「スーパースター」な彼らも、所詮は権力を持っている年寄りたちの都合で動かされる「労働者」にすぎないなんて。
昨年からSMAPが「のど自慢」に出場して、東京から5~6時間かかる被災地の街を訪問したり、
年末には、中居くんが『笑ってはいけない』に出てきて、お笑いタレントとキスシーンを披露するなど、体をはった仕事をしたり、
年明けには『すべらない話』で、中居くんが事務所社長の誕生日のエピソード
(それも、事務所内での近藤真彦の優遇ぶりと、中居くんの立ち位置を彷彿とさせる話)を披露したり、
なんか、SMAPが仕事の幅を広げてきているなあ、とは思っていた。
それが、事務所独立を見据えた必死の行動だったと思うとまた、なんとも切ない。
現在の事務所に頼らず生きていくためには、そりゃNHKや吉本興業との関係は深くしておくに越したことはない。
とくに、中居くんの「肝の座りっぷり」と「体の張りっぷり」は、「SMAPの居場所を俺がつくる」という覚悟の上ではないだろうか。
一部報道によれば、キムタクが現在の事務所に残留を決めた理由の一端に
奥さんの懇願もあったともいう。
メンバーで唯一、家族を抱える彼にとっては、「安定した現在の会社に残ってほしい」という奥さんの願いは無視はできないだろう。
これも「労働者」っぽくって、哀しい。
バブル後に社会に出た人の多くは、バブル以前の社会が残した諸々の「負の遺産」を清算するために、
苦労を強いられてきたうえに、あまり感謝されることもなく、年寄りたちの「わがまま」に振り回されているのではないかと個人的に思っている。
少子化はあんたらが結婚して子供創らないせいだとかいわれても知るかよ。
SMAPもそうだ、とは言うつもりはないんだけれど、でも、なんか、やはりどこか重なっているように見えて仕方がないのだ。
さらに突飛なことをいえば、ちょっとだけ、例の「新国立競技場」をめぐる騒動を思い出す。
偉くて権力を持った人たちが決めてしまったことが、たとえ非合理だったとしても、もう覆すことなんかできないのが、
この国の常識だった。
幸いにして、あの膨大な予算を食いつぶす「ザハ案」とやらは変更が決まって、
多少なりとも「世論」が、「権力者が決めたこと」を覆せたのはよかったけれど、
あの、「権力を都合のいいように使う年寄り」の象徴たるオリンピック組織委員会のトップ(記すのも忌々しいので、ここのは名前は出さない)は
いまだトップであり続けている。
それが、多分、今のこの国の限界だ。
はたしてSMAP、どうなるんでしょうね?
なんとか存続してほしいなあ。
自分は、そこそこテレビ好きでお笑い好きだけど、SMAPに今まで特別な思い入れがあったわけではない。
カラオケで代表曲のほとんどは歌えるけれど、CDを買ったこともない。
でも、SMAP存続の役に立つんなら、『世界に一つだけの花』のCD一枚くらいなら買ってもいいかなと、今回、思ってしまった。
まあ、役に立たないと思うから、買わないけれど。
「事務所内部の問題に口に出す立場にはないが、フジテレビとしては、『SMAP×SMAP』は長年、視聴者に愛されてきた番組であり、
今後も放映が続けられるよう関係各所には努力してほしいとは思っている」くらいのことを会見で発言したらどうだろ?
現在ネット上では四面楚歌にあるフジテレビの好感度も、多少は上がるんじゃないかと思うし、
結局は業界にいる人たちが動かないと、事態は良い方向には動かないのだろう。
「お願い~シンデレラ~」のCMを聞くと、うまくはないけど、音はほとんど取れてると思う。
「夢は夢で終われない」の「ない」の部分はおざなりな音程の取り方だと思うけど、一般人も音を外しやすい部分だと思う。
自分には絶対音感はないので確実な事は言えないけど、中居正広は音程を取れない音痴ではないと思う。ただ、声質が悪い。
追記
「ゆめはゆめで」の一回目の「ゆ」と「おわれない」の「れ」とは完全に外れてると思う。他の音もぼやけてるけど、やっぱりそこまで外れてないと思う。
正しい音は出てるけど継続時間が短くて、邪魔な他の音が前後にある感じ。
やっぱり言うほど音程を取れないわけじゃないと思う。
あと、上手いとは言ってない。
このアルバムはすごい名盤だってものすごく語りたいです。音楽にうるさい方々にも積極的に聴いていただきたいなと思う次第です。
でも、こういうのをあまりべた褒めするのって結構怖いですね。音楽の好みは人それぞれですし。
自分が最高!って思ってても世間的には全くそんなことないなんてことは本当によくあります。妙に褒めると反発をくらいかねないです。
実際、音楽雑誌とかの「2015年ベストアルバム特集」をぱらぱら読んでみても全然話題に出てなかったので。まあそんなもんです。自分の視野が狭いだけです。
とはいえ、それなりに注目されて評価されてるのかなってのはなんとなく勝手に思っていたので、年間ベストに入ってなくてちょっとがっかりしました。
だから自分で語ろうかな、と思い至るわけですが、やっぱり、ハマってしまったあまりに冷静さを失った文章になる気がするので、書いて叩かれるのが少し怖いところはあります。
花澤香菜とは、声優です。人気若手女性声優です。名前くらいは聞いたことがある人が多いと思いますし、検索したほうが理解は早いです。
声優の中ではアニメの出演数がトップクラスに多いです。1年間に何十本も出ていたりします。最近は少し落ち着いてきましたけどね。
特徴は、ウィスパーボイスというか、天使のようにかわいらしい声ですね。ヒロインボイスです。個人的には少し荒げた演技も好きですが。
声に含まれる倍音成分がものすごく豊富らしいです。科学的に実証されてるらしいです。
声優なので、当然ソロで歌手デビューする前からキャラソンとか歌っていました。化物語の「恋愛サーキュレーション」という曲がレジェンド級に有名です。
あと、セキレイという作品のライブで歌った時の歌い方がネタにされてて、わりと音痴っぽい扱いを受けてました。
そして、2012年に満を持してソロ歌手デビューをするわけですが、みんな歌の方は割と心配してました。
私も深夜アニメはよく見ていて花澤香菜さんのことは当然知っていましたが、当時は特別好きというわけでもありませんでした。
しかし、プロデュースするのがROUND TABLEの北川勝利だというニュースを聞いてにわかに興味が湧いたのを覚えています。
ROUND TABLE、及びfeaturing Ninoは好きで聴いていましたし、声質との相性も良さそうだということで、けっこう期待していました。
その後2013年に1stアルバム「claire」がリリースされたのですが、確かに名盤でした。
北川さんをはじめ、中塚武、神前暁、カジヒデキ、宮川弾、矢野博康、沖井礼二などなど、渋谷系の流れを汲むポップス好きにとってはたまらない作家陣で、花澤さんにぴったりの歌を作ってくれました。
花澤さんも声優らしく表現力豊かに歌いこなしていて素晴らしかった。「マダダーレモー」とはなんだったのか。たぶん自分の歌い方ってのを少しずつわかっていったんでしょうね。
1年後の2014年には25歳の誕生日を迎えることにちなんで25曲入りのアルバム「25」をリリースしました。ものすごいハイペースです。
この2ndアルバムでは岩里祐穂さんを作詞に迎え、花澤さんと意見を交わしつつパーソナルな部分を反映させた曲作りをしています。
そのうえで、25曲という多さを生かして幅広いジャンルの曲に挑戦していきました。
そんなこんなで、アニメやらレコーディングやらライブやらで多忙を極めた後に迎えたソロ活動3rdシーズンの集大成が「Blue avenue」になるわけです。
Blue Avenueがリリースされるまでに、3つの先行シングルが発売されました。
しかし、この3曲を聴いて「このアルバムってこんな感じか」と思ってはいけません。
むしろ、この3曲がアルバムの中で最もコンセプトから外れている曲といっても過言ではないでしょう。
では、このアルバムはどんなコンセプトで制作されたのでしょうか?
「Blue Avenue」のコンセプトは一言でいえば「ニューヨーク」です。
テーマがニューヨークになった経緯はインタビューで話されています。
──今作のテーマは「ニューヨーク」とのことですが、なぜこのテーマを?
ニューヨークはわりと後付けなんです。アコースティックライブの「かなまつり」みたいな少人数でのライブを何度か経験して、少ない音と声で作り上げる空気感っていいなと思っていて。
3rdアルバムの方向性を考えているときに、「あの自由に音楽を楽しむ感じを生かすなら、ジャズをやってみるのもいいんじゃない?」って意見が上がったんです。
その中でニューヨークというキーワードが浮かび上がって。ジャズの街でもあるし、ほかの新しい音楽に挑戦するのにも「ニューヨーク」をテーマにすれば統一感のある作品になるんじゃない?って。
ジャズ、AOR、フュージョン、レゲエなど、これまでのアルバムと比べると「大人」な雰囲気を持った曲が多めのアルバムになっています。
そして、ニューヨークといっても70~80年代くらいのニューヨークのイメージという感じがします。
それはSwing Out Sisterが参加してるのもあるかもしれませんね。
詳しい方ならば、楽曲のクレジットを見ればこのアルバムがどういったアルバムなのかがわかるかもしれませんね。
ということで曲目・スタッフリストを載せたいのですが、長いので記事の末尾に載せました。
こういうのをあまり主張するのもどうかと思うんですが、参加しているミュージシャンが豪華です。
クレジットを見ていただければわかるように、今までのアルバムでおなじみの作家陣に加え、シングル曲ではSTUDIO APARTMENTややくしまるえつこがサウンドプロデュースをしたり、2つのニューヨークレコーディング曲においてウィル・リーやスティーヴ・ジョーダンなどの海外のスタジオミュージシャンの参加、80年代から活躍するイギリスのユニット・スウィングアウトシスター提供曲など、一流の人たちがたくさん参加しています。
まあ、極端な話、名前は知らなくてもいいと思うんですけどね。聴けばわかりますから。「I ♥ NEY DAY!」「Nobody Knows」での軽快なドラムが気持ち良いなあとか、「Dream A Dream」の洋楽っぽい感じがすごい良いとか。ここでいう洋楽っぽいってのは英語圏の歌っぽいなあっていう意味ですね。洋楽の日本語カバーみたいな雰囲気がありますね。それもまた味。そして、セリフのパートがあって、もしかして本業が声優であることを意識して作ってくれたのかなとか想像してみたり。
おなじみの作家陣もすごい良い仕事をしてくれています。というかキレキレです。特に矢野博康作曲「We Are So in Love」が光ってますね。4つ打ちのフュージョンで、イントロからもうたまらないです。シンバルズの頃から思っていたんですが、矢野さんは王道のポップソングもいいんですけど少し趣味に走った感じの曲を書くと時々とんでもない名曲を生み出しますね。
一つだけ主張しておきたいのは、みんな決して無駄遣いではないということですね。すべてが良い方向に結びついています。
「ニューヨーク」というコンセプトがあって非常に統一感があるのが素晴らしいです。
最初に「シングル曲がコンセプトから外れている=ニューヨークっぽくない」と言っておいてなんなんだ、と思われるかもしれませんが、このアルバムの面白いところは3つのシングル曲が違和感なく自然に収まっているところなんですね。
バラードの「君がいなくちゃだめなんだ」が終盤に入ることでアルバムがよりドラマチックになっています。そこから最後の曲「Blue Avenueを探して」に続くのがもう最高ですね。西寺郷太さんの歌詞がいいんですよ。
クラブミュージックの「ほほ笑みモード」ややくしまるえつこさんの個性が色濃く出ている「こきゅうとす」も、意外なくらい自然に入ってるんですよね。それは曲順が考えられているのもあるんですが、「ほほ笑みモード」がアルバム用ミックスになっていたりなど、音づくりにこだわっているからというのもあるのでしょう。後述しますが、このアルバムは音が良いです。
アルバムとして非常によくまとまっていて、通して聴いた後の余韻が良い感じです。
NYで録音した2曲は際立って音が良いんですけど、それに劣らず全体的に非常に高いクオリティの音づくりがされています。花澤さんのアルバムは1stの頃から一貫してソニーの茅根裕司氏がマスタリングエンジニアを務めていて、常にクオリティが高かったんですが、今回は最高の出来栄えなのではないでしょうか。オーディオに詳しいわけではないので断言はできないですけど。
シングル曲が違和感なく収まっているのもマスタリングによるところが大きいのでしょうか。詳しくはわかりませんが、ぜひ良いヘッドホンでじっくり聴いてほしいと思えるくらい良い音です。
ニューヨークっぽいということでAORとかフュージョンを取り入れた、と聞いても正直ピンとこない人が多いんじゃないかと思います。AORってどんな音楽かを説明できる人って実はそんなに多くないのではないかと。結構マニアックなところを突いてきてると思います(そんなことないよ、常識だよとお思いの方もいるでしょうが)。
でも、そういうジャンルとか全く分からなくても「良いな」と思えるようなアルバムになっているのではないかと思うのです。それは曲自体がそう作られているというのもあるかもしれないんですけど、やはり花澤香菜が歌うということでポップスとして完成されるというか、そこに花澤さんの歌のすごさがあるのではないかと思っています。
3rdアルバムを出すまでの3年間で60曲以上のオリジナル楽曲を歌い、ライブも精力的にこなしてきたからこそその次元に達しているというか、こういう曲を楽しみながらポップスとして歌える筋力がついたのではないかなと思うのです。それこそ「25」あたりの頃の怒涛のスケジュールが千本ノックのように効いてるのかもしれないですね。
1stの頃は作家の作る曲を最大限に活かすために歌うという感じ、それこそ声優としてディレクションに応えるような感じで歌っていたように思うのですが、「Blue Avenue」ではコンセプトの発端が花澤さんの意見であることからも、ちゃんと歌手になってきてるのだなと感じます。
当然ですが、豪華なメンツに霞むこともなく、曲に負けているだとか歌わされてるだとかいう印象を全く受けません。むしろ北川さんも他の作家さんも花澤さんをプロデュースすることで新しい扉を開けているような感じさえします。インスピレーションを与える「ミューズ」なのかもしれませんね。
私が花澤さんのアルバムの中で際立ってこれを好きなのは、花澤さんと作家陣が一緒になって制作している感じを受けるからなのかもしれません。化学反応が起きているのをひしひしと感じます。
また、花澤さんは1stの頃から自作詞曲を歌っているのですが、今回も2曲作詞していて、ちょっと詞もこなれてきたというか、アーティストとしての一面が出てきたような感じがします。
「タップダンスの音が聴こえてきたら」では音楽に身を委ねることの喜びをシンプルに書いていて、歌を楽しめている感じが伝わってきます。
タップダンスの音が 聴こえてきたら
軽やかなそのリズムに 身をまかせて踊るの
今はいらない ふみならそう 夢中になるだけさ
一方、「プール」では暗い部分を歌っている感じで、こういうのがあるとなんというか、深みが増しますよね。
花澤さんは詞を書くと少し重たい感じになってしまうみたいで、それもまた個性というか、人気声優としてバリバリ活躍している彼女の影の部分が垣間見れるようで、イイですよね。
どうやって喋ってたかな
ねえ どうやって眠ってたかな
どうやって歩いてたかな
ねえ どうやって 笑ってたのかな
わからない 思い出せないの
もしかしたらここまで惚れ込んでいる理由はライブを見たからなのかもしれません。花澤香菜の歌の魅力の真骨頂はライブにあるのかもしれません。
武道館公演の映像を収録した「Live Avenue Kana Hanazawa in Budokan」というBDが発売されているのですが、アコースティックライブの映像も収録されていまして、他にも素晴らしい映像特典もありまして、とても素晴らしい商品です。
花澤さんの歌って生演奏にすごく合うんですよね。地上波で「こきゅうとす」を披露したこともあるんですけど、それとは全然違いますね。ライブの「こきゅうとす」すごく良いです。
武道館ライブではバックバンドの通称「ディスティネーションズ」にホーンも加わって、とても豪華なものになっています。
一番の見どころはジェームス・ブラウンの「Get Up (Sex Machine)」(ゲロッパ)に合わせて花澤さんが好きなパンの名前を叫ぶというパフォーマンス(メロンパン!メロメロ!)。冷静に考えるとすごくくだらないシャレなんですが、演奏がガチであることと、みんなすごく楽しげな様子が印象的で、とても幸せな空間が出来上がってるなあと感じました。
あと、花澤さんのパフォーマンスがいちいちかわいらしいんですよね。「Merry Go Round」の振り付けとか。
そして、アコースティックライブが素晴らしいんです。花澤さんの生歌ってこんなに良いものなのか、とため息が出ますよ。本当に、歌がヘタであるような扱いをされていたのが嘘みたいです。声量は確かにそんなにないのですが、歌の細かい表情付けがたまらなく上手いです。ピアノとギターだけの少ない音だと余計に際立ちますね。
誰にと言われれば万人に、と言いたくもなるんですけども。
最近、星野源やらceroやらで、ブラックミュージックとかシティポップとかそういう言葉がよく聞かれるようになったんですけど、このアルバムもそれと同じ文脈で語ることができるのではと思います。
「シティポップ」ってもはや言葉が独り歩きしだしてよく分からない感じなんですけど、街のことを歌うのがシティポップだとするなら「Blue Avenue」も十分当てはまりますよね。
また、北川勝利さんをはじめとした作家陣は、最近再評価の流れがある気がする「渋谷系」や、最近流行り気味の新しい「シティポップ」の世代の狭間にいる人たちなんですよね。どちらも独り歩きしてあやふやな状態にある言葉ですけど。
良質な音楽を作ってきながらも長らく日の目を見なかった人たちがこうやって素晴らしいものを作り上げてくれている、というのも感慨深いものはありますね。
そして、70~80年代のニューヨークイメージってことで、けっこうオッサン向けなのかもしれません。……年間ベストに入らなかったのは革新性がないと思われたからなのかも。私は花澤香菜さんが歌うだけで十分新しいと思うんですけど。
というわけで、以上、Blue Avenueについてでした。
花澤香菜「Blue Avenue」インタビュー - 音楽ナタリー Power Push
http://natalie.mu/music/news/111594
花澤香菜×北川勝利が明かす、“極上のポップソング”の作り方「人生と音楽がより密接になってきた」|Real Sound|リアルサウンド
http://realsound.jp/2015/04/post-3000.html
作詞 : 岩里祐穂 作曲・編曲 : 北川勝利 ホーンアレンジ : 村田陽一
Bass : Will Lee
Drums : Steve Jordan
Electric Guitar : David Spinozza
Piano, Organ : Rob Mounsey
Trumpet : Jeff Kievit
Trombone : Mike Davis
Saxophone : Andy Snitzer
Conga, Tambourine : 三沢またろう
Electric Guitar : 山之内俊夫(流線形)
Wind Chime, Chorus : 北川勝利(ROUND TABLE)
Chorus : acane_madder
作詞 : 岩里祐穂 作曲・編曲 : STUDIO APARTMENT
Guitar : 堀越雄輔
Vocal Direction : 北川勝利(ROUND TABLE)
Sound produced by STUDIO APARTMENT
作詞 : 岩里祐穂 作曲 : 北川勝利 編曲 : 北園みなみ、北川勝利
Bass : Will Lee
Drums : Steve Jordan
Electric Guitar : David Spinozza
Piano, Organ : Rob Mounsey
Trumpet : Jeff Kievit
Trombone : Mike Davis
Saxophone : Andy Snitzer
Conga, Tambourine : 三沢またろう
Wuritzer, Claviniet, Analog Synthesizer : 北園みなみ
appears courtesy of Polystar Co.,Ltd.)
Wind Chime, Shaker : 北川勝利(ROUND TABLE)
Chorus : acane_madder
作詞・作曲・編曲 : 宮川弾
Programming, Clarinet, Saxophone, Chorus : 宮川弾
Guitar : 後藤秀人
Chorus : acane_madder
作詞 : 岩里祐穂 作曲・編曲 : mito
Drums : 千住宗臣
Guitar : Saigenji Permalink | 記事への反応(0) | 15:20
話せば、分かる的なことを理解するのが、難しい。
人と人とは、助け合っているのだ、ということを理解するのが難しい。
なんか、私は、ADHDと軽度・自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)を併発しているので、
良く分からない。
それと、空想癖があるというのか、被害妄想の傾向もあるそうだ。
(今年の6月に診断をされて、4ヶ月)
自分の頭で、ある程度を理解しないと、人と話すことも、不安だ。
話しているが、常に不安を感じていた。
話せている自分も、いるし、
私「はい、良かったッス」
みたいな、会話をする。
でもねー。
また、独りで、考えていると、分からなくなる。
どうやって、考えや感じ方にGAPがある人間が、わかり合えるのか。
ブラインドと言うのかな。
(インド哲学に、ゾウ(動物)を触る6人の盲目の人の話があって、部位を触るだけでは、全体はわからない、という話がある)
みんな、それぞれに認知に個性があるのに、どうやって、わかり合うのか?
良く分からない。
もちろん、ある程度の冗談は分かるけど。
毒のあるジョーダンは、嫌いです。
人のことを、陰でコソコソ話すのも、不得意。
という感じ。
自分から心を開かないと相手も開いてくれないよ、と言われても、疲れるのです...。
話すよりも、書くことがマシなので、こうやって、たまに増田で、書いていますが。
不器用だから、無闇やたらと、意味のないトレーニングで、自分を傷つけたくない。
「オマエ、変わってる」と言われた経験が、辛くて本音を話しづらいし。
自分から、自分の気持ちを明らかに相手に示して行くと言うことは、私にはエネルギーを大きく消耗することなのです。
としか、いいようが、ない。
「増田さん、『ただただ話を聞いてもらう」と言う経験が少なかったのだろうねぇ」と、
今までは、何十年と生きていて、人に悩みを打ち明けて、気が楽になれるほどの表現力がなかった。
会話下手だから、会話が楽しくなくて、内心ビクビクとしながら、でも、そのビクビクを顔に表さないようにして、普段は話している。
普段からびっくりが、大きくてそれを、出さないように、出さないように努めていても、「あ」ってなってしまう。
(たとえて言うと、スポーツ音痴が、スポーツを楽しめない感覚。フォームを真似しているけれど、さっぱり、上達の基準が良く分からないような感覚でも、ある)
どうすれば、いいのか。
悩んでおります...。
最近声優ラジオに目覚め、超A&G+なんかをしょっちゅう聴い(視て)ている。
トーク上級者の声優トークは楽しい。天才か?と思えるような人を何人も見つけた。
のだが聴いていいて、度々げんなりする。
血液型トークだ。
政治的な話題を取り扱わない、災害時にも元気な顔を見せてくれる、など
最低限の配慮はしているみたいなので、楽しく「ながら聴き」できるんだけど、
血液型トークはげんなりする。
いわゆるブラハラじゃん。
げんなりする。
でも、あれだ。
そういう話題を欲している人たちがターゲットなんだな、と思い、
そっとウィンドウを閉じる。
テレビを見る。
GUのCMでカワイイモデルさんが音痴にプレイバックパート2を歌っている。
不快だ。
いまどき作為無くあそこまでヘタには作れない。
CMの作り手は、その下手さ加減やら違和感やらをスパイスと思っているのだろうか。
非常に鼻につく。
GUのブランドイメージなんてそんなもんだな、そもそも俺なんてターゲットにしていないし。
そっとテレビを消す。
スマホに目を落とす。
すると広告媒体の人が、広告を見たくない人をDISるという光景を目の当たりにする。
バカの見本だなと思った。
とあるエントリーのブクマ見て俺があらゆるスポーツ観戦に興味を持てない理由がわかったわ。
俺は生まれつきのスポーツ音痴で運動の恐ろしく下手な人間の動きしか知らない。
だから投げられたボールを打つとか横から飛んできたボールをゴールへ蹴るなんて動作もちょっと運動が得意な奴なら簡単に出来るけど俺には出来ないって所で「感覚」が止まってるんだ。
だからスポーツ選手がやってるあらゆる動きが「運動神経のいい奴ならこれぐらい簡単なんだろうなー」としか思えないんだよ。
元から運動できる人は「すげーあんなの俺には絶対できねぇ!」で興奮するんだろうけど、俺は「ふーん。あんなの俺には絶対できねー……(でもこれぐらい皆は出来るんでしょ?)」と冷めちまうんだよ。
運動嫌いで運動苦手でもスポーツ好きな人もいるだろって反論もあるだろうけど、彼らはある程度スポーツを観戦してきた結果どれぐらいがプロから見ても凄いのかの感覚を掴んでるんだと思うんだよね。
そのときに興味はないけど付き合いや話題に付いて行くためにとりあえず数試合見ようかなってする。
そういう場合って大抵どこもかしこもその情報で溢れてるから素人でも何となく「この選手の動きが飛び抜けてるらしい」「ここでこうなると嬉しいらしい」ってのが教えてもらえるんだよ自然と。
だから画面のどこを見たらいいのかが分かって少しずつ「何が凄いのか」の感覚が染みこんできて普通に楽しめるようになってくるわけ。
他にも野球ゲームやサッカーゲームといった簡単な所で大まかな所を掴んだりとかのパターンもあるね。
そういった「感覚を身につける機会に恵まれている」ってのがメジャースポーツの強みなんだろうね。
でも俺ぐらい運動が下手でそのうえスポーツ系の人間にトラウマを持ってるような奴は、そこまでされてもまだスポーツ観戦を楽しめないんだけどね。
だってサッカーしてるような奴らが持て囃されてるってだけでムカつくんだもの。
まあ想像に任せるよ
感想なら、クソを素晴らしい香りと言おうが白地図に対して白い!と文句をつけようが自由だ。
だが、「進撃の巨人」と「Mad Max: Fury Road」を並べて批評するのは、適切だろうか?
クソリプ、という言葉がある。便利かつ端的だ。
例えば、最近の映画だと『ドラゴンボールZ 復活の「F」』がある。
「フリーザの進化形でゴールデンフリーザってダセえ!子供か!」と言うのはクソリプだろう。
作品の質を「進撃の巨人」と比較するなら、「スポンジ・ボブ 海のみんなが世界を救Woo!」とかのハズだ。
「フィニアスとファーブ ザ・ムービー」と「映画けいおん!」を比較してはいけないのだ。
どちらが偉いとか、どちらの方が優れていると言う意味では無く、分類が違うのだ。
同じ図鑑に載っていない。動物園なら違うコーナーに展示されているのだ。
似ていても「パシフィック・リム」と「巨神兵東京に現わる」を比較するのは違うというのは判るだろう。
同じように「Mad Max: Fury Road」と「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」の比較もナンセンスだ。
羽生善治と町内一将棋に強い八百屋の親父の打ち筋を比べるような、傲慢でかつ無意味な比較だ。
なぜ、「ローレライ」や「日本沈没」での実績がある樋口真嗣監督を、
音痴だがタップダンスの上手いペンギンがタップでペンギンの世界を救うという
愛らしくもマッドさとは無縁な「ハッピー フィート」でアカデミーまで取ったジョージ・ミラーと比べるのだ。
(ペンギンで稼いで世紀末映画撮れるって小躍りするジョージもジョージだが)
「パシフィック・リム」は、全世界でこそ400億だが、日本に限ればわずかに15億の興行収入だった。
つまり、広報宣伝にテレビが大きく絡むキャスティングや出資者の納得するシナリオ必須など、
魑魅魍魎の跋扈する邦画界において稼げる稀有な監督が、樋口真嗣なのだ。
その意味で、「みんなの感想は面白いけど批評としてはなんか違う」というのを言語化するきっかけになった
壁から出ることを拒んだ制作者たち 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN - 小覇王の徒然はてな別館が「ハンガー・ゲーム」や「メイズ・ランナー」をあげているのは、実に慧眼だと思う。
内気な女子高生とイケメン・バンパイヤが恋をする少女漫画のような「トワイライト」とか
高校生になると性格診断で中二病な名前のグループに振り分けられて争う「ダイバージェント」とか
様々な欲望をストレートに発散できなかった鬱屈を青臭さでコーティングしたようなヤングアダルト映画と比較すべきなのだ。
これを外すと、クソリプになってしまう。
大金庫の奥に女性たちを大事に保護し、同時にモノとして扱っていると端的に示すシーンや、
急な方向転換にもボスの意向を確認してから迅速に隊列を組み直すウォーボーイズや
轢くまいと同乗者を無視して咄嗟にハンドルを切るイモータン・ジョーの姿など、
アレだけ判りやすく演出しながら終始ハイテンションなマッドマックスとは違うジャンルの映画なのだ。
主要なキャスティングで、手堅くまとめている。
所属事務所の調整がエクストリームなのに、比較的演技派で固められている。
演技や配役に関しては、さほど文句は出ない(観た人が納得する)キャスティングと言える。
かつ、きちんとバラエティー出演やワイドショーで取り上げられやすい人を入れていて、広報的にも万全。
日本の映画は(洋画も邦画も)「テレビで宣伝→一斉に人が来て儲かる」という流れなので、
たまに演技の素人さんが入るのもご愛嬌なんだけど、そんなことはない手堅い布陣。
はてブは、ワリと「要旨全無視で1行だけにツッコム」という日本人(主語)の減点指向を振り返る場所だが、
「面白かったね!じゃ、ご飯食べてラブホ行こっか」みたいなカップルとか、
「カッコ良かったな!キモかったし!カラオケ行こうぜ!」みたいな高校生とか
「あのシーン泣ける~とツイートしたしファミレスにお茶行こ」みたいなグループとか、
ターゲットとなる観客たちにとって、本作は微妙なラインではある。
要らないエロがある。エロならエロ、重いシーンなら重いシーンと、きちんと分けないと観客が戸惑う。
また、主役級のキャラクターの動機がフラフラすると理解できずに置いてけぼりになる観客が多くなるので、
その意味で単純に「必要のないシーンが有る」「描きたいシーンを繋ぐシナリオが甘い」という残念な出来ではある。
矛盾するようだが、シーン優先、つまり場面やある瞬間の一連のお芝居だけを覚えて帰る観客は意外に多い。
機関銃ぶっ放して快感言っとけば客が喜ぶ時代から、人間さほど進歩してないとも言える。
特撮は流石に良い出来で、その点を見に行くのであれば問題はない。
ただし、ドラマパートは監督と脚本の思想によるものか、全体を通して複数人のレビューを受けてないお芝居に見える。
動機付け、感情の流れ、イベントと対応、演出、全てがパッチワークというよりは、ツギハギになっている。
クソリプ良くない。
例えばオーストラリアのゴア映画と、ハリウッドのマイケル・ベイ映画を比較しても意味は無い。
同じように「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」と「Mad Max: Fury Road」との比較もナンセンスだ。
キチンと適切な比較対象を持ってきた上で、クソな部分をクソだと言うのが、批評だ。
儲かる、だがしかし面白くはない。ハリウッド映画とは方向性が違う。
そういう実に邦画らしい邦画で、ちゃんと儲けて実績も残ると思う。
平成ゴジラとハリウッド2回めGODZILLAの中間みたいな。
個人的には、町山智浩が文句つけながら諫山創とヘッドギアに脚本書いてもらえば良かったと思う。もう遅いけど。
総評としては、「良いキャスティング」「演技は良い」「特撮は良い」「シナリオは悪い」「演出は悪い」。
演技が良い分、邦画の特撮映画としてはマシな方だと言える。まあ夏休みの中高生~若者向けだろう。
映画には様々な見方が存在するので、ハリウッド映画やフランス映画が優れているというわけではない。
映画館内で飲み食いして踊る社交場になっているインド事情的には、フルコーラスで踊りが入っている映画が良い映画だ。
(インドも南の方は保守的なのでそこまで騒ぐわけではないみたいだけど)
話題性をテレビで宣伝して人に来てもらって稼ぐ邦画が悪いとは言わないし、そういう方向性もあると思う。
ドニー・イェン仕込みのアクションを和風に落としこんで撮り切った谷垣健治だって、ワーナーからカネ引っ張る理由に「るろうに剣心」を使ったわけで。
好きな映画は見に行く、嫌いな映画は積極的に見に行かないを徹底しないと、いつまでたっても方向性変わらないぞ。
世の中カネ稼いだものが偉い。勝てば官軍負ければ賊軍。