口下手で、全然楽になるどころか、「何言ってるか分からん」と言われて余計に凹んでいた。
人に話しをする効用というのは、おそらく私の考えでは。
と言うこと以外には。
ということのようだ。
多分、自分も思ってもみなかったことを口走るというか、押さえ込んでいた感情に言葉に与えることで、自分の感情に気がつける、ということは、話さないと分からないことだったりする。
過去2年ぐらいまでは、なんか、無駄口を叩かない方が、大人だと考えていた。
あるいは、他者と話しているうちに、「私の話の進め方のまずさ」を指摘されることが、不安で、口が重たかった。
実際に指摘されたりしたし。
(増田で、こんなこと書くとオマエ主張してるじゃんみたいなツッコミがきたことならある。)
どうにもならなくなって、騙されたと思って、カウンセリングをはじめた。
(引越しがあったりで、担当者も変わりつつも、なんとか続けている。)
だが、どうも、自分は、それでも、話すことが向いていないような気がする。
理由は、多分、自分で話した内容を自分でも、忘れてしまうことがあるのだ。
緊張しているのかな。
話とは関係がないが、いわゆる音痴の人ーー自分もそうだがーー、「耳で聞く音」と「自分の声」とのギャップに気がつけない。
なので、充分に知覚することが出来ないために記憶に残らないために、経験が積み重なっていない感覚なのだ。
(一方で、約束できないことは話したくないしという、厳しさもあったりする)
心理的に興奮しちゃったりすると、落ち着かないしね。
ただ、今も、何かが、足りない。
なんだろうか。
愚痴を聞くという行為はそれだけで金がとれるくらい高度な行為なんだよね なんでこの世カウンセラーなんて職業やそれに関する資格があるのかって考えてみてよ カウンセラーを名乗っ...