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はてなキーワード: 軽蔑とは

2021-04-23

anond:20210423211232

マジで同じ会社なら聞く人も結構いると思うけどな。

まあ俺は軽蔑するけど。

2021-04-20

批判と呼ぶに値しないネガティブ意見はすべてゴミ野次いくらいでいい

https://anond.hatelabo.jp/20210420144859

こういうこと言い出すやつめっちゃ多いんだけどさ。

批判定義とかどうでもいいんだよ。

問題なのは批判に値する意見ってバカにはかけないということで。

バカはいくら頑張っても批判なんかかけない。

批判って、ちゃん文章を読んで理解したうえで、その問題点を指摘する必要があるから

ところがバカはまず文章ちゃんと読めない。

そして誤読した文章や、読み切れてない状態でなんか言おうとする。

その結果、だいたい的外れなことをドヤりだしてしまう。

バカ背伸びして批判をやろうとすると高確率でこうなる。

自分ネガティブなこと書いたら批判未満の不愉快なやじにしかならないっていうことをいい加減理解しろって言いたくなるわ。

批判に値しないネガティブ意見はすべてゴミ野次いくらいで全部非表示にすればいいまである

特にはてなブックマークはひどいねー。

100文字制限からってのもあるけど、まともな批判なんてほんと1割か2割でしょ。

他の奴は全部誹謗中傷扱いでいいよ。

から自分がその2割だと思わないんだったら、おとなしくまともな批判スターつけるか大喜利でもやってたほうがいいよ >はてブ利用者諸氏。



はてなブックマークサービス設計が歪みすぎてんだよね。

批判に値しないようなゴミ発言しかできない人間にとてもやさしい。

例えばRRや、qu、zyのように思想が偏りすぎている人間

文章を読んでいるとは思えないズレまくり発言をすることもある。

いつも同じようなことを言っていてしか的外れなので、リアルで同じようなことをやればぼけ老人のような扱いを受けるのが関の山だ。

そうでなくとも、他人の話をちゃん理解しようとせず、思い込み的外れなことをいう人間

まれた時から高貴な身分でもないのであれば、無視されるかゴミのように軽蔑されてしまいがちだ。

しかはてな場合党派性さえ合っていれば深く考えずにスターを押す人間が多いため、ゴミ発言の方が支持されたりする。

その結果として、まともな発言が出来ず軽蔑しかされなてこなかったような人間が居場所を見つけて居座ってしまうことになった。

そういう人間が集ってスターを付けあい、まともな人間意見を抑圧するようになると場が腐る。

まともな人間にとって不快な腐った空気蔓延させることによって単に愚痴的外れ誹謗中傷をやってるだけの人間楽園を作り上げてしまう。

そうやって長い時間をかけて今のはてなブックマーク空気醸造されてしまったってわけ。

もう運営者が直すつもりもなさそうだから完全に終わってんだよね。

いまでは他の人間コメント見なくなったから、一周回って純粋ブックマークサービスとして重宝してるわ。

2021-04-16

いやでも性風俗業は不健全じゃね?

https://news.yahoo.co.jp/articles/d2976b291c902590453596002d775f64240b3af1

この件↑

よく考えて見てよ。

例えば大事に育てた娘の18歳の誕生日会で

「やっと風俗業で働ける歳になったから私は進学しないで池袋ピンサロ嬢になる!!」って言われたら絶対反対するよね?

お!頑張れば効率的お金が稼げるしいい選択だね!なんて絶対言わないよね?

母親が実は金津園ソープ嬢だったらショックでしょ?

夜遅く帰ってきた父親最近母さんがやらせてくれないか今日勇気を出してオナクラ行ってきたよ!女子大生に見られながら自分でシコったか病気心配もないしコロナ対策バッチリ!!

とか言ってきたら軽蔑するでしょ?

からって性風俗業を無くせって話じゃなくて、性風俗業は不健全だけど法律バキバキにしばいても誰も得しないからグレーでいようって話でしょ?

そこの白黒をはっきりさせてもいい事なんて無いと思うけど?

職業に貴賎はないとかいうけど、普通にあるだろ。

そこは認めた上で世間共存する道を選んだ方がいいと思うんだけど違う?

2021-04-10

中島義道が語るKKOやBKO(ブスでカネのないおばさん)

もうちょっと対象範囲は広いが。上級弱者、下級弱者もつながる指摘。

現代日本のように表面的な平等化が進み、飢えも暴動戦争も無いところでは、みんな小さな差異に敏感になり、『正常値のうちの下限にいる人々』はますます救われない。これは、ほんとうに大変なことである

現代日本身長155センチメートル若者はこの悩みを知っている。醜いとしか言いようの無い女性はこの悩みを知っている。身体障害者精神障害者なら、その人権は手厚く保護される。彼らは人権侵害に対して声を大にして訴えることが出来る。だが、身長155センチメートル若者が『チビ同盟』を結成してその苦しみを訴えることが出来ようか?偏差値40の大学生が『アホ同盟』を結成して『我々を軽蔑するな!』と叫んでも誰が耳を傾けよう?まして、醜い女性が『ブス同盟』を結成してみても、それは結構お笑い種だろう。・・・かくして、彼らは『正常値』のうちにあるがゆえにいかなる声も発することも出来ず、社会問題にすることも出来ず、彼らの悩みは打ち捨てられた悩みとなる」

2021-04-09

anond:20210409122824

お前が言ってる通り大企業個人を比べるのは全く関係がないし意味のない話なので、そんなのを持ち出して「軽蔑する」だの何だの言い出してるのは何とかしてこちらに難癖をつけたいというだけでしょう

それでもあえて答えるならその組織制度環境の不備をいち生徒やいち従業員担保する必要はないです、それはハンディキャップもつ人が社会進出をする手助けにはなりません

もちろん無理のない範囲で手助けをしたり、お前のように差別的な発想・言動をしないというのは前提の話です

その上で、障がい者が声をあげやす社会にする、またそうでない人がその声に連帯する社会になるよう行動するのは社会の成員として当然求められる(求められている)んじゃないですかね

罷り間違っても「お前の訴えは道徳的ではない/非常識だ」などと糾弾することではありません





まぁ、「俺はやりたくないからお前らがやれよ」というような話をする人間軽蔑されようが尊敬されようが全くどうでもいい話ですね

anond:20210409095223

最後に聞くけど、これは今回の件とはあまり関係のない話で、もし障害者差別解消のためにどう考えても国民がなんらかの負担をしないといけない、それ以外に手段がない、という状況になったとして、率先して行動できる?

「非現実的すぎて答えようがない」というなら身近な話に置き換えても良い

お前の職場学校障害者がいて、周りが全然まともに配慮できていないという時、ちゃん自分から周りと折衝してルールを作って、時には自分自身で身体的・精神的介助してってことが出来る?

俺はすべきだとは思うけどやれるかどうかは自信がない

自信を持って出来ると思える、あるいは既にそうしているということな尊敬するけど、「それとこれとは話が別」とか言うんだったら軽蔑するわ

2021-04-08

anond:20210408084048

あくま第三者的立場からだと悪事因習同調圧力有害人間に対して「なんだそれくだらねえよ」、「こいつ馬鹿じゃねえの?」という至極当たり前の感想を抱けるけれども、

ひとたび自分当事者になるとまるで人格が乗っ取られたかのようにそういう判断が全くできなくなるタイプの人はめちゃくちゃいて(例えるなら、テレビ内部告発者のドキュメント見て感動したり義憤に駆られたりするけど、いざ自分会社から内部告発者が出たらその勇気ある人に対して心底怒りを抱くし軽蔑するような……)、

逆にコミュニティのクソ事案にリアルで触れる立場になっても常識的判断を失わない人ほど、極端なレベル社会性と社会ステータスが高いか、極端なレベルで低いかどっちかという傾向がある(主観)。後者は例えば元ヤンだったり、中卒だったり。

そういうブレない傾奇者ってニュータウンにはめちゃくちゃ少ないのよ。

逆に当事者になると一気に愚昧な畜群なっちゃうくらい社会性がある半端者ばかりが年収そこそこの地域には集まる。

2021-04-07

anond:20210407150531

弱者男性は頭の悪い差別主義者だという見本。

嘘と詭弁差別しか頭に無い価値のない人間

女性フェミニストは笑ってないよ。心底あんたらを軽蔑して怒ってるんだ。

2021-04-05

anond:20210405221042

こういう言説ほんと軽蔑する

こちとら性欲で生理になってるわけじゃないクソが

自分車椅子ユーザーだったらバリアフリー対応の駅には行かない(キリッ」とかいバカうんざり

車椅子ユーザーだったら移動前に途中で利用する全ての公共交通機関バリアフリー対応かどうか調べるのが当たり前だとでも言うのか?

健常者の自分はやってないことを車椅子ユーザーだったらやるのが当たり前だと?

そこまでクズなことをid付きで書ける神経が凄いし、星付けてるゴミクズ共にも軽蔑を通り越してただ驚愕してしまうわ。

お前が車椅子ユーザーになったときに縛りプレイするのは勝手にすればいいけど、それを他の車椅子ユーザー強要するなよ

2021-04-04

疲れたくない、怒られたくない、失望されたくない、嫌われたくない、嘲笑われたくない、軽蔑されたくない、傷つきたくない、働きたくない

anond:20210403203631

自分たち強者であるという自負を持っている

悪しき男性性を「捨てる」って言葉が大好きな人多いよね。

俺なんか小学校の頃から「男らしさ」とか大っっっ嫌いだったけどね。

高校大学くらいまでホモソーシャルにどっぷりだったくせに、今さら卒業して「おまえらも早く卒業しろ!」と説教できる立場にあると思ってるのがすごい。「更生した不良」を持ち上げ過ぎるのもどうかと思うよ?


まあ「弱者男性」論もあの連中と同程度には軽蔑してるけどね。

ジェンダーギャップ指数を見て自省できないフェミニストは最低

ジェンダーギャップ指数、今年も120位と散々な結果でしたね。

何も変わってないから変わってないのは当然ではあるんだけど。

以前からそうだけど、フェミニストがこの報道を見て日本は遅れてる!と吹き上がってる姿勢に対して本当に軽蔑する。

だってジェンダーギャップ指数が低い原因って日本フェミニストのせいでしょ。

ジェンダーギャップ指数順位が低い原因に政治・経済格差が大きいことは何度も報道されてるので知ってる人も多いだろう。

経済については日本企業の体たらく批判しまくるのは正しいんだけども。

問題政治だよ。

日本フェミニズムは未だに国会議員を一人も送り込めないほど日本賛同されてない思想だっていう反省が無いんだよね。

政治家の意識が低いかジェンダーギャップ指数格差が縮まらないんじゃないだよ。

民意が弱いから政治家、特に与党が何にもしないんだよ。

オタク一丸となって1議席稼いで自民山田太郎の席取ったでしょ。それで露骨自民党の表現規制の動きは弱まったよ。中で山田太郎活動してるおかげってのもあるだろうけどさ。

フェミニズムって未だに選挙の結果からして政治力がゼロだってハッキリ分かってんだよね。

まり女性にも支持が広がっていないノイジーマイノリティの一つでしかないって選挙結果が示してる。

外国の動きがどうだとから知らんけどさ、国民が望んでないことやる必要ある?無いよ。

それでもたまには動くよ。#KuTooの件だとか。でもそれはLGBT対応するのと同じようにマイノリティ意見を拾い上げてあげてるだけなんだ。

民意として存在しない方向に日本全体を変えていくなんて独裁者じゃないんだからやらないよ。

で、その根本原因として日本国民フェミニズム意見が強く賛同されてないからであり、選挙に反映されないままとなり、最終的にはジェンダーギャップ指数に反映される。

これが日本フェミニズム活動がザコであることが原因でなかったら何なんだ。

日本女性投票権過半数以上握ってるんだぞ。

表向きは自民党を批判してフェミニズムに賛成してくれるリベラルですら選挙じゃ自分らの思想に近い人を選ぶよ。

からフェミニズムが頑張って賛同者を増やすってのが政治を変える為の大前提だしジェンダーギャップ指数は失敗の証明なんだけど、ちゃんと考えてるのかなあの人達

2021-04-03

色んなコンテンツアンチを見てきて気づいたんだが、筋の通った叩かれより、筋の通らない叩かれの方が危険信号

好きになったコンテンツはそのファンにも興味がわくので、当然ファンのみならずアンチたちの言ってることも見る。

5chのアンチスレもだし、Twitternote増田、その他いろいろなネット上の色んな場所でのアンチファン発言を追って楽しんでいる。

それで気づいた傾向なのだが、

・法や倫理面で叩かれ、不誠実だ・許せん・軽蔑する・有害だなどと大義名分のある批判を言われている場合は、むしろコンテンツ全体の勢いには大して問題がない

・退屈、まんねり、しょぼい、地味、ぱっとしない、などと大義名分のないいちゃもんじみた叩きがされている方が、そのコンテンツが勢いを失う兆しとして危険

ということが言えそうである

悪名無名に勝ると言うが、その悪名の中にも言われてる方が将来有望な叩かれ方と、これを言われだしたらヤバいという叩かれ方があるわけだ。

そして、一見ダメージの大きそうな、理屈の通った叩かれ方のほうが将来有望吉兆であるのが興味深いところだ。

いや、不正義こそが大成するのだからやるせないところだと言うべきかな?


コミュニティ雰囲気を思い出せるのはせいぜい5年くらいなので、それ以前はどうだったか言及を避けるが、とりあえずこの5年は色んな分野でこの流れが多かった。

言っちゃあなんだが、法的・倫理瑕疵というのは、マジで訴訟開始されなければどうってことないのだ。

法的に明らかにダメで「訴えられたら負けるな、訴えられちまえ」と言われてても、本当に訴訟されなければ全然セーフだ。

エグくてお行儀の悪い成長戦略をとっている方が、悪評以上の速度でファンが増えるのでお得! これは娯楽分野における法則のようだ。

客層が悪くなる? それもむしろアドね。

ちょっとガラと頭の悪い客層の方が、依存してくれたり、後先考えず金を払ってくれたりするんだもん。

上等な商品ハイソな客に高値で売りつけるなんてのはごく限られたジャンルでのみ可能なことだ。

一般娯楽でちょっと客層が良くリテラシーがあるってのは、感情任せのお布施も少なけりゃ広告も踏んでくれない、必要な時にしか金を払ってくれないくせに質への要求のうるさい、面倒な客を抱えてるというマイナス要素である

「信頼が毀損されて長い目で見れば損」なんて言いたくなるかもしれんが、えげつないやり方で一通り稼いだあとで、多少の品質向上に金を回すようになれば、消費者も他社企業も、勃興段階の悪印象なんか水に流してニッコリ握手してくれるのよ。

これはここ五年と言わずソシャゲの隆盛や、調子よかった時のニコニコ著作権違反が溢れるコミケ企業が堂々とブース参加してる現状などを見れば分かることである

かつての日本や今の中国の成長もそうだ。


お行儀が悪くても勢いのあるコンテンツ運営をした方がファンが増える。特に今後の社会を担う若い層を取り込みやすいのが大きい。

勢いがあるのでファン以外の目にも入るようになり、倫理や行儀の悪さについて正論ボコボコに叩かれまくるが、クリエイター精神ダメージ以外は別に問題がない。

ファンアンチ過熱する、それこそが圧倒的成長中コンテンツである

まりアンチの叩きに一理ある時ほど、それは無視してよいというわけだ。

だが、叩かれ方が、なんか退屈、なんかまんねり、しょっぱい、みたいに漠然としたつまらなさの指摘が増えてるとマズい。

この手の叩きには「その文句のつけ方、ただのお前の主観じゃん」と反論することが簡単だ。

しかしこのような、大義名分のないアンチの身勝手な叩き、あるいはぼやきこそが、暗い未来を予感させる。

灼熱の炎上嵐ではなく、わびしい隙間風によってコンテンツは衰えていく。

アンチ愉快犯炎上を真に受けるのは賢くない。だが、(特にはてなーのような)良識派がやりたがる「アンチが言ってることはいっつも的外れ」と簡単すぎる理解をするのも賢くない。

娯楽コンテンツにおいては、アンチ発言に筋が通っている時ほどその叩きは気にしなくてよく、ぼんやりした退屈さや地味さをじめじめと主観的に叩かれてる時ほど危機を感じなければならない。このパラドックスを俺は提唱したい。

2021-04-01

anond:20210331202727

よくもここまで見苦しい自己正当化被害者叩きができるもんだ。

VもV豚も頭おかしいってのはよく分かった。心の底から軽蔑するし消えて欲しい

2021-03-31

大東亜戦争という聖戦に対するフィリピン人神対応!涙が止まらない・・・

「苦患のルソン戦線坂田澤司

・・・バギオ市内に入るが早いか、比島人の凄まじい怒りの罵声が待ち受けていた。

ドロボー

ジャパン、パタイ!」

「ゲット、アウェイ

ありとあらゆる罵声と投石の嵐を、出来る限り姿勢を低くしてくぐり抜け収容所へ向かった。

(中略)

途中、比島人は沿道の至る所で我々の通るのを待ち受け、家から飛び出して来て、バギ市街にも増して激しく、

バカヤロー!」

ドロボー!」

と声を揃えて大声で怒鳴る。

女子供までが、さも憎々しげに

ジャパンソルジャー、パタイ!」

と首を切られる真似をするかと思うと、侮蔑を表す彼等特有のしぐさで親指を立て、

「ゲット、アウェイ!(出て失せろ!)」

と繰り返し、大小の石がトラック目掛けて飛んできた。

(中略)

(貨車に乗り換え)途中停車する毎に比島人の憎悪のこもった眼差し、怒声、投石の嵐が続いた。

(中略)

後日収容所で聞いた話では、投石で頭を割られた兵隊、酷い者はピストルで撃たれて死人まで出た貨車もあったという。

ルソン島敗残実記」矢野正美

しばらくして小さな町に入ると、鉄道沿線には黒山のように住民が並んでいる。

列車が近付くと一斉に石を投げてきた。

(中略)

小石がパラパラと頭上に飛んでくる。

女達までが私達に向かって舌を出し、首を叩きながら喚いている。

ドロボウとか、パタイ(死ね)という言葉が、コーラスのように響いてくる。

(中略)

何のためか列車が野原の真ん中に停車したので、ホッとしてシートを取ると、住民達はここにもいっぱい居て相変わらず石を投げつける。

一人の老婆が近寄ってきて、

ジャポンマニラ、パタイ!」

と言いながら、ビンロウの実を噛んで、真っ赤な口から血のような唾を吐き出し、憎しみを込めて叫ぶ。

肉親の誰かが殺されたのか、或いは家を焼かれたのか、家財でも奪われたのであろう。

「お前達はマニラで殺されるんだ!」

そう繰り返している。

彼等もまた、大きな戦争犠牲者であろう。

私達もあのサンフェルナンド上陸以来、比島の住民達にしてきた事を考えると、その罪の大きさを思わずはいられない。

殺人強盗放火強姦、ありとあらゆる罪を重ねてきている。

お前が言うな

ケダモノタイ

「ルソンの霧」石田

途中、いくつかの集落を横切った。

部落には、既に、もとの住民が復帰していた。

彼等は、床の高い粗末な家の窓から顔を出し、黙ったまま、私達に軽蔑の目を向けていた。

彼等は、時々空に向けて小銃を放った。

それには度胆を抜かれた。

「ルソン戦・死の谷」阿利莫二

線路際にフィリピン人が群がって石を投げ始める。

ジャパンポンポン、パタイ!」

この罵声だけ覚えている。

(日本人射ち殺せ!)

こんな心だろう。

「Gパン主計ルソン戦記」金井英一郎

マニラ市街を通過する。

平和を取り戻した猥雑な街。

人が溢れている。

交差点で止まる度に、バカヤロドロボー、パタイ罵声の嵐。

マニラの港に着くと、何百人ものフィリピン人男女が待ち受けていた。

タイタイ(死ね死ね)

ハングハング(首を締めろ)

石だけではない、ビンやコップを割った凶器も飛んできた。

最後の強烈な禊だ。

嗚呼草枕」於保忠彦

街を通過する時は、日本兵は頭を抱え、路上から飛んでくる石や、薪を投げつける老婆や子供から身を守らねばならなかった。

ジャパニーズ、パタイ!」

と叫んで、手を首に当て、首を斬る仕草をする。

「ルソン海軍設営隊戦記」岩崎敏夫

タルラックを通る時、群衆が私を見つけて、

バカヤロー!」

とか、「死ね!」とか叫んでいる。

ところが、Millare軍曹が立ち上がって、

「He is a good man! He is good!」

と怒鳴っている。

これには有り難かった。

(中略)

途中、フィリピン人が待ち構えていて、

ドロボー!」

とか、「バカヤロー」

とか怒鳴っている。

どうしてこんなに怒鳴られるのか。

マヤントクでの住民との交歓の後だけに、狐につままれた思いであった。

重機関銃分隊長のルソン戦記」川崎恵一郎

バギオの街では・・・(中略)現地民が我々を見て、

バンケーロ」(馬鹿野郎)

「パタイ」(殺す、もしくは死ね)

罵声を上げる。

(中略)

しばらくして貨車は動き出す。

ゆっくり進んでいく。ときどき、

バカヤロー!」

ドロボー!」

と叫ぶ声が聞こえる。

貨車日本兵が乗ってる事が分かるらしい。

所々に陸橋があったり丘の高いところがあると、この下を通る時が大変である

現地人が橋の上や丘の上に石を持って待っている。口々に、

ドロボー!」

バカヤロー!」

「パタイ!」

叫びながら石を投げつける。

(中略)仲間の中には石が当たって血を流してるものもある。

フィリピン戦線の人間群像守屋

住民パラパラと家から路上に駆け出して、手を振って何か大声で叫んでいる。

私達はテッキリ戦争が終わったので、喜んで我々を歓迎するために、家から飛び出したのだと思った。

我々は彼等の姿を見ると、ニコニコして手を振った。

ところがこれが大間違いで、彼等は形相恐ろしく、口々に、

ハポンドロボーバカヤロー!」

と言っているのである

ハポンとは現地語で日本の事である

なかには石を投げつけようとする人もいる。

「生ある限りルソンへ」礒崎隆子

再びトラックに分乗、サンホセに向かった。

途中、現地民から日本語で、

バカヤロー!」

ドロボー!」

「ヒトゴロシ!」

罵声を浴びせられ、石を投げられた。

私達は頭を抱え荷台にしゃがみ込んだ。

石が頭に当たり血を流す人もいた。

現地の人を略奪し殺し、平和国土戦場にしてしまった私達日本人は、どんなにされても文句の言える立場になかった。

「ルソン死闘記」友清高志

トラックが一つの集落差し掛かった時である

前方の沿道の両側にビッシリと住民が群がっている。

彼等はトラックが近付くと、老人から子供に至るまで、一斉に喚声を上げた。

ドロボウドロボウドロボウ・・・」

拳大の石がいくつも飛んできた。

中には、手を首に持ってきて、水平に動かし、お前達は絞首刑だ、とジェスチャーで示す者もいる。

この調子では、フィリピン全土が、日本軍に対する恨みの炎で燃え上がっていよう。

多少の覚悟はしていたものの、私の予測は甘かった。

「傷跡・ルソンの軍靴佐藤喜徳

無蓋列車はなおも南へ南へと進んだ。

そして、何度か、現地民の罵りと投石を受けた。

「バキャヤロ!」

ドロボー!」

現地民が我々に叫ぶ侮辱日本語は、とりもなおさす日本占領時代に我々が彼等に使っていた言葉の仕返しであった。

「パタイ!」

「ヤマシタ、パタイ!」

日本人を殺せ!」と投石する現地民の怒りを、我々は無蓋列車の中で、首をすくめて我慢した。

(石をもて追われる如く)敗残の身を、私は車中で目をつむっていた。

生還者の証言加藤春信

(証言者その2)・・・ところが思いもかけない次の言葉で、冷酷な現実実態を思い知らされた。

ジェスチャーを交えて投げ飛ばす彼等の言葉は、相手侮辱する時に使う日本語の、

バカヤロー!」

ドロボー!」

なのであった。

しかも、罵倒するだけでは飽き足らず、彼等の中には青竹を振りかざして殴りかかってくるものもいたし、私を目掛けて、小石を投げるものもいた。

(中略)

それなのに、まるで泥棒猫でも打鄭するように、青竹の一部がささくれだって裂ける位の勢いで、殴りまくる人もいた。

筋肉の脱落した痩せた体を目掛けて、ビシリ!ビシリ!と打たれる度に、不思議に肉体的な痛みは感じなかったけれど、まるで心臓に五寸釘でも打たれるような激烈なショックを受けた。

そして、その時、身に滲み通るような敗戦の惨めさをつくづく感じたのであった。

「1945年夏・春菊よ谷のせせらぎよ有難う」岡田梅子

人家のある所を車が通っていくと、我々は罵声を浴びせられ、小高い家の庭先で洗濯をしていたオカミサンは、矢庭にタライの中の石鹸水を浴びせかけたのであった。

(中略)

遠い金網の外側にはフィリピン人たかって、拳を振り上げたり、唾を吐きかけたり、日本人へ憎しみを表しているようであった。

「1945年夏・フィリッピンの山の中で」新美彰

沿道のフィリピン人達は、私達の乗ったトラックを目掛けて、石を投げつけ、日本語で、

バカヤロー!」とか、

「インバイ!」

とか知ってる日本語で、罵り嘲笑う。

この付近フィリピン人の家を我が物顔で横取りして、作物を荒し廻った私達だから、どんなにされようとも仕様のない事だと思う。

私達はあの人達にとって、さぞ殺したい程憎い日本人だろう。

(中略)

駅につけば付近住民ギターを持って、貨車の周囲に集まってきて、何かタガログ語で歌い、罵り、嘲笑う。

言葉の分かる小母さんが口惜しいと涙をためておっしゃる

「激闘ルソン戦記」井口光雄

バギオに近付くにしたがって、現地民達が増えてきた。

ジャップ・パタイ(死ね)」

ギロチンOK」

マールダル(マーダー、人殺し)」

ドロボー!」

と口々に喚きながら石を投げつけてくる。

手を頸に当てて引き斬るような手真似をしては、唾を吐きかけ、バナナの皮などを投げつける。

(中略)

事実日本軍は彼等の財産である家々を強制的使用し、床や壁を剥がして家捜しをしたり、燃料の代わりにして荒らした。

作物を押収したり、家畜を殺して食べる事にも貪欲であった。

ときにはゲリラスパイと見なして、善良な市民さえ射殺した(注、斬首だろうに)。

寒風のごとき日本兵と、太陽のごときアメリカ兵では比較にならない。

ルソン島野戦病院・全滅の記」西井弘之

途中で、シビリアン達が口々に

ドロボー!」

バカヤロー!」

と盛んに私達のトラック目掛けて投石したが、フルスピードで走り抜けてくれた。

(中略)

(列車に乗り換えた後)停車駅では無蓋列車に座らされ投石を防ぐ。

相変わらず

バカヤロー!」

ドロボー!」

罵声と共に投石するシビリアン達。

情けない。

そりゃ情けないわな、天皇軍隊もの

世の中に、日本兵程情けないものはない。

日本兵など、人間もっとも下等な存在からね(日本兵日本人)。

強姦ばっかしやがって!

タイだよ!

フィリピン人達の怒りは、俺の怒りでもある。

強姦魔!

恥知らず

爪の先の埃程も、日本兵に同情などしないからね。

ケンペースケベ!

ちんこ斬っちまえ!

2021-03-30

筋トレなんてしなければよかった

世の中に「筋トレ万能論」とも言うべき説が流れはじめて久しい。

やれ筋トレすればメンタルが上向く、健康になる、モテる出世する、云々かんぬん、もはや宗教だ。

これが本当なら素晴らしいことだが、おれ自身は3年間筋トレに取り組んだ結果、鬱になり、無職になった。

筋トレに興味があって始めてみようかと思っている人、また無責任筋トレ万能論を振りかざす人に特に読んでほしくてこの文章を書く。

身バレすると面倒なので適当フェイクを混ぜるが許してほしい。

筋トレを始めたきっか

子供のころからガリガリだった。身長は180cmあるのに、体重はたった55kg。アンガールズ山根とほぼ同じ体型だと思ってくれればいい。

胸板など欠片もなくぺったんこ、力こぶを作ることもできない。

それでも大きな病気をすることもなく生きてこれたが、30歳を過ぎていきなり体の不調を感じることが増えた。

人混みで買い物をするだけで風邪を引く、数時間パソコン仕事をするだけで腰や背中が痛みだす。

これではいけないと感じ、パーソナルトレーナーのいるジムに通い始めた。

しばらくは筋トレが楽しかった

トレーナー指導を受けて、毎週2日、1回45分の運動を始めた。目標体重+15kgの70kgとした。とにかく一般成人並の体になりたかったのだ。

最初はウェイトなしのスクワットすらきつかったが、次第にダンベルやバーベルを使ったトレーニングもできるようになった。

食事も低カロリー野菜中心だったものを、卵や鶏肉ナッツヨーグルトなどタンパク質の多いものに変えて、朝晩2回のプロテインを飲むようにした。

すると体重は緩やかながらも順調に増え、1ヶ月に1kgのペースで体が大きくなり、8ヶ月後には63kgに到達した。

ぺったんこだった胸に大胸筋の膨らみが生まれ、顔の輪郭もふっくらとして健康的になってきた。

なるほど、これは筋トレにハマる人が多いのもわかる。自分の体を鏡で見るのがだんだん楽しくなっていた。

完全な停滞期

ところがここで転機が訪れる。いままでお世話になっていたトレーナー退職してしまったのだ。

新しいトレーナーに引き継いでもらっても良かったのだが、以前から高額な費用が気になっていたこともあり(1回3,000円だから一ヶ月で約24,000円になる)、ここは自分で鍛える方向でやってみようと考えた。

しかしこれがひとつ目の間違いだった。自己流に切り替えた途端、体重の増加がピタッと止まってしまった。

今にして思えば、それまで第三者いたことでできていた「自分を追い込む」という行為が、ひとりになって全くできなくなったのだろう。

それから半年、やってもやっても効果が出ず、自分はなぜ筋トレを続けているのかもわからなくなってきた。

そんな悩みを各方面に話していたら、知り合いが「手伝いますよ」と声をかけてくれたのだ。

新しいトレーナー

彼は東京パーソナルトレーナーをしている男で、ビジネス関連の交流会で何度か顔を合わせたことがあった。

おれが住んでいるのは大阪のため、毎月メニューを考えて送るので、月1回、Skypeでのコンサルタントで成果を確認しましょうという話だった。

しかも知り合い価格で、かなりの格安で引き受けてくれるという。

メニューを考えてくれるのはありがたいし、知り合いに頼めるなら安心だと思った。彼から送られてきたのは以下のような方針だった。


なるほどなるほど、これならすぐに停滞期を抜け出して70kgにも到達するだろう……そう考えていた。

相性の合わないトレーニング

しかしこれが自分には合わなかった。彼の指導を受けはじめてから1年経って、増えた体重はたったの2kg。

とりあえず65kgにはなったものの、このペースでは70kgになるまであと2年以上かかってしまう。

この状況を見かねたのか、彼からヨーグルトプロテイン冷凍フルーツを混ぜたものおやつに食べましょう」とのお達しが来た。

おれはさっそく特製ヨーグルトを毎朝作り、職場で食べる生活を始めたが、これもまた大きな効果があったとは言いがたかった。

ビタミン類はサプリメント摂取し、野菜フルーツよりもカロリーの高い卵や肉類を食べていればもっと効果が出たような気もするのだが、今となってはわからない。

結局、それから2年かかってようやく体重が69kgまで増えた。目標まであと1kgである

ところがこのとき自分にはまた別の問題が降りかかってきていた。

筋トレに疲れて仕事が手につかない

週2日から4日にトレーニング頻度を増やしたこと、また食事にかかる労力が増えたことで、仕事に支障をきたすようになったのだ。

自分はもともと食べるのが遅いので、朝食を食べるだけで30分かかる。

量を食べているから消化にもエネルギーを使い、頭がぼーっとして集中できなくなる。仕事中に休憩を取る回数が明らかに増えた。

またおれは技術職のため、仕事が終わっても自主的に本を読んだりオンラインコースを受けたりと勉強を続ける必要がある。

ところが筋トレをするとその後は何もできないほど疲れてしまうので、勉強の習慣もすっかりなくなった。

気がつけば生活ほとんどを筋トレ食事に取られ、本業がどんどんおろそかになっていた。

やってもやっても成果の出ないことにいらだち、体重計に乗るたびに自分を責めた。

筋トレ人生変わった」「筋トレポジティブになれる」という発言を読んでは、ちっとも人生変わらずポジティブにもなれない己が情けなくなった。

それでもなぜ筋トレをやめなかったのかといえば、「目標を達成できなかったら、指導してくれている知り合いに申し訳ない」という気持ちがあったからだ。

彼の顔に泥を塗るわけにはいかない。せめて目標の70kgを達成して、そこで区切りにしようと考えていた。

しかし、最大のトラブルがやってきてしまう。

コロナで全部水の泡

2020年初頭の新型コロナウィルス騒ぎである目標体重まであと1kgと迫った直後、全国に伝染病の恐怖が蔓延し、ジム営業停止仕事リモートワークに切り替わった。

ジムに通えなくなったおれのために、知り合いは自宅でもできるメニューを考えてくれたが、もはや後の祭り

食糧の買い出しすら自由にできなくなった生活の中、おれの食事量はみるみるうちに減り、体重も1ヶ月で6kg減った。63kg、つまり最初の停滞期の頃にまで戻ってしまったのだ。

「2年間の努力が全部無駄になった」という事実が、おれの精神を完全に崩壊させた。

筋トレに多大な時間と金額と体力のリソースを取られ、本業でのスキルアップもできなかった。これで筋肉さえ残ればまだ良かったものの、すべて消えてしまった。

いったい自分はなんのためにトレーニングなんかしてきたんだろう……

気づけば、勤続年数の割にぜんぜん出世もできていないし、それどころか、あとから入社してきたエンジニア自分上司になっている。

焦って勉強しようにも、本を開いても眠たくなるばかりで、何も内容が頭に入ってこない。

自分のことがひたすら無能で、無価値に感じられ、街を走っている車の列に飛び込めば楽になれるのか、と考えることが増えた。なんてことだ。

自らの置かれた立場を見つめ、絶望し、大きな後悔を抱えながら、おれは辞表を提出した。

今は貯金を切り崩しながら、実家で療養生活を送っている。社会復帰できる目処はまだ立たない。

教訓

筋トレは最強のソリューション」ではない

Twitter流れる無責任筋トレ万能論は嘘八百である

そもそも筋トレで鬱が治るなら、スポーツ選手鬱病患者はいないはずだ。あのイニエスタですら鬱だったというのに。

筋トレしているのに気分が上向かないことだってある。それを自分が悪いのだと考えるのはやめよう。

筋トレ生活のすべてにしてはいけない

ガリガリからムキムキになれたら人生きっと好転するだろうと夢を見すぎていたところがあった。

から本業をおろそかにしてまでリソース筋トレにつぎ込みすぎ、大した成果も出ず、結果として多くを失ってしまった。

どうせなら無理のない範囲で、細く長く続けていけばいい。

知り合いに指導を頼んではいけない

トレーナー指導法との相性は必ずある。合わないと思ったらすぐ変えることも必要だ。

優しい性格の人ほど、知り合いを「切る」ことができないので、十分注意してほしい。

「やらない後悔よりやる後悔」という言葉がある。おれに言わせれば、どちらも同じ後悔だ。

悔いのないくらい精一杯やれよという人がいるだろう。だが精一杯やったのに成就しなかったという事実は、より深い絶望をもたらすこともある。

筋トレなんてしなければよかった。それが今の率直な胸の内だ。

2020/3/31追記

さすが匿名だけあって皆さんコメント言及が厳しい。ここは言葉が人を殺す可能性なんて微塵も考えない人ばかりだ。

ひとつ付け忘れた教訓がある。

ガリガリの男を馬鹿にしてはいけない

(今思えば)無理な筋トレをやめなかった理由ひとつに、複数女性から体力の無さを揶揄されたことが挙げられる。

8kgの増量後、異なる女性とそれぞれ一緒に旅行に行く機会があった(二人きりではない)。その際、長距離の移動でおれが疲れを見せたり、息があがったりしている様子を見たとき彼女らは一様に軽蔑まなざしを向け、あからさまに冷たい態度を取ってきた。

自分としては8kg増量もそれなりによくやったと思っていたのだが、この経験から「まったく足りないのだ」「もっと鍛えなければ一生女性から馬鹿にされ続けるのだ」という認識を得たのだ。つまり強迫観念である

世の中、男性の体力など特に気にしない女性だって多いのかもしれない。しかし、実際にそういう態度を向けられた者からすると、その侮蔑普遍的ものにすら感じられる。

太った体型を嘲ってはいけないという常識は広まりつつある。ガリガリもまたしかりだ。何気ないその態度が、他人に強い呪いをかけることもある。みなさんは痩せ型で体力のない女性馬鹿にするだろうか。そうでないなら、男性のことも馬鹿にしないでほしい。

そしてこの文章を読んでいる痩せ型の男性のみなさんも、決して呪いにかからないよう気をつけてほしい。体力や筋肉がなくても、あなたあなたであるだけで、十分に美しい。

2021-03-29

anond:20210329224352

判断を誤った。

流石に10年誰かの背中に火をつけて遊ぶカチカチ山みたいなことやってるだけあって他人判断を誤らせて炎上悪化させるようにメンタルを持ってく技術に長けてると言う他無い。

ヤクザとしてスキルの高いってだけで褒められたものじゃないしむしろ軽蔑スべき代物なんだが、技術の高さそのものは認めるしか無いな。

飯の種として10年もやりゃ立派にプロってことだな……

誰の心にも""さくらみこ""はい

これは同人誌を出したことのある腐女子が、他人炎上に乗っかって自己顕示欲を満たすチャンスを伺い、隙あらば自分語りをすることで「誰かが大事にしている文化安易否定しないようにしよう」ということを自戒も兼ねて訴える文章である


2021年3月29日Vtuberさくらみこ氏が、動画内でBL同人誌を作者の許可なく紹介し、その際の態度が作者へ敬意を払っているとは到底思えないものだったとして多くのオタクの不興を買い、炎上した。


私は脳直Twitter女なので、即座にブチ切れ許せないとツイートかました。

しかし何事も事実を見つめないまま、尾ひれのついた情報に踊らされてぶち切れまくるのは良くない。

阪神パッケージばかうけを6枚食べ、レモンティーを3杯飲んで頭が冷えた私はとりあえず現場を見に行くことにした。


現場である動画は削除されていたので、該当箇所の切り抜き動画を見た。

結論から言えば、イキった中学生腐女子友達の家でお菓子を食べながらしゃべっていたことが、そのまんまインターネット投稿されてしまったんだなというのが正直な感想だ。

友達の家という閉鎖空間でやっていれば数年後あたりに「なんてことをしてしまったんだ」と気付くようなことが、Youtube投稿されてしまったせいで全世界に公開され、結果として作者を傷つけ大炎上してしまったんだな、と。

インターネットと考えの足りない人間が組み合わさると不名誉な方向でTwitterトレンド入りという花火が打ちあがるのだな、と現代の恐ろしさを改めて感じた。


ここまで考えたところでふと、私は思った。


私は果たして彼女のように一度も誰かの大切にしている文化馬鹿したことはないのだろうか?

今回の配信彼女スパチャを投げるリスナーのように、誰かの大切にしている文化馬鹿にするようなコンテンツで笑ったことが、一度もないと言い切れるのだろうか?



私事になるが、私はギャンブルが嫌いだった。父が無職で家に常に金がなかったこともあり、人を貧乏に突き落とすギャンブルのことも、貧乏承知ギャンブルに金をつぎ込む人のことも嫌いだった。

からある人から競馬が好きだとかパチンコが好きだと聞かされると、その人のことがどれだけ好きでも「当たらないもの大事お金をつぎ込む変な人」と軽蔑せざるを得なかった。


しか最近ウマ娘 プリティダービー流行に乗って見かけた一つのツイートで、私の価値観は大きく変わった。


『馬、ウマやったから解ったんだけど、あれ、馬券を買う事自体が『推しへの課金』の側面を持ってて、なんと『推し課金して推しを現地で応援すると推しが勝って金が増える』という夢のシステムを搭載していて「そりゃハマる人はハマるわ」って感じがする。』

https://twitter.com/ebleco/status/1375028099289522176


私は勝手に、馬券を買う人は単純に順位を当ててお金を手に入れることだけを目的に買っているものだと思い込んでいたから、競馬にそういう側面があることを全く知らなかった。

そこからTwitterに流れてくるゴルシの珍奇行動漫画やハルウララ有馬記念アタックに触れるうちに興味が湧いてきて、インターネット競走馬のことを調べるようになり、王者と称される馬にも勝てなかった馬にも、皆等しく生涯のドラマがあったことを知った。

そして競馬への造詣を深めていく中で、競馬という一つの文化を知ろうとも理解しようともせずにただひたすら嫌い蔑んでいた自分を恥じた。



他人文化を知ろうともせず土足で踏み入って否定し、馬鹿にする」という意味合いでは、ウマ娘出会う前の私の思考と行動は、作者に無許可同人誌の内容を読み上げ大笑いしたさくらみこ氏と本質的には何ら変わりない。

私がこの文章タイトルを「誰の心にも""さくらみこ""はいる」としたのは、まさにそういった意味である



今回の騒動感情的な側面に限らず複合的な問題を孕んでいるだろうが、その中で特に腐女子が大いに怒った点に関しては、彼彼女らが大切にしている「作品を作る行為は素晴らしい、作品を作る人は大事にしよう」という文化を踏みにじったのが原因だと私は思う。

かにさくらみこ氏の行った「作者に無許可で内容を公共配信で読み上げ、その直後に大笑いする」といった行動は、客観的に見ればとてもではないが作品や作者に対して敬意を払った態度とは言えないだろう。

その行動に対して怒りが抑えられないのも、勿論分かる。私とて現場を見に行く前に脳直激怒ツイートをした感情的人間だ。

けれども、「自分他人大事にしてる文化馬鹿したことなんか一度もありません」という顔をして今がチャンスとばかりに彼女を叩きまくるというのは、自分のことを棚上げしているようで見苦しい行いではないか、と思う。


断っておくが、私はさくらみこ氏を擁護したいわけではない。ただ、彼女の行動をきっかけに自分も同じようなことをしていないか振り返ってみないか?と、呼びかけてみたかっただけなのだ


どの界隈にも、そこに属する人たちが大切にしている文化がある。それが自分の目にはどれだけ異様なものに映ったとしても、その背景を知らずに否定するような人間にはなってはいけない。

異なる文化の中身に触れようとも知ろうともせず、一つの文化否定したことのある人間として、人は簡単否定に走ることを嫌という程知っているからこそ、今回の一件は改めて己の振る舞いを身につまされるような事件となった。


違う文化肯定するのは難しいかもしれない。でも、馬鹿にするのはやめよう。それぐらいなら、誰にだってできる。

私もそう在れるよう、努力し続ける。そして私がその志を忘れ誰かを傷つけたら、石を投げて目を覚まさせてほしい。



おしまい

ツイッターでやたらと被害を訴えるアカウントを見かけるようになったが、一つ思うことがあった。

一般人口の0.4~5.1%および臨床集団9.7%が【妄想パーソナリティ障害】を有しているという事実だ。

妄想パーソナリティ障害とは

[他者を信用せず,何の根拠もない,または不十分な根拠しかない場合でも,他者自分に害をなそうとしている,または自分を欺こうとしていると考える。 ]障害

診断基準(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition[DSM-5])

妄想パーソナリティ障害の診断を下すには,以下の4つ以上により示される,他者に対する持続的な不信および猜疑心が認められる必要がある。

他者自分を利用している,傷つけている,または裏切っているという根拠のない疑念

・友人および同僚の信頼性について根拠のない疑いにとらわれている

情報自分に不利に使われるのではないかと考え,他者秘密を打ち明けたがらない

・悪意のない言葉または出来事誹謗,敵意,または脅迫意味が隠されていると誤解する

侮辱中傷,または軽蔑に対して恨みを抱く

自分性格または評判が非難されたと考えやすく,性急に怒りをもって反応したり,反撃したりする

自分配偶者またはパートナー不貞を働いているという根拠のない疑念を繰り返し抱く

また,症状は成人期早期までに始まっている必要がある。

2021-03-28

セクハラって何が悪いの?殴られるわけでもないんだから別に良いだろ

私の育った田舎別にセクハラは良くないなんて価値観なかった。


小学校男子ウンコちんちんおっぱいと言い、女子ちょっと男子ぃー、と言う。そういう感じだった。私はウンコちんちん言う側だった。

男性教諭女性教諭容姿を当然のように話題に上げ、生徒もそれに迎合した。

高校に入ってもやっぱり男子おっぱいセックスと言い、言わない奴は言わないし、ちょっと男子ぃー。と言う女もいれば黙って軽蔑する女もいて、私は男子から振られる男性向けポルノ話題に対しては脳内女性向けポルノに置き換えて考えて「分かるエローい」って返してた。やっぱり私はウンコちんちん言う側だった。

別にそこに性的な何かは感じてなかったが、まあコミュニケーションってそういうものかなって思ってた。そんなわけがあるか。

通学中に痴漢に遭った。まあでも小学校の通学路にも野生動物が出ることはあった。女児が猿に顔面を引っ掻かれれば大惨事である自然の中で生きるというのは、猿や暴漢を警戒しながら生きるということなんだと思う。


大学は男が9割の学部に進学した。おっぱいマンコマンコチンコと言う男もいたし、そういうのが無理な男もいた。

配属された研究室では当然のようにセクハラが横行しており、学部の女と女子会を開くと、まあセクハラはどこの研究室でも当然のようにあるみたいだった。

別にセクハラが悪いとも思わなかった。

セクハラして当然の空気があれば、私を性的に見てなくても、悪意がなくても、人はセクハラ発言コミュニケーションを図ろうとするんだなと思った。

お嬢さま育ちの留学生の女は、セクハラに怒って報復してた。宅飲みAV流した男どもを家に呼んでBLエロ同人誌を読ませたとか言ってた。

なんだその会私も参加したい。


身体を触れられることもあったがまあ別に悪い気はしなかった。私だって女の柔らかい身体が好きだ。自分おっぱいついててマジで良かったと思う。

男の身体なんてゴツゴツで抱きしめたってなんも気持ち良くない。いや愛情があればとか言うけど愛情物理的表面硬さは別問題だろ。

触りたきゃ触ればいいよ。別にだって胸筋触らせてって言えば触らせてくれるし。


なんか私はそうやってセクハラされながら生きていくの全然嫌じゃないんだけど、世の中セクハラダメって風潮だから不思議だなあと思う。

嫌だよねー、って言い合う女に同調しなきゃいけない方がどっちかって言うと嫌。

怒った方がいいとか声を上げた方がいいとか他人アンガーを勝手マネジメントしたがる女の方が無理。

っていうか女は性的に見るものって価値観より、朝起きなきゃだめとか、時間を守れない奴は何やってもダメとか、締め切りに遅れちゃダメとか、敬語が使えなきゃダメとか、努力が偉いとか、怠け者は良くないとか、ミッキーマウス可愛いとか、猫は正義とか、毛虫は気持ち悪いとか、テレビ面白いとか、数学が嫌いだとか、世の中もっと無理な価値観が多すぎんだわ。


セクハラ、怒んなきゃだめなんかな。

だめなんだろうな。無理だな~。ごめんね。

2021-03-26

怒りを表明する人は偉い

多分二十歳ぐらいから、怒りを表明することは意味がない、非効率だ、と考えて怒らないようにしてきた。

もちろん時には感情として怒りを感じることはあったし、その感情が外に出てしまたこともあったと思う。

それでも少なくとも「怒りを表明するよりも、問題点淡々と指摘し、落とし所を見つけていくべきだ」というのを自分の行動規範の一つとしてきたと思う。

そうすると、副作用として、怒りを表明している人に対して軽蔑の念を覚えるようになる。

とはいえ、そういった人を表立ってバカにしたり、非難するようなことは、基本的にはしていないつもりだ。

それは怒りの表明とはまた違うが、それに準ずる行為であり、それもするべきでないと考えているから。

だけど自分は単に怒らなくてもやっていける程度には恵まれ立場にいるだけだということに最近ようやく気づき始めた。

男性として東京ソフトウェアエンジニアとして働いていると自分は明らかに多数派だし、そこそこ仕事はできる方なのでそれなりの自己肯定感給料を得ながら生活できる。

別にモテはしないが結婚はできている。

全てではないが、あらゆるものを持っていると思う。

怒ることなく穏やかに振舞い続けていると、「増田さんって本当に落ち着いてますね」「人格ができていますよね」ということをたまに言われる。 (たまにね)

「そんなことないですよ、結構しょうもないことにイライラしたりもしてますよ」と謙遜して返したりするが、自分信条肯定されているようでとてもいい気分になる。

だけどそれは、単に「怒る必要がない」からできているだけのことである

自分場合は怒るまでもなく周囲の不快さをある程度取り除けるので、怒る必要性はかなり低いし、怒らない方が多分圧倒的に効率よく物事を進められると信じられる。

そこに最適化された結果の振る舞いに過ぎない。

だけどこのような生き方は、「怒りを表明する人」に対して直接的に非難したり攻撃はしていなくとも、間接的にはそういった人々の評価を下げているのかもしれない。

彼ら彼女らは人間としての程度が低かったり損得勘定ができないから怒っているのではない。

そうとしか表現しようがないからそうしているのである

かに損得勘定がもう少しできれば怒らずに済む、という仮定は成り立つかもしれないが、社会の歪みのせいで日頃から感じているストレスだったり、そういった状況に対する無力感が蓄積していたら、「問題点淡々と指摘」できるほどには自制心が働かないこともあるだろうし、それどころか怒った方がむしろ効率が良くて、そこに最適化されている可能だって考えられる。

もちろん、怒らないと問題解決できない状態よりは、怒らなくても解決できる状態の方が望ましいとは思う。

だけど現実はそんなに綺麗じゃない。

から勇気を持って怒りを表明する人は偉い。

悪いのは、その人を怒るしかなくしている状況や社会のあり方だ。

2021-03-23

anond:20210322203121

アセクシュアルの俺としては「アホくさ」としか思わないけど、まあしっかり恋人なり配偶者なり確保しておいてマウントとる奴はそれ以上に軽蔑してるし、あの手の連中に目をつけられやすい点は同情する。

2021-03-22

あは

さて、殺人事件から十日程たったある日、私は明智小五郎の宿を訪ねた。その十日の間に、明智と私とが、この事件に関して、何を為し、何を考えそして何を結論たか。読者は、それらを、この日、彼と私との間に取交された会話によって、十分察することが出来るであろう。

 それまで、明智とはカフェで顔を合していたばかりで、宿を訪ねるのは、その時が始めてだったけれど、予かねて所を聞いていたので、探すのに骨は折れなかった。私は、それらしい煙草屋の店先に立って、お上さんに、明智いるかどうかを尋ねた。

「エエ、いらっしゃいます。一寸御待ち下さい、今お呼びしまから

 彼女はそういって、店先から見えている階段上り口まで行って、大声に明智を呼んだ。彼はこの家の二階を間借りしているのだ。すると、

「オー」

 と変な返事をして、明智はミシミシと階段下りて来たが、私を発見すると、驚いた顔をして「ヤー、御上りなさい」といった。私は彼の後に従って二階へ上った。ところが、何気なく、彼の部屋へ一歩足を踏み込んだ時、私はアッと魂消たまげてしまった。部屋の様子が余りにも異様だったからだ。明智が変り者だということを知らぬではなかったけれど、これは又変り過ぎていた。

 何のことはない、四畳半の座敷が書物で埋まっているのだ。真中の所に少し畳が見える丈けで、あとは本の山だ、四方の壁や襖に沿って、下の方は殆ほとんど部屋一杯に、上の方程幅が狭くなって、天井の近くまで、四方から書物の土手が迫っているのだ。外の道具などは何もない。一体彼はこの部屋でどうして寝るのだろうと疑われる程だ。第一、主客二人の坐る所もない、うっかり身動きし様ものなら、忽たちまち本の土手くずれで、圧おしつぶされて了うかも知れない。

「どうも狭くっていけませんが、それに、座蒲団ざぶとんがないのです。済みませんが、柔か相な本の上へでも坐って下さい」

 私は書物の山に分け入って、やっと坐る場所を見つけたが、あまりのことに、暫く、ぼんやりとその辺あたりを見廻していた。

 私は、かくも風変りな部屋の主である明智小五郎為人ひととなりについて、ここで一応説明して置かねばなるまい。併し彼とは昨今のつき合いだから、彼がどういう経歴の男で、何によって衣食し、何を目的にこの人世を送っているのか、という様なことは一切分らぬけれど、彼が、これという職業を持たぬ一種の遊民であることは確かだ。強しいて云えば書生であろうか、だが、書生にしては余程風変りな書生だ。いつか彼が「僕は人間研究しているんですよ」といったことがあるが、其時私には、それが何を意味するのかよく分らなかった。唯、分っているのは、彼が犯罪探偵について、並々ならぬ興味と、恐るべく豊富知識を持っていることだ。

 年は私と同じ位で、二十五歳を越してはいまい。どちらかと云えば痩やせた方で、先にも云った通り、歩く時に変に肩を振る癖がある、といっても、決して豪傑流のそれではなく、妙な男を引合いに出すが、あの片腕の不自由な、講釈師神田伯龍を思出させる様な歩き方なのだ。伯龍といえば、明智は顔つきから声音まで、彼にそっくりだ、――伯龍を見たことのない読者は、諸君の知っている内で、所謂いわゆる好男子ではないが、どことな愛嬌のある、そして最も天才的な顔を想像するがよい――ただ明智の方は、髪の毛がもっと長く延びていて、モジャモジャともつれ合っている。そして、彼は人と話している間にもよく、指で、そのモジャモジャになっている髪の毛を、更らにモジャモジャにする為の様に引掻廻ひっかきまわすのが癖だ。服装などは一向構わぬ方らしく、いつも木綿の着物に、よれよれの兵児帯へこおびを締めている。

「よく訪ねて呉れましたね。その後暫く逢いませんが、例のD坂の事件はどうです。警察の方では一向犯人の見込がつかぬようではありませんか」

 明智は例の、頭を掻廻しながら、ジロジロ私の顔を眺めて云う。

「実は僕、今日はそのことで少し話があって来たんですがね」そこで私はどういう風に切り出したものかと迷いながら始めた。

「僕はあれから、種々考えて見たんですよ。考えたばかりでなく、探偵の様に実地の取調べもやったのですよ。そして、実は一つの結論に達したのです。それを君に御報告しようと思って……」

「ホウ。そいつはすてきですね。詳しく聞き度いものですね」

 私は、そういう彼の目付に、何が分るものかという様な、軽蔑安心の色が浮んでいるのを見逃さなかった。そして、それが私の逡巡している心を激励した。私は勢込いきおいこんで話し始めた。

「僕の友達に一人の新聞記者がありましてね、それが、例の事件の係りの小林刑事というのと懇意なのです。で、僕はその新聞記者を通じて、警察の模様を詳しく知ることが出来ましたが、警察ではどうも捜査方針が立たないらしいのです。無論種々いろいろ活動はしているのですが、これという見込がつかぬのです。あの、例の電燈のスイッチですね。あれも駄目なんです。あすこには、君の指紋丈けっきゃついていないことが分ったのです。警察の考えでは、多分君の指紋犯人指紋を隠して了ったのだというのですよ。そういう訳で、警察が困っていることを知ったものですから、僕は一層熱心に調べて見る気になりました。そこで、僕が到達した結論というのは、どんなものだと思います、そして、それを警察へ訴える前に、君の所へ話しに来たのは何の為だと思います

 それは兎も角、僕はあの事件のあった日から、あることを気づいていたのですよ。君は覚えているでしょう。二人の学生犯人らしい男の着物の色について、まるで違った申立てしたことをね。一人は黒だといい、一人は白だと云うのです。いくら人間の目が不確だといって、正反対の黒と白とを間違えるのは変じゃないですか。警察ではあれをどんな風に解釈たか知りませんが、僕は二人の陳述は両方とも間違でないと思うのですよ。君、分りますか。あれはね、犯人白と黒とのだんだらの着物を着ていたんですよ。……つまり、太い黒の棒縞の浴衣なんかですね。よく宿屋の貸浴衣にある様な……では何故それが一人に真白に見え、もう一人には真黒に見えたかといいますと、彼等は障子の格子のすき間から見たのですから、丁度その瞬間、一人の目が格子のすき間と着物の白地の部分と一致して見える位置にあり、もう一人の目が黒地の部分と一致して見える位置にあったんです。これは珍らしい偶然かも知れませんが、決して不可能ではないのです。そして、この場合こう考えるより外に方法がないのです。

 さて、犯人着物縞柄は分りましたが、これでは単に捜査範囲が縮小されたという迄で、まだ確定的のものではありません。第二の論拠は、あの電燈のスイッチ指紋なんです。僕は、さっき話した新聞記者友達の伝手つてで、小林刑事に頼んでその指紋を――君の指紋ですよ――よく検べさせて貰ったのです。その結果愈々いよいよ僕の考えてることが間違っていないのを確めました。ところで、君、硯すずりがあったら、一寸貸して呉れませんか」

 そこで、私は一つの実験をやって見せた。先ず硯を借りる、私は右の拇指に薄く墨をつけて、懐から半紙の上に一つの指紋を捺おした。それから、その指紋の乾くのを待って、もう一度同じ指に墨をつけ前の指紋の上から、今度は指の方向を換えて念入りに押えつけた。すると、そこには互に交錯した二重の指紋がハッキリ現れた。

警察では、君の指紋犯人指紋の上に重って、それを消して了ったのだと解釈しているのですが、併しそれは今の実験でも分る通り不可能なんですよ。いくら強く押した所で、指紋というものが線で出来ている以上、線と線との間に、前の指紋の跡が残る筈です。もし前後指紋が全く同じもので、捺し方も寸分違わなかったとすれば、指紋の各線が一致しまから、或は後の指紋が先の指紋を隠して了うことも出来るでしょうが、そういうことは先ずあり得ませんし、仮令そうだとしても、この場合結論は変らないのです。

 併し、あの電燈を消したのが犯人だとすれば、スイッチにその指紋が残っていなければなりません。僕は若しや警察では君の指紋の線と線との間に残っている先の指紋を見落しているのではないかと思って、自分で検べて見たのですが、少しもそんな痕跡がないのです。つまり、あのスイッチには、後にも先にも、君の指紋が捺されているだけなのです。――どうして古本屋人達指紋が残っていなかったのか、それはよく分りませんが、多分、あの部屋の電燈はつけっぱなしで、一度も消したことがないのでしょう。

 君、以上の事柄は一体何を語っているでしょう。僕はこういう風に考えるのですよ。一人の荒い棒縞の着物を着た男が、――その男は多分死んだ女の幼馴染で、失恋という理由なんかも考えられますね――古本屋の主人が夜店を出すことを知っていてその留守の間に女を襲うたのです。声を立てたり抵抗したりした形跡がないのですから、女はその男をよく知っていたに相違ありません。で、まんまと目的を果した男は、死骸の発見を後らす為に、電燈を消して立去ったのです。併し、この男の一期いちごの不覚は、障子の格子のあいているのを知らなかったこと、そして、驚いてそれを閉めた時に、偶然店先にいた二人の学生に姿を見られたことでした。それから、男は一旦外へ出ましたが、ふと気がついたのは、電燈を消した時、スイッチ指紋が残ったに相違ないということです。これはどうしても消して了わねばなりません。然しもう一度同じ方法で部屋の中へ忍込むのは危険です。そこで、男は一つの妙案を思いつきました。それは、自から殺人事件発見者になることです。そうすれば、少しも不自然もなく、自分の手で電燈をつけて、以前の指紋に対する疑をなくして了うことが出来るばかりでなく、まさか発見者が犯人だろうとは誰しも考えませんからね、二重の利益があるのです。こうして、彼は何食わぬ顔で警察のやり方を見ていたのです。大胆にも証言さえしました。しかも、その結果は彼の思う壺だったのですよ。五日たっても十日たっても、誰も彼を捕えに来るものはなかったのですからね」

 この私の話を、明智小五郎はどんな表情で聴いていたか。私は、恐らく話の中途で、何か変った表情をするか、言葉を挟むだろうと予期していた。ところが、驚いたことには、彼の顔には何の表情も現れぬのだ。一体平素から心を色に現さぬ質たちではあったけれど、余り平気すぎる。彼は始終例の髪の毛をモジャモジャやりながら、黙り込んでいるのだ。私は、どこまでずうずうしい男だろうと思いながら最後の点に話を進めた。

「君はきっと、それじゃ、その犯人はどこから入って、どこから逃げたかと反問するでしょう。確に、その点が明かにならなければ、他の凡てのことが分っても何の甲斐もないのですからね。だが、遺憾いかんながら、それも僕が探り出したのですよ。あの晩の捜査の結果では、全然犯人の出て行った形跡がない様に見えました。併し、殺人があった以上、犯人が出入しなかった筈はないのですから刑事の捜索にどこか抜目があったと考える外はありません。警察でもそれには随分苦心した様子ですが、不幸にして、彼等は、僕という一介の書生に及ばなかったのですよ。

 ナアニ、実は下らぬ事なんですがね、僕はこう思ったのです。これ程警察が取調べているのだから、近所の人達に疑うべき点は先ずあるまい。もしそうだとすれば、犯人は、何か、人の目にふれても、それが犯人だとは気づかれぬ様な方法で通ったのじゃないだろうか、そして、それを目撃した人はあっても、まるで問題にしなかったのではなかろうか、とね。つまり人間の注意力の盲点――我々の目に盲点があると同じ様に、注意力にもそれがありますよ――を利用して、手品使が見物の目の前で、大きな品物を訳もなく隠す様に、自分自身を隠したのかも知れませんからね。そこで、僕が目をつけたのは、あの古本屋の一軒置いて隣の旭屋という蕎麦屋です」

 古本屋の右へ時計屋、菓子屋と並び、左へ足袋屋、蕎麦屋と並んでいるのだ。

「僕はあすこへ行って、事件の当夜八時頃に、便所を借りて行った男はないかと聞いて見たのです。あの旭屋は君も知っているでしょうが、店から土間続きで、裏木戸まで行ける様になっていて、その裏木戸のすぐ側に便所があるのですから便所を借りる様に見せかけて、裏口から出て行って、又入って来るのは訳はありませんからね。――例のアイスクリーム屋は路地を出た角に店を出していたのですから、見つかる筈はありません――それに、相手蕎麦屋ですから便所を借りるということが極めて自然なんです。聞けば、あの晩はお上さんは不在で、主人丈が店の間にいた相ですから、おあつらえ向きなんです。君、なんとすてきな、思附おもいつきではありませんか。

 そして、案の定、丁度その時分に便所を借りた客があったのです。ただ、残念なことには、旭屋の主人は、その男の顔形とか着物縞柄なぞを少しも覚えていないのですがね。――僕は早速この事を例の友達を通じて、小林刑事に知らせてやりましたよ。刑事自分でも蕎麦屋を調べた様でしたが、それ以上何も分らなかったのです――」

 私は少し言葉を切って、明智発言の余裕を与えた。彼の立場は、この際何とか一言云わないでいられぬ筈だ。ところが、彼は相変らず頭を掻廻しながら、すまし込んでいるのだ。私はこれまで、敬意を表する意味で間接法を用いていたのを直接法に改めねばならなかった。

「君、明智君、僕のいう意味が分るでしょう。動かぬ証拠が君を指さしているのですよ。白状すると、僕はまだ心の底では、どうしても君を疑う気になれないのですが、こういう風に証拠が揃っていては、どうも仕方がありません。……僕は、もしやあの長屋の内に、太い棒縞の浴衣を持っている人がないかと思って、随分骨を折って調べて見ましたが、一人もありません。それも尤もっともですよ。同じ棒縞の浴衣でも、あの格子に一致する様な派手なのを着る人は珍らしいのですからね。それに、指紋トリックにしても、便所を借りるというトリックにしても、実に巧妙で、君の様な犯罪学者でなければ、一寸真似の出来ない芸当ですよ。それから第一おかしいのは、君はあの死人の細君と幼馴染だといっていながら、あの晩、細君の身許調べなんかあった時に、側で聞いていて、少しもそれを申立てなかったではありませんか。

 さて、そうなると唯一の頼みは Alibi の有無です。ところが、それも駄目なんです。君は覚えていますか、あの晩帰り途で、白梅軒へ来るまで君が何処どこにいたかということを、僕は聞きましたね。君は一時間程、その辺を散歩していたと答えたでしょう。仮令、君の散歩姿を見た人があったとしても、散歩の途中で、蕎麦屋便所を借りるなどはあり勝ちのことですからね。明智君、僕のいうことが間違っていますか。どうです。もし出来るなら君の弁明を聞こうじゃありませんか」

 読者諸君、私がこういって詰めよった時、奇人明智小五郎は何をしたと思います。面目なさに俯伏して了ったとでも思うのですか。どうしてどうして、彼はまるで意表外のやり方で、私の荒胆あらぎもをひしいだのです。というのは、彼はいきなりゲラゲラと笑い出したのです。

「いや失敬失敬、決して笑うつもりではなかったのですけれど、君は余り真面目だもんだから明智は弁解する様に云った。「君の考えは却々なかなか面白いですよ。僕は君の様な友達を見つけたことを嬉しく思いますよ。併し、惜しいことには、君の推理は余りに外面的で、そして物質的ですよ。例えばですね。僕とあの女との関係についても、君は、僕達がどんな風な幼馴染だったかということを、内面的に心理的に調べて見ましたか。僕が以前あの女と恋愛関係があったかどうか。又現に彼女を恨うらんいるかどうか。君にはそれ位のことが推察出来なかったのですか。あの晩、なぜ彼女を知っていることを云わなかったか、その訳は簡単ですよ。僕は何も参考になる様な事柄を知らなかったのです。僕は、まだ小学校へも入らぬ時分に彼女と分れた切りなのですからね。尤も、最近偶然そのことが分って、二三度話し合ったことはありますけれど」

「では、例えば指紋のことはどういう風に考えたらいいのですか?」

「君は、僕があれから何もしないでいたと思うのですか。僕もこれで却々やったのですよ。D坂は毎日の様にうろついていましたよ。殊に古本屋へはよく行きました。そして主人をつかまえて色々探ったのです。――細君を知っていたことはその時打明けたのですが、それが却かえって便宜になりましたよ――君が新聞記者を通じて警察の模様を知った様に、僕はあの古本屋の主人から、それを聞出していたんです。今の指紋のことも、じきに分りましたから、僕も妙に思って検しらべて見たのですが、ハハ……、笑い話ですよ。電球の線が切れていたのです。誰も消しやしなかったのですよ。僕がスイッチをひねった為に燈ひがついたと思ったのは間違で、あの時、慌てて電燈を動かしたので、一度切れたタングステンが、つながったのですよ。スイッチに僕の指紋丈けしかなかったのは、当りまえなのです。あの晩、君は障子のすき間から電燈のついているのを見たと云いましたね。とすれば、電球の切れたのは、その後ですよ。古い電球は、どうもしないでも、独りでに切れることがありますからね。それから犯人着物の色のことですが、これは僕が説明するよりも……」

 彼はそういって、彼の身辺の書物の山を、あちらこちら発掘していたが、やがて、一冊の古ぼけた洋書を掘りだして来た。

「君、これを読んだことがありますか、ミュンスターベルヒの『心理学犯罪』という本ですが、この『錯覚』という章の冒頭を十行許ばかり読んで御覧なさい」

 私は、彼の自信ありげ議論を聞いている内に、段々私自身の失敗を意識し始めていた。で、云われるままにその書物を受取って、読んで見た。そこには大体次の様なことが書いてあった。

嘗かつて一つの自動車犯罪事件があった。法廷に於て、真実申立てる旨むね宣誓した証人の一人は、問題道路全然乾燥してほこり立っていたと主張し、今一人の証人は、雨降りの挙句で、道路はぬかるんでいたと誓言した。一人は、問題自動車は徐行していたともいい、他の一人は、あの様に早く走っている自動車を見たことがないと述べた。又前者は、その村道には二三人しか居なかったといい、後者は、男や女や子供の通行人が沢山あったと陳述した。この両人の証人は、共に尊敬すべき紳士で、事実を曲弁したとて、何の利益がある筈もない人々だった。

 私がそれを読み終るのを待って明智は更らに本の頁を繰りながら云った。

「これは実際あったことですが、今度は、この『証人記憶』という章があるでしょう。その中程の所に、予あらかじめ計画して実験した話があるのですよ。丁度着物の色のことが出てますから、面倒でしょうが、まあ一寸読んで御覧なさい」

 それは左の様な記事であった。

(前略)一例を上げるならば、一昨年(この書物出版は一九一一年)ゲッティゲンに於て、法律家心理学者及び物理学者よりなる、ある学術上の集会が催されたことがある。随したがって、そこに集ったのは、皆、綿密な観察に熟練した人達ばかりであった。その町には、恰あたかカーニバルの御祭騒ぎが演じられていたが、突然、この学究的な会合最中に、戸が開かれてけばけばしい衣裳をつけた一人の道化が、狂気の様に飛び込んで来た。見ると、その後から一人の黒人が手にピストルを持って追駆けて来るのだ。ホール真中で、彼等はかたみがわりに、恐ろしい言葉をどなり合ったが、やがて道化の方がバッタリ床に倒れると、黒人はその上に躍りかかった。そして、ポンとピストルの音がした。と、忽ち彼等は二人共、かき消す様に室を出て行って了った。全体の出来事が二十秒とはかからなかった。人々は無論非常に驚かされた。座長の外には、誰一人、それらの言葉動作が、予め予習されていたこと、その光景写真に撮られたことなどを悟ったものはなかった。で、座長が、これはいずれ法廷に持出される問題からというので、会員各自に正確な記録を書くことを頼んだのは、極く自然に見えた。(中略、この間に、彼等の記録が如何に間違に充みちていたかを、パーセンテージを示して記してある)黒人が頭に何も冠っていなかったことを云い当てたのは、四十人の内でたった四人切りで、外の人達は山高帽子を冠っていたと書いたものもあれば、シルクハットだったと書くものもあるという有様だった。着物についても、ある者は赤だといい、あるもの茶色だといい、ある者は縞だといい、あるものコーヒ色だといい、其他種々様々の色合が彼の為に説明せられた。ところが、黒人は実際は、白ズボンに黒の上衣を着て、大きな赤のネクタイを結んでいたのだ。(後略)

ミュンスターベルヒが賢くも説破した通り」と明智は始めた。「人間の観察や人間記憶なんて、実にたよりないものですよ。この例にある様な学者達でさえ、服の色の見分がつかなかったのです。私が、あの晩の学生達は着物の色を見違えたと考えるのが無理でしょうか。彼等は何者かを見たかも知れません。併しその者は棒縞の着物なんか着ていなかった筈です。無論僕ではなかったのです。格子のすき間から、棒縞の浴衣を思付いた君の着眼は、却々面白いには面白いですが、あまりお誂向あつらえむきすぎるじゃありませんか。少くとも、そんな偶然の符合を信ずるよりは、君は、僕の潔白を信じて呉れる訳には行かぬでしょうか。さて最後に、蕎麦屋便所を借りた男のことですがね。この点は僕も君と同じ考だったのです。どうも、あの旭屋の外に犯人通路はないと思ったのですよ。で僕もあすこへ行って調べて見ましたが、その結果は、残念ながら、君と正反対結論に達したのです。実際は便所を借りた男なんてなかったのですよ」

 読者も已すでに気づかれたであろうが、明智はこうして、証人申立て否定し、犯人指紋否定し、犯人通路をさえ否定して、自分無罪証拠立てようとしているが、併しそれは同時に、犯罪のもの否定することになりはしないか。私は彼が何を考えているのか少しも分らなかった。

「で、君は犯人の見当がついているのですか」

「ついていますよ」彼は頭をモジャモジャやりながら答えた。「僕のやり方は、君とは少し違うのです。物質的な証拠なんてものは、解釈の仕方でどうでもなるものですよ。一番いい探偵法は、心理的に人の心の奥底を見抜

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