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2020-02-04

DVやねんの件

動画阪神守屋投手DV」後の妻への暴言音声を公開

https://www.youtube.com/watch?v=c-T2HlYGkl4&feature=youtu.be

また文春か。

こいつら赤十字の一件と言い懲りないな。

阪神からまた阪神かと思っていたら、動画見た感じ、多くのコメの指摘通り、明らかに嫁の方が演技臭い誘導しようとしているのが丸判りなのが草生える

何より隠し撮り&文春に売り飛ばしている時点で、年俸上がったか養育費名目たかろうとしているのも判るのがね。

それに明らかに守屋の声もこの一件で疲れているのも音声から判る事。

かにこんなメンヘラっぽい嫁に付き合っていたらこうもなるだろうし、何より嫁自体、嫁は嫁で浪費癖ヒスって、商売道具ぶっ壊したり、逆DV起こした話も出ている上に守屋の方が夫婦間の問題離婚調停している中で、嫁が文春に売ってハメようとしているのだから普通に嫁の方の非が強いとしか思えないのだが。

コレもし守屋が一発位殴っていたとしても残当しか言えん案件だと思う。

流石にこれは嫁が糞すぎるだろ。

2015-12-15

欅坂46体力測定まとめ

 

50m走三段跳び走り高跳びブリッジソフトボール投げ握力1000m
小林由依8秒146m15100cm51cm10m7024.9kg5分35
上村莉菜10104m0760cm測定不能10m2015.7kg7分38
今泉佑唯9秒185m0580cm21.5cm18m207.7kg7分10
平手友梨奈8秒346m55110cm23cm18m1018.8kg5分45
鈴本美愉8秒786m0590cm49cm18m7027.2kg6分35
織田奈那8秒666m00110cm66.5cm22m8030.7kg6分18
志田愛佳8秒925m05100cm41cm30m5024.9kg4分55
齋藤冬優花9秒705m40100cm23.5cm23m3010.9kg6分00
渡邉理佐8秒235m25115cm54cm26m21.4kg5分41
小池美波9秒034m4080cm45cm13m5025.4kg5分44
土生瑞穂9秒515m10100cm50cm11m3017.2kg6分02
渡辺梨加11秒535m2080cm46cm10m6023.1kg5分42
佐藤詩織9秒495m3080cm11cm13m1022.5kg5分07
守屋7秒476m20100cm28cm14m5022.7kg5分17
米谷奈々未8秒365m7080cm28cm13m5026.3kg4分16
尾関梨香9秒845m1060cm28cm10m3021.1kg6分41
菅井友香10秒043m5070cm38cm13m8027.7kg7分12
原田8秒834m4060cm35cm16m4014.7kg4分55
石森虹花10秒394m1080cm32cm13m2025.6kg7分41
長沢菜々香11秒004m30100cm67cm15m7021.4kg4分35

2009-04-18

山口登(二代目山口組組長)

山口登(やまぐち のぼる)。明治35年(1902年)、兵庫県神戸市兵庫区で生まれた。父は、初代山口組山口春吉組長だった。山口組事務所は、神戸市兵庫区西出町にあった。大正14年(1925年)、山口春吉の引退により、山口組二代目を継承した。この時、山口組はまだ、大島組・大島秀吉組長の系列組織だった。同年、神戸市須磨料亭で、山口組二代目相続披露宴が行われた。跡目相続儀式は、大島組幹部・浦安五助の仲人で行われた。披露宴には、大島秀吉大島組幹部・川端勝次、大島組幹部・本多仁介、その他の大島組幹部、大島秀吉の舎弟、大島秀吉の若衆、兵庫県県議会議員神戸市市議会議員などが出席した。山口春吉の手から離れ、新しく山口登の子分となった者は、34人だった。難波島之助は、山口登の舎弟となり、参謀格となった。その後、山口組組員と大島組組員の喧嘩が多発した。山口登は、大島組組員との喧嘩を諌めることはしなかった。昭和2年(1927年1月大島秀吉宅に年賀に行った。大島秀吉は、山口登に、山口組組員と大島組組員の喧嘩が多発していることを咎めた。山口登が詫びを入れると、川端勝次が山口登に本心で詫びを入れているのかを詰問した。山口登は激怒した。本多仁介が、川端勝次と山口登をなだめた。昭和3年(1928年)3月、金融恐慌が発生した。山口組は、神戸市兵庫区古湊通りの鮮魚塩干物の朝市を縄張りとし、仲買人の魚を小売店に運搬する利権を独占していた。そのため、経済的な打撃が限定的だった。同年、山口登は大島組への上納金をやめた。昭和4年(1929年1月山口登は、大島組への上納金をやめたために、大島秀吉から破門された。昭和5年(1930年)3月、神戸市は、失業者対策として、兵庫区新町神戸中央卸売市場建設を計画した。新浜町は、大島組の縄張りだった。この利権を巡り、山口組大島組と対立した。同年7月神戸市新開地で、山口登の若衆・田尻春吉が川端勝次を射殺した。同年8月6日夜、山口登は、山口組組員に拳銃日本刀を持たせて、5台の荷馬車に、神戸市兵庫区西出町の山口組事務所家財道具全部を載せて、山口組事務所を出発し、同区切戸町に向かった。一部の山口組組員は、切戸町の新しい山口組事務所で待機していた。他の山口組組員は、大島本家を監視していた。同年8月7日午前3時、山口登は山口組事務所を、兵庫区西出町から同区切戸町に移した。ここは大島組の縄張りで、神戸市中央卸売市場建設予定地の近所だった。同年8月7日神戸中央卸売市場の杭打ちが始まった。山口組組員は武器を持参して、工事現場に寝泊りした。同年10月、、田岡一雄(通称はクマ。後の山口組三代目)が、新開地本通りの剣劇小屋「湊座」で、料金を支払わずに入場したため、木戸番から咎められた。田岡一雄は木戸番を殴り倒し、湊座の舞台に上がって暴れた。山口組が湊座の用心棒を務めていた。その後のいきさつには2説ある。

溝口敦・笠井和弘・ももなり高『実録・山口組武闘史 血と抗争! 菱の男たち1』竹書房2002年ISBN 4-8124-5658-4や正延哲士・天龍寺弦・池田鷹一『実録 鬼頭良之助と山口組二代目 激動ヤクザ伝』竹書房2006年ISBN 4-8124-6362-9では「田岡一雄は山口組舎弟・古川松太郎(山口登の娘婿)や山口組若衆・山田久一(通称はトラ。後の三代目山口組初代若頭)に捕まった。田岡一雄は神戸市切戸町の山口組事務所に連行され、暴行を受けたが、根をあげなかった。山口登は田岡を古川松太郎に行儀見習いとして預けた。田岡は古川の自宅に居候した」となっている。飯干晃一『山口組三代目 1野望篇』徳間書店徳間文庫>、1982年ISBN 4-19-597344-9では「数日後、田岡一雄は、山口組組員に捕まり、山口登の舎弟・灘波島之介の自宅に連行された。灘波島之介は、山口組組員が田岡を暴行しようとするのを止めて、田岡の身柄を預かった。田岡一雄は、灘波島之介の家に寄宿した。その後、灘波島之介は、田岡を古川松太郎に預けた。古川松太郎が田岡に行儀を仕込んだ」となっている。昭和6年(1931年1月須磨料亭で、宴会を開き、馴染みの花隈の芸妓・ぽん太を呼んだ。その後、月に2、3度、ぽん太と逢引した。昭和7年(1932年)5月、山口登が後援会長を努める大関・玉錦(後に横綱)が、前頭の宝川と揉めた。田岡一雄は、日本刀を持ち、山田久一や玉錦、山口組舎弟・西田幸一らに連れられて、宝川の元に押しかけた。田岡は、日本刀で、宝川の指を切り落とした。同年7月7日須磨の待合で、山口登はぽん太と会った。同日午後10時すぎ、大島組の刺客守屋謙造に襲撃された。山口登の若衆・村上常吉が1ヶ月の重傷を負ったが、山口登は待合から逃げた。同年7月8日守屋謙造は、山口登殺害に失敗したため、大島組を去った。その後、本多仁介は、「日本が軍国調になっていくときに、抗争事件を起こすのはまずい」と大島秀吉に進言した。大島秀吉は、本多仁介の進言を容れて、大島組から山口組への殴り込みを禁止した。それから山口登は、山口組の新しい資金源として、浪曲興行に着目した。神戸市議会議員・福森庄太郎に相談すると、福森から浪曲師・松風軒栄楽と鬼頭良之助(本名森田良吉。父・山口春吉の兄弟分)を紹介された。同年7月山口登は四国で、松風軒栄楽の花興行を催した。興行は赤字だった。庄村吉之助(通称はホラ吉)が、松風軒栄楽のマネージャーだった。山口登は、庄村吉之助を引き抜き、山口組興行部を作って、庄村を山口組興行部支配人に据えた。また、庄村吉之助の側に、山口登の若衆・笠種次を付けた。同年12月、神戸中央卸売市場開業した。山口組は中央卸売市場利権を獲得し、市場に賭場を開いた。同年、もしくは昭和11年(1936年1月20日[1]、山口登は田岡一雄を若衆とした。昭和8年(1933年4月山口組興行部は、神戸市湊川神社前の「八千代座」で、鼈甲斎虎丸、東家楽燕、初代天中軒雲月らによる浪曲大会を開いた。昭和9年(1934年4月山口組興行部は、八千代座で、ディック・ミネ美ち奴、楠繁夫、東海林太郎らによる興行を行った。同年 8月、海員争議が起こり、会社側から山口登に、紛争解決の調停役を依頼された。山口組舎弟の西田幸一と田尻春吉が、山口登の代理人として会議に出席した。西田田尻は、組合と話し合いを持ったが、組合側の右翼総会屋とこじれて、乱闘となった。西田幸一は殺害され、田尻春吉は意識不明の重体に陥った。田岡一雄と、田岡の親友・岡精義は、西田幸一死亡の知らせを受け、海員組合争議本部に乗り込んだ。田岡が、日本刀組合長を斬りつけ、重傷を負わせた。田岡一雄 は傷害罪で懲役1年の実刑判決を受け、神戸刑務所に服役した。同年9月3日夜、山口登は、庄村吉之助と笠種次を伴って、法善寺横町近くの料亭で、吉本興業社長吉本せいと会い、吉本興業東京進出に尽力することを約束した。同年10月13日から、吉本せい東京新橋演舞場大阪漫才公演を開催すると、この東京興行の応援に駆け付けた。翌日、吉本せいから「自分東京にいる間は、浪曲師広沢虎造吉本興業の専属にしたい」と云う相談を受け、快諾した。その日の公演が終わった後に、吉本せいと共に、東京浅草浪花家金蔵宅を訪ねた。浪花家金蔵との話し合いの結果、広沢虎造吉本興業の専属にすることと、広沢虎造マネージャーを引き続き浪花家金蔵が行うことがを取り決められた。昭和10年(1935年)、山口登は、藤田仙太郎(元関脇・山錦善治郎。本名山田善治郎)を若衆とした。同年10月、田岡一雄は神戸刑務所から出所した。昭和11年(1936年1月20日、もしくは昭和7年(1932年)[3]、山口登は田岡一雄を若衆とした。同年2月、不二拳倶楽部主催者・岡本不二夫から、国技館で、チャンピオンピストン堀口挑戦者・ジョー・イーグル東洋フェザー級タイトルマッチ開催の依頼を受けた。岡本不二夫は、日本拳闘倶楽部の協力を得て、国技館に、東洋フェザー級タイトルマッチ開催を打診した。国技館は「西洋スポーツであるボクシングの試合を開催させることはできない」として、岡本の要望をはねつけていた。山口登は、岡本の依頼を引き受けた。同日、嘉納健治(通称はピス健。嘉納治五郎の弟。大日拳創立者)に会い、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催の了承を得た。その後、上京して、相撲協会と会談し、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催の了承を得た。翌日、右翼団体40、50人が、山口登の宿に押しかけ、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催に抗議した。山口登は、頭山満と会い、右翼団体を抑えてくれるように依頼した。頭山満は、山口登の依頼を快諾した。同年7月、田岡は、昼夜2回の浪曲師広沢虎造の花興行を行った。昼席は福原の「大正座」で行い、夜席は兵庫県会議事堂で行った。昼の興行の利益は全て、山口登に上納された。同月、田岡一雄が口答えをしたために、怒った。田岡は山口の怒りが収まるまで、東京の玉錦の元に身を寄せた。その後、若衆の大長政吉(通称:悪漢政。二代目山口組若衆頭・大長一雄の弟)を破門にした。大長政吉が新開地で酔って大暴れし、堅気の人間3人を傷付けたためであった。昭和12年(1937年1月27日国技館で、ピストン堀口とジョー・イーグル東洋フェザー級タイトルマッチが行われ、山口組国技館の警護に当たった。ジョー・イーグルの判定勝ちが決まると、田岡一雄がリングに上がり、審判に詰め寄った。田岡は警官に取り押さえられ、拘留された。同年2月、玉錦のとりなしで、田岡を許した。田岡は神戸市に戻った。同年2月25日、大長政吉が、新開地菊水館で、支配人(元、山口春吉の舎弟)を殴打し、売上金を勝手に持ち出した。菊水館の用心棒だった山口組の若衆・山田久一は、田岡一雄とともに、大長政吉を探し、福原遊郭の「大阪楼」にいることを突き止めた。2人は大阪楼を急襲した。田岡が大長政吉を鉄瓶で殴打し、大怪我を負わせた。これに激高した大長政吉の弟・大長八郎(二代目山口組若衆)が、その日のうちに、切戸町の山口組事務所に殴り込んできた。田岡が大長八郎を日本刀で斬り殺した。同日、田岡は警察自首した。同年2月27日、田岡は懲役8年の実刑判決を受け、服役した。同年、神戸市の荷役業者の鶴井組・広田寿太郎組長、酒井組・酒井新太郎組長、藤原組藤原光次郎組長が兄弟分の盃を交わし、「鶴酒藤」を結成した。昭和13年(1938年)、山口登の舎弟・新居利治は、徳島県小松島市で、小天竜組を結成した。まもなく、大長一雄は山口組を去った。昭和15年(1940年)、山口登は、広田寿太郎、酒井新太郎、藤原光次郎と兄弟分の盃を交わした。広田寿太郎、酒井新太郎、藤原光次郎が拠点を横浜港に移すと、山口登は鶴酒藤神戸部長となった。同年7月広沢虎造吉本興業に無断で下関・籠寅組(組長は保良浅之助)の企画による映画出演の誓約書を書いた。これに、吉本せいは立腹し、山口登に調停を依頼した。山口登は、下関で保良浅之助と交渉し、映画出演を白紙に戻させた。同年7月28日浅草浪花家金蔵は籠寅組幹部・山村周平の訪問を受け、「籠寅組で映画を作りたいのだが、広沢虎造を出演させたい」という申し出を受けた。翌日、浪花家金蔵は神戸に行き、山口登に相談した。山口登は「8月2日に、浪花家金蔵宅で、籠寅組と話し合いをしたい」と云う旨の電報を保良浅之助に打った。同年8月2日山口登は東京浅草浪花家金蔵宅で籠寅組と話し合いを持った。このとき、ボディーガードに客分の中島武雄を連れていた。和解金として用意した、十円札で1000円の札束を胴巻に入れていた。籠寅組からは5人が臨席した。山口登は「広沢虎造を籠寅組には貸さない」と云う旨を伝えたが、籠寅組の5人に襲われた。中島武雄が日本刀で刺殺された。山口登は庭に出たが、日本刀やあいくちで18ヶ所の傷を受けた。ただ、胴巻の札束が刃を止め、一命を取り留めた。浪花家金蔵が浅草の地回りの一団を連れてきたために、籠寅組の刺客たちは退散した。昭和17年(1942年10月4日山口登は、この傷がもとで、死亡した。享年、41。

2007-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20071218024452

どこまで怠慢なんだよw

まあ眠れないから例を書いてみるか。

守屋(元)事務次官

この人は防衛庁のトップになっていながら、民間企業への便宜を図ったりしてた。

普通に考えてなぜそんなことをする必要がある?

防衛庁のトップだぞ?

金なんてたいして必要じゃない。

たとえ奥さんの要請があったからといって役職を金で売るっておかしいだろ。

いずればれるに決まってるんだから。

なぜ、ばれるようなことをするのか?

それはシステムがそうなっているからだ。

簡単に利益供与できるシステムが出来上がっているからだ。

個人が(しかも日本でもっとも保守的な官庁である防衛庁に入るような人間が)そんな大胆な判断をするはずがない。

守屋武昌がそんな大物に見えるか?

それとも金のためだけに動くような汚い人間に見える?

そんなはずはない。

ただシステムに乗っかってるだけなんだよ。

ここでの最大の癌は人間関係を重視するってシステムだ。

防衛庁よりも地位よりも山田洋行との繋がりを選ぶってこと。

不思議なことに規則よりもなによりも人間関係のほうが重要なんだ。

これは社会システムとして重大な欠陥だ。

規則よりも重要なものを認めてしまっている。

日本の統治機構ってのは歴史的にこの欠陥がある。

インパール作戦がなぜ失敗したかを調べてみるとわかるけど、「牟田口廉也陸軍中将の顔を立てるために」無謀な作戦が強行されたんだ。

そこには理屈もなにもない。

成功する目論見もなにもなく、人間関係だけで物事が決まってしまう場面がある。

どう考えてもバカとしかいいようがないだろう?

さらに困ったことにそのバカさ加減を何十年(何百年か?)にも渡って温存しているところがさらにバカだ。

そんな致命的な問題点を内包しているにも関わらず存続しているようないい加減な社会にスキがないはずがない。

スキがないどころかあちらこちらに穴がありまくりだ。

年金問題なんて人口の推移を予測すれば当然予期すべき問題であって、

もう20年も前に制度改革が行われてしかるべきなんだよ。

バカとしか言いようがないだろう?

毎日ニュースを見るたびに人間の愚かさと社会の不完全さを思い知るのだが、

なぜそんなことを今更オレに聞くのか。

どのニュースが語っていることも明らかなのに。

漫然と目の前にある課題を消化すればいいと思ってるんだな。

自分の領分の課題だけをこなしていればそれで幸せだと。

社会のことは関係ないと。

どんだけ視野が狭いんだよ。

要するにおまえはなにも考えてないんだろ。

若いんだから手遅れじゃねえ、明日から考え始めろ。

2007-11-28

守屋さん逮捕

最近福井晴敏の本を立て続けに読んだ俺はこの事件の裏が全部見えるぜ

2007-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20071106021142

やはりケース3だったのではないか。

守屋さん頑張りすぎ。

2007-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20071110102537

守屋も時期が悪かっただけというのもあるかもしれない。

もっと早く引退していれば。

更に言えば辞めるときに後を濁さずに揉めてなければ明るみに出なかったかもしれない。

が、世間の風が変わってきていることは確かだろう。

かつてはどこの大手もそういうブラックな所を抱えている企業は多かった。

だがかつては許されたことを最近では許されなくなってきた。

大手は社長会長を追いやって交代に交代を重ねだいぶクリーンになってきた。

前代の社長ブラックなところにつながりをもってしまうと後継は相当苦労するらしい。

後継の社長が真面目な人間であれば、お掃除して、もろとも引退しクリーンにして引き継ぐ。

ここのところメーカー系の社長会長の交代が激しいのは自浄作用の効果だとおもっている。

任期の長い後に続いた任期の短い社長は物凄く苦労したんだろうなと思ってしまう。

http://anond.hatelabo.jp/20071110091902

まぁ、そうはいっても要職につきながらよく毎週ゴルフマージャンに行く暇があったなぁとか、防衛に関わる省がよくもまぁ、とか思うわけですが、、、

暇とかじゃなくて、防衛省に限らず官僚ってそういうのも仕事だから、当たり前のことだと思うけど。守屋氏が脇が甘くてバレただけで、他の官僚はもっとうまくやってるだけだと思うよ。

[]防衛庁とNOVA

公務員守屋さんのは論外としても、私企業なら取引先の仲の良い人と相手もちで遊んでよいのだろうか?

直接税金ではないけれど、株主顧客消費者を裏切ることにはならない?

NOVAの社長室なんかが見せしめに公開されたけど、事件や会社に実際に損失が出たときに追求されればOKなのか?公務員のほうが実際にそれによる不利益をだすことが構造上難しいよう(入札とかいま厳しいし)にしてあるようだが?

でも一方で、円滑な人間関係に必要かもしれないし、自分が努力して大きくした会社に、自分や役員がちょっとくらい贅沢させてもらえたほうが、やる気も出るような気もする(そんなの給料たかいんだからそれでやれとか言われそうだが)。

で、話を戻して、株式会社防衛庁という株)米国の孫請けの中小企業東北大卒として入社し、非東大出として友達も少ないなか努力を重ね、社長にまで上り詰めて、株)防衛省としての株式上場を果したが、生涯賃金はたった5億(59年勤続で平均年収850万弱)とおそらく割にあっていないであろう、守屋氏に話をもどすと、旧知の友人で家族ぐるみの付き合いであったというし、そういう気持ちがわからないわけでもない。

まぁ、そうはいっても要職につきながらよく毎週ゴルフマージャンに行く暇があったなぁとか、防衛に関わる省がよくもまぁ、とか思うわけですが、、、暗いニュースがおいおいのでせいいっぱいポジティブに解釈してみる。

2007-10-29

守屋証人喚問

田中和徳自民党衆議院議員は腹を切って死ね。なんでこんな奴が議員やっているんだか。無能の典型。

守屋の何万倍も国民の役に立ってないな。税金につく虫は死ね。

こんな糞を当選させ続ける神奈川県民は馬鹿すぎる。

検察がんばれよまじで。怖すぎる。

守屋偽証罪だな。偽証罪が課せられると言っていたときにうなづきまくってたから受入れるつもりだな。

すげええ、闇深すぎだろ。

 
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