はてなキーワード: 文科省とは
前回『【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞の記事を批判する』という記事で、朝日新聞編集委員 氏岡真弓氏の署名記事について批判した。
その要点は、氏岡氏の記事が、国立大学協会入試委員会の対応に関して、(意図的にせよ結果的にせよ)明らかな印象操作を行い、「新共通テストの記述式試験を大学側が採点する」という方法が極めて問題の多い案であるという事実を十分に報じないまま、この方法の採用を後押ししてしまっているという点にある。
いくつかのコメントに飛ばし記事であるとか文科省側のリークというような話が出ていたし、私自身もその可能性はあると考えている。
しかし、その一方で、私は文科省も国立大学協会も正しく状況をレクチャしたにも関わらず氏岡氏自身が(意図的か無意識かはともかく)内容や方向性の間違った記事を書いた可能性、つまり氏岡氏の持っていた見解やバイアスや資質の問題が今回のような記事を書いてしまった原因である可能性も留保している。
これらの点を詳らかにするためにも、氏岡氏は自分自身の言葉で今回の記事に関する経緯を説明してほしいと考えている。
今回私が批判したいのは、8月19日付朝日新聞4面に掲載された『<解説>大学に負担、利用未知数 新テスト記述案』という記事である。
前回の内容は記事化の経緯に関する点であり、氏岡真弓氏に非があることは明らかであると(少なくとも私には)感じられる問題だったが、今回はもう少し論争的な部分を批判したい。
はじめに結論をかけば、
氏岡真弓氏は今回の新共通テストに関する問題特に採点方法の問題を論じる/解説するにあたって、この問題に関する十分な見識を欠いているのではないかということだ。
私が特に重要視している記事の記述は次の2つの記述に集約されている。
この問題を論じるにあたって、国立大学協会入試委員会の提出した論点整理や文科省の有識者会議=高大接続システム改革会議の出した最終報告は役に立つ。
私の批判の要点は、氏岡氏はこの記述の中で、記述式問題において何を問うかという点に関する検討・理解を十分に行わないまま独自解釈を述べていないか、ということである。
特に、「文章を理解し説明する設問」と「自分の考えを書く問題」とを明確に区別した書き方をし、大学側が採点する方法を採ることにより、後者が可能になったと断定している点である。
国公立大学の二次試験の国語で問われている問題はおおむね前者にあたり、文章の記述の内容把握や根拠説明を要求するものになっている。
一方小論文試験や国公立でも非常に僅かだが一部の大学(2016年度だと例えば滋賀県立大・静岡大・首都大学東京・島根大など。ほかにもあるかもしれない。)の国語の試験には、課題文の内容理解を踏まえる形で「あなたの考えを述べよ」という「自分の考えを書く問題」が出題されている。
では、新共通テストの記述式問題で本当に後者のような問題を出すことが想定されているのだろうか。
国語については、次期学習指導要領における科目設定等を踏まえ、知識・技能に関する判定機能に加え、例えば、言語を手掛かりとしながら、与えられた情報を多角的な視点から解釈して自分の考えを形成し、目的や場面等に応じた文章を書くなど、思考力・判断力・表現力を構成する諸能力に関する判定機能を強化する。(p.54)
とあり、ここにみられる「自分の考えを形成し」という語句は一見氏岡氏の記述に合致しているように見えるかもしれない。しかし、これは、例えば選択肢を選ぶのではなく自分の言葉で説明することを指していると通常は解釈するように思う。
実際、
「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」の記述式問題については、現在、国立大学の二次試験で行われているような解答の自由度の高い記述式ではなく、設問で一定の条件を設定し、それを踏まえて結論や結論に至るプロセス等を解答させる「条件付記述式」を中心に作問を行うことにより、問うべき能力の評価と採点等テスト実施に当たっての課題の解決の両立を目指す。(p.56)
と述べられていることを見落としてはいけない。最終報告のp.75に掲載されている図も見落とすべきではない。
つまり、「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」は、創造性・独創性・芸術性の評価も含む問題であり「個別入試になじむ」と整理されている。
仮に大学が採点することになるからといって、この整理を放り出して、「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」を出題するとか、
「自分の考えを書く問題」を出題すると述べるのは、議論の成果である最終報告よりも明確に一歩踏み込んだ記述になっていると言わざるを得ない。
では国立大学協会の「論点整理」ではどのように記載されているだろうか。
解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大することである。また、設問の中に構造化された能力評価の観点を踏まえつつ、各大学(学部)はアドミッション・ポリシーに基づき独自の採点基準を採用することができ、各大学(学部)の主体性が発揮できる。
ここでいう「解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大する」という記述には、氏岡氏の言うような「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」という趣旨を読むことはできないと私は考える。
というのも、ここでいう「出題の多様性」という文章は、前半にある次の記述を受けてのものだからだ。
全国共通試験への記述式・論述式問題の導入は、多肢選択問題では測ることのできない能力を評価するための大改革であり、適切にその能力を評価するためには相当数の問題が課されるべきである。また、評価すべき能力が個々の設問の中に構造化されるわけであり、その観点からは、短文記述式(40-50 字)設問のみでは、改革の主旨に沿った十分な評価を行うことができないと言わざるを得ない。解答文字数を含めて出題の多様性が出来るだけ拡大されることが望ましい。短文記述式のみでは早晩パターン化し入試技術化する危惧もあり、持続可能性の観点からも、同様のことがいえる。
これは、「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題」を出題するべきというよりは、文字数は40-50字の短文記述よりは長めで、個数は多めにするべきということである。個数を多めにというのは扱う内容の多様性を確保せよといっているように私には見える。50万人が共通して受験するテストの場合、題材が1つだけだとどうしても能力よりもその話題になにがしかの知見があるかどうかなどの運の要素も出てきてしまう。十分な量の問題と十分な長さの解答要求をすることでしか「適切に能力を評価」することはできないだろうと言っているように見える。ここには、「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」というような観点は入っていない。氏岡氏の記述は国立大学協会の「論点整理」の文脈からもはみ出していると考える。
また高大接続システム改革会議の最終報告の参考資料2には、今回の新共通テストの問題例が掲載されている。(ただし、あくまでも何を問いたいかを例示するためで直接試験で出題できる問題として掲載しているわけではないという注釈付き。)この中の「国語」の問題では、交通事故の発生件数・負傷者数・死者数の年度変化を示すグラフを掲げ、「交通事故の死者数が他よりも早く,平成2年(1990年)以降減少傾向になっていること」の理由について考えさせている。要求しているのは、資料から読み取れる内容の記述や自分の主張を裏付けるためにはどのような資料を見ればよいかを記述させることである。これは、「自分の考えを述べる」問題ではないことは明らかである。
「出題の幅」とはどういう意味なのかはっきりしない。最初に取り上げた4面の解説記事の記述にもあるが、「自由記述」「本格的な記述」のような書きぶりにも現れているように、言葉の選び方が不用意で十分に検討したと思われない。
しかし一方で、氏岡氏の名誉のために、次のことは指摘しておくべきだろう。
読売新聞が8月20日付の記事『大学新テスト、英語「話す」で民間試験の活用案』の中で次のように記述している。
国大協は記述式の採点を、受験生の出願先の各大学が行う案を示した。(中略)国大協はテストを1月中旬に実施しても、各大学が採点すれば200字~300字程度の記述式が導入できると想定。大学による採点が難しい場合は、採点期間を国立大学前期試験直前の2月下旬まで延長する別の案も示した。
これも国大協が大学側が採点するという案を提示したという問題のある記述をしているのだが、それ以上に、国大協が「200字~300字程度の記述式が導入できると想定」などという「論点整理」には全く書かれていない話を登場させている点に注目したい。
「40-50字の短文解答式」ではまずいという議論から、いきなり「200字~300字程度の記述式」というところへ直接は結び付かない。
上の最終報告にある問題例は、40字以内と80字以上100字以内の設問である。通常、短文解答式ではないものを、という点でみれば、いきなり200字~300字となるのではなく、80字~100字程度の文字数ということを考えるのが自然ではないだろうか?
また国公立の二次試験を見ても、単独で200~300字の記述を要求する大学はむしろ珍しく、東大でさえ最大文字数の問でさえ100字~120字で述べさせる問題である。
もちろんこの「200字~300字」というのが、たとえば小問3個での合計解答文字数というなら話は違ってくる。(1個の大問全体での記述量が500~600字程度ということは珍しくない。)読売記事がそのあたりの正確さを欠く記事になっていることは批判されるべきだ。
といったことだ。
しかしどれであったとしても、氏岡氏の記事は、高大接続システム改革会議の最終報告からは乖離しているし、現状の国公立二次試験での国語の出題状況などについても十分把握しているとも言い難い。また19日時点では取材していなかったのかもしれないが、国立大学協会の「論点整理」とも乖離している。こうした点からも、署名記事を書いた氏岡氏はいったいどういう経緯と解釈でこの解説記事を書いたのか説明するべきだと私は考える。
実は、国立大学協会の論点整理の中には、次のような記述もあることを付け加えたい。
そもそも、記述式・論述式問題に評価すべき能力をいかに構造化できるかは、根源的な課題である。評価すべき能力の構造化があって初めて、各大学(学部)はアドミッション・ポリシーの中に、記述式・論述式問題を適切に位置づけることができる。しかしながら、国立大学全体にも大学入試センターにも、そのための知識やノウハウの蓄積は未だ十分ではない。平成 32 年度実施に向けて能力の構造化に向けた記述式・論述式問題設計の理論構築、体系化が喫緊の課題といえる。国大協としても、過去の各国立大学の個別試験における記述式・論述式問題に関する実績を調査・分析することなど、この課題に積極的に取り組んでいきたい。
これは、どのような形式で何を問うかということについて、決して十分な知見があるわけではないことを述べており、すなわちこ(「学力の三要素」といった抽象論ではなく)具体的な設計レベルでみれば、新共通テストにおける記述式問題の形式や内容についていまだに十分合意が取れているとは言えない現状を示している。にも関わらず、「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」とか「大学が採点を担う国立大学側の独自案が具体化すれば、入試改革は実現に大きく近づく」などと断定する氏岡氏の記述に私は強い不信感を抱かずにはいられない。
ラノベ作家、漫画家、ゲームクリエーターなどを養成する専門学校の体験入学に参加してきました。
入るつもりは全くないのですけど、後学と言いますか社会の闇を見たくなって突撃した次第です。
別に、自分より程度の低い人たちを見て優越感に浸りたかったわけではありません。
有吉弘行は仕事がなかった頃、お年寄りが集まる場所に行って「まだ自分はやれる」と自分を鼓舞していたそうですけど、私の人間性はそこまで低くありません。信じてください。
もう三年近く専門学校を襲撃していなかったので、ムラムラしていたのですよ(本音)。
三年前の顛末は『ラノベ作家養成専門学校が酷い ~2nd Season~ http://anond.hatelabo.jp/20130901102804 )』にまとめてあります。
この過去エントリー読まなくても本エントリーは楽しく読めるので安心してください。
話は横道に逸れないのですが、『〜2nd Season~』をアップした直後から、Google先生が『ラノベ 専門学校 実態』をサジェストするようになったのはここだけの秘密です。
ちなみに『ラノベ 専門学校』でググると『〜2nd Season~』がトップに表示されます。
あと、このエントリーは若干長いです。3行にまとめると……
・学生超頭(・∀・)イイ!!
・講師陣優秀!
です。
まずはラノベ専攻科について。
卒業生の“掲載作品数”が多いと謳われていて、あっ(察し)ってなりましたね。
その証拠に現役ラノベ作家として活躍する卒業生の声が載っていました。一人。
新人賞取ってなかったり、密林レビューが一番多く付いている作品でもたったの8レビューだったり、3巻前後で打ち切りになっている作品がやたら多かったりと、香ばしいキャリアを詰まれて、もとい積まれております。
次、講師陣。
ハイローミックスですなぁ。
ジョージ・バーナード・ショーが「行動できるものは行動する。できないものが師になる」と言い残していますけど、まぁそうだよね。
それとなぜか名誉職なるポストがあって、まぁそこそこネームバリューのある人が収まっています。仕事しているの?
作家関係の講師ですと、昨年留置場にブチ込まれた方がいらっしゃいます。
すっかり名前を聞かなくなったと思っていたら、こんなところで働いていたのですね。くいぶち!
講師ではないんですけど、コスプレして剣を振り回していたイラストレーターさんや絶対に許さない声優さんが以前講演しに来たようです。
過去のイベント履歴を見ますと、いわゆる業界関係者が間歇的に小金を稼ぎに来ています。低学歴からどんどん搾取していこうな。
次、入試。
多いです。
一人の受験者が複数回筆記や面接試験受けるとかじゃなくて、正味で入試が二十六回あるんですよ。ふ、ふぇええ……
その上まだサイトに掲載されていない入試もあるようで、詳細日程は学校にTELすれば教えてくれるらしいYO!
なんで随時受け付けにしないのでしょうかね? 文科省に怒られるから?
次、各種イベントについて。
体験入学、学校説明会、入試説明会、保護者説明会、個別相談会、学費相談 etc.
大学のオープンキャンパスの比ではなくて、盆なんて関係なしに毎週行われています。
さらに学校までの無料送迎バスが首都圏六県と長野、静岡、福島から出ています(イベントによって発地は若干変わるよ)。
それと東京にある本校だけでなく、地方への出張説明会もあるようです。商魂、逞しい。
たぶんアレがアレしてアレなんでしょうけど、詳述するとPCに触れそうなので、リベラルを自認する私としてはお口にチャックでミッフィーしようと思います。ごめんチャイナ。
各学科の体験入学・学校説明会が開催されているのに、来校している見学者は数えるほど。
在校生と思しき若い人も少なかったです。本気でクリエイターになるなら休みも来ましょうよ……
受付を済ませると、『見学者様控室』に通されました。
見学者は私のほかは一人だけ。ガイジっぽい、専門学校ではなくお医者さんに行った方が良い感じの子が一人。
その子はイラストレーター養成講座の見学なのに、絵は描けないとか言ってる。人生、大丈夫か?
2-1=1だからつまりそのひょっとすると私は一人でラノベ講座を受けるのまさかそんなわけ……うっほほ~い!
パソコンが置いてある、謎の部屋に案内されました。
謎というのは、その部屋にあるパソコンもホワイトボードも何も使わなかったからです。
部屋にはラノベレーベルの編集者を自称するオッサンと、作家を自称するオッサンがいて、あぁ来たのといった感じで私を迎えてくれました。
編集者は所属している出版社名とか言いませんでしたね。専門学校の講師やりながら、激務で知られる編集者ってできるの?
自称作家のおっさんが最後に本を出したのは一年以上前。既刊で密林レビューが付いているのは半分くらい。全く知らない人ですね。
この二人、公式サイトの『講師紹介』には名前がなくて、学校側としては内緒にしておきたいご両人なのでしょうか? まさか講師ですらないというミラクルを私としては期待しております(切り込み隊長感)。
事前説明では小説を二作、ゲームプロットを一つ書く予定だったんですけど、そんなもの全く書かかない。
私はノートPC持参してきて書く気まんまんだし、二人の発言タイプしてるのに、オッサン二人は椅子にふんぞり返っているだけ。メモくらい取れや。
結局、自称業界人のオッサン二人と雑談しただけで“体験入学”は終わりました。
オッサン二人との会話が有意義だったらまだ救われたんですけど、話の内容も酷い。
自称作家は分からないこと聞かれると「作家は魂が重要なんです」みたいな精神論説いて逃げる。
自称編集者は『電撃にいた三木』も知らない、ユーザーが何に可処分時間を使っているかにも関心がない。
お二方とも物事を構造的に見られなくて、アンテナが低くて、社会人としての根本的な能力が疑われます。
三年前、専門学校の体験入学に応募したときは、頼んでもないのにどっさり資料が送りつけられて来たのですよ。
でも、今回はなかったですね……
仕方がないので帰り際に「くれ」って頼んで手に入れました。
ガキ、失敬、入学希望者がスマホで見ることを念頭に置いてるんでしょうかね。
活字びっしりで、内容は学校と企業のパイプがいかに太いか、就職実績はどれだけあるかというもの。
社会の厳しさを知っている親はお花畑スクールライフ見せられたら不愉快ですし、子どもは学校で遊ぶことしか考えていないので、この二方面作戦は賢明だと思います。
あと、学費。
サイトには載っていなくて、紙の募集要項に小さく書いてあるだけ。
年額約百五十万円。
体罰、暴力、いじめ、根性論など旧日本軍の陰が色濃く残る忌むべき競技。
一刻も早く無くなれと切に願ってる。
メジャーは「アホなアメリカ人のお遊び」としか思わない。黒人が少ないことからお察し。でも科学的なところはちょっと好感アリ。
オリンピックでメダルを取った?人を殺す競技のメダルなんて要らねーよ。
あっ嫌い。
チャラい
長い、つまらん
そもそもオリンピックが嫌い。
どこの国も(特に日本)(←これ重要)貧乏人差し置いて金持ちが観戦するために何千億の金使って…
あー応援する気になれない。
日本的で醜悪。
スポーツじゃねえよ。
NHKが関わってるのも駄目、耐えられない。
世 界 標 準。
「他人に知識がある前提を求めるのは馬鹿」と言ってるはてな民もフットボールのことを知らない人は即刻バカにするのは当然。
ブンデス、リーガE、プレミア、セリエA、リーグアン、知ってて当たり前。知らない人間は差別の対象。
先進的なヨーロッパに非常に根付いているスポーツで、日本は遥かに遅れてる。
まず高校サッカーという野蛮な大会は即刻止めて有望なフットボール選手はクラブのユースに一本化しろ。
全国の小学校の芝生化は急務。場所がなければそのへんの野球場壊して作れ。文科省はこれやってから解散しろ。
世界標準に追いつけ。
フットボール選手は他のスポーツ選手と違い、知性に溢れ、清潔感があり、たとえ高給でも庶民感のある素晴らしい人達。
日本人フットボール選手はまだそこまでのレベルではないが、いすれ追いつけるように善処すべき。
FIFAという組織が少し残念。でも、トップ以外は素晴らしい形態の組織。さすがフットボール。
子供ができたらプログラミングと同様に必ずフットボールをやらせたい。
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「タブー・タトゥー」
あらすじ:特殊能力持ちの人たちが戦うっぽい。
貶すだけで終わらしたくないので5分ほど考えたがよいところが思い当たらない。原作が11巻出ているのが不思議ですらある。話の展開がよいのだろうか、とも思ったが続きを見る気がしない。シリアスとギャグ、唐突に挟み込まれるわざとらしく古くさい「萌え」イメージ、キャラクターの感情の起伏、背景のトーンとキャラのやりとり、あらゆる点がちぐはぐな感じ。opやedを見る限り、なんかやたらに露出度の高いチャンネーが多いのも個人的に気に食わない。あと主人公の髪型が昭和のフォークシンガーみたい。いわゆる「中二」ぽいのは大好物だけど「かっこいい」のが前提だから…。
「甘々と稲妻」
上記「タブー・タトゥー」と続けて見たんだけど、開始10秒で冗談じゃなく、こんなに違うものかと驚いた。ちょっとした描写に神経が行き届いており、見ていて気持ちがよい。「ちょっとした描写」を丁寧に積み重ねることが、この作品にとってよい方法であることを制作側がはっきり意識しているのだと思う。キャラクターもよい。微妙に力の抜けたデザインもよいし、演技の方向性が第1話にしてまとまっており、トーンが統一されているのがすごい。モブ(お父さんの同僚)ですら! もう1回見る。もちろん視聴継続。あ、一点気になることがあった。「手作りの飯」を持ち上げるために「コンビニ弁当」を貶めているところはちょっと気になる。やむなしか。
「NEW GAME!」
あらすじ:みんなでゲームをつくるぞい。
最近、たまにある「仕事モノ」。明らかに「謎部活モノ」の系譜であるが舞台を「仕事」にすることで「みんなが気になるあの現場の実体は?」みたいな小ネタで興味を引けるのかなーとか思ったけどそんなことはどうでもいい。なんというか今の日本の萌えアニメのド直球、ドノーマルはここだ、という感じのアニメ。普通を極めた感がある。新しさはないものの極めているだけに出来はよい。しかしここまでのレベルでなければもはや「普通」にもなれないのだ、という意味で業が深い。原作見てないけどアニメ版は作品としての品質は段違いなんではなかろうか。とりあえず2話までは見てみようと思います。
「サーヴァンプ」
いかにも腐ったお姉さん方が喜びそうな雰囲気がすごくて二等身キャラのラバストみたいなのがじゃんじゃん出る未来がありありと見えたと思ったら翌日まさしくゲーセンで大プッシュされておりさすがえげつないと思った。こちらこそ「中二」作品の本命というかベッタベタながらキャラの立ったキャラ、まじめとアホのメリハリもしっかりしていてだいぶ見やすい。あと音楽が川井憲次で驚いた。役者もそろっており、手堅くまとめてきた感がある。グッズを売らなきゃいけないんだね…。お兄さんが変な演技をするのが好きな人なら見たらよいと思う。自分はもういいです。
部活モノ日常系かと思いきや片思いする女子が主人公のまっとうなラブコメだった。部長がぐうたらという設定や、その風体もあいまってどこか昔懐かしいアニメっぽさ(「あ~る」とかあそこらへん)を感じる。そのうえで女子に慕われる男子は「二次元大好き」と言ってはばからない今風(?)な人物という設定のミスマッチがちょっと楽しい。あと女の子がイキイキと動いているのでよいのではないでしょうか。第1話にしてちょっとした山場をちゃんと持ってきたのはすごいなーと思いました。ラブコメ全然見ないけど個人的には「デンキ街の本屋さん」の方がアホっぽくて好き。それはそうと男子生徒が描く「理想の二次嫁」のセンスが壊滅的では。
「魔装学園HxH」
あらすじ:ちちくりあって戦うぽい。
なんかそういうのがあるっていうのは聞いてたんですよ。なんかそういうエロバカ枠みたいのがアニメにはあると。「これか~なるほど~」てなった。「セーフティエフェクト※」じゃねぇわ。ちょっとおもしろかったです。よい経験になりました。ありがとうございました。
※際どい部分を隠すための要するにボカシ処理なんだけど妙にデザインが凝っててそれを「セーフティエフェクト」と言い張っている。
絵がとにかくすこぶるダサい。時代に取り残されている感がある。21世紀のアニメと思えない。銀英伝でも始まったのかと思った。なんとなくNHKっぽい空気がある。それで「うっわー」と思いながら見てたんだけど、なんか見ているうちに話がおもしろいような気がしてきて次回も予約してしまった。謎。あと主題歌が「天鏡のアルデラミン」ていうんですよ。「作品と同じタイトルを主題歌に付ける」とか、そもそもタイトルの「ねじ巻き~」ていうセンスとか、やっぱり昭和の時代にお蔵入りした企画かなんかが四半世紀を経て平成も終わりそうな今、やっと日の目を見たんでは。
「91Days」
あらすじ:怒って酒を売るっぽい。
復讐譚とのこと。終始重々しく暗い画が続くがきれいである。第1回のみと思われるopもかっちょよかったが次回からは凛としてる人の曲になるんだろう。ずっとこれで洋画風を貫いてもよかったのに。復讐に燃える主人公とトンチの得意な友人、という2人はエレンとアルミンぽさある。主人公の境遇もそこはかとなく似ていなくもない。アレをリアル世界に置き換えたらこうなりましたみたいな感じだろうか。それはそうと何もかもが淡々としており、主人公が急に巨人になるとか実はみんな巨人でしたとかヒロインの腹筋がバキバキに割れてるとか、アニメはもっとはっちゃけてほしい自分としてはここまでというところ。
あらすじ:昔の偉人に会うっぽい。
なんだこれ。文科省ご推薦アニメかなんかか。Eテレで午前中にやってる知育番組と言われたら信じるレベル(AEDの使い方も教えてくれるよ!)で、そう思うとキャスティングも「とりあえず金はあるから!」って(微妙に旬の過ぎた感のある)有名どころを適当につまんだ感じに見えてくる。タイムトラベルしたのは制作スタッフなのではないかと思える90年代ぽい絵柄や演出(目がハートになるとかマジかよ)をなんで今!? 誰が? どうして? としか思えず個人的謎アニメ枠の今季暫定No.1を思うがままにしています。
小森霧(絶望先生)みたいのが飛び回りながら包丁でゾンビ無双をする様が見たい、ぜひ見たい、という方がおられましたら見るとよいと思いますが第1話だけでは世界観があんまりよくわからなかったのでおすすめかと言われると何とも言えない。原作や制作は中国スタッフだそうで、絵柄も日本のアニメとアメコミの中間といった感じで珍しくおもしろかった。「へー、ゾンビものなんだー」と思ってたら「キョンシー」の一言で我に返る。edは恐らく日本人制作で非常にわかりやすい日本人(のおっさん)の萌えが溢れており本編とのテンションの差が愉快ではある。
あらすじ:県を背負って戦うぽい。
「ぼくらの」が好きなんだけど、鬼頭莫宏の冷たい目線で「ベタなロボットものを描いたらこうなりました」っていう。思えばエヴァだってある種の「リアル」を打ち出した作品だけども、「ぼくらの」はもっとずっと「死」が身近でウワワと思ったものです。翻って本作は「子供が戦争に駆り出される世界」を描いているんだけれども、そこに「死」のにおいは一切なく、しかしそれが「あえて」であって少しずつ表面化してゆくのならおもしろくなるかもと思いました。何しろあのお姉ちゃんの歌はファンタジックな能力を装いながらあからさまに戦意高揚だし、千葉・神奈川・東京は陸・海・空軍だし、また学生服とは即ち軍服である。ダブステップ(今更感もあるが)をbgmに敵をブッ殺しまくっている少年少女を見ていたら、なんだかアメリカの軍人は分厚いヘルメットの中で大音量のメタルを聴きながら作戦遂行している、みたいな話を思い出したりして。果たして「9条改憲」だとかいった話が取りざたされる昨今、この作品が放映されているのは偶然なのかそうでないのか。個人的には、より陰惨な展開になることを期待しています。
あらすじ:世界の滅亡を防ぐっぽい。
風呂アニメ。本編24分(op・ed含む)のうち、実に12分(思わず計った)にも渡り風呂に入っている。しかも視聴者を飽きさせないように大浴場、露天風呂、サウナ、打たせ湯と種類も豊富。日本アニメ界が過去数十年に渡り研鑽を重ねてきた「謎の湯けむり」「謎の光」といったセーフティエフェクト(覚えた)の髄を見た気がする。次回以降もぜひこのテンションでやっていただきたいと思います。見ないけど。片翼のキャラの背後に広がる雲が、失われた翼のように見えるカットはきれいでした。
「あまんちゅ!」
あらすじ:海に潜るっぽい。
「ARIA」は原作もアニメも割と好きで、こちらの作品に於きましても「うぴゃー」だかなんだか、あーいつものって感じ。のほほんとした空気をまといながらも見る人を相当に選ぶソリッドな作風であり「恥ずかしい台詞禁止」ってこっちの台詞だわ、といった向きもあるのだが、それも含めて海のように広い心で見ることができれば平和そのもの。先生の言葉に体の力が抜けてしまったり、ぴかりかわいい! とかツイッターに書いたりすることになる。同じ画面で(各キャラごとに用意されている)デフォルメの顔と素の顔が共存するあたりからも、そういった「差」を乗り越えて全部まるっと母なる海のように受け入れるぞ! という世界観が快い。ちくしょう! なんだかくやしい! と思いながら継続します。ところで勝手に「海女」の話と思ってたけど、どちらかというと「スキューバダイビング」の話なんだろうか。
「モブサイコ100」
あらすじ:霊を清めるっぽい。
おっしゃれー。原作の人は相当に絵が下手だったような気がするんだけど、下手な絵故の「空白」がたっぷりあってそこにもうアニメーションの可能性がみっちみちに詰め込まれた状態である。話がどうとかは割とどうでもよくて「わーこんな絵が! 今度はこんな絵が!」といった楽しみ方ができます。つくってる方も楽しいんじゃなかろうか。個人的にはハマらなかったけど。
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以上、2016年・夏期アニメ14本の第1話を見た感想でした。
視聴継続は「甘々と稲妻」「天鏡のアルデラミン」「NEW GAME!」「あまんちゅ!」の4本。
今までアニメ新番組の第1話を全部見る、ていうのやったことなくて、
さすがに全作品は無理と思ってできる範囲でやってみたが大変に疲れた。
それにしても、これだけの数と品質のアニメが毎週無料で放送されているとは、
なんて贅沢なことだろうと思いました。日本人でよかったね! おわり。
当たり前だけど、憲法改正には国民投票での承認が必須となってる
改憲派が議席2/3獲得したら、それだけで改憲されるのかというと全くそんなことはない
ただ、イギリスのようなことがあるから、まず2/3とらせないのが大事だ、って考えもあるんだろう
でもそれは心配いらない
厳密には反対ってわけでもないんだが、現状ではすぐ賛成できるわけじゃないから、今のままなら反対に入れることになる
それに、日本人はかなり保守的な国民性だし、法を運用する人以外に憲法で不都合な思いした人間って少ないはずだから、わざわざ改憲に賛成票を投じる理由もない人ばかりだ
実生活に密接な事案で、イギリスですら接戦だったのだから、日本で改憲の可決はまずない
だから政権運営と改憲は完全に分けて考えるべき話で、改憲なんかそもそも選挙の争点になり得ないんだよ
なぜか?
だから、感情論で国の危機を訴えるしかない、って発想になってる
いや、逆だよ、逆
勝てなかろうが議席減らそうが、地道に正攻法で勝負していかないと、10年後に信頼される野党には絶対になってないんだって
民主が政権取るとどれだけの大惨事が起きて国益を損なうかっていう壮大な社会実験が終わって、もう二度と、あんな事が起きてはならないって、戦争以上に繰り返してはならない過去としてみんなの記憶にインプットされてるわけじゃん
だから、自民支持だけど、ちょっと不満があって、「俺くらい批判票で野党入れてもいいだろう」が安易にできない世の中になってしまったんだよ
野党に入れるときは、批判票じゃなくて、明確にここに預けても構わないと思った時だけだ
俺は安定した平和な国が好きで、投資もしてるから株や経済が調子いいのが好きだ
さらに、私大の教員をしてるので、経済が良くないと学生は来てくれなくなって俺が飢える
だから、世の中を乱すことのない、安定した与党しか入れることはできない
しかしだ、日銀の迷走っぷりもそうだし、文科省の私大定員への通達もそうだし、経済政策だって支持はしてるけどもうちょっとなんとかしろよと思ってはいる
だから、自民が真面目に危機感を持つくらいには、議席は減ってもいいと思ってる
でもさ、そこで代わりに増えるのが、本質じゃない不祥事の追求ばっかやって、真面目に建設的な議論なんてさらさらやる気のない党なわけで、そういう党しか野党にいないわけじゃん
そりゃ、そんなとこ投票できないよ
批判票で自民以外に入れるなら、幸福実現党とか、支持政党なしとか、死票になるとこしか選択できん
俺は本当に、真面目で強くて、自民よりも優れた政策を展開できる本物の野党を望んでいる
そういう党がないと国は良くならない
現役教員の自分から見るとそうやって訴えてる人をみると「働きたくないでござる」感を感じてしまうのは気のせいだろうか。
休日出勤なんて今の日本でどれだけ行われていて、人権無視した労働をいくらでも行わせているところはあるわけで、ワ○ミとかね。
必ずしもそれを「是」と肯定するわけではないが、今の部活動問題に「働きたくないでござる」感が漂うのはなんでだろう。
教育にかける情熱はみなさん同じのはず、なのに部活動をやらない教員に対してやっている教員からみると「働きたくないでござる」感を感じ取ってしまうのはなぜだろう。
それは自分がもはや洗脳されているからなのかな。「学校」というシステムに。
今日も部活動の指導をしてきた、6月は何かとイベントが立て込んだので、明日ようやく6月で初めての休日がもらえる。
1日のみの休日なんて翌日の準備やたまってた私用を片付けてたらあっという間に終わってしまう。
趣味のゲームもパズドラのスタミナがダダ漏れになるし、新作のゲーム(オーバーウォッチ)も買いたいが買う踏ん切りがつかないぐらいには時間がない。
平日の帰宅後の過ごし方をもう少し無駄がなくせるかもしれないが、1日が終わると割と疲れてしまう。
そんな生活送ってる1日の最後にTwitterを見て、部活動を指導しない教員が声高に運動をしている姿をみると「働いてないのに、うっせえ」と心のどこかで思ってしまう自分がいるんだよね。
ひと段落して思う。
やっぱり自分は学校というシステムに洗脳されかかってる。確かに何とかしないと。
でも、運動している人たちにいいたい。
今部活動問題プロジェクトの主張していることは、確かに実現できれば素晴らしいことだよね。
ただ、「実現するための具体的なプロセスや予算がどこにも書いてない。」んだよね。
賛成派、反対派、中間派のそれぞれから、相当数のヒアリングをして、案を作って、どこかモデルケースを作って、予算をつけて、最も建設的な提案をしないと。
理想を掲げるだけじゃ世の中は意外と冷たいんだよ。子どもにはそれでいいかもしれないけどね。大人は理想だけでは誰も共感してくれないんだよ。
理想や願う姿を振りかざして運動するのが実に教員らしんだけどね。
でも、部活動問題を解決するためには教員の力だけじゃどうにもならない。
小学校(あるいは中学・高校)の空き教室を転用して保育所として整備するのはどうだろうか。
公立学校のどの学年も、最盛期に比べたら児童数は絶対に少ないし、35人学級にしたところで学級数も少ないに違いない。
どう転用するのがよいか、わからないけど、感覚的には5つかそこらあれば賄えるんじゃないかと。
もちろん一階部分でね。
乳幼児が近くにいる環境で勉強するのって、悪くないんじゃないかな。
『赤ちゃんにきびしい国で』って境さんの本読んだけど、あれで「赤ちゃん先生プロジェクト」って出てきたよね。
いまどき年の離れた小さい子とふれあう子どもが周りにいないもんだから、
成人すると子供の扱い方がわからなくなって、子供のかわいさも知らない。
だから子ども生みたくないんだよ。子育ての大変さも、子どものかわいさも知らない。
まぁ、そういう世の中になっちまったのは、、、
政府がそんなこと言ったらふざけんな、と言いましょう。
だいたい自民党政権よ、あなたがたが仕事さぼったからこうなったんだよ。え?
男女雇用機会均等法の成立前後だったか、保育園つくるのが煩わしくて「子育ては家庭でやってね」って決めたからだろ?
なのにいまさらどの面下げて「女性活躍」なんて言ってるんだこのやろう。
まずは、学校とか、ほら、役所の使ってない会議室とかあるだろ。どうせ役に立たない議論ばかりやってるとこ。
公民館だっていいんじゃない?杉並は区民センターもあるわけで、それとは別に集会所があるようだ。
まあ、僻みや妬みがでてくるのはわからんではないけど、
「京大生への教育投資が!」的な声が多いのは正直よくわからん。
んなもん職業選択の自由だろ。
国家の問題どうこうを言う、おまえのほうが、憲法ないがしろにしてるだろ
個々人の人生の自由が阻害されることのほうがよっぽど大変なことだよ
そもそも、京大や東大を出た人間が人生を自由に選び取れるわけでもなし
おれだって、大学出たあと半年ニートやってたしな。そのあとも、なんどか仕事やめたりしてる合間で合計で3年ぐらい無職だわ。
少なくとも、法や倫理の問題として、職業選択の自由を論じるのはどうかと思う
頭脳流出やら、キャリアプランニングと教育の関係をうまくまわすための政策的課題として議論しましょうっていうのならわかるよ
まあ東大とか京大出た人が、みんな主婦とニートになったら困るから、
そこは「なるべく、東大出た人はなるべく日本国内できちんとしたキャリアを歩んでもらえるといいね」っていうぐらいのことを
実現するために、それをサポートするための政策的とりくみをやりましょう、っていうぐらいの話は別にいいよ
それはやればいい。
でも、主婦やりたいって人はやればいいじゃん。無職になりたい人は無職になればいいじゃん。
なんで職業選択の自由の問題と、政策的課題みたいな話をごっちゃにして、偉そうな説教たれてる奴がこんなに湧くの?
我々ははした金のために、我々の自由を引き渡すようなことをするべきではないよ。
大学の国際競争力強化を狙った「スーパーグローバル大学」(SGU)構想。文部科学省の肝いりで始まったが、選ばれた大学が不満を募らせている。国の支援が想定より少ない上、予定していなかった仕事も次々発生しているからだ。
「これじゃまるで『SGU詐欺』だ」。東日本の大学トップは「びっくりするほど支援の額を値切られた」と話す。
SGUは世界に通用する研究や国際化を進める大学を重点支援するため、文科省が2014年に募集。104大学が計画を提出し、37大学が選ばれた。「世界ランキングトップ100を目指す力のある大学」(タイプA)は最大で年5億円、「グローバル化を牽引(けんいん)する大学」(タイプB)は最大年3億円を、それぞれ最長10年間支援する。
だが、15年度の平均支援額は、タイプAが2億8800万円、タイプBは1億3100万円。1億円未満も5大学あった。「あれだけぶち上げておいてこれか。文科省は風呂敷を広げすぎ」(西日本の大学幹部)。「今も納得していない。でも、『文部科学省さま』に文句は言えない」(関東の私大の担当者)。さらに、各大学への交付額は未公表で、「あの大学はうちより少なかったようだ」などと臆測が飛び交う。
各大学に昨秋、文科省からメールが届いた。会議やシンポジウムでは、「SGU」ではなく正式名称を使うようにとの内容だった。札幌学院大が「SGU」を商標登録しており、「SGUを使用した場合、商標権を侵害」と書かれていた。東日本の大学の担当者は「印刷物を刷り直すはめになった。完全に余計な出費。最初に調べておいてほしい」と怒る。
さらに、文科省の定める英語での呼称は「トップグローバル」大学。「スーパーグローバル」は英語では普通は使わない表現だからだ。西日本の大学の担当者は「なんで国内向けはわざわざ妙な名前にするのか。海外向けに翻訳する際、直す手間がバカにならない」とあきれる。
テレビ番組で英会話講師を務める鳥飼玖美子・中央教育研究所理事は「英語では、『グローバル市民』なら国連などでも使っているが、『スーパーグローバル』なんて言い方はしない。『トップグローバル大学』と言えないことはないが、あまり聞かない」。事業自体についても、「そもそも海外ではグローバル人材という概念がないし、グローバル化は否定的にとらえられることもある。グローバル人材育成という発想が、グローバルでない」と指摘する。
■「背伸び」した計画も
SGUに選ばれたくて、実現が難しい計画を立てた大学もある。東日本の大学の担当者は「海外の大学と留学の協定を結ぶことや、受験生受けを考えると、『国のお墨つき』がないと不利。計画をちょっと『盛って』しまい、精査して青くなっている」と話す。
計画には、留学生の割合の数値目標も盛り込まれている。現在、海外からの留学生の授業料を減免する大学が少なくない。学生の定員は決まっており、留学生が増えるほど授業料収入に響く。例えば、授業料100万円の3割を減免する場合、留学生の受け入れを2千人増やすと年6億円の負担増になる。「『もうからない』学生の割合が増え、経営体力との勝負になる」(西日本の大学)。減免措置の見直しを検討する大学も出始めた。
SGUに選ばれた多くの大学が外国人の教員の比率を上げる目標を掲げた。ただ、外国で教育研究歴のある日本人でも「外国人教員等」として比率に含めることが可能だ。「外国人教員の確保は大変なので、日本人で達成すればいい」(関東の私大)という、「数あわせ」も頻発しそうだ。
■当初より採択大学数増え…
事業を担当する文部科学省高等教育企画課の担当者は、支援額への不満について、「大学から直接少ないと言われることもある。財政状況が厳しく、予算を思っていたほど確保できなかった上、当初予定していた30大学より採択大学数が増えたので、1大学当たりの支援は少なくなった。『最大で』の金額が、誤解された面もある」と説明。「スーパーグローバル」の呼称については、「和製英語。でも、分かりやすいし、インパクトのある表現だと思う」。外国人教員の比率を巡る大学の対応は、「グローバルな日本人であれば問題ない。外国籍でなければならないということはない」。計画を『盛った』大学の存在は想定外で、担当者は「ちゃんとやれないなら理由を説明してもらうことになる」と話している。(石山英明)
http://digital.asahi.com/articles/ASJ4T5DB4J4TUTIL04W.html?rm=514
表現で剥離と使うと乖離と言い間違えたと指摘され誤用と扱われる。
しかし乖離という表現が一般的だと知った後でも、どうも剥離の方がしっくりくる時がある。
剥離は無惨にベリベリ剥がれ堕ちていったイメージで、そんなイメージから剥離を選びたいような気がしてきたりする。
(追記)
上記の文章を書く前に調べたら知恵袋で似たようなことを質問してる人がいてそこでも大体一般常識だから~という論調でボコボコにされていた。
トラバの概念か物理的かの違いは分かりやすく納得がいったが、ブコメは大体一般的だから~とかいう物言いばかりで、そういう話をしているのではないのになと思った。
某選手の延々と永遠も、自分はやっぱり延々派だけど所詮はツイッターだし本当に「永遠」と言いたかった可能性もあるなと思うし、それが悪かというと悪ではないよなと思う。
彼の場合は普段から色々と突っ込まれやすい発言が多かったから強く言われてしまうんだろうなと思う。
そもそも言葉というものは元来変化していく前提の下にあるものだ。歴史がそれを証明してもいる。
文化や言葉はいつでも発展途上にあるもので、だからといって古いものが悪いわけでもないが新しいものが悪いわけでもない。
古いものもかつては新しかったものだし、似ている意味の諺や慣用句がいくつがあるものもあったりする。
延々と永遠みたいなのも意味は容易に想像がつくし結果大半がほぼ同じ意味だととることができるだろうから片方が100点でもう片方を0点とするまでの差はないだろと思う。
正式で厳格な論文とかならともかく呟きや日記程度で堅苦しい言葉の使い方や使い分けを強要するのはつまらないなと思う。
(そもそも論文とかの方が一般的に分かりにくい表現や文章になっていたりもするが)
果物を普通の包丁で切っている人に対して果物を切るときは果物ナイフしか使っちゃダメだというようなものだ。
文章を書いた者があえてその言葉や表現を選んだ意図や意味を想像するのも一つの価値となるはずだ。
知り合いの英語教師から聞いた話だが、正しい日本語や言葉の使い方だなんだとうるさく文科省が指定したりするのは日本くらいで、
海外では野放しなので、日本が教える外国語と実際現地で一般的に使われる外国語に大きな差が生まれてしまっているとか。
そんな中でも漢字や語句の読み方というのは語句の表現や比喩の用法よりも明確に正しいか間違ってるかが分かりやすく決めやすいものだと思う。
しかし現実には明らかな読み間違いですら常識化されて、それが一般的になってしまった例がいくつもある。
それに比べると表現や語句の用法というのは厳格でなくてもよく、個々の好みや裁量が広めに許されるべきだろうと思うが…。
ブコメでも文学的表現であればしっくりくる方を使えばいいというコメントがあったが、表現の話なんだからそういうことを言いたかった。
あとキャラクターとシナリオの剥離の記事は書いてないし読んでもいないが、その場合にも意図によっては剥離使うのもありかと思う。
剥離はくっついてたものが離れるという意味というコメントもあったが、だからこそそっちが合うように思える時があるって話をしていた。
まあトラバの概念と物理の話が本当なら乖離が正しいと思うが、既に結構よくある誤用例らしいし後に使用許可される範囲が広がっていくのかもしれない。
増田はゲイで過去にもいくつか(セクシャルマイノリティサークルの現実とか腐女子のみなさんへの2つの提案とか)書いてきたのだけど、今日は分断統治されそうになったというお話をします。そう、あのイギリスがやったアレ。今回イギリスポジションに誰がいるかというと馳浩文部科学大臣を擁する現内閣です。
馳浩文部科学大臣記者会見録(平成28年1月29日):文部科学省
大臣会見なのだが、めちゃくちゃまともなことを言ってて、あれ自民党なのこのひと??ってレベルでびっくりして評価している事例です。実際、「性同一性障害や同性愛などの性的マイノリティー(LGBT)に関する超党派の議員連盟」(LGBT巡る超党派議連、立法検討チーム設置 :日本経済新聞より)の会長をやっている。
谷合氏は、教育現場における自殺対策の現状を確認。その上で、自殺のハイリスク者とされる性的少数者(LGBT)の児童への差別解消や理解促進に取り組むべきと求めた。
大臣会見ではとりあえず議論を進めようなのだが、公明党の議員による質問をまとめた記事を見ると、若年のLGBTが自殺ハイリスク層であるという最もLGBTの問題としてクリティカルなところを、的確に問題として捉え、しっかり具体的な対策をしようとしているのが分かる。超まとも。これは余談だけど渋谷区のアレを中心としたLGBTブームはここを解決しようとする意思が見えないからなんか嫌だなって思ってる。特に渋谷区のやつは婚姻届よりも費用かかってて謎い。
馳浩文部科学大臣記者会見録(平成28年3月29日):文部科学省
さて、そんなわけで、自民党もまともになってきたかな、自民党はともかく馳浩はまともなのかなと思ったら、これである。文科省から各自治体に対して朝鮮学校の高等部に対する補助を、北朝鮮の仕業を踏まえて考えろ、実質やめろって言ってる通知が出たのだが、記者会見でのこの歯切れの悪さ。言質取られたら負けって分かってて察せよというメッセージを組み込んだ、完全に自分が悪いことをしているとわかってる悪人の仕事である。シンプルに在日差別である。これに関しては、朝日の社説がよくまとまっていた。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12268692.html
さて、このニュース、最初に聞いた時は完全にスルーしていた。自分は在日でも北朝鮮人でも韓国人でもないからだ。この言い回しをして気づいた。これってまさに"彼らが最初共産主義者を攻撃したとき"(彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia)ってやつじゃんって。本当にびっくりした。まさにいま自分がその状況に置かれようとしているとはって。
日本が最後に戦争に負けて70年。全体主義がこういう形で復活してきたんだなって感慨深い。感慨深めてちゃ日本人としてダメなので、どうにかして朝鮮学校に関して支援できないかって思ってるのだけど、具体的にはどうしたらいいものかが分からない。方策を知っている方は教えてほしい。日本でまた全体主義が復活するのはかんべんなのだ。
増田はゲイで過去にもいくつか(セクシャルマイノリティサークルの現実とか腐女子のみなさんへの2つの提案とか)書いてきたのだけど、今日は分断統治されそうになったというお話をします。そう、あのイギリスがやったアレ。今回イギリスポジションに誰がいるかというと馳浩文部科学大臣を擁する現内閣です。
馳浩文部科学大臣記者会見録(平成28年1月29日):文部科学省
大臣会見なのだが、めちゃくちゃまともなことを言ってて、あれ自民党なのこのひと??ってレベルでびっくりして評価している事例です。実際、「性同一性障害や同性愛などの性的マイノリティー(LGBT)に関する超党派の議員連盟」(LGBT巡る超党派議連、立法検討チーム設置 :日本経済新聞より)の会長をやっている。
谷合氏は、教育現場における自殺対策の現状を確認。その上で、自殺のハイリスク者とされる性的少数者(LGBT)の児童への差別解消や理解促進に取り組むべきと求めた。
大臣会見ではとりあえず議論を進めようなのだが、公明党の議員による質問をまとめた記事を見ると、若年のLGBTが自殺ハイリスク層であるという最もLGBTの問題としてクリティカルなところを、的確に問題として捉え、しっかり具体的な対策をしようとしているのが分かる。超まとも。これは余談だけど渋谷区のアレを中心としたLGBTブームはここを解決しようとする意思が見えないからなんか嫌だなって思ってる。特に渋谷区のやつは婚姻届よりも費用かかってて謎い。
馳浩文部科学大臣記者会見録(平成28年3月29日):文部科学省
さて、そんなわけで、自民党もまともになってきたかな、自民党はともかく馳浩はまともなのかなと思ったら、これである。文科省から各自治体に対して朝鮮学校の高等部に対する補助を、北朝鮮の仕業を踏まえて考えろ、実質やめろって言ってる通知が出たのだが、記者会見でのこの歯切れの悪さ。言質取られたら負けって分かってて察せよというメッセージを組み込んだ、完全に自分が悪いことをしているとわかってる悪人の仕事である。シンプルに在日差別である。これに関しては、朝日の社説がよくまとまっていた。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12268692.html
さて、このニュース、最初に聞いた時は完全にスルーしていた。自分は在日でも北朝鮮人でも韓国人でもないからだ。この言い回しをして気づいた。これってまさに"彼らが最初共産主義者を攻撃したとき"(彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia)ってやつじゃんって。本当にびっくりした。まさにいま自分がその状況に置かれようとしているとはって。
日本が最後に戦争に負けて70年。全体主義がこういう形で復活してきたんだなって感慨深い。感慨深めてちゃ日本人としてダメなので、どうにかして朝鮮学校に関して支援できないかって思ってるのだけど、具体的にはどうしたらいいものかが分からない。方策を知っている方は教えてほしい。日本でまた全体主義が復活するのはかんべんなのだ。