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はてなキーワード: 中間派とは

2022-12-12

colaboの話題はもううんざり

Twitterを開けばcolaboの話題ばかりで本当にうんざりしている。デマとかそういう以前に、あまりにくだらないとしか言いようがない。


そもそも「公金の不正使用」とか「税金無駄遣い」とかの問題にやたらに熱心な連中は、相手にすべきではない。


第1に、実のところ問題にしているのは「公金の不正使用」などではないから。10数年前に官僚公務員の「税金無駄遣い」を執拗攻撃していた人たちが、安倍政権下のモリカケ問題を熱心に擁護し、現在五輪汚職でも何一つ反応していないのがまさに象徴的だ。本来の主張を正直に主張すべきなのだが、それだけと支持者はごく限定的になってしまうという計算から、「公金の不正使用」「税金無駄遣い」の問題にすることで、中間派を騙して釣って味方につけようとしているわけである。悪質としか言いようがない。

第2に、colaboの「公金の不正使用」を暴き出すことに成功したとして、そうした扇動的世論の盛り上がりの結果起こることは、業務委託されている公益団体が「不正をしていない」ことを証明するための余計な業務が激増するか、めんどくさいからすべて民間営利企業に丸投げするかになるだけで、おそらく社会的弱者にとっては何一ついいことがない。兆単位金額不正政府政権の中枢が関与しているというならともかく、一NPO団体の「不正」に血なまこになる理由がどこにあるのだろうか。今のところ、悪質な詐欺犯罪的なことに手を染めているわけでは全くなく、その「不正」に対する怒りとしては度を越しているとしか言いようがないだろう。


この問題の発端である暇空茜氏は完全に馬鹿馬鹿しい陰謀論に染まっており、最大限好意的に見ても立花孝志と同じレベル人物で、まだ真面目に付き合っている人が多いのが不思議である特に弁護士など知的職業従事している人で)。


追記


正面から批判ではなく、揶揄嘲笑批判するというのはこれまでもよくあることだけど、それに「そんな話題に興味持っているのお前だけだろ」みたいな新手の揶揄が登場していることが驚き。



増田ホットエントリも一時期この話題だらけだったから、否応なく目につくし、興味を持つなというほうが難しいはずで、「そんな話題に興味持っているのお前だけ」は嘘と断言していい。

2021-11-01

anond:20211101135818

からそういう物言いが「経済カルト怖い」という印象になって、中間派から敬遠されているんだろうが。


そもそも貧困の実情に詳しい、福祉専門家反貧困運動の人たちが消費減税策同調していないことは強調しておこう。

2021-09-29

NHKニュースで岸田さんの政策演説流してるけど

立憲が地盤を広げるスキが見当たらない。

自民グダグダだった間に、野党同士で政策のすり合わせや選挙合意いやら、ちゃん政治基盤を作っておくべきだった。

今、立憲がハリボテで政策を積み上げても、バラバラ感が否めない。しかも、えだのんの会見も相変わらず中間派に向けたメッセージになってない。国民党も取り込まないと駄目なんだよ。

野党応援したいが、政権交代までの道のりが見えなすぎて泣きたくなる。

2021-05-26

anond:20210526022532

派遣解雇規制が緩和されない限りなくならないけど、多重中抜き禁止することはできる。

不動産仲介手数料みたいに、全体のパーセンテージの上限を決めておいてそれを中間派業者で分配するようにするとか、いろいろできることはある。

2020-03-01

コロナ危険性を話し合うとケンカになる

仲のいい友達はまったくマスクもせず、行動も変えない派

実家の姉夫婦は過敏派、マスクうがい手洗いはもちろん、お出かけも室内はダメ外食ダメ! 旅行なんてとんでもない!

自分中間派

どっちとも付き合いにくい…

2018-07-09

麻原プラン=四女が新団体設立して教祖になる計画

マスコミが一番狙っているのは四女のスクープ。(報道関係者の内輪話を聞いて盲点発見

忘れないうちに一応メモ

 

麻原は、自分のことを詐病だと言っていた四女を遺体引受人に指名したという。

これが事実なら、麻原と四女の間に、四女を教祖とする新教団構想があったのではないか

オウムから逃げたいと言って江川紹子氏に後見人になって貰ったときも、四女は教団を作ろうとしていたという事実とも符合する。

 

しかし、残念ながら彼女父親を「グル」と崇める気持ち宗教的な関心は、私が気が付きにくい形で、むしろ深まっていました。

彼女状態が分かるたびに、私はカルト問題専門家の協力を得ながら長い話し合いを行いましたが、効果はありませんでした。

江川紹子さんも四女の虚言に騙されていた)

 

1. 四女は麻原を詐病だと公言していた。

理由は、面会時に麻原が四女にだけ分かるように話しかけてきた、ということ。

「さとか…」それは、私にだけ聞こえるくらいの小さくて懐かしい父のこえでした。

父は右手自分の口を覆い隠すようにして、笑い声でごまかすように、私の名前を呼んだのです。

看守は気付かなかったようですが、私には聞き取れました。

いや、おそらく口の動きが見えていなければ私も聞き逃してしまたかも知れません。

 

2. 四女と麻原の会話

ということは、四女と麻原との間に会話が成立していた。

(他に会話が成立したという人は、東京拘置所職員を含め誰もいなかった。)

 

3. 麻原が四女を指定

麻原は、死刑執行直前に四女を遺体引受人に指定した。

オウム真理教の松本智津夫元死刑囚が6日の執行直前、東京拘置所職員に、自身遺体を四女に引き渡すよう伝えていたことが7日、関係者への取材で分かった。

 

4. 麻原と四女の密約

とするなら、麻原と四女との間に、何らかの「取り決め」があったから、四女が選ばれたと考えられる。

 

5. 四女の行動

四女は過去に、アレフトップに立とうとしたり、新しい教団を作ろうとしていた。

――その事件村岡さんはA派から中間派転向したと言われるわけですが、一時は村岡さんたちが四女を担ごうとしたわけですね。

 

6.四女が新教祖

これらの事実を踏まえると、「四女を教祖とする新教団を作りなさい」という麻原の指示があり、四女はその指示に従って行動していると考えられる。

 

麻原と四女の間に何があったのか?

2018-01-16

人類が毛の呪縛から解放される日

私はハゲている。

毛は勝手に生えてくるし勝手に抜ける。生えてほしいところには生えてくれないのに、要らないところの毛はやたらと伸びる。

自分の体に生えている一番長い毛は乳首の横に一本だけ生えているチーくん。もはや友達だ。大切に伸ばしている。

女性脱毛お金をかけるのは自分コントロールの効かない部分を制御するためなのだ、という文章をどこかで読んだ。たしか自分自分コントロールの効かないハゲに頭を抱え、更にハゲ助長させている気がする。

ハゲはつらい。部下の女性と目が合わず彼女目線が上の方に行くのが分かる時が何よりつらい。風が多少なりとも吹いている日は前を向いて歩けない。濡れるとさら悲惨だ。海やプールへの誘いを一体何年断り続けているのだろう。ちなみに私はまだ20代なので、同僚たちのフサフサで艶のある髪を見て自尊心が傷付けられる。

ちなみに皮膚科に通っている。肌が弱いのがハゲの原因の一つにあるみたいだ。でも治療の成果が出ている気はしない。AGAについても調べたが、薬の副作用が怖いなと思って以来気が進まない。スキンヘッドにする勇気はまだない。頭の形が悪いし、頭皮に湿疹があるからできるだけ隠したい。

よし、そうだ、毛から解放された人類のことを想像しよう。

その人類は毛が一本も生えない。その代わり、オシャレカツラ産業がとても盛んだ。人々は自分オリジナリティ溢れるカツラデザイン表現する。カツラの色や形にも流行世代があって、カツラを見ればその人がだいたいどんな人間なのかが分かる。

まつげやまゆげが無いのは目に悪い気がするから、目を保護するためのつけまつげつけまゆげが普及している。あとつけ鼻毛も。つけ陰毛で愛を表現する人たちなんかも現れる。

人類は毛をコントロールし、デザインし、肉体のすべての制御を手中に収める。人類がまだ制御できないものは死とうんこくらいだ。

そんな世界になったら、チーくんと離別することにはなるものの、ハゲによって磨り減った私の心は輝きを取り戻し、海に行ったり風雨の中を堂々と歩いたりできるようになるのだ。自分制御できないもの判断されることは減り、我々は我々のことを自分の思うままにデザインすることができる。

でも、私は飽くなき人類の一員なので、毛の制御だけに飽き足らず、健康な肌や、凛々しい目や、高い身長に憧れて、それら全てを制御できる世界を夢見ることだろう。そんな世界での外見は、インターネット世界アバターみたいなものなのだろうか。

だいたい皆同じような美しい体や顔を持っていて、派手な装飾品やありえない色合いで差異を付ける。しかしそんなアバターばかりが増えてくると、自分ありのままを受け入れる「自然派」が一番だみたいな主張をする人たちが現れる。

世界は「アバター派」と「自然派」と「中間派」に別れ、それぞれに所属する人間たちにはなんとなく特有の傾向が生じてくる。そして終わりのない論争が起きる。昼下がりのワイドショーでそれぞれの派閥所属する人間たちが唾を飛ばし合う。

人間は与えられたものを受け入れるべきだ」「いいや、与えられたものだけで生きて行くのに苦痛を感じる人だって居る」「自分が苦しいと思うものだけ改善すればいいじゃないか」そんな怒号が飛び交うワイドショーから今日わんこ』にチャンネルを変えるところまでを想像し終わると、私はいつも考えることをやめて、頭皮に軟膏を塗り、チーくんが今日も元気かどうかを確認する。

2017-11-30

リベラルは「ゾーニング戦士」だなww

オタクが「表現の自由戦士」と笑われているけど、リベラルゾーニングを推進しすぎて大概だわ。




表現の自由も、ゾーニングも、それ自体はすばらしい理念だよ?

でも、原理主義みたいにそれを推進したら、うまくいくはずない。


例えば最近話題コンビニエロ本問題だって、すでにゾーニング実施されている。

そういう本は店の片隅に置かれていて、子供立ち読み・購入を禁止されているが、これはゾーニングの一つの形態である

子供たちはそういう卑猥な本を軽蔑するようになるし、それを買っているエロオヤジのことも軽蔑するだろう。

私は撤去しなくても、この現状のゾーニングでちょうどいいと思うけどね。


もし店内でエロ本立ち読みするオッサンが怖いというなら、本をビニールで包んで、大人立ち読みができなくするくらいの対策はしてもいいかもしれない。

ただ、コンビニに陳列してあること自体問題だというのは、私の感覚ではちょっと理解できない。

リベラルが言っている「見たくないものを見ない権利」は、行き過ぎた過激思想ではないか


実際には「どっちでもいい」と考える人たち、または「どちらかというと不快だが許容範囲」くらいの中間派がたくさんいるはずだ。

リベラルはそれに比べると、かなり偏向した立場から権利を訴えている。

そのありさまは、まさしくゾーニング戦士というべきだろう。

2016-06-19

学校というシステム洗脳されかけている現役教員の健忘録

最近何かと話題部活動問題

現役教員自分から見るとそうやって訴えてる人をみると「働きたくないでござる」感を感じてしまうのは気のせいだろうか。

休日出勤なんて今の日本でどれだけ行われていて、人権無視した労働いくらでも行わせているところはあるわけで、ワ○ミとかね。

必ずしもそれを「是」と肯定するわけではないが、今の部活動問題に「働きたくないでござる」感が漂うのはなんでだろう。

教育にかける情熱はみなさん同じのはず、なのに部活動をやらない教員に対してやっている教員からみると「働きたくないでござる」感を感じ取ってしまうのはなぜだろう。

それは自分がもはや洗脳されているからなのかな。「学校」というシステムに。

今日部活動指導をしてきた、6月は何かとイベントが立て込んだので、明日ようやく6月で初めての休日がもらえる。

1日のみの休日なんて翌日の準備やたまってた私用を片付けてたらあっという間に終わってしまう。

趣味ゲームパズドラのスタミナがダダ漏れになるし、新作のゲームオーバーウォッチ)も買いたいが買う踏ん切りがつかないぐらいには時間がない。

平日の帰宅後の過ごし方をもう少し無駄がなくせるかもしれないが、1日が終わると割と疲れてしまう。

そんな生活送ってる1日の最後Twitterを見て、部活動指導しない教員が声高に運動をしている姿をみると「働いてないのに、うっせえ」と心のどこかで思ってしま自分がいるんだよね。

ひと段落して思う。

やっぱり自分学校というシステム洗脳されかかってる。確かに何とかしないと。

でも、運動している人たちにいいたい。

部活動問題プロジェクトの主張していることは、確かに実現できれば素晴らしいことだよね。

文科省もそれにそったガイドラインを出すぐらいだし。

ただ、「実現するための具体的なプロセス予算がどこにも書いてない。」んだよね。

賛成派、反対派、中間派のそれぞれから、相当数のヒアリングをして、案を作って、どこかモデルケースを作って、予算をつけて、最も建設的な提案をしないと。

理想を掲げるだけじゃ世の中は意外と冷たいんだよ。子どもにはそれでいいかもしれないけどね。大人理想だけでは誰も共感してくれないんだよ。

理想や願う姿を振りかざして運動するのが実に教員らしんだけどね。

でも、部活動問題解決するためには教員の力だけじゃどうにもならない。

一般市民やえらい人が納得するような「建設的な提案」をしてくれることを望みます

自分洗脳されないようにしつつ、今できることを頑張ります

2015-11-15

BSフジ南京事件討論番組

たぶん1ヶ月くらい?で視聴できなくなるので、今のうちに見て思った内容を書き留めておく。

BSフジLIVE プライムニュース

2015/11/12 『「南京事件」とは何か 3論客見方相互検証』 【前編】

http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/day/d151112_0.html

2015/11/12 『「南京事件」とは何か 3論客見方相互検証』 【後編】

http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/day/d151112_1.html

ゲスト

秦郁彦 現代史

藤岡信勝 拓殖大学客員教授

山田朗 明治大学教授

と、珍しく各派の研究者が揃った討論番組だった。

山田氏は、紅卍会の4万、崇善堂の10万、日本軍による揚子江に流した数千以上を根拠にしていたが、

崇善堂の記録は鵜呑みにできない事は歴史学者でも多数だと思うので、それを本気で根拠だと思うなら

もっと説明する時間必要だと思った。

当時の南京人口は135万、ここから80万が脱出し、それに中国軍人も加えて60万はいたと推定していた。

ここだけ若干歯切れが悪かったような印象、陥落時の人口問題は確かな史料が無いからそうだろうねえ・・・

それ以外は終始無難なやりとり。

これまで南京事件論争ではあまり名前の出てこなかった人だけれど、この中では一番若いせいもあるかもしれない。

秦氏山田氏と違って、まぼろし派に対して攻撃的な発言が目立った。

やはり笠原氏らと共に長年論争の中心にいたため、特に学術的態度の悪いまぼろし派に対しては

色々と思うところがあるようにみえた。

推定数は4万と明言していた。

著書の「南京事件」は、後の増補版にて「4万をずっと下回る」と追記しているが、

積極的に「4万よりずっと少ないはず」と主張する気はないようだ。

幕府事件捕虜処刑について、「長勇がやっちまえって言ったから、軍民まとめた殺しちゃったんだ」

と話していたけど、それ下関での話と混同してない?

長勇みたいな勢いで幕府山でも処刑しちゃったんだ、って意味で語ったのかもしれないけど、あの流れでは誤解されちゃう

(ひょっとしたら、秦氏最近南京事件研究から遠ざかっていて、記憶あやふやになってるのかもと個人的印象)

藤岡氏は相変わらず。

南京の陥落時人口20万でほかは無人だったから30万は無理説の古臭い論法

秦氏が「無人なわけない、日本軍が入った時はみな隠れて様子を伺うんだから、みてないのは当たり前」というツッコミにも、

藤岡氏は「入った時に人はいなかったって日本兵が言ってんだから」で押し通していた。

秦氏ツッコミも城内の安全区外が無人かどうかに終始していたのは残念だった、虐殺の多くは城外なので。

ベイツら安全委員会が残した具体的被害記録も、死者はゼロなんだと主張するお決まり詐術を使っていたが、

それは中国人から聞いた死者は伝聞だからノーカウントという、まぼろし派の恣意的フィルタをかけているからだ。

安全区内、金陵女子大学の程瑞芳が記録した日記についても「日記に記した死者はゼロ」と強調していた。

だが程瑞芳日記女子大学という性質もあって、日本兵による強姦が多く記されているが、藤岡氏はそれには意図的に触れない。

こういうやり方はやはり学術的に不誠実な態度であると言わざるをえない。

現在では一番確定的史料の残っている幕府事件については、さすがにもはや自衛発砲説について触れる事はなかった。

しかしこの幕府事件山田氏・秦氏共に歯切れが良いのに対し、藤岡氏は最初言い訳を考えるのにしどろもどろの印象だった。

最終的には拘束後の処刑も「戦闘中ですから問題なし」と強引に解釈する論法突破を試みていたが、

それに対してはさすがに司会者も「え?戦闘終了後ですよね?」とごく当たり前な反応をみせていた。

「あれは戦闘中なんだ」と藤岡氏が強弁する横で、秦氏山田氏は「そんなわけないだろう」

という表情で顔を見合わせていたのも印象的であった。

各氏、番組に出てもらってるので、あんまり番組上で論破して面目を潰してしまうようなマネは

ホストフジ側も望んでいないだろうけど、程瑞芳日記安全委員会被害記録のような記録史料

もっと具体的にふんだんに出してくれたら、藤岡氏の詐術は一発でバレるんだけどなあ、と歯がゆさを感じた。

2013-09-23

なぜフランス革命は分かりにくいのか

フランス革命は、平民(第三身分)が旧体制を打破した革命である

のように説明されることがあります。この説明は間違っているわけではありませんが、「平民」という均質な集団一丸となって何かをしたかのような誤解を与える点で、フランス革命の内容を分かりにくくもしています

平民(第三身分)は、農民都市の下層住民を総称した民衆と、民衆よりも裕福な中間層であるブルジョワからなります(職人を雇わず家族だけで仕事をしている親方や店主ぐらいが下層のブルジョワ民衆との境界層です)。しかブルジョワ民衆意識の上でも利害的にもあまり仲がよくありません。

ブルジョワ民衆は協力関係にあるよりもむしろ敵対しており、それぞれ自律的に行動していたととらえる方が、フランス革命の動向が分かりやすくなります

実際にフランス革命の流れを追ってみます

革命が始まるまで

普通フランス革命の期間は、バスティーユが襲撃される1789年7月からロベスピエールが処刑され恐怖政治が終わる1794年7月までの5年間、またはナポレオン総裁政府軍事クーデターで倒す1799年11月までの10年間とされます

しかしその当時フランス社会構造がどのようなものフランス革命が始まるまでどのような進展があったを知っていた方が、フランス革命の推移もわかりやすくなります

わかりやすくなるのですが、ここではバッサリはぶきますブルジョワ民衆がそれぞれ自律的な勢力であるという複合革命論の考え方を前提にして書かれた

などを読んでみてください。

またもっと伝統的な、革命の精神を称揚するタイプの解説として

があります。こちらのタイプの説明の方が分かりやすいという人もいるでしょう。

革命の始まり(1789年 5月~10月)

(ヴェルサイユで開かれた全国三部会は、第三身分強硬姿勢により憲法制定の議会に変身し、バスティーユ襲撃後の国内混乱を利用し封建的特権の廃止に至ります)

1789年5月5日ヴェルサイユ(パリから約25キロ)で始まった全国三部会は、採決形式でもめ審議に入らないまま紛糾します。第三身分強硬姿勢を崩さず、特権身分の中にも第三身分への同調者が出たこともあり、7月9日に憲法制定国民会議として再出発します。

しか7月11日に第三身分に融和的な財務長官ネッケルが罷免され、これがパリが伝わるとパリ市民は王の軍事行動が近いと恐れ、自衛のための食料調達武器調達に動き、焼き討ちや略奪が発生します。富裕市民政府軍隊への対抗と秩序維持のため常設委員会を設置し民兵組織します。

7月14日にはバスティーユの要塞に武器の引き渡しを求めて民衆殺到し、バスティーユ内で交渉が続くさなか襲撃が始まりバスティーユは陥落します。市庁舎まで連行された司令官ドローネーは群集に引き込まれて殺され、市長フレッセルも射殺されます

新たに組織されたパリ市当局ブルジョワ民兵(国民衛兵)を国王政府は追認せざるをえず、他のほとんどの都市でもブルジョワが市政の実権を握ることになります

一方バスティーユ占拠の報を受けた農村では、貴族が浮浪者を雇って報復をおこなうという噂が広がり、その恐怖から各地で領主の館の襲撃が行われ、「大恐怖」と呼ばれるパニック状態になります

自由主義貴族だけでなくブルジョワ議員の多くも地主であるため民衆の騒乱は早急に鎮める必要がありますが、正規の軍隊に頼ることは王や保守貴族の立場を強めることになるのでできません。そうしたなか8月4日の決議が行われます

8月4日閉会後の夜に抜き打ち的に再開された議会で、自由派貴族によって領主特権の廃止が提案され、熱狂的興奮のなか課税特権の廃止など諸特権の廃止が次々と宣言されます。大恐怖の圧力を利用して封建的特権の廃止に成功し、農民の騒乱も沈静化していきます

これで憲法の議論が進むようになり、8月26日には人権宣言が採択されます

しかし王は特権廃止の法令人権宣言批准せず、9月末には治安維持名目ヴェルサイユ軍隊を集結させます

10月5日食糧危機を訴えるパリ民衆ヴェルサイユに行進し国民衛兵がそれに続き、民衆は窮状を訴え国民衛兵は王に圧力を加えます。王は法令人権宣言批准、翌日には王一家はパリのテュイルリ宮に移されます。続いて議会パリに移り、ここから憲法と法令の議論が本格化していきます。一方で亡命する貴族が増えていき、国内政治分裂も本格化していきます

91年憲法の制定まで(89年末~91年9月) (革命勃発後1年目、2年目)

(91年半ばまではフランス革命期としては平穏な時期ですが、この時期に国内の対立が進んでいきます。また国王の逃亡未遂が発覚するヴァレンヌ逃亡事件(91年6月)によって王の威信が失墜し戦争を望む声が高まります)

議会パリに移り、諸特権廃止の内容や具体的な法律が決められていきます。ヴァレンヌ事件が起こるまで比較平穏とされる時期ですが、国内にさまざまな対立が生じていきます

1789年後半から91年にかけて、議会外に政治組織が形成されていき対立の構図ができていきます

また各地で反領主騒乱が発生していますが、そうした騒乱は徐々に革命反革命かという政治的な枠組みで解釈されていくようになります

さらに聖職者民事基本法をめぐって宣誓拒否問題が起こりますカトリック聖職者の多くは革命には好意的でしたが、叙任式における宣誓義務に対して大多数が拒否をします。議会からの警告が出されますが、地方によって大きくバラツキがあるものフランス全体で約半数の司祭が拒否します。教皇ピウス6世が民事基本法を否認したこともあってカトリックは内部分裂する事態になります。宣誓拒否司祭とそのもとにあるカトリック民衆は「反革命」に押しやられ、のちのヴァンデの反乱(ヴァンデ戦争 1793年3月~)の原因の一つになります

91年6月に国王一家がパリから逃亡し途中で発見されるというヴァレンヌ逃亡事件が起こります

これを受けて、外国支援された亡命貴族が攻めてくる、外国侵略が始まるという考えが広がり、国王救出を目的とした外国人が侵入してくるという予想から国民衛兵による警戒体制しかます

7月には主要な政治組織であるジャコバンクラブが、王の廃位共和制要求する請願書をめぐって分裂し、多数派の穏健グループはフイヤン・クラブとして分離します。

8月にオーストリアプロイセンが、フランス国王のために武力介入もありえるとするピルニッツ宣言を出したため、亡命貴族陰謀説にさらに拍車がかかり、外国との戦争を望む声が高まっていきます

そうしたなか9月3日立憲君主制にもとづく1791年憲法が制定され、9月30日に憲法制定国民議会は解散します。

開戦、王権停止(1791年10月~1792年8月) (革命勃発後3年目)

(インフレ物価上昇により食料問題が悪化し民衆の不満は増大していきます国内の多数が開戦を支持するなかオーストリア宣戦布告し(92年4月)、続いてプロイセンとも戦争状態になりますが、フランス軍の劣勢となります軍事的危機と国王への不満が積み重なり、パリに集結していた連盟兵やパリ民衆恐慌的な敵意が王に向けられ、王の廃位要求され、8月10日テュイルリ宮が武力制圧されます(8月10日事件)。これを受けて議会王権の停止を宣言し、新たな憲法制定のための国民公会召集を決議します)

憲法制定議会が解散した翌日91年10月1日に、9月までの選挙で選ばれた議員達による立法議会が開会します。再選が禁止されたため全て新人議員で、貴族がほとんど選挙に立たなかったため議員ほとんどは裕福なブルジョワです。立憲君主制を守りたい穏健派フイヤン派議会の最大勢力、共和制を主張するジロンド派(ジャコバンクラブのこの頃の多数派)がそれに続きます

なお同業組合や団結を禁止したル・シャプリエ法(91年6月)に抵触する恐れがあるため、政党存在しません。そのため、どの派でもない、審議内容ごとに立場を変える中間派(平原派)が、この時期に限らず常に議員の多数を占めます。そのため派閥議員数だけでなく、中間派の動向(またその動きに影響を与える議会外の動向)が重要になります

また議会内の各派の勢力数自体も確定したものではなく常に流動的で、各勢力をどう呼ぶかにかんしても文章によって違うことがあります

議会の中心的課題は、周辺諸国からの脅威にどう対処するかです。(それと穀物価格の上昇に対する価格統制の要求に対して、革命後の基本原則である自由主義あくまで守るのか、民衆要求を受け入れるのかも問題になっていきます)

これに対してジロンド派は、国内の不満をそらして(インフレにより物価が上昇し各地で食料暴動が発生していた)政治イニシアティブを獲得するために「自由の十字軍」などの言葉対外戦争あおります民衆の多くも「外国と共謀する亡命貴族」への脅威と愛国感情の高揚から戦争を望んでいました。

92年3月、フイヤン派大臣が王によって解任されジロンド派内閣が成立し、4月にオーストリア宣戦布告、数週間後にはプロイセンとも戦争に入ります(戦争ナポレオンが二度目の失脚をする1815年まで中断もありつつ続くことになります)。

しかし緒戦から敗戦が続き、「反革命」者へのより強力な措置を求める声や宮廷への不信から共和制を求める声が高まっていきます。またセクション(区)の政治活動を通じて民衆政治的組織化されていきます

そうした流れが最終的に民衆と連盟兵による8月10日のテュイルリ宮の襲撃に行き着くのですが、この事件偶発的に起こったバスティーユ襲撃とは異なり王の廃位を求めての組織された行動だったにもかかわらず、そこに至る決定的な原因があるわけではないので要約しづらく、フランス革命の大きな転換点の一つのわりに説明しにくい事件です。

ここでは事件の結果だけ述べると、立法議会は蜂起側の勝利がはっきりした後、王権の停止を宣言し、新たな憲法を制定するための国民公会召集を決議します。これでフランス共和制に向かうことが確定します。また国王一家はタンプル塔に幽閉されることになります

王の処刑、戦争の拡大、ジロンド派の没落(1792年8月~1793年6月) (革命勃発後4年目)

(戦争フランス軍の劣勢から優勢に変わり周辺領土占領します。93年1月には国民公会裁判結果により国王が処刑されます。周辺領土占領国王の処刑を原因として周辺諸国の多くと戦争突入し、さらに国内ではヴァンデ地方を中心に大規模な反乱が起こります議会ではジロンド派山岳派の対立が深まっていき、国内外の諸問題への対応のまずさからジロンド派民衆の支持を失い、93年6月ジロンド派逮捕議会から追放されます)

8月10日王権が停止しますがフランス軍が劣勢の状況にあることは変わりません。義勇兵がつどわれ前線への準備がなされる一方、反革命裏切り者排除する空気が広がり、家宅捜索がなされ多くの反革命容疑者逮捕されます。さらにパリへの侵攻の脅威が高まり義勇兵が出発したあと反革命者がパリ住民を虐殺するという噂も流れ出します。

そうした不穏な情勢のなかヴェルダン要塞陥落のニュースパリに届きます。これをきっかけとして、囚人の多くが殺されるいわゆる九月虐殺が発生します。

この事件の結果、内の脅威が消えたと民衆が大挙して義勇兵に参加し兵数万を増やすことになります

一方、この事件国外からの印象を非常に悪いものします。宥和政策を取っていた隣国スペイン首相宥和政策撤回せざるをえなくなり、またフランス革命開始時には革命好意的だった知識人たちも国王一家の幽閉と九月虐殺で決定的に革命嫌悪に転じます

戦況にも変化が生じますフランス軍はヴァルミーの戦いで勝利し、戦況が優勢に転じていきます。なお多くの本でこの勝利はフランス兵の志気の高さによるものと説明されていますが、志気が影響するような戦いではなく兵と砲台の数の差によるものといった指摘もあります(たとえば『近代ヨーロッパ情熱と苦悩』)。

そのヴァルミーの戦いと同日、国民公会が開会します。

普通選挙でしたが投票率は悪く、ほぼブルジョワ議員で占められていますフイヤン派出馬していないので議会におらず、共和制穏健派ジロンド派共和制急進派の山岳派、それに中間派という構図です。(ジロンド派ジャコバンクラブを脱退していくので、山岳派=ジャコバン派とも呼ばれます)

ジロンド派経済的政治的自由主義を維持し議会主導で政治をおこなうという近代的な原則あくまで重視し、山岳派革命の推進と防衛のためには民衆要求も受け入れ民衆運動の利用もありと考える現実路線です。

……とまだまだフランス革命の時期は続いていくわけですが、予想外に長くなったので中途はんぱなところですがここまでとします。

93年1月に国王が処刑され、6月ジロンド派の追放で山岳派一党独裁(ただし基盤の脆弱独裁)になり、恐怖政治の時代が翌94年7月まで続き、ここで一区切りとなります

2008-07-01

創価学会員の家庭で育ってきた自分が最近思うこと

※個人的な意見・憶測が多く含まれます。

分類とか

創価学会の家に生まれてきた子どもには色々いる。

(1)バリバリ信じてる人(活動家

(2)あんまり信じてないけど活動家に誘われたら学会活動に参加する人(中間派

(3)信じてないし活動もしない人(未活動派)

(4)学会に批判的な人(批判派)

おおまかに分けたけど、それぞれの境界にいたり、どっちも兼ねてたり、

しんどい時だけなんとなく信じてみたりする人もいると思う。

自分のポジションとか

自分は2と3の間。正月家族学会の会館に行ったりする。

学会に疑問を持つこともあるので4も入ってるかな。

昔は1タイプにならなきゃいけないともがいたり

いろいろあって4のど真ん中まで行ったりしたけど、

海外に遊びに行き、いろんな宗教が混在してるとこを見て

異なった宗教国籍を持つ人たちと関わってみたら

案外どーでもいいんだって心境になり、現在に至る。

(1)活動家とか

学会を知らない人が想像するのは、(1)のタイプだと思う。

選挙前に電話してきたり、新聞を取るようお願いしてきたりする人。

あるいは大規模な集会で、指導者言葉を真摯に受けとめる人。

ネットでは学会に対する批判が強くなってきてるけど、

(1)のタイプの人はあんま気にしてないんじゃないかな。

自分達の信仰の正しさを確信しているから、

「外部からの妬み嫉みはほっとけ!」って割り切るかんじ。

でも「学会」じゃなくて「学会員」に対する批判に関してはわからない。

選挙前だけ電話してくんな」とか「彼女折伏されて鬱」みたいなのには

やっぱり思うとこがあるかもしれない。

(4)批判派とか

内部にいないとわからないような情報が流れてるし、

実際の内部からの批判も目にするから、

(4)の中にはネット上で学会批判をしている人もいると思う。

(批判を心の中だけに押しとどめている人も当然いる。)

(4)のタイプを更に細かく分類するとしたら、

a・具体的な批判材料を知ってから批判するようになった人

b・先に学会嫌悪があって批判する人

ずっと執着を持って批判してる人には(4)bタイプが多い気がする。

(3)未活動派とか

まずわかりにくいので「未活動」という言葉について。

学会活動に一切参加しない人のことを活動家が「ミカツ」と呼ぶことがあって、

直接どういう意味か尋ねたことはないんだけども

おそらく「未活動」の略だろうと考えてこの名前をつけてみた。

今はまだ活動してないけど、これから活動していくだろう人ってニュアンスかな。

小学生の時にはたくさん地域の会合に来ていた同年代の学会の子が、

社会人になる頃にはぱったり……というのはよくある話。

成長していく過程で、名簿上だけの学会員になったという人はすごく多いはず。

ここでポイントになるのが家族との温度差。

家族が熱心な信仰者であれば結構もめることもあるし、

そんなに熱心でない家庭とか、子供信仰に関わらない家族であれば

そのまま学会からはフェードアウトしていける。

前者はこじれると(4)の批判派に転じることもあるし、

学会員家族を持つぶん、学会批判はかなり刺さってくる。(自分もこのクチ)

後者学会内部っていうより外部の人の感覚に近いから

批判されても「そういや学会ってそうだよなー」って傍観視できるかも。

(2)中間派とか

「あまり信じてないけど活動家に誘われたら学会活動に参加する人」と定義したけど

これは相当幅広い。人によってスタンスが全然違う。

なのでまた乱暴に分けてみる。

(境界にいる人やどちらの要素も持っている人もいるので要注意)

a・やっぱり信じた方が良いのかなーという気持ちを持って参加する人

b・誘ってきた活動家義理を感じてとりあえず参加する人

c・心底行きたくないけどなんだかんだで連れ出されてる人

ここでいう「(中間派を誘う)活動家」っていうのは、地域の学会員だったり、

同世代の組織リーダー役だったり、家族だったり様々。

(2)aの場合はまだ自分の中の信仰が揺らいでいるので、

学会の内部の声も外部の声も気にしている状態。

学会批判を見たら素直に捉える子もいそう。

(2)bは、信仰についてaと同じように迷っている人もいれば

信仰については固まっているけど、人間関係を守るために付き合うという人もいる。

どちらにせよ学会関係の知り合い(家族・友人)を切り捨てられないって点は同じ。

(2)cも結局bに似てるのかも。

自分の意思としては学会に属するつもりはないけど、

学会関係の人にひっぱられて、はっきりNOと言えず……というパターン

a・b・cに共通して言えることは、学会内部の人を意識しているということ。

学会の考え方に賛同はできないけど、学会の人との人間関係を壊したくない。

だからこそ学会批判は「自分の身内のものへの批判」として聞こえてくる。

例えるなら、お前の母ちゃんでーべそーを知らない人から言われてるかんじ。

母ちゃんをかばいたくても、母ちゃんがでべそなのは事実だから何も言えない。

でべそが良いか悪いかっていう議論が起きても、

自分自身「でべそはちょっとみっともないかな……」とか思っちゃってる。

でも母ちゃんは好き。たとえでべそでも自分にとっては大切な母ちゃん。

そんな母ちゃんもみんなから見たらただのでべそのおばさん。

こんなジレンマ中間派を悩ませる。未活動派の一部の人もそうかな。

(2)中間派(3)未活動派についての補足とか

ちょっと話が前後するんだけど、中間派と未活動派についての話。

親しい友人や先輩、家族からの学会活動の誘いを断るのは結構勇気がいる。

一般の人が、学会員活動家)から選挙電話を受けるのと大差ない。

「友人としては良いやつだけど創価は無理だわ」みたいな気持ちはどこかにある。

違う点は、今考えているのは二つ。

1つ目は、対象が「友人として」以上に身近な存在であるかもしれないこと。

一番多いのは親や兄弟。あんまりないかもしれないけど親友や先輩。

宗教って人の生き方や習慣に大きく関わるものだから、

同じ家に暮らている人を「家族としては良い人だけど」って前置きして語るのは

たぶん不可能に近いと思う。どんなに小さくても葛藤存在する。

信頼したいしされたいのに、信仰のためにそれが叶わなかったりもする。

ここらへんは前にも書いたとおり、相手との温度差による。

相手が人の信仰を気にしない人だったり、そこまで宗教に篤くない人であれば

そのまままったり人間関係を維持していけるはず。

2つ目は、「友人としては良いやつだけど創価は無理だわ」の後に続く

(まあ自分も創価人間なんだけど)って部分。

自分の家族信仰を持っていること、自分が学会の近くで育ってきたこと、

学会批判に対して苦い思いをすることなど、

自分を「創価学会に関わっている人間」だと感じる機会はたくさんある。

周りの学会員を見てると違和感がわくこともあるけど、

今さら声高に学会批判して周囲を敵にまわすのもなんか違う。

学会員の良い面も知ってしまったから、もう外部の人と同じ感覚には戻れない。

要するに「きゃあ三色旗だあ、キモーイ」って言える立場じゃないってこと。

課題とか

信仰心がない学会員の目線で書いたので、(1)活動家についてはかなり不十分。

活動家をひとくくりにするのも変なんだよなー。

一般的な「学会員」のイメージ通りにすごく干渉してくる人もいれば、

組織に疑問を持ちながら折り合いをつけて活動している人もいるので。

増田活動家がいればちょっと教えてほしい。

とりあえず

いったんこのエントリはおわり。

また関連したものを書いていくかも。

2008-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20080104194016

南京を専門的に論ずる歴史学者がみな所謂「中間派」(彼らがそう自称しているかどうかはさておき)に入るということは

ある意味専門家の間で合意が形成されていると言える

 
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