はてなキーワード: ウインタースポーツとは
吹雪の中息絶えた人間の死体に雪が積もったような、不穏で美しいとは言い難いものだったのだ。
それまで俺の頭の中にあった樹氷のイメージは、葉を落とした樹木に吹き付けられた氷がきらめいて細かな枝のように見えている、というものだった。木の枝がそのまま雪の結晶になったような、繊細な美しさを想像していた。
寒いところは苦手で、ウインタースポーツもやらないので、実際の霧氷も樹氷も見ることなく、この歳まで過ごしてきた。
この間、たまたま同年代の友人に樹氷の話をしたら、そいつも同じように勘違いをしていたと言う。
これは何か(世代的な)理由があるに違いない、という話になって、思い至ったのが、「タコなのよ、タコ」だった。
サントリーの焼酎(名称としてはマイルドウオッカ)「樹氷」だ。
“タコなのよ”で田中裕子のCMを思い出した人はわかるだろうが、タコハイ(ボール)などで一世を風靡した酒である。
俺はこのCMが流れていた頃はまだ子供で、「樹氷」を実際に飲んだ覚えはない。
家にあった気もしないが(父親は安いウイスキーを買ってオールドパーの空瓶に詰め替えて呑んでたなー)、
透明な瓶に青字で「樹氷」、バックには白樺かなんかの木々が白で描かれていた。
霧氷を描いているとは言えないかもしれないが、少なくとも樹氷を描いてはいない。
あのデザインが頭に刷り込まれて、俺たちは樹氷と霧氷を取り違えていたのだ、というのが俺たちの結論だ。
https://www.afpbb.com/articles/-/3365034?pid=23737084
同社経営企画部マネージャーの須藤利宗さんは、リモートで当放送局の取材に対し、「北京冬季五輪を境に、中国のスキーとスノーボード人口の急速な増加が見込まれており、日本のスキー産業にとって強い追い風だと認識している。日本のスキー場の集客にも大きく影響するため、中国国内のウインタースポーツの盛り上げにも協力したく、出展を決めた」と話しました。須藤さんの話によりますと、ブースで行ったアンケートの結果、8割の来場者が日本のパウンダースノーに興味があることが分かり、「コロナが収束すれば、すぐに北海道へのスキー観光などの爆発的な回復が見込まれるだろう」と楽観視しています。
温暖化はどうだかしらんが、北海道の雪質と量が世界的にみてもものすごくハイレベルなのは意外と日本人には知られてない。(嘘だと思う人はjapowあたりで検索してみるといい)
ニセコなんて海外資本が山ほど入ってて、めちゃ高級なリゾート物件が外人に売られてて、シーズンは外人ばっかで英語が飛び交ってる。お店いっても応対が英語ファーストだったりするレベル。
で、なんでこれほど外人がきてるかというと雪質なの。
国内だとウインタースポーツ人気そこまでないし、雪は災害としてみられるからそういう角度であまり評価されてない。
だから札幌で冬季いっても何が売りなのかピンとこないかもね。雪質のこと知ってたら、世界に誇れるものもあるとわかるのだけど。
うちの田舎は日本の玉ねぎあとでかい豆の大半を作ってる地域でむしろじゃがいも見たことねーや
帯広だろさじゃがいもは、ちなみに蕎麦ばっかの地域とかもある。
帯広へ行くのは安く行けるぞ。高くて寒くて堅い大雪山が邪魔な地域への金が高い
あと世界中のボーダーとスキーヤーが憧れる北海道の冬季なもんでやたら高いのよ。平地でもパウダースノウが足の下で融けずに摩擦起こしてツルツル滑りながらギュワギュワ音してるし、人工雪じゃないしまあウインタースポーツやってたら憧れるのはわかる。
高いのもわかる。本籍移せば安くなるのはわかってるんだけどな……いざと言う時行けないと大問題だから本籍は本州に置いてる。そして飛行機は高い
https://anond.hatelabo.jp/20180503192028
出遅れてしまったが、野球の話題がはてなで伸びることはあまりないので真面目に答えてみる。
ブコメでも大量に指摘されているが、広大なフィールドを必要とする競技は中心となる競技エリア以外の規定はアバウトに設定されていることが多い。サッカー・競馬・クリケット、ウインタースポーツ等の自然環境を利用した競技など。これらのスポーツが厳密に設定されたフィールドでしか行えないのであれば、プレイする場所が限られすぎてしまうために現実的でない。
言うまでもないことだが、敵も味方も同じ環境で行っているのであれば場所の違いによる標準化の問題は多少は許容されるのが大抵のスポーツで普通である。環境の標準化の問題でいえば、標高差・湿度・風速・道具の問題など枚挙に暇がなく、野球に限った問題ではない。
プレイが洗練されているかどうかは個人の主観に拠るところが大きいが、サッカーのシミュレーションや柔道のレスリング化等、野球に限った問題ではない。
某マンガであまりにも有名になってしまったが、個人的にはあまり問題に思ったことはない。現実に殆ど起こらないので。というか、分かりづらいこととはいえルールブックに明白に書いてあり、適用事例も示されていることを「曖昧」というのはどうか。問題にするとすれば厳密に適用されていないルール(例:バント時のバッターボックスからの足のはみだし)やチェックスイングの判定じゃないのか?
これもブコメで指摘されているが、サイン盗みが横行するとサインが複雑になり、試合時間の無駄な延長に繋がるため。
これはブコメになかったので解説する。通常バッターは打った直後、打つ方向に向けて頭(目線)が自然と向く。右打者なら打球を引っ張れば目線はレフト方向に行くし、流せばライト方向に向く。(たまに打球方向と目線の向きが異なってしまった場合が"あっち向いてホイ"状態である。)
打球をフェアゾーンに飛ばそうとしている打者はフェアゾーン方向に自然と目線が向いているのが普通なので、打球を放った直後にフェアゾーンに目線が向いておらず、打ったファール方向に目線が向いている場合、故意にファールを打っていると見なすことが出来る。日本ハムにファール打ちを故意に行っているとされる中島卓也という選手がいるが、是非動画サイト等で彼がファールを打っている時の頭(目線)の向きに着目して欲しい。センターカメラから見て三塁ベンチ方向(つまり打球がファールしていく方向)に目線が向いていることが殆どである。
しかし、故意にファールを打つ行為は打球をフェアゾーンに飛ばすことが目的であるはずのバッティングと相反する行為であるので、ルール上反則ではないものの、それに反感を覚える人が多いのは理解できなくはない。個人的には、故意のファールそのものを認定するのは線引きが難しいので、12球連続でファールを打ったらアウトぐらいのルールを設けてもいいようには思う。
なお、ファールの方向に頭が向かずにファールで粘れる選手はかなりミート技術が高いと評価でき、プロの一流打者のなかにはしっかりとしたスイングをかけながらファールで粘れる変態的打撃技術を持つ選手もいる(元日ハム阪神の片岡篤史など)。
サッカーの終了間際のボール回し、競馬で勝利が確実なときに鞭を使わない、陸上短距離で決勝進出が確実な選手は準決勝まで流す、カーリングのコンシード等、その試合のみで全てが終わるわけではない大会においては体力温存などのために最後までプレーしない行為は広く行われている。
130km/hのボールが投手から打者まで到達するのにおよそ0.45秒、115km/hではおよそ0.51秒である(リリースポイントが投球板から2m打者方向、球速が一定と仮定した場合。計算が間違っていたらスマン)。その差はわずか0.06秒だが、距離にして約1mの差。バットとボールの大きさは10cmもないので、130キロのボールと115キロのボールを同じタイミングで振っていたら全くかすりもしない。
プロの打者は数種ある投手の球種に0コンマ0何秒のタイミングでバットを数cmレベルで、さらにコースによってバットの出る角度を調整し、ただ当てるだけではなくそれなりの強度を持ったスイングで、前方45度の野手の居ない方向にボールを飛ばさなければならない。しかもこの作業は、職人が静謐でクリーンな集中できる作業場で行えるのではなく、砂埃舞うグラウンドで数万人の歓声と衆目の中で行わなくてはならないのである。誰にでも出来るようなことではなく、プレッシャーで潰れていく選手が出るのも不思議なことではない。
現在MLBでは広く行われるようになっている「極端な守備シフト」の出現は、伝統的な野手の守備位置を崩す大きな野球の変革といえる。かつての王シフトのような極端な守備シフトは、一部の選手に対して行われるいわば"奇策"に近いような戦術であったが、近年は非常に多くの打者に対して行われるようになった、という点で大きな変革が起こったといえる。一方で極端な守備シフトによって野球の醍醐味の一つである野手のファインプレーが減ってきているという指摘もあり、極端な守備シフトを制限するための措置が行われるのでは?という噂もある。
喫煙や肥満を推奨するわけではないが、一見アスリートとは思えないような見てくれの悪い人間が活躍するのも、ある種野球の面白さだと思う。松坂大輔や攝津正のように若い頃の面影がなくなってくるとそれはそれで悲しいのだが、バートロ・コロンのように体型を維持しながらピッチングスタイルを変えて生き残っていく選手を見るのも楽しい。
野球の不文律については、特に野球ファンでないと思われる人々から「野球の嫌なところ」として指摘されることが多いように思う。しかし、実際のところ暗黙の了解によって行われるプレーはそれほど多くはなく、それを破ることによって問題になる場面も多くはない(というか、頻繁に問題になるのであれば確実に成文化される)。"不文律"という仰々しい表現が使われているが、いくつかは慣習的に行われているマナーのようなもので、電車で騒いではいけませんとか他人の顔をジロジロ見てはいけないとかそういった類のものである。例えばwikipediaの「野球の不文律」の項で取り上げられている"投手の集中を妨害するために相手に話しかけたりしてはいけない"とか、"投手は野手に文句を言ってはいけない"などは、野球独特の暗黙のルールとして特筆するようなことでもないだろう。将棋で対局中に相手に話しかける棋士はいないだろうし(いたらスミマセン)、仕事で別部署の人がやってしまったミスをわざわざ咎めに行く人はいないだろうが、成文化されていないとしてももしそれらをやれば確実に顰蹙を買うはずだ。
wikipediaの「野球の不文律」で書かれている項目は特筆するべきことでもないことかなにかしらの説明が必要な項目ばかりで、野球を全く知らない人が参考にして見てもらいたくないことばかりである(もちろん全ての項目が気にするなというわけではなく、引退試合の忖度などは無くすべき慣習のように思う)。
つまるところ、これらの問題はささいなことであって、外の人が「これが野球の嫌なところである」と声高に主張することがある種偏狂で、野球ファンからすれば不快だと言わざるを得ない。
あまり知られていないことだが、実は野球のルールは毎年細かい変更が行われている。「野球規則改正」で検索してほしい。
MLBでは機械的な投球の測定システムの導入によって審判のストライクゾーンの精度がかなり向上したらしい。将来的にゾーンの判定が機械的に行われるようになることも非現実的ではないと思われる。
少し理屈をこねた回答をする。団体スポーツで一人の選手のスタンドプレーによってゲームが決まってしまうことは、特にアマチュアレベルにおいては決して野球に限ったことではないように思う。子供の遊びレベルのサッカーやバスケットボールで、一人の運動神経のいい子供がボールを多く扱って何得点も決めてしまう場面を見たことがないだろうか。
野球においては投手が多くボールを扱っているから投手が全てを支配しているように見えてしまうが、ただボールを投げただけでは得点は入らないのが野球の面白いところで、投手の負担だけで野球というゲームの全てが決まってしまうわけではない。もちろん1試合のみでは絶対的な投手によって試合の体勢が決まってしまうこともあるが、プロ野球においてはその点他のプロスポーツに比べて非常に多くの試合が組まれることによって、一人の投手のみによってシーズンが決まらないような体勢が整えられているのである。また投手の分業制は最早当然の戦略となっており、多くのイニングを投げる先発投手のイニング数も年々減少傾向にある。プロのみならず、最近は高校野球でも複数の投手を擁するチームが非常に多くなってきた。これは単に投手の負担を減らす意味合いだけではなく、一人の投手の能力だけではゲームをdominate出来ないことが多くなっているといえるからだと思う。逆説的にいえば、一人の選手でゲームを支配することもあるし、戦略的には複数投手制をとるチームが増えている点で、独特の興味深いゲームバランスになっているといえないだろうか。
ちなみにアメリカのbaseball_referenceとfangraphsというサイトがそれぞれに公表している「WAR」というMLB選手の貢献度を測る投手野手共通の指標が存在するが、2008年から2017年までのMLB両リーグのトップWAR20人中、reference版でトップになった投手は6人、fangraphs版ではわずか1人である。少なくとも長いシーズン戦うプロ野球においては、図抜けた投手一人より図抜けた野手一人のほうが貢献度が高いと見なされているのである。
前回書いたものを踏まえ、好きなものを考えてみたけど、逆に好きではないものが更に見つかってしまったので、追記します。
11.車
ペーパー歴20年弱。いとも簡単に人を殺せる凶器に、みんなよく気軽に乗れるよな、と思う。ハンドルを握ると気が大きくなり、やたらとスピードを出したがる輩が多いところも嫌い。維持費高くつくし。車があったら便利だなと思う事がゼロではないが、タクシーなどの代替手段で何とかなっているので不要。スピード恐怖症的な傾向はあると思う。
どこの誰だか分からない人と、よくそういう事できるよな、と思う。事に及ぶ際は、裸になるなど一時的にものすごく無防備な状態になる訳で、そんな状況で相手が急に発狂して局部を噛みちぎられたりしたらどうしよう!と悪い方に考えてしまう。
生まれてから一度もやったことなし。不便かつ不潔な環境が我慢できない。釣りは狩猟本能的なものが満たされるのだろうか?魚を食べるのは好きだが、自ら捕獲したいという気持ちにはなれない。
14.マンガ
かりあげクンの植田まさしや稲中の古谷実、魚喃キリコは好きだが、世間一般で人気がある、例えば「ワンピース」とか熱狂的に好きな人の気持ちが理解できない。お手軽でインスタントな娯楽、というイメージ。中には良いマンガもあるとは思うが、良い歳した大人がマンガやゲーム三昧で良いのかよ、と思う。漫画家さん自体はすごいと思う。
15.動物
嫌いというと語弊があるが、自分で飼いたくはない。うるさいし汚いし臭いし、手間も金もかかる。猫とか好きな人は多いが、どこがそんなに良いのかさっぱり分からない。
16.セックス
行為自体を否定はしないが、そんなに熱中できる理由が不明。動物感丸出しで、恥ずかしくないのだろうか。付き合ったらしなくてはいけない、というのもおかしな話だと思う。そういう事をするときだけ、プチAV男優、プチAV女優みたいな演技をする感じも薄ら寒い。わざわざそんなことしなくてもいいのに、と思う。
遊園地とかディズニーランドとか、何が楽しいのか分からない。子供がそういうところに行って楽しい、というのは分かる。大の大人が休日にわざわざ行きたいか?となると面倒すぎて無理。
18.グルメ
美味いものを食べたいという欲求そのものは分かるが、それだけのために長蛇の列に並ぶ、遠いところまでわざわざ出掛けるという事はとても出来ない。手近なところで済ますことが何故できないのだろうか。
19.海外旅行
治安が悪いところにわざわざ行く神経が理解できない。なぜみんな高い金を出してまで死ぬリスクが上昇する場所に行きたがるのか。若いうちに海外に行っといた方がいいと言うが、死んでしまったら元も子もない。
体罰、暴力、いじめ、根性論など旧日本軍の陰が色濃く残る忌むべき競技。
一刻も早く無くなれと切に願ってる。
メジャーは「アホなアメリカ人のお遊び」としか思わない。黒人が少ないことからお察し。でも科学的なところはちょっと好感アリ。
オリンピックでメダルを取った?人を殺す競技のメダルなんて要らねーよ。
あっ嫌い。
チャラい
長い、つまらん
そもそもオリンピックが嫌い。
どこの国も(特に日本)(←これ重要)貧乏人差し置いて金持ちが観戦するために何千億の金使って…
あー応援する気になれない。
日本的で醜悪。
スポーツじゃねえよ。
NHKが関わってるのも駄目、耐えられない。
世 界 標 準。
「他人に知識がある前提を求めるのは馬鹿」と言ってるはてな民もフットボールのことを知らない人は即刻バカにするのは当然。
ブンデス、リーガE、プレミア、セリエA、リーグアン、知ってて当たり前。知らない人間は差別の対象。
先進的なヨーロッパに非常に根付いているスポーツで、日本は遥かに遅れてる。
まず高校サッカーという野蛮な大会は即刻止めて有望なフットボール選手はクラブのユースに一本化しろ。
全国の小学校の芝生化は急務。場所がなければそのへんの野球場壊して作れ。文科省はこれやってから解散しろ。
世界標準に追いつけ。
フットボール選手は他のスポーツ選手と違い、知性に溢れ、清潔感があり、たとえ高給でも庶民感のある素晴らしい人達。
日本人フットボール選手はまだそこまでのレベルではないが、いすれ追いつけるように善処すべき。
FIFAという組織が少し残念。でも、トップ以外は素晴らしい形態の組織。さすがフットボール。
子供ができたらプログラミングと同様に必ずフットボールをやらせたい。
はてな界隈だと、東京オリンピックなんてさっさと返上しろというのが意見の主流だけれど、
なんだかんだいって、4年後の夏には、それなりに盛り上がるだろうし、
選手が活躍さえしてくれれば、「やっぱり東京オリンピックをやって良かった」というのが、世論の主流になると思う。
なぜ、そう思うかといえば、長野オリンピックの時のことを思い出すからだ。
長野オリンピックの招致が決定したとき、今回の東京とは比べ物にならないくらい、盛り上がってはいなかった。
1991年のことだから、すでに、バブルは崩壊の兆しが見えていて、
まあ「失われた20年」がそのあとやってくるとは思っていなかったけれど、
不景気の入り口で、あんな土建屋がもうかるだけのプロジェクトやって大丈夫なんかという雰囲気があったし、
西武鉄道のグループ総帥、堤義明を中心にした政財界の利権のためだと、みんな思っていたからだ。
しかも当時、ウインタースポーツのスターといえば、フィギュアスケートの伊藤みどりくらいで、
(実際、92年のアルベールビルで銀メダルは取ったが、長野には出てない)、
日本で冬季オリンピックを見たい、という需用自体が、それほどなかったんではなかろうか?
それでも、東北・上越以来、久しぶりの開通となる長野新幹線の工事が進んだり、
志賀高原では、難易度が高く見せ場のあるコースをつくりたいスキー連盟と、コース設営が自然破壊だとする地元環境団体がもめて
そもそも、長野というのは、当時、冬季オリンピックの開催地としては最南端で、
年によっては、十分に雪が降らないこともあったりしたもんで
「利権のためにオリンピックなんか呼びやがって、まったく、今からでもやめられないのかね?」という世論は
それなりに蓄積されていた気がする。
当時は今ほどネットが成熟してなかったから、今ほどそれが顕在化することもなかったけれど。
そうこうするうちに開会式の日を迎えたのだが、それでもまだ、盛り上がりには欠けていた。
放映時間の時差の関係で真昼間に開会式を挙行しなければならなかったので
花火や照明をつかった鮮やかな演出が使えなかったというのは、確かに気の毒なのだが、
大体、浅利慶太がなぜ総合演出を手掛けることになったかといえば、
自民党の御用文化人だったから、というのはみんな分かっていたことで、
そもそも、あの人は、確かに政治権力に近づきつつ、日本においてミュージカルを「ビジネスとして成立する」ものにまで育て上げたのは
物凄い功績だと思うけれど、まあ、芸術家(演出家)としての評価は推して知るべしである。
ちなみに、先ごろ亡くなった蜷川幸雄は、すでに80年代には「世界のNINAGAWA」の名声を得ていたんだけれど。
これも、「オリンピックなんて、偉い人の利権とコネで進められている」ことの一つの証拠と思われていた。
開会式当日、なぜか、現代風にアレンジした巫女風の衣装をきて聖火台に点火する伊藤みどりの姿は、
なんだか、見てるこっちが恥ずかしくって、
日本女子フィギュア初の銀メダルをとった偉大な選手に、なんてことをさせるのかと憤ったものだ。
なぜかBGMにはプッチーニのオペラ、「蝶々夫人」のアリア「ある晴れた日に」が流れていたが、
あれは、かつて政治力を駆使して、イタリアでこのオペラを演出したことのある浅利慶太の自己顕示欲とコンプレックスがないまぜになった
選曲だったと信じている。
当時、伊福部昭は存命だったし、坂本龍一も、今ほど政治的な色もなくて純粋に「教授」として尊敬されていたし、
久石譲だって、すでに「宮崎アニメの作曲家」として評価を得つつあったのに、なんでそういう人たちに作曲させないで、
そんなこんなで、開会式を迎えても盛り上がらなかった(当社調べ)長野オリンピックだが、
日程を重ねるにしたがって、日本中の人々をテレビにくぎ付けにすることになった。
それは、日の丸飛行隊の、活躍であったり、キング・オブ・スキー荻原の雄姿であったりの、素晴らしいドラマがあったからだ。
スキージャンプ団体で、大雪が降りしきる中、原田雅彦が大ジャンプを決め、後続の船木選手を、
今にも泣きそうな顔で「ふなき~! ふなき~!」と見守っていた映像をご記憶の方も多かろう。
このとき、団体メンバーから外されメダルを取れなかった悔しさが、
結果としてレジェンド葛西紀明を生んだ、ともいえる。
閉会式の司会が萩本欽一、というのも、当時、「オリンピックについて決めている偉い人たち」のずれ具合を
如実に示す出来事だと思われていて、
すでに萩本欽一は「テレビ的に過去の人になるつつあるタレント」だったし、
欽ちゃん的なボケとかツッコミっていうのは、日本人同士で通じるもので、
あのノリを世界に向けて発信したら壮大に滑るんじゃないかと、自分の周りの人たちはみな心配していたが、
なにしろ、競技自体が盛り上がって、会場に集った選手たちが盛り上がってくれたせいか、
萩本欽一も、さすがに、わきまえた人なのか、
いわゆる「欽ちゃん節」は抑えて進行していたし。
かくて、無事、オリンピックは無事終了し、ウインタースポーツに新たなスターと伝説が生まれ、
テレビには「感動のオリンピック総集編」みたいな番組が溢れることになったのである。
その後、長野の財政がオリンピックのせいで、けっこう苦しいことになったらしいとか、
西武の株式をめぐるごたごたで有罪となり、表舞台から退場したはずの堤義明は、
いつの間にか日本オリンピック委員会の最高顧問になっていたらしいとか、
いろいろあるのだけれど、
選手さえ、頑張ってくれれば。
ウインタースポーツであれほどうなじが無防備なウエアはないのではないか。曲がりなりにも氷上で戦っているのだからそれなりに寒いと思うのだが、それにしては全体的に薄着だと思う。パンツもぴったりしているでもなくだぼっとしているでもなく普通っぽい。ストーンを投げる時には姿勢が低くなるのでいきおいカメラは斜め上の角度から選手を捉えることになるが、その時に見える首元の色気は独特のものだ。他のスポーツに比べると選手の年齢層が広いので、40代の選手も珍しくない。そういうのがたまらない人もいるだろう。半袖のウエアを着ている選手も時々いるが、スイープをしなければならないから大抵の場合そこから伸びている二の腕は健康的で、袖の部分の生地だけぴちぴちだったりする。その腕で氷を懸命に掃いている姿は、まあ公共放送で流しても問題ないとは思うが、なにがしかのエロスは確かに含んでいる。
>自家用車に比べれば安い。維持費を考えると、自家用車は年間50-60万は普通にかかる。
これ読んで思ったけど、
遊びに使うお金が、東京に比べて圧倒的に選択肢が少ない、遊び場所が少ない
だから冬はウインタースポーツ、夏は海や山に行く機会が多いし
ドライブ(移動)自体を遊びとしてるひとが周りに多いし自分もそう。
近くまででも車に乗るというより、遠くに行く機会が多いつーか。
車があるのが当たり前すぎて、維持費が~とあまり考えた事なかった。
元増田さんの感覚が正しいかは都心に住んだことがないとわからないのでしょうね。
仕事づきあいのある人に、東京以外は人の住むところじゃないとよく言われる。
住んでいる人にとっては実際そうなのかもだけど