はてなキーワード: ディアナとは
崖っぷちからリレーで助けられる赤ん坊の声が、主演声優の子供の声だと聞いてドン引き。
何だそれ。公私混同も甚だしい。
いい加減、創作物において赤ん坊に希望の象徴のような特別な意味を持たせて持て囃す表現って陳腐だからやめてくれねーかなと思う
すぐに成長して大人になり、病気や怪我に苦しんで、年老いて死んでいくただの人間。そこに特別な意味を持たせるべきじゃない。
ガンダムでもVガンダムやベルトーチカチルドレンではそういう安易な赤ん坊が希望という描写をしてたけど
その後のターンAになって長く生きて眠りにつく女王ディアナの黄金の秋という豊かな表現で最終回を迎えた事は、進歩だと思ったんだけど。
進撃の巨人も原作漫画の赤ん坊リレーの場面では、今まで描かれてきた老若男女問わずあっさりと死んでいく残酷な世界が突然陳腐になったと興醒めしたものだった。
以前「ガンダムが!!おもしろい!!」っていう投稿をした増田です。
https://anond.hatelabo.jp/20221002214201
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この投稿のときファーストガンダムは劇場版三部作のみ見ていたのだが、TVアニメ版を全部見るべきだろうというご意見を頂戴していたのと、映画の「ククルス・ドアンの島」を見るに当たりTVアニメ全話を見たので感想を書く。
あと水星の魔女も面白いけど話を聞いてくれる人がいないので書く。
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三部作はよくまとまっているけどやっぱり端折ってしまっていてTVアニメ版を全話見ると情緒に欠けるなと思った。
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リュウ・ホセイが死んだときの絶望感やばい。ちょっとアレな上司を一番うまく扱ってくれてた人が急に退職したときの絶望感を思い出してしまった。
ことあるごとにリュウがいれば…と言ってしまうミライさんの気持ちもわかるよ。
でもなんとかなるんだよな、なんとかなっていくんだよ。ブラック企業で働いててまだ理性残ってる人は勇気出して辞めよう。リュウ・ホセイほどの人がいなくなってもホワイトベースがなんとかなったように御社もだいたいなんとかなるんだよ。
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機械いじりが好きな少年アムロが弱音を吐いたり叱られたり二度も打たれたりしながら戦士として成長していく…、と言えば聞こえは良いのかもしれないけど、
やっぱ自分としてはただの機械好きの男の子が戦禍の中で戦士にならざるを得なかったのが悲しくもある。
何よりアムロが自分から父親とも母親とも決別するところは本当に悲しい。
死んだわけでもないのに10代の男の子が自ら親と決別する道を選ばざるをえない状況が悲しすぎる。
序盤はあんなに拗ねたりいじけたり、年頃の男の子らしかったアムロがア・バオア・クーの攻略戦のときにはホワイトベースのクルーでニュータイプでガンダムのパイロットという立場を認識して、皆の士気を気にして嘘を言っているのがさ…。
そこがあるから家族と決別したアムロが、最終回で「僕には帰れるところがある」と涙を浮かべて言うところは良かったというか、安心した。
ホワイトベースはある種の疑似家族でアムロの拠り所になってたんだなと感じたし、だからこそ数年後のZガンダムの時点で地球で重力の塩漬けにされてんのが悲しいよな…。
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もともとthe originを見てハマったのもあって、シャアとザビ家の関係というのはある程度頭に入った状態で見たけど、物語としてもうちょっとこの辺掘り下げて書いた方が面白かったのではと思った。
ただファーストは打ち切りになった作品とも聴いてたのでまあしゃあないか。
でも全話見た上でこのときめっちゃやり合ってるシャアとアムロがZガンダムで酒酌み交わしてるの胸熱すぎるなと改めて思ってZも見返したくなった。
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ククルス・ドアンも見た。
スレッガー中尉とかいたからTVアニメ版とちょっと時系列を変えてるんだな。
この映画はどれだけ多くのツッコミをするかというところが見どころなんだろうか。教えてくれ詳しい人。
個人的にはヤギ1頭で20人近い子どもたちの乳製品を賄うのは無理があるのではと心配でならなかった。
しかも1頭だけでは繁殖できないので近い将来、子どもたちのカルシウム源がなくなってしまうのも気になるし、
ドアンはちゃんと近隣地域と交流して子どもたちに教育を受けさせてやってほしい。
10年くらい前に見た「東京島」っていう映画を思い出してしまった。ククルス・ドアンの島が東京島みたいになっていかないか不安でならない。
良い点としてはファースト見た直後だったのでキレイな画質と作画で生き生きと動くアムロたちが見れたのは嬉しかった。以上!
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前の投稿のときにはまだ1話とプロローグのみだったと思う。水星の魔女はジェンダー問題やフェミニズムも意識してんのかな、みたいなことを書いた気がする。
その後見たスタッフインタビューで「特別その辺を意識したわけじゃないけど、会社見学に来た若い子にガンダムは若者のものじゃないと言われてショックで、若者に見てもらえるよう意識した」みたいなことが書いてあって、特別ジェンダーやなんやを意識してないのに若者が見ることを意識して作品をつくったらジェンダー問題を意識しているように見える作品になってるのはすごく不思議で面白いなと思った。
見ていてやっぱミオリネをトロフィーワイフ扱いしたり同性婚とか家族関係にかなり踏み込んでいる印象があるんだよな。
「花婿」「花嫁」という旧来的な言葉を使いながらも(たぶんそこを問い直す意味でもあえてやってるんだろうけど)、ここまでしっかり踏み込んで描いていると、むしろ今後やっぱミオリネとスレッタは結婚しませ~んってやるのはすごく不誠実なのでは、と思うし、そうでなくともかなり2人に感情移入してしまっているのでスレミオを結婚させてくれないと俺が泣いてしまう。
前にも書いた気がするけど富野監督は結構女性の描き方について踏み込んでいる印象を持っていて、いろんな女性像を描いてたけどあくまで主人公もメインターゲットも少年の作品というのもあって男社会に抗ったりやりきれない状態の女性(エマ中尉とレコアさんとか)なんかは描いていても最近よく聞くシスターフッド的な女性同士の連帯関係まではなかったんじゃないかと思う。∀のキエルお嬢様とディアナさんは近いかもしれん。(富野作品すべてを見ていないのでもしあるんだったらすまない、教えて欲しい)
水星の魔女は富野作品じゃないけど日和らず突き抜けてほしいし、新しいことやってほしいなあと思う。
アムロにとってのホワイトベースとか、ジュドーとガンダムチームの仲間とか、いま見てる途中だけどVガンダムのウッソとシャクティとか、疑似家族的な拠り所であったり、血の繋がりはないけど家族と同じように大切な関係っていうのを、これまでの作品でも描いてきているから、株式会社ガンダムの仲間がミオリネとスレッタにとって1つの居場所になったり、最近の言葉だとchosen familyになっていったら良いなと思う。なんならダーティペアみたいになってもおもしろいと思う。
ミオリネがスレッタに「ずっとそばにいて」と伝えたみたいに、女の子同士は百合とかでなくても現実の女性同士もだけど、互いに「大好きだ」とか「大切だ」とかを伝え合う傾向があると思う。
ボブ…いやグエルとシャディクとか男同士も互いにふざけたり冗談ぽくとかでなく、大切に思っているとか、大好きな仲間だとかそういうことを伝え会える関係が描かれると良いなあと思う。
男同士はそういうこと言うとすぐにホモネタ(あえて侮蔑語を使ってる)扱いだし、どんなに信頼できる大切な友人だと思ってても「好き」とかは言えないからな。
職場で昨日も「◯◯さんのそういうとこすごい、もう大好き〜」って言ってる女性がいて、改めて思った。「好き」を伝えるハードルが低いと互いを思いやりやすい。
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ここからはオタクの自分語りという一番恥ずかしくて気持ち悪いやつだから無視してくれて良い。
ここ数年、仕事の関係で様々な理由で困難な状況にある子どもたちに間接的に(たまに直接的に)支援する業務にかかわることがあって、
そのせいか、つい俺は10代のアムロとかカミーユとか見て悲しくなったり誰か守ってやる大人はいなかったのかと思ってしまう。
実際にそういう子どもたちがいるという事実とか抱えている事情にふれるだけで結構悲しくなってしまうものなんだよな。ニュースとかで見聞きするのとまた違うというか。
悲しい気持ちになることもあれば、酸素欠乏症のテム・レイのごとく自分がひどい状態であることすら理解できない子もいて、支援を突っぱねたり自暴自棄なケースもあり、
そういう場合にはしんどい中で頑張ってる子もいるのに拗ねやがって、とか自己責任論とかが頭をよぎってしまうこともある。
もともと保育とか児童心理とかケアとかジェンダー論とかそういうのを勉強したこともなかったから、ここ数年は直接関わらなくとも業務上必要となることもあるので
仕事で関わる専門家的な人の話を聞いたり本を読んだりしながら、自分の中の差別心に気づいたり、それを言い訳しようとしたりとか自分の中のバックラッシュ?みたいなものと戦い、
行きつ戻りつしながら、めちゃくちゃ綺麗事で恥ずかしいけど1人でも多くの子どもが幸せになってほしいって思っているし、
マイノリティ性のある子どもたちとか、困難な状況の子どもの支援をしている人は本当にすごいと思う、尊敬する。とてつもなく辛くて大変なことなんだよほんと。
そういう中でガンダムにハマって見てたらなんかもう「親父に殴られたことのない甘ったれのアムロ」とか「すぐ大人に噛みついて口答えするカミーユ」とか「自惚れ増長クソガキのシン」みたいには単純に見れないんだよな。
どんなに辛かっただろうとか考えてしまって。
ちょっとだけいいパパっぽさ出しただけで「愛情のすれ違いなだけで実は良いパパ」みたいな印象になりつつあるデリングのことも愛があっても子どもに伝わらなきゃ意味ないだろ!!子どもの心が傷ついてたらダメだろうが馬鹿野郎!って思ってしまうし。
でもこういう目線で見れるようになったことで富野監督の作品やガンダムの今まで気づけなかった面白さにも気づけたと思うのでまたガンダムシリーズを見たら感想を書きたいと思う。
日間ランキング経由で最近 白の平民魔法使い を読み始めたけれど、書籍化って書いているし結構知られているんだろうか?
過去に読んだ有名な作品は、テンプレすぎて今思えば苦手なものも結構あるなーと思っていた。でも日間ランキングから適当に読んだ後に有名作品を読むと、やっぱり読みやすい。読み進めるのが苦痛じゃない。文章がしっかりしている。
昔はラノベを更に崩した感じだなーと思っていたけれど、全然ちゃんとしてる。
そんなわけで、文章がちゃんとしているなろう小説は無いだろうか?
とりあえず自分の読んだものでおすすめを書いておく。似たような傾向で面白い作品はないものか。
殿堂入り。王道ファンタジー。よくあるなろう系ではなくハリーポッターみたいなファンタジー観。こんな普通のファンタジー小説になろうテンプレをうまくミックスできることある?
異世界転生で知識チートで小さい頃に魔力を鍛えたチートで成り上がりモノ。それなのになろう系とは言いたくないほどちゃんとファンタジーしている。世界観も文章力も素晴らしい。
読んだのが昔過ぎてあんまり覚えてないんだけど、サバイバルファンタジー?あっさり読めてすっきり完結。独特の世界観が良かった。
いかにもありきたりななろう系、チートモノで村人が魔王を倒す話。と思いきや…。なろうテンプレを別のテンプレで上書きする、その構成が良かった。なろうテンプレのおすすめならコレ。サラリーマンの不死戯なダンジョンとか、そういう閉鎖空間的なやつ?いや違うか。
アビス・コーリング〜元廃課金ゲーマーが最低最悪のソシャゲ異世界に召喚されたら〜
ゲーム転移モノ。この作者は堕落の王とか嘆きの亡霊は引退したいとか、だいたい全部面白い。その中でもノリが軽くメタ的なアビス・コーリングが一番好き。綺麗に完結してオチも付くので読後感がすっきりする。
コメディーとシリアスの落差よ。コメディーとシリアスと言えば猫耳猫だけれども、それをもっと長く真面目に丁寧にやった感じ。
更新停止中。ブクマを読み返していると、ゾンビもの(?)や不死系(?)が結構好きみたいだ。単に見飽きてないだけかもしれない。こってりしたなろう系を摂取しすぎると、ダークな世界観とか読みたくなるからね。
グロい。ちょっと人にはオススメしづらい。ひたすら強く不幸になっていく物語。そしてグロい。R18まではいかないレベルなのでちょうどいいグロさ(?)。こんな強さと不幸さが正比例するの!?っていう何とも言えない作品。セカイ系。
他にはリゼロとか無職転生とか転スラとか、セーブロード宿屋とかくまクマ熊ベアーとか蜘蛛子とか、異世界料理道とかリアデイルとか勇者、或いは化物と呼ばれた少女 とか、定番のやつ。
変わらぬモノとかシャバの「普通」は難しいとか魔法少女を助けたいとかキョーハク少女とか、ちょっと変わったやつ。
まのわとかマギクラフト・マイスターとか軍オタ転生とかはぐるまどらいぶ。とか長いやつは途中まで読んでたはず。
僕と彼女と実弾兵器、星間国家の悪徳領主みたいなのも読んでる。
塔の管理をしてみよう とか 金色の文字使いとか昔読んでいたものは今読むとテンプレなろう系すぎて読みづらい。
定番テンプレチートをちょっと外したやつ、メタ的なやつ、ダークなやつ、ループもの、そういうなろう小説は何か無いだろうか。
7/7 追記
「水属性の魔法使い」「異世界より愛を込めて」「ペテン師は静かに眠りたい」「黒の魔王」「異世界迷宮の最深部を目指そう」以外は読んでない!
アニメは友達に勧められてエヴァンゲリオンとコードギアスを見たことがある程度。同じロボットアニメだが、ガンダムは「アムロ、行きまぁす!」とシャアしか知らなかった。
夫と付き合う前、ずいぶん昔にガンダムファーストを1話だけ見てみたことがあるが、絵が古臭いわ音楽がダサいわ話がよく分からないわで面白さが分からず、1話で見るのをやめてしまった。
しかし夫はかつてメールアドレスをblue-hugestar-ramba-ral@.comにしていたほど重度のガンダムオタクであったため、夫による解説付きなら楽しめるかもしれないと思い、改めてガンダムという一般教養科目を履修することにした。
ガンダムファーストと、お台場で見たことがあるガンダムユニコーンを履修予定だったが、1年前にYoutubeのガンダム公式チャンネルで∀ガンダムを週1で配信していたため、それも一緒に見ることにした。
ファーストはNetflixで一気に見たため先に感想を言うと、リュウの死が辛すぎた。
次に誰が死ぬかをあっさりとネタバレしやがる次回予告にもリュウが死ぬことの示唆はしていなかったのに、ホワイトベースのクルーで一番まともだった人が一番最初に死んだ。夫は「戦争はまともな人から死んでいくよねー」「リュウはガンダムファーストの良心だからねー」とか言ってくる。以降夫が「この作品の良心」と紹介してきた人は全員死ぬと思うことにした。
リュウの死にホワイトベースのクルー全員が涙するシーンなんかボロボロに泣いた。次回予告で登場人物の死を予告してくれることで、例えるならジェットコースターが一気に下るまでの心の準備ができていたのに、リュウは突然死んだ。あまりのショックに、心の準備なしに突然ジェットコースターが落ちるが如き恐怖が植え付けられてしまったため、ガンダムを見る時は常に「次は誰が死ぬんだ?」と思うようになった。
慣れてくると、スレッガー中尉は登場した時点で「あーこいつどこかで死ぬわ」と分かった。だって生き延びそうな感じしないし。
ジオンってなに?なんで一年戦争やってんの?ジオン・ズム・ダイクン?なんでザビ国じゃないの?ランバラルがセイラさんのこと見てびっくりしてたけどランバラル何屋さんなの?等々、ゼータなどにつながる今後のネタバレを喰らわない程度に説明してもらいながら見たが、一人で訳もわからず見るよりとっても面白かった。夫がランバラルをメールアドレスにしていた理由もよく分かった。変とか思ってごめん、いいメアドだね。
次にユニコーンを見た。これは富野監督が作ったガンダムではないから、富野が作ったものでなきゃガンダムではないとか言うオタクが出てくることもあるよと教えてもらった。庵野以外のエヴァはありえないとか言ってるようなものだろうか?などと思いながら聞き流した。
夫は「ギルボアさんはこの作品の良心だからね」と言い出したので色々覚悟していたら本当に死んでしまった。ほらやっぱりガンダムの良心ポジは死ぬ。
ファーストのヒロインがララァだったように、この作品のヒロインはマリーダさんの時点で察する。ニュータイプの女や強化人間の女は悲しい死を迎えるのだろうかと見ていたらやっぱりそうなった。戦争の道具は幸せになれないお約束でもあるの?
最後にターンエー。週1の配信かつ間が開くこともあったため、1年をかけてファーストとユニコーンの合間合間に見ていた。
最初は世界名作劇場みたいとか思っていたが、構図はいちいち印象深くて綺麗だし、ロボットアニメなのにロボットのカッコ良さよりも人間の人生を目一杯味わうその儚さや充実を描いているし、異質だけどすぐに惹かれていった。
シンエヴァもそうだと思うが、人は歳をとると自然の美しさを見出すようになるのだろうか?エヴァでよく描かれる生い茂る葉のゆらめきや、ターンエーで描かれる黄金の秋みたいに。なんだかそれが分かる気がした。
最終回の最後の数分に流れる曲「月の繭」は、宇多田ヒカルのone last kissみたいに「聞くだけで人生の一瞬が特別な瞬間に感じる」曲になった。月の繭を聴いていると、夫と同じ布団で寝るとか、ご飯を食べるとか、そういった何気ないシーンがとても貴重なものに思えてくる。ディアナ様が女王という役目を終え、残された日々をゆっくり過ごすシーンと自分を重ね合わせていたことに気付き、なんだか忘れ難いアニメになってしまった。Youtubeで配信されていた最終回、20回は見たと思う。あれわざわざ最終回が秋に配信になるように調整したのかな。窓の外の木々が黄色くなってるのと、最終回が重なっててとても良かった。
劇場版も見てみたが、テテスさんとロランが何故か温泉に入ってしまうシーンとか、アニスばあさんのシーンとか、富野監督が描きたかったであろう人々の営みが結構カットされていた。総集編みたいなものだからそれは仕方ないと思っているし、TVアニメ版を視聴していた当時は「いやこんなシーンいらんやろw はよターンエー本気出せw 宇宙行こう」と思っていたが、ターンエーという作品を噛み締めるためにあれは全部必要だったんだと思った。
お台場のガンダムファクトリーではたくさんのユニコーンガンダムのプラモデルがあり、非常に人気が高く商業的にもおいしそうなガンダムであることを知ったが、ターンエーのプラモは全然ない。なんでだよ!!!!!!
という冗談はともかく、エヴァは父殺しの話でもあるが母性は少なくとも二人登場しているように思う
碇ユイはもちろん、葛城ミサトもシンジにとっては上司であり、母でもある、憧れだったお姉さんでもあるだろう
富野氏はガンダムでシャアにララァは母親になるはずだった人だと言わせてるし、
富野作品もどちらかというと母性を感じる、∀ガンダムのディアナとキエルもそうだろう
宮崎駿氏もクラリス、ナウシカ、シータを始めとしても母性を感じる、母性メインなように思う
自分は毒親というか、家事も料理も駄目な母親であったように思うので、あまり母性というのが納得できない
といっても、ファザコンというわけでもない
この描写自体は寧ろロボット工学的にも素晴らしいと思うのだが、
一方で、家事といえば洗濯?みたいに思うところがないわけでもない
一人暮らししていれば嫌でも洗濯をせざるをえない、嫌々でも洗濯をするものであって、
しかし、ここで女性に洗濯をやってもらえたらなあ、とあまり思えないのである
いや、誰かに面倒な洗濯をやってもらえたら、と思わないわけでもないのでウソになるか…
寮やホテルで洗濯を請け負う業者がシーツなどを回収しては洗ったものに交換するシステムがあったが、
自分の場合、お金があるなら、まだまだ当面生きていけるならそれで構わないと考えている
結婚しなかったら、孤独死だよ?誰も助けてくれないんだよ?というのも理解できるが、
最悪部屋で身動きできなくなり、長い時間をかけて餓死しても仕方がない、という感さえ最近はある
そもそも、そういったトラブルを回避するために異性と結婚する、異性を利用する、
それが母性であり母性にすがる、というのは、私はあんたのママじゃない同様、
他人事でありながら非常に失礼にさえ思えてくる
そう考えると、キリスト教的父性の方がしっくりくるような気もするし、
少なくともセカイ系のような物語において、たしかに母性で描かれることに感動さえするものの、
そんなに母性って良かったかな、という感じしかないが、それもこれから時間とともに変わっていくのかもしれない
自立することをやたらに父殺し、母殺し、というが、
考えてみればガンダム、特に初代ガンダムはその点では面白く対称的に描かれていて、
ギレンは本当に父を殺す父殺しをやってしまい、皮肉にもそれを理由にキシリアに殺されてしまう
富野氏がどう考えていたのか、
そもそもガンダムのようなアニメは脚本も複数によって書かれていたと思うので、
自分としては、本当に父を殺害する、というのも立派な父殺しのように思っているし、
それは母殺しも同様だと思う
大地だのを母神として考えるのは理解できる
社会的に男性が優位であるように思えて、なんだかんだすべては女性の手のひらの上なのだよ、
といった話も納得することが多々ある
しかし、毒親とまでは言いたくないが、機能不全ではあったのだろう
そんな家庭で育ったが故、もちろん育ててもらった恩は感謝しきれないほどある一方で、
位 | 距離 | 名前 | 所属 | 日付 |
1 | 76m80 | ガブリエレ・ラインシュ | 東ドイツ | 1988年7月9日 |
2 | 74m56 | ズデンカ・シルハバ | チェコスロバキア | 1984年8月26日 |
イルケ・ヴィルダ | 東ドイツ | 1989年7月23日 | ||
4 | 74m08 | ディアナ・ガンスキ | 東ドイツ | 1987年7月20日 |
5 | 73m84 | ダニエラ・コスティアン | ルーマニア | 1988年4月30日 |
6 | 73m36 | イリーナ・メシンスキ | 東ドイツ | 1984年8月17日 |
7 | 73m28 | ガリーナ・サヴィンコワ | ソビエト連邦 | 1984年9月8日 |
8 | 73m22 | ツベタンカ・フリストワ | ブルガリア | 1987年4月19日 |
9 | 73m10 | ギゼラ・バイヤー | 東ドイツ | 1984年7月20日 |
10 | 72m92 | マルティナ・ヘルマン | 東ドイツ | 1987年8月20日 |
アメリカのとある少女がメガネのディズニープリンセスがいないことを残念に思い、自らメガネのプリンセスのお話を作ったという。
それに対して多くの意見が交わされたが、そこに「誤解」が一部見受けられた。
ディズニープリンセス=全て中世の人物
そう思ってる人のなんと多いことか!
たしかにファンタジーと言えば中世であるし、初期プリンセス(オーロラ姫は14世紀であるし)はその通りである。
ポカホンタスはアメリカ開拓期の人物である。プリンセスと魔法のキス(ディアナ)は1920年代のニューオーリンズである。
またあくまで説ではあるが、アナ雪は19世紀あたりの時代設定らしい(「自転車」というワードがあるので)。
プリキスの時代にはメガネは確実にある。むしろ通行人含めて誰もかけてない方が不自然である。
よってメガネのディズニープリンセスがいないのは、時代設定の問題ではない。むしろその気になれば矛盾なく出すことは可能だ。
少女の要望に対し、ディズニー社は未だ返答していないという。子供の夢を壊さないためにも、ディズニー社には是非ともメガネのプリンセスを出して欲しい。
(余談:メガネのディズニー主人公は既にアトランティスのマイロがいるので、やはりプリンセスだけメガネの子がいないのは不自然)
戦いに巻き込まれた民間人がMSに乗り込む(アムロ・カミーユ・ジュドー・ウッソ・ガロード・キラなど)
超感覚的な能力の引き上げ(ニュータイプ・明鏡止水・SEED・イノベイター・Xラウンダーなど)
能力の人為的な引き上げ(強化人間・ゼロシステム・コーディネイター・阿頼耶識など)
仮面のライバル(シャア・クロノクル・シュバルツ・ゼクス・クルーゼ・ミスターブシドー・ゼハート・ルイン・モンタークなど)
改造されるなどして敵となるヒロイン(フォウ・カテジナ・アレンビー・ステラ・ルイス・ユリンなど)
理想主義的な女性指導者(リリーナ・ディアナ・ラクス・マリナ・アイーダ・クーデリアなど)
地球と宇宙の対立(連邦とジオン・エゥーゴとティターンズ・コロニーとOZ・連邦と宇宙革命軍・ミリシャとムーンレィス・地球と連合とザフト・連邦とUE・キャピタルとトワサンガ・ギャラルホルンと火星など)
特殊な金属もしくは装甲(ガンダリウム合金・ディマリウム合金・ガンダニュウム合金・ナノスキン・フェイズシフト装甲・フォトン装甲・ナノラミネートアーマーなど)
便利な粒子やナノマシン(ミノフスキー粒子・DG細胞・月光蝶・ミラージュコロイド・GN粒子・エイハブ粒子など)
子機を飛ばして全方位攻撃(ビット・ファンネル・Gビット・ドラグーン・ファングなど)
最強武装は巨大ビーム(ハイパーメガランチャー・ハイメガキャノン・石破天驚拳・バスターライフル・サテライトキャノン・ライザーソード・ダイダルバズーカなど)
巨大モビルスーツ/モビルアーマー(ビグザム・サイコガンダム・デビルガンダム・デストロイガンダム・シド・ユグドラシル・ハシュマルなど)
宇宙に建造される戦略兵器(コロニーレーザー・ソーラレイ・カイラスギリー・リーブラ・ジェネシス・メメントモリなど)
巨大構造物を地球に落とす(コロニー落とし・アクシズ・リーブラ・ミスルトゥ・ユニウスセブン・ブレイクピラー・ダウネスなど)
他にある?
冨野が世界名作劇場やりたくって、それでガンダムを使ってやったのがターンAガンダム
ロランはリアリスト…現実主義者でありながらも理想を決して捨てない強靭なメンタルも持ってる
理想だけでなくちゃんと行動するし諦めないで明るい未来を目指そうとするから好感が持てる
悩むこともあるけど自分の殻に閉じこもることはない
いつもソシエたちのこと、ムーンレイス、地球人の幸福を考えてる
どちらのサイドにも肩入れすることなく、あえて言えばディアナ教
戦いたくないから一番被害が出ないような決着を考えて行動してる
それも戦いの原因を無くすために戦うのであって、ただ巨大なゲンコツで殴るだけじゃない
実はロランというキャラクターが異常な内面性と行動性に満ちている
ナウシカから風の谷の蛮族要素を抜いて、英雄扱いされない程度にカリスマ性を引いて、博愛主義者の漂白剤をぶちまけたようなキャラ
そんなやつが、一般市民にまぎれて、混ざって、ポツンといるの
しかも周りの人間からは英雄扱いはされずに終始ターンAを動かせるロラン、助けてロラ~ン!くらいの認識
やってること振り返れば祭り上げられてもいいくらい人を救ってるのにガンダムに乗れる以外は市民Aのままなの
羊たちの群れの中に明らかにおかしい行動してるのに終わったらまた普通に羊の群れに戻っていく異常な羊が1頭
こんなことってある?
普通ガンダム作品でここまでやったらヨイショ!ヨイショ!ドッコイセ!ドッコイセ!される
ロランのことが好き好きたまらないグエン様くらいが特別扱いしてたくらい
たぶん作中で一番異常
「アインシュタインよりディアナ・アグロン」で炎上してるHKTですが
なにしろHKTのメンやヲタは「ブスだけど有能」が売りで一癖も二癖もあるHKT支配人指原が秋元に最も寵愛されているメンなのはわかりきっているし
AKBセンターのHKT宮脇がそのルックス以上に頭の良さと強い意志で今の地位にいるのがわかりすぎるほどわかっている。宮脇と同程度のルックスや可愛さだったらわざわざ博多から持ってこなくてもAKB本体に何人もいるのだ
炎上してから批判している連中も分析している連中も大半はHKTのセンターをめぐる複雑な物語構成や個々のメンの特徴を知らんわけで
博多ヲタならこの歌詞から表層的な意味と裏腹の意味を見出すのだからこのような批判は出ようはずもないのだ
ディアナアグロンの名前をだしたのも反語的な意味があると深読みしてもおかしくない
田島は初代HKTセンターで速読が得意な読書家。秋元が最もアイドルとしての才能を認める一人。
朝長もかつてのHKTセンター。この歌詞に表面的には一番しっくりくるがセンターを外されたときにひどく悔し涙を流すなど熱く秘めた情熱を持っているメンバー。
矢吹は元子役でなんでもこなせるスーパーキッズ。未来のAKBセンター候補
田中美はファンを引き付ける能力が高く、戦略的にファンを増やしている
確かにこの4人はみな無邪気で女の子らしい一面を指原や宮脇以上に持っているとは思うが
この歌詞に出てくるような何も考えない女の子じゃセンター候補に選ばれることはないのだ
HKTにはこの4人と同年代で先輩の田中菜津美という15歳のメンバーがいる。身長171センチ、口が達者でファッションセンスは最悪、ただし言葉のチョイスと、4万人の観客の前でも臆せず一人でMCができる度胸とスキル、高校生になったばかりではありえない天才的なメンがいる。この歌詞とは真逆といってもいい存在。秋元はこの田中の話芸を「鶴瓶をみるようだ」として最も高く買っていて、前曲では秋元が選抜に強硬に推したにもかかわらず他のスタッフにスルーされてしまった(秋元の意見が必ずしも通らないのだ)秋元が推すのはこういうメンバーなのだ
この「アインシュ・・・」を歌唱しているHKT4人はこのAKBGトップ二人そして秋元が推す同世代の田中菜と同じグループの、センター候補の後輩たちなのだからこの歌詞が反語的な意味合いだというのは私のようなただのファンの百倍はわかっているのだ
あのMVを見ただけで「あんなの歌わされるなんてかわいそうだ」と言ってる連中は実はあの四人の可愛らしい見た目で実は中身までないと思っているのだ