現役教員の自分から見るとそうやって訴えてる人をみると「働きたくないでござる」感を感じてしまうのは気のせいだろうか。
休日出勤なんて今の日本でどれだけ行われていて、人権無視した労働をいくらでも行わせているところはあるわけで、ワ○ミとかね。
必ずしもそれを「是」と肯定するわけではないが、今の部活動問題に「働きたくないでござる」感が漂うのはなんでだろう。
教育にかける情熱はみなさん同じのはず、なのに部活動をやらない教員に対してやっている教員からみると「働きたくないでござる」感を感じ取ってしまうのはなぜだろう。
それは自分がもはや洗脳されているからなのかな。「学校」というシステムに。
今日も部活動の指導をしてきた、6月は何かとイベントが立て込んだので、明日ようやく6月で初めての休日がもらえる。
1日のみの休日なんて翌日の準備やたまってた私用を片付けてたらあっという間に終わってしまう。
趣味のゲームもパズドラのスタミナがダダ漏れになるし、新作のゲーム(オーバーウォッチ)も買いたいが買う踏ん切りがつかないぐらいには時間がない。
平日の帰宅後の過ごし方をもう少し無駄がなくせるかもしれないが、1日が終わると割と疲れてしまう。
そんな生活送ってる1日の最後にTwitterを見て、部活動を指導しない教員が声高に運動をしている姿をみると「働いてないのに、うっせえ」と心のどこかで思ってしまう自分がいるんだよね。
ひと段落して思う。
やっぱり自分は学校というシステムに洗脳されかかってる。確かに何とかしないと。
でも、運動している人たちにいいたい。
今部活動問題プロジェクトの主張していることは、確かに実現できれば素晴らしいことだよね。
ただ、「実現するための具体的なプロセスや予算がどこにも書いてない。」んだよね。
賛成派、反対派、中間派のそれぞれから、相当数のヒアリングをして、案を作って、どこかモデルケースを作って、予算をつけて、最も建設的な提案をしないと。
理想を掲げるだけじゃ世の中は意外と冷たいんだよ。子どもにはそれでいいかもしれないけどね。大人は理想だけでは誰も共感してくれないんだよ。
理想や願う姿を振りかざして運動するのが実に教員らしんだけどね。
でも、部活動問題を解決するためには教員の力だけじゃどうにもならない。