はてなキーワード: 農業とは
ほぼタイトルがすべてなのだが、10年ちょっと前の日記を見つけたので書きたくなった。
年度初めに移動してきた教師の一人だった。
最初の授業は滞りなく進んだと思う(最初からヤバければ違う印象だっただろう)。
次の日、数学の時間初めに怒鳴られることには、「昨日の授業から誰も質問に来なかった。前の学校では放課後や朝方に生徒が並んでいた」のだそうだ。
母校は当時さほど質問が活発なところではなかった。特に放課後に関しては部活が強制な学校なこともあり、宿題なり自主学習は家に帰ってから、という認識だった。
朝といえば、4月初めは下手をすると雪寄せを終えてから登校する生徒もいた(*1)。
現在どうかはわからないが、バリバリ進学のため勉強する、という空気もない(*2)。
自分の周りだけがそうだったのかは知らないが、そんなわけで誰も質問に行かなかったのだろう(まあ年度始めの授業一発目でそれほどつまずく箇所があっても困る)。
クラスメイトは途方に暮れ、どうやって職員室から彼を連れ戻すかの相談後、説得を重ねどうにか第2回目の授業始めさせた。質問に行く生徒はいなかったが、授業の放棄までされると困るのである。
問題集の中で一つ質問に行く問題を決めて、朝の短い時間で解説を済ませてもらえるように最後の最後で躓いたような計算履歴を装うのだ。
これならいいんじゃないか、と思った問題を皆で解いてたら「解けちゃった…」となり何度か”間違え直し”をしたのを覚えている。今思えば無用な労力だった。
クラス担任や学年主任にも相談はしたはずで、しかしそれほど効果はなかった気がする。
数学教師は苛立つとまず3色ボールペンやチョークを黒板にぶつけ始め、やがて教室を出ていく。質問に行かないかもしれないが、義務教育の内容は全うしたい生徒が追いかける。嫌いな教科ではないはずなのに憂鬱な時間だった。
PTAの力が弱いせいで県内の問題教師の掃き溜めになっているのだ、という噂もある中学校だった。従順でない男子を糾弾するために女子に意見させるが、男子と距離が近い女子生徒は発言の順番を飛ばすような学年主任もいた(この件に関しては後に親に謝罪があったらしい)(当人への謝罪はなかったようだ)。
どうにか1年を耐えきり自分は卒業したが、あの数学教師は今も母校にいるのだろうか。
*1. 年初というと春の印象だが、雪国のど田舎だったためまだ冬の開けきらない頃だった。5月の運動会のため、陽の当たらない校舎裏の雪を溶かしに行った記憶がある
*2. 5科目の実力テストで大体何点ならこの高校、とほぼ受験期前に(教師の間で?)決まっていた。自分は偏差値という概念が実用されているのを高校で知った。それまでドラマやコミックでふんわり出てくる単語程度の認識だった。高校がほぼ決まっている、というのは楽でもあるが、進学させたい教師VS(家業のためもあり)農業科/商業科に行って早くから働き始めたい生徒、のような言い合いも起こる。自分は商業科に行きたかったがレスバに負けて田舎によくあるエセ進学校に行った。結局空気が合わず高卒認定→商業系大学のルートを辿ったのでもっと粘ればよかったなと思っている。
溢れかえってればまだましだったよ
理屈はともかく安倍晋三がトップで中国と戦争になったとき勝てる気がしないので却下かなあ
歴史とは勝った国が書くもの、塗り替えるものなので、今度こそ戦勝国にならないとマズい
歴史の教科書を書き換えるのにご執心になる前に戦争に勝ってほしい
今度こそ世界大戦で日本が勝てば、戦勝国として好きなように教科書だって書き換えられるだろう
戦争で負けたから謝り続けなければいけなくなる、イチャモンをつけられ続けるのであって、
今度こそ戦争に勝たないと、また同じことの繰り返しになる
教科書の紙の文字を書き換えるのに熱心な老人たちは何の役にも立たない
中国であれロシアであれ北であれ、本来なら日米同盟下の韓国であれ、
ちょっと前に、暴力団員に虐めにどう対抗したらいいか質問したみたいな話がネットにあったが、
暴力団員が暴力に同じレベルの暴力で対抗する、つまり闇討ちするとか凶器を使うとか言っているのに対し、
組長は相手より更に強い力を持つものに相談しろ、だったらここに連れて来い、みたいに言っていて、
それはできるだけ非暴力的にやるなら弁護士とかに頼るべき案件だろう
虐めのレベルによるが、家庭内の虐待だって虐めのようなものであり、まずは警察、学校だったら教師、
無駄かもしれんがまずそこに相談するのは、敵より暴力的にも強い存在であるからだ
だったら、胸糞悪いと話題になっていたが、ウシジマくんの作者が最近描いている漫画のように弁護士に相談だろう
法治国家は決闘で白黒を付けるような野蛮な世界ではないのであって、非暴力で決闘するために法律は存在する
国際法だろうか?
たしかに国際法上日本側が正しい、中国側が間違っている、みたいに主張することは大事だ
何も解決していないのではないだろうか
結局、様々な条約や戦争をするにしても取り決めがあり、戦争にもルールは存在はするが、
国家レベルになったら、今度はこの世界や地球を取り締まる弁護士や法曹がいるとしても何の役にも立たないと思う
それは憲法の重箱の隅に拘って改正しなくても問題なくできるように思えるのだ
民生品と大きくかぶる部分もある
今の時代はMicrosoft Hololensみたいなものも軍に導入するのは重要なように思う
そもそも、安倍晋三氏は自衛隊が違憲なのを合憲にしたいだの言っているが、
違憲だと声高に主張してるのは日本共産党、それから公明などの一部なだけではないだろうか
そういった理想すぎる平和主義は単なるノイズであって、そんなノイズは無視すればいい
違憲だろうが何だろうが、自衛隊は他国の軍隊と同様に人命救助にも活躍している
毎日、中国やロシアからの領空侵犯、領海侵犯にスクランブル対応している
それで十分ではないだろうか
今の我々に必要なのは軍拡であり、それは英国のジョンソン氏が核を増やすようになったことも同様であって、
中国が新造する巨大空母や軍需も関係する宇宙開発への対抗である
そもそも、宇宙に電源をという発想は、私は子供の頃に万博でスペースコロニーなどと一緒に見たわけだが、
あの頃のスペースコロニーは棒状だった、つまりガンダムに登場するあれである
しかし、それからスペースコロニー構想の形状は変化していき、ガンダムとは異なり棒状ではなくなっていったように思う
アリゾナだのに建設された閉鎖環境で農業をしたり水を循環させたり閉鎖環境で人間が生きる実験ももう行っていない
宇宙で太陽光発電も頓挫していたが、比較的最近になってNASAは再開するようなことを言い出した
説明した人は実現するための要素技術が足りなかった、例えば、それは宇宙環境でメンテナンスするロボットであり、
当時は必要な要素技術がなかったが、今それがそろいつつあるという話だったと思う
しかし、宇宙で発電に関しても中国はかなり進めている可能性が出てきている
まあ、ハッタリかもしれないが、国家が世界中から天才を集め、全力で金を出して取り組んでいるのは確かだろう
宇宙で発電が成功すれば、原発は必要なくなる、エネルギー問題にかなり決着が付く可能性さえある
もちろん、今スペースXが実験したり爆発させたりで頑張ってるみたいに、
気楽に宇宙に物を運んで上がれる定期便みたいなものが必要だろう
中国がそういったものも並行して開発しているのか、すでに実現しているという可能性はかなり低いと思われるが、
しかし、とにかく中国は世界の下請け工場としてやってきただけあって、物や金が集まるのである
深センというエコシステムもそういう意図的な狙いがあったと考えられる
これに今回の香港なども加わり、金、物、ロジスティクスなどが主に沿岸都市に強化されて揃うことになる
つまり、なんとなくアイディアが浮かび、とりあえず3Dプリンターなどがそのへんでも売っているので買ってきて、
それで出力して、電子パーツも入手できるのでダクトテープなプロトタイピングができたとする
ここからちゃんと設計し直して、金型工場なども近隣に隣接しているため委託できる、
ホワイトカラーのハイテクビル群と量産化できる工場、それがセットになっていて投資家がうろちょろしている街、
アイディアから量産までが一気通貫できる街、そういった都市が日本にあるだろうか
今の中国は共産主義だの社会主義だのではない、血みどろの資本主義、新自由主義であり、
我々はこういった力に、暴力に、狂気に、更なる上の力で立ち向かわなければならない
そういう意味でも、安倍晋三なんてスケールの小さい、みみっちい話である
安倍晋三は戦後の間違った教育を煮詰めたような奴とか言ってた気がするが、本当にそう思う
まず、山田風太郎も言っているように、日本人は科学を軽視する傾向がある、だから負けた、というのがある
神道のように特攻を美化するなど以ての外であり、これから来たるべき世界大戦を負け戦にする思想である
くだらない精神論を捨て、科学を重視し、現実を数字やデータで真正面から受け止める
しかし、戦後から何年経っても日本はそれを理解できていないのである
負け犬根性が染み付いた民族だと揶揄されても仕方がないものである
それが悔しいのであれば、隣国に謝罪要求を繰り返されるのが腹立たしい、悔しいのであるならば、
それ以外にない
人類は使徒に滅ぼされるか使途を滅ぼして生命の実食って知恵の実捨てるしかない言ってたけど
調べたら滅亡するか生命の実食うまでループするって説もあるみたいだけど、あんましっくりこないのよ
つーか生命の実食うってどういうこと?(使徒アスカとかネブカドネザルゲンドウみたいになんの?)
第三の選択肢の補完計画もよくわからん。巨大綾波出てたから大体旧劇と一緒だろうけど、LCL化のかわりインフィニティ化する感じ?
インフィニティが人間に戻ってたけど、あれってニアサーで死んだ人が戻ってくるみたいな?
あと生命の実食ってないし補完計画も未遂で終わったみたいだけど、それだと人類滅びるんじゃないの?
アディショナルで書き換えたからセーフ?
ミサトさんが槍を届けるのに特攻するけど、ケジメの特攻なのか必要だからやったのかがよくわからん
マリ1人でもなんとかできたような気も
beautifulworldってそういう…ってなるんだけど
あそこで退場したとは限らないけど
あと、死んだ加持さんが出てきて老後はミサトさんと農業するみたいなこと言ってたけど
アスカとかカヲル君はいいとして、アンタら普通に死んだんじゃ?
観てる時は違和感ないしわかった気でいるんだけど、後から考えると???ってなんだよね
溶ける弾とか
うーん、一日中語るのは無理だけど、
例えば一緒に住んでいるとか、フルタイム職場にいるでもいいんだけど、
思い出したように、エヴァのあれってさ…、みたいに語るんだったら、
何日どころか何年でもできそうだけどね
そんな感じでくだらない話に付き合ってくれるオタな異性を募集したいぐらいな気もするのだけど、
空からは一向に女の子は降ってこないし、昨日は雨だし、今日は黄砂とかニュース言ってるし、
中国は昔農業のために人工的に降雨させる実験に核を使ったりしてたわけだけど、
そうすれば近い将来、今日の天気は雨のち女の子とか、曇りところによって女の子、とか、
ヴンダーに戻ってきたシンジにビンタしてうれし泣きをする場面と、エヴァに乗ろうとするシンジを銃撃する場面がシンエヴァでの主な見せ場ですね。
前者ではQでの悪印象が反転します。彼女の「エヴァにだけは乗らんといてくださいよ!」は序盤のおさらいパートでも採用されており、Qのトラウマ発言フラッシュバックでも関西弁なのでやたら目立っていた印象。しかし彼女を振り切って脱走し、フォースインパクト未遂まで起こしたシンジをうれし泣きしながら「あほ!あほ!」と抱きしめるサクラ。
アスカの「女房か、あんたは」のツッコミで、観客も「黒波は退場して、アスカはケンケンとくっついて、シンジはサクラと結婚するんだな」とわかる親切仕様。
アスカにシンジ君身元引受書にサインさせるのってそういうことですよね。
でもシンジくんは「あれ?チョーカー付けなくていいの?」くらいの反応。カヲルと黒波を看取った男だ、面構えが違う。
あと、サクラ視点だとDSSチョーカー付けたまま出てったシンジがエヴァに乗って覚醒したわけで、あの時シンジは死んだと誤解してたのかもしれません。
サクラはチョーカーの記録から首パァンしたのは別のパイロットだと知りますが、シンジの目の前で人が死んだのに、なぜ戻ってきたのか理解できないサクラ。
生きてたのはうれしいけど、エヴァに乗ってほしくないから戻ってきたのは複雑なんでしょう。シンジさんはケジメつけるために覚悟完了してるわけですけど、誰もそのことには気づいていない感じ。
チョーカーなしで対爆隔離室に保護(軟禁)されるシンジ。青葉だかが放置してネルフに利用されるよりはいい、みたいなこと言ってたが、船に乗せたことでシンジをエヴァに乗せるという選択肢が生まれたことは事実。
この後、アスカに渡されたトウジ一家の写真と手紙を見てサクラがすすり泣く場面があります。
ツバメが無事生まれたことを喜んでいるのかと思ったのですが、ゲンドウの最終計画を阻止できなければ死んでしまう家族を想って泣いているんじゃないかともいわれており。
いずれにしろ、彼女が家族を想う気持ちは強く、家族をニアサーで喪った悲しみも深いものだったと推測できます。
食事シーンでミドリ(ピンク)が「射殺許可出てるんだからいざとなったら撃つ」
「疫病神(シンジ)のせいで家族殺されたのに、みんな身内に甘すぎ。艦長も信用できない。再生水だって元は誰のオシッコかわからないのに、清めればすむなんてそんなわけないじゃん」的な発言をして、ヴィレクルーに窘められます。この後シンジがエヴァに乗ろうとして撃たれますよ、という前フリと、シンジを許せない遺族代表としての発言ですな。
唐突なオシッコ発言のせいで某所で飲尿キャラ扱いされる風評被害を受けるわけですけど、もとは汚水なのに、なかったことにして平気で飲み干すなんておかしい!ってのは結構鋭い。そうするしかないってのは頭でわかっているとしても。
その後、サクラがシンジに「何かあったら赤いボタン押して呼んでください」と電話するのを、ミドリがにらむシーン。おそらくサクラとミドリの相部屋ですね。
「こいつも、清めればすむと思って…!」みたいな表情してます。サクラがシンジの傍にいない理由や、シンジへの思いやりを示す説明パートだと思うんだけど、ミスリードと前フリも兼ねてるんですね。
ネルフ妨害のためセカンドインパクト爆心地に向かうが、冬月の計画にハマって打つ手なしのヴィレ。
普通に会いに来て元部下とは普通に話すけど、息子が来たら逃げるゲンドウは見どころの一つ。
当然銃を向けるミドリ。
でもやっぱり撃てない。
パァン!
「碇さんはエヴァには乗りません!」
ここでミドリと観客の度肝を抜く展開。サクラがシンジの足元を撃つ。そんな素振りなかったっしょ!?
シンジさんはエヴァに乗ったせいで自分も周りも不幸にしたってのは、トウジやヴィレクルーとも共通の認識ですね。
でも乗らなくていいじゃなくて、力づくでもエヴァに乗せないのってのは女房の特権。
でもケジメのためにひるまないシンジさん。
「無茶言わんといてください!怪我すればエヴァに乗らんで済みますから」パァン!
2発目はミサトさんが庇って腹で受けるが、動揺しながらもまだ銃はかまえるサクラ。
シンジがエヴァに乗らなければ人類は滅びていた、責任はすべて自分が取る、とミサトさんが説得するが、
「シンジさんは恩人で家族の仇なんや!」と激重感情を吐露し、なおも撃つつもりの女房。
ミドリが自分の足元を撃って「もういい!明日生きることだけを考えよう!」
銃を落とし座り込むサクラ。マリが騒動がひと段落したタイミングでスッと出てくるんだけど、女房発言の時にもいなかったし意図的に接点なくしてる?
「なんで艦長撃たれてんだニャ!?」くらいは聞くかもしれないけど、アスカも取り込まれてるしそんな余裕はないのかも。
この後艦長に応急処置をして、処置中の「弾は溶けますから…」発言で(溶けるから何なんだよ)という疑問を観客の心に残すが、ほぼセリフなしでフェードアウト。
ケガをさせてでも止めるという鉄の意志、恩人で親の仇という愛憎の深さをさらけ出して、その後出てこないのが人気の秘密かもしれない。
あと、「明日生きることだけを考えよう」ってのはちょっと気になる。言葉通りだとシンジのことは忘れろってことじゃん…。まぁ、切り替えて今やることをやろう、ってことともとれるが。
仇なのにシンジに向けるのはほぼ恩義で、それでいて恩だけじゃないじっとりした重みがあるのもいいですね。
ここで、シンジがエヴァに乗らなきゃインパクト止めれないじゃん!ってのはよく突っ込まれるポイント。すでにフォースは発生してほぼ打つ手なしの状況だし。
エヴァに乗らずこのまま二人で…(BGM:甘き死よ、来たれ)ってのも考えられなくはないけど、溶ける弾と応急措置セットで助ける気はマンマンなんですよね。
その場合、マリにマイナス宇宙でゲンドウと追いかけっこしてもらえばなんとか阻止できるかもしれないけど。
世界より自分の大事な人を優先するってのは、ニアサーのシンジとか、補完計画のゲンドウと同じなんですよね。その結果結局世界も愛する人も両方失うわけです。
サクラエンドについて。
サクラのシンジへの重い感情を知った後だと、8歳の少女が碇シンジ管理担当医官になるまでの14年間はいろんな意味でヘヴィーだったと想像できるわけですよ。
そう考えると一途さヤバいし、シンジは14歳のままずっと寝てたせいで、目覚めたら8歳の親友の妹が14年間自分を想い続けてた22歳に変わってるってのは恐…感動的だと思うんすよね。
あと、シンジがケガをさせた少女が医官になって治療する側に回るのとか、シンジが初戦で助けた子が最終戦で引き留めるところとか、
父親と和解して自分が父親になるとか、サクシンエンドって色々きれいにまとまるし。
贖罪とかケジメってのはQとシンでのテーマになってるんすよね。
Qでは「槍でヤリ直す」ことですべてなかったことにしようとしたけど失敗して、カヲル君は爆死。
シンではトウジの「遺族の言葉を受け止めるのも医者のケジメや」の言葉に影響を受けて、命がけでケジメつけようとする。
ミサトさんも贖罪は自分からしなきゃダメみたいなこと言ってたし。
アディショナルで「過去はなかったことにしない」ことにするのは、ニアサーで生まれた縁を知ったのもあるけど、やっぱ自分の行動に責任を持つってシンジ君なりのケジメなんでしょうね。
第三村は一見のどかな田舎だけど、実態はニアサーの遺族が集まった難民キャンプみたいなもんなんすよね。
知らん人同士の寄せ集めというところも、田舎というより都会っぽい。
やってることはバガボンド農業編なんだけど、村の住民全員吉岡一門の遺族みたいな。
あと、委員長や第三村のマダム、子供たちが黒波を通じてシンジを立ち直らせるとことか、他人の力で鬱から立ち直るみたいなとこもあったり。
ユーロネルフの殉死職員や加持さん特攻も、自己犠牲の文脈ではあるけど利他主義でいい方向に回ってるというのもあり。
死んで花実を残すのは黒波もですね。シンジも周りに助けてもらったけどその覚悟ではあっただろうし。
駅のシーンはやっぱりまだマイナス宇宙じゃないかなぁ。じゃないとチョーカー付けてるのがおかしいし。向いのホームにチルドレンいるし。
無事第三村に帰った描写はするけどその後は映さない(自由に想像してね)ってのは徹底してるし。
マリのイスカリオテのマリアってのはイスカリオテのユダとマグダラのマリアかなぁ。普通に聖母マリアかもしれないけど。
義母は農業を営んでいて、いつもなら絶対家に顔を出す時間に帰ってこなかった。
もしかして、と思い探してみてもいない。
そして、家から離れた畑の、かなり見通しの悪い場所で発見した。本人が言うには、5時のゆうやけこやけが流れた瞬間にガタッときたと言ったから、もう1時間は経っていた。
私は救急車に付き添いで乗り、夫に連絡を取り、病院でおちあった。
今夜が山です、と救急医が言ったので、夫は弟2人と連絡をし、私は車で帰宅した。
眠れない夜を過ごした明け方、意識が戻った、話せる状態ではある、とLINEが入った。
朝一番の新幹線で我が家にきた義弟が、おかあの容態はどうなんだと詰め寄るので、病院に連れて行った。
次男はその場で泣き崩れ、三男は無言で神妙な顔をしていた。
義母も含めた私たちのかかりつけの病院の入院承諾書には、もし患者が入院費が払えなかった場合の、同居家族以外の連帯保証人と保証人の2人が必要だったのだ。
次男は俺が連帯保証人で構わんよ、と二つ返事で署名捺印したが、問題は三男だった。
三男の妻、私から見ると義妹は、中流よりちょっと上というか、わかりづらい例えをすると子供の服を西松屋ではなくアカチャンホンポで買うような人たちである。
それに、私(たち)の名字を使う代わりに、資金とローンを出しあって二世帯住宅に住んでいて、まあ、事実上婿入りなのだ。
なので三男は、義父さんに許可取ってみるわ、と電話をしてみた。すると
と言われる。
三男が言われた通り送ると、それでも納得いかないのか
「娘をそっちに遣るからそれまで何もするな」
と言われたようだった。
私はとても気が短いので、んなことしとる間があったら義弟らをはやいとこ義母に合わせたいんだが、と奥歯をギチギチ言わせていた。
2時間くらいで義妹到着。全員揃ったから病院に行き、夫と義母に会った。
次男はその場にうずくまり、三男は固まって神妙な顔で、義妹は涙を流していた。
そして主治医の説明で、義母は発見が割と遅かったので、後遺症の残る可能性が高いだろう、と言われたと夫が言うと、皆再び同じ反応をした。
さて帰ろう、と病院を後にしようとすると
「まだ待って!」
と義妹が言い、相談員のところに行こうと言う。
義妹は看護師なので、まあ腑に落ちない点でもあるのか、と私は思ったし、何故かまでは知らないが皆義妹について行った。
・義母が完全に治る見込みはあるのか(主治医が難しいって言ってたじゃん)
・治らなかった場合、手帳や社会保障などはおりるのか(後遺症の度合いによらないか?)
と、心の中でツッコミを入れながら
「あ、これは火の粉を払いたいんだな」
とさすがに気がついた。てか全部入院2日目にする質問じゃないだろうが。
で、家に帰ったら、今度は三男が夫婦で
と言ってきた。
これを聞いて2人を引っ叩きたくなったが、夫が私の服の背中を引っ張り
「お前、部屋でジッとしてな」
と言われた。夫はこういう時に私が激昂して何を口走るか、何をしたものだか分からないのを知っていたから。
そして色々な部屋で色々な棚を探す音に耳を塞いでいてどれくらい経っただろうか。夫が
「おぅ、もう出てきて大丈夫だぞ」
と言ったので出てきたら、居間で義祖母のアクセサリーケースを品定めしつつ
「金になりそうなもんはねーな」
と言った三男の頭を後ろから殴って、全然大丈夫じゃない、と夫に平手打ちを喰らわせたくなった。
その家探しも無駄ではなかったのかもしれない。
義母が入院保険に2つ加入してることが判明し、半年間は一定額が保障されるのがわかったから。
そして保証人のことは私が実の弟に頭を下げることで決着がついた。
「うちよりも親類縁者が多いのにどうして僕に飛んでくるのかは知らんが」
そして話は飛んで、年も跨いだ頃、どうしても最後の入院費が10万円足りない計算になった。
長男である夫が、俺が4万払うから、お前ら2人で3万ずつ折半して払ってくれないか?と頼んだ。
三男は嫁が払えない、というから、申し訳ないが払わないと言う。
次男はその頃事業が破産宣告間近とかなんだかで、三男に乗っかり払うのを渋った。
私は怒りに怒ったし、夫もここまでくると堪忍袋の尾が切れたのか、次男は俺が怒ったは逆らえないヤツだから、お前は三男をやれという。
こいつが全ての元凶だろ、と思い、義妹に電話をかけ、私たち長男夫婦は、同居してる身だから見舞いや着替えの交換、リハビリの見学や介護認定も同伴して、あなた方より入院費も多めに払ったというのに、何故そんなにも金銭的なことへは手をださないのか、と。
すると
「あのですね、私たちは3000万のローンが残っていて、福祉に頼っていられる身でもなくて、子供もあと1人欲しいからカツカツなのに、その上3万なんて払ってられないです!あなたたち持ち家持ち土地でしょう?それ、あなたたちが自分のお金で買ったものでもないでしょう?収入だって、今まで義母さんの分があったんでしょう?逆に、なのに何で私たちに払えって言うんです?!」
確かに私障害年金もらってますけど、年間80万くらいでして。一家の服は全員ユニクロでして。持ち家持ち土地とはいえ固定資産税がかからない程度の資産価値しかない場所にありましてね…?
もう何もかも言う気が失せ、わかりました、こちらで払いますので、と電話を切った。
直後に
「お金のことばっかり言ってごめんなさい」
と絵文字付きのLINEが飛んできたけど、払いますって文言は全くなかった。
結局、私たちが7万円負担して入院費を全部出し切り、その後祖母が退院してきて、自宅介護生活が始まった。
そしてその数ヶ月後のお盆に、三男から何かの連絡で私に電話があり、その時、ついでのように
「ああ、娘が幼稚園に入園したから、嫁が休みを取りづらくなったから、これからは俺だけで帰る時は帰省するわ」
と言い、あーもうホントに交流絶たれたわーいやもういいわあそんなんと顔合わせたくもないし、とまた奥歯をギチギチ言わせた。
これを夫に話したらば、深いため息をついたあと、スマホを渡した。
そこには、Facebookで3万円を渡さなかった家族が、あの後の日付でアメリカのディズニーランドで幸せそうな笑顔でピースサインを出している写真。
「お前に見せたら何するかわからんから黙ってたが、俺ら、ことごとく馬鹿にされてるよな」
と、いつもは冷静沈着ではあるものの穏やかな夫の目が、光の代わりに怒りで満たされていた。
ストーカー客が来なくなった! やったー、やったよー!! もう二度と来なくていいですよっ!!! この地方の警戒レベル下がったらしいので、キャバクラとかも通常営業するだろうし、そっち行っておくんなっ。
先日、Aさんに子供の話をしていた所に、ちょうどストーカー客がきた。いつもなら、ストーカー客が来店した瞬間私もAさんも喋るのを止める。けど、この日はAさんがストーカー客の接客をした後に、私は子供の話の続きをした。子供の学校やらなんやら、作り話っぽくないリアリティーバリ高い話だ。その時ストーカー客はカフェマシンでコーヒーを淹れていた。
ストーカー客は、いつもなら私のいるレジが見える場所に車を停めて、ずるずるダラダラ駐車場に長居をするんだが、そそくさと帰って行った。聴いてたんだな、私とAさんの話。別にものっすごい大声で喋っていた訳でもないので、わざわざ聞き耳を立てていないと何を話しているのかなんて分からないだろうに、バッチリ聴いていたわけだ。
これで三年近くにわたる粘着が終了した。どうやら極め付きの無敵の人だったわけではなさそうなのでよかった。刺されたらどうしようと思ったけど何事もなく去ってくれたようでよかった。ああよかった。
ところで、数週間前に、子供の学校で稲の育て方を教えているお爺さんに会った。そのお爺さんは、ここら辺の農家の伜に結婚出来た人は誰もいないと話していた。男余りなんで、農業に興味がある女の子はぜひ農家に嫁に来てくれ! なんて、そのお爺さんは小学生とその保護者達相手に演説をぶっていた。いや、今いる農家の結婚適齢期(過ぎてるかもしれないが)の男が誰も結婚してないんなら農家の孫もほぼほぼ居ないってことだろう。実際この小学校の児童に家が農家の子は一人もいないらしいし。小学生女子が大人になる頃には農家の伜達はすっかり爺さんなのだが。と思いつつ、聞き流していたとき、例のストーカー客のことを思い出した。ひょんなことから、ストーカー客の素性はこの界隈の金持ち農家の子ということがわかったのだ。ストーカー客も、結婚できない農家の伜のうちの一人ということ。
ストーカー客はしばしば父親らしき人と母親らしき人を連れて来店していた。それが私はなんだか家族ぐるみで品定めされているみたいで嫌だなと思っていたのだが、まさか本当にストーカー客はコンビニに嫁探しに来ていたのだろうか。
私の見た目は、黙ってれば彼氏いない歴=年齢のギリギリ女でしかないので、呼べば喜んで尻尾振って着いてくるように見られていたのだろうか。
「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です。」
窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟むねばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼めもさめるような、青宝玉サファイアと黄玉トパースの大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだん向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面凸とつレンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパースの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環わとができました。それがまただんだん横へ外それて、前のレンズの形を逆に繰くり返し、とうとうすっとはなれて、サファイアは向うへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡ねむっているように、しずかによこたわったのです。
「あれは、水の速さをはかる器械です。水も……。」鳥捕とりとりが云いかけたとき、
「切符を拝見いたします。」三人の席の横に、赤い帽子ぼうしをかぶったせいの高い車掌しゃしょうが、いつかまっすぐに立っていて云いました。鳥捕りは、だまってかくしから、小さな紙きれを出しました。車掌はちょっと見て、すぐ眼をそらして、(あなた方のは?)というように、指をうごかしながら、手をジョバンニたちの方へ出しました。
「さあ、」ジョバンニは困って、もじもじしていましたら、カムパネルラは、わけもないという風で、小さな鼠ねずみいろの切符を出しました。ジョバンニは、すっかりあわててしまって、もしか上着のポケットにでも、入っていたかとおもいながら、手を入れて見ましたら、何か大きな畳たたんだ紙きれにあたりました。こんなもの入っていたろうかと思って、急いで出してみましたら、それは四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの紙でした。車掌が手を出しているもんですから何でも構わない、やっちまえと思って渡しましたら、車掌はまっすぐに立ち直って叮寧ていねいにそれを開いて見ていました。そして読みながら上着のぼたんやなんかしきりに直したりしていましたし燈台看守も下からそれを熱心にのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれは証明書か何かだったと考えて少し胸が熱くなるような気がしました。
「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」車掌がたずねました。
「何だかわかりません。」もう大丈夫だいじょうぶだと安心しながらジョバンニはそっちを見あげてくつくつ笑いました。
「よろしゅうございます。南十字サウザンクロスへ着きますのは、次の第三時ころになります。」車掌は紙をジョバンニに渡して向うへ行きました。
カムパネルラは、その紙切れが何だったか待ち兼ねたというように急いでのぞきこみました。ジョバンニも全く早く見たかったのです。ところがそれはいちめん黒い唐草からくさのような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見ていると何だかその中へ吸い込こまれてしまうような気がするのでした。すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように云いました。
「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想げんそう第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈はずでさあ、あなた方大したもんですね。」
「何だかわかりません。」ジョバンニが赤くなって答えながらそれを又また畳んでかくしに入れました。そしてきまりが悪いのでカムパネルラと二人、また窓の外をながめていましたが、その鳥捕りの時々大したもんだというようにちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。
「もうじき鷲わしの停車場だよ。」カムパネルラが向う岸の、三つならんだ小さな青じろい三角標と地図とを見較みくらべて云いました。
ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺さぎをつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸さいわいになるなら自分があの光る天の川の河原かわらに立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙だまっていられなくなりました。ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか、と訊きこうとして、それではあんまり出し抜ぬけだから、どうしようかと考えて振ふり返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。網棚あみだなの上には白い荷物も見えなかったのです。また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度したくをしているのかと思って、急いでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あの鳥捕りの広いせなかも尖とがった帽子も見えませんでした。
「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラもぼんやりそう云っていました。
「どこへ行ったろう。一体どこでまたあうのだろう。僕ぼくはどうしても少しあの人に物を言わなかったろう。」
「ああ、僕もそう思っているよ。」
「僕はあの人が邪魔じゃまなような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」ジョバンニはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました。
「何だか苹果りんごの匂においがする。僕いま苹果のこと考えたためだろうか。」カムパネルラが不思議そうにあたりを見まわしました。
「ほんとうに苹果の匂だよ。それから野茨のいばらの匂もする。」ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。いま秋だから野茨の花の匂のする筈はないとジョバンニは思いました。
そしたら俄にわかにそこに、つやつやした黒い髪かみの六つばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけずひどくびっくりしたような顔をしてがたがたふるえてはだしで立っていました。隣となりには黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が一ぱいに風に吹ふかれているけやきの木のような姿勢で、男の子の手をしっかりひいて立っていました。
「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。」青年のうしろにもひとり十二ばかりの眼の茶いろな可愛かあいらしい女の子が黒い外套がいとうを着て青年の腕うでにすがって不思議そうに窓の外を見ているのでした。
「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちは神さまに召めされているのです。」黒服の青年はよろこびにかがやいてその女の子に云いいました。けれどもなぜかまた額に深く皺しわを刻んで、それに大へんつかれているらしく、無理に笑いながら男の子をジョバンニのとなりに座すわらせました。
それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりの席を指さしました。女の子はすなおにそこへ座って、きちんと両手を組み合せました。
「ぼくおおねえさんのとこへ行くんだよう。」腰掛こしかけたばかりの男の子は顔を変にして燈台看守の向うの席に座ったばかりの青年に云いました。青年は何とも云えず悲しそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれてぬれた頭を見ました。女の子は、いきなり両手を顔にあててしくしく泣いてしまいました。
「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事があるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃいます。それよりも、おっかさんはどんなに永く待っていらっしゃったでしょう。わたしの大事なタダシはいまどんな歌をうたっているだろう、雪の降る朝にみんなと手をつないでぐるぐるにわとこのやぶをまわってあそんでいるだろうかと考えたりほんとうに待って心配していらっしゃるんですから、早く行っておっかさんにお目にかかりましょうね。」
「うん、だけど僕、船に乗らなけぁよかったなあ。」
「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あの立派な川、ね、あすこはあの夏中、ツインクル、ツインクル、リトル、スター をうたってやすむとき、いつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています。」
泣いていた姉もハンケチで眼をふいて外を見ました。青年は教えるようにそっと姉弟にまた云いました。
「わたしたちはもうなんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこを旅して、じき神さまのとこへ行きます。そこならもうほんとうに明るくて匂がよくて立派な人たちでいっぱいです。そしてわたしたちの代りにボートへ乗れた人たちは、きっとみんな助けられて、心配して待っているめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう。」青年は男の子のぬれたような黒い髪をなで、みんなを慰なぐさめながら、自分もだんだん顔いろがかがやいて来ました。
「あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなすったのですか。」さっきの燈台看守がやっと少しわかったように青年にたずねました。青年はかすかにわらいました。
「いえ、氷山にぶっつかって船が沈しずみましてね、わたしたちはこちらのお父さんが急な用で二ヶ月前一足さきに本国へお帰りになったのであとから発たったのです。私は大学へはいっていて、家庭教師にやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日きのうのあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾かたむきもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧きりが非常に深かったのです。ところがボートは左舷さげんの方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗り切らないのです。もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せて下さいと叫さけびました。近くの人たちはすぐみちを開いてそして子供たちのために祈いのって呉くれました。けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押おしのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれどもどうして見ているとそれができないのでした。子どもらばかりボートの中へはなしてやってお母さんが狂気きょうきのようにキスを送りお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなどとてももう腸はらわたもちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかり覚悟かくごしてこの人たち二人を抱だいて、浮うかべるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。誰たれが投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども滑すべってずうっと向うへ行ってしまいました。私は一生けん命で甲板かんぱんの格子こうしになったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。どこからともなく〔約二字分空白〕番の声があがりました。たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました。そのとき俄にわかに大きな音がして私たちは水に落ちもう渦うずに入ったと思いながらしっかりこの人たちをだいてそれからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。この方たちのお母さんは一昨年没なくなられました。ええボートはきっと助かったにちがいありません、何せよほど熟練な水夫たちが漕こいですばやく船からはなれていましたから。」
そこらから小さないのりの声が聞えジョバンニもカムパネルラもいままで忘れていたいろいろのことをぼんやり思い出して眼めが熱くなりました。
(ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍こおりつく潮水や、烈はげしい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはそのひとにほんとうに気の毒でそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。)ジョバンニは首を垂れて、すっかりふさぎ込こんでしまいました。
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠とうげの上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」
燈台守がなぐさめていました。
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」
青年が祈るようにそう答えました。
そしてあの姉弟きょうだいはもうつかれてめいめいぐったり席によりかかって睡ねむっていました。さっきのあのはだしだった足にはいつか白い柔やわらかな靴くつをはいていたのです。
ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光りんこうの川の岸を進みました。向うの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈げんとうのようでした。百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のよう、そこからかまたはもっと向うからかときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のろしのようなものが、かわるがわるきれいな桔梗ききょういろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとおった奇麗きれいな風は、ばらの匂においでいっぱいでした。
「いかがですか。こういう苹果りんごはおはじめてでしょう。」向うの席の燈台看守がいつか黄金きんと紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないように両手で膝ひざの上にかかえていました。
「おや、どっから来たのですか。立派ですねえ。ここらではこんな苹果ができるのですか。」青年はほんとうにびっくりしたらしく燈台看守の両手にかかえられた一もりの苹果を眼を細くしたり首をまげたりしながらわれを忘れてながめていました。
「いや、まあおとり下さい。どうか、まあおとり下さい。」
「さあ、向うの坊ぼっちゃんがた。いかがですか。おとり下さい。」
ジョバンニは坊ちゃんといわれたのですこししゃくにさわってだまっていましたがカムパネルラは
「ありがとう、」と云いました。すると青年は自分でとって一つずつ二人に送ってよこしましたのでジョバンニも立ってありがとうと云いました。
燈台看守はやっと両腕りょううでがあいたのでこんどは自分で一つずつ睡っている姉弟の膝にそっと置きました。
「どうもありがとう。どこでできるのですか。こんな立派な苹果は。」
青年はつくづく見ながら云いました。
「この辺ではもちろん農業はいたしますけれども大ていひとりでにいいものができるような約束やくそくになって居おります。農業だってそんなに骨は折れはしません。たいてい自分の望む種子たねさえ播まけばひとりでにどんどんできます。米だってパシフィック辺のように殻からもないし十倍も大きくて匂もいいのです。けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。苹果だってお菓子だってかすが少しもありませんからみんなそのひとそのひとによってちがったわずかのいいかおりになって毛あなからちらけてしまうのです。」
「ああぼくいまお母さんの夢ゆめをみていたよ。お母さんがね立派な戸棚とだなや本のあるとこに居てね、ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。ぼくおっかさん。りんごをひろってきてあげましょうか云ったら眼がさめちゃった。ああここさっきの汽車のなかだねえ。」
「その苹果りんごがそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ。」青年が云いました。
「ありがとうおじさん。おや、かおるねえさんまだねてるねえ、ぼくおこしてやろう。ねえさん。ごらん、りんごをもらったよ。おきてごらん。」
姉はわらって眼をさましまぶしそうに両手を眼にあててそれから苹果を見ました。男の子はまるでパイを喰たべるようにもうそれを喰べていました、また折角せっかく剥むいたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜ぬきのような形になって床ゆかへ落ちるまでの間にはすうっと、灰いろに光って蒸発してしまうのでした。
川下の向う岸に青く茂しげった大きな林が見え、その枝えだには熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立って、森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまじって何とも云えずきれいな音いろが、とけるように浸しみるように風につれて流れて来るのでした。
だまってその譜ふを聞いていると、そこらにいちめん黄いろやうすい緑の明るい野原か敷物かがひろがり、またまっ白な蝋ろうのような露つゆが太陽の面を擦かすめて行くように思われました。
「まあ、あの烏からす。」カムパネルラのとなりのかおると呼ばれた女の子が叫びました。
「からすでない。みんなかささぎだ。」カムパネルラがまた何気なく叱しかるように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。まったく河原かわらの青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光びこうを受けているのでした。
「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから。」青年はとりなすように云いました。
向うの青い森の中の三角標はすっかり汽車の正面に来ました。そのとき汽車のずうっとうしろの方からあの聞きなれた〔約二字分空白〕番の讃美歌さんびかのふしが聞えてきました。よほどの人数で合唱しているらしいのでした。青年はさっと顔いろが青ざめ、たって一ぺんそっちへ行きそうにしましたが思いかえしてまた座すわりました。かおる子はハンケチを顔にあててしまいました。ジョバンニまで何だか鼻が変になりました。けれどもいつともなく誰たれともなくその歌は歌い出されだんだんはっきり強くなりました。思わずジョバンニもカムパネルラも一緒いっしょにうたい出したのです。
そして青い橄欖かんらんの森が見えない天の川の向うにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまいそこから流れて来るあやしい楽器の音ももう汽車のひびきや風の音にすり耗へらされてずうっとかすかになりました。
「あ孔雀くじゃくが居るよ。」
「ええたくさん居たわ。」女の子がこたえました。
ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう一つの緑いろの貝ぼたんのように見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってその孔雀がはねをひろげたりとじたりする光の反射を見ました。
「そうだ、孔雀の声だってさっき聞えた。」カムパネルラがかおる子に云いいました。
「ええ、三十疋ぴきぐらいはたしかに居たわ。ハープのように聞えたのはみんな孔雀よ。」女の子が答えました。ジョバンニは俄にわかに何とも云えずかなしい気がして思わず
「カムパネルラ、ここからはねおりて遊んで行こうよ。」とこわい顔をして云おうとしたくらいでした。
川は二つにわかれました。そのまっくらな島のまん中に高い高いやぐらが一つ組まれてその上に一人の寛ゆるい服を着て赤い帽子ぼうしをかぶった男が立っていました。そして両手に赤と青の旗をもってそらを見上げて信号しているのでした。ジョバンニが見ている間その人はしきりに赤い旗をふっていましたが俄かに赤旗をおろしてうしろにかくすようにし青い旗を高く高くあげてまるでオーケストラの指揮者のように烈はげしく振ふりました。すると空中にざあっと雨のような音がして何かまっくらなものがいくかたまりもいくかたまりも鉄砲丸てっぽうだまのように川の向うの方へ飛んで行くのでした。ジョバンニは思わず窓からからだを半分出してそっちを見あげました。美しい美しい桔梗ききょういろのがらんとした空の下を実に何万という小さな鳥どもが幾組いくくみも幾組もめいめいせわしくせわしく鳴いて通って行くのでした。
「鳥が飛んで行くな。」ジョバンニが窓の外で云いました。
「どら、」カムパネルラもそらを見ました。そのときあのやぐらの上のゆるい服の男は俄かに赤い旗をあげて狂気きょうきのようにふりうごかしました。するとぴたっと鳥の群は通らなくなりそれと同時にぴしゃぁんという潰つぶれたような音が川下の方で起ってそれからしばらくしいんとしました。と思ったらあの赤帽の信号手がまた青い旗をふって叫さけんでいたのです。
「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」その声もはっきり聞えました。それといっしょにまた幾万という鳥の群がそらをまっすぐにかけたのです。二人の顔を出しているまん中の窓からあの女の子が顔を出して美しい頬ほほをかがやかせながらそらを仰あおぎました。
「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと。」女の子はジョバンニにはなしかけましたけれどもジョバンニは生意気ないやだいと思いながらだまって口をむすんでそらを見あげていました。女の子は小さくほっと息をしてだまって席へ戻もどりました。カムパネルラが気の毒そうに窓から顔を引っ込こめて地図を見ていました。
「あの人鳥へ教えてるんでしょうか。」女の子がそっとカムパネルラにたずねました。
「わたり鳥へ信号してるんです。きっとどこからかのろしがあがるためでしょう。」カムパネルラが少しおぼつかなそうに答えました。そして車の中はしぃんとなりました。ジョバンニはもう頭を引っ込めたかったのですけれども明るいとこへ顔を出すのがつらかったのでだまってこらえてそのまま立って口笛くちぶえを吹ふいていました。
(どうして僕ぼくはこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。)ジョバンニは熱ほてって痛いあたまを両手で押おさえるようにしてそっちの方を見ました。(あ Permalink | 記事への反応(0) | 22:20
早稲田大学の庵野氏のインタビューでゲームの開発費高騰に関する指摘があったけど、
2000年時点で見抜いていたのは流石というか、
ただ、庵野氏はコンピュータ業界の知識に疎いというか、そりゃ門外漢なんだから当たり前だろ、というのも見え隠れして、
御大宮崎駿ほどではないにしても、意外とコンピュータに否定的なんだなあ、と思ったり…
2000年だからPS2とか書かれてるけど、まだまだ技術的には先があるというか、寧ろまだまだフロンティアだった時代だと思う
庵野氏はPS2の性能が高すぎて最大限に活かせるゲームが登場しない云々みたいに思われてたみたいだけど、
あと、こういうことを感じるのは老害判定にも含まれると思うんだけど、
いずれにせよ、PS2でゲーム開発がしづらかったのはソニーがまともな開発環境を提供しなかったからだと思ってる
PS2の性能がスゴいみたいな宣伝は実際はかなりハッタリだったと思う
デモで溶鉱炉の火花みたいなのとか、アヒルちゃんが一杯の風呂で物理シミュによる衝突判定とフレネル反射を実演してたと思うけど、
実際はああいうものが比較的楽にできるような環境ではなく、あのデモだけでいっぱいいっぱいだったとさえ思う
なんかあの時期のソニーはPS1が成功したからなのか、独自ハード開発に一辺倒だったように思う
で、独自ハードは開発するけど、ゲーム開発者とか使う側のツールは疎かになっていった
時期的にもIntelのような世界一より技術的に先行しようという狙いが強すぎて、それはそれで成果や功績になっただろうけど、
久夛良木氏が描いたCellで変わるライフスタイルみたいな図は今見ても噴飯もので、
優れたCPUやGPUが人間の生活を豊かにする、みたいに言われても、は?という感しかないんだけど、
今になっても思うけど、あれは後付けの理由であって、
本音はソニーがCPU開発で世界のトップに先んじて成果を出したかっただけなんだろうと思ったり
ゲームの技術的にはこれからはリアルタイムレイトレーシングとかなんだろうけど、
まあ、ゲームの開発費が高騰してる割に回収はショボくて、大規模ゲーム開発って高リスクでしかないというのはそのとおり
コナミが小島組をリストラするのもさもありなんで、基本負け戦というのがつらすぎる
庵野氏が日本映画もとっくに駄目というのも正しくて、まあ、何をもって駄目と定義するかによるわけだけど、
ハリウッドとまともに勝負しようというのは駄目で、少ない予算で国内の客だけを相手にしてペイするのが理想なぐらいになってる
日本の映画がアメリカでショックを与えるほどだった時期もあったとは思う
確認しないで書くけど、モノクロの初代ゴジラはアメリカでもセンセーショナルだったと思う
アメリカでは当時は巨大な恐竜とかレイ・ハリーハウゼンのストップモーションモデルアニメが常識だったわけだけど、
日本のゴジラは着ぐるみであるためスムーズに動き、着ぐるみであるものの背景となるミニチュアや特撮技術がリアルさを補強した
ゴジラが吐く放射能火炎で水飴で作られた送電線が発光して溶けるなど、今見ても面白い
日本はアメリカのように金はなかったが、貧乏人が逆転の発想と創意工夫で勝ってしまった感がある
もちろん、日本が特撮で優位になったのは長続きはせず、段々と特撮自体が幼稚というか注目されなくなっていき、
それがスター・ウォーズのようなモーションコントロールカメラとか、
ジュラシック・パークのようなCG技術で圧倒的にアメリカに追い抜かれて、今に至るといった感じがある
思いつくままにだらだら書いたが、あのインタビューで庵野氏がちゃんと逆算しているのは流石だなあと思った
そういえば、「負債」というものを経営者は肯定的に、技術者は否定的に考えがちという話もどこかで読んだけどそのとおりで、
簿記にあるように「負債」があるのは寧ろ経営として健全というか、そもそも借金ゼロが成立する業態はITぐらいで、
そもそも、銀行から金が借りられるというのは、それだけ信用されている、
これまで経営が安定している、成長しているというのを示せる会社だからこそ借金ができるわけで、
町工場とかで借金ゼロ経営なんてありえない、旋盤やフライス盤を現金で一括で買うのは馬鹿げてると思うし、農業のトラクターとかもそう
庵野氏が自分と同じ技量がある人は下に当然いる前提で考えてるし、
その下の人たちも庵野氏と同じように演出とか監督寄りのコースを考えないと、一生現役で原画コースとかになるわけだけど、
御大宮崎駿は監督というか、演出、絵コンテ、レイアウト、原画、動画、全部現役でこなしてる化け物なので、
彼のような人生モデルを参考にしたら若くして過労死で死ぬわけで、
やっぱり庵野氏は生き方がうまい、貞本氏は生き方が下手というのは言い得て妙なのかもしれない
でも、インタビューに答えてた時期の心境にもよるのだろうけど、
もう駄目だよね、と言いつつもCGでエヴァをリビルドすることに戻ってきたわけで、
まあ、誰だって神様ではないので、先のことは分からない、正しい予言ができるわけではないわけだけど、
まあ、否定的な予想というのは、現在ある手駒だけを見て考えてるからであって、
そこに僅かな希望を抱きながら生きていくというのもありなのだよなあと思ったり
つまり、生きてりゃそのうち良いことあるよ、と意味としては変わらんというか同じなんだけど、
もしかしたら庵野氏の予想を外れて、日本映画なり、大作ゲームの開発費高騰なりだって、
近い未来か、遠い未来か、ビジネスというゲームのルールを変える何かが現れるかもしれないわけで、
まあ、低い確率だろうけど、
アイツが言うには「テーマなんてない。ケリをつけただけ」らしい。
なるほど、俺も同じ意見だった。
が、あの逆張りしか考えてないアホがそういうってことは逆だな。
どうせアイツの事だから間違えたことを言ってから突っ込まれて「なるほど!その考えがありましたね!考えを改めました!考えを改めた俺凄い!貴方からその言葉を引き出した俺凄い!会話形式で皆に分かりやすく理解の機会を作った俺天才!」と言い張る流れは目に見えてる。
そもそも「やったことにケリをつける」だって立派にテーマだろ。
撒いた種を刈り取るという行為そのものが庵野とエヴァにとってはテーマとして十分だ。
エヴァにテーマなんてないよ学派だったけど手の平クルンギヌスですわ。
まあ農業してる時点で「生きる」「働け」がテーマとして成立するからな。
いやー完全に出遅れましたね。
ゲイが祝福されない云々はともかく、
資本主義はキリスト教のプロテスタンティズムから生まれたとも考えられている
宗教改革におけるカルヴァンの思想は、より徹底した聖書中心主義であり、神は絶対的な権威をもち、人間の原罪はキリストの福音によってのみ救われるというものであった。その神による救済は「予(あらかじ)め定められている」であり、それを定めるのは絶対の権限を持つ神だけである、したがって「人間はすべて平等に創られてはいない。永遠の生命にあずかるもの、永遠の劫罰に喘ぐのも、すべて前もって定められている」とした。そのような人間がどのようにして神への絶対的服従を示すことができるかというと、現世の天職を与えられたものとして務めることでしかできない、と説いた。このようなカルヴァン派の信仰は西ヨーロッパの商工業者(中産階級)に支持されていった。そしてこの西ヨーロッパの商工業者の中から、近代社会を出現させる資本主義が生まれてきた。→『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
いずれにせよ、神は最初から私を救うか救わないかという正解を持っているが、それは私が死んで答え合わせがあるのであって、
私が死ぬまで正解は分からない、正解はCMのあとではなく死んだあとである
だからこそ、目の前の仕事を全うするしかないし、仕事がないとしても人生を謳歌するしかないとさえ私は考えている
その、仕事を全うする、人生を楽しむ、といったことも神は最初から計画されていることだし、
もっと広く考えるならば、この世界のすべてが神が計画されていることである
つまり、自由意志があるようで自由意志がないわけであるが、個々人にとってそれはどうでもいいことなのである
なぜなら、我々人は、神様が何をお考えになっているのか、知りようがないからである
そして、それを知ることができるのはイエス・キリストのみであり、それ以外の預言者は偽の預言者である
人は神様が何をお考えになり、これからどうされようとしているのか、知る方法はないはずだからである
だから、別にキリスト教を信仰しろ、信心深くあれ、不信心は許さん、とはまったく私は思わないが、
人は機械ではなく、ロジックのみで動作するわけではなく、必ずしも論理的、科学的思考が正しいとも言えない存在であり、
特別な信仰はなくても、頭のどこかに神というか、なにか見えないものを信じる必要性さえあるように私は考える
水木しげる氏の、見えないものを信じる、にも似ているように私は思っている
キリスト教や宗教を悪と考える人たちがこの世界に多く存在することも事実である
しかし、本当に宗教が必要ないのか、人の心に平安を与える唯物論的ではない何かが必要ないのか、
個々人がそれぞれ考えておく必要があるように思う
そういえば庵野氏の昔のインタビューの中に、今の庵野氏の心情とは大きく異なっている可能性はあるが、
「飽食の時代だから心の問題を描いた」みたいな発言があったが、
たしかにそれはある側面では正しく、それがオウム真理教のような終末思想のカルトを多く生み出した
しかし、当時の庵野氏が言う、飽食の時代でなければ明日食べるもののことだけ考えるから心は問題にならない、
これは本当だろうか
もちろん、明日食べるもののことだけしか考えられなくはなるだろう、自分もそうなるだろう
しかし、エヴァで例えるなら、その極限的な状態でシンジにとってのゲンドウが死ぬ、シンジにとっての周囲の人たちが死ぬ、
でも、自分が生きてるからそれでいいや、みたいに思えるものだろうか
たしかに他人に対して思い入れがない、思い入れがない他人であればそうかもしれない
極限的な状態であれば、食料のために親が子を食べる、子が親を食べる、人が人を食べる、殺し合い奪い合う、
そういうことが起こっても不思議はない
しかし、人であるならば、どこかで我に返ったとき考えてしまうのではないだろうか
これでいいのか、何か間違っていないか、
そういった考えが人にあるからこそ、道具を発明したり、農業を発明してきたのではなかったのか
もし、人がそうでないのであれば、今でも殺し合い奪い合っているはずである
しかし、そうならなかったのはなぜなのか?
悲しいことだが、大切な人が無残な死を迎えても、これも神様がご計画されていたことである
神様の役割は、お賽銭のような賄賂をもらって人の願いを叶えることではないし、
すべての人類一人一人が不自由なく幸せになることでもないからである
逆に考えても、すべての人が幸福な世界なんてありえないとしか思えないわけで
あくまで個人的な解釈だが、まず聖書は寄せ集めの書物という考え方もあるわけで、
キリスト教の中にも聖書は無謬であり絶対的に正しいという考え方と、
いや、聖書にも間違いがある、本質的には神が絶対であり神を信じることである、という考えもある
だから、あくまで個人的な解釈だが、自分としてはキリスト教的に、
ゲイであれノンケであれ関係なく、すべての人たちが救済されるか救済されないか、という問題を抱えており、
それは神様が最初から決めているわけであるが、我々人は死ぬまでそれは分からないのである
だからこそ、一日一日を大切に生きていくしか、人にはそれぐらいしかできないのである
人は思い上がりやすく、この世界を宇宙をすべて悟ったつもりになりがちである
鋼の錬金術師のフラスコの中の小人ではないが、神に思い上がるな、と言われるまで人は自らの思い上がりに気が付かない
そして、人は基本的に怠惰であり、その思い上がりからも歴史的にも多くの悲劇を生み出してきた
神を信じなくてもいいが、自らが思い上がっていないか、常々肝に銘じておく必要があるように思う
良いエントリだと思う
農家の大変さがよくわかる
夜中や午前まで残業してる人なんて今のコロナご時世でもまだまだいるし、
土日も働いている人もたくさんいる