はてなキーワード: 植物園とは
どうしても心苦しく逃げ出したくなったので、仕事を休んで旅をした。
その顛末を話したい。
大学時代、親(同じく学校教員だ)に強く勧められなんとなく教職課程の受講を始めた。
なんとなく高校教員になろうと思っていたが、何の因果か教育実習は中学校に配属された。
実習中は忙しかったものの、生徒が人懐っこくこちらに近づいてくれたことが非常にうれしく、授業以外でも彼らとの交流(体育祭の練習に一緒に参加するなど)に楽しさを覚えた。
これって本当に教員の仕事か?と思えるような事務作業がやたらと多かった。
また、「校務分掌」という名目でやたらと多くの業務が割り振られた。日本は年寄りは何でもありの価値観が蔓延しており、年齢の低い私には特に業務が集中した。
これらの業務は事務職員の仕事ではないらしい。事務補佐員は人数が少なく短時間しかいない。また、個人情報を含むものの取り扱いができないため依頼できることがほとんどない。
やっと作業が終わり(もちろん時間外)ヘトヘトになったところで始めるほかなかった。
建前では休憩時間はあるらしいが、その時間も業務が振ってきて休むこともできず。
おまけに最近はアクティブラーニングやICTの重要性が叫ばれており、授業の事前及び当日の準備はそれどころではない大変さがあった。
それでも、教育実習の時と変わらず、コミュ障の私に偏見を持たず純粋な心で関わって、笑顔を見せてくれる生徒たち(教室に来れない生徒にも)に元気づけられていた。
体育祭は大嫌いで、私は自チームを応援する気は起きなかった(自チームカラーの服を着ている先生が目立ったが、私はどのチームにも関係ない色のものを着ていた)が、練習は一緒に楽しんだ。
生徒に交じって競技を楽しむのもまた一興。一緒に生徒の中に混ざるだけで生徒は喜んでくれた。
授業はただ真面目にやるのではなく、時にネタを入れると生徒が反応してくれてうれしかった。
アイマス(担当アイドルの話とか)をはじめとしたソシャゲネタ、鉄道ネタ、自虐ネタ、淫夢ネタにちょっと不謹慎なネタなどを入れるだけで笑いが取れた。
定期テストも、かなり完璧主義的に作ったにもかかわらず、その結果を見て教えたことをしっかり身に付けてくれたこともうれしかった。
しかし、どうしても大変なことは大変で、それが私を疲弊させた。
例えば、生徒の失くしもの(学校からの貸与品)の捜索を命令され、どうしても見つからず教頭に報告すると「知るか、自分で何とかしろ」の一点張りで取り付く島もない。
なければ学校に余りはありますか、それとも購入は可能ですか、と聞くと「お前さぁ、それ教育者としてやることか!?」と怒鳴られた。
また、目標申告書(全国でやっている)で下っ端は記入不要の項目も「制度上は記入義務はないがみんなやっている」と強制された。
(余談だが、記入例に不登校生徒減少の話があったが、なぜ不登校は生徒自身の選択なのにそれを無視して無理やり連れだす必要があるのか、それが原因で自殺されたら本末転倒ではと思った)
まあいいやこんなこともあると思いつつ耐えていたが、こんな出来事があり、ついに限界が来た。
生徒が下校した後、いつも通り雑用に追われていたが、なぜか隣の校舎の窓に火が見えた。
他の先生方に相談したところ、無関係な私が急行するよう言われた。するとなぜか鍵が閉まっていた。
鍵を開けると、面識のない生徒数人がおり、その隣には火柱が上がっていた。
どうやら裏側から侵入して火遊びをしていたらしいが、すぐに水をかけ消火した。
事情を聴くと「これは作業だ」「面倒だから仕方ない」「効率的だからやっている」と。
今後こういったことはやめるよう言えば「燃料は自腹だ。100円の自腹がもったいない」と反論。さすがにこちらもキレて「命と100円どちらが大事なんだ」と言って無理やりやめさせた。
重大事案なので当該生徒が在籍する学年に報告すると、ある先生は「あー…最悪のメンバーがそろってる」と。
管理職に報告するとこちらの責任のあることではないのにやはり怒鳴られた。「どうするか自分で考えろ」「早くしろ」とわけのわからないことを言われ。
教頭から「怒るのはあなたを信頼して成長してほしいからだ」と言われたが、(わざわざ応募して選考を突破した)管理職と下っ端は意欲が違うし、成長したくないので信頼せず放置してくれと思う。
校長は「生徒の失敗を大目に見たらどうか」と状況を理解せず、面倒をこちらに丸投げする発言。
なぜ私だけこんな目に遭わなければいけないんだと思った。
気づくと、どうすればこんなことから解放されるだろうと思い色々検索していた。
隣の先生にこれを見られ、「行動に出る前に管理職に相談した方がいい」「教頭は口調がきついから真に受けないほうがいい」「私も色々失敗した」などといろいろ慰めの言葉をくれた。
私と同時に着任した先生などにも相談に乗ってくれた。「あなたは完璧を目指そうとしてたんだ。60点でいいのでは」とも言ってくれた。
また、該当生徒の指導はその生徒が在籍する学年に依頼できることになり、非常に助かった。
何もかもやる気を失った。大好きな曲を聴いても拒否反応がすごかった。
テレビをつけると、時代劇の切腹シーンが出てきてますます気分が沈んだ。
通勤途中に外国人観光客を見ると、なぜ日本人だけ労働に苦しまなければいけないのかと思った。私も自由気ままに旅行したいのに。
(日本は労働法規に甘く、バカンスもなく権利行使がしにくい、下手すると同じ立場の労働者が権利行使を妨げてくるのはなぜだろうか。一説には資源の少なさと正社員制度が原因だというが…)
その後の数日、外出したいとも思わなかった。
そういえば、今までも出勤できていたものの、疲れというかなんとなく休み明け出勤したくない気分になることがしばしばあった気がする。
しかし今回はその気持ちが特に強かった。そんななか、ベッドの上のぬいぐるみが私に話しかけてきた。
渋谷凛「もう休めば。疲れてるでしょ」
島村卯月「早く休まないと…大変です!」
本田未央「よく頑張ったねプロデューサー。思い切って休んじゃお!」
あれ、苦しいときは休めばいいんじゃね?なんでこんな簡単なこと思いつかなかったんだろう。
今まではこんなこと考えつかなかったが、思いついた途端肩の荷が一気に下りた気がして、気がすごく楽になった。
そういえば、小学校の頃の私は皆勤至上主義で、ひどい風邪でも登校していた。
高校でそのおかしさに気づき少しでも体調が悪ければ欠席するようになったのだが、なんでこの解決法を忘れてしまったんだろう。
だが、この計画は勤務校はもちろん、何かの機会で口外するリスクのある同僚には当然言えない。
一見仲間にも見える両親にも口外してはならない。
母親は祖父(母方の曾祖父)が職を失いつまらなそうにしていたのを見て、仕事があることが素晴らしい、働かせていただいていると思うようになったそう。
つまり、「クビになりそう」→「ならないようにどんなことでもする」という感覚の持ち主だ。
父親は偉そうに上司にも独りよがりなイデオロギービジネスマンとしての心構えを力説していたらしい(それで啖呵を切って職を転々としていたらしいが)。
「自分の思い通りにならない、またはその仕事の責任を120%果たせないなら辞めるべき」と思っているらしい。
その日は特別な準備を要する授業や前述の生徒の指導も予定されており、休んだら迷惑かと思ったが、どうでもよくなっていた。
となると、どのような手段で休もうか。
休むのは電話すればいいのは知っているが、真っ暗な家で引きこもっても体調回復は絶望的だろうと思った。
じゃあ逃避行してしまおう。せっかくだし最近行っていない江ノ島に行こう。
ふと気になった。この休みはどういった扱いになるのだろうか。休暇の一覧表をみると、「病気休暇」があった。
利用条件は「ケガや病気で勤務できないとき」とのことだが、「病気」の詳しい定義がない。
ということは、「精神的に辛く体調がすぐれない」(これが悪化したものが「うつ病」「適応障害」などの精神疾患)も問題ないはずだ。
日数でいろいろ条件も変わるらしいが、今回の場合はまずは電話一本で、正式な手続きは出勤できてからで問題ないらしい。
ところで、病気休暇を取得している期間は病気の療養に専念しなければならない。
逃避行で精神の不調が回復するのならそれも療養であるから問題なく、むしろ進んで行わなければならない。
病気休暇が使えないなら年次有給休暇の利用、それもダメなら(給与が減るが)欠勤扱いでもよい。いずれも無断欠勤よりずっとマシだ。
今日は出勤しなくていいんだ。そういうつもりで髭剃りと歯磨き、自宅の風呂掃除とトイレ掃除を念入りに。
教員の労働環境のブラックさが世に知られ叩かれ出したことから、働き方改革の一環で電話は始業時間までつながらない。
始業後に連絡すると迷惑だろうから、自分が所属する学年団への連絡手段(こちらは連絡時間の制限は特にない)があったので、先にそちらに体調不良の旨連絡した。
学年団の先生方(原因となった出来事を直接は知らない人含め)は「ゆっくり休め」と言ってくれた。
「次の日も厳しいかもしれない」と続けて言えば、「好きなことをしてしっかりとリフレッシュしなさい」とも。事情を知っているのかな?
元気のない声で、やる気を出そうにも空回りしている雰囲気を出した。
何の問題もなく休暇が取れた。休暇届提出は次回の出勤日でいいらしい(説明もその時するから急ぐなとのこと)。
混雑したバスが来るいつもと変わりないバス停。そこに私はとてもラフな出で立ちでいた。
家を出発する際は、勤務するときと同等の服装だったが、バス停近くの隠れられる場所で着替えた。
・本田未央ちゃんのフルグラフィックTシャツ(二次元コスパ)を着てアロハシャツを羽織り
・本田未央ちゃんの腕時計(キャラアニ。スーパーグルーピーズじゃないよ)を左腕に
・本田未央ちゃん、渋谷凛ちゃん、島村卯月ちゃんのぬいぐるみをカバンにしまい
・八宮めぐるちゃんやライブ(空は澄み、今を越えて。他)記念のキーホルダーをカバンに付けた。
どうだ、カッコイイだろ。
普段の通勤と時間があまり変わらないので混雑がストレスになるのは変わらない。
まあすぐに解放されるしいいか、と思っているうちに新宿駅に着いた。
ATMでお金を引き出し、藤沢までの切符とロマンスカーの指定券を購入(本当は特急券不要の快速急行でもよいのだが、せっかくなので…)。
江ノ島方面のロマンスカーは夕方までないとのことなので、相模大野で普通電車に乗り換えることにした。
横断歩道で信号待ちをしていると、知らない人からサイエントロジーとかいう宗教団体のチラシをもらった。すぐ捨てた。
コンビニで酒(ほろよい桃味)とつまみを買ってから(車内は)滅多に人が来ないところなんで、そこでしこたま酒を飲んでから(デレステを)やり始めたんや。
飽きたので、Amazonで大崎甜花ちゃんのフルグラフィックTシャツをポチっと購入。送料込みで7,321円也。
小田急線を乗り通すのは15年ぶりだ。複々線区間が代々木上原~向ヶ丘遊園まで伸び、列車種別構成の大きな変更があり、準急が緩行線を走行するようになったらしい。
藤沢に着いた。片瀬江ノ島まで行っても江ノ電を使ってもよかったが、せっかくなので大船まで戻る。
乗り換え専用改札があった。こういう改札は利用区間が制限されないICカードでしか通行できないものだが、聞いてみるとICカードとここまでの切符の組でも通れるという。
ここまでの切符を入れ、すばやくICカードをタッチすれば通行できた。ちなみに、新幹線乗り換え口でも似たようなことができるらしい(クレジットカードやEX-ICは不要)。
ここからは神奈川のジェットコースターとも評される、湘南モノレールに乗車。
強烈な地響きとともに列車が入線。駅壊れるぞ。
大船を出たばかりなのに猛スピード。おい、右に葬儀場があるぞ。車両は棺桶じゃないぞ。
思ったほど揺れなかったが、心配なのは走行高度が低すぎる点だ。大型路線バスとかぶつかるのでは。
湘南深沢から先はさらに本気を出した。70-80 km/hは出したか。これに匹敵するのは東京モノレールの一部区間(昭和島付近)だけだ。
15分程度で終点の湘南江の島に到着。テラスでアイドルたちと記念撮影。
そのまま南に歩き、湘南海岸公園に。やることがないので近くの岩場で昼寝。
雲が動き日差しがまぶしいので、目隠しをした。時に涼しく時に熱くなるがこれが気持ちいい。
1時間ほど寝たら、桟橋の方を覗いてから15年ぶりに新江ノ島水族館へ。
岩場を歩いたり、飛び込み泳ぐペンギンさんが人間の言葉を話せたら何を言うのか、不謹慎なセリフを考えると非常に面白い。
最後に物販店でくじ引き。2等が当たり、店員さんがハンドベルを鳴らした。後ろから拍手。恥ずかしいだろ。
江ノ島にも行った。
恋人同士が鳴らす鐘らしきものの前で、本田未央ちゃんと一緒に記念撮影。
気づかず徒歩で戻ったのだが、どうやら船で江ノ島大橋のところまで帰れたらしい。
時間が足りず、江ノ島シーキャンドルやそのまわりの施設群、しらす丼は手付かずだった。また今度行った時味わおう。
江ノ電は意外にもVISAのタッチ決済による運賃収受を行っているらしい(決済端末は改札内なので、一部改札は不正通行検知装置を切っている)。
日本の改札は専用の券を駅などで購入し、機械に通す方式を取っており、欧州で一般的なQRコード付きの切符を任意の場所で印刷して通行するようにするのは難しいとのこと。
そこでVISAのタッチ決済による運賃収受が導入されたが、おそらく江ノ電は日本で2-3番目あたりには早く導入したかと思う。
本田未央「今日は楽しかったね!ねぇねぇ、明日も一緒にどっか行こうよぉ!」
勤務校と学年団に連絡した。2回目なので良心の呵責は全くない。
電話は教頭ではなく事務職員が取るため、こちらの事情は知らない。「はい分かりました」で終わり。
そこで、今日はアロハシャツの下には乙倉悠貴ちゃんのTシャツを。
いつものバス停に行く途中、ネームホルダーが落ちていた。手に取って見ると近くの幼稚園のものだと分かった。
グーグルマップでその幼稚園の電話番号を調べ電話をかけると、「どこに落ちていたのですか」と聞かれた。近いので「そちらに持っていきます」と伝えすぐに向かった。
その幼稚園に着くと、ちょうど登園時間とかぶっており保護者が子供を預けに来ていた。
乙倉悠貴ちゃんのTシャツ丸出しの男はロリコン扱い間違いなしなので、アロハシャツのボタンを閉めて事務室へ。
対応した職員さんは、電話に出た人とは別のようだが、「これ落ちてました」と言えば「ありがとうございます」で終わり。さっさと退散。
暑いので路地裏に入って下着を脱ぐ。肌の上に直接乙倉悠貴ちゃんがくっついてきて興奮する。
昨日歩きすぎたのか、右足小指に水ぶくれが。
昨日よりかは早いが、それでもまた出発が遅れてしまった。
今日もバスと電車を乗り継いで新宿へ。今日は小田原方面に向かうのでロマンスカーも多く走っている。
なんと小田急の自動券売機はクレジットカードに対応していた。箱根湯本までの切符と特急券を買うと、なぜか乗車券は小田原→箱根湯本のものしか出てこなかった。
小田急の改札は切符を2枚重ねで投入できるが3枚重ねはできず、しかたなく新宿→小田原の切符と特急券を投入。箱根湯本到着後有人改札で事情を話すことにした。
今日もセブンイレブンに行き酒とつまみを買い乗車。今日は酒2本(ほろよい桃味とぶどう味)。
電子レンジによる加熱が必要だが温め忘れてしまったものがあった。まぁ生で食べて腹を壊せば休みを伸ばせて都合がいい。
車内でつまみを全部食べ終わってから Permalink | 記事への反応(12) | 13:12
2人前で1500円くらいする冷凍もつ鍋が、ドラッグストアコスモスで売られている。これ誰が買うんだよと思ってたんだけど、ネットで調べたら評判が良かったので、エイヤと買ってみて、彼女とやった。
IHコンロをわざわざリビングの机に移して、加熱しながらの鍋をやった。
美味しかった。美味しかったし、楽だった。材料を順次投入するだけで、かなり本格的なもつ鍋ができた。でも途中で(うまいけど)モツ食うのキツい!ってなって、キャベツや豆腐を狙って食い、「ほら、モツだよ…食べな……」と、親切めかしてモツを食わせあう一幕があった。
食品センターなる謎の店があって、海鮮が充実してるとのことだったので2人で行ってみた。
うっすら床が湿っていて、やや薄暗く、陳列はなんとなく乱雑な印象だったが、それでいて客は多かったので逆にいい店なのだろうと感じられた。
刺身の盛り合わせと唐揚げを買った。季節は冬で、歩くのがあまり苦ではなかったから、少し歩いて近くの海まで行った。
防波堤の先まで行って、適当に腰掛けて、食べやすそうな唐揚げを食べた。うっすら暖かくて、なかなかいい味だった。陸の方を振り返ると、犬の散歩をしているおじさんなんかがいた。
初デートで近所の山に登ったあと、同じく近所の川に行った。
かなり川幅が広くて、河川敷も整備されているタイプの、都市的な川だった。
川に詳しくないので、目的はよく分からないんだけど、飛び石みたいなコンクリートブロックが川幅ぶん×5列くらい敷いてあって、渡ろうと思えば渡れそうだったし、特に渡るなとも書いてなかったから、2人で渡った。
児童公園なんかの、本当に子供が渡ることを想定した飛び石とは違って、そこそこ距離もあるし、落ちたら浅いとはいえマジの川だったので、俺はけっこうビビって、おっかなびっくり、ゆっくり渡っていた。その間に彼女はピョンピョン跳んでいって、けっこう先から俺の方を振り返った。そのときの笑顔がすげえ可愛いくて、俺はこの人と付き合ってよかったなあと思った。
公園とかにある回転遊具の小規模版という感じで、筒につかまって地面を蹴るとガンガン回れて、その間に足を突き出したりして、回転速度の変化を楽しんでください、という趣旨だった。
最初は土日に行ったので子供がずっと遊んでいて、彼女は「あれやりたいなー…」と言っていたが、空きそうな気配がないので諦めて帰った。
平日にリベンジして、子供どころかほかの客自体がまばらな状態で、彼女は存分に回っていた。よかったねえ…と思った。
ノーパンで浴衣を着て外を歩くフェーズがあって結構ドキドキしたりしつつ、本題の砂風呂にたどり着いた。
砂をかけられ、おお重い重い、これが砂風呂かあ!などと思い始めたところで、後ろから声が聞こえてきた。
「お前さあ、ホント動かないよね。人に動かせるなよ。いい加減にしろよ、本当」
「はい…」
「さっきも全然砂かけてなかったじゃん」
はじめ、社員旅行とか部活の合宿か何かで来た客同士がやり合ってんのかと思い、こんなアクティビティ中に説教すんなや!と思ったが、やってるのは砂風呂の従業員だった。
気まず!全部聞こえてんぞ!と思った。首だけ動かして隣の彼女に目をやったら、まっすぐな目で虚空を見つめていた。
電車で行きにくい場所にある植物園に行った。バス停から1キロ前後の距離があったんだけど、その道がほとんど直線で、広い道路で、中央分離帯兼植栽みたいなものも充実しており、歩き甲斐のある道だった。
植物園自体は1980年代とか90年代とかそのあたりの、なにか大きな国際イベントを期に整備されたものらしく、大きくて古びていた。
遠目に目立つ塔状の構造物があったので、入園してから近くに寄ってみたら、かつては展望台だったけど今はやってません、と言う旨の張り紙がしてあった。停止した自動ドアのガラスの向こうには人気のない薄暗い受付がうっすら見えていて、それと同時に自分たちの姿もガラスに反射していた。その情景をなぜかよく覚えているんだけど、なぜかはよく分からない。
どうぶつタワーバトルを彼女に勧めたら、ゲームをやらない彼女にしては珍しくハマってくれた。
最初は経験の差で俺が勝ちまくっていて、なんなら少し手を抜いたりもしていたんだど、最近では全くの互角か、彼女のほうが強いくらいだ。センスがあるんだと思う。
ミュージアム色々見てきた感想を以下に列挙。だいぶ昔に行ったところは記憶が歪んでるかもしれないけど。
東博以外なら、なんとなくキャプションだけ読んでおしまいにするならどれも半日あればなんとかなる。が、それだとミュージアムにわざわざ来てる意味は一体何だ、ということにもなる。
ほか、Honorable mentionsとして、東北歴史博物館(多賀城市)、科学技術館(千代田区)、日本科学未来館(江東区)、滋賀県立琵琶湖博物館(草津市)、大阪市立科学館(大阪市)、大阪市立自然史博物館(大阪市)、奈良国立博物館(奈良市)、福岡市博物館(福岡市)あたりは思いつく。
(挙げようかと思ったけど悩んで外したのが京博。これは出品数はそこまででもない気がする。大原は出品数こそそれなりだが一般のイメージと異なりほとんどが民芸品。ウポポイは野外の展示は広いんだけど、展示品だと北海道博物館や旭川市博物館、網走の北方民族博物館のほうがしっかりしてるのでは。)
徒歩圏内のをまとめてだと、北海道博物館・北海道開拓の村(札幌市)、筑波宇宙センター・地質標本館・サイエンススクエア(つくば市)、金沢21世紀美術館・石川県立美術館・国立工芸館・いしかわ赤レンガミュージアムほか多数(金沢市、なお兼六園・金沢城も全部徒歩すぐ)、京都市京セラ美術館・京都国立近代美術館・細見美術館(京都市、京都市動物園・平安神宮もすぐだが平安神宮には宝物館はない)、神戸市博物館(ただし企画展やってるとき。常設展はさほどない)・神戸海洋博物館(神戸市)、平城宮跡歴史公園(奈良市)あたりは相当時間使う。あと大阪市科学館から中之島美術館・国立国際美術館・大阪市立東洋陶磁美術館(現在閉館)が、奈博から東大寺・興福寺・春日大社の宝物館がそれぞれ徒歩圏内。もっともこのまとめ方がアリなら前述の通り上野公園が最強。
言及されてる大きなところだと大塚、足立、いのちのたび、明治村、リトルワールドあたりは行ったことないので分からない。そのうち行ってみる。動物園・植物園系はあまり行ったことない。最近行ったのだと国立科学博物館実験植物園(つくば市)はすごいと思った。美ら海水族館・熱帯ドリームセンター・海洋文化館ほか(本部町)も全部合わせれば1日がかりか。
(追記)すいません、大阪中之島のミュージアム群すっかり忘れてたので上に追加しました。中之島も金沢兼六園界隈と並んで文化地区。ただ個別で言えば、国立国際の出品数は京博よりも少ないと思うし、中之島美術館は常設展やってないしなので、複数併せて廻るのがいいかと思う。岡山後楽園界隈もたぶんそうなんだけど、オリエント美術館しか行ったことないので上には書けなかった。
東博の資料館、すみません、入ったことないです。いつもミュージアムに行くたびに附属図書館っぽいの外から眺めて出口に行くんだけど、利用できたらもっと面白いんだろうなと思いつつ楽しみ方がまだわかってない。
旅行するたびに各地のミュージアム巡ってるけど、当然ながら日本全国行ったことのないところのほうが多いので抜けてるのは多々あると思う。都道府県立レベルでもまだ2割にも満たないし、私立とかアクセス悪いところも多いのでほとんど行けてない。指摘してくれたら今度行ってみる。本当はロンドンとかパリとかニューヨークとかのミュージアムも1週間位ずつ滞在して廻りたいんだけど、国内の調子で廻ってたら破産するので来世に期待。
いや増田の感性は素敵だけどさー既に指摘されてるようにそれは増田の感性と教養と自然の素晴らしさであって。
だいたい「スーパーが博物館」って表現も、それいいフレーズだけどさ、都会にはその博物館も沢山あるわけじゃん、
成城石井も紀伊国屋も北野エースもビオセボンもディーンアンドデルーカもあって、
その上でチェーンじゃない地元密着のスーパーもあるわけよ。あとは中華食材の店、韓国食材の店、南米やハラル食材店もあるしね。
ほんで選択肢の多さだけじゃなくって、それぞれのスーパーで働いてる人達によって棚に多様性が生まれる、それが都市の文化だと思うよ。もちろんコンビニとファストフードで生きることもできるし、外食三昧もできる、ピンキリが幅広くて沢山のレイヤーと選択肢がある、それを生み出せる人間と消費できる人間が居て文化が構築されてるんだよ。
だいたいさ増田はその田舎出身じゃないだろ、増田にとってまだ新鮮さがあるからそういう風に言えるのであって、例えば増田が30なら30年間その田舎にいたらその感性や教養って育ってないと思う。思春期〜青年期にある程度都会を経由してるからこその増田の文章だろ。自覚あるだろうけどさ。
それにこういう文脈で自然挙げてくる人多いけど都会でも自然の良さって感じられるからね、別に。23区は都市計画で公園も多いし、人が植えて人が手入れしてる自然でも自然は自然だから自然に合わせて自然に育ってくんだよ。最初は植えた感アリアリの苗木がだんだん根を下ろして、街と自然の一部になってってるのに気づくと頑張ってんなぁって気になるし。
至る所で雨と土の匂いだってするし四季の移ろいも感じられるし、朝日や夕陽の美しさも街に合わせて違うように感じられるしさ。
小田急から見る春の夕陽と中央線から見る秋の夕陽と、冬の山手線の始発から暫く経って感じる朝日と、夏のゆりかもめで感じる朝日とそれぞれ全然違う良さがあるしな。確かに星が見えないのは認めるが。ビルで見切れてる入道雲も言ってみれば大自然だし、秋になればトンボも飛ぶし、てか荒川沿いでも東京湾でもひらけた空は拝めるし。あと増田はたぶん植物園増田と同一増田だと思うけど、植物園だって行こうと思えばフラッと行けるよ。
カニ、カニ可愛いよね、でも文学や創作物と生活や日常の結びつきの話をしだしたらもう都会は文化そのものじゃん、言うまでもなく。
結局俺は、洒落たハイソな店でウインドウショッピングとか、立派な劇場で高尚な観劇とか、空いた時間でボルダリングとか、そういう都市的なアクティビティには興味がなくて、ただ植物園に行ってウロウロして、でけえ温室に入りてえだけなんだよな
植物園って、人が並んでねえ入り口で高くて400円程度のチケットを買うところからもう始まってんじゃん
800円とか1200円とかじゃなくてさあ、300円とか400円とか、ヘタしたら温室入らねえならタダだったりするわけじゃん
その、やっすい入場料を払いながらよ、受付のある事務所に設営された、葉っぱの栞を作ってみよう!とか、まつぼっくりを拾おう!みたいな企画を目の端に捉えてさ、ヒア・イット・ビギンズ、俺の一日が始まるということになる
植物にそんなに言うほど興味ねえし、オフシーズンに来てるからさあ、実際園内に入っても、解像度はずっと低いままなんだよ
時期が良けりゃ花が咲いているんだろうなって感じの、特定の花、バラとか百合とか、そういうのをフィーチャーした花園があってさ、でもシーズンじゃないんで実際には4輪くらいしか咲いてなくてさ、ただエキゾチックな名前の書かれた立て札と、茎と葉だけがあるわけじゃないですか
そういうのとか、あとはよくわかんねーでけえ樹、これはマジでデカくて、木ってでけえんだなみたいな感想が自動的に出てくるんだけど、逆にいうとそれでおしまいなんだが、そういうものを見る 見るしかない
池なんかもあってさ、鯉ほどアトラクション性のある魚はいなくてさ、ただなんか、メダカかな?みたいな感じのちっせえ魚が、俺の影に反応して、すばしっこく逃げ去っていくのな アメンボがいたり、水草が植えられていたりもする 黒いビニールの、ヒダ状になった給水パイプが、ガサガサした質感をしている
そういう場なんだよな
そういう場をウロウロしたあとに温室に入るとさ、外の疎な感じに比べて、全体的に密でさ、珍しい、見たこともないような、綺麗な植物が、まあバンバン植わってるわけですよ
温室の天井は高くて、半透明で、そのガラス越しに弱い陽光が見えたりして、常に水音がしていて、しかし本質的には静かな感じがするじゃない
ベンチなんかを独り占めしても、あまり問題だという感じはしない 人がいねえから
だから座り込んでジッとしたりするわけですよ
そうしてその静かさに慣れながら、メインの熱帯温室を出て、日本の花とか高山植物とかの、余韻系の部屋を通って、外に出たらさ、外はまあ冬の温度でさ、遠くからは車の走る音なんかが聞こえたりして、日光も直接当たってくるし、なんつうか、まあ、外なんだよな
それで帰っていくわけじゃん
そういう体験なんだよな結局
そういう体験がしたいんだ
うちの近所に大きい公立植物園があるんだけど、この施設の改修を巡って議論が紛糾してる。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/500166?display=1
自分はこの地に住んで30年ほどのギリ若者の立場だけど、若者向けの店舗や飲食店、文化拠点(昔はFMラジオ局があった)が次々と撤退して寂れた住宅地になっていることにただただ寂しさがある。それで賛成派の立場で一度住民説明会に参加したことがあるが、目にするのは高齢者の強硬な反対意見ばかり。声が大きい人にアジテートされて、皆が反対しているに違いないと先鋭化しているようにすら思える。
ポスターの掲示やら署名やらのお願いが来ることもあるけど、正面から議論するのも面倒臭いのでハイハイと受け入れてる。そのことで余計に民意を得たと思わせてしまうのは癪だし、反対派の扇動的な主張を強めてしまってることには責任を感じる。説明会で槍玉に上がってる担当者をニュースで見るたびに心が痛む。
近隣の声を聞く限り、改修に賛成している人も実際のところそれなりにいる。一定数の賛成派の存在がわかれば反対派もちっとは自論への疑いが出て視座が広がるんじゃないかと思うのだけど、賛成派には反対派ほどの活動へのエネルギーもないわけで、まるで錦の御旗を得ているかのような認識のズレは未来永是正されないのだろうなと感じる。こういった状態で、いったいどうすれば建設的な議論ができるのだろうね。
初めてあなたを見かけたとき「すてきな人だな」って思ったのを覚えています。でもわたしはこんなだから。人気者のあなたに話しかけることもできずに、あなたの姿を遠くから眺めているだけでした。
そのあとしばらくして。ご縁が続いて、ご一緒することが増えましたね。ちょっと照れくさそうな笑顔や、「次はどうしようか」と考え込む仕草に、どんどん惹かれていくのが自分でわかりました。
共通の友人が増えて、月に何度も一緒に遊ぶようになって、たくさんいろんなお喋りをして、あなたのいろんな面が見えてきて。
食べ物の好みが同じで、共通する趣味が意外と多い、ってわかったのもそのころでした。「だったら二人でいかがです?」って最初にお誘いしたら、二つ返事で受けてくれましたね。嬉しかった。実はね、ずいぶん勇気が必要だったんですよ。
博物館めぐりに、お夕飯会に、植物園。海にも連れていってくれましたね。どれも楽しかった。日本酒と和食、特に魚が大好きなあなたと、いろんなお店を探検しましたよね。カウンターで隣に座って肩が触れるのにドキドキしたり、向かいに座って、お顔を見ながらお喋りしたり。どっちも好きでした。
恋人ができた、って教えてくれたとき。ちゃんと笑えてたでしょうか。変な顔になってませんでしたか?おめでとう、っていいながら、「こんな関係ももう終わりになるのかな」って思ってました。でも、あなたは相変わらず一緒に遊んでくれたから。気づかないふりで、甘えることにしました。酷いけど、もしかしたらいつか。ってそう考えたことだってありました。
ずっと好きでした。もう遅いけど。
「すてきな、大事なおともだち」なんてごまかしてたけど、「すてきな、大好きな、大切な唯一の人」だったんです。告白なんかできませんでした。そんなことをしたら、二人の関係が壊れてしまう、ってわかってたから。
でも。こんなことになるのなら。全部ぶち壊しにしてでも、もっと早くに。そうしたらなにか違う今日を迎えられたかもしれない。そう思ったりもします。
また遊ぼうね、って。そういってくれましたよね。真に受けていいんでしょうか。この先の、いくつかの予定、全部全部楽しみにしています。
だいすきなあなたへ
ノブヤーッス
本日は国際消防士の日、日本においてみどりの日、ラムネの日、植物園の日、競艇の日、ファミリーの日、名刺の日です。
火って身近にあるのに怖いですよね
着てるもの一つでも、壁材の素材次第でも焦げたり燃えたりしますからね
ということで本日は【可燃物の確認よいか】でいきたいと思います。
「昼ご飯、作りたくない」
滋賀県に住む70代の男性は、妻の言葉に驚いた。60歳で定年を迎えた後、雇用延長で66歳まで働き、退職してから間もないころだった。
専業主婦の妻は、昼ご飯を前夜の残り物やパンで済ませることが多かったという。
妻は思ったことは素直に口にする人だ。3食分を作るのは、めんどくさいのだろう。好みではないメニューでも文句を言うことはなかったが、「しょうがない」。そう思った。
妻は、続けて言った。
「週に3日は外に出てほしい」
定年後の生活、イメージしていますか。 思い描いていた「リタイア後」の暮らし、過ごせていますか。 仕事に身をささげた日々が終わって、ほっとする暇もなくやってくる「クライシス」とは。記事後半で、「充実した定年後ライフへのヒント」も紹介しています。
こちらは、「きつい話だ」と思った。でも、けんかをしても仕方がない。できるだけ外に出るようにした。
コンビニで昼食用のおにぎりを2個買い、電車で京都へ。京都御苑や植物園、寺や公園のベンチで昼食をとった。電車賃がかかるから、昼食代は節約せざるを得なかった。
現役時代は昼ご飯を1人で食べることがよくあった。寂しさは感じなかった。
でも、同世代の高齢者が孫を連れて一緒に食事をしている姿を見ると、うらやましく思うこともあった。孫は2人いるものの、いま食べている自分は1人だ。
思い描いた「退職後」とは違った。
「週3日のノルマ」はきつかった。
地域活動や仕事を探しても、趣味に合わなかったり、場所が遠かったり。活動が月1、2回と少ないものもあった。最低週1回は活動しないと予定は埋まらない。
知人がいない場所に1人で足を運ぶのは面倒だ。体力の衰えを感じることもあり、次第に探す気持ちさえ起きなくなった。
そのうち、お金があまりかからず、外で時間をつぶすことができる方法を見つけた。
最寄りのJRの駅から電車に乗り、琵琶湖を一周ぐるりと回って、最寄りの手前の駅で降りる。鉄道ファンに親しまれる「大回り」という乗り方だ。
コンビニで買ったおにぎりとお茶、小説などを持参し、3時間以上かけて回った。料金は1駅分だけ。時間つぶしにもってこいだった。
「何をして過ごせばいいか、わからなかった。電車はちょうどいい書斎だった」
福井県でサラリーマンの家庭に次男として生まれ育った。大阪の大学を卒業後、京都の機械メーカーに入り、設計や開発、企画に携わった。20代で結婚し、娘が2人いる。
長いサラリーマン生活で、いま暮らす街をよく知らないままだった。退職前は、県外での単身赴任が10年以上続いた。
一人暮らしを心配し、妻は時折単身赴任先の家に来て掃除などをしてくれた。けんかをすることもなかった。
ただ、思えば、単身赴任の間…
数年ぶりに夢に出た。
変わっているところもあったが、基本構造は昔と一緒だ。地元にあって今はイオンになってしまったSATYがベースになっているが、地上二十階くらいに巨大化している。
俺がよく歩き回るのは本屋とCDショップが一緒になった妙にサイバーなインテリアのフロア、そしてその上の3フロアくらいに渡って立体的に広がるゲームコーナーだった。薄暗いかわりにレーザー光と蓄光塗料でけばけばしく彩られたゲームコーナーに様々な時代のゲーム筐体が並ぶ。中央にあるコイン落としは3フロアぶち抜きの巨大なマシンで、いつも老人がまわりに張り付いている。体を使うアクティビティ系のアトラクションもある。スノーボードのハーフパイプが倍くらいの規模になったやつがあって、特殊なシューズをレンタルして遊ぶ。受付で300円払って履いている靴と専用シューズを交換する。このシューズは床にピッタリくっついてハーフパイプを登れるモードと、床との抵抗を限りなくゼロに近づけて高速で滑れるモードを任意に切り替えられる。これを駆使してトリックを決めたり、延々滑ったりして遊ぶ。現実の俺は自転車通勤くらいしか運動はしないが、ここでは自由に体が動く。周りを見ると俺の他には小中学生しかいない。しかし彼らが小さい子供だという気はせず、同年代だという感覚がある。これはこのアトラクションが生み出された時期、俺もローティーンだったからだろう。感覚も施設に紐付いている。
祖父が亡くなってからは、この夢のショッピングモールでたまに眼鏡屋に立ち寄ることがある。最後に祖父と話したのが眼鏡屋だったからだろう。今回もそのイベントがあった。祖父がそこにいた。祖父は視力を測る機械の前に座って、奥で店員が老眼鏡を調整するのを待っている。
そう言って祖父は自身の瞳を指さす。俺は吸い込まれるように瞠目する。祖父の瞳は薄いグレーだ。知らない人も多いかもしれないが東北にはそういう目の純日本人がたまにいる。虹彩の細かな模様がきれいだと思う。俺の瞳は左だけすこし色が薄い。しかしきれいなグレーというよりは薄茶色だ。視力も少し弱い。完全に祖父と同じ、グレーの瞳だったら良かったのにと思う。そう言おうと思うが、次の瞬間には祖父は消えている。喪失感だけが残って泣きそうになっている。
SATYは実家から遠かった。俺が家族に連れて行かれるのではなく一人でSATYに遊ぶに行くようになったのは高校生になってからのことだ。通っていた高校からは徒歩で行けたので生徒たちの放課後スポットとしては最適だった。でも俺は別にSATYが好きではなかった。一緒に行く友達がいたわけでも、豪遊できるほど小遣いが豊富なわけでもなかった。それでも当時の俺がSATYに通ったのは、SATYへの道が当時好きだったクラスの女子の帰り道とかぶっていたからだ。マッスン、と彼女は俺をあだ名で呼んだ。
そんな流れで俺は15分ほど、彼女と二人きりで話すことができた。彼女は小柄で色白で、顔だけは広末涼子に似ていた。だからここでは広末と呼ぶ。広末は教室ではいつも田中という女子と行動をともにしていた。田中は特別美人でも秀才でもない普通の女子だったが、どうやら俺のことが好きだったらしい。その関係で俺もこの二人と絡むことは少なくなかった。クラスの奴らからは3人組みたいに思われてたかも知れない。しかし俺は田中がいる限り広末の心がこちらに向かうことはなさそうだと考え、いっそのこと田中を殺そうかと思ったこともある。もちろん本気ではないが。広末の家は町の小さな和菓子屋だった。俺は彼女と別れ際、義理で大福をひとつ買ってSATYに向かった。もしかしたら俺が婿入してこの店を継ぐのかも、なんて夢想したこともあった。
高2のある日、たった一度だけだが、広末がSATYに用事があるというのでそのまま一緒にSATYに行ったことがある。画材屋で店のディスプレイの材料を買うとか、そんな用事だったと思う。俺は荷物持ちを申し出て、広末も断らなかった。買い物が済んでから、屋上の植物園みたいな庭でベンチに腰掛けて二人でアイスを食べた。いつも大福買ってくれるから、とおごってくれた。俺はヨーグルト味で、広末はぶどうシャーベットだった。広末は一口あげるといって自分のスプーンで俺の口にシャーベットを入れた。俺は興奮で死にそうだったがなんとか平静な顔を保った。こっちも食べる?と聞くと広末は俺の「あ〜ん」を待つわけでもなく超速でごっそり半分以上ヨーグルトアイスを持っていった。取り過ぎだよひどい、なんて言ったが俺は幸福のあまり死にそうだった。
夢の中ではこの庭が広大で深い植物園になっている。熱帯の植物がジャングルみたいに鬱蒼としている中を歩いていくと、アイスを食べたあのベンチがある。そこには広末ではなく田中がこちらに背を向けて座っていた。
高3になると俺と田中が文系、広末は理系を選択して、広末とは疎遠になった。ただ田中とも別に関係が深まったりはしなかった。田中は既にどこかの大学生と付き合っていて髪を染めたりタバコを吸い出したりして感覚が合わなくなっていた。
夢の中の田中は高校生ではなく、数年後に最後に顔を合わせたときの姿だった。大学を出たものの終活に失敗して東京の小さい葬儀屋で見習いをしていた俺を田中が呼び出した。高校を卒業してから連絡を貰ったのはそれが初めてだったし、高卒で地元に就職した彼女が上京していたこともこのとき初めて知った。葬式が増える真冬で、俺は翌日の葬儀のために付き合いのある花屋に頭を下げて花をかき集めたところで疲れ切っていたが、なぜか田中からの誘いを断れなかった。蒲田にある田中のマンションはゴミ屋敷一歩手前という状況で、冷蔵庫の半分がスミノフで埋まっていた。
夢の中の田中もスミノフをハイペースでのどに流し込んでいる。ふわふわした素材のジャージ上下姿で、底辺の女という感じがした。
「マッスンも飲みなよ。ねえ、あたしさあ、この間また手首切っちゃった。それで救急車来たんだけどなんで来たのかわかんない。別れた旦那がいたから、どっかで見張ってて通報したのかも。ほら手首見る?ねえ寒いよね一緒に寝る?」
田中の視線は定まらずふらついている。あのとき田中がなんで俺を呼んだのか、わからないようでわかるような気もする。歪な三角関係のバランスで三人組をやれていたあの時期が田中にとっては幸福だったのかも知れない。俺は田中を殺したいとさえ思っていたのに。
気がつくとベンチの前には棺が置いてある。遺族が手向けた白い菊の花が大量すぎてご遺体が見えないほどだった。どんな人なんだろうとすこしドキドキする。葬儀屋をやっていると死体を見慣れてしまうが、死に慣れるわけではない。白い花びらにぽたぽたと紫色の液体が垂れる。ぶどうシャーベットだ、と思う。しかし違う。隣で棺を覗き込んでいる田中がヘラヘラと笑いながら手首から紫色の血を流している。遠く幽かにゲームコーナーの喧騒が聞こえる。ハーフパイプでは子供の俺が今もまだ飛び跳ねているような気がする。遠くに来てしまったと思う。
目が覚めると泣いていた。
もう10年ほど職場の人間以外と話しておらず、久しぶりに田中と話せたのが嬉しいと思う。今の仕事はもう葬儀屋ではない。だから長く死体を見ていないが、でも今日もどこかで誰かが死んでいるんだと思うと落ち着く。
SATYに行きたいと思う。
最近ずっと考えている
俺は近場のビジホに泊まりたいのか、否か
泊まるとして、いくつか候補がある
まず、まさに住んでる町の、チャリで10分ちょいで行ける駅の前にある、ややショボいビジホだ
ここには実のところ泊まったことがあるんだけど、そのときはまだこの町に住んでいなくて、しかも受験で来ていたから、今泊まればまた違う感慨がありそうだ
ただ、駅前の景色は見慣れてるし、あのあたりにはマジで何もないということは、もうよく分かっている
あるとするなら役場の近くのパン屋だけど、あそこには結構な頻度で行ってるからな
ただ、今度、ビジホのごく近くで飲み会があるんで、その帰りに「じゃあ僕は、ここ泊まっていくんで…」つってホテルに消えていったら、かなり楽しいだろうなと思う 二次会を断る口実にもなる
難しい 難しいところだ 朝飯バイキングは悪くない感じだけど、大浴場はない
大浴場は欲しい気がするなあ!
電車で30分くらいの、ギリギリ"町"ではなく"街"という感じがする場所にあるビジホだ
本質的な都会度が低く、風景的にはいま住んでる田舎とおんなじ感じで、建物も低いし、気を抜くと田んぼが目に入るような街並みなんだが、ショッピングモールがありその中にはカルディすら備えるという点で、やはりちょっと格上だ
そういう街に出かけて、広い道をプラプラ歩いて、ビジホに泊まり、モールに行ってカルディで買い物
悪くない気もする一方で、すべてが半端だ
半端に金を出して、半端に移動して、半端な街で、半端に過ごす そういう時間も悪くはないだろうけど、良くもないんじゃないか?という気がどうしてもしてしまう
駅直結のモールに行けば、ファッションに興味のない俺でも楽しめる店がいくつかはあるだろうし、最近カルディがデカくなったなんて噂も聞く
ドーミーインに泊まって、ひとりで夜泣きそばを食ったら、かなり満たされるだろうな
県庁所在地からさらに電車に乗って、南にある温泉街に行く 温泉もあるし、植物園もある
これは実際プランとしてはかなり魅力的である一方で、全然近場じゃねえし、普通に旅行だし、ビジホらしいビジホもねえ、という根本的な問題がある
この前泊まって思い知らされた
行ったら楽しかろうと思うが、問題は上述のとおりこの前泊まっていること
前は家族と行ったので、一人で行けば気分も違うだろうけどな
間違いなく楽しいだろうけど、近場か?というとやや疑問だ
近場すぎると虚しくなりそうで、遠すぎると完全に旅行だ
大学1〜2年くらいのとき、たしか春休みに帰省して、暇だったからちょっと散歩に出た
中学くらいからずっとインドア派だったから地元を歩くのは久しぶりで、なんだったら未就学児のときぶりに歩くようなところを歩いた
当時好きだった公園に行ってみようと思い立って、記憶をたどって歩いてたら、思ってたところにはたどり着かず、でも桜がたくさん咲いているいい感じの広場に出た
まあ、言っても大したことはないし、桜だって別に満開ではなく、だから花見の客もいなかったんだけど、それはつまりその場には俺しかいなかったということで、広い空間と桜を独り占めしている形だった
正直痺れた 素直に良いところだなあ、と思った
春そのものみたいな気候で、まばらな雲の向こうで青空が綺麗だった 花の匂いがしていた
豊中市の都市緑化植物園に行こうってことで、彼女と電車に乗って行った
曽根にからあげが気になる店があったんで、そこに寄ってから行こうぜ、ということで、曽根で降りて、からあげを食って、2〜3キロ歩いたような気がする
歩きたくて歩いたというよりは、バス代を節約したいという動機の方が強かったんだけど、豊中市街はすごく良かったな
なんというか、いかにも住宅街という感じで、高級住宅街というほど気取っておらず、かといってゴミゴミしている感じはしなくて、非常にちょうどよかった まあ実際のところ多少は高級住宅街なんだと思うけど、それをそこまでハッキリとは感じさせないところが素敵だった
道中にいい感じのカフェがあって、アラいいわねという話をしていたら、急に強い風が吹いて、立て看板(黒板みたいなやつ)が倒れた
間近で目撃してしまったので、なんとなく放っておくのも悪い気がして、彼女と一緒に立て直していたら、店の中から店主さんが出てきて、お礼を言われた
それでコーヒーを奢ってもらってたりすると非常にエピソードとしてイイんだけど、まあさすがにそこまでのことをしたわけではないし、普通にお礼を言われ、普通にいえいえと言ってその場を離れた 確かそうだった
あとからGoogleマップを見たら、ケーキと紅茶のセットなんかが結構うまそうで、植物園の帰り道、なんだったら寄ってもいいかもね!という話も出たんだけど、結局近くにあったロイヤルホストに寄って帰った
ロイヤルホストも悪くなかったけどね
仕事を始めて1ヶ月少し経ったところで、たしかコロナ関係の急な対応をする必要が出て、職場のみんなで日曜日に出勤した
対応は緊急性があるだけで内容自体は大したことなく、総出でやればすぐに終わって、解散は12時前だった
そのまま帰るのもなんだかな、と思って、職場の近くのスーパーに併設の饅頭屋で饅頭を買って、これまた近くの川沿いに行って、ひとりで座って食べた
たしか5月で、暑くも寒くもない、ただ日向にずっといると暑くなってくるような気候だった
川沿いはガッツリ日向だったから、少し暑かったけど、仕事終わりの解放感も手伝って全然不快感はなく、けっこう長いことその場にいた
川を渡る橋を電車が通っていく音だったり、鳥の鳴き声だったり、川のせせらぎだったり、そういうものが聞こえて、手に持ったビニール袋の中には家に帰ってから食う用の饅頭があって、なんというか満ち足りた時間だったな
10日ほどの出張から帰ってきたら、放置していった豆苗がぶりんぶりんに育っていた。
同居している彼が、私の代わりに毎日せっせと水をやってくれたからだ。
出張が終わる日の前々日、豆苗の調子はいかほどかと尋ねたら、「ででででーん」と歌いながら元気に育つ豆苗の動画を送ってくれた彼。
10代の頃、盗んだバイクで走り出し、しょっちゅう身体を張ったケンカしていたらしい元ヤンとは思えぬ声色と行動だ。
友人がひいきにしている居酒屋で偶然出会った彼とは、割とすぐに付き合ったのでそれ以前のことはあまりよく知らない。
でも間違いなく、毎日律儀に豆苗に水をやる人ではなかったんだと思う。それも、歌いながら動画に撮って。
豆苗だけじゃない。
私が好きな花を教えたら、街中でその花に気づくようになったらしく、咲いているスポットを逐一教えてくれるようになった。
ちょうど私の好きな花が今住んでいる市町村のシンボルらしく、シーズンになれば毎日のように話題に出てきた。
彼は何年もここに住んでるのに、今までは気づいてもなかったそうだ。
「好きそうだと思って」と連れて行ってくれた植物園では、彼もずいぶんとテンションが上がっていた。
「おれ、バラ好きだったんだ!」と、本人も驚いていた。
元ヤンなのに。
一緒に住もうと今の家に引っ越してきたとき、私は彼が好きだというキャラクターのぬいぐるみを買って持参してみた。
なんと、私がそいつで人形遊びをしていると一緒にノッてくれる。
彼が残業で遅い日はそいつにお菓子や付箋のメッセージを持たせたりしているのだけど、
私が出張から帰ってくる日はそいつがまるで私を出迎えるように玄関に置いてくれてたりして、割とノリノリだ。
元ヤンなのに。
そう彼は、立派な元ヤンだ。
高校は中退しているそうだし、バイク盗んで捕まったこともあるらしいし。身長もでっかいし筋肉もムッキリ。
ケンカすれば大体のヤツには勝てる、と、荒々しいことをよく言う。
言われてみればなんだか金遣いも荒いし、普段の会話での言葉のチョイスもけっこう荒い。
ぬいぐるみで遊んだり、植物を見かけて和んだり、ちまちま毎月3万円ずつ共用口座に貯めたり、多分そういうこと一切しなかったタイプだ。
でも、私の前で彼はどんどんかわいくなっていく。
「育ってきたから豆苗に水をあげておいてね…!」と言えば、私が不在でもしっかり水をあげてくれる。
「そろそろぬいぐるみに会いたい頃かと思って」と、出張3、4日目ぐらいでぬい撮写真を送ってくれる。
「プイプイモルカーいたよ!」と、私が好きなかわいいものの目撃情報を報告してくれる。
「手をつなぐが好きじゃない」と、最初の頃に言っていたような気がするけど、一緒に歩くとき必ず私の手が入るスペースをあけてくれる。
元ヤンのおっさんから、ものすごいスピードでかわいいおっさんになっている。
ちなみに、私は昔からとっても良い子で(笑)、社会のルールを大きくやぶることもなくマジメに生きてきた、彼とはまるで正反対なタイプだ。
荒々しい部分が見えはじめたとき、「まあ合わなかったら別れたらいいさ」と思っていたが、まさかここまで私に合いに向かってきてくれるとは。
もうすぐ、付き合って2年になる。
私の恋人は、私にメロメロである。なぜかは私にもよくわからない。
刺激大好き!イエーイ!穏やかな人生なんか興味ない!だった彼が、
「あじさい咲いてるところ見つけたよ!」と、
私が好きだと言ってから梅雨は紫陽花が咲いているスポットを街で探すようになった。
植物園やバラ園に行って自分は興奮できるのだということを知った。
一緒に夕暮れの空を見て「きれいだね」なんて言う時間が、多分ふえた。
今までまったく見えていなかったものが、見えるようになった…んじゃないかなと思う。
私がチマチマ電源を切っている家電製品を、彼は最初は意味不明そうに見ていたけど、
最近はチマ…ぐらい付き合ってくれて「今月電気代あんまりかかってないね!」と喜んでいたりする。
空き瓶を使った小銭貯金もそれなりにがんばってて、「まだそんなにたまっとらんやろ」ぐらいの頻度で確認している。
数えた後はニチャ…って笑ってる。
「オレはこんなに人に優しくされたことはない」「君は誰よりも優しい」と彼は私に対して言うが、
それは恐らく、彼が優しさに気付けるようになっただけだと思う。私ぐらいの優しさを持っている人は世の中にゴロゴロいる。
30代になったらもう人は変わらないと言うが、彼はどんどん「新しい自分」を知っていっているように感じる。
なんかそんな感じで、恋人や友人とか、人間や環境をきっかけに人生観が変わったとか、価値観が変わった話を他にも聞いてみたいなと思った。