はてなキーワード: 創作物とは
○ご飯
朝食:なし。昼食:焼きそば(タマネギ、トマト、目玉焼き)。夕食:ラーメン、納豆、たまご。間食:温かいお茶、飴、柿の種。
○調子
むきゅーはややー。
下調べを何もせずに、合間に将棋のミニゲームが挟まるお手軽プチゲーかな? と思って購入したのですが、真逆もいいところの正統派王道どっしり系サスペンスな物語でした。
(ミステリのジャンル定義問題について迂闊なことを書きたくはないが、僕的には本格ではないかなあ……)
将棋連盟の会長が強盗に襲われたことが発端となり将棋の世界がすったもんだの二転三転四転五転七転八倒と目まぐるしく状況が次から次へと変わっていく展開はプレイ開始から一気に第一部を読ませる力はある凄まじさだった。
50クリックごとぐらいに衝撃の展開を用意しないと気が済まないのか、気を抜く暇がなくとにかく次から次へと状況が一変していく。
登場人物の立ち位置や、プレイヤーに見えている目的が目まぐるしく変化していくのに対して、それを咀嚼しきる頃にはもう次の展開が始まるというこのジェットコースター展開。
もちろん飽きずにプレイできたのは間違いないけども「ミステリとは議論である」がモットーの僕としては、もう少し現状の分析であるとか、その新たに起きた事象を会話するシーンが欲しかった。もちろんここは、テンポの良さと引き換えになってしまうので、千里の記譜という作品の出来としてはこれで問題なくて、どうしてもミステリ的に解釈してしまう僕の悪癖かもしれない。
特に主人公のフリー記者歩未と、プロ棋士を目指す香蓮の二人の女性キャラのやりとりは、二人の思いもよらぬ関係性のこともあり、もっと読みたかった。
ただ、ここは第二部やおまけシナリオでまだまだ楽しめるようなので、じっくり遊ぼうと思う。
さらに、とにかく状況がめまぐるしく変わる面白さとの両輪になっているのが「熱い対局シーン」。
将棋の記譜は燃えるというのは、将棋を題材にした創作物をいくつか読んでいるので知ってはいたのだけど、今作はそこにスケールの大きいサスペンス要素が絡んでいるため、滾るシーンがとても多い。
もちろん、
さらにその熱さを支える、超滾るBGM! ノベルゲームというよりは、RPGの中ボス戦や主人公覚醒シーンのような熱いBGMでテンションはバク上がり!
そんなジェットコースターのような一部の後、第二部がどうなってるかめちゃくちゃ楽しみです。
半年ぐらい前に6ー4で辞めてたのを再開してクリア。マリオ面白いなあ……
ただちょっと難易度高すぎたかなあ、最後の方とか巻き戻し機能フル活用してもしんどかった。
次は3を遊ぼう。
権利者は自分の創作物に自由に権利を主張できるべき、権利者が言及していない部分は著作権が補うが、同じ文化圏であるというだけの他者が権利を規定するのはおかしい、という話のつもりだった。タイトルちょっと弄った。権利者の権利の主張が大事だという話なので、対立するものではないかな。
工業製品や薬剤は特許の話なので、著作権の議論からはずれるかな。むしろ著作物と認められないから権利を主張することができず、開発費を回収する前に失効して類似品を作られがち。薬剤の認可なんて十年くらいかかるのにさ、認可されてから十年くらいしか守られないんだよ。利益が出なければ開発されなくなるし、薬が無ければ治療できないのに。
きっと発信者に悪意は無いし、権利者もこの人の意見を強く否定する程では無いと思う。でもこの人の善意による発言が、権利者の、あるいは人類史の妨げになると思うので記す。
まず創作物の権利は、当局の著作権法や万国著作権条約によって定められている。しかしその規定された制約ではなく、独自のルールで利用されたいという人は居る。それは権利者の権利である。
今回、多くの興行が中止された。特にチケットを販売済みでその日時に表現をしていたはずの表現者は、インターネット上で代わりのコンテンツを配給しているようだ (もちろん興行に関わる人への利益になるよう調整をしている人も居る) 。その中で、該当コンテンツは「コラボ」を許容した。該当ライセンス記述は以下のとおりだ。
非常に曖昧なライセンスである。権利者が権利を曖昧にする理由は様々だが、該当コンテンツの場合は自由に何かを作って欲しいから、作ることによって辛い気持ちを乗り越えて欲しいからだろう。
安倍首相の Twitter アカウントで、この動画と組み合わせて作ったコンテンツは、とても多くの人に不快感を与えた。表現である以上、評価はコンテンツに触れた人の解釈に委ねられる。でも、 安倍総理の星野源さんコラボは何が問題だったのか / 音楽家からの視点と分析 の主張は違う。「その利用方法が間違っている」と言うのだ。
星野源さんについて詳しく無い (書籍のエッセイは全部読んだが) ので、ブコメを参考にした所によると、この楽曲は「家に籠もることができない人も含めて、自分の心の内の世界で踊ろう」というメッセージらしい (後日に対象の発言を正確に引用してこの節を書き換えるかもしれない)。だとしたら、「ダンス」に「日常生活を送る姿」が含まれる可能性はある。それぞれなりの生活を楽曲になぞらえる、あるいは楽曲から想起され日常に気づき、それを表現するということはあり得る。楽曲と、楽曲の解釈を自分なりに表現したもの。それによって作られたものであれば、権利者は容認し得るだろう。そうでないと言えるのは、ダンスとダンスではないものを規定できる人だけだ(それも権利者の権利を上書きする力は無いが)。
この人が「これはセッションではない」と言うことは、その可能性を閉じることである。
権利者から提示されるライセンスは、権利者と利用者との契約であり、契約に反する場合は当局の法令によって裁かれる。 つまり非権利者が「これは違う」と言うことは、コンテンツの利用者を犯罪者と断定する行為である。
今回の騒動で、権利者は「違う」と言わなかった。一方でこの人は「違う」と言い、それは多くの人の注目を集めた。場合によっては「違う」という意見が多勢となり、「解釈を間違った人は犯罪者である」という状況を作るだろう。これは誇張ではない。
権利者がコンテンツに対してのライセンスを規定できるということは、「コラボ」が許される期間を 100 年程短縮する (権利発生時から権利者の死亡までを 50 年と仮定。日本の著作権法による) 。そのコラボコンテンツにはコラボした時点で権利が発生するため、そのコラボコンテンツを元にコラボするためにはまた 100 年待つ必要がある。権利者がライセンスを規定できることで、その期間をゼロにさえできるのである。さらにそのコラボとなれば、発展の期間の短縮は例を挙げるまでもない。権利者以外の誰かが「これは駄目だ」と言うこと、そして権利者没後の人々が賛同することは、人類の文化史を 100 * n 年後退させることである。
繰り返しになる。みんなが辛い。みんなが興行ができない。そのために素材を提供した。その素材に依るコンテンツを「これは OK 」「これは NG 」と規定できるのは権利者のみである。外部から NG が規定され、雰囲気としてこれは NG とされれば、行われたはずのコラボコンテンツの公開を損なわせる。それこそ権利者の本意に反するのではないだろうか。
今回のことで、インターネット上にコンテンツを配信する人は増えた。そのライセンスが明確であると、それは資源となり、様々なものが作られる。そしてその先には別の未来が待っているだろう。「これは NG 」と規定する非権利者が現れる事によって、人類史は 100 * n 年の遅延を求められるのだ。
まだいつまで続くか分からない状況の中で、興行の代わりに「コラボ可能」なコンテンツを提供する人は多いと思う。そして「細かいことや面倒くさいことを言いたくない」という理由で曖昧なライセンス表記で提供されるだろう。「分かるでしょ」というのは同一の文化圏でのみ通用する。でも公開する以上、同一ではない文化ともなんかやりたいじゃん。
でもやっぱりライセンスを規定するのは難しいし、読む方も難しい。コンピュータソフトウェアはずっと改変によるメリットと著作者の権利を議論し続けていて、ある時クリエイティブ・コモンズという権利者の権利の表示が簡便な仕組みを生み出した。
明確なライセンス表記をすることは、利用者を守る行為でもある。利用者を犯罪者にする可能性を防ぐことができる。クリエイティブ・コモンズの表記は極めてシンプルに作ってあるので、これからコンテンツを公開する人はどうか自分が自分のコンテンツをどう扱って欲しいかを、表記してみて欲しい。だめだったら個別にだめだと言って良い。それは権利者の権利だから。
余談だが、今回の騒動で議論の余地があるとするならば、「文化の政治利用」が「営利」なのか否かだ。もし CD などの物理メディアを通して金銭の授受が行われれば明確にアウトだが、プロモーションについては判例が少ない。ぜひライセンスガチ勢のツッコミを求める。
あとほんと蛇足なんですが、今回問題になった Tweet はクレジット表示が無かったのは本当にだめ。表示をしなくて良いのは Public domain か CC0 のみで、どんな解釈でもそうは取れないのでだめそう。でも異文化に触れた老人たち (本人じゃないだろう) が異文化の雰囲気を読み見違えるなんて普通じゃんね。それを超えて老人たちも良い感じのコラボコンテンツを出してくれた方がいいじゃん。
本当に泣きそうなくらい好きな曲に出会ってしまったときどうすればいいんだ
もうわからなくて日がな一日リピート再生し続けることはしているし、作曲者のSNSは逐一チェックしているし、それでも好きって気持ちがおさまらなくて困る
例えば投げ銭することもできるけどそれすら一時的な気休めでしかなくて
アーーーーどうしたらいい、好き好き好き、ぶつけるところねえから聞き続ける、とりあえず文章書く、でもそれでも昇華されないこの気持ち
クリーンヒットな創作物を好きになるとその気持ちが強すぎて辛くなることがよくあって、それを当時の恋人に伝えたとき理解されずに笑われた
もはや解けたい
https://anond.hatelabo.jp/20191212165757
読んでいて草。
久々に今や絶滅危惧種である昔ながらの国籍透視系の能力者ネトウヨ(今の行儀が良くなった保守系の人達と違うと言う意味でもあえてこの単語を使う)に出会ったが、あいつらフェミニスト、ポリコレ、LGBTと言った先鋭化しきった彼等の言う所のパヨクと言う海外でいう所のSJWとか言うリベラルとそっくりだ。
この人達は右左の方向性の違いはあっても思考の方向性は全く同じ。
特にフェミニストと近いと言うより親和性が高いのは一部の保守系の俗にいうお母さん保守とか呼ばれる連中や宗教系の人達だった。
ここから長くなってしまうが、この手のネトウヨにもフェミニスト他リベラルにも共通して言えるのは。
こうして見ると政治スタンスに関係なく、この手の人々の行動が似通っているのは根底に常に自分を優先するクレーマー気質が強いと言う事も言えるだろう。
その自分本位の思考回路の結果が他者への配慮をも全く考慮しない行動に繋がるのだ。
また右左どちらの人から見てもこれ等のクレーマー気質の人間は敵よりも余程厄介な所謂無能な味方でしかないのは事実であろう。
ある種この様な暴力的で攻撃的な人間の行為そのものが自身の所属する思想や集団に対しての評価の下落や票の継続的な減少等の割と致命的な事態を招く事を繋がる。
その結果は自身の所属する思想や集団の悪評をも招く事になり、全体の評価を下げる事にも繋がる。
何にしろこれ等の人々は右左の思想関係なく、まともな人から見れば、関係ない人物や中立勢力及び本来味方とも言える勢力や人物にも平然と噛みつき、迷惑行為を行う単に迷惑な人物及び集団であるのは明白である。
その事は選挙の結果にも響いてくる。
これ等の行為が当時の自民党の政権交代の一端であったのは事実だろう。(また当時自民党の側にフェミニスト団体やキリスト系が加担して規制を推し進めていたのも事実だが。)
そして現在のフェミニスト等と言った集団による赤十字やJA等に対しての迷惑行為の積み重ねがリベラルの散々たる結果の一端になっているのは想像に難くない。
以前ツイッターでこれ等の人々は現実社会では最底辺であり、統合失調症等の精神病なのではないか?や通院歴のある人間が多いと言う事実なのか判らない情報を結構見かけた事があったが、少なくとも一般の視点から見れば、普通に常軌を逸した常識的ではない行動ばかり行っているのは事実であり、世間にもそう言う風な目で見られるのも仕方がない所であろう。
お客様が配布行為の直接の主体となる場合。すなわち、イベント等での対面販売、もしくは通信販売であっても自身のHP等、小規模な案内のもと、自ら受注を確認し、配布物を梱包し、発送の手続きを行うようなものは直接販売とみなします。委託販売やオークション等、第三者を仲介し、または不特定多数に向けることを目的とし、継続的かつ反復的に販売を行う行為は、認められません。
なお、上記例は例示的記載であり、たとえば内容や対象等が特殊な範囲内において、特定可能性が高い対象に対して、結果的にその活動が小規模となりうると推測しうる範囲での行為であれば表面上委託販売であっても、直接販売と判断しうるような場合もございます。
種類、内容、契約期間によらず、販売する数量は同一の商品について総累計200個までと制限させていただきます。なお無体創作物についても同様です。また名称や価格の変更等、商品本体の変更を伴わない変更があったとしても、これは同一の商品とみなし、総累計数にカウントしてお考えください。
売上予定額とは、「生産数×販売価格(税抜)」を意味します。実際の販売数ではなく、生産数によりますのでご注意ください。なお売上予定額が10万円を超えるような場合には、小規模行為ではないと判断させていただきますが、別途ご申請および版権利用料(ロイヤリティ)のお支払いをいただければ、例外的かつ部分的に許諾可能です(アマチュア版権窓口までご相談ください)。
ほかのところも、小規模で直接販売だから許す(目こぼす)であって、
電子書籍で無尽蔵に販売するって言ったら、無視は出来ねぇんじゃねぇかな・・・
多くのところがガイドラインは出していない
公式でなんでもOK!のゆるゆるのガイドライン出してるビッグタイトルは
もちろん二次創作の電子書籍を扱ってる会社があり、ガイドラインのない電子書籍同人誌が販売されていることを認識しているが、
そういう会社はお目溢しするんじゃない?
アフィから。
『あつまれ どうぶつの森』は日本の植民地支配を正当化するゲーム! あの政府が少数民族に何をしてきたか知るべきだ!https://t.co/fhsWyZi8xL— ユルクヤル、外国人から見た世界 (@Yurukuyaru) 2020年3月23日
毎日は当時の児童ポルノ禁止法においても創作物規制やネット規制を扇動していた変態新聞と当時呼ばれるほどの連中であったし、今だ漫画は児童ポルノだとか言う悪質な事を言っていたりしたのを指摘されていたのは事実なので、日本の創作物そのものを潰したくて仕方ないのだろう。
何にしてもアイヌや琉球問題とどうぶつの森は結びつく点自体存在しないし、これでもし任天堂が本気で怒る事になればトンでもない目に合うだろう。
漫画『ワンパンマン』で黒人差別表現か!「なぜ今の時代これが通用すると思ったのか」と批判殺到!!https://t.co/6ZpdhSwDck— ユルクヤル、外国人から見た世界 (@Yurukuyaru) 2020年3月24日
しかしポリコレやフェミニスト、LGBTと言ったリベラル界隈の人達はコロナ禍で世間が大変なのに空気読まないよね。
最も欧米でも反差別なリベラルこそ黄色人種差別をやったりして、この人達こそ差別主義者である事がばれて以降、より先鋭化したからか、この手のレイシストぶりをもはや隠さなくなったけど。
日本のフェミのJR東日本のAIに噛みついた件と言いこの人達とことん自分本位で世間なんてどうでも良いのだなと思う。
だから嫌われる。
おぎの議員がツイートされていたみたいに、悪質クレーマーを取り締まる法律がほしいですね。──AIさくらさん炎上
https://togetter.com/li/1483494
事実フェミニストとか言うけど、弱者の権利を悪用して数で圧力をかけて、経済的文化的技術的衰退を招いたりして、社会に実害を与えている分生半可のクレーマーより余程悪質なのは事実だしな。
こいつら何かとつけてセクハラだの性的搾取だの言ってお気持ちで企業団体に因縁をつけすぎた為、女性の権利を悪用しすぎてイメージ悪化を招いている点においても逆に全ての女性の敵であるとも言えるし、子供の権利に至っては漫画等の創作物を規制したいが為に児童ポルノや子供の教育に悪影響と喚きたてたせいで、日本でも都条例等で創作物規制がされてしまった実害を及ぼしているし、海外に至っては創作物まで児童ポルノ扱いしたせいで、結果、小説で逮捕されたり、捜査リソースが分散した実害をも招いた上で、創作物規制をした国において犯罪が酷いままと言う結果を招いたりした事もあるからな。
何にしてもこの手の弱者の権利にかこつけて世の中を規制しようと言う奴等が一番下種なのは違いないからいい加減これ等の悪質なクレーマーや扇動する奴等に対しては企業もまともに取り合わない事をする等の対策をした方が良いのは事実だよ。
音声合成技術の視点から考える『なぜ案内AIは女性なのか』問題
https://togetter.com/li/1483022
フェミは単に自分が気に入らなかったら噛みつくだけなので深く考えるだけ無駄やぞ。
だからフェミの言い分何て常に変わり続けるし、まともに聞いているだけ無駄と評価される事になったんやぞ。
これがフェミニストがお気持ちヤクザと呼ばれ、ゴールポストは常に動き続けると言われる所以や。
しかし人間らしい応答のできるAIと言うのは実は至上命題だったりするのだけど、この辺もフェミ特有の固定概念で潰そうとしている辺り、こいつら単なる経済的文化的被害を与える社会悪と言うだけではなく、技術的発展面においても停滞や衰退をさせかねない諸悪の根源とも言える代物になりつつある。
まぁ、このJR東日本のこの代物自体、AIと言うよりも昔からある人工無能みたいなものだが。
それとフェミニストとキリスト教等のカルト宗教は親和性が高かったりするのは事実としてあるけど、こういう方向性を見てもそれがある意味では納得できる。
悪用する弱者の権利の問題についても実在する被害が出ている問題よりも自らの思想を優先し、それに利用する為に弱者の権利を悪用する点は同じだし、更にその弱者の権利や場を更に荒らし、より状況を悪化させる点も似通っている。
更に論理的科学的説明や反論をされてもそれを無視して思い込みだけで規制やら圧力やらを平然とかけてくる。
何より創作物やこの手の人間が人工的に作り出したものが大嫌いだし、こいつらの偽善的な行動が行き過ぎて実害だしまくっている点も同じ。
自身さえよければそれで良く、自身の行動の結果、実被害や弊害が出ても責任すら取らないし、どうなろうが知った事ではない。
フェミニストが固定概念の押し付けを良くやる事はそれこそJAのラブライブの一件で指摘されたけど、この人達こそジェンダーや反差別と口先だけで言いながらも実は家父長制に囚われ、逆に男性差別等を散々行っていた事は指摘されつくしている。
この辺のボロが出だしたからこそ、昨今フェミニストやこの手の人権団体が毛嫌いされ始めたし、反社勢力認定され始めたのもある。
男性フェミニストのよもぎ団子氏「(AI駅員は)若い美人&おっさん、この構図はAVと同じではないか」
https://togetter.com/li/1482891
またフェミかと言うかまたお前か。
しかし赤十字と言いJAと言いこいつら喧嘩を売り歩いてばかりだよね。
そりゃ今では手を組んでいたはずのリベラル野党支持者にすら嫌われ始めるのも良く判る。
行動が完全に反社のそれだと言われ出しているのは草。
しかし漫画アニメゲームと言って創作物と言い、今回はAIに喧嘩を売った事と言い、まるでどこかの宗教みたいな行動ばかりしているよね。
創作物である以上、そこにある表現以上の物はそこには存在しない
一つの作品が終わることとは、その世界にそれ以上の未知がなくなってしまう事に他ならない
どうか私を置いていかないでくれ
その無聊を誰が慰めてくれるわけでもなく
世界でたった一人だけの狭い部屋に押し込められ、死ぬまでの永遠を過ごさなければならないことを思い出すからだ
誰もが自分一人だけの落とし穴のような空白と欠損に沈み、生きていかなければならないことを思い出すからだ
「そこは……どんな場所だ?」
「えっ?」
「お前が何にもしないで閉じこもっているその場所は、どんな所かって訊いてるんだ」
「え、なんで?」
「いいから答えろよ」
「うんっと、そうだね。……なんだか、牢屋みたいなところで、風がスースーと抜けるんだけど、どこにも出口とか窓がないの」
「それで……天井が低くて、立つことも出来ないんだけど、床に寝そべられるほど広くもなくて、ずっと膝を抱えて座ってるみたいな……」
「狭くて暗くて寒い?」
「うーん、多分、そんな感じかな」
――S.M.L「CARNIVAL」
「なんか、いいね。すごくいい」
僕は言ったんだ。だって本当にそう思ったし。それ以外、考えられないじゃないか。母さんも、黙って頷いた。きっと、同じ気持ちだったんだと思う。理紗が、そっと僕の手を握ってきた。その顔は、しらじらしく花火の方を向いている。僕は苦笑した。理紗もきっと同じ気持ちに違いない。彼女も、ずっと、一人で苦しんで来たんだ。辛い思いをして生きてきたんだ。みんなバラバラで、一人ずつ閉じこめられて孤独に苦しんできたんだ。でも、これからは、僕らはきっと、今まであったこと全部取り返すくらい、良いことばっかりしか起きないんだ。良いことも悪いことも、みんなで一緒に分け合って。
みんな同じ気持ちなんだ、みんなで、幸せになるんだ。これから、ずっと良くなるんだ。良くなりつづける。一点の曇りもない、いつまでも曇ることのない、無窮の蒼天。影を作らない明るい太陽。
理想だったんだ。こんな風になるのが。いくら考えても、調べても、どうしてもこんな風に成れないって事ばっかり書いてあって、でもまだ知らない事があるから、そこにはなにかあるかもしれないって、ずっと調べて、知って、でも、知れば知るほど、不可能だって思うようになって、誰かが、全てが、全部僕の知識を裏切ってくれればいいと、ずっと望んでたんだ。そんなのはでたらめで、もっと素晴らしいものがあるって。そして、こんな風景を見たかったんだ。
(中略)
「もうよしな。あとがつらいよ」
後ろから、声が聞こえる。
「あと、少しだけ」
僕は、振り返らないで応える。
「見てられないよ。哀しい」
「お前が哀しいって言うなんて、思わなかったな」
「たまらないよ。わかるだろう? もうよせよ。辛いだけじゃないか」
「僕のこと、可哀想だと思う?」
「ああ、思うよ」
「じゃあきっと、すごい幸せなんだ」
「ああ、そうだね。でも、お前は、これからも生きて行かなくちゃいけない。ここじゃまだ死ねない」
(中略)
しばらく、花火を見つめてから、僕は、目を閉じた。また目を開けると、景色が全部消えて、真っ暗な中に、僕が、立っている。
「もう、充分だよ。うん、これでもう満足だ」
――S.M.L「CARNIVAL」
<滅菌された物語>とでもいいましょうか。もちろん主人公の身に起きるのは良い事ばかりではなく、人並み以上に苦しい事や辛いことを経験しますが、最終的にはすべて彼の成長の糧となり、「人は何もかも受け入れて生きていけるんだ」という心強い感覚に浸れる、そういう話の事です。
(中略)
『いたいのいたいの、とんでゆけ』は、二度と抜け出せない穴に落ちた人の物語でした。しかし僕はそれを単に薄暗い話としてではなく、元気の出る話として書いたつもりでいます。とてもそうは見えないかもしれませんけれど、でも、そうなのです。
――三秋縋「いたいのいたいの、とんでゆけ」
オーストリア在住日本人科学者maromiso氏「『となりのトトロ』には娘と父親の入浴やサツキのパンチラがあるのにあまり問題視されていない。日本は遅れすぎている。」
https://togetter.com/li/1479920
先に行っておくけどオーストリアは例の国連の子供の権利委員会の暴走した児童ポルノのガイドライン変更のパブコメにおいても創作物は児童ポルノに含むのは問題視している意見をきっちり出しているからね。
その上で言っておくけど、パンチラ云々とか言っているのはこの人がそれこそこのアニメをそう言う卑猥な目で鑑賞していると言う話であるし、それこそ言われている様に文化の違いやその時代を書いた話であると言う事に過ぎないと言う訳。
(トトロ自体その手の卑猥なアニメではないのは一般の方々が一番ご存じでしょう。)
しかしこの手の人の意見を見ているとそれこそお母さん保守や純潔教育思想そのものであると言うのが良く認識できるね。
いい加減リベラルと名乗るのやめたら?
それとそんなに日本が嫌いなら日本から出た後も日本の事なんてほっといてくれた方が良いよw
まあ、この手の自称リベラルを見ていたら何故昨今それこそこの人達の大好きな世界でもグローバル化はなりを潜め、ローカル化が進みつつあるのが良く判るよね。
更にコロナ禍でその動きが加速しそうだけど。
今やリベラルやフェミニズムこそ古臭くてダサいものと化してきているのは事実。
それとフェミニストや自称児童保護団体と絡んだ団体は多かれ少なかれ、その後自身がとんでもない炎上をしたり、衰退を招いたりするのもある意味凄いな。
当時手を組んでいた自民もこいつらと組んでいた時に政権交代を招いたし、リベラルはその後組んでボロ負けして勝てなくなったのも事実だしなー。
https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0011/topic034.html
まーたNHKが児童ポルノで悪質な印象操作を行ったみたいだね。
赤十字の一件でも使った様なこの手のマスメディアの昔ながらの印象操作を使えば、世間を誘導できると一部の自称児童保護団体やフェミニストは思っているのでしょうね。
NHKにしろ朝日にしろこの手のマスメディアにはフェミニストが多く潜んでいるのは事実だし、今年は日本の報告年だから必死にこの手の悪辣な印象操作をしているのもあるのでしょう。
個人的にはオーストラリアの件や米尼の初音ミクの件、そしてPatreonの件も連動していると踏んでいるよ。
NHKもこんな報道をするならばそれこそラブライブとかのアニメの放送もやめたら?と思うけどね(苦笑)
あの人達JAでこれすら児童ポルノ扱いしていたのは事実なのだから。
こんな事をしているからこそNHKは当時京アニの一件で疑われるのも当然だし、オタクに信用されないのは当たり前なんだよ。
ただ10年前と違って、フェミニストと連動してからのマスメディアは比較的信用されていた当時と違い、それ以外の事でも普通にデマとかも多くて、社会的信用性を失う一方であり、報道の中立性すらなく、今やマスメディア自体偏った意見を平然と吐き、嘘をつく連中と世間的に思われて、当時よりも遥かに信頼度が落ちているのも事実だしね。
マッチポンプの手法と言い、マスメディアの扇動と言い当時からの手法を相変わらず乱用しているけどそれが通用しなくなってきているのは事実。
それに当時は言葉の兵器とも言えた児童ポルノに関しても余りにもこの人達がお気持ちで規制ばかりしでかしたから、徐々に効果が薄れてしまい、今やこの人達こそおかしな集団であると世間的にも認識され始めたからね。
更に言えば、その後の結果でオーストラリアやイギリス、米国等創作物規制まで児童ポルノ禁止法でやった国こそが逆に実在児童犯罪が酷すぎて、創作物規制が効果がないorより事態の悪化を招いた事を指摘され出した事実もあるのも大きいよ。
更に更に言えば、国連やキリスト教等の創作物規制を煽っていた団体や人物こそが実は売春経営や性的虐待を行っていた事実が露呈し出したのも大きい。
これは日本に限らず、彼等の大好きな世界の人達も認識し始めているからね。
これ等の規制のせいで捜査のリソースが無駄に割かれてしまい、逆に地下の連中が好き勝手し出したと指摘されているのもこの辺から。
だからこそいい加減これ等の創作物規制を児童ポルノに含めようとする行為自体、見直すべきなのだけど、この人達短絡的で思想的に児童ポルノを利用しているだけであり、実在児童なんてどうでも良いと思っている事は日本ですら予算をつけなかった事から見ても判るから、今ですらボロが出始めているのに今後も同じ事を続け、創作物規制をしようとする動きを止めないのならば、それこそ遠くない未来において、これらフェミニストや自称児童保護団体こそ、この問題を混乱させた責任を追及され取らされる事態を招く事になると断言しておくよ。
そもそも当時性的虐待物に名称変更すべきだったのにそれを邪魔したのはこの人達だしね。
何せ世間的には言葉の兵器として用いるには児童ポルノと言う単語の方が都合が良かったからな。
何せ今まで子供と言う世間的に反論しにくい代物を盾にしていた分、いざ自身が責められた際、子供と言う権利を悪用していた事について、言い訳できるとは思わない方が良い。
世間はこの手の綺麗ごとを盾にしている連中こそ本気で毛嫌いするのだから。
それにこんな悪質な詭弁ばかり行っていたからこそ、児童ポルノに限らず、性的搾取や性暴力と言う反論しにくい代物を盾にしても世間はもはやあーはいはいと段々この人達を相手にしなくなり出したのも事実だからね。
それこそオオカミ少年効果が働き始めているし、実際規制による実害も出始めているから世間もこれ等の人達こそ問題視し出したのは事実。
だからこそ国連の身勝手なガイドライン変更が逆に問題視され、赤十字の一件やJAの一件でフェミニストの思い通りにならなかったのも大きい。
ただこんな事を言った所で彼等は自身の行動を改める事はないでしょう。
何しろ自身の思い込みこそ正しいと勘違いし続けているし、この人達自身もう後がない事位理解しているからこそここまで先鋭化し続けたのがあるからだ。
ただこの手の規制に反対していた人からすれば当時の懸念が全て現在当たっているのは本当に皮肉だと思うし、そりゃ警戒を緩めるわけもないのも当然だよ。
個人的にもコミュニティが先鋭化し、壊滅する直前の連中の行動の方がより危険であり、安心できる所か爆発的に攻撃していく習性がある事も判っているからより警戒すべきであると考えているからね。
恐らくこの人達が暴れつくした後の痕跡はとんでもないものだし、少なくない規制による被害をばら撒き続けると考えているよ。
ただ今にフェミニストも自称児童保護団体もこの問題でリソースを分散させ続け、混乱させ続けた責任を取らされる羽目になると言う事だけは断言しておく。
だけどどれも「誰かの感想や解説」がないとまったく理解していないことに最近気づいた。
自分の認知か何かが歪んでいるのか、周りの人達とまったく違う感想を持っていることが多かった。
特に少し「深い」話になるとまったく自分ではその文脈を拾えなくて、
漫画や小説は読み進めればいい、ゲームも進めればいい、映画は流しておけばいい。それで勝手に進んで「読み終わった」ことになる。
でも「何が起きたか」は覚えているのに、その「意味」はまったく分からず、他人の解説があって初めて意味が見えるようになる。
自分は物語が好きだと思ってきたけど、誰かのガイドがないと本当の面白さも味わうことができなかったんだ。
それは自分の非人間らしさに拍車がかかったようで、なんだか味気なく、虚しく感じる。
もう30過ぎなのに、これからもそうやって人間の気持ちや感情をよく分からないまま生きていくのか。
いつもリアルタイムでは理解できずに後で解説されてからしか分からないのか。
なんかつらい。
【#PatreonIsRacist】 Patreon、アニメ顔は体格関係なく未成年扱い。Google Driveまで監視。
https://togetter.com/li/1480967
しかし昨今余りにも児童ポルノをこの手の創作物狩りに悪用しすぎたせいで児童ポルノ自体の世間的な効力も薄れ始めたし、寧ろ今ではこの手の創作物規制自体この手の団体が行っているのは捜査の撹乱の目的だと言う認識が世間的にも広まりだしているからね。
寧ろこの手の規制をしていたキリスト教や国連と言った団体が実は実在児童犯罪をしていましたと言う例やこの手の規制を進めていた奴が実は性犯罪者でしたと言うパターンも多すぎたからそれこそ日本に限らず、そういうイメージをもはや持たれているからね。
尚且つこの手の規制こそ今では実在児童保護に役に立たないか悪化を招く事も指摘され邪魔でしかない事も証明され出しているからなー。
しかし当時の懸念されていた拡大解釈がここまでされてしまい、且つフェミニストやカルトの先鋭化も進んだ事、今やその団体の方がおかしな連中と思われ出し、犯罪の悪化も招いている事から今後これ禁酒法みたいに崩壊していくと見ていて思うけどね。
などとおかしな自己紹介になってしまったのには理由がありまして。
というのも、わたしは人生を振り返った時、そのうちの半分は「自らがおかれた環境下で生きることにいっぱいいっぱいだった動物」だったというのを最近になって自覚したタイプの生き物だったからです。
この気付きから過去の記憶のフラッシュバックが止まらなくなり日常生活が滞ってしまった為、こうして書き出すことにしました。ネットの海に流して供養することが目的の記事になります。
友人や知り合いに吐き出せるような話ではないし、読んでいて気分が良くなるものでは決してないのと、あくまで「わたし」の為のごくごく個人的な文章であることを理解された上で読み進めてください。
また、精神的なネグレクトを受けたと感じた側からのお気持ちなどがあるので、そこら辺を見て落ち込みそう/気分を害しそうな人は見ない方がいいと思います。
書こうとしたはいいもののどこから話せばいいのかな……そうだ、きっかけですね!
これを思い返すことになったきっかけは兄を相手に家族の話をしたことだと思います。
わたしは兄と二人兄弟で、小さなころから同じ家で過ごしました。兄もわたしも所謂オタクを趣味にしていて、いつも何かしら共通の話題があり、この日もひょんなことから幼いころに感じていた家族についての話になりました。
この書き方だとあまりそういう風には見えないと思うのですが、兄とわたしが話すとき父についてのシリアスな会話はタブーのようなものでした(少なくともわたしはそう感じていました)。なのでこのときわたしは、もう2人で擦り合わせをする機会はこの先訪れないかもしれないと思い、勇気を出してシリアスな話を切り出しました。
真っ暗な井戸の底のほうまで下ろしたと重い桶を、慎重に引き上げていくような心地でした。
家族を構成するメンバーは祖母、父、母、兄、わたしの5人。祖父もいましたがわたしが幼いころに亡くなった為、「わたしの家族」と聞いてまず頭に浮かぶのはこの面子です。
兄と話していて思い出したのは毎晩の食卓のこと。始まりはいつも概ね穏やかな食事でしたが、時間が進むにつれわたしの緊張感は高まりました。
それはなぜか?
答えは「父と祖母の怒鳴りあいがいつ始まるかわからないから」です。
間に母が入り両者を宥めるところまでが1セットの物騒なコミュニケーションは、晩ご飯の時間中にどんなきっかけで始まるか、どのくらい続くか、何回起きるかなどわからない尽くしのハリケーンみたいな現象でした。
簡単な喜怒哀楽にうっすらとした自我をふりかけただけの「小さなわたし」にとって、父と祖母が行う激しい親子のコミュニケーションは「こわいこと」として分類されたんだと思います。それがほぼ毎日続くうち「一日の終わりに起こるうんざりすること」にもなったのは自然な流れだったんじゃないかな。繰り返し体験するうちにその特殊なコミュニケーションに巻き込まれるのも、火種になるのも嫌で、食卓の上で誰かに会話を振られても可もなく不可もない答えを返していたし、誰かの琴線にふれてしまわないよう、割とつねに気を張っていました。
自分の食事が終わるとすぐに「ごちそうさま」と言って食器を下げて、兄と一緒に別の部屋へ退散しました。まあ古い家だったので別の部屋へ逃げても怒鳴り声が聞こえてくるわけですけれども。
なぜにこにこと笑っている父や祖母が、一瞬で鬼の形相になってしまうのか。
「それはそういったコミュニケーションの形なんだよ。二人はちゃんと仲が良いから大丈夫、心配いらないよ。」
などとハグしてもらったり、教えてもらうきっかけもないまま体験する毎夜の嵐は、わたしの心を大変疲れさせたのではないでしょうか。(ないでしょうかってなんだよって自分でも思うんですが……そのころにあったであろう学校行事や友人とのこまかい記憶などがうすぼんやりとしか残っていない為「ないでしょうか」としか言いようがない……)
また怒鳴りあいのコミュニケーションは祖母と父の間だけではなく、父と母の間でも行われていました。父母の特殊コミュニケーションの日程は決まって土曜日曜祝日開催。つまり顔を合わせて長く話すようなことがあると、口論としてヒートアップしていったわけです。
小学校から帰ったら夜ご飯と共に家族が口論。土日祝日は両親の口論がランダム勃発、のちに夜ご飯でタイフーン上陸。
以後、このうんざりするようなタイムスケジュールはわたしが高校を卒業してから少しするまで延々、ずっと毎日、十数年続いていきます。
またここまで読んでうっすらとお気づきの方もいるかと思いますが、これはコミュニケーション値が大変低い家族の中でなるべくしてなり、起こるべくして起きた地獄でしかない日々の思い出を吐き出す記事でもあります。この先も気をつけてください。
そうなんですこの家族、全員が全員ともコミュニケーション数値がおそろしいほど低かった。
ここでいうコミュニケーション値が低いというのは「人との関わり方が上手くない」ということで、人に頼る方法での問題解決能力が著しく低いことを指します。
別の言い方をすると「感情を消化させることが不得意」であったり「困ったことは大体自分一人で解決しようとすること」にあたるのですが。なんとこの家族の祖母、父、母の3人が3人とも「本当に困った時は家族に相談せず自分一人で決断するタイプの人間」だったのです。
少なくとも小さい子供の前で困ったときに「困ったな~」と息抜きにでも呟くような人間がいませんでした。口下手なので子供の前でふざけることとか本当になーんにもしないの。かっこいい大人の背中を見て育てってか?え?口から言語を扱ってから言え!バーカバーカ!
失礼、話が逸れました。
それで、そんな大人の姿を見て育った「わたし」という子供はどうなったのか?
「家庭内で困ったことがあっても家族に相談してはいけないんだ」とすっかり思い込んでしまいました。
するとどうでしょう。自分が困ったときにどうしたらいいのかわからなくなり、解決の糸口がガチでわからず、何かあると問題には触れず解決を先送りにし、心に不安とわだかまりを抱えたまま癒しを時間に任せて過ごしていくことばかりを覚えていったのでした。
~おしまい~
……いやもちろんおしまいなんてことはなく、「わたし」の人生はそこで終わらず続いていったので、普通に人との接し方がよくわからない人型の喋る動物が大きくなっていっただけなんですが。(なんですかこれ、言葉にするとめちゃくちゃ怖いな……)
途中でなんとかならなかったのか?という問いには「残念ながら……」という回答しか差し上げられないんです。本当に。残念ながら。
そもそもなぜなんとかならなかったのか。
それは「わたしの自我が形成される期間中、親への信頼なくなったこと」が多分大きく関係しています。
わたしの両親は共働きで、週休2日の週5勤務。母は帰宅したら少し休憩をしてご飯作りを始め、父は帰ってきたら風呂に入ってご飯の前の晩酌をする。まさにひと昔の夫婦って感じでした。
これだけ書いたら「なんだ、普通の家族じゃん」って感じなんですが。ここに「夫婦はどちらも自分一人の時間がないとしんじゃうタイプの人間で、作業や趣味や息抜きも一人で没頭したいタイプ」、「なお2人は仕事でクタクタに疲れたコミュ障」という特性が加わると、どうなると思いますか?
結果をお伝えすると、2人の隙を見ては今日の出来事や楽しかったこと、悩み事などを話そうとしていた幼いわたしが、見えないシールドにはじき返されて転ぶばかりになりました。あと癇癪持ちの酔っ払い相手(酔った時に話したことは覚えていないタイプ)にする真剣な悩み相談ほど、面倒で参考にならないものはないですよね…。(遠い目)
また、このインターバルにも思える時間を逃すともうだめです。チャンスはありません。最初の方に書いた、いつ雷が落ちるかな?ドキドキ☆晩ご飯タイム()になってしまう為、まともにお話しできるような時間はおしまいです。解散!
そして「何よりもただただ話を聞いてほしかったわたし」はこのころの経験から、そういった方面での親への信頼をじわじわと減らしていきました。もともとの内向的な性格と、両親からいつ発せられるかわからない大きな声への苦手意識ゆえに、その不満を爆発させるような機会もなかった為だと思われます。我が子からのそういった信頼値がマイナスに傾いているなんて事実、両親は知らずに生きていることでしょう。わたしも今更そのころのことを知らせて、改めて地獄を見る気はまったく以てありません。
ちなみに、わたしは小さなころから「手のかからない」と評されてきたタイプなのですが、実情は「親への信頼度の低さゆえに何も話さなくなった子供」になります。
忘れられない話なのでついでにここに書きますが、高校性のころ三者面談で割と信頼していた担任が
「おたくのお子さんのように子供を育てるにはどうしたらいいですか?」
と父を持ち上げたとき
「いやあ、放っておいただけですよ。」
と照れ臭そうに答えた映像がいまだ焼き付いて離れないんですね。「心の底からやめたほうがいい。」と思ったけど、そのときにはもう心の開き方がよくわからない動物になっていたので(あと不意打ちのショックで)、そのことを担任には伝えられなかったことが心残りでならないです。
(他にも、親がわたしが子供のころの「手がかからなかったエピソード」を良き思い出のように話すのを聞く機会があると、心が荒れ狂って獣のようなかたちになってしまうんだよなあ。いつか本物の虎にならないよう注意します。)
あとこの記事を書くきっかけとして兄との対話がありましたが、兄曰く
ということだったので擦り合わせのようなものはかないませんでした。ちょっと残念でしたね。
こんな環境の下でグレる気力もなくしたわたしが、体だけはすくすくと立派に育ち、高校生くらいになった時の話でしょうか。
父が仕事で体調を崩し、自宅で過ごすことが多くなっていたころです。
いつものように休日を家で過ごしていた両親とわたしが昼食を食べていたとき。わたしにとって衝撃的な事件が起きました。
と言ったのです。
…………h、?は?
ハァ????????????????????????????????(フォントサイズ最大)(太字)(赤色)
と、そのときは思わず内心ではバチクソにブチ切れる若者になってしまいました。その後「えへへ…(照れ)///」みたいな態度を返した母に対してもです。
突然のことに(非常に残念ながら)体は驚き固まり動かず。突然見せつけられるリアルな夫婦の惚気(十数年間生きていて初めての!)とのにテンションの差でしにそうになりながら、息をするのがやっとだったわたしは、心の底から思いました。
その後わたしの遅めでささやかな反抗期「挨拶や会話を振られてもちゃんと返さない(面倒な人間を相手にぶつかり合うのが面倒になっている為こうなりました)」が発動されることとなりました。
また、今思い返してみればという話ではありますが。
わたしの両親は「限りなくマイペースで自分のペースが保てないとストレスを溜め爆発する」、「一人の時間がないとしんでしまうタイプ」、「作業や趣味や息抜きも一人で没頭したい人間」、「疲れるとコミュニケーションの余裕がなくなる(もともとのコミュニケーション許容量が多くない)」という属性のほか、
という隠れ属性を持っていたわけですね!すごい!
もっと早くに知らせてほしかったな~~~~~~~~~~泣きそう!!!!!!!!!!!!!(もう泣いてる)
幼い子供の前で十数年!ガチシリアスな雰囲気で怒鳴りあい時に片方と見ていた子供が不安で泣くようなギスギスした特殊コミュニケーションが?!痴話喧嘩だったなんてことあるか?!?!?!?!?!?!!!知るか~~~~~~~~い!!!!!!!も~帰らせていただきますわ~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!(実家が住む家)(秒で顔合わす)
ハァ……ハァ……
冒頭に書いた通りですが、最近になってやっと比較的ちゃんと人間としての心が正しく揺れ動くようになったので、これが「怒り」であり「悲しみ」だというのを”理解”して”発露”してしまいましたね。フフッ ウッカリウッカリ☆(棒読み)
そんなこんなでややダウナー気味の反抗期を迎え、両親との溝を更に深めたわたしですが、更なる問題が発生します。
私が大学に入ってすぐのころ、父が亡くなりました。
大病の末の結果なので、家族として心の準備はできていたと思っていたのですが、それでも誰かがいなくなるのは悲しいですね。
などと心から人間味のある言葉が出てくればよかったのですが、そんなことはなく。ただただ日々感じていたひとつ大きなプレッシャーから解放された自分の心を、不思議な目で眺めるわたしがいるだけの生活になりました。
特に大きく日常が変わることはなく、このまま過ごしていくと思っていました。しかしそのときわたしは気づいてしまった。
「あれ?もしかしてこの先もずっと生きなくちゃいけないのか……????」
そう、そこでわたしは「自分の人生に真剣に向き合うということをおろそかにしていた」ことに気づいてしまいました。
「家でプレッシャーを放ち続ける父母祖母のご機嫌を伺いその日その日を生きること(解放されるのは外出時と寝る時)」に人生の大半を費やしてきたわたしはどうも「自立する」、「新しいことに挑戦する」、「ペットを飼いたいと交渉する」など、両親との長めの話し合いが発生する場を悉く避けて通ってきたようです。本当に、ここまでまったくの無自覚でした。
まあ気づいたところで急に何かに目覚めるわけでもなく、まずもって気力がないので出来るわけでもありませんでしたが。「このままじゃいけない気がする」という漠然とした焦りから、映画や漫画、アニメなどの創作物に対し、心新たに触れるようになりました。(もともと漫画やアニメなどは好きで小さいころから見ていたんですが、日常からの逃避先がそこだった為か、内容を覚えていたりいなかったりするんですよね……記憶がない状態で楽しむアニメと漫画、めちゃくちゃ面白いよ!ヤッタネ☆)
その後なんやかんやで就職できて、何年か社会人を経験し、先輩や同僚にもまれたり気の合うゆかいなオタク友達との出会いがあったお陰で、やっと「人語を話すけど意思の疎通がはかれない人型の動物」から「たどたどしいがやろうと思えばなんとか意志の疎通がはかれる人型の動物」にクラスチェンジできました。
こんなクソ重いありがとうを直接伝えることは憚られるので、ここで叫ぶことをお許しください。
特にゆかいなオタク野郎のみんな~~有難うな~~~!!!これからも仲良くしてくれるよう頑張るよ~~~~!!!!!
相変わらず親に似てコミュニケーション容量が低いままではあるけど、それも含めてなんとかやってます。(しかしここまで来るのがあまりに長かったので、これまでに大変なご迷惑をお掛けした人のことを思うと、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当にすみません。もうこんな(わたしを始めとした)人間未満みたいなものに出会わないようにと祈っております。日々が穏やかで良いものでありますように。)
自分では上記にある辺りの激しめの感情はとっくに昇華されたものだと思っていたのですが、疲れて余裕がないときにバラエティなどを見て笑っている母をみると無性に苛立ち、シリアスに泣き出したくなってしまうときがあります。ちょっと危険だなぁと思っています。一種のボーダーラインだと思ってそういう時は寝て回復に努めるのですけれども。
この文章を書きながら全然昇華されてなくて自分でも笑ってしまいましたし、いつか本当に追い詰められた時に有事を引き起こしてしまうようなぼんやりとした予感があります。お金が貯まったらちゃんと離れて暮らそうと思います。お互いの為にもね。
また未だに「健康な精神状態で運営された家族という団体」への憧れは強くあるようで。
誰かが手掛けた創作物でキャラクターが心通わせる表現にふれると、あまりに眩しく尊く感じ涙を流したり、TLで健全なコミュニケーションが成立し、信頼関係が成り立ったご家族のアカウントを見かけると「本当に実在し(ていてくれ)たんだ」と感動してしまいます。なんか、アレだ……太陽の光に当たってぼんやりと、あたたかく眩しいなと感じるような瞬間に似ています。存在していてくれて本当に有難うございます。わたしが勝手に救われています。
繰り返しますがこの文章は、それなりに情緒が育ちその当時の感情の言語化、過去の振り返りおよび分析ができるようになってきた「わたし」が、その気づきとともに過去の自分の感情に圧し潰され、溢れだす記憶に涙が止まらなくなり、座り込んでしまった「わたし」のための個人主観の記事です。
今何かに苦しんでる「あなた」を追い詰めるためのものではないので、もしもここまで読んでちょっと苦しくなっちゃった人は、とりあえず体をあたたかくしてゆっくり休んでほしい。休んで。寝て忘れてね。どうぞお大事に。
ときどき思い出に苦しめられつつ、寝ずに一気にこれを打ったので、ところどころぐちゃぐちゃな文章になっていると思うのですが、ここまでお付き合いいただき本当に有難うございました!
こんなところまで読んでくれたあなたにも、ちょっと良いことがあるといいですね。
それでは。
https://togetter.com/li/1479375
自分はオタで同人・商業でマンガ・イラストレーターとしてもやってる立場(緒方さんよりはずっと知名度もない立場)ですが、
この「作画崩壊」とか言わないで、という点については賛同できません。
ブコメで「クレーマー」とか言葉が使われているように、おそらくブコメでは勘違いしてる人も多いので「え?なんで冷たいの?」ってなってるんだと思います。
とか
「制作サイドを責めないで」と言いたくなる気持ちは分かるけど、作画崩壊等の「画面上で起きている事実を述べるだけの行為」まで制止したがるのはいかがなものかと思う
というブコメの人の立場に僕はまったくもって同意で、これこそまさに言論・表現・評論の自由の問題であり、そういうこと言わないでって言い出す方が本当にやばいことだと思います。
おそらく「え?なんで冷たいの?」みたいに思ってる人の中には、
個人がその作品を鑑賞して率直に思ったことをただ感想として個人のブログにあげたり、
SNSや掲示板等で書いたり、ニコ動やabemaのアニメ配信中のコメント欄で書くことと、
制作者に直接凸したり、「作り直せ」「金返せ」「しっかりきっちりしたものを作れ」的なことを「要求」するクレーム的な行為とを、ごっちゃにしてるんだと思います。
(実際、先述のように、クレーマーって言葉を使ってる人やそれにスターがついたり、なんとかしろと言ってるのは賛同できない、みたいなブコメもありスターを集めています)
「おもしろくなかったなぁ」「全然動いてないじゃん」とかの感想をつぶやいたりすることは、断じて「クレーム」じゃありません。
僕は幼い頃から自身体が弱く、よく体調を崩す上に、メンタルも弱く短い期間ですが通院歴もあるので、同人のあとがきに昔はよくそこらへんのことを(エクスキューズ的な雰囲気をだしつつ)書いてたりしてましたが、
(そして今は読者さんは興をそがれるだろうしもう書かなくなりました・・・特に僕が今描いてるのはエロが多いので、エロだとそういうのは余計萎える情報になりますし)
買ってくれた人はそういう制作者の事情はやっぱりあんまり関係なくて、5chとかSNSとかで「今回は(ペン入れすらされてない)下書き本かよ」みたいなことを言われても、事実なら仕方ないし、そういう感想を言う人がいるのが健全だと思います。
「今回体調が悪かったから、仕上げ処理(影つけ等々)やペン入れすらしてないラフの白い感じな本になったけど、白いとか言わないで」とは、作り手の矜持として、そして自由な評論が許される社会の一員として、僕はやっぱり言いたくない。
「体調悪いとか知らん、書き直せ!」「金返せ!」「こんなクソ本買わされたわどうしてくれるんだ!」「プロならちゃんと完成させろ」とか直接リプしてきたり凸とかならクレームですし、「こんなクソ作品作りやがって死ね!」とかならただの罵詈雑言ですが、
友達同士の会話やブログなりSNSなりのニコ動やabemaのコメント欄で、「動いてない」「作画崩壊してるなぁ」という「感想」すら言わないでってことを、作り手やそれに近しい立場や業界の人たちが言い出したら、創作というものにとって、本当にやばいことだと思います。
動いてなかったら「動いてない」って感想として言っていいと思うし、彩色されず納品されてそれが放送されたら、そこに触れることが自然ではないでしょうか。
邦画関係者が味噌汁で頑張ってるとかが過去にブクマで話題になった時のように、苦労してるからと言われても「おもしろくない」と思ったら「おもしろくない」ってみなさん言うでしょ?
ネットフリックスやAmazonプライムやdTVとかの見放題系だと、B級ですらないほとんど無名の低予算で学生の自主制作映画か!ってのもありますが、
予算が少なくてめっちゃスタッフが苦労して精一杯頑張ったとか、そこにどんな事情があろうが、そういう映画がしょぼい美術(セット)とかだったら、「しょぼいなぁ」って感想言いません?
「スタッフにこれこれこういうい事情があったので、今作についてしょぼいとか言わないでください」って言われたら、そうします?
「作画崩壊と言わないで」に賛成する方は、これから様々な製作者の背景にある苦労や状況に「配慮」して、作品への感想やつぶやきを言うべきと思ってるのでしょうか?
世の中には災害とかだけじゃなく、個人的な心身の不調やら、身内の不幸という場合もあります。
さらにはそうしたことがはっきりわかる情報である場合や、それとなくツイート等から「体調悪いのかな?」「なにかあったのかな?」とか感じ取れるような場合もあります。
そういう製作者の情報もちゃんと調べて、そして製作者の置かれている状況を推し量って、「作品」に感想を言うようにするべきですか?
ドラマやバラエティの演者が逮捕されたりして、制作スタッフにまったく落ち度ないけれど急遽その演者の出演部分を差し替えたり編集でどうにかすることになって、若干ストーリーやら番組の構成上のつながりが不自然になった場合、ドラマ・バラエティ制作者側が「不自然とかおかしいとか言わないでください。そういう言葉を使わないでください」って言ったらそうするべきですか?
よく「お気持ち」ってワードがブコメ等で使われたりしますが、そういう「お気持ち」に配慮して、自粛して、ある感想やワードを言ってはいけないような雰囲気を醸成することは、こういう創作物への自由な評論や感想を萎縮させる変な忖度となって、いい影響を与えません。
特別な災害だからみたいに災害が理由にされてるのが余計にやばいというか・・・実際災害だから仕方ないみたいなブコメもありますね。
でもこの問題は、感染の恐れのあるからという人の集まるイベントとかの自粛と違って、「個人個人が抱く作品への感想」についての自粛のお願いなんですよ?
ブコメで災害だから仕方ないみたいな立場が結構いて、ああ、まさにこういう災害だからみたいな雰囲気から表現や言論・評論の萎縮・自粛・自主規制は始まるんだなぁと、垣間見たような感にもなりました。
繰り返しと言うか念押しになりますが、僕が言いたいのは、人間に言葉を投げることと、作品について感想を言うことは違う、ということです。
作品の制作者に何言ってもいいとか、そういう話をしているわけではないです。
制作者に「最終話の作画ひどかったですね」「ひでー作画だったな」とか直接リプしたり公式に凸したり「作り直して」と要求することと、「最終話ひどい作画だなぁ」「ひでー作画だなぁ」「作り直してほしいなぁ」っていう感想をSNSやら実況コメント等で言うことは、まったく違うものと言うことです。
制作者側にとっては自分が制作したものを言われるのは、あたかも自分に言われたことのように・・・あるいはそれ以上に辛い・・・その気持ちは僕も非常に身にしみてわかっています。
ですが作品への感想についてこうやって自粛するようなことをお願いをすることは、それこそ日頃ブクマでもよく話題になる、言論・表現の自由の萎縮につながる行為につながりやすいですので、、一人の制作者側の人間として、僕は賛同できません。