きっと発信者に悪意は無いし、権利者もこの人の意見を強く否定する程では無いと思う。でもこの人の善意による発言が、権利者の、あるいは人類史の妨げになると思うので記す。
まず創作物の権利は、当局の著作権法や万国著作権条約によって定められている。しかしその規定された制約ではなく、独自のルールで利用されたいという人は居る。それは権利者の権利である。
今回、多くの興行が中止された。特にチケットを販売済みでその日時に表現をしていたはずの表現者は、インターネット上で代わりのコンテンツを配給しているようだ (もちろん興行に関わる人への利益になるよう調整をしている人も居る) 。その中で、該当コンテンツは「コラボ」を許容した。該当ライセンス記述は以下のとおりだ。
非常に曖昧なライセンスである。権利者が権利を曖昧にする理由は様々だが、該当コンテンツの場合は自由に何かを作って欲しいから、作ることによって辛い気持ちを乗り越えて欲しいからだろう。
安倍首相の Twitter アカウントで、この動画と組み合わせて作ったコンテンツは、とても多くの人に不快感を与えた。表現である以上、評価はコンテンツに触れた人の解釈に委ねられる。でも、 安倍総理の星野源さんコラボは何が問題だったのか / 音楽家からの視点と分析 の主張は違う。「その利用方法が間違っている」と言うのだ。
星野源さんについて詳しく無い (書籍のエッセイは全部読んだが) ので、ブコメを参考にした所によると、この楽曲は「家に籠もることができない人も含めて、自分の心の内の世界で踊ろう」というメッセージらしい (後日に対象の発言を正確に引用してこの節を書き換えるかもしれない)。だとしたら、「ダンス」に「日常生活を送る姿」が含まれる可能性はある。それぞれなりの生活を楽曲になぞらえる、あるいは楽曲から想起され日常に気づき、それを表現するということはあり得る。楽曲と、楽曲の解釈を自分なりに表現したもの。それによって作られたものであれば、権利者は容認し得るだろう。そうでないと言えるのは、ダンスとダンスではないものを規定できる人だけだ(それも権利者の権利を上書きする力は無いが)。
この人が「これはセッションではない」と言うことは、その可能性を閉じることである。
権利者から提示されるライセンスは、権利者と利用者との契約であり、契約に反する場合は当局の法令によって裁かれる。 つまり非権利者が「これは違う」と言うことは、コンテンツの利用者を犯罪者と断定する行為である。
今回の騒動で、権利者は「違う」と言わなかった。一方でこの人は「違う」と言い、それは多くの人の注目を集めた。場合によっては「違う」という意見が多勢となり、「解釈を間違った人は犯罪者である」という状況を作るだろう。これは誇張ではない。
権利者がコンテンツに対してのライセンスを規定できるということは、「コラボ」が許される期間を 100 年程短縮する (権利発生時から権利者の死亡までを 50 年と仮定。日本の著作権法による) 。そのコラボコンテンツにはコラボした時点で権利が発生するため、そのコラボコンテンツを元にコラボするためにはまた 100 年待つ必要がある。権利者がライセンスを規定できることで、その期間をゼロにさえできるのである。さらにそのコラボとなれば、発展の期間の短縮は例を挙げるまでもない。権利者以外の誰かが「これは駄目だ」と言うこと、そして権利者没後の人々が賛同することは、人類の文化史を 100 * n 年後退させることである。
繰り返しになる。みんなが辛い。みんなが興行ができない。そのために素材を提供した。その素材に依るコンテンツを「これは OK 」「これは NG 」と規定できるのは権利者のみである。外部から NG が規定され、雰囲気としてこれは NG とされれば、行われたはずのコラボコンテンツの公開を損なわせる。それこそ権利者の本意に反するのではないだろうか。
今回のことで、インターネット上にコンテンツを配信する人は増えた。そのライセンスが明確であると、それは資源となり、様々なものが作られる。そしてその先には別の未来が待っているだろう。「これは NG 」と規定する非権利者が現れる事によって、人類史は 100 * n 年の遅延を求められるのだ。
まだいつまで続くか分からない状況の中で、興行の代わりに「コラボ可能」なコンテンツを提供する人は多いと思う。そして「細かいことや面倒くさいことを言いたくない」という理由で曖昧なライセンス表記で提供されるだろう。「分かるでしょ」というのは同一の文化圏でのみ通用する。でも公開する以上、同一ではない文化ともなんかやりたいじゃん。
でもやっぱりライセンスを規定するのは難しいし、読む方も難しい。コンピュータソフトウェアはずっと改変によるメリットと著作者の権利を議論し続けていて、ある時クリエイティブ・コモンズという権利者の権利の表示が簡便な仕組みを生み出した。
明確なライセンス表記をすることは、利用者を守る行為でもある。利用者を犯罪者にする可能性を防ぐことができる。クリエイティブ・コモンズの表記は極めてシンプルに作ってあるので、これからコンテンツを公開する人はどうか自分が自分のコンテンツをどう扱って欲しいかを、表記してみて欲しい。だめだったら個別にだめだと言って良い。それは権利者の権利だから。
余談だが、今回の騒動で議論の余地があるとするならば、「文化の政治利用」が「営利」なのか否かだ。もし CD などの物理メディアを通して金銭の授受が行われれば明確にアウトだが、プロモーションについては判例が少ない。ぜひライセンスガチ勢のツッコミを求める。
あとほんと蛇足なんですが、今回問題になった Tweet はクレジット表示が無かったのは本当にだめ。表示をしなくて良いのは Public domain か CC0 のみで、どんな解釈でもそうは取れないのでだめそう。でも異文化に触れた老人たち (本人じゃないだろう) が異文化の雰囲気を読み見違えるなんて普通じゃんね。それを超えて老人たちも良い感じのコラボコンテンツを出してくれた方がいいじゃん。
権利主張が人類史の妨げになるとするなら、 権利主張が出来ないのなら、そもそも表に出さない。権利主張の否定が人類史の妨げになる事も考慮する必要もあるのでは。 CCをスタンダー...
権利者は自分の創作物に自由に権利を主張できるべき、権利者が言及していない部分は著作権が補うが、他者が権利を規定することを需要するのはおかしい、という話のつもりだった。...
他人への名誉棄損に悪用されるコラボは悪だろ そんなことはわざわざいわなくても普通の人間はわかっている、 たとえばはてな利用規約、はてな匿名ダイアリーガイドライン、twitter利...
明示されたライセンスは利用規約と同じように契約だよ、という話のつもりだった。 ちなみに著作権を放棄したり二次利用を自由にしても著作者人格権は残るので、名誉毀損に当たるな...
大筋分かっててなんで私的契約のはなしだけ拡大してんの 口とじてろっていっただろ キーボードも叩き割っとけ
ライセンス違反ではあるかもしれないが、名誉毀損や人権侵害ではないんじゃないかな。それも権利者の主張によるが。 司法が介入するなら言うように刑法、民法が上に立つが、今回介...
第三者でも「おい、マナー(をおとしこんだネットの規約)はまもれよ、迷惑だぞ」くらいのことはそりゃいうだろ こんなとき音楽家などの有名人は寄付をしたりモラル高く意見を発...
音楽家は特権階級じゃないぞ
じゃあおまえらの仲間、庶民なんだな(お前のなかでは) 庶民仲間が「庶民感覚でもひどいからマナーよくしろ」っていったら仲間の庶民センスを信じてマナーを守ろうな 星野への批判...
何をキレてるかさっぱりだが 横増田自分が言いたいのは音楽家は特権階級じゃないって事だけ
大麻で捕まっても社会的に死なないんだからやっぱり特権はあるのでは
確かに「おい」って言いたくなる気持ちは分かる。記事を書いた人を責めすぎたかもしれん。 その「おい」に対して「そうだそうだこの利用の仕方は間違っているぞ」と賛同する人が多...