はてなキーワード: 正気度とは
「話になっている」という認識がまず誤りで
なんらかの統一した話、一般的見解なんてものがまず一切作られていない。
20世紀フェミニズムの時代は、性差なんてものは全部後天的だ!ぐらいのことは言ってて、それが一般的見解ではあった。
男子にスカート着せたり、銃を持たせずおままごとさせたりが、美談あつかいでまかり通ってたころだね。
ただまあ事例の蓄積、生物学の発展があって、現代ではそうもいかなくなって。
それでどうなったかというと、わりと都合よく論者毎にチェリーピッキングするよね。
一応、第三次フェミニズムみたいな、正気度が高い勢力では、「女性は生まれつき女性なので男性と違う、その前提でむしろ女性らしさを肯定しましょう」みたいな話をするが。
いまだに人気があるのは、狂気度の高いラディカルフェミニズム、男女は生まれつき完全に平等って言いたがるやつなんで
勉強、と称して、80年代のフェミニズム古典から当時の間違った生物学見解を引っ張りだして、男女差は無いとか言いたがったりする。
Coc6版の話。
話すとこが無いから長々吐き出す。
身内にどうしても致命的に合わない人がいた。
仮にAとしよう。大手同人作家(少女漫画系)で、すぐに病みツイし、ワーに吉牛されている。
・男女と見ればバディだのカプだのにせずにはいられない。
「この二人は男女だけど恋愛感情とかじゃなくて特別な結び付きで~」とか口では言いながら、少女漫画的、オリキャラ夢主的な視点でしかPCを見られない。
「女の子ってそれだけで可愛い~!それだけで大事にしなきゃいけない」って異性愛規範が強い。あわよくば付き合ってない状態で周りにはやし立ててほしがるし、付き合ってない男女にラッキースケベ起こしたがりの発情狂。
主は、現状のメディアに流れる、異性愛規範や結婚制度が嫌いだ。ルッキズムも嫌いだ。たとえ誉めてても、人の外見に言及するなんて卑しいなぁと、品性を疑う。
まあ、これは割と少数派だし過激な意見だって自覚はある。だから口には出さない。
でもAが♀PCや♀NPCに優しく接する時、いちいち女の子なんだから、って理由付けするたびに、血管キレそうだった。PCやNPCの性格、信念、感情をまるきり無視した取り扱いじゃん。
だけど取り沙汰にはしなかったよ。いい大人だしね、単に価値観のちがいなんだし言っても何も改善なんかしない。空気悪くなるしね、ただのゲームだしね。
・正気度ロールとロスト
曰わく、ロストするようなシナリオには行きたくない、怖い。つまり絶対にロストしないって保証されたシナリオでカッコつけたい。
シナリオ通りの処理で、ダイスでAのうちよそ相手♂を殺したら「やだやだやだやだ」って駄々こねてさ。どうにもなんなかったから、無理くり生還させてやったよ。涙涙の感動イチャイチャ後日談ながなが。もうこいつらに回さねえってなった。
そのくせ、「CocなんだからSANチェックがなくちゃ!」とか言う。じゃあってそういうシナリオで発狂処理に入っても、AのPCはカッコつけたまま。意味が分からない。なんなんだよ。主の発狂RPは笑うくせに。
すごいダブスタ。
・自分以外のPLを一個人だと思ってない(たぶんNPCだと思ってる)
で、↑みたいな不満があっても口にしないと、Aは主のこと感性が100%合ってるマブダチ、みたいな距離感で来る訳よ。
んな訳無いじゃん。まあこっちも言わないのは悪いんだけどさ。
A、他PL・PCが発言しても、スルーして「私(自PC)はこうします」みたいな感じ。あるいはAのええカッコしいRPの踏み台。
Aと一緒だと本当に色々食われるので、なるべくPC探索箇所やシーンが別れたところでRPとかやってた。でも割って入ってくんだよな。
廊下と部屋の中に別れてから、他PCとタイマンでちょっと深い事話してたら、「でもそれってこうじゃない???」とかさ。
同じ廊下にいると思ってた、だってさ。ほんと人の話聞かねえし空気読まねえな。
別シでさ。AのPCが♀NPCとお風呂入ってる時に、主がちょっと様子がおかしかったNPCの荷物を漁る、みたいなシーンでさ。Aより先に上がったNPCと主が鉢合わせして、誠意RPでなんとか心開いてもらおうとするみたいな展開になってさ。
最後にNPCから手を伸ばしてもらうの待ってたら、Aが「NPCを後ろからハグして『私たちは味方だよ(イケボ風)』って囁きます」とか割って入ってきてさ。すべて持ってかれたよね。
ここ、待てなかったの?そんなに自分がなキメなきゃ気が済まないの?
A以外の他PLにも、見せ場をキメたい、って気持ちがあるのが分かんないかー。
コミュニケーションって、相手の言葉を聞き入れて何か影響を受けたり、あるいは与えたりが発生しえなきゃ、虚しくない? 彼女の中であらゆる事は決定事項で変化が無いので、言葉を交わす意味が感じられなかった。
他人の言動や心情に興味無いんだろうね。NPCやPL・PCが秘めてる想い、みたいなものにまったく想定がいってない。口にされなきゃ分かんないというのはそう。だけどそういう境遇に置かれたらどんな事考えるだろうどんな気持ちになるだろう、って想像も慮りも無い。自分が見聞きして思った事がすべて。
・離れようとしました
何年かご一緒したが色々耐え難く、フェードアウトしようとした。
面と向かって全部言ったら、Aは主を悪者にしてワーに吉牛されて延々病む+身内を切って、居場所から追い出された、私かわいそうな被害者!みたいな形にしかねないから。
Aはメンタル弱々だし、タイミングやメンバーの関係で一人だけ誘われないとかに当たると、「私なんて…」と病み出す。逆に、投げられる誘いにはまず全部挙手する。自分がいないとこで人が楽しんでるのが不安なんだろう。普通に心配だ。
そんなんに何かの拍子で死なれても寝覚めが悪いし、主を一方的に加害者にされるのも気分が悪い。
が、身内に暇や一人の時間がとにかくイヤ!この中の誰かが釣れたら御の字!と、いつメンにお誘いを投げまくる人がいる。仮にBとしよう。
AがいるGrはミュートしてたが、あんまり無視してても声かけされる。不自然に思われない頻度で反応してたが、それも限界。
Aとは同卓したくないんだ、顔も名前も見たくない。一緒になりかねないお誘いは遠慮願いたい。まとめて投網漁するBには、いちいち班分けとか配慮も面倒だろう。主は放っていつメンで楽しんできてくれ、とお話した。
主はそういうつもりでお誘いを遠慮願った訳じゃない。
そもそも、この身内には、Aの↑みたいなモロモロを許してきた土壌がある。Aの他PL食い独走うちよそ全開セッションを、KPもPLも見学者もヤンヤと囃してた。諫めもしない。
セッション中はKPが世界だ。世界がAを肯定するなら、この世界は主にとって息しやすい場所ではない。
だからそもそもその世界ともちょっと距離を置きたかっただけなんだよ…。
・その後
定期的にAの垢を見に行ってしまう。もう身内用垢は消してしまったから、新垢で。
新垢ではAの事をブロックしといて、絶対に主の投稿が見られないようにして。
何がAの「私かわいそう!」棒になるか、分かったもんじゃないから。
「信じられないほど粗雑に扱われた」「ひどい」「傷ついた」と主を責めては、ワーに吉牛してもらっている。
どの口が、と思う。主と主のPCをNPC扱いしておいて。粗雑に扱って、AのRPやうちよその踏み台にしておいて、どの口が。
本当に、自分の発想に無いことは世界に存在しない人だから。Aは自分が加害者かもとか、誰かを不快にさせてたかもとか、まったく考えもしないんだろうね。
捨て垢でも作って言いに行ってやろうか、と思う事もある。そういう悪意や衝動が、そろそろまずいな、となってきたからここに吐き出し。
おいA、これ見てまた泣き言投稿して、ワーにAさんは悪くないよこいつ酷いヤツだねヨシヨシしてもらうか?お得意の私かわいそうな被害者(笑)ってさ。
もうAの垢見に行かないですむようになりたいな。
始めに言っておくと公立中学を「動物園」と表現するのは、それが正確かは兎も角許容される事だと思う
ただし普段、表現にそれと同等かそれより厳しい基準で批判を行っていないなら
公立中学を「動物園」と表現してそれへの批判が燃え上がり、擁護する人も出る中で、
私が思ったのは「随分お優しい事だなァ」という事だった
現代において表現するという事はポリコレ等等様々な基準でジャッジされ、炎上させられる危険と隣り合わせという事、その基準から言えば「あんなの燃えて当然」というのが本音だ
例えば漫画やアニメのキャラクターが「公立中学は動物園」と表現したり、作者やアイドルがそういう発言をしたら、当然燃えるだろう
今回擁護側に回ってる人の中にもそういうケースなら喜んで叩く側に回る人、いんじゃないの?とも思う
それがはてブのコメントなら擁護する、というのはどういう事なんだろう?
今回批判の槍玉に挙げられがちな「はてなリベラル」への反感は、そういう事なんじゃないだろうか?
普段は非常に厳しい基準で表現をジャッジし、批判しているのに、いざ自分達がその対象に成ったら急に表現に寛容になる
例え自分が当事者でも、特定の人達を動物に例える表現は本来結構過激な部類に入る発言の筈だ、当たり前に人を傷付ける表現でもある
そこに寛容なのに、じゃあアレ(宇崎ちゃん)は?コレ(キズナアイ)は?ドレ(アツギタイツ)は?ソレ(ラブライブみかんパネル)は?
あなたはそれにどういう態度を取っていたんでしたっけ?
となる
問題なのは動物園発言やそれに☆を押した事では無い、普段表現に厳しいのに自分達だけには寛容、というダブルスタンダードだ
普段表現に厳しくないなら、動物園発言も、それを支持する☆も、問題ではあるが許容される範囲、なのではないか
「自分に寛容、他人にも寛容」より、「自分(とその仲間)に寛容、他人に厳しい」人が非難されるのは当たり前の事だろう
私が切にお願いしたいのはそれだ、「同じ基準で裁いて欲しい」
表現がポリコレ等の厳しい監視の目を向けられる事はもう、諦めている
サッカーをしていて審判がぐでんぐでんに酔っぱらっていたら不安にならないだろうか?それでレッドカード出されたら納得できる?
私達表現者にとってジャッジはあなた達だ、特にポリコレ支持者、リベラルが多いらしいはてなはその筆頭だ
つまり私の不安は「あなた達は酔っぱらっていないか?」という事だ
現状、あなた達のジャッジが正確で、公正で、平等で、恣意的では無い保証は何処にも無い、ジャッジの飲酒検査は完了していない
そこにきて動物園発言だ、「もしやジャッジ、酔っぱらって無いか?」となるのは必然だろう
ではせめて、同じ基準であなた自身や、その仲間、あなたが好きな表現、好きな人を裁いて貰えないだろうか?
あなたがあなた自身やその仲間の審判をゆだねて良いと思える基準なら、ある程度ではあるけど安心はできる
逆にあなたが「いや、自分が対象に成るのは御免だ」と思うような基準は、当たり前だがこっちだって御免だ
そして同じ基準で裁く為に必要なのは、そもそも基準を明確化し、言語化する事だ、まずはそれすら覚束ないジャッジがとても多い(ルールが明確じゃないジャッジ程怖いものはない)
自分が普段表現をジャッジしている基準は、明確に言語化するとどういう基準か?それは不自然な部分や可笑しい部分が無いか、自分に適用しても問題無いか、矛盾は無いか
そういう事を一度立ち止まって、冷静に考えて欲しい
https://anond.hatelabo.jp/20191212165757
読んでいて草。
久々に今や絶滅危惧種である昔ながらの国籍透視系の能力者ネトウヨ(今の行儀が良くなった保守系の人達と違うと言う意味でもあえてこの単語を使う)に出会ったが、あいつらフェミニスト、ポリコレ、LGBTと言った先鋭化しきった彼等の言う所のパヨクと言う海外でいう所のSJWとか言うリベラルとそっくりだ。
この人達は右左の方向性の違いはあっても思考の方向性は全く同じ。
特にフェミニストと近いと言うより親和性が高いのは一部の保守系の俗にいうお母さん保守とか呼ばれる連中や宗教系の人達だった。
ここから長くなってしまうが、この手のネトウヨにもフェミニスト他リベラルにも共通して言えるのは。
こうして見ると政治スタンスに関係なく、この手の人々の行動が似通っているのは根底に常に自分を優先するクレーマー気質が強いと言う事も言えるだろう。
その自分本位の思考回路の結果が他者への配慮をも全く考慮しない行動に繋がるのだ。
また右左どちらの人から見てもこれ等のクレーマー気質の人間は敵よりも余程厄介な所謂無能な味方でしかないのは事実であろう。
ある種この様な暴力的で攻撃的な人間の行為そのものが自身の所属する思想や集団に対しての評価の下落や票の継続的な減少等の割と致命的な事態を招く事を繋がる。
その結果は自身の所属する思想や集団の悪評をも招く事になり、全体の評価を下げる事にも繋がる。
何にしろこれ等の人々は右左の思想関係なく、まともな人から見れば、関係ない人物や中立勢力及び本来味方とも言える勢力や人物にも平然と噛みつき、迷惑行為を行う単に迷惑な人物及び集団であるのは明白である。
その事は選挙の結果にも響いてくる。
これ等の行為が当時の自民党の政権交代の一端であったのは事実だろう。(また当時自民党の側にフェミニスト団体やキリスト系が加担して規制を推し進めていたのも事実だが。)
そして現在のフェミニスト等と言った集団による赤十字やJA等に対しての迷惑行為の積み重ねがリベラルの散々たる結果の一端になっているのは想像に難くない。
以前ツイッターでこれ等の人々は現実社会では最底辺であり、統合失調症等の精神病なのではないか?や通院歴のある人間が多いと言う事実なのか判らない情報を結構見かけた事があったが、少なくとも一般の視点から見れば、普通に常軌を逸した常識的ではない行動ばかり行っているのは事実であり、世間にもそう言う風な目で見られるのも仕方がない所であろう。
この程度で正気度判定行うとかフェミニストの正気度は後どの程度残っているのだろうか?
例えばこれを商業施設が広告ポスターに使ったら、「気持ち悪い」「悪趣味」という反応があるでしょう。
そして商業施設は不評や批判や営業予想を考えて、自らポスターを変更するでしょうが、それは"表現規制"ではないし、そもそも"表現の自由の問題"かどうかすら怪しいと思います。 https://t.co/rPMX9mmWKh— Shin Hori (@ShinHori1) 2020年2月22日
何て言うか元ツイに食いつかず、他ツイの5枚目のとか言っているわざわざ食いつきやすそうな餌に食いつく時点で終わっているよねと思うよ、心の底から。
それで卑猥だのわめいているのだから以下にこいつらが馬鹿にするオタク以上にエロしか興味がないかと言う事を見事に証明しているのも皮肉。
俺そう言う出歩かなくて済む良い場所知っているんだ。
上映中止を求めることにはいささかのためらいを感じましたが、やはりあまりに偏見が酷いです。単に場所を貸すだけでなく「協力」に名を連ねた公的機関の責任も問われるべきです。また引用元が指摘しているように、未成年のキャストを多数出演させていることも、それをさせた大人の責任が問われます。 https://t.co/GSXd0XTd6C— 向川まさひで (@muka_jcptakada) 2020年2月22日
しかし弁護士と言い共産と言い順調にこのジェンダーポリコレフェミ問題で自滅していっているのが笑える。
弁護士に関しては某Jの自分語りの一件の例の弁護士以降完全に肩書自体終わったけど、赤十字やJAの一件での例の弁護士の火付けで世間の信頼度に止めを刺した感がある。
共産に関して言えば、ただでさえ最近赤旗だの候補の発言で政党としても信用なくなったのに完全にこの一件で止めを自ら刺した感じだよね。
http://anond.hatelabo.jp/20141204170356
増田トラックバックをやるのは初めてなのでちゃんと出来てるかどうか……というのはさておき。
件の増田を読んでびっくりしてしまった。ぼくもムービーパラダイスで同人誌を少し買ったことがあって、件の同人誌シリーズも入手し、その自由闊達な内容をとても楽しませてもらっていたからだ。
トピ主の愛憎がいかばかりのものか、どれほどの苦しみが生まれていたのか。それらについてはたかが一読者として類推することもできないしすべきでない。ただサークル参加者諸氏の安寧を——生還者がいらっしゃるならその平穏を——祈るのみだ。
ただ、元ネタ作品の装備類や作中内世界の情勢を推察したコーナーの素晴らしさも、ヨーヨーや異常発達筋肉人の狂気も、登場人物たちの過去やサイドストーリーを描いた文字通りの二次創作も……等しく見事だった、というのは主張させていただきたい。
そしてまた評論系の寄稿も、実は一巻目だけでなく他巻にもあったことを報告しておきたい。絶無ではなかったのだ。特に同人誌シリーズ三巻目に収録されていたある評論は、たいへん綿密な考察と作品愛に溢れた逸品だった。
の、だが。
実はこの評論、かの元ネタ作品ではなく、同じ監督が撮った別の作品「マシンスパイ・ゼロクロー」※1の評論なのである……!!
こんなクソリプめいたトラバを書く理由がこれである。トピ主にとってこのマシンスパイ・ゼロクロー評論はどのような評価(憎悪)の対象だったのか皆目見当が付かない。「評論は0、じゃねーじゃん」などと揚げ足を取りたいのではなく(取ってる場合じゃねぇだろこれ)、二次創作でさえないなにかに対してトピ主はどう反応したのか。
論外。それはわかる。論外にどう反応したのかが知りたいと書いている。頭割るとかページを口に突っ込むとかでは済まなかったのではないか。ビーム、バリアーなどの光線系攻撃まで持ち出したのではないか。陽電子を使った可能性さえ感じる。
言っておくが、これは荒らしトラバなどではなく(いや結果として荒らしになっていそうなのは謝罪するが)、現実に当該同人誌に他作品の評論が載っかっていたのだ。クロスオーバーでさえない。懇切丁寧な(他作品の)評論※2が、ぽん、と載っている。この現実にぼくの正気度は著しく削がれた。もともと寄稿作品全般とも気が狂ってるか気が狂うほど素晴らしいかのどちらかだったにせよ、何かがおかしい。
否、おかしいのはぼくの方か。
もとよりある作品の同人作品を作る、というのは一種の狂気だ。正気にては大業ならずとシグルイにも書いてある。それとも狂気を誘発できる力を持った作品が同人を呼ぶのか。
そしてたまに、他者の狂気と自分の狂気が噛み合わない、というような悲劇も起きるだろう。そこで相互理解せよとか平和が一番などとのたまうのは、恐らく当事者ではない側の傲慢になってしまう。
だから「奴らにとっては、俺こそが怪物だったのだ」というが、恐らく、界隈には怪物でない人などいなかったのだと想像する。
ただ、どの怪物もぼくにとっては最高の傑物だった。
そのような方々が去っていったことを悲しむのみである。仲間割れイクナイ、などとは言えまい。ただただ悲しむのみ。
※1
次元を越えて善と悪のスパイ達が対決するという内容の痛快娯楽作。「スパイにとってごく平凡な武装であるビームライフルをリフレクタービットと組み合わせて強攻撃にする」「三次元の女性を恐れて二次元の世界に逃げ込んだ気弱な敵幹部を次元の果てまで追い詰める卑怯なクルーズミサイルで殺害する」「対人対拠点特化型メカゴ○ラ」「ショタが可愛い」などの奇想が話題を呼んだ。かの監督はこの作品の続編も撮りたいと意欲を見せているが、別の新作「ティアーズ・オブ・ザ・ムーン」「修学旅行血風録」などの撮影に忙殺され叶っていない。
※2
ちなみに内容は、痛快娯楽作と目される同作が、それだけでなくより綿密な考証に支えられたSFであったと評するものであった。特にスパイ達を毛嫌いしていた外交官の娘の正体について、それは序盤から伏線が張られていたのだという指摘部分は、かなり強固なエビデンスも揃えられていて瞠目に値する。
※3