はてなキーワード: クオリティコントロールとは
この前(11/4)、10年以上ぶりにUSJに行った。以前行ったときとだいぶ印象が変わってたり、ちょうどやってた期間限定ものがだいぶとお粗末だったりで、「これは先が暗いんじゃないか……」と感じてしまった。
そう感じた理由の1つ目は、看板コンテンツの大半で体験内容が似たようなものになっていたことにある。
具体的に言うと、概ね2種類に大別できてしまって、いわゆる絶叫マシンと、いわゆる4Dものだ。
定義上、4Dと銘打っているのは3D眼鏡をかけさせられるやつだけだったのでそこまで多くないが、実質的には「正面のスクリーンに映像が投影されて、座席や乗り物がその映像と同期して動く」ものは全部同じジャンルに括っていいように思う。
そう括るとしたら、上記の2つの定義に収まらないものはハリー・ポッターの街歩きと、ジョーズと、ジュラシックパークの濡れるやつくらいだと思う。(あと、乗れなかったけどヨッシーのやつもそうなのかな)
もちろんそれぞれの映像のクオリティは高いんだけど、アトラクションの大半が似たようなものになっているというのには2つ問題があると思っていて、1つには、「その手のものが苦手な人」を完全に切り捨ててしまっていることにあると思う。
というのも、これは自分自身がそうだからこの投稿には私怨も入っているのだが、いわゆる「三半規管が弱い人間」にとっては、先の定義で言う4D系のアトラクションは全部キツい。
自分も最近ではVRゴーグルではそう酔わなくなる程度に慣れて来ている。だが、USJのアトラクションは、皆で大きい画面を見るスタイルなのが原因なのか、最初に浮遊する演出があった時点でもうダメだった。(ほぼすべてのアトラクションで浮遊演出があった)
幸い自分は絶叫系は平気なので、そちらを楽しむことはできた。だが、これら2つのジャンルの両方が苦手という人だって、そんなに少なくないように思う。(というか、どちらかというと片方だけ平気な自分がイレギュラーな気がする)
もちろん、「そんなやつはそもそも来なければいい」は正論なのだが、10年前に来たUSJは、「次これ乗るの?じゃあ自分は苦手だからこっちに並ぶね」で一日が成立する程度には多様な体験ができたと思う。(自分はバックドラフトが印象深い)
しかし、4Dも絶叫系もダメな人が、子供や友人について現在のUSJに迷い込んでしまった場合、割ともう全くどうにもならない。ニンテンドーワールドの再入場がめんどくさいというのを踏まえると、モンスターズ・インクのライブをリピートしまくるとかしかないんじゃないか。
似たようなアトラクションばかりになることの2つ目の問題は、「どこに行っても似たような体験になる」ことになると思う。
これは「4D系」とくくれてしまうことからも明らかな通り、それらのアトラクションでの体験は、「浮いてるみたい」「ぶつかりそう」「風が出る」「匂いがする」「水がかかる」「熱い」のいずれかに分類できてしまうし、悪いことに、どのアトラクションでもこれらのほとんどすべてが体験できてしまう。
だから有り体に言ってしまえば、「キャラと設定が違うだけでだいたい全部一緒」の体験になってしまうのだ。ついでに言うと、無理なくこれらすべてを体験させるために、ストーリー展開もかなり似たようなものになっている。
1つ目の理由は「ターゲット層を絞った結果」であり仕方ないところもあると思うが、こっちはテーマパークとして結構問題がある気がする。
乱暴に言えば、「さっきとほぼ同じような内容だったから、これなら並ぶことなかったな」と感じてしまうようなことになっていて、体験の多様性という意味で言えば、パルケエスパーニャとかみたいなB級(と、させて頂く)テーマパークの方がずっと満足感があった。
「好きな作品の世界に没入できるんだから、キャラが違うなら様式は同じでも全然違う」という主張もあるかと思うが、以前のUSJは作品ごとに体験も多様だったように感じる。懐古かもしれないが。
もう一つのダメさを感じたポイントで言うと、これは期間が先日終了したから言うのだが、呪術廻戦4Dの作品としての出来がどうしようもなかった。
これも4D系のコンテンツで、3D眼鏡をかけて飛び出す映像を楽しみつつ、作品の展開に沿って水がかかったり風を感じたりするというものなのだが、これがもう、「VRコンテンツはこう作ってはいけない」の見本のようなものになっていた。
設定や展開に無理があるのは置いておいたとしても、例えば作品序盤の戦闘シーンは、固定の背景の上を二次元キャラクターがぽんぽん飛び回るという画になっている。
アニメの戦闘シーンは臨場感を表現するため、カメラワークのように色んな方向から描き出して演出する、というのは素人が語るまでもなく皆さんご存知の通りだと思うが、この作品は、「それぞれのキャラクターが奥行きも使って飛び回る」というのを見せるのを狙っているのか(あるいはコストや納期の問題か)、同じ方向から同じ場面を写した状態のまま、キャラクターの絵だけが移動する。
もちろんこれは「キャラの躍動を座って見ている客」と作品を写すカメラの視点を一致させる意味では正しい演出だと思うのだが、しかし、見て感じる印象としては「素人がUnityで作った格ゲーみたい」だった。
これについては、さすがに各キャラの3Dモデルを作るわけにもいかないので、絵を背景の上で動かすことになる以上どうしょうもないという面はあるのかもしれない。
ただ、それを踏まえると、主人公が決めのシーンで放つ一撃に用いられた演出がどうしても気になる。
というのも、このシーン、直前に主人公がこちらに背を向けて飛び上がり、雄叫びを上げたところから切り替わるのだが、ここで、「正面から写した視点」「画面上が黒く切り取られたような背景」で主人公の攻撃が描写される。
せっかく(インディーズUnityゲーみたいになるという犠牲を払いながら)客とカメラの視点を一致させてきたのに、クライマックスのシーンでそれを投げ捨ててしまうのだ。
たぶん、この演出自体は悪手ではなくて、アニメ的なタッチで迫力を出すためにはいい方法なのだと思うのだが、それまでの視点と一致しない演出であるがためにかなり唐突感があり、実際、シーンとしてはシリアスで格好良い場面なのに、周りから何人かの吹き出す声が聞こえたりもした。「おもしろく」なってしまっていた。
この他、「水がかかる演出を使うシーンがマグマみたいなものがかかる場面で没入感が削がれる(多分ない方がマシ)」という演出の問題があったり、「敵役が主人公と対峙した瞬間に立場から狙いまで全部名乗るのでイオンモールのヒーローショーみたい」という展開上の問題があったりとまだまだいくらでも文句を言いたいところがある。
ただ、まあ恐らくだが、呪術廻戦のキャラを使う以上、これの制作をリードしていたのはユニバーサルスタジオ側ではないだろう。
だから、この作品がUSJのせいで低クオリティになっているという訳ではないと思う。
でも、自分のところの目玉コンテンツの一つになるもののクオリティコントロールが利かない状況になっているというのは、かなり危険な兆候ではないだろうか。
この呪術廻戦4D、枠としてはエルモとかシュレックの同じような作品がやっていたところでやっている。そしてそれらの作品はけして低クオリティなものではなかった。
だから、今回の問題は、4Dシネマという形態が抱えている問題ではないということだと思う。ユニバーサルスタジオがちゃんと絡んで(この辺事実関係はわからないので曖昧に書いている)作れば、ちゃんと良いものになる。
にも関わらず、この呪術廻戦という大型コラボもののクオリティがこうなってしまうのは、どっちが依頼したコラボなのかみたいな力関係があったり、公開時期を急ぐためのスケジュール的な問題があったりしたのかな、と邪推してしまう。
そして、そういうものが持ち込まれてアトラクションのクオリティが下がるというのがある状況なのだとすると……やっぱり、それは良くないことなのではないかと感じるし、テーマパークとして魅力を失うことに繋がるのではないかと思う。
少なくとも、自分は今回行った結果、「もうしばらくUSJはいいかな」という気分になってしまった。日本でも2番目のテーマパーク(だと思っている)だから、行ってガッカリするポイントがあるなんて思ってもみなかった。今後子供が産まれて大きくなって行きたがっても、今回の経験を踏まえて一旦は反対すると思う。(それでもいずれ流されて行くことにはなるのかもしれないけれど。)
以上、長文での愚痴でした。
いわゆる「中抜きおじさん」系の仕事をしています。謙遜と自虐とネット的なシニカルへの媚びを込めた自己紹介にはなりますが。
「中抜きおじさん」なので自分が直接手を動かして実作業をすることはまずありません。
やるのは他の会社に実作業をふることと、発注元や上司に向けた資料作成ばかりです。
業務が無事完了しても「ここは俺がやったんだよな~~~」と思う部分は全くありません。
なので「あの仕事に関わっていたんですか~~~凄いですね~~~」と言われても全く響きません。
だって自分がしたのは業務発注の交通整理だけで、最終的に自分が手を動かして何かをやったという実感はないのですから。
反対に「あの仕事ってここが駄目だったですよね~~~」と言われると自分の責任を猛烈に感じてしまいます。
もっと早く発注をかけられていれば工期にもう少し余裕があっただろうにとか、この仕事はあっちの会社にやらせた方が効率的だっただろうなとか、そういったことが頭をよぎります。
クオリティコントロールにおいても、自分がビビらずに毅然とした態度で接していれば曖昧にせずに済んだ部分が数多くあったはずだと頭を過ぎることばかりです。
何より辛いのは実際に「まだ終わってないのか」「もっと上手くやれたんじゃないのか」「コミュニケーション不足だろうが」という非難を受けることです。
なまじっか自分の手元にはいくつかの選択肢があったわけですから、その中で他の道を選んでいればというタラレバが頭の中でずっとグルグルしてしまう。
その癖して「今回はよかった」「流石ですね」と言われたときには、「単に今回は予算があっただけだよ」「結局褒められているのはウチの会社のネームバリューや人脈でしょ?」としか感じ取れない。
仕事をすればするほどネガティブな感情が溜まっていくのに、プラスの感情は全く蓄積されない。
足りない分の精神力は日常生活の中で少しずつ回復する分から吸い取られていくので、仕事をすればするほどにただただ衰弱していく。
もう仕事なんて全くやりたくない。
頑張って仕事をするほど仕事を増やされてドンドン心が痛めつけられ、仕事をしなければ結局仕事上の失敗が積み重なって心が押し潰されていく。
辛い。
仕事を通して「俺って今回に限ってはよくやったよな~~」ぐらいのことを感じたい。
この仕事をしていると他人に何を言われても「結局お前は俺が管理している財布の中身にしか興味がないんだろ?」「ハンコを押してくれればあとはどうだっていんだろ?」という気持ちばかり湧いてくる。
持ち上げられようが貶められようが、予算と承認をこっちから引き出すための権謀術数に過ぎないんだろうなと穿った気持ちでしか考えられない。
もう何もかもが嫌だ。
自分の手を動かして出来たものを眺めて自己満足に浸れるような仕事をしてみたかった。
そう思って入ったはずの業界だったのに、気づいたら右から左にものを流すだけの仕事をしている。
何も面白くない。
俺のやっていることは電話交換手と何も変わらない。
それが本当に単純作業で脳を殺して働けばいいだけなら耐えられたかも知れない。
実際には複雑なパズルだったり間違い探しだったりをいくつも繰り返した果てに、やってきた仕事をほぼ丸投げするだけの仕事をしては、存在もしない満点を基準に罵声を浴びている。
そもそも元請けが直に作業者に発注していればよかっただけじゃないかという憤りと、もしもそうなったら自分たちは仕事を失うのだなという焦燥感と、そもそもそれでいいじゃねえかという逆ギレがいつだって入り混じっている。
仕事が辛すぎる。
転職したいが、この仕事を通してなにか能力が身についたとは全く思えないし、そもそももうこの業界でもこの業態でも働きたくない中で、どうやって他所に逃げれば良いのかもロクに思いつかない。
なんだかもう世の中が全部嫌だ。
どの仕事をやっていても、結局自分の性格だと同じように感じるのだろうか。
実際に手を動かして仕事をした所で「元請けが取ってきた仕事を単にやっているだけのロボットでしかない」と感じ、それでいて「俺がもっと細部を煮詰めていればもっと良いものが出来たはずなのに」と悩んでいたのだろうか。
そしてどこまでいっても褒められた時は単にその立場そのものが持つ機能への称賛だとしか思えず、ネガティブな言葉は自分に多くの責任があったと感じて落ち込むのだろうか。
どうすればいいんだ……。
邪神ちゃんへの公金支出が不適切だということが富良野市で問題視されている。
そもそもブラックなノリの作品とコラボすること自体どうなんだ?と思いつつ自治体との意思疎通はある程度できているのかと思っていた。
しかしそれが不十分だと分かった今、作品の処遇について慎重な検討が要される。
別に今すぐ封印しろとまではいわないけど、妥当性について関係者とヒアリングして公表するなりしてほしかった。
でもツィッターでは「話題になったので例の話公開しまーす」と富良野に後ろ足で砂をかけるマネをしている。
真摯な問いに悪ノリで返されるのは誠実ではないし、「こういうことをする作品なんだ」と色眼鏡で見られることになる。
邪神ちゃんの本編(コラボ回除く)だが、「邪神ちゃんとゆりねのバチバチの戦い」という作品の軸がぶれていないのは大きな強み。
長期連載だと作品の軸がぶれまくってグダグダになる作品も多いが、そうならないようクオリティコントロールされているのはさすが。
アニメもあの名作『帰宅部活動記録』を手掛けた佐藤光監督が原作の良さをさらに伸ばしており、スタッフ選定の良さがうかがい知れる。
観てないし読んでないです。
で、インターネットのマイナスな感じの盛り上がりだけ見て思ったこと書く。
こうtwitterなんかで漏れ聞こえてくるあれこれを見てる感じだけど、全体的に企画屋なり広告代理店なりの中で働いてる仕掛け人が下手なんだろうなって感じがする。逆に言うと単純にそれだけなんじゃないかと。
(なお俺は作者のアイコンが変な美大生みたいな自意識を感じさせて嫌いです。あれだけでマイナス2000点くらい入れたい。)
話を戻す。
大雑把に悪口系名推理をすると、「若くて経験が浅くてセンスは普通寄りで、だけどビッグマウスでお偉いさんからの期待そのものは高い」タイプじゃないかな。
若くて経験が浅いって言うのはなんか細かい所で無駄にマイナス点を稼いでる所から。
グッズとか宣伝周りの細かい所が下手なのはtwitterとかで流れてくる通りで、単純には「もっと上手くやれよ」って思ってしまうんだけど、そういうのクオリティコントロールとかないの?もしくはあっても軽視しちゃった?といった感じ。若いですね。
個人的に、そういう所って経験でなんとかなっちゃう、経験さえ積めばなんとかなっちゃう部分だと思っていて、なので仕掛け人の経験が浅いんじゃないのといった話。
安い変な業者使ったから駄目になったとかそういうのはちょっとよくわからない。詳しい人教えて。
安くて上手くやってくれる業者を知っていたので上手くやれたみたいな話は逆には当然あると思うけど。
この辺り、そういうの面倒見ることのできる経験豊富な補佐とか付ければもっと上手くやれた可能性はあると思うんだよね。そういうタイプには嫌われてそうな気がするけど。
センスが普通寄りっていうのはインターネットのこの辺で好まれるタイプのセンスではないという意味。
ただし今回これは致命的で、この作品をそういう層にそういう売込みするにはまだまだアピールが足りてない。この辺が正直一番デカい不足ポイント。
少なくとも映画館ガラガラで笑ってしまったみたいな話が流れてくるくらいには下手。
逆に普通の人(時々思うけどこれもっといい表現欲しいよね。)を一切切り捨てるようなタイプの物を、そういうつもりでやれば上手い事送り出せるのかについてはちょっと不明。
出来たら格好いいと思うけど厳しい気もする。
ビッグマウスでお偉いさんからの期待そのものは高いというのは単純に相当金掛けてるよねこれという意味。
こんな無名っぽい作者(悪口っぽいけどそういうつもりは特にないです。)の、しかもインターネットでやられていて見てる人の範囲が死ぬほど狭そうな作品に対してこれだけ金を掛けさせてもらえる程度には期待されてるんでしょうといった。
映画館が例え今この状況下で放映するものがなかったとしても、それでも上映回数と映画館の数は純粋にすごいよね。
あとはこんな作品(悪口っぽいけどそういうつもりは特にないです2。)でやるぜ!やってやるぜ!みたいな辺りはかなり強気っぽい。自信過剰というか。
立ち上げの所から仕込み入れたのか始まってから仕込み入れたのかは知らない。そんな話があったのかもしれないけど特に調べる気は起きないです誰かよろしく。
まあでもそういう人間でないとやっていけない業界なんだろうな。知らんけど2。
上で書いた嫌われてそうみたいなのはこんな感じ。みんな反目しあえばええ。
でー、そういう変な所の落ち度は多分叩こうと思えば無限に出てくるんだろうけど、能自体は多分あるんじゃないかなーという感じがするんだよね。
売れなかったにしてもこれだけ大きく動かしたことそのものは有能ってことでいいんじゃないかなと思う。
繰り返すけどやり方が上手かったらもっと上手くいってたと思う。
それはそれとして作者のアイコンのセンスが好きじゃないけど。これは完全に俺の好みなのでどうでもいいが。
あとついでに、こういう時の評価軸って基本的に2種類あると思っていて。根本的な発想とかそういうレベルの良し悪しと、細かい部分の上手い下手がある。
上で書いた通り、細かい部分は非常に怪しい。
根本的な発想の部分での落ち度としては、やっぱり客層をもっと考えて相応の広告をかけろやってのはまあ致命的だけど、これについては何割か怪しい所ではある。
単純にもっと金掛かるし。それもすごい額かかるやつ。
インターネットで上手くやってバズりましたみたいなのとは数桁違うレベルで金掛かるでしょ。
流石にそこまでは許されなかった、とかがあるんだったらまあ仕方がない部分なのかなって思わないでもない。
赤出すくらいなら掛けろやって思うけど。
勿論金掛けたから上手くいくかというのはまたそこでもう一判定二判定あるだろうけど俺は知らない。
俗に言われる「現場が上手くやっちゃいました一本で全部うまくいくぜ」って話と、「そういうのやめろもっと根本的な発想とかそういう部分を作り込め」って話のバランスね。
前者、突き詰めると「上手くやれ」で終わっちゃうのであんまり面白くなくて。
勿論こういうこと言ってるから労働だのなんだので人間に求められるハードルが無限に上がっていきます。
ちゃんとやる、ちゃんとやれ、上手くやれみたいなのはそういう話です。俺が、俺が人民の敵なんだ。嫌だね。
でー(2回目)、仕掛け人氏の今後については会社が大目に見てやるかどうかじゃないのかねー。
今回のワニのやつ、赤は赤で大赤だと思うけど当人の経験値としては間違いなくデカいし、あとはまあそういう所で働いててそういうやつって口八丁は上手いだろうから、今回すごく経験積んだので次こそは上手くやるんだぜとか言って上手く生き延びるんだろうなって思ってる。
それはそれとしてワニのセンス好きじゃないのでこういうの連打されると普通に嫌だけど。
でー(3回目)、こういう時にその業界の中の人っぽいのがそれっぽい話を投げてくれるのが増田の数少ない良い所だと思っているので皆さん頼みましたよ俺はそういうのが読みたいんだ。
最近見ないけど一時やたらジャンプ編集部の創作理論みたいなのが流れてきてたよなあ。
あれも大概だなあと思いながら読んでたんだけど、だってさ
結局ジャンプとかはジャンプらしさという枷から抜けることが出来んのだと思う。
なんかこれも一時だけどやたら自慢げにドラゴンボールのゲームが傑作揃いなのは俺らがクオリティコントロールしたからだ!
とかとりあげられてたやん。
あれをみたらわかるやろ?
ドラゴンボールらしさ、とは何か?ということをバンダイの奴らに深堀りさせてるわけやん。
あの〇〇らしさな、そこから集英社とか立派な会社に入っとる編集者はぬけれないんよ。
なにをつくらしても〇〇らしさ、という理論を持ち出すんよ。
これは宿命的に。
なんでかっていうと、彼ら自身が自身の個性の中の集英社らしさ、というものを選考されて選ばれた人々だからなんよ。
要するに、自分ら自身が会社に選ばれた理由みたいなのを無意識に漫画という世界にも持ち込んでしまってるんよ。
音楽の楽曲は一般的に上記のような表現で酷評されるのは稀、というかほぼ見ない気がする。
もちろん、某アイドルグループの楽曲とかが定期的に炎上したりしているけれど、それは楽曲をとりまくコンテキスト含めての評価であって、
楽曲自体をひとつの創作物としてみたときに芸術的価値はさておき、その造形の完成度の水準で貶される状況は、
くらいのモノサシくらいしか思いつかない。前者については、ちょっとこれもコンテキストな領域の評価で、造形そのものの完成度の評価とはやや次元が異なる。
歌唱力については、マスタリングの過程でリズム・音程ともに補正できちゃうのでそもそも問題になることは特に近年は稀に思える。
The Beatlesのオブラディオブラダである、というのは何となく知っているけれど、
イギリスはじめ海外ではいざ知らず、日本において本曲がクソ曲として扱われるということはなく、
むしろかなり人気のある部類だろう。イントロのピアノはさすがにどうかと思うけど……。
(もちろん英国本国でも批評家をのぞき一般的には人気がある可能性もあるけど)
日本でも宇多田以降、一時は「小室ファミリー」的なる状況が邦楽の音楽の水準を下げた、あるいは多様性を失わせたみたいな言説があったように思うけど、ある楽曲単体の出来の巧拙の具体的な評論、評価があったかは思い出せず。
映画やゲームが、コンテキスト抜きでパッケージングされた創作物としての評価で
カジュアルに「クソ」の烙印を押される一方で、少なくとも日本においては楽曲がそれらの評価から自由なのはなぜだろう。
いくつか仮説を考えてみた。
●コンテンツの価格が各種エンタメの中で低く、拘束時間も短いため、損を感じにくい
●音楽が言語と相性が悪く、そもそも評論と不向きである/コンテキスト抜きでの楽曲の評価の知見が不足しているか広く共有されていない
●コンテンツに関わる人数が比較的少なく、クオリティコントロールが容易
●最低限リズムと音程が破綻していなければ視聴する人間は不快にならないのかも
●視覚的な表現に対して、聴覚に依存する表現のリテラシーが低い(というか生体的な感覚器の精度が視覚と比べてやや大雑把な可能性)
●「ヘタウマ」という言葉がある通り、実は表現の巧拙はそこまで重要じゃない(この辺、おとなりの国と結構対照的な気がする)
と、何となく考えたところで、日本において(ある程度名の知れたアーティストがリリースした)クソ曲って存在するもの?
また、楽典とか音楽の専門的教育を受けた人からすれば、実は楽曲の造形的なよしあしって明確に見えてたりするものですか?
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【以下追記】5/25 0:50
予想外に伸びててびっくりした汗
読み返したら超読みづらい上に誤字脱字多く恥ずかし…
トラバ&ブコメ超感謝です。めちゃ勉強になりました。ありがとうございます。
もう事実上活動していないあるバンドのある楽曲がめちゃくちゃ好きで、
というかひとつの作品としてものすごく美しさや言っちゃえば聖的なものさえ感じるのだけど
自分にはそれを言語化することが一切できなくてずっとモヤモヤしてて。
ボーカルは音程危ういし抜けが悪いし、サビらしいサビもなく(10分ほどある曲のうち多分半分もメロディーラインがないのでは)
個人的にはすげー好きな展開も冗長といえば冗長かもしれずで(天国への階段ぽいかも)
多分何てつまらない曲なんだと感じる人がほとんどだろうなーとも思うわけです。
毎年この時期になるとその曲の凄みみたいなものを何かしら言語化できないもんかなと思いつつ、
やっぱ無理ね、となるのです。
じゃあ明らかに作品として不出来と評されている楽曲って流通してるもんかな(自分は知らないので)と疑問に思い
https://anond.hatelabo.jp/oytc/20200108の補足その5
漫画の絵コンテを2回見るだけなので打ち合わせが30分で終わると言う鳥嶋。
ゲームに関してもビジュアルだけで即決で判断しており、鵜之澤に
と言われている。
確かにビジュアルだけでの判断なら即決できるし、仕事が速いと自称するだけのことはあるのだろう。
しかし、その監修には疑問がある。
ドラゴンボールのTVアニメの脚本を毎週チェックしていたというわりには、アニメのストーリーは原作に追いつかないために先週までのまとめと引延ばしばかりで恐ろしくダラダラしていた。
劇場版の方は同じようなパターンの繰り返しで子供が観ても「またか」と言いたくなるようなストーリーだった。
もしかして、ビジュアル重視な一方、シナリオの判断はできないタイプだったのではないか?
もしくは、鳥山や桂、平松伸二などのように、ダメ出しを繰り返しても大丈夫な(超人的)体力のある作家相手じゃないとコントロールできず、アニメの脚本家相手にはそれができなかったのではないか、と推測される。
https://togetter.com/li/1424967
この件が気の毒すぎるんだがこれサービスの構造として仕方ない。
依頼側にクオリティコントロールが委任されすぎなんだ殆どの既存コミッションサービスは。
そんで絵描きは絵を描くことにプライド持ってると思うんだが、サービスの性質上絵描きはただのお絵描きマシンで、依頼側はお絵描きマシンにお金を払うと自分好みのカスタマイズされる絵が出てくると思いやすい構造になってる。個人評価とかどうでも良くて「あ、この絵が好きだから頼もう」という構造になってる。分かりますか「絵描きとしての自分」は見られてないんですよ。
加えて依頼側は事前に制定した金額を、予め支払う。CtoCでのとりっぱぐれが発生しないようにするためなのだが、これによって依頼側は「もう金払ってるのに」という気持ちで相手に依頼することになる。すると依頼側は強い立場になる(と思い込む)お絵描きマシンに金突っ込んだんだから、あとは私の納得のいく絵を出力してくれよ、と。
上記リンクの件はとんでもない言いがかりだなとしか思わんのだが、依頼側が加熱しているのには「先に金を払ってるんだ」という気持ちの問題が強い。だがこの構造が無いとコミッションサービスは成立しない。故にこの問題は避けられないし今後も増えるでしょう。依頼側と絵描き側に精神的な断絶が大きいんだもん。絵描き側はプロとして仕事しようと思ってても、依頼側にとっては有象無象のお絵描きマシンの一つが気にいったから金を突っ込もう、でしかない。そんでお絵描きマシンは日々増えている。そんで残念なことに絵描きの時給はクソ低い。絵にまつわる個人・産業すべての値付けのせいだと思う。依頼側も完全に麻痺してる。(一部理解のあるクライアントはもちろん存在する)
そんな中で最近skebというサービスは結構良いバランスになってる。
依頼側はほしい内容を送り金を払う、あとは待つだけ。絵描きは絵を用意して、納品ボタンを押したらそれで納品完了。依頼側からのリテイク云々は無い(出来ない)。絵描きが納品したらそれで完了。さらに著作権の譲渡は一切無く、全て絵描きに帰属することになっている。このサービスは、構造的にお絵描きマシンではなく、気に入った絵描きに金を払って自分のリクエストを描かせる仕組みになっている。絵描きへ投げ銭したら絵が返ってくるような仕組みだ。リテイクも著作権譲渡も無いのだから、客はその時点でふるいにかけられる。その絵描きを好きだったり絵を好きだとか、この絵描きに◯◯を書いて欲しい、などお絵描きマシンではなくしっかりその絵描きへの依頼になる。加えてサービス外部での打ち合わせなどまで禁じている。依頼側にとにかく裁量が無い。一方で絵描きも自分が納品裁量を持つから、適当なものは描けない。ポートフォリオとして残るから、適当な絵を収めることはリスクになり、ある程度緊張感を持った作業になる。
コミッションサービスとskeb、共に「欲しい絵を依頼する」に変わりないんだが、精神的な構造が前者は依頼側圧倒的優位、後者は製作者側優位になっている。とくにフリーランスは、後者の方で金をもらえるような紐付けを普段の活動の中でしていかないと絵で食っていくのは到底不可能だと思ってる。前者を続けるなら企業に入って粛々と絵を書いてた方が全然食えるし余計なトラブルも少ない。指名される立場にならない限り、こんなに日々有象無象に絵描きが量産される中で飯食うとか夢のまた夢だ。そしてお絵描きマシンには地獄案件が降りかかる。
その演出家をA氏とする。
各話演出でかなりエッジの効いた演出をする方だったので、「やったー!TVシリーズ丸ごとA氏節で染め上げられたアニメが見れる!」と喜んだのだけど、いざ始まってみると、認識が間違っていたことに気付いた。
第1話はコンテ・演出がA氏だったので、それはもうA氏節としか言いようがない、自分が求めていたモノだったのでかなり喜んだ。
しかし、第2話以降、A氏がコンテを描くことはなかった。
TVシリーズでは、監督が全体のクオリティコントロールに時間を割かないといけないため、絵コンテを手掛ける余裕がないのだ。
たまに全話コンテ描くような人もいるが、アニメ業界のスケジュール的にそれをやれるのはレアケースである。
A氏が監督として全体を指揮しているものの、第2話以降の演出は、A氏節を薄めたようなものだったり、各話演出の人の個性が出たものだったりした。
エースにキャプテンを任せてみたら活躍の機会が減った、みたいな感じ。いや、キャプテンが監督になったので試合に出なくなった、かも。
考えてみればエヴァだって話数によってかなり演出にばらつきがある。庵野節なんて部分部分にしかないな、と。
ウテナだって演出が全編イクニ節ってわけでもなく(設定のアクの強さでだいぶイクニ節になってる気がするが)、橋本カツヨだったり金子伸吾だったり松本淳だったり錦織博だったり風山十五だったりのスタッフがいたから成り立ったわけだし。
そもそも自分がA氏に注目したのが各話演出だったのだし、初めからそういうものだったわけだ。
監督が演出の実力に長けていても、それを全体に浸透させることができるとは限らないし、そもそもその演出を理解して実現できる人材がいないといけないわけで。
やっぱアニメって一人で作ってるんじゃないんだなあって思った。
マニュアル接客は、低コストで一定のサービス品質を担保するための仕組み。
安い給料でワン・トゥ・ワンのサービスを本気でやれる人なんて存在しないと思うよ。
それをもって日本的なおもてなしとか美徳としているなら勘違いだと思う。
高い金を払って、高コスト・高品質なサービスを受けたらわかるのでは。
国際線のビジネスクラスとか、五つ星ホテルとかだとそれこそきめ細かいサービスで、全然違うと思うよ。
自分は北米在住経験があるけど、日本以外だとマニュアル接客すらできない、自己流の店員が多くてマネージャーが苦労するって聞くよ。
これはファーストフードとかのケースだけどね。
自己流のサービスが顧客から高く評価されるかどうかは、本人の資質、モチベーション(多くの場合給与レベル)に大きく左右されるから、
クオリティコントロールが難しい。ただ、北米ではチップの文化があるから、それがモチベーションとサービス向上につながってる面はある。
海外からみると、日本はどこにいってもチップすらないのに、高いサービス品質を出せるほうがすごいって言われることのほうがほとんど。
このタイミングで書くと監督交代劇の話だと思われるかもしれないが、自分が言いたいのはWUG新章のスケジュール破綻の問題の方で、そちらではない(いや、そちらも問題ではあるのだが……)。
見てない人はわからないかもしれないが、WUG新章というアニメは、完全にスケジュールが破綻しているのが映像から誰でも読み取れるほど酷いクオリティになっている。
TVアニメのスケジュール破綻の話は昔からある話で、有名なものではヤシガニで有名な『ロスト・ユニバース』だったり、『夜明け前より瑠璃色な』のキャベツだったり、『MUSASHI-GUN道-』だったり。
このアニメはそれらと肩を並べてもいい、というかそれ以上にアニメ業界の闇を凝縮したヤバいシロモノなのではないか。
『SHIROBAKO』で、動画が溶けて作画崩壊しているのを「プルンプルン天国」として揶揄されるような描写があったが、WUG新章はプルンプルン天国の域にすら達していない。
動画が溶ける以前に、動画がほぼない。作画崩壊ではなく、絵自体がほとんど上がってきていない状態なのだ。
会話は背景の一枚絵を数十秒間映して凌ぐし、キャラクターも基本は動かず、スライドするような動き方をする。
こんな未完成の状態で放映に踏み切るという状態が、特に何の対応がされることもなく放置されているというやばさ。
炎上したり、叩かれたりするのを望んでいるわけではない。
ただ、こんな状態が放置されているのはだめなのではないか?という話だ。
WUGは1期でも既に作画崩れてたじゃん、という話もあり、おそらく製作委員会に問題があるのだというのは推察できるが、状況はかなり違っている。
WUG1期の制作は、監督の所属していたOrdetがメインだが、タツノコプロと制作協力するという形をとっている。
Ordetは単独で元請けをしたことはなく、劇場版中編+TVシリーズ12話という量を(おそらくは緊迫したスケジュールで)作り切る体力があるわけなく、老舗のタツノコプロが協力する形となったわけだ。
それでもスケジュールは厳しく、12話中6話をグロスで外注するという事態になっている。
そして、放映後にOrdetが自腹でリテイクをしてパッケージで修正をしたという話らしい。
一方、WUG新章の場合だが、こちらは『てーきゅう』などで知られるミルパンセが制作を単独で元請けしている。
ミルパンセも30分のTVシリーズを単独で元請けした経験はない。
資本金300万の規模の決して大きくない会社が、単独で制作することになっている。
予算がないのかこだわりなのかはわからないが、グロスに撒くということもしていない。
これでは力尽きるのも当然の話だ。
よく作画が崩壊すると監督が悪いと言われがちだが、監督や制作スタッフがコントロールできる範囲は作品制作の範囲内だけである。
監督がするのはスケジュールコントロールではなくクオリティコントロールである。
今の製作委員会方式では、制作会社は委員会に参加していない場合が多い。
そのため、様々なメディア展開を鑑みてスケジュールを製作委員会が組み、制作会社にアニメ制作の依頼を出すというのが基本となっている。
だから、アニメ制作スタッフができるのは、限られたスケジュールの中で、どの話数にどれだけの、どういった人員・時間を割くかというクオリティコントロールである。
「監督の人望があるかないか」についても、監督の伝手がきかせられるのは「ここはどうしてもこうしたいからこの人に頼みたい」というヘルプ的な要因がほとんどであり、ほとんどの制作は当然だが制作会社が行う。
そして、体力のない会社はフリーランスのスタッフに頼るしかないが、制作本数の多い昨今、そんなに簡単に人員は集まらない(ここで制作進行が苦労する)。
というわけで、WUG新章は製作委員会のムチャなスケジュールに振り回されて、未完成のまま放映せざるを得ない状態にある。
放映されたものを見る限り、そんなことは最初の数話(もしかしたら制作が始まった時から)の時点で明らかであったとしか思えない。
にもかかわらず、放映延期という措置はとられず、6話放映後に実写番組を1週挟んだのみだ。
声優ユニットの方のイベントスケジュールがあるから延期できないという噂までたっていたが、真実は当然わからない。
最近は制作上の理由で放映延期をするアニメは多い。『レガリア』は4話放映時点で、放映延期を決定した。
今のWUG新章はもう「少ない素材でいかにして30分もたせるか」という縛りゲーをやっているようにしか見えない。
破綻したスケジュールのせいで満足な演出すらできず、スタッフも実力を発揮できない状態にある。
スタッフや声優は頑張ってるんだからと大目に見てあげる、というのはたぶん違う。
この会話ログはフィクションであり、実在の人物・地名・団体とは一切関係ありません。
坂木
わろた
坂木
自分が理解できないものを意味がないと思いこみたがるタイプの人だということがよく分かったので原文を読まずに済んだ。ありがたいまとめだ。
安原
NTPsec が,ownership を理解していない開発者たちの声が大きくなるようなコミュニティによって開発されているということが分かって大変有意義でした(こなみかん
宮森
今までCで開発してきたプロジェクトを移すなら極端な話ownershipを理解しなくても良いわけで、悪くないのではと思う。
宮森
……が、理解できないものに対して、理解を試みず~すべきだ~と設計しろ、っちゅう人が作るソフトとはちょっと関わりたくないと思う。
安原
いや,私は C で開発してきたプロジェクトであるならばなおさら ownership を理解していないといけないと思います. ownership に理解を示さないコミュニティが関わってきた一定規模以上の C によるプロジェクト……私の第一感は「こわ…近寄らんとこ…」です.
宮森
いや、Cで開発してきた人たちって、ownershipを自前でコントロールできると思っている(思い込んでいる)人たちですんで……こわちかは同意。
安原
いや,私は C で開発してきた人たちの多くは,そもそも ownership の概念を獲得していないのではないかと危惧しています.元々,私はもっと楽観的で,多くの C プログラマは ownership の概念を獲得していると思っていました.
宮森
安原
OpenSSL の騒動の時,関数の途中で return したことによるリソース漏れを揶揄したことがあります. OpenSSL のようなインターネットの基盤を支えるオープンソースプロジェクトにおいてさえ, ownership の概念を獲得していれば脊髄反射で気づくであろうバグが随所に見られたことには本当に絶望しました.
安原
藤堂
安原
むしろ C++ によって ownership という概念が明確になり,その重要性が認知されるようになったのではないでしょうか? これについては,私は歴史的なことが分からないので真偽のほどは何とも言えませんが.
宮森
シニアな開発者にしかC++/Rustが受けないと思うの、まさにその点だと思っていて、人類を信頼したがために足どころか頭を吹き飛ばす経験を積んでいないからだろうなー、とか。
宮森
OSとかシステム系のプログラマの人々、基本的にリソースは人間が適切に管理するし管理できると考えている人が多い印象([検閲削除]社時経験)。言語側で安全を確保したい、的な話をしても相容れなかった記憶が。
坂木
[検閲削除] のコードには、間違って自分の足どころか頭を撃ち抜いてしまった偉大な先人たちの知恵が詰まっていて、開発していてとても勉強になります。なお [検閲削除] は頭がなくなっていることに気づかずゾンビとして生きている模様。
今井
今井
リソースどうこう以前に、そもそもちゃんと構造化されてるコードが書けるかも怪しい(個人の感想です。見識にバイアスがかかっている可能性があります)
安原
うーん,数値計算系のチームやコミュニティも ownership の概念の獲得,重要性の理解,その管理を自動化することへの理解,これらを期待するのは難しいだろうなあ…….そもそも高度なリソース管理が必要になる場面少ないし…….
坂木
コードの品質が強く求められるプロジェクトとそうでもないプロジェクトがあるからなあ。クライアントサイドソフトウェアは割と品質が求められる気がする。
安原
OS 実装とかシステムプログラミングって,クライアントに直接接しないだけで,その上にクライアントサイドソフトウェアが載るわけで,コードの品質が強く求められると思うのですがそれは…….まあ, API とかで切り離されているので,そこだけしっかりしていれば,という話はあるか.
宮森
坂木
今井
あとは、デモが作れればいい、的なのも同じかなぁ。
宮森
宮森
安原
今井
まー、 offline で動くバッチ、的なのはそこまでメモリ管理とか / パフォーマンスとかにもシビアにならなくていいし(最悪オーダーがほどほどならよい、的な)、そいう文化にいると、雰囲気にのまれる人が多い、というのはまぁわかる。
坂木
今井
宮森
いろいろ言っていますがワタクシ、そういう管理が必要なプログラムは全く書けなくなりましたので今書くと死にます(プログラムと顧客の大事なデータが)
安原
しかし,システムプログラミング界隈に「人間はリソースを適切に管理できる」という悪しき信仰がはびこっているの,何か構造的な原因があったりするのかなあ?
宮森
システム系、基本的に生のハードウェアが透けて見える言語を使う必要があって、そのために選択肢がCしかなくて、手段が限られているからこそ信仰が発生した、という認識
宮森
宮森
坂木
Linux カーネル、一体どうやったらあの規模のコードをクオリティコントロール出来るのか本当に不思議
安原
坂木
Linux カーネル、属人性高そうではあるけどそれでも実際に十分スケールしているからなあ…… ヤバい系レビュアーがごろごろしているのかな
宮森
安原
私も [検閲削除] のコミュニティを見てましたから,各々必要なドメインにおける圧倒的なタレント性を持った人たちが1ヶ所に集結して奇跡のアンサンブルを奏でうる場合がありうるのは理解しているんですが,本当にただの奇跡でしかないと思っています.
宮森
つーても機械エンジニアリングで町工場の職人芸を必要であれば使うように、属人性を求めるのも一個の正しい戦略だと思うんですよね。
宮森
なおその対極がみずh(省略されました
安原
Linux カーネルにおけるスケール云々は, Linux カーネルのコミュニティ自体におけるスケーラビリティではなくて,(システム)プログラミングコミュニティ全体(他のプロジェクト)へスケールするかどうかを言ったつもりでした.
坂木
宮森
C系がシステム系で優先されるの、ツールを変えるとツール独特の罠があるので、罠が全て分かっているツールを使う、っつうのもあるな。
安原
> システム系、基本的に生のハードウェアが透けて見える言語を使う必要があって、そのために選択肢がCしかなくて、手段が限られているからこそ信仰が発生した、という認識
これが原因だとすると,やはり Rust だ……Rust しかない…….ツール周りとか,まだまだ未整備な部分たくさんあるけれど……そこをクリアすれば…….
坂木
坂木
イテレータっていうか Java でいう Scanner を作ろうとしたんだっけ。サードパーティライブラリも探してみたけどその頃は I/O 周りの API が unstable でビルドが軒並み壊れていたりしたな……
藤堂
1.0 以前のことは忘れましょう (本当に unstable)
安原
坂木
安原
「Rust 経験者」という条件でプログラマを募集して,それで入ってきた人材に C を書かせればよいのでは!(ピコーン!
藤堂
犯罪ですよそれは
安原
はい.
藤堂
安原
まさにそれをイメージしていました.
宮森
藤堂
うーん、それ以降の話は知らず
今井
Rust そして誰もいなくなった、にならないかが一番心配だったりする
安原
それな
宮森
もしかして、NTPsecの人がRustでミニサーバーを起こすのにすら苦労していたの、普段からバグありのコードを生産しているからなのでは、という気がしてきた……。
(この辺で一同寝落ち)
という「個別論ではなく全体論」ということなので、身バレもないだろうしそのへんに絞ったレスをしてみたいと思います。
ああ、一個上のP付きっす。
その前に軽く触れると、自分は出版系のIP管理からアニメにもゲームにもアプリっぽいのの制作にもPで参加したことが有るという立場の増田です。なので、アニメにそこまで肩入れした擁護はないので、そのへんは差っ引いてくださいませ。
まず
という点なんだけど、それは概ね事実としてある。アニメは制作さえ決めれば空中爆発率は低いし、動く絵としてものは出来上がってくる。
それは「完成して出て来る」ってのを至上命題として業態/業務か出来上がってるからっていう部分がまず第一に大きいです。
だって予告して、放送枠取ってそこにV(=動画)が到着しなかったら放映できないでしょう? 良くも悪くも「タイトな締切に間に合わせてでっち上げる」ことが常態化しているし、そのためにいろんな仕組みが整備されている。深夜まで作業するのも常識になってたりもする……。ゲームやサービスみたいに「クオリティのために延期」というのが「ない」って言う前提で動いているんですね(総集編っていうのは、だからこそ本来例外だし、やばいわけっす)。
でもそれは前提であって「完成する理由」にはなっても「そこそこまともになる理由」ではないですよね。「そこそこまともになる理由」は、個人的には以下の2点があると考えています。
ゲームとかマンガとかWebサービスなんかに比べて、アニメは制作スケジュールとかチームの規模感みたいなものの前例が豊富で強いです。12話1クールを作る人数はこれくらい、必要な役職はこう、時間はこれくらいかかる、そのためのお金はこれくらい。
そういう規模感がはっきりしてる。
だって1シーズン数十本も作ってるんだから、そりゃ数字もつみ重なる。
プロジェクトハンドリングはたしかに属人性が高いけれど、こういう数字まで共有されていないわけではないです。むしろ、一般常識化しすぎてて話題にすらならないほど強固に存在します。そこから外れた作品が皆無というはなしじゃなくて、その規模感から外れるにしろ「規模感という地図を持っている」ことに大きな意味が有るって話です。
(特に工夫をしようと思わなければ)アニメ制作のバジェットは、穴埋め式のテンプレートみたいなもので、記入欄にスタジオ名とかスタッフ名を入れていけばチン!と出てくるようなものです。「スケジュール遅延による予算の倍増!?」みたいなトラブルは少ないです(劇場版では聞きます)。
製作工程自体も(何か変わったことをしようとしなければ)概ね予定通りに進みます。アニメ制作において制作の遅れは作画スタッフの不調とか、確保してたスタッフがうまく稼働できてないとかであって「技術的困難があって見込みが外れた」みたいな事例は少数です。そういう意味では製作期間も読みやすい部類に入ります。
アニメに比べれば、ゲームやWebサービスや新製品開発は、闇の中を手探りで地図もなしにうろついているようなものに見えます。逆にそちらからアニメを見れば、一度作ったもののテクスチャ張替えをして類似商品を量産しているようなものです。
この構造はクオリティコントロールの意味では強いです。要するに初期予算を部門ごとに配分して、それを話数で割って、出来ることはできるし、出来ないことは出来ないって話だからです。これがそのまま職人的な監督のこだわりに対する手綱にもなってます。だって、ここでそのお金つかっちゃうと、こっちが足りないですよね? 無理ですよね? と説得が出来るからですね。
個別の現場の話で言えば、それをやりくりとか、追加予算をひねり出すとかもPの仕事だけど、前提として上記みたいな構図が有るのはハンドリング面では楽ができる要素です。
という指摘に対する返答が今回の中心なんだけど、「まとも率」ってなんだろう? って言う問が答えのヒントです。
すごく大雑把な話をすると、アニメには(というかコンテンツ制作には)2種類の方向性があって、それは「外れるかもしれないけれどバットを思い切り振り回していこう、当たればホームランだぞ!(はずれれば三振だが)」というのと、「とりあえず進塁打めざしましょ、コケそうになっても最低限くさいバントして大コケはしないように(でもその打法でホームランは出ない)」の2種です。
どっちがいいというものじゃないですが、とにかくそういうふたつの考え方があります。全てのPは例外なく今手がけている作品をどちらにするか考えます。
もちろん現実にはもうちょっと細かいです。たとえば、ある作品は全体的には手堅くバント狙いなんだけど、音楽だけは超ゴリゴリのインディーズ起用でギャンブル、とかもあります。声優だけ豪華! とかも。無名だけど実力があって伸びそうなスタッフを中心部に据える冒険というのもあります。とにかくあらゆる判断において「大当たりを狙って強振」か「手堅く固める」の判断があります。
ここからが非常に夢のない話になるのですけれど、アニメは(とくに地上波の週刊アニメでは)どちらかというと「手堅く小ヒット狙い」なメディアなんです。だから「最低ラインでもまとも率が高い」という結果になっています。
なぜか?
理由は様々にあるんですが、本質的には生存戦略としてそれが(一応の全体認識としては)有利だからです。
あらゆる面で革新的で挑戦を行ってフルスィングをしていくと、三振討ち死に率が高い。ホームラン率3%で三振60%で残りがポテンヒットみたいな印象です。しかもこのフルスィングは、そもそも予算を大きく要求しておいてこういう結果になることが多い。
そこへいくと、小ヒット狙いのコンパクトスィングは、35%三振(=赤字)40%バント34%ヒットで、実はホームランも1%くらいは出るかなー? みたいな構造です。
もちろん、安全性と飛距離の両立ができる企画があればいいですが、それはとても難しいことがもうわかっているので、企画の全体も、細部もジャッジしてどちらかに振っていかなければならないです。
アニメの場合は、しかもその判断を製作委員会(もしくはそれに準ずる意思決定機関)で合意しなければならない。多人数での合意なので、どうしても「安全策」が採用されがちです。
(余談だけれど、監督業の一番尊敬できる部分は、そういう安全への堕落に対して『いいや、今回はこういうチャレンジをする。僕等にはその力があるはずだ!』という果敢なジャッジをして、それに向かって猛進してみんなを引っ張れる部分だと思います)
夢も希望もないけれどこの「集団判断による安全策への流れ」がアニメにおいて「どれもそれなりに見れる作品になる理由」です。
もちろんそういう安全策ばかりでは1作品の勝った負けたに終止してしまうために、どこかでは冒険もしなければならないです。また、円盤の売上という一面的な勝敗判断以外にも判断基準はあります。
それはたとえば、社内への技術蓄積(この作品を作ったので3Dエフェクトの技術が社内に蓄積された)とか、スタッフの成長の舞台としての作品とかいう視点です。ファンの人が思っているよりもアニメスタジオはずっとそういうお金以外のことを気にして運営されてます(お金を信用してないとも言える)。
まあ、冷めた話をすれば、巨大な予算と巨大な人数をかけた企画において、夢物語なホームラン狙いが抑制されるのは当たり前の話です。バブル期のゲーム業界とか、アメリカンドリーム次代のハリウッドが異常だっただけで、億超えの規模動かしてれば慎重な方が当然です。
ライトノベルとアニメの相性が良いのはそこで、ライトノベルは個人制作でそれはつまりかかった予算が非常に小さいジャンルです。予算が非常に小さいということそのものが直接関係するわけではなくて、そういう個人制作小規模ジャンルであれば、(ある意味非常に無謀な)挑戦ができるということだからです。
他にも色々触れるべき点は有るかもしれないけれど、暇なので書いてみた「アニメの制作フローにQCのヒントが有るのでは?」に対してのお返事でした。思いつくままに適当に書いたので誤字脱字とか、文章の乱れとかあったらごめんなさい。
http://anond.hatelabo.jp/20110310015855
(cache) どうしても延焼したいらしいnanapiのスパム戦略について。。
http://megalodon.jp/2011-0310-0542-29/anond.hatelabo.jp/20110310015855
こんにちは!nanapiというサイトをやっている、ロケットスタートの古川健介といいます。ちまたではけんすうと名乗っていたりします。
トピックスとしては
です。
これはやっていないんですよねえ。
ここにいろいろ★がついてるIDがあるんだけど、ここについてるのは
まあ非モテタイムズですら5個くらいしかつかってないような捨て垢、サブ垢で、
ざっと数えた限りでも20個くらい稼働してるのね。
kensuuやasami81あたりに関してはメンバーですね。捨て垢とかサブ垢は僕の知る限り、使っていないのです。あと一応スタッフのidは把握しているのですが、心当たりあるとしたらそのくらいかなあ、と。
誰がつくったのかしらないけど見て取れる限りだいたい7~8ヶ月くらい前から
この機構は動いてるのね。まあいわゆる「ボットサクラ」で、nanapiがブクマされているように
そうなんですか?広告仲間が誰かわからないんですが、僕が友達のブログとかをはてブしているくらいしか覚えがないのです。7〜8ヶ月前というのも何があった時期かちょっとわからないのです。
巡回先にいれてもらうとかをしていないんでわからないんですが(勝手に入れられているならともかく)、はてなブックマークで上位をとったところで、トラフィックにたいして変化はないわけです。あと、5userついたらホットエントリに入るほど、はてなユーザーさんはバカじゃないので、たいした効果はないかと。
ここんところの会社はベンチャーキャピタルから3.3億もの出資を受けるための事業計画として
昨年末はギリギリ未達だった「1000万PV」をこの1年で10倍の1億、記事数は15倍の
15万本に増やすと宣言してるんだよね。
こですが、投資先にたいしていっている目標ではないです。事業計画が全然別にあるのすよ。
PVでの事業計画は一切だしていませんでしたし(記事数はだしていました)。スパムをやって達成できたとしても、そんなの見抜かれるでしょうし、ベンチャーキャピタルさんは僕なんかよりすごく賢い人が多いので、意味ないかなあ、と。
プレスリリース出すときのテンションあげるためとして記載していたくらいのPVですね。
『ああ、きっとどんな手段をつかってでもやるんだな。はてブを使うだけじゃなく・・・』
使える手段であればするんでしょうけど、実際に一番合理的なPVの上げ方って「支持されるコンテンツを作る」だと思うのですよね。
いまもう3月でしょ?一年の四分の一消化しちゃってるわけよなの。でも、PVはまだ1.5倍の
1500万PV、(瞬間風速では2200万くらいだっけ?)まとめ数については2.3倍の2万3千本しか増えて
いやあ、がんばります。月次目標がいつもぎりぎりなので、ドキドキしています。記事数は質が下がったという認識があるので、今はかなり抑えてじっくりとコンテンツを作るほうに集中していますね。
ちなみに次の増資は計画していないです。また、アーリーに資本入れるベンチャーキャピタルさんが、こんな短期の数字だけを見て判断するってことはあんまりしないです。
いやあ、知らないんですよねえ。実際、、というか周りでも聞いたことないのですが、実際、はてなブックマークをお互いbotでやりまくるみたいなことやっている人、今いるんですかねえ。大手サイト同士でリンク張り合うとかはよく聞くんですが。
私は、いつも中身で勝負すればいいと思っている。
同意です!
で、これってnanapiにも全く同じ見かたができて、nanapiについたブックマークを
見ると炎上期間中の3/4~3/8の間、nanapiで3usersを獲得したレシピは
一件もないの。一件もよw
いままでのブックマーク数を見ていただくとわかるとおもうんですが、3userがない日が3日続くとかはそんなに珍しくないサイトです。スタッフが気合いれてかけばホットエントリ入りしやすいので、それを書いたら比較的乗るんですが、上記はそんなに珍しくない現象かなあ、と。
ブックマークがつくのは一日も止めようがないと思うのよね。なのに
nanapiを毎日見に来ている人ってあんまりいないんですよね。で、ブックマークをする人っていうのの多くは、おそらく僕がブックマークする or Tweetする or facebookページに流す、くらいだと思うのです。どこかのサイトのリンクを見る、他の人から紹介される、などだと思うのです。特にその中で、僕はnanapiに関して投稿しまくってるので、僕のTweetやブクマなどを見てする人というのが結構な割合を占めている気がするのですね。
で、たしかにこの時期ってあんまりTweetしていないのですよ。
かわいいなあ! デコおにぎり!トトロの作り方 | nanapi[ナナピ] r.nanapi.jp/24521/ via @nanapi
友人の行動が広告に反映される!Facebook「スポンサー記事」広告の概要 | nanapi[ナナピ] r.nanapi.jp/24515/ via @nanapi
友人にめっちゃ勧められたから使ってみる - 旅行好き必見!Facebookアプリ「trip advisor」で旅を楽しむ方法 | nanapi[ナナピ] r.nanapi.jp/23919/ via @nanapi
Facebookとmixiやブログを連携させる方法 | nanapi[ナナピ] r.nanapi.jp/24360/ via @nanapi
これをしよう - Twitterのつぶやきを、Evernoteに自動で取り込み、日記にしてしまおう | nanapi[ナナピ] r.nanapi.jp/1720/ via @nanapi
今、Evernoteを再整理しているけど手前味噌ながら役に立つ - Evernote上級者のためのレシピ集 nanapi.jp/site/Evernote via @nanapi
かわいい - デコおにぎり!みんな大好きアンパンマンの作り方 | nanapi[ナナピ] r.nanapi.jp/24172/ via @nanapi
というのも土日にあまり仕事していなかったのでパソコンの前にいなかったので、数少ないんでしょうね。
なのに、francesco3が収束宣言をした3/9かから、いきなり100ブクマ超。
中身はタオルのたたみ方で、どこの伊藤家の食卓かしら、という感じ。
いや、私はすきだけどね・・・ならスパムクローラー稼働させなくても
20~30usersで我慢しておけばいいじゃない。それくらいの内容よ。
それ以上を求めようってのは酷なものよ。
いや、タオルネタは素敵!と思ったから僕はブックマークしましたが、それくらいかなあ、と。スパムクローラーやるとトラフィックあがるんですかねえ、、
なんとなーく、ほら、次はどのへんに飛び火しそうか、ちらほら雰囲気出てたじゃない。
2ちゃんねるではそのものズバリ名指しされてたし、今動くのは大人としてキケン、
もちろんそこばっかり頭働かせていますよ!
だからこそ、最後まで「必要悪」なんてものを自分のなかに抱え込まずに、
中身一本で勝負してほしいと思ってる。
必要悪っていうのがあるのかもしれないですが、ブックマーク数を機械で増やすのって必要なんですかねえ、、
というのも、ここ1ヶ月で見たときに、はてなブックマーク経由のトラフィックって
44,627
くらいなんですよ。(内部データだから検証しようもないけれど、内部データをあげると)1セッションあたりの平均PVが、はてな経由だと1.7くらいなので、PVでいうと75000くらいですね。
1500万pvあって、ロボットにブックマークしてもらって75000しかあがらないところに工数さくのって、あんまり意味ない思うんですよね。それよりかは伸びているFacebookをうまく活用して、ファンを増やしていくことに注力したほうがよほど合理的なのです。波及効果があるかもしれないじゃないか!と言われるかもしれないですが、それこそいいコンテンツじゃないと波及しないのです。
SEO効果あるじゃないか!という人もいましたが、たぶんさほど効果ないんじゃないかと思っています。0ではないんでしょうけど、そこに力を入れるくらいだったら、検索されやすいコンテンツを増やしたりするほうが効果高いですし、それこそサテライトサイトつくったりリンク買ったほうが効果あるんじゃないですかねえ。どちらもGoogleさんに規制されそうな気がするので僕たちはやっていないですが。
もちろんPVはあげたいなあ、と思うので、nanapiについて言及しているTweetをRTしたり、いいなと思ったコンテンツはブックマークしたりしますが、不当な手段を使ってやったところで効果ないと思うのです。
僕も純粋な善人でもないので、想いとして
と思う一方で
というのもあるわけです。
ただ、それをする一番合理的な方法って、「いいコンテンツやサービスをつくって、ユーザーに支持される」ということしかないんですよね。これは綺麗ごとを言っているわけではなくて、単なる王道です。で、コンテンツやサービスに近道はないと思っているので、ひたすらそれをやるしかないのです。スパムやって数万PVあげたところで、何の意味もない。
というわけで、そこばっかりやっているので、無駄なことをしないで、中身ばっかりみているこの頃なのわけです。
人に書かせる以上、クオリティコントロールが一番難しくて、いい記事を大量に効率よく生み出す仕組みを作りたいんですが、ここが難しく、まだまだ「nanapiの記事って素晴らしい」となるレベルではありません。ここは認識していて、一番の課題としておいています。一方で、量がないと役に立たないので、これを両立させるにはどうしたらいいのかなあ、と悩んでいるところです。
といいつつ、誤解をさせてしまったのは説明不足かなあ、という気もするので、ご不明な点があったらもっと説明します!よろしくお願いいたします。
http://ralf-halfmoon.jugem.jp/?eid=410
上記の記事に
>>編集者によるアドバイジングもクオリティコントロールもなしに、今までと同じレベルの作品が作れるはずがない。彼はそのや>>り方に慣れてしまっているはずですから。
何故こう思うのかが全く理解できない。
これは今までに佐藤秀峰氏の担当者が全て優秀で、佐藤秀峰氏と相性が合っているという前提である。
担当のアドバイスが無くなったら、もっと良くなる可能性もあるのではないか?
まだ一回も担当無しに作品が出来上がってないのにこの評価は早計ではないかと考える。
一般の方は漫画というのはどの位一人で描いていると思っているのだろうか?
通常漫画を描く流れは
上記のような流れになる。
編集者の仕事はネーム案の段階でのチェック及びネームのチェックである。
このチェックの段階で内容的に問題があったり、展開的におもしろくないと思ったりすると、もっとこうしろああしろ等と意見を言ってくる訳だ。
勿論、上手くいく事もあるだろう。
編集者のアドバイスがガッチリと嵌り、漫画家本人が考えたものよりおもしろい事も多数例がある。
だが、逆に上手くいかずに面白くなくなり連載終了。こんな場合も同じくらい例がある。
作者が自分の意図したものを描き、その結果打ち切りなら納得もいくであろう。
自分の考えたものが世間に受け入れられないのだ。打ち切りは当然の結果である。
しかし編集が大きく口を出し、作家本人の意図しない作品になり人気が出ずに打ち切りへ…
漫画家が一番向き合わなければならないのは読者である。
しかし同時に担当の編集者という人間とも向き合わなければならない。
担当の編集者という人間は一般的に「一緒に頑張っていい作品を作りましょう!」というような仲間的印象を受けがちだが、実際にはクライアントと下請け会社と同じような関係だ。
何故なら担当の編集者がうんと言わない限りは、掲載されないのである。
掲載されなければそこには何も生まれない。
担当の編集者にしても、会社の社員である以上利益が出そうな、人気が出そうな漫画と自分が思う物でないものを掲載するのは難しいだろう。
本題から大きく外れてしまったが一番主張したい事は
「編集者の意見が必ず作品を面白くするとは限らない」ということである。
たしかにそうであろう。モーニングは有名な雑誌で、単行本発売ともなれば書店にも相応の数を置いてもらえる。
佐藤秀峰氏はモーニング・講談社(若しくは小学館)の看板で売れた。100%では無いにしろこの部分は少なからずあるでしょう。
しかしこれと
>>編集者によるアドバイジングもクオリティコントロールもなしに、今までと同じレベルの作品が作れるはずがない。彼はそのや>>り方に慣れてしまっているはずですから
これは別問題であると考えます。
まだ佐藤秀峰氏がなんの結果も出してないうちから、やいのやいの言うのは甚だ疑問です。
大成功も大失敗もありえるでしょう。どちらに転んだとしても其処には明確な理由があるはずなので
結果が出て初めて論じるものではないのか?と思います。
作家と担当者には相性というのもあります。担当者によって口の出し方や傾向、タイミングもまちまちでしょう。