2009-04-21

ブラックジャックによろしく問題に見る編集者という存在

佐藤秀峰氏の作品はあまり読んだことは、あまりないのだが気になった事が何点かあったので書いてみる。

http://ralf-halfmoon.jugem.jp/?eid=410

上記の記事に

>>編集者によるアドバイジングもクオリティコントロールもなしに、今までと同じレベル作品が作れるはずがない。彼はそのや>>り方に慣れてしまっているはずですから。

何故こう思うのかが全く理解できない。

これは今までに佐藤秀峰氏の担当者が全て優秀で、佐藤秀峰氏と相性が合っているという前提である。

担当アドバイスが無くなったら、もっと良くなる可能性もあるのではないか?

まだ一回も担当無しに作品が出来上がってないのにこの評価は早計ではないかと考える。

漫画ができるまで

一般の方は漫画というのはどの位一人で描いていると思っているのだろうか?

通常漫画を描く流れは

ネーム案(一番最初の叩き台)→ネーム→作画作業→完成

上記のような流れになる。

編集者仕事ネーム案の段階でのチェック及びネームのチェックである。

このチェックの段階で内容的に問題があったり、展開的におもしろくないと思ったりすると、もっとこうしろああしろ等と意見を言ってくる訳だ。

この意見を言うのは、たった一人の人間担当者)である。

勿論、上手くいく事もあるだろう。

編集者アドバイスガッチリと嵌り、漫画家本人が考えたものよりおもしろい事も多数例がある。

だが、逆に上手くいかずに面白くなくなり連載終了。こんな場合も同じくらい例がある。

作者が自分意図したものを描き、その結果打ち切りなら納得もいくであろう。

自分の考えたものが世間に受け入れられないのだ。打ち切りは当然の結果である。

しかし編集が大きく口を出し、作家本人の意図しない作品になり人気が出ずに打ち切りへ…

こんな場合でも漫画家泣き寝入りするしかないのだ。

漫画家が向き合わなければならない対象

漫画家が一番向き合わなければならないのは読者である。

しかし同時に担当編集者という人間とも向き合わなければならない。

担当編集者という人間は一般的に「一緒に頑張っていい作品を作りましょう!」というような仲間的印象を受けがちだが、実際にはクライアントと下請け会社と同じような関係だ。

何故なら担当編集者がうんと言わない限りは、掲載されないのである。

掲載されなければそこには何も生まれない。

担当編集者にしても、会社社員である以上利益が出そうな、人気が出そうな漫画自分が思う物でないものを掲載するのは難しいだろう。

本題から大きく外れてしまったが一番主張したい事は

編集者意見が必ず作品を面白くするとは限らない」ということである。

ブラックジャックによろしくモーニングに連載されていたから今の地位があると言うような主張を見た。

たしかにそうであろう。モーニングは有名な雑誌で、単行本発売ともなれば書店にも相応の数を置いてもらえる。

佐藤秀峰氏はモーニング講談社(若しくは小学館)の看板で売れた。100%では無いにしろこの部分は少なからずあるでしょう。

かしこれと

>>編集者によるアドバイジングもクオリティコントロールもなしに、今までと同じレベル作品が作れるはずがない。彼はそのや>>り方に慣れてしまっているはずですから

これは別問題であると考えます。


まだ佐藤秀峰氏がなんの結果も出してないうちから、やいのやいの言うのは甚だ疑問です。

大成功も大失敗もありえるでしょう。どちらに転んだとしても其処には明確な理由があるはずなので

結果が出て初めて論じるものではないのか?と思います。

最後に

作家担当者には相性というのもあります。担当者によって口の出し方や傾向、タイミングもまちまちでしょう。

どんなに過去にヒット作を出した敏腕編集者でも相性が良くない作家から、良い作品を引き出すことは難しいでしょう。

また一読者としては「おもしろいものを手軽で出来れば安価に」読めれば何も言うことはないです。

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