こういうネタが定期的に話題になるんだけど、
賛成派・反対派の両意見に対して思うのは、
マンガ,アニメ,ドラマとは根本的に異なるんじゃないの?ということ。
バーチャルというのはバーチャルリアリティの事であって、
この仮想というのは物理用語の仮想のことであって空想妄想の類とは全く違う。
仮想ではあるがまぎれもなく現実であって空想ではないということが
どうも一般に浸透していないんじゃないかと思う。
具体的に例えてみる。
すると事故を起こした本人は実際に事故を起こしたときと全く感覚を得ることができる。
(ここでの感覚というのは事故時の衝撃ではなく精神的な不安であったり焦りのことだ。)
しかし仮想なので物的被害は発生しない。
例えてみると今さらな感じがしてしまうが、仮想現実とはこういうものだ。
話をゲームに戻してみる。
ゲームは自分で操作できるという点で、仮想現実の要素を含みやすい。
もちろんゲームの内容によっては無視できるレベルだとは思うけど、
極端な話、それはシミュレータとも言えるんじゃないの???
だから、ゲームが与える影響はマンガ,アニメ,ドラマが与える影響とは
別に考えなきゃいけないんじゃないの、と思う。
疑問なんだけど、天国って何?
幸せな気分で、頭しあわせー って、それ、アレだよね。中毒だよね。
願いが何でもかなう? すぐに願いインフレして、あきて、アレだよね。一種の地獄絵図だよね。
みんなが、自分をワーキャー行ってくれる夢の世界? それこそ、アレだよね。一種の地獄絵図だよね。
天国って、苦しみがない、幸せなっていう単語がつくだけで、一種の地獄なんじゃなかろうかと。
ねぇ、天国ってなに?いいことあるの?だとしたら、今より少し、努力する気になるのかも。
いや、言い方を変えれば、少なくとも日本は、そんなに悪く無いだろう。なんで、死んでも、現世と同じじゃなくて、上か下なんだろう。
俺はそんな話をしてないし(そんなこと書いてたっていうならどこだか抜き出してみろ)
これも間違い。
ここで言ってるような奴等は
「誰もわかってくれないだろうけどそれでも頑張る」
ではなくて、
心地よいお仲間と休日に大運動会してる自分に向き合わないだけのこと。
珍走は「誰もわかってくれないだろうけどそれでも頑張る」じゃないよね。
何か主張があるフリをしながら自分達だけのハレを楽しんでいて、ケツは少しも持ちたくない。
十代後半以降の人間がやっていたら本来醜悪な態度のことだ。
死にたい、って口にする人は、浅はか。
死ねば本当に、今より楽になるのかな?
目の前の嫌な事から逃げてるだけ。
全部は覚えてないけど、ぐぐったらすぐ出てくるよね。
想像するに痛覚はあるんだろうね。
自殺者には地獄が待ってるって考えたら、とても自殺なんて出来ないよね。
怖いね。
入学おめでとう。
本当は新しく大学生になる青年たち全員に向けて書くべきなのだが、とりあえずわたしにできることとして、母校について書く。
君は同志社が第一志望だったのかも知れないし、本当は他の大学に行きたかったのかも知れない。何故かよく分からないままこの大学に辿り着いてしまったのかも知れない。どんな経路でここに入学することになったにせよ、まずは、おめでとう。それはきっと、何かの縁だったのだろう。わたしがこうやってこの文章を書いていることも、君がたまたまこの文章を目にするようになったことも。
君が入学することになったこの大学は、基本的に学生を放置する大学だ。学生は好きなことを好きなだけやれば良し、そういう思想を持っていると思う。パンフレットか何かで既に見たかも知れないが、創立者はこんな言葉を残している。
わが校の門をくぐりたる者は、政治家になるもよし、宗教家になるもよし、実業家になるもよし、教育家になるもよし、文学者になるもよし。かつ少々角あるも可。奇骨あるも可。ただかの優柔不断にして安逸をむさぼり、いやしくも姑息の計をなすがごとき軟骨漢には決してならぬこと。
この大学は奇骨のある青年を求めている。勉強せずに卒業しようと思えば、それも可能だ。授業に一回も出なくても、試験答案さえ良ければいい、という先生も数多くいる。逆に徹底して学問をしたいという人間には、真摯に向き合ってくれる先生もいるだろう。
君は四年間で何をするつもりだろうか。サークル活動だろうか。テニスか、軽音か、環境に興味があるか。ビジネスか。友人と徹夜で騒ぐのもいい。せっかく大学に行っているのだから、本を多く読んでみるのも良いかもしれない。何をするにせよ、しかし、自分の頭で考えて決めることだ。自分に何ができるか、そして、何をすべきか。
それも、走りながら。
京田辺の別館が、ローム館が、そしてキャンパス内にある様々な穴場が。今出川の明徳館が、寒梅館が、そして近くにある天下一品が、君の生活の一部になることに、わたしは興奮している。わたしもまた、あの場所で人生のひとときを過ごした人間だからだ。これから様々な発見があるだろうが、君の世界がこの四年間で大きく広がることを願う。
まぁなぁ 海外はやればやっただけ儲かる可能性が上がるが 日本はやればやっただけ、周囲の奴が儲かる可能性が上がるからなー
これが、富の再分配という奴だ。 だから、やらねーって気持ちもよくわかる。とはいえ、そうなってるから、底辺が底上げされていて、メシが美味かったり、環境が良かったり。
なんだかなー、良し悪しだねー。とはいえ、モチベーション上がんなくなってきた。そろそろ、アニメパワーが切れてきた。萌えアニメばっかりで燃えない。
ジャーナリスト日垣隆は、リビア取材を捏造し、大言壮語で著書等の宣伝に利用している可能性があります。詳しくは親エントリーにまとめてあります。トゥギャッターで新しいまとめが上がっていたので書き込みです。
http://togetter.com/li/109842 日垣隆のツイートのみ。
http://togetter.com/li/110155 他ジャーナリストのツイートあり。リビア情勢について詳しくなくても、これを一通り読めば日垣隆が言ってることがなぜ捏造だと思われてるのかわかると思います。
既に今更な感があるが、カンニングについて考えたことを書いてみる。
カンニングをさせないように厳しくチェックを行おうと各大学が対応に苦慮している。
電子機器の発展によってどんどんカンニングは高度化されるだろうから、その対応もきっと大変になるだろう。
そこで思うのが、そんな取り締まりをせずにカンニングをしないようなシステムを作れないかということ。
「カンニングをさせてもその人だけが困るようにできればカンニングしないのでは?」
(そして本来、大学とはそういう所だと思う。)
カンニングして大学に合格しても、大学の授業について行くことができないのであれば、
どうやらカンニングするのは有名大学に入ったという証拠を得るためらしい。
なぜ有利なのだろうか?
今でも有名大学の就職はそうではない大学と比べれば有利だろう。
それはなぜだろうか?
もう一つはその大学で身につけられるのが素晴らしいものだから。
正直に言って後者の理由で有名大学の就職が有利であるとはとても思えない。
もし、そうなら別に学歴で採用を決める必要はなく、学力で採用を決めればよい。
つまり大学入試のような試験を採用試験で課してその点数で採用を決めればよい。
すでにそういう企業は多く現れているだろう。
「こういう試験を出すから勉強してきてね」と言う方が良いのではないか。
カンニングを取り締まるよりも、まずこういう構造的な問題が指摘されるべきではないか。
そういう構造が人をカンニングに走らせるのだろうから、今はそれを認めることにする。
それほど困らないと思うのはやはりどこかで
「一度どこかに正規社員で雇ってもらえばよほどのことがなければ首にならない」
という思いがあるのではないだろうか。
終身雇用は安心して生活が送れるという一方で、このような問題点も抱えている。
これも構造的な問題の一つだろうが、時代の流れは恐ろしく、
僕が取り上げて指摘するまでもなく、終身雇用は壊れつつある。
もし必要なのであればやはり困るのではないだろうか。
これもどこかで
例えば司法試験にカンニングして合格してもその後の業務に激しく差し障りがあるだろう。
しかしもし試験と実務内容が関係なかったり、実務に求められる知識が試験よりもはるかに少なければ、
それほど関係がないのも仕方がない。
では大学で学ぶことは社会に出て必要なことと関係がなくて良いのだろうか。
少なくとも「関係がない」と思っているからカンニングに走るのだろう。
やはりこれが問題なのである。
本学は,広く教養的知識を授けるとともに,
そのために
・教養
・専門
の3つが上げられているように見える。
大学で学んだ専門知識が仕事に直接役立っている人もいるだろう。
では3つ目はどうかというと危うい。
その専門家が大学教授をやっているかと言われるとよく分からない。
大学は社会の発展に寄与するための信頼と権限が与えられているのだろうか。
そうでないとすれば、それは一体誰の責任なのだろうか。
言えたとしてそれがどれだけの人にうなずいてもらえるだろうか。
大学の信頼が揺らぐことは社会全体が揺らぐ大きな問題であることを
自覚すべきだと感じる。
渋谷の東急デパートっつたら、本店だろうが(すまん いや、本店あるんだから、本店だろ?)
で、デパートの前だから、中じゃなくて、前な。出口から、スタバへ流れて、駅方面へ出ようとすると、いろいろ食い物屋がたくさんあるじゃん?
あのへん。
ちがうか?わからん。なんかその辺に、地下降りてく、道があって、パスタの看板出てて、やすいぜおらー。的な文言が書いてあったする気がする。
あのへん、いわゆる、ギャルとか、かねもってない奴多いから、そういうの狙って。ファーストフード的な安店がけっこうあった気がする。
こんなに強い言葉を目にするのは久しぶりだったので増田っとく。
被害者が被害者としての立場を脱却するための唯一の手段は、極端に言えば『加害者が消える』ことしかない、ってことなんだろうか。
嫌な事件の結末は、そういうところにしか落ち着かないのかも知れないなあ。
それこそ、ドラマや映画や小説やアニメで連日のように使われてる言葉でですら、誰かの人生を劇的に変えてしまう
たった一つの言葉で、どうしようもなく誰かの心を動かしてしまう事がある
「独りぼっちは、寂しいもんな。いいよ、一緒にいてやるよ」
核家族でサラリーマン家庭て工業化がすすんでからできた家族だよね。
農家だと一家総出になる。
お嫁さんが子ども産んでも育てるのはジジババでお嫁さんは夫と農作業する。
#うちの母はほぼ曾婆さんに育てられたので、
#祖母は母がサラリーマンの父と結婚すると聞いて「自分の子を自分で育てられるからよかったね」と言ったそうだ。
おれはとあるFラン大学の、そして社会的には劣等的ともいえる学生だ。
そんな、社会にとって、かえって邪魔となるような知識を蓄えてきた。
むしろそれがかえって劣等学生の自我形成の役割も果たしているといっていいだろう。
「イレギュラーな自分カッコイイ!」みたいなクソな田舎根性ははたしてどう機能するのだろうか。
自分自身それが役に立ったわけで、いわゆるゲットーマインドでメイクマネー的な意識が常に潜在下にあった。
これだけは言っておきたい。とある劣等学生でも人脈と戦略である程度自分のテリトリーを形成できる。
ただし「人脈」と「戦略」には重くて厚い意味が込められている。この意味を自分自身でみつけ、社会に出ろ。
常に文章や人物の背景をよめ。その膨大な背景への配慮こそが分厚い人生を形作るかどうか決まると俺は思う。
今回のソラノート事件にしてもそうだ。背景掴めてるか否かでどう評価するのかが決定的に変わってくる。
とある上司の「○○もと」のもとは「基」だぞ。そんな背景読みで大丈夫か。
劣等学生たち、がんばってくれ。ほなさいなら。