はてなキーワード: より子とは
http://anond.hatelabo.jp/20130113151019
俺は基本的に体罰撲滅派で、なぜなら自分が殴られて不快な思いをする可能性を一ミリでも排除したいからです。
だが、今はどうでもいい。予防線に使おうとは思わない。
議論の前提…体罰は暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら。
体罰は暴力です。暴力は刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。
前提の時点で「体罰=暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的に機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。
多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。
それはさておき、前提を結論と直結させる論法は特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールだから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合、激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。
1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される
愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動しています。ストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供を虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰が子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。
この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。
哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」があります。ストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。
おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものだから、正しいも間違うもあるか、と?
相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。
この場合、あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じています。
では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。
「ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?
それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます。当事者の高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?
2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される
「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまいます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます。子供相手なら、なおさら許されません。
この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。
さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力のプロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります。
よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからないから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生?
もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパスは一定の割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画は一定の確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています。世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定の割合でどの職業にも発生します。
3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される
欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります。体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学のスポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰でスポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。
欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治的恫喝やドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります。日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法を継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学で修士号をとった桑田元選手も「体罰でスポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手と六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰は必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソースは朝日)と明かされています。プロ野球、六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。
桑田元投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかねます。
あと「違法だから」。その通りですね。日本は法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。
4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。
教育心理学、脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習・記憶をつかさどる海馬の神経細胞が破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もあります。http://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html
教育心理学と脳科学を臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。
ゴリラはリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツはオタクのキーボード遊びと違うんじゃイ」
一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。
海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。
5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき
「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理は論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)
いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。
「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。
おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーンの経営者フォロワーや東京都知事選を見ればわかるように、今の日本で奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。
というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマンは奴隷と形容してさしつかえありません。
その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?
6.私は体罰によってまっとうになった。だから、体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。
あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですから。あなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。
一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですから、ひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。
あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?
7.体罰がなくなったから、子供がゆとりになり、学力が低下したじゃないか!
第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供の教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。
さすがにこの仮想敵はサンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。
でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供のパーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf
つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。
上記論文が体罰を要因として組み込んでいないのはまことに遺憾です。
8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。
桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要な合意形成・指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。
社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。
野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります。
9.体罰をダメにすると、教育現場が萎縮してしまう
それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます。
たとえば、はてながダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットのダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。
いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。
いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています。
彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。
正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。
10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる
そもそも教師の仕事は「未成熟な子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。
それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。
根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは?
「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。
11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰は必要だ。
精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつのは勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。
障碍者の定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつのは勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラ・ゴリラ(学名なので差別語ではない)は子供も障碍者も平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。
12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?
では、権力者による暴力が正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。
あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある。問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなたは権力者による暴力が正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか?
ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学の新歓飲み会で未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。
「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田の風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思います。しかし、「自分は常識として正しいから論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、おれは疲れて果ててこんな真似しなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。
あと、
なんだっけ、
そうそう。
汚物は消毒だー!
http://anond.hatelabo.jp/20130113151019
俺は基本的に体罰撲滅派で、なぜなら自分が殴られて不快な思いをする可能性を一ミリでも排除したいからです。
だが、今はどうでもいい。予防線に使おうとは思わない。
議論の前提…体罰は暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら。
体罰は暴力です。暴力は刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。
前提の時点で「体罰=暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的に機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。
多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。
それはさておき、前提を結論と直結させる論法は特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールだから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合、激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。
1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される
愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動しています。ストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供を虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰が子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。
この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。
哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」があります。ストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。
おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものだから、正しいも間違うもあるか、と?
相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。
この場合、あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じています。
では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。
「ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?
それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます。当事者の高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?
2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される
「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまいます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます。子供相手なら、なおさら許されません。
この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。
さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力のプロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります。
よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからないから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生?
もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパスは一定の割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画は一定の確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています。世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定の割合でどの職業にも発生します。
3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される
欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります。体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学のスポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰でスポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。
欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治的恫喝やドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります。日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法を継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学で修士号をとった桑田元選手も「体罰でスポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手と六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰は必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソースは朝日)と明かされています。プロ野球、六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。
桑田元投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかねます。
あと「違法だから」。その通りですね。日本は法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。
4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。
教育心理学、脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習・記憶をつかさどる海馬の神経細胞が破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もあります。http://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html
教育心理学と脳科学を臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。
ゴリラはリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツはオタクのキーボード遊びと違うんじゃイ」
一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。
海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。
5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき
「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理は論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)
いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。
「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。
おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーンの経営者フォロワーや東京都知事選を見ればわかるように、今の日本で奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。
というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマンは奴隷と形容してさしつかえありません。
その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?
6.私は体罰によってまっとうになった。だから、体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。
あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですから。あなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。
一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですから、ひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。
あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?
7.体罰がなくなったから、子供がゆとりになり、学力が低下したじゃないか!
第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供の教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。
さすがにこの仮想敵はサンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。
でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供のパーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf
つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。
上記論文が体罰を要因として組み込んでいないのはまことに遺憾です。
8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。
桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要な合意形成・指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。
社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。
野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります。
9.体罰をダメにすると、教育現場が萎縮してしまう
それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます。
たとえば、はてながダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットのダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。
いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。
いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています。
彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。
正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。
10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる
そもそも教師の仕事は「未成熟な子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。
それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。
根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは?
「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。
11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰は必要だ。
精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつのは勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。
障碍者の定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつのは勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラ・ゴリラ(学名なので差別語ではない)は子供も障碍者も平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。
12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?
では、権力者による暴力が正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。
あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある。問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなたは権力者による暴力が正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか?
ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学の新歓飲み会で未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。
「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田の風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思います。しかし、「自分は常識として正しいから論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、おれは疲れて果ててこんな真似しなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。
あと、
なんだっけ、
そうそう。
汚物は消毒だー!
それに、議論のための議論をしたいのは君じゃないの?
子供は無条件で親に逆らうことが許されない親子間に人権概念のない社会がよかったとでも言いたいのかな?
あと、ツリーを辿っていくと結局君は
生まれた家の環境や生活水準に満足できない人なんて、ほとんどいないよ。生まれが貧しくても豊かでも「そういうもんだ」と思っちゃうから。
これをずっと無根拠に繰り返してるだけに見えるけど。
本能と利害は合致していないよ。役に立たない老人にリソースを割くより子供の数を増やしたり子供にリソース割いた方が子孫繁栄の効率がいいじゃないか。
...←祖父母←親←子供←孫←... のリソースの流れは子孫繁栄戦略に反している上に、利害の相互供与システムとしても歪だ。
自分はSNSではなく、ネットゲーム(FF11)にはまっていた。
子供が生後8カ月くらいで、子育て主婦の多くが肉体的にも精神的にも追い詰められているという時期の話。
自分が会社から帰って真っ先にやることは、PCの電源を入れること。
軽く2ちゃんのスレを確認したのち、すばやく飯を口に放り投げ、ネトゲの世界に旅立つ。
子供が覚えたてのつかまり立ちで近づいてきても、その手を払いのけてネトゲ。
そうなるとネトゲ以外のことは、すべて興味が無くなる。
家族のことであっても例外なく。
嫁さんが何を考えているのかなんて、これっぽちも興味が無い。
今の状況が子供の成長にどんなに悪影響かなんてことも、興味が無い。
お前のやってる家事なんて楽なもんだろ?
「なんでお前みたいなヤツが結婚したんだよw」って思いますよね?
ここまでの重症者は希少かもしれないけど、似たような旦那は多いんじゃないかな。
SNSやネトゲだけじゃなく、パチンコや競馬、その他もろもろの趣味の中毒者で。
人ってのは変われるもので、ネトゲを捨て家族中心の生活になった。
子供が泣いていたら抱っこでヨシヨシ。
子供と一緒にご飯を食べる。
子供がご飯や飲み物をひっくり返したら「どうせないかんかね~?」と考えさせる。
子供が近づいてきたら頬ずり。
嫁さんとケンカしたら、聞き役に徹する。
嫁さんは泣かせない。
嫁さんとの会話が増えた。
(だがセックスレスw)
ネトゲ中毒からの転機になったのは、仕事で認められるようになってきたことかなと、今になって思う。
それから少しずつネトゲから遠ざかり、最終的にはアカウントを削除した。
仕事中毒になり、時間が無くなったからネトゲを捨てたのではない。
ネトゲへの執着が薄れていった感じ。
最近考えてたのは「なぜあそこまでネトゲに執着していたんだろう?」ってこと。
たぶん誰かに「自分を認めてほしかった」んじゃないかと思ってる。
家庭ではATMとして、それなりの地位があった。
だけど仕事は、ペーペー真っ盛りの頃で「オレって何の役に立ってるんだろう?」っていつも思ってた。
その気持ちをネトゲの世界に求めてしまっていたんじゃないかと。
人の持つ承認欲求てのは、家族とかの身近な存在からだけじゃ満たされなくて、自分の所属する集団とか世間一般からも求めようとしてしまう、欲深くて厄介な存在。
世の中から認められず、時間をかければ簡単に「仮想の承認」を得られるネットの世界に逃げてしまう。
ネトゲを捨ててからは必然的に家族と関わる時間が増えていき、育児や家事をやるようになって気付いたことがある。
主婦に対するイメージは、午前中に家事を軽く終わらせて、昼ドラを見て、子供と昼寝をして、ストレスの無い羨ましい身分だった。
これが全然違う。
たまに嫁さんが用事のあるとき、自分が仕事を休んで子育てと家事をやるんだが、半端なく仕事量が多い。
通常の家事だけでも大変だが、役所の手続きや料金の支払いなんてのがあると、軽く午前中はとぶ。
さらに子供は予定外のことばかり起こしてくれるので、午後の時間さえもあっという間に無くなるってこともあった。
これらを嫁さんは、バグの無いプログラムのごとき正確さと計画性でこなしつつ、予定外の処理もマルチスレッドでこなしてしまう。
どんなに完璧に家事をこなしても、誰にも誉められないし、認められない。
それどころか、少しの落ち度でもあろうものなら、非難の的にさらされてしまう。
おもちゃが散らかっている。
Yシャツシワがある。
「買っておいて」と頼んでいた物を買ってない。
がんばっていることは見向きもせず、ミスばかり指摘する。
嫌な上司の典型例w
上でも書いたけど主婦って超忙しいから、人と会う暇も話をする機会も少ないから、本当に孤独だと思う。
友達とランチなんてのは、時間が無いこともあるが、何より子供がいると周りへの気疲れに悩まされるので、まさに幻想。
子育て主婦は、世間から孤立するっていうニュースをよく聞くけど、まさにその通りだと思う。
子供以外の誰とも関わらず1日が終わる。
誰にも気にされず、誰にも認められずに。
1年や2年なんて短期的な話じゃない。
主婦である限り「誰にも認められない」なんて悲しいことが半永久的に続く。
行きつくのは「自分の存在って何なんだろう?」っていう感情じゃないかな。
マンガやドラマで沢山使われすぎてて安っぽく感じられてしまうフレーズだけど、これを思わない子育て主婦はいるんだろうか・・・?
「誰かに認めらたい!」って切望する旦那も、嫁さんの承認欲求には気づけない。
それは致命的な間違い。
そんな社会から隔離された絶望的な状況で耐えている嫁さんの精神力はすごいと思った。
それを素直に嫁さんへ伝えると、嫁さんは号泣した。
オレもつられて泣いた。
増田さんの旦那にとって、twitterやFacebookは仮想空間ではないってことです。
他人には何の価値もない「家族サービスでお出かけなう」や「きたくったー」なんてコメントでも「いいね!」してくれる変な人が沢山いて、「良い父親」「仕事を頑張ってきた」っていう旦那さんの承認欲求は満たされるから。
「人に認められる」
フェミニストたちは我々の主義主張が広まれば、ワークライフバランスが図られることにより子育てもしやすくなり、弱者の尊厳が守られると喧伝している
http://d.hatena.ne.jp/macska/20101203/p1
http://d.hatena.ne.jp/macska/20101202/p1
http://d.hatena.ne.jp/macska/20101126/p1
http://d.hatena.ne.jp/macska/20101120/p1
・勤務時間は10時~19時だが、定時にあがったためしはない。「今日は予定があるので定時であがりたい」と伝えると、「私たちはこんなに忙しいのになぜスタッフが早くあがれるのか!」と言われた。「今日中に仕上げなければならない仕事」が毎日多すぎる。雇用者は事務所から歩いて帰宅できるので下手すれば徹夜仕事になりそうだが、さいわい事務所の入っているビル自体が0時で閉まるのでそうならずに済んでいる。それでもスタッフが終電で帰るのはほぼ当たり前状態。電車がなくなったら雇用者宅へ泊まればいいというが冗談じゃない。
・たびたびBさんより手製の弁当を売りつけられる。200円~300円程度だが、おかげで昼休みも事務所から離れられない。
・給与明細には合計の振込給与額のみが記載され、基本給、残業手当ほか諸手当、保険などの天引き額は一切記載されていなかった。これではまったく明細ではない。というか採用面接の際にも、残業規定や諸手当、保険などの説明が一切なかった。
・とにかく仕事かかえすぎ。法律事務だけならまだしも、活動系のお金にならない仕事がハードすぎ。国際会議にかけるための資料づくりやリサーチ、翻訳出版、海外ゲストのアテンド、****主催イベントの準備と運営などなど。
・法律事務所の仕事はクライアントの人生を左右するものなので、わずかなミスも許されないのは当然だが、雇用者でありながらスタッフのミスに対して被害者的立場から責め立てる。いくら人手が足りないとはいえ、そもそもそんな重要な仕事を入りたての不慣れなスタッフに任せること自体が間違い。致命的ミスが起こる原因をつくっているのは雇用者側なのに、ミスするのはスタッフ個人の力量/能力の問題としてシステムの改善を行わないから人員流出を避けられない。
・聞いた話だが、数年ほど勤めた優秀なスタッフがおり、何度か昇給して雇用者の信頼を充分に得ていたものとみられていたが、あるとき仕事上のトラブルが起こったところ、雇用者ふたりはそのスタッフを猛烈に責め立て、耐えきれなくなったスタッフが結局仕事を辞めることになったという。スタッフとの信頼関係つくれなさすぎ。双方とも不幸。
・スタッフの仕事の範囲が不明瞭すぎる。明らかに業務とは異なる、雇用者のプライベートな用事まで発注する。しかし、プライベートな用事を頼むときや機嫌のいいときは友だち同士みたいな親しげなアプローチをとってくるので始末が悪い。(Aさんは*****の資格も持っており、定期的に講習DVDが送られてきて、講義のなかに出てくるキーワードを書き留めて先方に送らなければ履修を認められないのですが、その作業をスタッフに振ります。アクセサリーの修理手配やクリーニングに出した洋服の引き取りをさせられたひともいます。)
・事務所内のトラブルに関してはつねにAさんが被害者でBさんは支援者のスタンス、スタッフは加害者扱いである。Aさんは遠くから激しい口調でスタッフをののしり(決して顔は合わせない)、BさんはAさんの味方であることをアピールしつつ、Aさんの言い分や思いをスタッフに伝える役割を担っている。
<11項目の質問と回答>
1)募集広告では常勤スタッフを募集とされていますが、実際の労働時間は一日あるいは週どれくらいでしたか?
1日につき10~13時間。終業定時は19時ですが、実際は21時にあがれればマシなほう。
2)法定労働時間(一日八時間、週四十時間)を超える労働はありましたか?
ありました。
3)法定労働時間を超える労働について、勤務規定に明記されていましたか? 残業手当の割り増しはもらえましたか?
勤務規定を見たことがありません。給与明細の支払い総額は基本給プラスαでしたが、αの内訳は不明(明細に記載なし)。
4)勤務中に、昼休みなど職場から完全に自由に行動できる休憩時間はどれだけ与えられていましたか?
名目上は1時間。しかし、雇用者ふたりがご飯も食べずに仕事をしているのを見ると、スタッフだけ休憩をとるわけにはいかないという空気を感じると思います。
いいえ。
いいえ。
いいえ。
8)年次有給休暇はありましたか? 実際に有給休暇を取得・行使できましたか?
いいえ。
9)産休の制度はありましたか? 実際に休暇を取ることができましたか?
わかりません。
10)育児・介護休暇の制度はありましたか? 実際に休暇を取ることができましたか?
わかりません。
11)****サイトの求人広告では「自営業的に仕事ができる方」が募集されていますが、自営業的な仕事とはどういう意味か分かりますか?
だが、現実はカクの通りだ
最低10時間労働。残業代が出ているかどうかも給与明細に記載はない
だが、フェミニストたちが主催している企業では子育てと仕事の両立を図る気はないようだ
本当にフェミニストたちに従えば子育てがしやすい社会が実現するんだろうか
疑問に感じざる負えない
ブコメだとネタにマジレスとか言われたり賛否があるんだけど、自分はすごく感動した。自分も「こんなこと勉強して何の役に立つの?」とか聞いちゃう子どもだったから、妙に心に刺った。
それは小学生とか中学生のころの話じゃなくて、高校生にもなってそんなことを聞いてた。個人面談で先生に聞いてた。その時の答えは、
「今はそんなことを考えて立ち止まってる場合じゃないだろ。勉強の意味なんて勉強すればわかることだ。いまはとにかく勉強しなさい」
というものだった。
で、自分はその答えに全然納得がいかなかった。わかってるなら、どういう意味があるのか言えよ!と思った。だから上のエントリが刺さった。あのとき先生がそうしてくれたらよかったのにって思った。コメントとかに勉強は役に立たつ必要はないっていう意見もあったけど、これも違うと思う。役に立つと思ってやったことの方が身につくし、楽しい。実際に、知識がお金に化ける場合もある、人を助ける場合もある。役に立たないより立つ方いいに決まってる。
上記エントリによると『大人は「知識はどんな風に生きてくるのか」ということを力説し、また「役に立つこと」を実感させてあげないといけない。』らしい。まったくもってそのとおりだ。自分は高校時代に「勉強が何の役に立つか」を本気で考えていたから、普通の人よりこの質問により多くの解答を出せる。だから、今度はこの質問に答える側になってやろうと思った。
『多くの子どもに、「将来」という言葉は刺さらない』らしいが、勉強が最も直接的に役に立つフィールドは仕事だと思う。だから、勉強が役に立つ職業の説明から入る。職業という点で考えると、教科ごとに役に立つ職業は異なる。
建築家(どのような構造が壊れにくいのか計算するのに必要)、研究者(物理、化学、工学、情報系などは直接的に使うが、その他、心理学、経済学、生物学などほぼすべての研究に統計は必要)、ゲームプログラマ(3DのCGなどは特に計算が難しい)、その他のシステムエンジニア、プログラマ(どうやったら計算量が少なくできるか考えたり、負荷を分散できるか考えたり色々)、機械の設計をする人間(船、飛行機、車、エレベーターなどなど動くものの設計には計算が欠かせない)、弁理士(特許の手続き等を行う人。こういう文章http://kantan.nexp.jp/%E7%89%B9%E8%A8%B1/a2007272629/を書いたり読んだり)。
ガソリンスタンドの店員(危険物を取り扱うため)、研究者(主に化学と生物学。医学、薬品や農薬の開発、試験、コンピュータ、発電、蓄電、建築などに応用できるような新素材の開発)、官僚(農林水産省や経済産業省など。農薬、食品添加物、産業廃棄物の基準をきめたり色々)、医者、看護師、獣医、畜産家、農家、栄養士、薬剤師、保健師、衛生管理者(食品工場など)、水道局員。警察(科学捜査系)。
海外に行く人。外国人がいる職場で働いているひと。英語の資料を読まなきゃいけない人。論文とか書く人。
翻訳家、記者、作家、漫画家、企画職、コピーライター、検事,裁判官,弁護士,政治家,官僚(法律の難解な文章を読んだり、条文を作る際により正確にものを伝える)、システムエンジニア,プログラマ(ソフトウェアの利用規約はだいたい難解、仕様を作る際もわかりやすく伝えないといけない)。
自分が思いつくもので、わかりやすく役に立つ職業はこんな感じだ。自分が理系だし、理系の方が役に立ってることが分かりやすいので理系科目に力を入れている。国語とか社会科とかは広く薄く役に立ってる気がするのでこの仕事で役に立っているというのが少しわかりづらい。
さて、この職業のリストを見て自分はこの職業につかないから関係ないやと思ってる人も多いんじゃないかと思う。しかし、実際にはこのような職業を評価する側の人間も同様の知識が必要となる。たとえば、雇用主、人事、取引先の人間。このような人は上記に挙げた職の人間を評価しなければならない。その人の態度や風貌で評価をするのはあまりよろしくない。それ相応の専門的な知識が必要だ。上記に挙げた職の人と取引のある人間というとその範囲は一気に広がる。そして、取引先には消費者も含まれる。
家電を買うにしたって食品を買うにしたって知識は必要だ。これまでマイナスイオンのような科学的に根拠のないものがブームを生んだ例もあるし、健康食品だってそういうものがあふれている。これからも第2、第3マイナスイオンが生まれるかもしれない。どういう理論で効果があると主張されているのか、実験は正しい条件で行われているのか。そういうことを判断するのには科学の知識が必要になる。
答えはNOだと思う。具体的に、勉強嫌いな高校生S君を想像してみると、すぐに反論されてしまうのが目に浮かぶ。
学力を必要とする職業は多いが、あまり必要でない職業も一定数存在する。土木作業員、コンビニ店員、居酒屋店員、服屋の店員、料理人、バス,タクシー,トラックの運転手、芸人、音楽家、デバッガー、清掃員。もちろんこれらもある程度の学力がいるが、せいぜい中卒レベルの学力があれば学校の勉強よりももっと役に立つことをするべきだというのも筋が通る。そして、それが学力が必須でない職業につくのが、学力が必須の仕事に就くのより大変かといわれるとそうとも言えない。学力が必須でない職業に就いた人は幸せになれないわけでもない。学力が必須の仕事についたからといって幸せだとは限らない。医者は多忙だし、貧困な生活を送るポスドクの研究者もいる。社長や政治家より、責任のない立場の人間のほうが気が楽かもしれない。
マイナスイオンの話にしたって、科学に詳しい友人が一人いれば済む部分が大きい。高校時代にやるべきことは勉強よりも友達作りなのかもしれない。
簡単だ。ほぼすべての仕事が仕事として成立しなくなる。ほとんどの日本人が生きていけなくなる。
そもそも、学校の勉強というのは「ある人が勉強をしたとき、その人が得をする」ようにではなく、「みんなが勉強をしたとき、みんなが得をする」ように作られているはずだ。例えば、騙されやすい人間が増えれば騙す人間も増えやすい。集団の中にいる知識を持った人間がガセや嘘がはびこるのを防いでいる。日本人全体の語彙が増えれば、説明のとき使える言葉も増える。先進的な科学技術がみんなの生活を支えている。ある人の勉強によって、周りの人が得をする例と言うのは山のようにある。
このことがいわゆる『囚人のジレンマ』の状態を作っているので、ひとりの人間を勉強させるように説得するのは難しい。自分で手間をかけて勉強するより、他の人にやってもらったほうがはるかにお得だ。
勉強が自分でやるより他人にやらせるほうが得なことを踏まえると、自分は勉強しないけど人には「勉強をしろ」と言う人間や、「理由は言えないけどとにかく勉強しろ」という人間の多さにも納得がいく。自覚のあるなしに関わらず、周りの人間が勉強しないことへの危機感をもって行動ができている。つくづく人間って賢いと思う。生命の神秘すら感じる。
自分でやるより他人にやらせるのが得なら、子どもがやるべきは「たくさん勉強する」ことよりは「周りに勉強をさせられるような人間になる」ことなんじゃないかと思う。だから、どうすれば人に勉強をさせることができるかを考えてみる。
子どもには勉強をしろと言いつつ、官僚を馬鹿にしたり、科学者に「お前の研究は役に立ってない」と言ったりする人がいる。こういうのは明らかにダメだろう。これでは子どもが「なぜ勉強をするの?」と思うのは当然だ。勉強をたくさんしてそれを生かしている人たちは褒めなきゃいけない。これこれこういうところがすばらしいということを具体的に言えれば、子どもが勉強と尊敬される人間になることを関連付けられて、勉強への意欲がわきやすい。
また、たくさん勉強をしている人間を「がり勉」などといって馬鹿にするのも良くない。これは大人より子どもがしてしまう。あまりそういう人間を馬鹿にして減らしてしまうと結局は自分が損をすることになる。
人は同調圧力に弱い。周りに勉強している人が増えれば、勉強は楽しくなるし。自分が勉強していることに対する疑問も持ちにくい。
誰かが勉強している時はその質を上げられるといい。楽しく勉強できるようにするとか、短時間でもより多くのことが身に着くように勉強法やテキストを改善してやったりするといい。どうゆう勉強が役に立つかを教えてあげるのもいいと思う。勉強は役に立つほうが面白い。
志の高い人にとって、役に立つ勉強はたくさんある。簡単ものでもプログラミングができれば、何時間もかかる作業を一瞬で終わらせられたりする。デザインについて学ぶのもいい、デザインは人に伝えるためのものなので人に物事を伝える手助けになる。こういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6やこういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81を知るのもいい。学校の授業でも英語、理系科目、地理、政治・経済などは役に立つ場面が分かりやすい。
勉強にも大学受験では評価はされないものがある。役に立つ勉強をしてきた人間をしっかり評価するということも重要だ。役に立たない勉強がもてはやされれば勉強はつまらなくなる。
給料が高い方がやる気が出るし、そうなりたい人が増える。雇用主だけが考える話じゃない。消費者がしっかり価値のある技術にお金を払うのも大切だ。消費者がキャッチコピーや広告に流されてその製品に使われている技術が見れないと、会社はキャッチコピーや広告の制作に熱心になって技術者に対する対価が増えない。お金に余裕のある人が、大学研究、素晴らしいオープンソースソフトウェアの開発、政党に寄付をするのもいいと思う、なかなかそんな人はいないかもしれないが。でも、科学雑誌なんかを読んだり最新の技術研究に注目する人が増えるだけでも、その研究が陽の目を見る可能性は増す。
それは自分が勉強をすることだ。周りに勉強している人を増やすには、自分が勉強するのが手っ取り早い。勉強している人間をほめるのも、対価を増やすのも、勉強している人を見分けられる必要がある。十分な学力がなければ、支持している人間が似非科学者であってもそれを見抜くことができない。勉強をしなければ、勉強の質を高める方法もわからない。
「勉強って何の役に立つの?」は答えるのが難しいが、「勉強を役に立てたいのですがどうすればいいですか?」という質問なら少し話が変わる。幸い、今はインターネットがあり勉強を役に立てる方法は身近になっていると思う。単純なものだと、学習サイトでも作ればいい。上でも言ったとおり職業上、勉強を必要としている人がいるし、昔習ったことを復習したいという人もいる。そういう職業になりたいという人もいる。そういう人に向けてサイトを作ればある程度需要はあると思う。 楽しいものが好きならばゲームを作ることもできる。高度なものとなると少し難しいが、ミニゲームであれば中学レベルの数学で通用する。ブロック崩しあたりだとちょうど中学の座標やグラフの交点とかの知識が役に立つ。ブロック崩しなんて作ってもぱっとしないかもしれない。それは、もうすでにあるものだからなんだと思う。重要なのはちゃんとした知識があれば、今はまだないものもできるということだ。
勉強の役にたつすばらしい場面というのは今はないものを生み出せる、新しい勉強の役立て方を見つけた時だと思う。印刷機だって、テレビだって、洗濯機だって、パソコンだって、FaceBookだって、スマートフォンだって、十分な知識があったから生まれた。それが生まれる以前は勉強がそんなことに役立つことは知られていなかった。
有名な動画Did you knowによると2010年の需要のある仕事Top10は2004にはなかった仕事らしい。
勉強がどう役に立つのかは時代ごとに変わっていくし、勉強の新しい役立て方というのは次々と見つかっている。勉強の新しい役立て方が見つかると、世の中の仕組みが爆発的に改善されることだってある。勉強にははそういう夢がある。見つけるのは多少むずかしいかもしれないが、それをできた人はたくさんいる。勉強を役に立てたいのならその方法を探してみるといいと思う。
これを読んでも勉強に乗り気にならないという人はいると思う。人にやらされる勉強っていうのはどうしてもやる気がわかない。
正直、学校の勉強の質はさほど高くないと思う。歴史はもっと現代史に力を入れるべきだろう。カエサルが死に際に「ブルータス、お前もか」と言ったなんて話は何の役にも立たない。フランス革命のころにナポレオンがどうこうしたという話ですらも大して役には立たない。南アメリカ、アフリカ、東南アジアなども含めて、ここ100年の歴史を詳細に学んだほうが役に立つ。昔の人間より今の人間の方が身近だ。より正確な記録もあるので嘘も少ない。古代の話は教訓を学ぶには記録が少なくて曖昧すぎる。また、古文は考古学者か歴史作家にでもならないと役に立たない。もっと役に立つ勉強をするべきだと思う。小説は人の気持ちを考えるのにあまり適してないと思うし、教科書に取り上げられる論説文は論理的に穴だらけの文章も多い。
それでも、詰め込み教育、ゆとり教育を経てだんだん良いものになっていると思う。テキストも改善され、勉強はより楽しくなっているようにみえる。
自分は詰め込み教育からゆとり教育への変遷は改善だったと思っている。円周率を3.14で計算することは小数の筆算の能力を高めるが、現在では紙とペンより計算機の方が身近にある。筆算よりは、およそ3として暗算で計算できる能力のほうが有用だ。総合的な学習は調べ学習や、クラス内の発表練習、英語の学習などに割り当てられた。時代の変化に学習指導要領が追いつくまでにはラグがあるが現場の人間が内容を決められる授業がそのラグをうまく埋められるようになっている。初めて、パソコンに触れたのも、検索エンジンに触れたのも(当時使ったのはgooだった、なつかしい)、htmlに触ったのも総合の時間だったと思う。この勉強は間違いなく役に立っている。そして楽しかった。
学問も進歩してるし、教育も進歩しているんだと思う。でも、まだ無駄は多い。それは、これからもっと改善されていくんだと思う。
個人的な意見だけど、学校の勉強にやる気のわかない人は別のことをやってみるのもありだと思う。いま目の前にある勉強よりもっと役に立つことがあると思うなら、それをやればいいと思う。学校の勉強よりも役に立つことを見つけたいと思ったらそれを探してみればいいと思う。自分は学校の勉強より、プログラミングの勉強してゲームとかつくってた。それは学校の勉強よりももっと役に立つことだと思ったから。そういうことを続けていたら、IT系の会社に就職することが決まった。自分で役に立つと考えてやったことを評価してくれる人はいた。
ちょっと長くなったのでまとめる。
自分が考えた勉強の意味はこんな感じだ。勉強の意味は考える人ごとに多少違うものになるんだと思う。勉強には他にもこんな意味があるんだという人がいたら、ぜひその意見も聞いてみたい。勉強の意味は多い方がいい。一人の人が勉強の意味をたくさん感じられるようになったらそれだけ勉強をする人は増えるはずだ。
雇い主は先月、父子家庭になったばかりの43才。大学時代の同級生、恋愛感情はなかったけど、話は合う感じ。
子どもが小学校卒業するまでの約10年間、住み込みで家政婦をやってほしいとのこと。現状年収300万弱で、キャリアらしいキャリアもなく卵子が老化して久しい42才独身オバさんにとってこの条件ってどうなんだろう。
やることは、子供二人(男5才、女3才)の世話(食事、遊び、勉強、行事の参加)、家事全般、生活費の管理。休日は自分が休みの日(基本的に土日、だけど金曜の夜と月曜日の朝はいてほしい)。
住み込みの間、家賃光熱食費はかからないし、女性の生活に必要な費用(服、髪、化粧、小遣い少々)も生活費の中から5,6万/月ぐらい出してくれるらしい。家事に支障がでない範囲なら、アルバイト(内職とか)をしてもいいし、遊びに行ったっていいとのこと。
彼の直面している最大の問題は子供の面倒をみる人がいないことなんだけれど、中学以降は全寮制に入れる予定でその問題は無くなる。中学以降、もし気が合えば、給料の10万は払えなくなるけど(学費がかかるため)そのまま住み続けても構わないと言っている。
再婚は、今のところは考えていない(まだ考えられない?)とのこと。
普通の家政婦を住み込みで雇ったら、1日2万以上かかるらしくて月10万とか有り得ないってところなんだけど、なぜか妙に魅力的で、とりあえず今週末彼の家で子供達と会う約束をしまったんだけど、これからどうなることやら。。
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一日たって開けてみて、レスポンスが予想以上についていてびっくりした。
お金とか契約内容云々とかって本当はとっても大事なことかもしれないけれど、いまの自分にとってはそれってそんなに大事じゃない。今までもこれからもずっと女一人で干からびて死んでいくだけって考えたら、人生にちょっとぐらい変化があってもいいんじゃないかって考えている。
そもそも彼はそんな嫌な人ではない。今のかれにとって一番大切なのは幼い二人の子どもであって、二人にご飯さえ食べさせてくれるなら基本的に自分の好きなようにやってくれてもいいっていうスタンスで、10万じゃ足りなければ家計をやりくりして自分の取り分を増やしてもいいし、家の中をどういじってもかまわないとのこと。それって結婚とどう違うのかって聞いたら、(奥さんを亡くしたばかりの)今すぐには結婚とか考えにくいし、なにより子どもたちへの(お母さんが死んだら新しいお母さんがくるの?みたいな)影響が心配だって言われた。
ただ、子供たちには、成長した時本人たちのアイデンティティをしっかりさせたいってことで、本当のお母さんと自分を区別できるようにお姉ちゃんって呼ばせるらしい(自分はオバちゃんでいいよって言ったよ)。
子どもを中学から全寮制にいれるって話は、彼が面倒みれないから全寮制にするしかないってことだから、もし自分が面倒みるなら別に全寮じゃなくてもいいんだとおもう。
ちなみに彼は普段はほとんど朝9時から午前0時過ぎまで仕事してるような人なんだけれど、奥さんが亡くなってからは親戚に来てもらったり会社休んだり家で仕事したりヘルパー頼んだり一時保育頼んだり、子供寝てから会社にいって朝までに帰ってきたりとかありとあらゆることをしてるれど、そろそろ会社も大目にみてくれなくなるかもしれないし、なにより子どもに毎日バタバタとしたストレスのある生活からはやく落ち着かせたいって言っている。
いい年した男と女が一つ屋根の下に暮らせば、体の関係にもなるかもしれないけど、その時はその時でわざわざ今から取り決めなんかしておく必要はないよね。
子育て簡単に考えるな!(しかも他人の!)とか言われるかもしれないけれど、実際やってみないことにはどんなんだかわからないし、本当はすこし楽しみでもある。
もし途中でなにかあって放り出された時は、その時考える。ちなみに今のところの持ち金は現金千万弱+貯蓄保険。最悪無職だとしてもつましく暮らせば5年ぐらい持つでしょう。
とかなんとか頭の中でごちゃごちゃ考えてるふりしているけど本当は、一番困っている時に一番最初に声をかけてくれたことがジーンときちゃって頭がおかしくなっちゃってるだけかもしれない。
正確な妊娠週数を聞いた方がいいよ。
同じ男性で既婚者としていうと、彼女と結婚するのだけは辞めておいた方がいい。
幸い私の場合は良い嫁さんだけど、それでもちょっと嫌だな、と思うことはある。
あと「女性の観点」でこの事を見ると「結婚すれば?赤ちゃん大事でしょ」って話になるので注意。
違うよ、彼女は君を裏切ってるし、君が頼れそうだから君のところに来てるだけだから。
育児って一人でするのは辛い。だからどうしても庇護者が必要なの。
今の彼氏か、君が必要なの。で、今の彼氏がダメだったいうから君のところにきてる。
http://anond.hatelabo.jp/20080726155322
<彼女ができないやつの10の鎧 >
本当は忙しいんだが、我慢できないから長文を書く。
#より子 『それでいいのですか?』
#http://www.nicovideo.jp/watch/sm1336679
#http://www.youtube.com/watch?v=Css-AEw1-ys
#曲が良いだけに歌詞がムカつき過ぎる
元増田は、人が鎧をまとうには、それだけの理由と経緯があることを
考えたことがあるのか。
女達「オメェ、それって体育祭の写真?」
オレ「……うん」
と答えるや否や手から封筒をバシッともぎ取られ、
女達「いたいた! イケメン君が写ってる!」と勝手に写真を切り取られ、
オレ「あの、ちょっと待って欲しいんだけど」
女達「ルッセェーんだよ! 誰もテメーに話しかけてねーんだよ!」
オレ「それ、オレが焼き増しした……」
女達「あー、ウッセーなぁ、いらねーよ! この汚ねぇ写真!」
しかもビリビリに破かれて紙ふぶきみたいに投げ返されたことがあるか。
女子は全員ズベ公だった。
(こう書くと偏見と決め付ける増田がいるだろうが、詳細は後述する。)
学生時代、どんな男の子も一度は"大学デビュー"とやらを夢見る時期に、
オレも人並みに恋に落ちた。
自分の立ち位置もプライドもトラウマも女性観も何もかもかなぐり捨てて、
女「最近失恋したばっかりで、[今は]そんな気持ちになれないの」
オレ「そうか……じゃ、気長に待つよ。いつでも待ってるよ」
その後だ。そろそろ良いかな? と映画に誘えば、
女「ゴメン、ちょっと面倒くさいや」
同じ趣味があると分かってその交友関係に誘えば、
女「なんかイヤ! 理由? んー、イヤだから」
ここまでは、まあ分かる。
さすがに引き際かと思い、接触を減らそうとすると、
女「えー! ○○展に行ったの!? 誘ってくれたら一緒に行ったのにー!」
女「ね! 私がコーラスやってた時は、5度のハモりが好きでねー」
ときた。
ならばと、何かイベントとかにお誘いしても、最初の拒絶に戻ってまた繰り返し。
こんな感じで付かず離れず、離れず付かずで結論の出ないまま、大学生活4年を
オレは棒に振った。
サークルの卒業コンパで、「実はオレ、彼女のことが好きやってん」と
カミングアウトしたら、まわりから
「実は俺も」「俺もだ」「なんと! 俺もだ」
の声が多数。
周りに男たちを等距離にはべらせてチヤホヤさせてたのね。
……ちなみに、世間ではアッシー君、メッシー君、ミツグ君、そして[キープ君]
なんて言葉が流行り始めていた。
サークルクラッシャーなんて便利な言葉が出てくるのは後の時代。
酒井順子がオンナのライフハックとして"自分の崇拝者をキープしておけ"と
言ったのは、もっと後の時代だ。
その後、社会人になって、オレが見てきた女たち。
・同僚、上長にはバリキャリ兼お母さんみたいに面倒見良く振舞う
女先輩が、後輩のオレには職場の不満を解消するかのように
「もー、ブーブーちゅわん(オレのことだ)ってば、
好き好き大好きー!」
とヌイグルミ扱い。普段は発散できない幼児性が爆発
・失脚してリストラ含みで物流オペレータをやらされてる四十男。
妻子のためにと歯を食いしばって耐えるその男性に、
「えっとぉ、FAX送信とかはぁ、アタシたち優先にして欲しいんですよねー。
ハッキリいって使えない人がぁ、色々占有されると迷惑なんですよねー」
・スカウトされて転職、マネージャーになって3日ほど。現場の女子達からの
ヒアリングを総合すると、
「えっとぉ、課長さんの仕事って、要はアタシたちの要求は全部上に通してぇ、
あたしたちが嫌に感じる要求はぁ、全部アンタが板ばさみになって
握りつぶしてくれることなんですよねー。
平たく言えば傀儡。もしそれが嫌だったりー、アタシ達からみて
使えねーと思ったらー、役員に泣きついて追い出してもらいますから。
現場にぎってるのはアタシたちだし。ということでヨロシクぅ」
そりゃ、前任者も辞めるわけだよ。
などなどなど。
オレは思ったね。
「ああ、こいつら自分たちが愉快に過ごすために、小社会を操作する
実際、マネジメントは降ろしてもらって、自分の専門性を活かした
チェック部門の門番というか見張り番に就いたとたん、
「私たちって、良い同僚関係よね? よね!?」
「あ、同じ趣味なんですね!? こんどディスカッションしましょーよ!」
とまあ、好意的に接してネ! という秋波のドぎつい事といったら。
上に書いたリストラ男の件も含めて、
「ああ、しっぺ返しや不利益が無ければ、誰に対してもどこまでも残酷に。
なにか損得が絡んでくると、どこまでもフレンドリーに」
なのだなぁと。
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌のどれか1つでもいいから
行動原理に加えている
つまりは大雑把な意味でのヒューマニズムを持ってる奴がいたもんだが、
いつだって馴れ合いのオトモダチ関係と派閥。派閥の中でも株が微妙に上がった、
下がった。それだけ。地頭の良さと判断の手際のよさは認めないでもないが、
話を男女関係に戻す。
何でオレは女と付き合えないんだ? 自問してみた。
> 8. 「女は信用できねえ!」
> そう思ってると顔に出ます。あなたの目が「お前なんて信用できねえ」って目になります。
> そりゃ、そんな人信用できませんって。
まったくその通りだ、実際に信用できないんだからしょうがない。
じゃ、なぜ信用できないんだ? 女という女が全部が全部、オレの知ってる通りの
存在だったら、今頃とっくに社会は崩壊しているはずだ。おかしい。
しばらく考えて、結論が出た。
悪いのは、自分自身だ。
オレの欠点をサクっと書いておく。
・キモオタくさくて芝居がかった気持ち悪いコミュニケーションしかできない。
やたらスノッブ(=表面的に教養っぽい馴れ合いが好き。本当の知性とは無縁)な
家庭に育ち、オタ系人間とばかり付き合ってきた影響なのか。
なので、自分の立ち位置は"ギャグメイカーでトリックスター役"で、それで良いんだ、
と自分を納得させていて、それで過去に友達がいなかったわけではないが、後から、
「オマエさぁ、言動がイタくて笑えるから仲間に入れてやってんだよね。
気が付かなかった?」
と言われる事もしばしば。
おまけに、家庭でのプチ虐待のせいでオドオドした臆病者だった。
・先天的に要領が悪い、脇が甘い。
発達障害の一種だと思うのだが、予定やToDoをキッチリ、カッチリと自己管理していくことが
壊滅的にできない。
待ち合わせはいつも遅刻、学生時代、社会人時代とも、イベントやプロジェクトや自主制作は
いつも自分の分担だけ頓挫または炎上。
だから人に当てにされない。
さらに、人からダメ出しされないような穴のない立ち振る舞いが、どーしても出来ない。
そして無用心。
擬友人の一人が言うには、
(たとえば、
B氏「堅苦しい席じゃないだろ? なんでカジュアルで来ないんだよ?」)
すぐにパニック起こすじゃん? あれ、俺たちがローテーションを組んで、
わざとやってたの知ってた?
あと、「オマエのためを思って」とかいって色々アドバイスしてたの、
実はウソを混ぜ込んでたんだ(笑)。
感心して聞いてるのを見て、影で笑ってたんだぜ」
・妙に頭は良い
人間関係知性(かわいがられる能力、人を魅了する能力)が病的に低いのに対して
なにか不都合やトラブルがあったら、原因究明よりも、
「誰も味方のいないアイツ(=オレ)の凡ミスってことにしておけ。誰も困らないから」とか。
これじゃ、人間関係がすべての出発点である女子たちとソリが合うわけが無い
・デブで運動音痴
……結果として、
・人望無し、味方につけても実利無し
・そばにいて生理的・感覚的な気持ちよさは皆無
という異性関係上では驚異的なロースコアの持ち主だったんだ。オレは。
オレの特徴が、女子の不愉快な部分を引き出していたんだね。
だから、もしオレの出身学校や勤務先に元増田が在籍して、その"偏見の無い目"で、
女子たちを見れば、多分彼女たちは、
ということになるんだろう。
それは、元増田が、平均的な"価値"というか影響力のある人間だからで、
同じ女子たちが、たとえばオレみたいに侮辱しても怒らせても何にも心配の無い
男子の前では、大部分が『肉体の門』に出てきた焼け跡のパンパンみたいな
ズベ公になるんだよ。同じ人間なのにね。
> みんな密かに自分を磨いている現実にも目を向けてもいいかも。
磨けば光る部分なんて欠点じゃないよ。
どう改善しようとも残る本質的なマイナスの特徴を、欠点って言うんだ。
自分自身の定義の一部といってもいい。
さて、状況は整理できた。(増田諸氏が同意しようとしまいと、オレ的には)
それならそれで、進むべき道はある。
"護身完成"(『刃牙』が元ネタだけど、この場合は『電波男』(本田透)から孫引き)
を目指すんだ。そう思った。
世間にはアベックがあふれ、同期は家庭と子供をもうけ、飲み会に行けば、
女子達「(オレ)さん、Aさんって、やっぱり、D・Tだとおもう?」
オレ「ちがうんじゃね? どっちにせよ、他人のことだろ?」
女子達「だとしても、S・D・Tでしょ~、やっぱ(笑)」
オレ「君達、そうやってオレのことも話題にするわけ?」
なんてやり取りが普通。
だから、喪男板とか、その周辺のブログとかを見て、自分が一人で歩いているわけ
じゃないことを始めて知ったときは、少し救われたね。
でも、ネットのおかげで、元増田みたいな発言に触れる機会も増えた。
話が飛ぶが、元増田も含めた、「ホントは悔しいんでしょ?」系の発言って
オレが仕えた一部の上司に少し似ている。
新入社員当時、同期がそろいもそろって無気力な新人類だったのが
歯がゆかった。
「え~、やんなきゃダメですか~?」「ちょっとぉ、残業は都合がつかなくて~」
何を言ってるんだ、新人のスキルなんてハッスルすることくらいしかないだろう!
そう思ってたら、上司に呼ばれた。
「どうだ仕事は? 聞いたぞ、クリエイティブ部署が希望だったんだってな。
じゃ、B君とかC君が制作やってるの見て悔しいのか? ん~? 悔しいんだろう?
だったら部署違いでも企画とかバンバン書いて提案してみればいいんだよ。
読んでやるから」
オレは書いたね、何本も何十本も企画を。そうしたら、その企画はそのまま
召し上げられて何本か採用されて、それっきり。
オレの処遇に変化はなし。
何のことはない、めぼしい企画が尽きた統括部長が、アピールしたがりの
1年生を挑発して、アイディアを只で引き出しただけだったんだね。
(唐沢俊一が似たようなことを書いていた。
駆け出しのころ、原稿を発注するともしないとも明言されずに
サブカル系の新鮮なトレンドを収集するのにタダで使われてただけだったそうな)
同じような経験を何度もして、結局のところ分かったことは、
「いじけるなよ! 食い付いて来いよ! もっと熱くなれよ!」
みたいな挑発には、乗らないのが最善。ハッスルしても徒労に終わるだけなので。
じつは、上に書いた無気力・新人類路線が、最善の戦略だったんだね。
彼らは、積極的に意図的に無気力でダンマリで低体温をやってたんだよ。
少しだけ話を戻すけど、元増田の発言って、ジョギングやサイクリングを
しつこく勧めてくる人間にも似ている。
色々と利点を並べた上で、「ま、無理にとは言わないよ、そうやってウジウジと
やらない理由を並べてればいいんじゃない? せいぜい笑ってやるからさ」
みたいな。
ところで、もしジョギングを勧めている、その相手が車椅子に乗ってる人間だったら、
どうする?
足が動かない人間には、動かない人間なりの自己実現の道がある。
そんな車椅子の人間にジョギングを勧めるほど悪趣味な人間は多くは無いけど、
モテ/非モテのゲームに参加しない人間は同じくらい悪趣味な挑発をいつも
浴びせられる。
理由は簡単で、負け組みにいっぱい参入して欲しいんだよ。
(元増田がそこまで考えてエントリーを書いたとは思わないけど)
「うちのチームは万年Bクラスなんで、意味が無いから解散します」って言ったら、
翌シーズンからは3チームでAクラスとBクラスを分けることになるんだぜ?
カップル⇒結婚⇒家庭ってのは別として、その前段階のモテ/非モテってのは、
言ってみれば、自己承認の感覚っていう限られたパイを奪い合うゼロサムゲームだ。
(上に書いたサークルクラッシャーの例を参照されたし)
弱っちくて不案内な初心者を定期的に勧誘しないと、自分たちが良いポジションに
立てないじゃないか。
> 2と似たようなものですが、世の中の裏に恋愛至上主義という巨大なモンスターが棲んでいるという陰謀論系。
べつに、電通や光文社がゲルショッカーや黒十字軍やコミンテルンみたいに策謀をめぐらしてる
わけじゃない。当たり前だ。
でもね、津々浦々の小社会では、みんな自分の株の上がり下がりに神経を尖らせていて
そんな集合無意識が、結果として世相全体のレベルでは巨大なモンスターになって、オレやオレの同類達の
なけなしのプライドと自己承認を根こそぎにしようと襲い掛かって来ているんだ。実際。
でも仕方が無い、自分が選んだ道だ。
だけど、楽な道じゃないんだぜ。
モテのゲームを抜けようとした人間にしか見えてこない、まるで暴走族の足抜けに対するリンチや、
女子グループの抜け駆けに対する制裁みたいな、えげつない、しつこい、悪趣味な
同調圧力があって、それに拮抗できるように、ゲームを降りる胆力、ゲームを降りる意志力、
ゲームを降りる知力を血の出る思いで研鑽してるんだ、こう見えても。
だから、
> 5. 「俺のことなんかほっといてくれ」
> 非モテ全般をいじってるエントリに対してわざわざ「俺のことかー!放っといてくれよ」って言っちゃう系。
こういう風に挑発に乗るのは、それは研鑽が足りないからとしか言いようが無いが、
それは少なくとも挑発してくる人間に言われたくはない。
さんざん挑発しておきながら、不愉快だから「不愉快だ」とリアクションしたら、
「未練たらたらですねー(笑)、酸っぱいブドウですか~?」って、そりゃなんだよ?
今の自分は幸いにして適職を見つけ、少数だが信頼の置ける友人たち(なんと女性もいる! 人妻だけど(笑))を
何グループか確保して、職場では"枯れたオッチャン"のポジションを得て、そこそこ確実に楽しくやっている。
このエントリーは、元増田が書いたエントリに、(本当はそんな筋合いは無いにもかかわらず)グサっと
きてしまった後進たちのために書いた。
書くことも尽きたので、元エントリに逐語的に反応して終わる。
1. 「だって俺だけベリーハード設定なんだもん。残機も回復アイテムもないし敵は鬼のように強いし、やってられないよ」
自分にとって楽しくないゲームは、いかに周囲が賞賛しようとクソゲーです。
MMORPGのギルドマスターから「出勤するからログアウトしたい? 甘ったれんな!」とか言われたら、誰だって
そいつが異常だと思うでしょ? 間違った自己修養精神は何の果実ももたらしません。
あなたにだけベリーハード設定に思えるゲームは、まちがいなくあなたにとってベリーハードなゲームなのです。
ご心配なく、ベリーハードに感じている人は他にもたくさんいます。
2. 「女と付き合う(結婚する)ことでかかるコストはこんだけ、対して見返りはこんだけ。割に合わなすぎる!」
女と付き合う(結婚する)ことによるコスト/リターンは人によって変わってきます。
「一般的な人なら儲かる」と吹き込まれたとしても、自分が恒久的に赤字となる見通しなら、
1)自分が悪いんだと考えて、反省と修正を加えながら石にかじりついても事業を継続する。
2)さっさと撤退して他の事業を探す
と、2つの道がありえますよね? 私なら後者を選びます。
3. 「恋愛至上主義社会に組み込まれたが最後、俺たちは搾取され捨てられるだけなんだ。そんな社会に参加したくない」
恋愛至上主義なんて幻想に過ぎません。幻想に過ぎませんが、口裂け女のように反応が反応を呼び、
ほかの○○至上主義とは比較にならないくらい現実化して実際にあなたを搾取します。
素養と運があれば搾取する側に回れます。
折り合いはつけられません。乗るか降りるか、2つに1つです。どちらもあなたの自由です。
自分の素養と相談して決めてください。
4. 「でもイケメンじゃないし」「でも結局イケメンじゃないから相手にされないし」
> いい加減自分が選ばれないのは「外見が醜いから」じゃなく「内面も醜いから」である事に気付いてもいいかも。
人間は多面的な生き物です。彼女-彼氏という関係では外面も内面も醜いあなたに良い経験は出来ませんが、
他の人間関係では美しいあなたと美しいパートナー(達)が良い関係を持つことが出来ます。
彼氏-彼女関係において美しくあるために研鑽を積むか、他の人間関係に活路を見出すかは、あなたの自由です。
5. 「俺のことなんかほっといてくれ」
「ほっといてくれ」というエントリが不要なら、いじってくるエントリを書かないで下さい。
もしも、いじるのはそっちの勝手だというなら、リアクションするのもこちらの勝手です。
> そこで「俺のことも構ってよ!俺も寂しいんだよ!」って言えない無駄なプライドが全てです。
そこで、「誰かを見下していないと不安なんだよ」といえない無駄なプライドが全てです。
6. 「結局○○ですね、わかります」
曲解系。
無駄な修飾を省いて、シンプルな真意を確認することを曲解と呼びますか。
(例:彼女持ちor彼女無しっていう価値観から自由になろうとすると、
[臆病者の防衛機制]とレッテルを貼ってくるんですね、わかります。)
7. 「○○や△△の良さが判らないような人種なんて・・・」
家柄や年収や美醜のように、パートナーの条件に何を設定するかなんて、それぞれの勝手じゃないですか?
折り合いが付くか付かないかは同人同士の問題であって。
条件が折り合って付き合うことになるも、折り合う相手がいないから一生、誰とも付き合わないも
当人の自由では?
8. 「女は信用できねえ!」
実際、信用できなくなる経験を腐るほどしてる人がたくさんいます。
信用できないと思ってたら信用されないとして、ニワトリ-卵の水掛け論になるくらいなら、
相互に不信感を持っているほうが、無理やり信頼しようとするより健全では?
どこかで信用するにたる女性(女性にとっては男性)を見つけるかもしれませんし。
そうしたら、はじめて信用することを始めれば良いかと。
9. 「女は怖い生き物だ、嘘つきだし○○だし△△だし□□だし・・・」
> じゃ、逆にあなたがどれくらい高等な生き物なのか説明してください。
「嘘つき」というのが良いたとえですが、どちらかというと、女性が男性より
はるかに高等だから怖いのではないでしょうか? それも、情報戦、人心操作、
また、倫理や観念や建前のせいで複雑で脆弱になりがちな男性の精神に対して、
「自分がご機嫌になることを勝ち取る」という一点からゴールがブレない
精神の強靭さも恐怖の対象です。
10. 「スイーツ(笑)」
オタクというのは没頭するものの対象が千差万別なので、何オタクなのかについて無理解と理解の違いがありえますが、
「スイーツ(笑)」の対象とは、ネイルアートにせよエステにせよ旅行にせよ、はては美術館めぐりやゴルフに至るまで
「羨む層から羨まれる層へとちょっとだけ自分のライフスタイルのクラスを上げる」という一点に要約できるので、
具体的には(ネイルエステ旅行美術館ゴルフ等々)何をしていても、サザビーを組むのとキュベレイを組むのくらいの
違いしかありません。
11. 結局「その鎧、悪い事言わないから、1回脱いでみたら?」っていう。
大小多数、なんども苦い経験をして、自分自身のことを多少は理解して、自分の元々のポテンシャルを努力で
補填するほど彼女が欲しくないことが分かったので、「モテ能力を磨く努力」と「モテ抜きで生活を充実させる努力」
のうちで後者を選んだだけで、言いかえれば
「自分の素養では多大な労力を投下しないと素敵な彼女なんて回ってこない。だから、
彼女なんて作らずに別の方法で幸せになろう」
という実にシンプルで経済原理にそった選択をしただけのこと。
いうなれば、眉を整えたりメールをマメに出したりする労力を払う代わりに、自分の心の中に
「彼女欲しいよー! ラブラブ生活が送りたいよー!」という欲求があふれ出さないように城壁を
築いているだけです。どちらも等価です。
> 変わりたくないなら訳の判らない中間地点でクネクネするのは単に見苦しいだけだしやめたら?って思うし。
中には終生パートナーが途切れることが無い、という最初から結論が出ている人もいますが。
私自身、大学デビュー、社会人デビューと何度もクネクネしてきました。
相互に満足できるパートナーが見つかる可能性があるのに早々に鎧を着込んでしまうのももったいないし、
そもそも女性全般にソリが合わないのに強引に婚活に飛び込むのも後々禍根を残します。
それをハタからみて見苦しいの一言で止めろというのは、横暴なのでは?
自分が結婚したくないことと、何より子供が欲しくないという事実に向き合う羽目になって嫌だ…。
結婚までは我慢できるけど、子供は無理。本当に死ぬほど子供が欲しくない…。
自分自身でもこんなにいい親はいないって思うし、感謝してるのに、
どうして子供好きの母親に孫を作ってあげる気になれないんだろう。
その理由が生理的に男性が無理とか、そういった理由だったら仕方ないんだろうけど、
理由っていうのが…
あんなによく育ててもらったのに、どうして私はこんなふうに思うような子に育っちゃったんだろう…。最悪だ…。
現地人に間違われることも何回かあり、
北京語で筆談しようとして漢字を書いた紙を見せても英語で返される。
街中に溢れる英語はcentreとか-iseとかイギリス式だった。
ちょっと落胆した。
同じような顔をした東アジア人、同じ漢字の知識を持つ漢字圏の人たちと、
来日アジア人学生とは日本語で話していたから気付かなかったけれども、
日本に照準を当てていない外国人とは、いかに文化的人種的に近い東アジア人であろうとも、
最近東南アジアに行ったときも、やはり現地人との会話には英語を使うしかなかった。
現地の言葉を話そうにも、「サワディー」「カムオン」ぐらいしか分らないんだから。
英語は分るのに、同じような顔をした人達の基本的な挨拶も知らないなんて!
自分を恥じた。
日露戦争の時は日本人と清国人と朝鮮人とベトナム人とは、知識人であれば会話は出来なくても漢文で意思疎通が出来たらしい。
安は日本人看守に処刑前に「為国献身軍人本分」という自書を渡した。
今や朝鮮人もベトナム人も平均的な戦後生まれは漢字を理解しない。
もっとも千数百年前は当時の漢文が今の英語の立場にあったのかもしれない。
英語で世界が均質化されるということは、逆に言えば今まで交流の浅かった遠い国との距離が縮まる分、
隣国との距離が相対的に広がるということでもある。
追記:
文脈によってその指す範囲は異なりますが、本稿では、文面から、
「漢字や箸や仏教や儒教を伝統文化として擁する東アジアの国々」から「モンゴロイドを主要構成員とする東アジアの国々」
までを漠然と指している、ということを、感じ取れないでしょうか?
形式的には「中華人民共和国」という国連の基準では一つの国家の中に含まれていても、
ウイグルやカザフやキルギスやウズベクやチベットを「東アジア」に含んでいないことを、感覚的に理解できないでしょうか?
だから、そのほかの文化が滅びていくことが無念だ、というのがこの日記の主題なんですよ。
安重根の辞世の句、これは漢文だから魂が込められているのです。
同じ文句を英語で安が発言したとして、意味は通じるでしょうが、それはもはや魂のない「記号」でしかありません。
(漢文も土着の言葉を蹂躙して君臨してきた事実を差し引いてもです。)
今の韓国人は安の遺墨「為国献身軍人本文」「国家安危労心焦思」を読めません。
安の遺墨に込められた魂は漢字排斥により子孫たちから断絶されました。
私たちは、英語を汎用できる利便性と引き換えに、それぞれ固有の文化が持つ魂を失いつつあります。
英語以外の言葉を学ぶにせよ、世界中の言語全てを「平等に」習得するのは無理ですから、
何にせよ取捨選択はしなければいけませんよね。
働きます。
さっき謎の計算をしながら「働かない筈だ!」と喚いていたけれど
現存する一夫多妻の国(日本も昔はそうだったが)の家族を見てみればいいが
第○夫人までみんな子供を持ってる。
愛人が妻より子供出来にくいとすれば、社会的に容認されていないせいで妊娠に消極的だから。
そう、雇用の創出。
バカがさっき現状を完全雇用状態みたいな前提で語りながら「悪くなる」と喚いていたけど
無い無いと喚く根拠がさっきから無い。
あくまで喚きたいなら貧乏人がガンガン種付けしてガンガンガキを作るインセンティブも無い。
子供が労働力になって親を助けてくれる、と言う時代でも社会でもなく養育費ばかり高いのだから。
とすればこの施策で何かが悪化すると言うことは無いわけだ。
わかりきってることだがわざわざ補足説明をありがとう。
既存のその関係に法的社会的認知を与えよう。そうすれば少しは子供が増える。
あとさっき言ったことをバカにはもう一回繰り返さなきゃいけないようだけど
「有限のパイを奪う」とかいう言い回しはパイが不足してる状態で言うこと。
男も女も買い手がいなくて市場にダブついているのが今の状態。3回は言わせんなよ。
それを更に公的に認めるということは、女の一極集中を是認して、「ガキを作る」のに適した年齢の男にシェアを与えないことに直結する。
さっきの文をよく読んで理解してりゃこんなバカ丸出しなことをもう一回書いたりしないですんだ。
失われるガキは平均値で考えて15人くらい。(まぁ、全ての老人が溢れる性欲で種付けしまくりさ!と考えてるのかもわからんが)
現状で老人に囲われてる女は、法が認めなくとも老人に買われているパイなわけだ。既に!
現状で市場から失われているパイについて、「新しい施策を打つと失われる」と喚く低能が居るんだけど
どうやると彼に日本語が通じるのかな?w
(どうでもいいが20人も囲う老人て想定には笑った。精力も資金もぶっとんでるなー。
そこまですごい人物は想定しなかったけど、そんな絶倫老人なら法が認めれば子供いっぱい作ってくれるだろう。)
俺はもうちょっとまともなオツムの人の反論が欲しかった。
そういう人と反論再反論のやり取りをすれば論のブラッシュアップになったが
3度は言いたくないから重ねて言うけど
君はこの施策に反論する時に
現状を完璧に成功した市場、男女が完全にマッチングし誰も余ってない状態であるような前提で反論をしている。
そんな状態であればそもそも少子化対策は必要ない。
ていうかな、バカは100回ぐらい推敲してから人に反論してくれ。
わかるわかる。俺の場合大学のサークルに似たようなのがいたなあ。ただしそいつは男で、話も全体的に元増田の話とは男女逆転してたが。
基本的に「私はわかってる」というオーラを出し、いつも隅でタバコをふかしてた。
で、「○○ちょっとおいで~」とかいって人を呼び出して、こそこそ人のプライベートなことだけ話してた。
こことかまるっきりそのまんま。「男に厳しく女に甘い」だけはそのままだったがw
そいつはおかしな奴で、音楽系のサークルだったのに、自分ではほとんど演奏しなかった。「初心者同然なのでこれから始めます」とかいって入ってきたくせに、評論家的な立場におさまって、他人の演奏を論評してばかりだった。そしてなぜか後輩達の一部は、自分ではそのジャンルの音楽をほとんど聴きもしないそいつの論評を聞いていた。まあそいつの「論評」も他人の受け売りと、「あいつはああいう性格だからこういう演奏になる」みたいな、本人の性格にこじつけた適当なことをつぎはぎしてるだけのものだったんだがね。
そういうわけで、
不思議と相談ごととかで頼られたりしていたけど、正直、自分にはなんであの人に相談するのか分からなかった。
空っぽの人に見えた。他人との関係性に依存してるというか、寂しそうに見えた。
なんかサユリ一号とかぶる感じ。本当は周りより子供なんじゃ?って思ってた。
そして実は自分からは何もしないんだよね。周りを分析して、「あんたってこうよね」とか言って、相手の心に入り込む。
こういうことが見えてる上の学年を中心にそいつを嫌っている人間も多かったが、下の学年を中心に取り巻きもそれなりに沢山いた。
で、俺もそいつとは余り関わらないようにしてたんだが、学年が進むにつれてサークル内でそいつの取り巻きの比率が高まってきた。
そしてなぜかあるときそいつは俺をターゲットに定めたらしい。取り巻きの後輩に「増田は人間的に幼稚だ、何もわかってない」などと吹き込みだした。そして、そいつの取り巻きの後輩からいきなり俺は総スカンくらい始めた。そいつらの中には
「僕は元々このサークルあんまりなじめてなかったんですけど、増田さんが親しくしてくれたから残ろうって気になったんすよw」
みたいなことを言ってた奴もそれなりにいて、社交辞令とはいえ悪い気はしてなかったし、少なくとも嫌われてはいないだろうと思ってたんだが甘かった。
気がついたら何の前触れもなく周りの人間が自分を敵視するようになってた。馬鹿話をして普通に笑ってた後輩が、は?何言ってんのこの人?頭悪いんじゃね?みたいな侮蔑を向けてくる。まさにカフカの「変身」の世界。ある朝目が覚めたら自分が毒虫になってたってこういうことだなと思う。
感情の行き違いでハブられたなら諦めも付くが、こっちに何の落ち度もなかったからすっかり人間不信になった(例の奴が裏で俺の悪口吹き込んでたと知ったのは最近になってから)。
俺はもともと学問が好きで博士まで残るつもりだったが、メンヘル状態になってしまっては学業に身が入るわけもなく、留年した上にひどい卒論を書いて大学を去った。
一方、そいつやその取り巻き連中は博士まで残った奴が多い。というか、学生時代に学問について熱く語ってた連中で博士に残った奴は皆無に等しかった。逆に、いつも「単位が足りない」だのわめいてたり、普段はろくに勉強せずに試験前に俺に勉強聞きに来たりしてた奴らこそが、博士終了後即刻でアカポスゲットしてたりしてる。
今の自分は自分の分野でそれなりに誇りの持てる仕事してるつもりだが、そういうのを見ると未だに心がもやもやする。純粋数学みたいな才能勝負の個人プレーの分野を除けば学問の世界もコミュ力が重要なんだなという現実。本当、娑婆は地獄だぜ。
趣味とかは無いのでそういうスペースはいりませんが、本だけは絶対に譲れないですね。
結婚・子育てにおいて「譲れるかどうか」という話をする際には、前提をはっきりさせとく必要があるよ。
「本より子供を優先できないなら云々」というフォローもついてるけど、そういう議論の前提は、「どうしてもどちらかを選ばなければならない状況に追い込まれたらどうするか」っていう話ね。自分なりに「子供に絶対必要な最低限のモノ/スペースと、本と、どちらかを取らなければならない」って極限状況を考えてみて、それでも本を取るって思えるなら、確かに親になるには向いてないかもしれない。
でも、自分の人生のポリシーとして「本だけは絶対に譲れない」と思ってるなら、議論の方向は逆になる。本の心配をしなくちゃならないような生活にならないように頑張ればいい。子供育てて、かつ本も置いとけるだけの広さのところに住めるようにすればいい。配偶者がどう思うかではなく、全てはあなた次第ってこと。
細かく精査というのは不可能だよ。
結婚なんて相手によってまったく変わる訳だし。
例えば、一人の時間を持ちたいというのが、趣味に没頭出来る時間が欲しいとした場合、
それを許してくれる配偶者がいたらそれはもうデメリットで無くなるし、
そうじゃなく、単純に一人がいいとした場合も、
よい相手が出来てみたら、たまには一人でいたいなー、
くらいに君自身が変わる可能性を無いと言いきれない。
子供に関しても、趣味にかけられる時間と金が減るっと思ってデメリットとしたとしても、
そもそも子供が出来たとたんに趣味より子供が大事になる可能性もある。
もちろん逆に結婚したら大失敗だったってのもあるだろうね。
なので事前に予想を立てても無駄だって事だと思う。
無駄に考えるくらいなら実際に結婚をした人間に話を聞く方がいくらかいいね。
現実の1例だけはサンプル取れる。
んでそれを聞くのは出来ればリアルで聞いたほうがいいね。
http://newsweekjapan.jp/column/ikeda/2010/05/post-174.php
よく読んだ?
この文章でいいたいのって待機児童問題というより子ども手当て問題でしょ。
子ども手当ては現金で渡すより、子育てチケットでくばったほうがよくね?ってことでその一例として保育問題を取り上げてる。
で、保育料全額賄えるバウチャーっていくら?
東京の公立保育園の0歳児保育料は月50万(勿論親が自己負担する額は遥かに少ないけど)だそうだから、0歳児持ちなら最大年間600万くれるの?そりゃすげーわ。
普通に考えて親負担の5,6万だろう。
児童受け入れの優先順位は所得で決まるのではないし(保育料は所得で決まるが)、自営だと優先順位が下になると言うのは子持ち間では常識なんだけども。
ここまで言い切ってるってことは何かの資料をみたんじゃないか?本当かどうかはともかくこの段落ではとりあえず保育行政に問題があるってことをいいたかったんだろう。
そりゃ市場経済に委ねたら保育料が跳ね上がる→結果的に「保育園使って働いて得る給料より保育料の方が高いから働かない方が得」な家庭が大多数になるから
「不足」は解消されるだろうけど、そういう問題じゃないだろ。
そうゆう問題なんじゃないか?東大に入りたい人が全員入れないのと同じで、相応のところに入りなさいってことでしょ。駅近の保育園は高くて無理でも、駅から遠い所は安いですよみたいに。もしくは金もってねー奴は自分で育てなさいってことでしょう。
増田がいうように自由化すれば待機児童はなくなるでしょう。「保育園使って働いて得る給料より保育料の方が高いから働かない方が得」になるんだから。
ちょっとつっこんでみたが、いずれにしろ池田信夫のいってることもよくわからないことも事実。変に待機児童問題や幼児教育論持ち出して訳わからなくなってる。きっとブログ書いたり記事書いたりしすぎて混乱してるんじゃないか?
たぶん、親に金渡すんじゃなくて幼児教育に金入れろやっていいたいだけなのにベリーの何とかとかイギリスは5歳から義務教育とかそれが誰にとって良いのか悪いのかわかんないこと言い出すし、しまいには女働けやですか。