iPadにGPS付きのモデルがあれば紙の地図なくてもいいんじゃねって一瞬思った。
ただ紙の地図は道がわかりやすくていい。
グーグルマップで同じくらい細かく道を見ようとしたら表示範囲が足りなくなる。
ここだけ手動で調節できれば俺は満足かな。
他人に理解されないことに苦しむのは、ヒトとヒトが理解しあえるなどという幻想にとらわれているからです。
理解されて当然、という傲慢があるから、他人の言動や行動にいらついたり傷ついたりする。
血を流し痛がっている人の痛みがどれほどかを正確にわかる人はいない。
他人の痛みがわかるなんて言っている人を信用してはならない。
「この男は痛いだろう。だが私は痛くない。カイジくん、君もだ」
と言い放ったあのお爺さんだけが正直者だ。
2000年前は釈尊くらいしか気付き得なかった真理を、全員が気付き始めてる。
大々的に全ての人間にアピールなんかせずに、「価値が理解できる人だけ買ってください」というスタンスでモノを売る。
容姿も、性も、商品となって売買されてる。
紙の地図便利だよ。電池を気にすることもないし、落としても壊れないし、多少なら濡れても平気。だめになったら新しいものを買えばいい。
元増田です。「恋愛不適合」とおっしゃいますが、恋愛不適合とはどのようなことなのでしょうか。
ということが問題になると思います。これは私がいつも思い悩んでいることです。あなた(とお呼びすればよろしいでしょうか)は、この能力は先天的な物が大きい、というように考えておられるのではないですか?努力して何とかなるものではないと。私も、そうなのかなと思うこともありました。ですが、女性恐怖症はナンパを繰り返し、合コンを繰り返し直していきました(女性と普通のコミュニケーションはできるようになったということです)。だから、恋愛をする能力も付いていくのではないかと信じたいのです。
ただ、その能力がどういうものかがわからないので苦労している。それは確かです。
「人を愛する能力」というのがそれかな、と思ったこともありました。でも私は女性を愛するところまでも到達しない。深くお互いのことを話し合うところまでさえいかないから。
でも、あるとき、私のことを好きと言ってくれた(が彼氏がいたので付き合ってくれなかった)女性が、「あなたはきっと好きになった人を大切にできる人だと思う。」と言う言葉を残して私の元を去りました。正直、意味がわからない。恋愛というのは論理の世界でどうにかなる問題ではない、ということなのでしょうか。
その一 電子辞書
と僕が学生の頃(10年くらい前)は言われてた気がする。
電子辞書に抵抗がないなら、iPadでも同じことは可能なんだし。
最近ヨドバシに行ったら最近の上位機種って電子辞書著作権の切れた小説とか入ってるの。
その二 地図
完全に紙の利点が浮かばない。
紙の地図帳なんか買う人は今後いるのだろうか?
紙だと道路が出来るたびに買わないとならないし。
GoogleMapならそういう心配はないし。
その三 ニンテンドーDS
後ろめたい方が勝っちゃう世の中っていうのも狂ってるけどにゃー
痴漢冤罪の話とはまったく違う。そんな話一行もしてないし。
何を言ってんだ、お前は。頭がヤコってんのか。
痴漢冤罪批判者に何か恨みでもあんのかしんないけど、
なんかあの触感が好きじゃないなあ…。
救うとか救わないとかそういう話じゃないよ。
他人が他人を信じていない事をしみじみ痛感したんだと思う。
そして、信じる事がどんなに大変かも。
これはやばいと。
牛丼屋なんかで紅しょうがを大量にいれる奴はなんなんだ。
溢れそうなくらいに器にこんもりと盛りやがって。
それでも足りないとばかりに、食う端から次々と紅しょうが補充しやがって・・・。
だったら紅しょうがだけを盛った紅しょうが丼でも作って食べてろよ。