はてなキーワード: 要請とは
アドバイスではないけど、物心ついた幼少の頃からなんとなく、「自分は生涯未婚、子作りもしない」と予感していた人間の考えを
まず、世間や周囲の反応やら、少子化による社会的な暗黙の要請などなど、たしかにそれは感じることはあるが、そもそもそれらとは全く別軸のルールとして、
「自分という人間の遺伝子を残すことを是としない」という絶対的な考えがあって、未婚を貫くのもそもそもその可能性を断つことの意味合いが強い
子作りというのは自分一人ではできないし、たとえ相手が子作りしないことに同意していたとしても、人間の考えなどいつ変わるか分からない
それが自分以外の他人であれば猶更で、それを止める事は当然できないし、その権利だって当然ないわけで、だからこそ相手を作らないでいる方が安心安全だ
というより、性行為を頻繁に行う環境を用意してしまえば、たとえ避妊していても万が一は常にあり得るからこそ、可能性の芽を摘むことの意味合いは大きい
私は別に異性や性行為を憎んでいるだとか、子供自体が好きではないといったわけではなく、ただただ「自分の因子を残したくない」だけ
まあ、もしかしたら私のような考えはメジャーよりではないのかもしれないけど、それでもそもそもなんで未婚や子作りしたくないと自分が感じているのか、その源泉は自分で知っておいた方がいい
ただなんとなく、「そういうのも大丈夫になった社会だから」とか「面倒臭いから」が理由になってるなら、年齢と共に後悔し始めるのも致し方ないと思う
デマを鵜呑みにした活動家のラジコンなのが丸わかりなのが本当に萎える。
神宮外苑は内苑と違って森じゃないエリアだって基本中の基本すら抑えず
小池よりマシなら全然投票したのにマジで酷い。清水国明のがまだマシ。
蓮舫💙💛RENHO🇯🇵@renho_sha
伐採しても新たに植樹する、でいいのでしょうか。100年かけて育ててきた森は簡単には再生しません。CO2を吸収する森をなくしCO2を排出して再開発し高層ビルを建てる。
現職の知事は昨年要請した事業者への計画提出を再要請していないのは何故なのか。夏に予定される選挙の後に先送りしてはいけないと思います。都民の声を聞くべきものです。
(前半からの続きです。)
https://anond.hatelabo.jp/20240608093126
もっとも、現代アートは手放しで褒められるものでもないでしょう。多くの批判者が火のないところに煙を立てているとは言えないと思います。作品の出来が悪いものも混じっていることは否めません。
大方の批判にもかかわらず、私は今回のトリエンナーレではそのような「的外れ」感のある作品はほとんどないか、かなり少なかったと感じています。これもキュレーションのよさでしょう。
思い返せば2020年のトリエンナーレにあった「エビにSEXをさせる方法を考える」という一連の展示はひどかった。テーマはとてもよかったのですが、日本(だったと思います)のクリエイターたちの作品はふざけているとしか言いようのないものでした。その課題は、「エコスフィア」(エビと水草の入っている閉じた水槽)の中でエビは酸素を吸って二酸化炭素を出し、水草は二酸化炭素を吸って酸素を出す。この循環のバランスはうまく保たれているが、一つ問題があって、エビは生殖をしなくなる。そこでエビに生殖をさせる方法を考える、というものでした。多くの作品はエビにセクシーな格好をさせるとか、エビの秘宝館のようなものを作るとか、そういうものだったと記憶しています。しかし、クリエイターたちはこの「エコスフィア」が地球の生態系の比喩であると気づかなかったのでしょうか? だとしたら愚かに過ぎるとしか言えません。それとも、気づいていてこのような作品を作ったのでしょうか? だとしたら二倍悪い。エビとは「私たち」に外ならないのだから、つまりクリエイターたちは女がセクシーな格好をして男を誘えばよいと言いたいのでしょうか? それはあまりにも「男尊女卑」に終始していると言わざるをえません。そこには問題意識が欠如しています。「教授の課題テーマはよかったが、学生たちのレポートがだめだったという感じだ。」私は友人とそう語りあったことを覚えています。
2020年といえば壁にブレインストーミングのように年号と出来事を書いてゆく展示もありました。そこには作家のメモも展示してあり、『荘子』の「胡蝶の夢」の故事が引用してありましたが、「與」を「興」と書き誤っていたことを覚えています。自分のことは棚に上げつつ、非本質的でささいな事をあげつらうようですが、「どうかわからないことで見栄をはらないでほしい」と思われてなりませんでした。
現代芸術の作家たちの一部が「見栄をはろう」としていることは薄々感じられます。人文学、哲学、歴史学、経済学などに議論の蓄積がありとっくに通過してきた知見について、芸術家たちが何周も遅れて的外れなことを言っている光景は、あまりみっともいいものではありません。なぜそのようなことになっているかといえば、芸術家が「作品」だけではなく、その「意味」で評価されるようになっているからでしょうか。
かつて芸術家は貴族の注文にこたえて絵を描いていたそうです。今の作家は自由に作品を作れるはずなのに、ただ社会の要請にこたえて作品を作ろうとして、中身のないステートメントを打ち出しているのは、痛々しくさえあります。
しかし、これは決して「アーティストはよけいなことを考えるな」と言いたいわけではなく、むしろその逆で「もっと学問をしてほしい」ということです。しかもそれは「芸術家」としての意識以前に、「市民」として当たり前にもつべき意識であると思うのです。芸術家は作品だけで力のある面白い作品を作って、そしてそれとは別に最低限、当たり前に市民として的外れでない発言もしてほしいのです。
トリエンナーレと同時開催の展覧会Bank ART Life7「UrbanNesting: 再び都市に棲む」に足を運ぶと、新高島駅地下1階の会場の入口には巨大な土のダンゴがありました。これはかなり面白かったのですが、説明を見ると福島の土で作ったとありました。もちろん福島の原発事故はまだ収束したと言えませんし、提示された問題は深刻です。しかし、その場では私も友人も何となく興が醒めてしまったのです。それはなぜでしょう? 何となく、「作品の面白さにテーマが負けている」と感じました。私も「キラキラ」なアートを好む一員であり、私の中で「無意味」のもつ破壊的な力に「意味」が負けてしまったのかもしれません。あるいはその逆で、テーマの重さのために、作品が軽く見えてしまったのかもしれません。いずれにしても、私は作品のよい受け手になることができませんでした。
しかし問題は受け手だけにあるのではないと思います。「作品」と「意味」のバランスは難しいことであり、作り手の側でもうまく調整しなければならないものです。先程述べた通り、今回の展覧会にはピンボケな作品が少ないと感じました。しかし、今回の出品作のうち、どれくらいが「意味」(言葉による解説)なしに「作品」だけの魅力で勝負できるものだったかは疑問も残ります。
今回の展示にあったBゼミの試みはよかった。「意味のないものを作る」とか「新しい楽器を作る」とか、芸術を意味から解き放つような試みは今でも頼もしく思われます。どうもいまのアートは、意味を付与された瞬間に弱くなってしまうような気がしています。作品と意味との関係性については、まだまだ考える余地がありそうに思います。
私の身近に YOASOBI のアニソンが好きでないという人がいます。「アニソンというのはアニメの解釈であり、アニメへの讃歌であり、しかしアニメ本編とはズレているから面白い。YOASOBI の歌はアニメのストーリーをそのまま歌っている。だから面白くない」と言うのです。何となくわかる気もします。偉そうに勝手なことを言うならば、現代芸術も世界にあるモノをそのまま出すのでなく、世界をアートの形で表現するとどうなるのか、「意味」に傾きすぎず「作品」の力で見せてほしいと思います。
しかし、芸術に「意味」をこめるなというつもりではありません。批判者の中には、芸術家は被災地を創作で消費するのではなく、実際に活動をすることで被災地に貢献すべきだというような意見を言う人があったような気がします。もちろんそのような活動はしないよりもしたほうがよいのですが、それはあくまで「市民」としてのはたらきであって、「芸術家」としてのはたらきではないでしょう。芸術家には芸術家にできることがあり、それは創作であるということを否定するつもりはありません。しかし、だからこそ「作品」と「意味」にはもっとよい関係があるのではないかと思います。その答えが何かということは、残念ながら即座に提示できないので、偉そうに勝手なことを言うだけになってしまうのですが……。
批判めいたことのついでに言えば、今回のトリエンナーレを批判する意見の中には、電気を使ったインスタレーションと環境問題を訴える作品を同じ空間に並べることの違和感を語る人がいたように記憶しています。その違和感も理解できますが、それとは別に、芸術と資本の関係という問題も感じました。入り口の協賛企業の一覧を見たとき、たいへん違和感がありました。資本主義への警鐘をならす作品(全てではないにしろ)が、大資本の資金で展示できるとは! 大企業はそのようなお金を出すほうがよいと思いますけれど、その一方で企業がそれを「みかじめ料」として批判されなくなるべきではもちろんないでしょう。作品が意味をもつときには、その作品のおかれる「場」までもが、自らの意味を暴露するようになるのかもしれない。初っ端からそんなことを考えさせられるなかなか面白い「展示」でした。
咎め立てばかりしてしまったようですが、最後によかったところをいくつか述べたいと思います。友人は、今回のキュレーターの解説文(紹介文)がよかったと言っていました。友人によると今や「この作品はこう見るべきだ、ここが素晴らしいのだと天から決めつけて、自分に酔ったような解説」を見ることも多いなかで、今回の解説文は「キュレーター自身が作品をどう見るか、真摯に考えて書かれていたので好感が持てる」というのです。また、「キュレーションにも工夫が多かったような気がする。例えば商業主義のマルボロの広告の下にインドの貧しい生活を描いた版画を配置するなど、『対比』を意識したものがいくつかあったように感じた」とも言っていました。キュレーターの仕掛けた「作品」と「意味」の関係性のバランスは果たして十分達成されたかどうか、それはよくわかりませんが、キュレーターが真剣に構成しており、私たちに問いかけるものがあったのは確かだと思います。
要するに、初めに述べた通り「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということです。言いたいことはこれに尽きます。
魅力のある作品も少なくありませんでした。友人は勅使河原蒼風のファンになり、富山妙子の画集を買いました。私は土肥美穂の buttaiが気に入りました。同時開催のBankART Life7では、みなとみらい駅の腕木信号のオブジェや、Bank ART Stationにあった送風機で立ち上がる足などの機械仕掛けの作品が好きでした。
つらつらと思いつくまま書くうちに、思いがけなく長文になってしまいました。次回のトリエンナーレにも期待しつつ、このあたりで終わりにします。
「女様が不快に感じたからなんとかしろ!」が万能だと勘違いしてる。
今までは女性というマイノリティが社会に対して要請していたから最低限の正当性が担保されていたのであって、それを自分達より弱い子供に向けていいわけがないじゃんね。
石丸伸二をよく知ろう
https://www.youtube.com/watch?v=Nv3KOXAvFFU
全く意味が解らない。
皆さんこんにちは石丸伸二です。今回喜多方市長選に立候補しました。いろんなところで政策のお話はさせてもらってるんですけども、そもそもあなたは誰なんですかというご質問をいただくことも多いので、今回はその御要請いただいた質問をまとめてもらいました。
順番にお答えしていきたいと思います。
まず最初、最初ははい浦上ですね。はい。最初血液型と星座。O型です。星座は、しし座ですね。変わってないと思います。13星座でもしし座のはずですというのは、あまり星座に興味がない人間です。すいません朝の星座占い見ません。
次へきのこの山たけのこの里、どっち派。これは難しいですね。これほど世界を二分するテーマはないんじゃないでしょうか?ただこの厳しい質問に答えていくのも、市長としての大事な仕事になるのかなと信じてます。答えはたけのこですね。
チョコとサクサクスナックのバランス、何より質量感ちょっとキノコじゃ出せないなと思ってます。
次こんな調子で大丈夫か。次じゃん。得意なこと、自慢できること取り立てて自慢できることも、もう何でしょうか?
お酒が結構飲めます。苦手なお酒はないですね。世界のどんな酒でも出されたら絶対飲むと。
これは唯一親が僕に与えてくれた貴重な才能の一つかな.。お酒が飲める体質にくれてありがとう。(笑いがはいる)
次じゃん。苦手なこと、本当に苦手なことが多いんで、ちょっと選ぶのが難しいですね
もうちょっと皆さんが引くほど苦手なことを言っちゃうとマイナスなんで、言える範囲で、装着時は結局苦手な事。複雑な事が苦手です。
例えばスポーツの球技だけ駄目ですね。単純な走りとか泳ぐとかだと、夢中でどれだけでもできるんですけど、はい、野球とかはもう見る専門です
この街サッカーサンフレッチェありますけど、もう応援は絶対頑張って誰よりもできるんですけど、実際にやってみる体験とかは、すいませんちょっと難しいと思います。(だれかしゃべっている)
次スクールミーティング休みは何してますかなるほどこれまでの生活の中でいくと、基本的に休んでません。というのはトライアスロンというのをやってるので、土日は基本的に練習になってます。
朝は7時ぐらいからですねバイク、自転車に乗って、長い日は昼過ぎぐらいまで走り続けてます。100キロとか120キロというトレーニングをやるのって、休みの日はむしろ休まない。そんな生活を受けてます。
次今お付き合いしている人は、私の恋人は安芸高田市です。(スタッフが笑う)
ちょっとスタッフの人は笑いすぎですよ。いいえなるほどそれはいらないいらないんですいません。はい。独身ですし未婚のまま今に至ってます。はい。
どうも私にとっては恋人がこの街であり、私の奥さんはこの街です。また笑われました。
私はここで生まれ育って、僕は外の世界は本当に知らなかったんですね。旅行で時々出かけたことが年に1回ぐらい。
海外なんてもう大人になるまで出たことはありませんし、なので、ここが私の世界の全てです。
なので、何でしょう。はい。もう完成してましたね。この町も全て私の好きなものは全部ここにあると思って育ってました。はい。なので、やっぱりここは僕にとっては安らぐ場所ですね帰ってくる場所としては、これ以上の街はないなと思ってます。
安芸高田のここが好き僕の生まれ育った場所なので、小さい頃好きだった風景ですね。それは山があって、田んぼが広がって、町の人たちも距離が近いですよね。うちは歩いててすれ違う人に大体挨拶します。
名前知らなくても何となく知ってる人、そういう感じがみんなにあるんですね。そういう懐かしいというか、変わらない良さ、やっぱりそこが好きです。
新庄よく素人の映像あっという間の2時間半お楽しみいただけましたでしょうか?(この動画以外にまだあったらしい)
6日は今まだ選挙期間中です。
でも、あっという間に終わります。次の日曜日で、もうこの選挙も終わりなんですね。
でもこの選挙期間を通して何よりも、それが終わった先でですね、しっかりと自分がここにいる意味戻ってきた意味を、それを皆さんに伝えていきたいと思います。
それは今回の問題点を、ドラマ制作サイドの意図が原作者に充分伝わっていなかった、つまり「説明不足」に求めているところ。
本打ちメンバーが当該原作の設定を変えようと試みたことには、それ相応の議論と積極的な理由があった。しかしながら、本件原作者の上記返信内容をみる限り、本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。
いや、そうじゃないんだよ。原作が何を大切にしているかプロデューサーや脚本家を含めた制作サイドがまったく理解していない改変を繰り返すことが原因なんだよ。だから原作者が誤っている箇所とその理由を事細かに指摘し、それを繰り返しても一向に直ならない状況に絶望し、心身を疲弊させていく羽目になったんだよ。
以下なんてまさにその無理解を露呈してるよね。
原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の10代、20代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「父親のリストラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、高校受験の際に、父親が勤める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」と言われて本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、「うん、そうだね」と笑って受け入れたという設定に変更する旨のプロット案を送信した。(中略)上記プロット案に対する本件原作者の返事として、かわいい制服の私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである、原作のジェンダー要素も逃げずに書いて欲しい、制作サイドは短大での設定を避けているのか?といった趣旨の記載がなされた文章が送信された。
日テレの報告書は、調査にあたった外部有識者(弁護士)が、本件以外取引がなく、独立性・中立性が担保されているとわざわざ冒頭に記しているが、上記を見れば外部有識者が日テレの側に立っていることは明らかだ。日テレも外部有識者もこれで騙くらかせると思ったんだろうか。舐めすぎじゃないかね。
再発防止策を本気で練るなら以下以外にありえない。
日テレ側は当初(3月9日あるいは29日打ち合わせ)で「本件原作者の意見を無視するような改変はしない、リスペクトをもって取り組むという趣旨の話をした」と日テレ報告書にあるが、それがなかったのは上記からも明らかである。
リスペクトとは何か。それは原作が、畢竟原作者がその作品で大事にしていることを同じように大事にするということであろう。
原作者は一切の改変を許さないというスタンスではなく、むしろ当初は上手く料理されることを願っていた節さえある。
芦原氏は、監修者として漫画とドラマは媒体が違うので、ドラマ用に上手にアレンジするのがベストであることは理解している。全てお任せして「ああなるほどそうくるのか!面白い!」と思える脚本が読めるなら、一番良いが、「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」がされるなら、しっかり、原作通りの物を作ってほしい。脚本で 100 点を目指すのはもう無理だと思うので、演技や演出力で、なんとか80~90点に、引き上げて欲しい。ベストは無理だと判断したので、限りなく全力でベターを目指して欲しい。と一層の努力を求め、原作者として「作品の根底に流れる大切なテーマを汲み取れない様な、キャラを破綻させる様な、安易な改変」は、作家を傷つけることをしっかり自覚して欲しいと要請しつつ、役者スタッフ等多数人の労苦に感謝しており、「闇雲に原作を変えるな!と主張しているわけではなく、よりよいドラマになるように、自分を守るために、現段階でできるベストを尽くしているつもり」と結んで本件脚本家の理解を期待した。
上記は小学館側の記載だが、原作者の当初の期待とそれが失われていった様を如実に表した一文であろう。
両報告書を読んで最も強く感じたのは原作者の孤独と絶望である。原作者は小学館を間に挟んでドラマ制作サイドと戦っている感覚だったのではなかろうか。
本来なら原作者と同じスタンスで原作によりそい、ともにドラマを作り上げていく仲間であるはずの制作サイドが敵となってしまったのは、本事件における最大の不幸である。
なぜそんな不幸が生まれたのか、制作サイドが真剣に反省し再発防止策を明文化し、プロデューサーからADに至るまでそれを徹底的に学び、実行しなければこの悲劇は繰り返される。
のではあるが…
●今回のことを受けて
・これで怖がっちゃいけない。安全にドラマを作る方法なんてない。それはみんな意見が違うし考え方が違う。その中で人間の生き方みたいなものを提示していかなければいけない。意見の食い違いもケンカもいろんなことがあって、プロデューサーが代表して、こういうドラマを世に問うんだと原作者、脚本家をまとめやっていかなきゃいけない。それを怖がっていたら面白いモノが出来なくなってしまう。そういう危険は今後もはらんでいるだろうけれども、だからこそ話し合ってコミュニケーションをとってやっていくしかない。
・放送局としてはまず第一に社員を守ることが仕事。社員を守るために早く結論を出すとか、その原作に係るトラブルの際に早く赤信号みたいなものをキャッチし、社員ができるだけクリエイティブに物を作る環境を整えるのが会社の仕事。
・若手プロデューサーの起用については、(トラブルになりやすいというのは)正直言ってあるとは思うが、それを恐れていたら駄目。失敗しないと学ばないからこそ、失敗してもフォローが出来る体制を作っていく方が大事。
3月29日時点で条件が示されていればドラマ化はなかった――これは日テレの調査によって明らかになったドラマ制作サイドの考えだ。ドラマ制作した日テレは3月29日のウェブ会議において原作利用許諾を得られ制作がスタートしたと考えている。原作サイドの小学館は6月10日のメールで初めて契約が締結したと認識している。すれ違いだ。
すれ違いが多数重なったことで悲惨な結果になった本件だが、6月10日までに実際に何があったかに焦点を当てて考察する。どちらの調査報告書でも解釈の都合に合わせて省略が施されていて、突き合わせてみないと実態がわかりにくい。原作の先生がブログで示した「何度も確認した条件」は、果たしてどのようなものだったのか。どう確認されたのか。日テレは何を約束し、あるいは約束したと思い込んだのか。
なおこの考察では、日テレの調査報告書も小学館の調査報告書にもウソは書かれてないと仮定する。この後に及んですぐバレるウソをつくのはリスクでしかないし、外部の弁護士が実名で名を連ねているからだ。
引用元を(日p12)(小p34)のようにページ数を付記して示す。
(日) https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-2.pdf
(小) https://doc.shogakukan.co.jp/20240603a.pdf
なお文脈を補うために適宜カッコ書きで(このように)追記する。
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ(小学館側は)芦原氏が自分の作品を大切にする方であり、作品の世界観を守るために細かな指示をする所謂「難しい作家」であるから、原作に忠実で原作を大事にする脚本家でないと難しいと伝えた。(小p13)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ他社に当面ドラマ化の意向がないことを確認し、会議で報告した。(小p13)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ他局からのドラマ化の話を断ったことが説明され(日p10)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ(日テレからの原作者とどういう形で進めていくのがよいか、の質問に対して)「できあがったプロット・脚本を見ながら進めていきましょう」
(日テレ側は)本件原作者の意見を無視するような改変はしない、リスペクトをもって取り組むという趣旨の話をした(日p10)
日テレはこのときにドラマ企画についての許諾がなされたと認識したらしい。
日テレの報告書には、この時点までの二度の打ち合わせではブログにあったような条件は文書でも口頭でも提示されてなかったと注記している。小学館担当者は「漫画を原作としてドラマ化する以上、『原作漫画とドラマは全く別物なので、自由に好き勝手にやってください』旨言われない限り、原作漫画に忠実にドラマ化することは当然という認識である」と回答した。
4月には日テレから脚本家候補者の提案があり、その中に揉めた脚本家も含まれていた。
脚本家が書いてきたプロットに原作の先生が修正を加えたりした。4月中に日テレから脚本家が決定したと通知された。
4月24日
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ「マストではないので、ご提案があれば随時お聞きしたい」(と添えて原作者の意見を伝えた)(小p16)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ未完部分はドラマオリジナルのエンドでよい(日p9)
日テレの調査によると、この発言は「未完部分は原作に影響を与えないよう、原作者が提案するものをベースにしたドラマオリジナルエンドで良いという趣旨で言った」とのこと。
5月19日
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ原作者としてエピソードの順番の入れ替えをしないよう脚本家に求めた。...送信メールに「 『セクシー田中さん』はキャラクター漫画だと思っています。それ故キャラクターを好きになってもらうために、各エピソードが綿密に構成されているので、やむを得ない場合以外はできるだけ、原作の流れを崩さないで頂けたら…と思っています」と記載し、編集者の立場からの希望を述べた。(小p17)
電話でドラマ化にあたってはやむを得ない部分はあるということを説明し了承を得た。(日p16)
6月6日
日本テレビ社内で 10 月期クールの日曜ドラマ化で決定になりそうだとして契約締結の段取りについて相談したいとの連絡(小p19)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ日本テレビ社内で正式決定されたら...連絡するように求めた(小p19)
6月8日
「日テレ内で『10 月ドラマ枠』で正式決定いたしました。」とメール(日p17)
(小学館社員に対し)契約の話を進めるように要請した。(小p19)
日テレの調査報告書によると、事前にドラマ化自体と放送枠は決まっていたが、初回放送日がこのタイミングで決まった、としている。
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ電話で改めて、ドラマのオリジナル部分は芦原氏が詳細プロットを書き、これを受けて脚本家が起こした脚本を了承しない場合は脚本を自ら書く方法を提案し、脚本家に失礼にならないよう了承を取ることを求めた。(小p21)
芦原氏に書いてもらうことはありがたいと賛同し、脚本家にもうまく話しておくと回答した(小p21)
「ドラマオリジナル部分は原作にない部分を描くため、本件原作者にとって非常にセンシティヴであること、本件原作者の過去のドラマ化の経験から本件原作者から提案したほうが良いであろうこと、提案の形態は、プロット若しくはロングプロット(なるべくセリフを多めに書く)とし、本件原作者が作成して本件脚本家が読み込んだ上で、本件原作者の意図を最大限汲んだ形で巧妙に脚本化できればベストであること、ただし、脚本化の過程で本件原作者の了承がどうしても得られない場合は、本件原作者自ら脚本を執筆する可能性があること、これを実施すると、専業の脚本家の方に大変失礼であるので、予め了承を取っておいてほしいことを述べ」日テレ社員の了承を得た、とのこと(日p18)、しかし日テレ社員は、
「もし脚本が芦原先生の意図を十分汲まず、芦原先生の承諾を得られないときは、芦原先生に脚本も書いてもらうこともある」と言われた記憶はないと否定しているが、詳細プロットを書く話を聞き、感謝したことは認めている。(小p21)
原作者自ら脚本を執筆する可能性があること、これを実施すると、専業の脚本家の方に大変失礼であるので、予め了承を取っておいてほしいことは、この時点では言われた記憶はない(日p18)
小学館のレポートでは日テレ社員は「明確な条件としてはお伝えいただいておりません」とも回答し、話があったことを否定してはいない、と強調している。
「契約書の件承知しました。(日テレ社員)より(小学館社員)から契約にあたっての 9、10 話のロングプロットの話など聞きまして、こちらとしては合意で契約すすめたいというのは(日テレ社員)に戻させていただきました」(小p22)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ「脚本家の方との向き合いもあると思いますので、なかなか心苦しいのですが」との懸念を示しつつ「その先のドラマオリジナル展開に関しては、芦原先生の方から、脚本もしくは詳細プロットの体裁でご提案させて頂けませんでしょうか」と、提案(小p22)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ「許諾の条件という程ではありませんが、はっきりとした要望としてご検討頂けますと幸いです」(日p19)
小学館のレポートは「交渉への配慮として許諾条件という程ではないとしながらも」と注記している。
「結果進めさせて頂くとのことで承知しました。9話あたりからのドラマオリジナル展開に関して芦原先生の方から脚本もしくは詳細プロットの体裁でご提案して頂く点も承知しました。芦原先生の原作の世界観もあると思いますので具体的に頂けるほうが良いと思います。(小p22)
こちらからもそのご提案を受けて、案だしもさせて頂ければと思いますが、その方向で進めさせてください。」(日p19)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ具体的な進め方は...(別の社員)と相談するように求め、原作利用契約は小学館から連絡するとのメールを送った(小p22)
進め方の相談の電話を...(その小学館社員)にするとメールした。
日テレ側の聞き取りによると、日テレ社員は「脚本は本件脚本家が書くものだと思っていたため、…メールにある『脚本』という点が引っ掛かった。そこで、」
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ9、10 話に関しては、原作者にプロットを書いて頂く方向で進められたらと思う旨メールにて回答した。(日p19)
小学館の調査報告書によると小学館担当者は「この提案は、プロットを忠実に脚本に起こしてもらえるならば、という前提での提案であり、この時点で芦原氏の脚本執筆を条件から外した事実はない。」とのこと(小p22)。日テレの調査にも同様の回答をしている。
「テレビドラマとして本件原作者のプロットが通用するかどうかは実際にみてからでないとわからない」旨回答し、本件脚本家の執筆したものでラリーをさせてほしいという旨伝えた(日p18)
さらに、「この時点で本件原作者の了承がどうしても得られない場合は、本件原作者自ら脚本を執筆する可能性があることについて本件脚本家に了承を取っておいてほしいことは言われたことはない」(日p18)としている。
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟドラマオリジナル部分については本件原作者からロングプロットの提案をしたい旨連絡があった(日p18)
それで良い旨... 回答し、...(小学館担当者に)伝えた(日p18)
高々数MBをケチってログの残らない媒体でコミュニケーションを取るのはリスクでしかない。6月9日に何が起こったかについて双方の意見は真っ向から食い違ってる。お互いがああも自分の意見を主張できるのは、相手方に記録が残ってないという確信があるからだと思う。彼らの読みは正しくて、だから結局どちらが正しいのかはわからない。真実は闇の中。ログの残らない電話だから。
・ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。
・漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。
原作者が用意したものは原作変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、場合によっては、原作者が脚本を執筆する可能性もある。
これらを条件とさせていただき、小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。
...「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。
(原作者のブログ記事より。アドレスはここだった http://ashihara-hina.jugem.jp/?eid=244 )
わたしの社会経験は豊富とは言えないけれど、小学館お墨付きのブログの「本当にこの条件で良いかと何度も確認させた」というのは誇張した表現としか思えない。少なくとも6月10日まで、原作者サイドはいろんな状況で何度も原作に従うように打診してきた。だけど「改めて」原作が脚本を書く了承を求めた6月8日以前にそれを求めた証拠を、わたしは小学館のレポートからさえも読み取ることはできなかった。そして「許諾の条件というほどではありませんが」… これが交渉の配慮から出てきた言い方なのは分かるが、「許諾の条件ではない」とワザワザ明記した要望が「許諾の条件だ」なんて認められない。これこれが条件だ、さもなければドラマ化は無しで、と言葉は強いかもしれないがビジネスの場では明確に迫るべきだと思う。
日テレ社員は6月10日のメールで「脚本もしくは詳細プロットの体裁でご提案して頂く点も承知しました」と一旦は納得してる。これは双方のレポートで食い違いがない。だけどその後に、「待てよ」と思い直して「(脚本ではなく)プロットで」と確認して小学館社員も方針に納得したらしい。しかし小学館社員は方向転換しない等とは言ってない。前提が覆れば現在の方針を改めるつもりでいた。このような『現在の方針の確認』は『契約の条件』というには曖昧に過ぎると思う。日テレ視点では脚本の話はそのメールでイキナリ飛び出てきた文言だったのかもしれない。だけど誤って受け入れた原作脚本の可能性を否定したいなら、「原作者が脚本を書く可能性は無しでお願いします」とハッキリ言わなければならなかったと思う。
小学館含む原作者側がどれだけ振り回され、心労を負ったか、という点にフォーカスしているのか日テレ版で言うところのラリーの詳細が多い。
漫画家の芦原妃名子先生がご逝去されたことについて、改めて、先生の多大な功績に敬意と感謝の意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
重箱隅つつきなのはわかりつつ。報告書冒頭にはまずこれがあるべきですよね。
(日テレ版は報告書本体のリンク元であるプレスリリースには同様の記載があるが、肝心の報告書冒頭には記載していない)
日テレの2人目の対応者って上司やったんかよ!!!いやそんな気はしてたけどさ!!!
そもそも小学館側はきちんと担当部署だけでなく、各社員と上司を明示していてこの時点で日テレ版より分かりやすさが違う。
特に問題はないという意見を示しつつ、気になる点として、第 2 話脚本中に若い男女のメッセージのやり取りをメールでさせていることについて、今どきは LINE が普通ではないかと指摘したり
「今時のJKは短大よりも専門学校だ」という議論をできるドラマスタッフが、今時の男女のメッセージやり取り事情に精通していないなんて…。
また併せて飼っていたハムスターの逃走範囲に関するセリフについて、原作漫画の 100M 以内との吹き出しの記載を 200M 以内に変更した点にも疑問が呈された
(略)
ヒンズー教徒が多いインドでベリーダンスをするという点に疑問を呈した
(略)
またダンスの動画についても、初心者に過ぎない田中さんのダンスが動画で評判になるほどのものではあり得ないこと等の理由を詳細に説明して、日本テレビの補足説明中の提案を認めなかった。
日テレ版では省略されていた「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」の具体的な例をきちんと書いてくれてますね。
「めっちゃ打ち合わせして議論してより面白くなるよう頑張ったんすよ」アピールしてた日テレさん、これも全て改変の意図がきちんと伝わらなかったの一言で済ますの?
社員 A は、上記の 10 月 2 日の日本テレビ社員 Y 氏あてメールで、本件脚本家に関して次のように問いかけている。
「確認なのですが、芦原さんが描き下ろした 8~10 話は基本的に変更無しで使用してほしい、という話は●●さん(本件脚本家。原文は実名)に伝わっていますか?●●(社員 B。原文は実名)から●●さん(日本テレビ社員 X 氏。原文は実名)にもお電話差し上げたのですが、そのお話しは●●さん(日本テレビ社員 Y 氏。原文は実名)に伝わっていますでしょうか?」
以後のメールで日本テレビ社員 Y 氏がこの点について回答した形跡はない。また本件脚本家によると、同氏は一切聞かされていないとのことである(本委員会質問に対する回答)
都合の悪いメールは読まなかったことにして無視、切羽詰まるとよくあるよね~(あるなよ)
10 月 5 日 16 時 45 分、芦原氏は社員 A に第 3 話脚本のシーン 50 で演じられるダンスが「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」ことになっているが、これを「普通のドラムソロ」に変更するように日本テレビ社員 Y 氏に急ぎ伝えるよう要請した。
芦原氏が問題としていたのは、同シーンでベリーダンスを田中さんがステージで踊る際、演出では「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」こととされていた点であり、芦原氏は、社員 A に対して、ハリージ衣装でドラムソロを踊ることは、ベリーダンスの歴史的、文化的背景としてあり得ないので日本テレビ社員 Y 氏に確認してほしいと求めたのである。芦原氏の求めを受けた社員 A が同日 19 時 50 分ショートメールで、日本テレビ社員 Y 氏に対し、芦原氏からの依頼として、「ハリージ+ドラムソロ」はダンスの監修者が OK しているとは思えないので確認してほしいとの依頼があったことを伝えた。
これに対して日本テレビ社員 Y 氏は社員 A に対して直ちに、ダンス監修者には「OK 頂いている」という認識であるが、改めて確認すると返し、同日 23 時 35 分にダンス監修者から OK の確認が取れたと連絡してきた。
しかしこの時、実際にダンス監修者が OK と言っていたかという点には疑問が残る。
(略)
ところが、後日、芦原氏は、「ハリージ衣装でドラムソロ」はあり得ないことを認識した。芦原氏は、日本テレビ社員 Y 氏(なお、撮影は 10 月 10日を予定していたが、日本テレビ社員 Y 氏は社員 A からの 10 月 5 日の問い合わせに撮影済みであると虚偽の発言をしていた。このことでも芦原氏は不信感を募らせていた)の対応に不信を募らせ、間違った有りようのダンスが公に放映されることを看過できず、ダンスの監修者の名誉のためにも撮り直しをするか、それができないなら番組 HP や DVD への釈明文掲載等を日本テレビに要求するように社員 A に依頼した。
3話リテイクの経緯詳細。
日テレ版では、
2023 年 10 月上旬、ドラマ撮影時に撮影シーンを巡って本件原作者が A 氏に対して不信感を抱く事案があった。A 氏は、C 氏より送付された本件原作者の意向に従って当該撮影内容としたつもりであったが、本件原作者はそのような趣旨では依頼していない認識であったため、C 氏に確認を依頼した。
C 氏を通じた本件原作者の撮影シーンに関する問い合わせに対し、A 氏は既に当該シーンは撮影済みである旨回答を行ったが、実際の撮影は 5 日後に予定されており、そのまま予定通り撮影が行われた。
その後、これらの経緯を本件原作者が知ることになった。A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者から撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたってキャスト・スタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟に事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。
と、「撮影前を撮影済みと嘘ついちゃいました、てへぺろ☆」なことしか書かれてないけど、その前に「ダンス監修者の了承が本当にあったのか?」という日テレ担当者の信頼度をさらに下げる一幕があったんじゃねーか!!!!
まさか「今から変更したらみんなに迷惑かけちゃう…」という我が身可愛さで嘘付く人でも「ダンス監修者の了承はきちんと取っていたに違いない」と信じてるの?
そしてどういうつもりで削ったの?(一応、読み落としたかと思って日テレ版を「ダンス監修」で検索してみたが見当たらない)
この間、社員 J が 7 月 27 日に日本テレビに送信した契約書案に対して同社から 9 月 26 日に修正案が戻された。
その中では、改変についての原作者の承諾に関し、小学館提示の原案では小学館と原作者双方の同意が必要としたものを、日本テレビは、日本テレビとして合意を得るべき相手を小学館に限定する修正依頼があった。
原作者の承諾は不可欠であるため、小学館を介して原作者の承諾を得ることに修正し、社員 J は部内の承諾を得たうえ、10 月 23 日に日本テレビに送った。
うーんこの。日テレが原作者をどう思ってるか本音ダダ漏れなの草でしょ。
社員 A のメールは貴重な記録であるが、社員 B は大抵、日本テレビ社員 X 氏と電話で交渉したようであり、文章になった資料の提出はなかった。
本委員会において認定根拠としえたのは、社員 A への LINE メッセージである。日本テレビ社員 X 氏との電話交渉についてもより詳細な記録があれば事実経過の理解に役立ったと思われる。また、膨大な業務をこなしながら、日常行うのは大変かもしれない。
しかし交渉過程の記録はビジネスの鉄則である。記録がなければ、万一担当者に事故があればその成果は継承されない恐れがある。
多くの会社では、日報・日誌等で経過を報告し、上司・同僚と共有するのが普通である。そこから問題点の指摘を受けることもある。
最大のロビー活動拠点ともいえるマンガ図書館Zがクレカ会社に白旗を上げてる。
https://x.com/tanigutikei3/status/1796502652504908023
つまり、赤松は自分の所に火が付く前になんらかの対処を打つことが出来ずに終わったということ。
クレカ会社からの要請がつい最近始まったばかりとも思えないし、赤松の耳にはとっくにこの情報は入ってるはず。
もしもDLサイトのひよこババア騒動とかについて一切知らないって言うなら、それはそれで表現の自由について戦うという旗印を裏切っているとしか言えない。
国ごとの規制基準の違いなんて何十年も前からあったし、海外クレカによる圧も5年ぐらい前からドンドン強くなってた。
海外では無修正の漫画がバンバンあるけど、ロリエロやケモナーは禁止されているのでpixivまでやってきてそういうの描いたり見たりしていく外人がいるのは前から話題になってたよ。
生成AIによる児童ポルノ投稿について日本の法規制の緩さがカモにされていたってニュースも最近はあった。
そういった国ごとの規制基準の違いについて考える時間、準備する時間はいくらでもあったのに結局なにもせずに手をこまねいていたのが赤松。
本来であればDMMとかと連携した先んじたバリアを貼るとか、「クレカ以外の決済方式もあるってことを周知して戦っていこうぜ」とかの旗を振ることも出来たはず。
お前は表現の自由戦士最前線(を走る連合国聖騎士ヤマーダの仲間)ではなかったんかと。
本人としては色々と頑張ってきたつもりなんだろうが、一人の一般人視点から見ると「コイツ、結局何の役にも立たずに終わったな」としか思えないんだよなあ。
この人って結局何がしたかったんだろうね。
クールジャパンコンテンツを守るために立ち上がったみたいなこと言ってたけど、それで何か成果を上げているようには見えないんだよね。
どっちかというとオタクコンテンツ界隈の政治利用を促進したり、裏金利用のために抜け穴整備に協力したりで、界隈から見たら「売国」的な活動ばかりにしているように見える。
本人としては今後を見越した下地づくりのつもりかも知れないけど、最初に貢ぐ側に回ったら簡単にはひっくり返せないのが交渉事ってもんでしょ。
赤松がやったのは結果としては「漫画やアニメは政治家様の宣伝をお助けするための奴隷です。お金儲けのための小間使いです。どうぞご自由にお使いください」と勝手にオタクの代表を気取って売り渡しただけでは?
[B! 炎上] 「銀河英雄伝説」のツイートをしただけなのに…“大炎上した大学教授”の後悔 | 文春オンライン
この記事に言及されてる増田(消えてるので魚拓から)読んでて思ったけど実名の人間に対して悪口雑言の限りを尽くして批判してるんだから当たり前っちゃ当たり前なんだよな。
一時期は何か増田のご意見番みたいになってたから感覚麻痺してたけどアレは異常だったわ。
ちなみに記事中の
に関して、増田は単に実名であるかどうかを問わず「言及された当事者から削除の申し立てがあった場合、発信者への意見照会を経ずに削除を行う」となっており、はてなidも対象。
だからタゲられやすいように態と言及されやすいブコメ書いて狙い通り晒されたら通報して記事消させて遊んだりしてた。途中で気付かれたのか、そこまで打率高くなかったけど。
ちなみに、やり方としては増田で自分のidが言及されてた際の削除方法(2022.9.4.新エントリの追記)に纏まってるので自分のidが言及されてる増田を消したい人いれば参照されたし。
あくまで当事者が対象だから他人が申請しても通ることはないと思う(名指しして扱き下ろしてたりしたら荒らしとして処理されるかも知れんが)
この件は実名で活動してる人物に対する言及ではあったんだけど、どうも匿名のidに対してでもワンチャン名誉棄損いけんじゃねーかな?と思ったりもしている。
というのも、はてな外での炎上案件で渦中にある人物(仮にX氏と置く)は匿名のアカウント(仮にYと置く)で活動してるんだけど、その匿名アカウントであるYになされた発言に対し損害賠償を求めんと加害者たちへの開示請求を行い、しかも通してる。
そこまで深く追ってないから具体的な建付けとか法的根拠は知らないけど、まぁ出来てるってことは何かしら方法はあるんだろう。裁判所の書面も公開してるから少なくともホラやフカシではないっぽい。
まぁ増田なんて匿名と銘打ったところで運営にはidで紐づけされてるんだから開示されたら一発でメアドからIPまで捲れるよね。
自分は安全に逃げ道を確保しながら一方的に刺しまくれると思ったわけじゃん?
決闘を吹っ掛けた以上、みごと相手を殺すかもしくは自分が死ぬかどっちかにしてもらうから。
自分が不利になった途端「いやいや決闘なんかじゃないですよ?」って誤魔化しながら決闘場出て行こうとしてる奴の肩を掴んで引き戻す話。
……そんな話があったが、女児の選択は果たして本当に自由意志だろうか。
女性器の構造が水分を発散しやすいので、蒸れ解消のためにスカートをはくのだ、と。
しかしオリモノのない幼少期では、むしろ男児の方が皮膚の表面積は広い。
これについて、スカートの方がズボンよりも優れている、という説明がされがちだがフェアではない。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000034.000041167.html
実際にはスカートの下にオーバーパンツやスパッツをはいていて、何もはいてない人は 8.4% である。
通気性が本当に重要ならば、こうはならないだろう。
人目を優先してしまうなら、余分なレイヤーを挟まず下着の上に直接、薄手のズボンを履くのが合理的だ。
スカートには、男の性的まなざしを気にしてプライベートゾーンを守ることを意識づける効果がある。
奥ゆかしかったり、清楚だったり、女性が薄っすら好かれるような性であることは、男にとって都合がいい。
海外のフェミニストは、公営プールでブラジャーを外したり半裸でサイクリングする運動をして、不当な要請に反抗している。
トップフリーダム(Topfreedom)は、男女同権の一形態として、男性が半裸になることが許可されている公共の場所で、女性がトップレスになることを可能にする法律の変更を求める文化的および政治的運動。具体的には、この運動は、公の場で胸を露出させる女性の権利を制限する法律の廃止または覆すことを求めている。
誰も、自分たちだけが理不尽に『女性性を守る責任を負わされてる』世代だ、なんて認めたくはない。
だから次世代にも受け継がせる。まるで虐待を受けた児童が虐待する親になるように。
実際には多くの親が、虐待を仕方ないものと内面化せずに、頭で否定して過去を克服している。
通気性のウソで自分たちを騙すにとどまらず、分別のつかない子どもまで巻き込んではいけない。
だけど、スカートが女性の着るものと認識されてる社会で、意思が未熟な子どもにまでスカートという選択肢を押し出すのは問題なしでいいのか。
https://x.com/azukinoanko/status/1794005063658361101
>高校生のはるかぜちゃんが弁護士費用や安全管理のタクシー費用などをアルバイトで工面しながら開示請求したり、ご家族も生活を犠牲にしたり、せっかくの舞台出演も脅迫行為から守れないと降板され
どさくさにまぎれて歴史改変してるな
荒れてる時だけ現れるよく知らナイトがうろ覚えで適当なこと書くのは仕方ないが、ママがこれをリツイートする意味よ
はるかぜちゃんが降板された舞台は、前張りをつけずに乳首も性器も出すような演目で、
はるかぜちゃん自身は17歳だったから脱ぐのは免除されたもののちんぽ出してる大人たちの中で一緒に演技するのはヤバイと警視庁から警告を受け降板された
https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0604/blnews_180604_1234753050.html
>ヌード表現の舞台、未成年の春名風花出演で児童ポルノ強制と通報 警察からの要請で公演差し替え
>「偏執狂短編集IV」は、実在した偏執狂をモチーフに創作された短編演劇。ヌード表現を含む内容を、「エログロ、ナンセンス、ホラー、猟奇的表現を披露する内容は演劇業界では類を見ない過激な表現を多分に含むオトナのエンターテイメント」と紹介している。この舞台には、はるかぜちゃんこと女優の春名風花(17)も出演。その稽古の様子を共演者が、「ヴァイヤントループは稽古段階で全裸といったら全裸。男女一糸まとわず、セックスシーンは、そのまま絡み合う。今回サドを僕が演じ、主人公ジュリエットがはるかぜちゃん。この上もなく背徳感がある」とTwitterに投稿していた。
爆破予告の時は降板されなかったというのは削除された本人ブログにも書かれている
https://web.archive.org/web/20180603223124/https://lineblog.me/harukazechan/archives/1094295.html
>上演予定だった池袋の劇場にも「春名風花を降板させろ。さもないと劇場に爆発物を仕掛ける」と連絡がありました。
>当時も警察から降板はできないか、と聞かれましたが事務所と座組の皆に助けてもらい「劇場前にパトカーをとめ警備体制をとった中での上演」という条件で何とか無事に舞台に立つことが出来ました。
はるかぜちゃんが脱ぐかもしれないぞとほのめかして警視庁召喚する事態を引き起こした俳優は常川博行
彼は後にこんな発言をして、その後削除した
https://web.archive.org/web/20240521101454/https://archive.md/JQpgn
>わかる人にだけ
>あの時、あのまま上演されていたら彼女のキャリアと人生はどうなっていたでしょうか?
>彼女のことを考えずにね。
>「社会正義」の仮面を被ったアンチヒーローたちが暴れてくれて助かったよ。
>狙い通り
>以上
警視庁に通報したのがアンチだったとしても、「17歳が脱ぐようなことを共演者がほのめかしている、脱がないとしても18禁の猥褻舞台に未成年が出演するのは違法じゃないか」と通報をした者と
「裸はアートで性器もアート、一夜の芸術のためならあなたのキャリアも人生もどうなってもいい、我々が逮捕されてもいい」となだめすかす大人たち
前者を支持する
ママはそうではないのだろう
うーん、普通救命を知っているなら救急車呼ぶことの意味くらい理解していると思うんだがな
https://fukuoka.kon119.or.jp/seikatu/kyukyu/1sec.html
5. 心マ等の実施
その際に「あなた、救急車呼んでください」と名指しするように責任を感じさせることが寛容
なんでそんなマニュアルがあるかというと、素人集団に脳死とか救急車間に合わないとか一切判断つかないからだ
せいぜい、意識・呼吸・脈拍程度しかわからない前提で普通救命はできている
つまり「救急車はとりあえず呼ぶもの」であり、救命処置として正しい
それに身内や知り合いかは普通救命において一切考慮されていない
なので上の増田における普通救命の認識は相当間違っていると思うよ
ド素人による緊急時の救命を想定したのが普通救命で、救急車が間に合うかどうかとかは全然違う話になる
AEDも使ってよいかを機械に判断させるという意味で使うことには大きな意味がある
だからとりあえず持ってきてとりあえず使おうと習っているよね?心臓が正常なら機械が判断して知らせてくれるし
全てにおいて、わからないけどやってみたほうが助かる率があがることを想定している
なんで身内の発見とかが出てくるのかを例にするのか全くか理解できないんだよな〜
あと、俺の論説が少し歪んているのはその通りだね
この件についてちょっと独り言。ニュースの詳細は以下のリンクに貼る。
猟友会がクマの駆除辞退 「この報酬ではやってられない」「ハンターを馬鹿にしている」北海道奈井江町
https://www.htb.co.jp/news/archives_26289.html
このニュースについてるトップブコメが ”「鉄砲打つの好きなんでしょ?好きな事出来るんだからいいじゃない」っていう意識があるんだろう。漫画やアニメ関連で働く人が薄給なのと同じ。"でその他にも予算や、人件費の安さへの言及が散見される。
他には警察がやれよなど、砂川市で起こった銃許可取り消しの事件の責任を取れと言った意見もちらほら見かけた。
わかる。気持ちは分かる。
職員の意識が低い。町長が何も分かってない。とか予算を出さない町が悪い。町長が悪い。担当者が、その上司が……言いたくなる気持ちはわかる。
じゃあ奈井江町においてどんな議論が交わされているか奈井江町議会における熊に対する質疑を議会だよりと広報の取り扱いを直近2年ぐらい遡って調べてきた。
書いてる順番とは逆になるが、広報において熊はどんな扱いかというと、熊の出没が多発しているので注意してくれといった文と、町HPの熊(ヒグマ)の出没・痕跡情報を見てくれといった周知と注意喚起だけだった。
(直近2年だと令和4年度6月定例会で1回、令和4年度12月定例会で1回。あと令和3年度のまちづくり常任委員会(9月ごろ開催?)が載っている)
予算の増額については一切議論した形跡がない。ただ今後どうするの?といったちゃんちゃんで終わる議論しかしていないのがよくよくわかる。
なんでこの状況で町が予算増額すると思うの?
町民の代表である議員が増額を請求していない。猟友会が断る危険性を執行部に訴えていない。
広報では熊の出没が増えていると周知しているが、町民から議員や町役場にどのくらいの切迫性で予算をつけろと要望を出していたのか見えない。
多分猟友会と接する担当職員レベルでは予算の増額について上司や財政に打診は行っていると思われるけど、増額する根拠が無いんだ。
猟友会は正規職員でもないから毎年昇給があるわけでもない。条例が変わったわけでもない。議員からせっつかれているわけでもない。
結局、こういった問題が起これば多くの人はまず町を行政を責める。
責めてもいいけど、それ許してるのはあなた方の代表の議員さんですよ?
他の市区町村民は自分の地域の議会も見ろよ。似たようなことが全国で起こってる。
※※
その中で有名になったのが今度都知事選に出る石丸市長がいる安芸高田市だ。
その地域の住民が議員を監視しないから赤字垂れ流しのなあなあ議会で石丸市長が正論ぶつけて炎上させた。
やり方がショービジネスっぽくて好かんが、そうでもしないと住民は一方的に苦しくなるだけだから、劇薬としては効果あったと思う。
※※
『やること多すぎで熊だけに関わってられない役場』と『役場がやるでしょと無関心な町民』と『陳情は絶対聞いているであろうに動かなかった議員』という三つの糞要素が今回の結果をもたらしたと思われる。
奈井江町は5000人弱の小さな町だから消防団に関して若手男性は強制加入だろう。猟友会も積極的に勧誘されてそうな気がする。(別地域だが私も勧誘された)
つまり、猟友会には役場職員もいることから割と話を伝えやすい団体同士なんだ。違う地域もあるかもしれんが…
普段から駆除等があれば出動要請はするし、会議など割と顔を合わせているし、恐らく消防団にも所属している(いた)だろうから、いろいろ話をした結果がこれだろうと思われる。
無償で出動と記事にもある通り、地域を守りたい気持ちは猟友会にあるんだ。
誠意とは何か。私が考えるに
・恐らく町長等から直接お礼等言われてるだろうけど、例えば公報で町のために頑張っている人がいると紹介するとか、猟友会の人員募集について告知するとか、町民に分かる形で貢献を伝えてやってほしい。
・議員も猟友会に入れ(私の地元では消防団に入ったことがない若い議員がいて『口だけ野郎』と団員から非難轟轟です)
あと解決策としては北海道と国が事態を重く見て補助金出すぐらいか?。
獣害って奈井江町だけの話じゃないし、全国各地で同様に悩んでいる。
そろそろ縁の下の力持ちにお金を出す時期じゃないの?もしくは国や都道府県がその機能を持つ時では?って話なんだろうな。
私が初めての東京に来たのは就職活動だった。中央線を降り、昼食に駅前のチェーン蕎麦屋へ入ったたところ、あまりのまずさに悶絶したのが初めての東京体験だった。料理漫画の関西人がしばしば言う「東京の蕎麦はドブ色してて出汁はきいてないし、麺はヘナヘナで食えたもんじゃない」は誇張でもなんでもないんだ、ということを実感し「やっぱり庶民の食いもんは関西だよな」という関西人にありがちな偏見を強くした記憶がある。
(もちろんこれは単なる偏狭な思い込みであって、東京人の味覚が鈍いわけではなく、件の蕎麦屋の本業が立ち退き業だからというだけであって、それなりの蕎麦屋はそれなりの蕎麦を出してくれるということは、当時の若い私にはわからなかった。)
しかしこの偏見を粉砕してくれたのがてんやの天丼だった。何気なしに入ったてんやでワンコインの天丼をあまり期待せずに頼んだところ、その旨さに打ちのめされた。もちろん料亭だの高級天ぷら屋だのは関西にもある。だが500円でここまでのものを出せる天ぷらやは関西にはない。カリッとした衣、濃厚なタレ、多彩なネタ、これらが500円で出てくる奇跡に感動を覚えた。ガッツリした衣にタレが染み込みちょうどいい塩梅となったところがうまい。米やタレの掛かっていない硬い部分と口の中で混ざるとなお良い。塩や天つゆで上品に食べる天ぷら膳ではこれは決して味わえない。これが500円?関西じゃぜったい無理でしょ。東京恐るべし。やっぱ東京って日本一の大都会だわ。
その後毎週末にはてんやに通い、関西に帰省したときはてんやが無いことにがっかりするくらい入れ込むようになった…のだがその後私は地方の工場勤務となってしまった。地方ではてんやが無い。しかし/しかも、そのころ結婚した妻は揚げ物が嫌いだったせいもあり、結局揚げ物自体と離れる生活を15年くらい過ごすことになってしまった。だがこの度、ついに、本社栄転、ということで帰ってきたのだ!東京に。てんやよ!私は帰ってきた!
ああ15年間焦がれた天丼とついに再開できる。そう思うと胸は高鳴り、期待で唾は溢れんばかりだった。だが一口食ってでてきた言葉は「なんやこれは。クソ不味やんけ」だった。関西を離れて20年も経つと日常で関西弁が出ることはなくなる。が、理性のタガが外れたときはやはりどうしても関西弁が出てしまう。関西の庶民向けの店ではだせそうもない、あのクオリティはどこへ行ったんや。ネタは良い。タレも相変わらず美味い。米は変わっているだろうけど違いはわからへん。だが衣はすっかり変わってしもうた。すっかり薄くなり、柔らかくヘナヘナの衣、こんなスーパーの惣菜天ぷらみたいなのはてんやない。あのてんやはどこへ行ってしまったんや…。憧れ続けて期待値が上がりすぎて失望してしまう、なんてことがよくあるのはもちろん知ってる(昔好きだった同級生と同窓会で再開したときとかみたいに)。だからてんやのタレだけ買って帰って近所のスーパーの惣菜コーナーの天ぷら使って天丼作ってみたんや。ほしたらほとんどてんやと変わらん出来や。流石にネタはスーパーよりてんやの方が良いけど、衣は全然変わらへん。なんかもうがっかりや。スーパーの惣菜とは一線を画した揚げたてカリカリ天丼がてんやのウリとちごたんか。これやったら「さん天」の方がマシやないか。あっちは490円でエビ2本入っとるし。
ネットで調べてみたところやはり衣は変えたらしい。ものは言いようだが、サクサク感を狙ってタピオカ粉を使うようになったとか。まあでも自分なりに考えるとなんだかんだいって衣が薄くヘナヘナになったのは時代の要請だったのだとおもう。
こんなところだろう。もうてんやへ行くことはない。というかおそらく1年に1回くらい行って毎回がっかりする、そんな店になるのだろう。てんやの天丼は死んだんだ。いくら呼んでも帰っては来ないんだ。もうあの時間は終わって、僕も人生と向き合う時なんだ。
というわけで1500円以下で衣がガッツリした天丼を食える店を東京住み増田諸兄がご存知なら教えてほしい(23区+多摩地区くらいで)。いかがだろうか。