はてなキーワード: 冬休みとは
表題の通り。
四連休の3日目の月曜日の今日、暇でゴロゴロ布団で惰眠を貪っていたんだけど、その時、歯車のような、流線型のような、模様のような黄色?の幻覚のようなものが見えたんだ。イメージ的にはお洒落な雑貨の幾何学ちっくなデザインのような、あるいは典型的なサイケデリック模様のような感じ。
特に昼寝の時、覚醒と睡眠の狭間にいるときに、多かれ少なかれ見るんだ。で、これは自分にとってまあまあ普通のことで高校ぐらいから見える、というか知覚できるようになった。当時、友達に話してみたけどわかんないって言ってた。増田のみんなで経験がある、またはその分野に詳しいという方、コメント待ってます。
以下追記です。
→閃輝暗点
偏頭痛もちだけど、その時は現れない。しかも、生理的な、単にギザギザした光の形というというよりは無意識、夢の世界に近くて、アーティスティックぽささえあるように思える。頭痛はないけれど、倦怠感はある。
→ ナルコレプシー
Wikiで調べたんですが、これ系ぽいですね。わりと慢性的にやや倦怠感があり、特に感情が高ぶったりすると、運動神経全般がぎこちなくなるような感覚があります。ただ、軽く力が抜けるという程度で、倒れたり、体が動かなかくなるというのはないので、この症状と上手く付き合っていきたいところです。なお、神経内科で診てもらうのも検討しておきます。
当時から結構な音楽好きで、サイケデリック・ロックやプログレッシブ・ロック(すまんが知らん人はググってください)をよく聴いていて、何となく幻想的な精神世界に興味を持っていました。初めてこの症状を見たときは、高1の冬休みに、チャイコフスキーの『冬の日の幻想』を聴いていた時で、(とは言ってもそこまで自分には響かず、退屈感も少なからずあった)目を閉じると幻覚的な光景が、色鮮やかに映し出されていって、不思議でもあり、怖くもあったのでますが、知的好奇心に身を任せ、束の間の風景を楽しんでいました。こうしてみると、この症状は少なくとも自分にとっては音楽と強い関わりがあるように思えます。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 98 | 10357 | 105.7 | 48 |
01 | 39 | 2912 | 74.7 | 48 |
02 | 12 | 1318 | 109.8 | 70.5 |
03 | 20 | 2496 | 124.8 | 57.5 |
04 | 12 | 754 | 62.8 | 43 |
05 | 25 | 3287 | 131.5 | 105 |
06 | 25 | 2128 | 85.1 | 58 |
07 | 26 | 4467 | 171.8 | 66 |
08 | 68 | 4825 | 71.0 | 34.5 |
09 | 132 | 10514 | 79.7 | 50 |
10 | 218 | 17593 | 80.7 | 39 |
11 | 136 | 11469 | 84.3 | 42 |
12 | 128 | 16102 | 125.8 | 41 |
13 | 87 | 7759 | 89.2 | 47 |
14 | 125 | 10540 | 84.3 | 38 |
15 | 129 | 13216 | 102.4 | 53 |
16 | 144 | 12777 | 88.7 | 49.5 |
17 | 99 | 10302 | 104.1 | 39 |
18 | 126 | 13747 | 109.1 | 58 |
19 | 168 | 10194 | 60.7 | 38.5 |
20 | 108 | 11089 | 102.7 | 38.5 |
21 | 106 | 18274 | 172.4 | 46.5 |
22 | 140 | 19184 | 137.0 | 40 |
23 | 115 | 19187 | 166.8 | 41 |
1日 | 2286 | 234491 | 102.6 | 43 |
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小中高と夏休みがなかった。正確にいうとお盆の期間しか休ませてくれなかった。
それ以外の期間はずっとクーラーのない学校に来させられて勉強や部活をやらされていた。
大学生になって夏休みというものを知った。大学の同級生は小中高と夏休みを謳歌していたと聞いてカルチャーショックを受けた。
春休みや冬休みも同様になかった。ドラえもんやちびまる子ちゃんで春休みには宿題がないからいいよね〜という台詞を聞いた時、意味がわからなかった。3月末も4月の初めも学校で授業があったからだ。
若い頃の長期の休みというのはいいものだ。そして二度と取り戻せない。これから子育てをする人
、くれぐれも九州の田舎町で子どもを育てるなんてことはしないでほしい。あの町は子どもを奴隷としか思っていない。外にでなければ一生気づかなかった。
何より下手だし、中途半端な丸文字とミミズ文字のミックスみたいな感じで大変見苦しいと思う。自分でも読めない時がある。
今までも、「自分の字って子供っぽくてカッコ悪いな〜」と思ってたけど、昨日何気なく、Tカードの裏に書いてある自分の署名と、店員さんが書いた有効期限の文字を見比べて、すごいガッカリした。自分の字きったねぇ〜!ヘタクソ!
なんかこう、何気ないメモとか板書したノートとかでも、キッチリ整ったきれいな字の人いるじゃん。ササーっと書いてるのに整っている。すごい。
私は罫線のない紙に横書きしたら文字の中心が揃わずにデコボコするし、縦書きだとどんどん斜めになっていく。
「さ」とか「き」は繋げて書いてしまうし、「す」「お」「む」は横線を書いた後に一筆で縦の線も書く。分かりづらいけど伝わってくれ。
多分私の字の汚さの原因は小学生の時まで遡る。私の母や先生は、漢字ドリルのやり方にとても厳しかった。ドリルに書いてある熟語とかをノートに写す時、なんかもうまどろっこしいほどゆっくり丁寧に書かされた。(大人のせいだと言いたい訳ではなく、私がせっかちすぎてそう感じていただけである)
それがもう、当時小学生の私にはとても苦痛だった。たかが漢字2文字書くのに時間かけて、お手本通り書けなければやり直し、書き順間違えてもやり直し。
そこで、根性や忍耐力が身について「字を書く時は丁寧に!」という心が芽生えれば違う人生を歩んでいたのかもしれないが、私は基本的にせっかちで飽きっぽい性格だったので、次第に適当に、なんなら字を書くのも嫌いになっていった。
そして、漢字ドリル提出のたびに、習字の授業のたびに、夏休み冬休みの習字の課題のたびに、周りと比べて字が下手なのを実感してさらに字を書くのが嫌いになるという悪循環。
ちゃんと丁寧に習った漢字を練習して、根気強く書く習慣をつけていればこのようなコンプレックスを抱くこともなかったのだろうが、無理だった。漢字練習よりも読書がしたかった。
一応美的センスはある(つもり)なので、レタリングの技法を使えば美しい字は書ける。でも日常生活で字を書くのにいちいちそんなことやってられん。だいいちそれは私の字ではなく明朝体とかゴシック体だ。
母の話によると父はタバコの吸い殻をダンボールにためていたらしい。なぜ父はそんなことをしていたのかは分からないし、なぜ母もそれを危険視しなかったのかはわからないが、とにかくそのせいで燃えた。
僕の昔住んでいた田舎の実家はそうやってなくなった。次に見た時には簡単に整地されており、何を入れているかはわからないが小さな物置だけが建てられていてぽつんと建っていた。整地するためにお金が足りないということで僕も30万円を母に渡していた。
その後、父と母と、一緒に住んでいた次男は一時的に市営住宅のようなところに住んだ。向かいの家ではうさぎが放し飼いにされていた。しかしボロすぎて辛かったらしく、最終的に家を買った。今もそこに住んでいる。その家は2階建てで部屋もたくさんある広々とした家だが、前の住人が物置で首を吊って亡くなったため1千万円弱で購入できたらしい。
父はぶっ壊れていた。
僕が小さい頃の記憶を思い出してみると、父と一緒にファミコンの難しいステージを試行錯誤しながら一緒に攻略したり、将棋で対戦したりしていた。父の仕事場が家から歩いていける距離にあったため、小さな僕はたまに仕事場まで歩いていき、父が仕事が終わった時に一緒に原付きに乗せてもらって家まで帰ったりしたこともあった。
しかし父は脳に異常があった。その関係で度々入院したり、手術を行ったりしていた。何度も仕事を辞め、何度も新しい仕事をしていた。
そのためうちは母がメインで働いている。働きに出ている母のかわりに家事はおじいちゃんがメインで行っていた。食事、洗濯や、子どもが病気になった時に病院に連れて行ったり、雪で学校へ行けそうにない時は車で送って行ったり。
父は特に前頭葉に異常があり、理性を保てずふとした拍子に豹変することがあった。僕らがゲームをしていたら急に部屋に入ってきて怒り出したり、部屋で普通に過ごしていただけなのにちょっとした発言で急に説教をはじめたりしだした。
一時期はおじいちゃんが目の敵にされていて、おじいちゃんのやることなすこと全てに文句をつけて自分のやり方を強要したり嫌がらせをしたりしていた。ある日次男は父に「殺いたる!」と言われながら追いかけ回されてトイレに閉じこもって避難したりしていたこともある。僕もある日「ボケてるんじゃないの?」と父にいったらそれは禁句だったらしく、急に後ろから思い切り殴られ、しばらくの間耳が内出血した状態で過ごしていたことがあった。
あとは理性が効かないためパチンコにもハマっていた。生活費をほとんど持ち出してしまったこともあるらしい。そのため家族は色々と対策をしていたようだ。とにかく数え上げればきりがない。家族みんなが何度もひどい目にあっていた。いつ何で発狂するかわからない父と過ごす毎日は地獄だった。僕は本当に父のことが大嫌いだった。
中学、高校の頃は僕も思春期を迎え、なぜ僕だけそんな境遇なのかと自分の人生を呪った。特に僕は人と接するのが不得意だったこともあり、なぜみんな日々学校であんなに楽しそうにすごしているのに僕は何もうまくいかないのだろうかと感じていた。そして僕はきっと父親のせいでこんな風になってしまったのだろうから全てが父のせいだと思っていた。
高校で1日が終わったあと、僕は毎日夕方遅くまで部室でだらだらとすごしていた。やることがあったわけではないが家で父と顔を合わせたくなかったからなんとかむりやり時間を潰していた。そうして父がご飯を食べ終えて2階の自分の部屋に閉じこもるあたりの時刻に帰宅するようになっていた。たしかそのあたりでは父に話しかけられても全て無視するようになっていたと思う。正直、早く父がこの世から消えてほしいと思っていた。
進学は田舎から遠い関東の大学を目指した。高校での人間関係は何一つうまくいかないし、家に帰っても狂った父親が家にいることが耐えられなかった。とにかく全てを捨てて新たな地で心機一転新しい生活をはじめたかった。
結局僕は関東の大学に合格し、そっちで一人暮らしをはじめた。自分以外誰もいない家。好きなことを好きなだけでき、誰からも急に理不尽な文句を言われることが決してない、人生ではじめての心から落ち着ける空間だった。
外での人間関係が決して完璧にうまくいくわけではなく苦悩も多くしていたが、それでも大学のサークルに入ってみんなと普段から活動し、その中でいつも遊べる友達も出来てそれなりに充実はしていた。
そんな4年間を過ごし色々なことを経験する中で、僕の心も徐々に溶けていった。
色んな失敗をした。失敗をする中でなぜ僕はこうもうまく行かないんだろう? と考えた。一生このままで生きていかなければならないのだろうかと思った。そんな人生に何の意味があるのだろうかと思った。何もないのであれば死んだほうが良いのではないかとも思った。何かある度にすぐ父のせいだ、と思った。しかし、父のせいにすることは何の意味もないことにある日気づいた。たとえ本当に父のせいだったとしても、この先幸せになりたいのであれば、僕自信が変わっていくしかないのではないかということに、運良くたまたま気づくことが出来た。
それに気づいてからは父のことが頭によぎることがなくなった。自分にとって重要なことは、今後自分がどうしていくか、ということだけとなった。過去は何も関係ない。ただひたすら未来を描いて進むことだけが重要なこと。ひたすら考えて、考えて、考えるようになった。
そうやって過ごしているうちに、いつの間にか父のことを許していた。正確には、父に対しての興味を一切失った自分がいた。
僕は性格的に、一つのことに極端に集中してしまう傾向がある。大切な物は愛おしい。しかし自分に全く関わらないものには興味が無い。ちゃんと考えて話している人の言葉は気になる。しかし思考停止で人を傷つけるだけの言葉には全く興味が無い。嫌悪ではない。そんな人は世の中にたくさんいることが当たり前だからどうでもよすぎて興味が持てない。だから父のことも興味が持てない。しかし形はどうあれ、許すことも興味を失うことも同列だったため、僕の中で父のことは全てが解決した。
僕は自分の普段の生活のことばかりを優先して考えていて、あまり実家にも帰らなかった。たまに帰った時やたまたま母から電話が来た時に話をするのだが、父は窃盗もするようになっていた。窃盗と言っても数千円を盗むくらいだったらしいが。
とはいえ特に意外性はなかったし、その後どうなったのかなども興味はなかった。しかし一緒に住んでいる母としては大問題だった。家族が盗みを繰り返すのを放置してはおけない。
結局そのあたりから、母は自分が不在の時は時々父を介護施設に入れるようになった。もちろんはたから見れば早くそうしとけばよかったじゃん、みたいな話だろうと思う。事実母も父と離れる時間が増えることで精神的にはかなり楽になっていたのではないかと思う。
しかし、施設の費用はそんな安いものではない。時々だけとはいえそれなりの費用がかかる。家のローンに加え、介護費用。そのころ母はもう60近かったがとにかく定年まで働かねばと嘆いていた。
そしてなんだかんだで月日が過ぎ、父はどこかの溝に落ちて負傷してしまったらしく、自分で体を動かせなくなってしまった。完全な要介護者となった。
僕はといえば、そんな話を聞いても全く興味が持てず、帰省したときにも特に会いに行こうとは思えなかった。というかそういった発想すら出てこなかった。もう僕の中では全てが終わったことだったため、このままもう二度と会わなくても別にいいと思っていた。会ったほうがいいんじゃないかと兄弟に言われたりすることもあったが断っていた。
それから数年が経った2019年の年末ちょっと前に母から連絡が来た。父がもうそろそろ長くないとの話だった。丁度正月前後に亡くなるかもしれないということだったため、喪服などを購入して準備をした。
しかし、年末近くになり、再度連絡が来た。どうも結局峠を超えて今のところ問題ないということだった。
年末になり、実家へ帰省した。正月はだいたいいつも帰省し、子どもたちを妹の子どもたちと遊ばせたりしている。
さすがに状況が状況だったため、自然と父のところへ行く流れとなった。僕は別に行かなくてもいいと思っていたが、妻が子どもたちと父を合わせてあげたいという事を言っていたため、それもまあ子どもたちにとって何かの意味があるだろうと思い、特に拒否もせず行くことにした。
母と僕の兄弟とその家族でそれぞれ数台の車に乗り、大人数でぞろぞろと介護施設へ行った。
部屋に入るとベッドに横たわっている父がいた。父はもう当然自分では動けない状態で、しゃべることもできないため、うー、うー、とずっと唸ったりしていた。目が合うような気もするが特に変わった反応もなく、何を考えているのかは分からないし、そもそも何かを考えることが出来ているのかもわからない。結構多い人数で来たためぐるっとみんなでベッドを囲み、ぎゅうぎゅう詰めとなる。みんなで父の様子を見て、きっと大勢来ているから父もびっくりしているだろう、とか、喜んでいるときの声だわ、みたいな話をしていた。
父はたしか僕の子たちを見たことがなかっただろうと思うので、子どもをそれぞれ抱きかかえて父の目線の先に連れて行った。特に反応もなく、自分の孫だと分かっているのだろうか、分かっていないのだろうかもよく分からなかった。
そんなこんなでそこで少し過ごし、写真を撮ったりして帰ることになった。
最後に大人たちがうちの子に「早く元気になってね」と言ってあげて、と促した。7歳の長男と5歳の次男がそれぞれ父に、まだ幼い可愛らしい声で「早くおもちゃ買ってね」「早く元気になってね」と一生懸命伝えた。すると突然、父が今までと違うかなり大きな声であー、あー、と言った。みんなびっくりしていた。一応子どもたちの言葉は伝わったのだろうか。詳しくはわからないがそれっぽかった。
それから半年ほど経った。コロナが流行し、緊急事態宣言が発令されて終了した頃。2020年6月29日、朝起きたら妹からLINEで父が3時頃に亡くなったという連絡が来ていた。月曜日。
妹に電話してみたところ、コロナのこともあるし別に来なくてもいいよ、ということを母が言っているとのことだったため、僕は葬儀には行かないことにした。僕も正直葬儀には興味が無いし、それよりも子どもたちに学校に行かせたり普段の生活をおくらせてあげたかった。
しかし妻が不安になって再度母に連絡をとってみたところ、そんなことは言っていないらしく、来いと言われた。一体なんなんだ。
とはいえコロナのこともあるし、妻もちょっと体調的にウロウロできる状況ではないため、僕一人だけ行くことにした。
葬儀は7/1。朝からだったため前日に仕事を終えたあと実家に帰った。弟や甥っ子たちも実家に来ていた。大切な父……というわけでもなかったため、みんな普通に過ごしており明日が告別式ということも忘れそうだった。
次の日、起きて甥っ子たちはフォートナイトをしたり、みんなでだらだらと朝ごはんを食べたりしていた。そうこうしているうちに時間になり、葬儀場へ向かう。
葬儀場は宿泊できる部屋があり、実家にいなかったメンバーはそこにいた。しばらくすると大阪のおじちゃんとおばちゃんがきた。それぞれ父の兄弟で、夏休みや冬休みには僕の兄弟と同じくらいの子どもたちをつれて実家に遊びに来ていた。大勢でマリオカートをして遊んだりしていた。おじちゃんにはいつも海につれていってもらっていたし、おばちゃんは逆に夏休みに大阪に泊まらせてもらっていたため二人とも馴染み深い。
おじちゃんによると、父は子どもの頃に事故で頭をうったという。当時は額あたりの怪我の治療は前頭葉があるため、簡単にはいじれず、医師にも難しかったという。誰もしっかりとした治療はできなかったらしい。その後父は元気にスポーツをしたりしていたらしいが、大人になって障害が出始めたのはもしかしたらそのあたりが原因だったのかも、という話をしてくれた。とはいえ母も僕の夜泣きが原因だったのでは、と言っていたりするので何が原因かはよくわからず、おじちゃんの話も懐疑的だった。
しばらくして葬儀が始まった。みんなが部屋に集まる。何もよくわからない状態だったが言われるがままに並んで椅子に座った。部屋が暗くなる。導師さんが念仏を唱え、みんなで繰り返す。
その後も式が進行し、導師さんが話を始めたりした。誰なのかもよくわからないし、何を話していたかももう忘れてしまった。
導師さんの話が終わると、今度は親族代表ということでおじちゃんが話をすることになった。おじちゃんは前に出てきたのだが、マイクと全然違うところで話をし始めた。式場のスタッフを見るとあわてておじちゃんのところに駆け寄ってマイクのところに連れて行こうとするところだった。おじちゃんはいわれるがままにマイクのところまで行ったのだが、なぜかマイクを背にしてマイクがない状態で話し始めたので再度スタッフが誘導したのがおかしかった。
おじちゃんはおじぎをしたあと、先程のように事故の話をし始めた。頭をうち、前頭葉があるため治療もできず、でもスポーツをしたりしていた、ということ。
そのあと、父が大勢の人に迷惑をかけるようになってしまったこと、そして、その父のことを母が最後まで面倒を見てくれたことを話した。すると突然、何か急にこみ上げてきたものがあったらしくウッと声を止めて泣き始めた。それを見て母も泣いた。なんとなく空気が変わった。
元々そんな雰囲気はなかったためびっくりした。僕はもらい泣きもしなかったし悲しくもなかった。ただ、みんな何かしらそれぞれ思うところがあるのだなと思った。おじちゃんからすれば身内がとんでもない状態になってしまって、父が元々赤の他人である母にひどい仕打ちをたくさんしてしまったことに申し訳ないという気持ちが非常に大きいのだろう。
母は実際にひどいめにたくさんあい、この年までずっと働き詰めで大変な思いを今もしている。しかし、お見合い結婚だったとはいえ、楽しく幸せな時期も経験し、僕らがまだ生きて経験したことのない年数を父と一緒に過ごしてきた。詳しいことはわからないが、そこには本人にしかわからない無数の思いがあるのだろう。自分と妻も一緒に生きてきているが、子どもたちはそこであった多くのことを何も知らない。当たり前のことなのだが、不思議なことだ。
そして、ここにそれぞれの思いを抱えた色々な人が集まったことも不思議に感じた。みんな何を思ってここにいるのか。僕には分からないが、何かを思っている。
その後告別式は終わり、父の棺にみんなで草花を詰めた。父の顔は処理を施されてつやつやしており、蝋人形のようだった。
その後棺を閉じ、それを男たちで車へ運んだ。そしてみんながそれぞれの車で焼却場の方へ向かう。
焼却場は僕が今まで行ったことがあるような汚い場所ではなく、きれいな施設だった。コロナの影響で焼却場には15人だけが入れるということらしい。父に近い15人が部屋に入る。部屋の中にある等間隔に並んだ足のマークの上にそれぞれが立った。
次に、父が入った棺が焼却する空間に納められた。スタッフがボタン類をアルコール消毒したあと、閉じるボタンを押した。機械により扉が閉じられる。
そしてどのボタンを押すと焼却が始まるかの説明を受け、準備が出来たら押すように説明があった。しかし誰も反応しないため僕が母に押しなよと促した。しかし、どうも嫌だったらしく、いやいやという手振りをしたので僕が押した。
その後は1,2時間ほど時間がかかるということで休憩の時間となった。密をさけるため、どの部屋も人数制限があり適当にバラけることとなった。弁当が用意されていたためそれを食べて過ごした。
しばらくするとスタッフから声がかかったためみんなで部屋に集まった。中央には棺の台を収めるスペースがあり、今は空いている。そのそばに長い箸がたくさんあり、それぞれがその箸を手にした。
しばらくして台が運ばれてきた。まだ熱く、気をつけるよう注意があった。その上には骨が置かれている。葬儀は何度か経験したことがあるため特に新たになにか思うということはなかった。そういえば昔妻が飼っていたうさぎを看取ったのだが、その時に焼却されて出てきた骨を見た時はとても悲しくて泣きそうになった。
スタッフに説明されながら、足から順に骨を入れ物に詰めていく。みんなで行ったり来たりしながらそれぞれ骨を詰めていった。思ったよりもポロポロともろい。頭の方になると、大きすぎるため箸で割って詰めていく。頭には手術の跡の金具がついていたりした。それも母が詰めていた。
そして一通り詰め終わり、葬儀の全ての工程が終わりとなった。皆それぞれ準備をし、帰宅した。僕も一度実家に帰って着替えをして荷物を整理し、車で帰路についた。
僕は仕事もあったし、あまり車で長距離移動をするのは事故で死ぬ可能性もあるし好きではない。そのためとにかく早く全てを終わらせたいと思っていた。なんとか生きて帰ってくることができたが、かなり疲れ果てていた。とにかくいつ始まるのか分からなかった大変な出来事が一つ終わり安堵した。
父が亡くなったが、母は元々次男と一緒に住んでいる。近くには妹の家族もおり、しょっちゅう甥っ子や姪っ子たちと遊んだりしている。三男もわりと話が好きで母によく電話をかけているらしい。僕は離れていて長期休み以外は音沙汰も無いが、それでも母はみんなのおかげで楽しく暮らしているように見えるため特に心配はしていない。
父がいなくなったことで母は父の介護費用を払う必要がなくなった。だいぶ生活も楽になるのではないかと思う。僕は本当に良かったなと思っている。
昔「家、ついて行ってイイですか?」という番組を見ている時に、一人の若い女性の家に行く回があった。
その女性の家には父親がいるのだが、要介護のため自分では動けない。女性はその父親の介護をしていた。自分では動けないため、あらゆる事を補助してあげなければならない。朝起きてから、昼食、夕食、風呂、トイレ、あらゆることだ。もちろん生活のため仕事もしている。ヘルパーさんがいたのかもしれないが、それでも何もなく普通の生活をしている僕らには想像できないレベルの大変な毎日であることは間違いない。
女性はまだ若く、色々なことがしたい年頃だろう。彼氏を作ってデートをしたり、友達とショッピングに行ったり。インドア派であればゲームをしたり、ゲームのキャラにハマって腐女子をしたり、好きなアイドルのライブにも行ったりしていたのかもしれない。しかし、全て介護のためできない。ただひたすら介護をしなければならない。夢もあったのかもしれない。でももう諦めてしまったのかもしれない。
父のため仕方がない、と思いながらも、女性が毎日どれだけ苦しいかを想像をするだけでも苦しくなる。
その父はどう思うだろうか。自分の娘が自分の介護のために全てを犠牲にし、尽くしてくれている。ありがたいと思うだろうか? 僕だったら死にたいと思う。一生懸命育てた自分の娘。小さな頃から育てながら思うことは、この子が楽しいことも辛いことも含め色んな事を経験し、苦悩しながらもそれでもたくさんの素晴らしいことを経験しながら歩んでいき、やりたいことをやって自分の未来を掴んで幸せになってくれればいいなということ。どんな未来でも自分が進みたい方向に進んでいってほしい。
しかしその全ての未来を自分の手で摘み取ってしまう事になったとしたら。耐えられる自信はない。すぐに死に、失いかけていた大切な未来を与えてあげたいと思う。若い娘がそのような境遇にさらされて多くの時間を失ってしまうことは世界にとっても大きな損失だ。
でも、死ぬということは難しい。自分で死ぬ覚悟ができるものかどうかは全くわからない。さらに介護されている状態で自分で死ぬこと自体がそもそもできない場合もあるだろう。
この世には安楽死が必要だと思う。死にたくても死ねない人を助ける制度が必要。綺麗事だけでは救われない人達がいる。その人達が救われる世界になってくれればいいと思う。しかしどうすればそういう世界にできるのかは壮大すぎて僕にはわからない。とにかく僕にはこうやって苦しむ人達がいるということを文字にして発することしか出来ない。
とにかく、その一つとして父が死んで本当に良かったと思う。
説明しよう。「サイケデリック旅行」とは人間の内的世界すなわち夢・無意識世界に没入することで、その鮮やかで自由な世界を散歩することである。本稿では荒唐無稽、支離滅裂な内容が続くため、物好きにして、根気の強い人のみ読むべし。
さて、初めてのサイケデリック旅行は、高校一年の時である。それは忘れもしない冬休み、雪のしんしんと積りゆくクリスマスイブの日の出来事である。聖夜の前日ということもあって、私はくさくさと家に篭り、もののけ姫のdvdを観た後に、チャイコフスキーの「冬の日の幻想」を聞いていた。確か40分弱の曲で、高校生の私には長く、単調なものに感じられたが、20分ほど聞いていると、不思議なことが起こりはじめた。
まぶたの裏にあらゆる断片的なイメージがカラフルな原色となって浮き上がってくる。それも、有名な絵だったり、カードゲームのカードであったり、動物だったり内容はまちまちである。はじめは、歌川広重の「おおはしあたけの夕立」が浮かんできて、様々な色の斑点を伴いながら、暗闇の深淵へと消えていった。それから子供の時に集めていた遊戯王のカードが、回転しながら現れて、その次に物置に仕舞った、白色のPSPが浮かんできた。さらにその次に現れたのは、なんと説明しようか、いわば極度に抽象化された、概念的なイルカだった。そのイルカは点と線のみで構成されるアルゴリズムのようであり、イルカショーで見られるような美しく大胆な、水から跳ね上がる運動を延々と描いていた。
https://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=1173
これは衝撃的な体験だった。それから私は無意識・夢の鮮やかで摩訶不思議な世界の虜となり、夢日記をつけ、河合隼雄の心理学を読み耽るようになった。夜、世界は青い静寂に包まれる。私は目を閉じて呼吸を穏やかにし、これからに映る美しい幻覚を心待ちにした。夢の中では空を泳いで、知らない街を見下ろしたり、通っていた高校に行って、やれやれ、なんて高校生らしい願望だろうか、ありとあらゆる同級生のおっぱいを揉みしだいたり、セックスをしたりした。
働いていないので収入は無い。働かなければいけない、と時々思う。
だが私にはある悩みがある。就職について考え出すと途端に頭が痛くなるのだ。
どこで働けばいいのか分からない。どうやって応募すれば良いのか分からない。面接でどう受け答えをすれば良いのか分からない。どうやって働き続ければ良いのか分からない。
労働の経験が一切無い訳では無い。冬休みほどの期間だが労働の真似事をした事はある。あまりに昔の事なのでどういう感覚だったかはもう覚えていない。
働かなければいけない。しかし働く事を意識すると頭が痛くなる。実際に働き出すとその日の内に辞めたくなる。
無能で無教養で無収入なオタクである私だが、何とか働かずして収入を得る方法は考えなければいけない。考えると頭が痛くなるのでもう寝よう。いまはおやすみ。
スマートフォンの普及により今では幼稚園児すらもインターネットに生息している。
僕らが子供の頃、インターネットゲームはパソコンでしか遊べなくて、そのパソコンも学校だとか金持ちの家にしかなかった。
あの頃はインターネットなんてものは奇妙な無法地帯であり、そこで遊ぶということはアンダーワールドに片足を踏み込むのと同義だった。
今で言うダークウェブが、モデムを通して一歩ネットに踏み出したすぐ先に広がっていた。
その世界はものすごく危険な場所だとみんなが知っていたから、サバイバルマニュアルを読んでから踏み入れるのが当たり前だった。
そこからADSLなんかが始まって少しずつ、何も知らずにその未開のジャングルにやってくる旅行者が増えてきた頃、港町の周りぐらいは治安をまともにしようって動きが出はじめて、浅瀬でチャプチャプするだけならそこそこ安全になっていた。
それでも、最低限の知識、リアバレだけは絶対に回避しろだとか怪しいソフトは入れるなとかコマンドコンソールに意味を理解してない言葉を打ち込むなとか、そういった事を学ぶことは不文律で義務付けられていた。
でも夏休みや冬休みに暇を持て余していた新参のガキだけが、それを理解してなかったら悪目立ちして、「夏厨」という概念が誕生するに至る。
あれから数十年。
今やルールなんて何も知らずにネットにやってくるキッズの数は計り知れない。
年齢だって非常に若くて、アンパンマンやセイキンの動画についてる応援コメントの中には言葉を覚えたての幼児だって珍しくないだろう。
「草」だとか「オモローwww」とかの言語能力が幼稚園児レベルにまで退化した大人たちのコメントに混じって、本当に言語レベルが幼稚園児の幼稚園児が紛れているんだ。
こんな状態では、常識、マナー、ルール、ルーツ、そんなものは全部流されていく。
新しい時代だ。
どう生きる?
この日記を見ていらっときた人、批判したくなった人、意見を言いたくなった人、どんな人が現れるかわからないが、深夜4時のテンションで日頃の鬱憤を吐き出したい。
お叱りの意見が来るのは承知である。あとで見返して大反省するのも承知である。
なぜかよくわからないが、周囲の人間に限ってはこの事実の例外を見たことがない。
友達のSは絵が上手くて自頭がよく化粧やお洒落はしていないが周囲から愛される。
友達のYは友だちが多い。また頭の回転が早く旧帝大に現役合格しており、吹奏楽部も幹部で頑張ってきたようだ。
友人のTも旧帝大に楽々合格して、運動神経も良い。ついでにルックスも良い
友人のMは友達が少なく勉強も苦手なようだが球技だけはずば抜けており、最近では趣味のイラストも上達してきている。
などなど
私も良い大学に合格したくて誰よりも努力した、少なくとも勉強時間でいうとクラスで一番だった。中学の頃は友達や恋人に囲まれてる人が本当に羨ましかったし、趣味のイラストだってずっと頑張ってきてる。
でも、なぜかできない。
何を頑張っても平々凡々にしかできない。そりゃあ、勉強だって高1の頃から居残りをして沢山やってたから、担任から一橋だって行けるんじゃないかって言われてた。周りがやってなかったから。でも、学年が上がるに連れて自分の偏差値は相対的に落ちていったし、何より効率よく勉強したはずなのに、一橋どころか地方国公立でさえ落ちた。今は胸を張って高学歴だとは言えない私大に在籍している。自分が頭が悪い自覚がなかった、周りが良すぎると思ってたし今も思っている。(受験について述べ始めるとキリがないが、政経はセンター対策の参考書を網羅したはずなのに、半分知らない内容だったし、数1A2Bだって自分の中では難易度の割によくできたほうなんじゃないかと思ってたら、平均点しかなくて絶望した、英文法も分厚い王道の参考書を網羅して自身があったのに某私大の英語では参考書にない知らない文法ばっかりでひっくり返ったし、受けた奴らは皆簡単だったと言ってて暫くTLも見れなかった。)
模試の度に反省をしてトライ&エラー繰り返してきたけど、受験を振り返ってみると圧倒的にやった参考書の量と勉強時間が足りない。の一言に尽きる。誰よりもやってきたはずなのに、自分がスマホを禁止している間スマホをやってた奴らのが成績が良かったのだ…。
私が記述数学対策を必死でやってきた中で無対策の友達に点数を好かれたら死ぬほど悔しくて、3日間睡眠と食事以外徹底的に勉強した(一日15時間以上)り、冬休みもネットやテレビを経って毎日14時間ぐらい無我夢中で勉強した
それでもセンターが近くなるに連れて周りの奴らが本気で勉強しだすので、自分の成績は上がりようがなかった、くそったれ
まぁ勉強は才能がなかったで終わり、今は就職のための新しい勉強をしているから学歴はもう良い、と最近は思う。まぁ、その勉強も受験勉強と同じく好きだけど得意なわけじゃないから就職してもできるやつに追い抜かされるんだろう。
んでもってさ、勉強以外ができるのかって言うと、違うのよ。
まず自分は圧倒的に仕事ができない。ケアレスミスが多くてレジ打ちなんてもってのほか。集中力がすごいだけで、一つのことに集中してはいけない接客業では圧倒的にハンデになる。マルチタスクがこなせない。何をやれば良いのかわからなくなってしまう。覚えたことがごっちゃになって、またそこでもケアレスミス。せめて仕事ができる人間だったら良かったのに
そして、受験が終わってから小学生の頃からずっと好きだったイラストをまた描き始めたがこれがまた成長しない。ネットで上手くなる方法を探してはトライ&エラーを繰り返し。デッサン模写も沢山やってるし、周りの友達は可愛いね、上手だねって褒めてくれる時はあるけど、上手い人と比べると圧倒的になにかが足りない。同じ18歳で絵の上手い人なんてゴロゴロいるけど、自分より絵描き歴が短かったり自分より圧倒的に描いてる枚数が少ないのにこのレベルかと驚愕することが多い。(自分は中学生の死ぬ気で絵を描いていた。)もうやだ、才能がない、辞めたい、過去絵みたら全部下手に見えてくるし、って思いながらも睡眠時間を削って大学の課題をする時間以外はずっと絵を描いている、3月から。(諦めたり、辞めたりしない、継続する根性は受験期に身についた)さっきも絵を描いていたけど、やっぱりちょっと楽しいと思う半面もう百枚以上は描いてるんだからそろそろ上手くなっても良いんじゃないかと思う。無念。
友達だって少ないし、人から愛されるような愛らしさや魅力もない。ツイッターで愚痴ると嫌われるから本性は出さないようにしてここで愚痴ってるし、中3から化粧の仕方だってyoutubeで研究してきた。見た目のコンプレックスだって拭えない。
最近よく何かがずば抜けてデキる人が本当に羨ましいと思うし、自分は何をするにも鬱になるぐらい、他の娯楽を全部我慢して睡眠時間を削るぐらいの努力をしないと”そこそこできる”のラインに到達できないのに嫌気が差してきた。
自分には何ができるのかわからないしなんの才能があるとも思えない。ちょっとかじっただけで何でもできてしまう友人が本当に羨ましかった。
一時期はこの人だって自分より努力してるかもしれないと思う時があったけど、そう思えないほど自分は精神的にも体力的も疲弊してるのに 相手のSNSでの楽しそうな投稿を見る度にこいつは自分より才能があるんだっていう認識に変わる。
これでも、頭が良くて友だちが多くて運動や音楽の才能がある多彩な人間ほどもてはやされた中学時代と違って、女子大生は才能がなくてもルックスだけ良ければちやほやされるから楽だ。自分は普通だけど。
以上、今日も徹夜でイラストの練習をしているがその合間に書きなぐった愚痴です。文章ぐちゃぐちゃ。大勢の人に見てもらいたいわけじゃないけど、深夜のテンションとたまには愚痴ってもいいよねってことで吐き出してみた。
おわり
(ずいぶん前の話)
帰宅してテレビをつけると、ニュースが流れており、飲食店の一部が「子供」向けにとそれぞれの条件をつけて値段を半額にしたり半額以下にしたりする様子が映っていた。わけがわからなかった。
どうしてそんなことをするのだろうか。やはり企業イメージの向上を図っているのだろうか。それとも、本当に見ず知らずの、一歩外に出れば赤の他人の家計を案じて安い値段で飲食を提供しようとしているのだろうか。
極めつけは飲食店内でインタビューされていた親が「休みがこうも長く続くとストレスがたまると思うので、(値段が安くなるのは)ありがたいですね」という趣旨を言っていたことだ。意味がわからない。※(値段が安くなるのは)の部分は俺が補ってあげた。
だいたい、ストレスが溜まるのは子供なのだろうか?そのストレスの解消と、飲食料金の値段引き下げがリンクしているというのか?
ストレスが溜まっているのは子供じゃなくて親の方だと解釈するのなら、わけわかる。だが、先の文脈では「休みが続いている」のは子供なのであって、やはりストレスが「溜まっている」のは子供としか読めない。
飲食店側の対応も疑問がある。コロナの休みなんて、小学校の冬休みと夏休みが合体した期間みたいなものなのだから、親が子供のメシを用意するのはさほど負担ではないはずなのだ。それに、勝手に子供を産んで育てているのだからメシを食わせる経済力だってあるのだ。だから、子供menuを普段以上に引き下げるというのはビジネスとしてナンセンスなんじゃないかと思う。
そのニュースを観ながら、自分は先週に買っておいた即席ラーメンをゆでて、メンマと薄っぺらいチャーシューをのせ、セブンイレブンの冷凍チャーハンをメインに、生ハムと香味野菜のサラダを作って一人で食べた。
嫁さんもいないし、子供だっていない。なんで旦那や嫁さんがいて、おまけに子供もついている人間が俺より低い金額をメシに払っているのだろうか。そう思うと、怒りと悲しみがこみあげてきた。
2巻までの二人はただ相手が好きで、それだけで良かった。
3巻での山田は市川を求めているし、市川に求められる事を望んでいる。
しかし当の市川が自分の本心から目を背けているせいで望みはかなわないのだ。
だからこそ karte.43 で市川が絞り出した本心は尊い。
不器用で臆病だが精一杯山田を求める気持ちがこもっていて、ようやく山田は互いに求めあう事の充足を得た。
3巻は全体的に、山田の心が市川でわちゃわちゃする様を愛でる話が多かった。
単話ごとで見ると、山田が初めての恋に振り回される様はとても微笑ましい。
一方で3巻全体を通して見ると、すこしずつ山田が不安定になっていく様子がうかがえる。
求めるにつれ自制が失われ、年相応の性欲が芽生え、不安が募り、ついにはナンパイ彼女というストレス要因によって弾けてしまう。
この不安定さは最終盤、仲直りのハグ(2回目)とLINE交換によって肉体・精神の両面から満たされる事で一旦解消。
幸せの中で4巻に続いている。
市川は2巻中盤以降から相変わらずで、山田ほど恋に振り回されてはいない。
自分の恋心を「病気」と断じて未来への希望を排除しているため、より親密になりたいという欲求自体が抑制されているのだろう。
これはもちろん欺瞞であり、ポーカーフェイスの裏で溜りに溜まった歪みが終盤ついに吹き出して初恋を破たん寸前まで追い詰めた。
市川が歪みの正体に気付き乗り越えた事で二人の関係は一歩前進できたが、まだまだ色々な事(欺瞞そのものとか)から目をそらしている事は変わりなく前途は多難だ。
市川とのつながりが欲しい山田はLINEの交換を持ちかけるが失敗。
逆に成り行きで萌子と市川がLINE交換することになり激しく嫉妬する。
自分も市川に妬かせるためにクラスの石室君とLINE交換せざるを得なくなるが、すんでのところで市川が(意図的ではないが)阻止。
図書室以外での接触を避けたい市川は距離を取ろうとするが山田は一緒に走りたい。
なんだかんだ山田が気になってほぼ一緒に走り、結果はビリだった。
授業終わりでみんな教室に帰っているし、まぁいいかと手を貸す市川。
返したと思ったのは市川のジャージで二人のジャージが入れ替わっていた。
市川の名札が付いたジャージを山田が着てしまう事を危惧する市川。
市川は挙手して黒板前に進み出ると、問題を解きつつ山田に「名札みろ」とジェスチャーを送る。
が、山田は二人だけの秘密を楽しんでいるかの様に受け流すのだった。
ようやくの昼休み、図書室に市川が入ると山田は先に来ており、山田から返されたジャージの襟元にはご飯粒。
市川はいつもの食べこぼしだと思ったが、それは口元にご飯粒を付けた山田が市川ジャージに顔をうずめた痕跡なのだった。
ネットで山田がEテレ「コロンブス学園」なる番組に出演している事を知った市川。
丁度放送日だった事もあり気になって視聴する。
山田が皆に知られてしまう事を危惧する市川だったが、実際のところ山田はひな壇のその他大勢に埋もれ、しかも出番はほぼカット。
市川はホッとしつつも山田の傷心を思い「コロ学」の話は避ける事にした。
最近の山田は昼休みに宿題している事を知ったちい(小林)が図書室を訪れ、なりゆきで市川が問題の解き方を教えることに。
素直で裏表のないちいが市川とも距離なく話す様に、親友とはいえ嫉妬が隠しきれない山田。
市川の方でも「山田とだけは普通にしゃべれる」事をちいに指摘されて動揺。
その日の昼休みは終始かき乱される二人だった。
代わりに山田が市川に勉強を教わる事にして、図書室の二人は並んで座るようになった。
三者面談。学校で母親と接触したくない市川は面談室前の様子を隠れ見る。
順番が山田家の次だったようで、廊下の椅子には山田母・山田・市川母が。
隣に座るのが市川の母と気付いた事から緊張しつつも軽く談笑する山田と市川母。
面談終了後、玄関に向かう市川親子を見つけて後ろから駆け寄る山田。
そのとき「面談前にすごく綺麗な子とアメを交換しちゃった」との市川母の言葉に、一部始終を隠れ見ていた市川は「山田」と即答。
すごく綺麗な子=山田という市川の答えに顔が赤くなった山田はまともに話しかける事ができず、「ば、バイバーイ」とそのまま駆け去った。
萌子にちいの代役(椅子)を頼んだ山田だが、椅子萌子が山田の乳を揉んだだめ憤慨。
それなら、と黒板に「山田触っていい場所マップ」を書かせることに。
その日の図書室、市川がマップを見たと知っている山田は触って良いよとばかりに距離が近い。たじろぐ市川。
三者面談の話をしているところに司書の先生が入室し、慌てて距離を開けた。
ふと見ると山田は宿題ノートの端にアメを出しっぱなしにしていて、市川はマップ上「触って良い」になっていた肩を軽くたたき「アメ、隠せ」と耳打ち。
突然のささやきに山田は耳をおさえて赤面、超絶動揺してしまう。
後日、山田のマップには耳が「触るのNG」として追加されたのだった。
小雨かと思ったらドシャ降り。
冬の冷雨に打たれながら自転車で家路を走る市川はコンビニを出た山田と鉢合せした。
市川の濡れた髪と面貌に見とれて思わず手を伸ばしてしまう山田、たじろぐ市川に気付いてギリギリ未遂。
後ろで傘を持って2人乗りしようとの山田の提案もあったが、仕事の予定もあって結局断念。その場で解散となった。
ようやく家の前まで帰り着いた市川は、自転車の前かごに山田のコンビニ袋が入ったままになっている事に気付く。
袋の中にはお菓子の他に生理用品もあり、慌てた市川は再び雨の中を駅へと急ぐ。
何とか間に合った市川、大声で山田を呼び改札越しに袋を渡そうとする。
山田はわざわざ改札を出ると、袋を受け取りながら濡れた市川の髪を拭いた。
市川が慌てていた訳に気付いた山田は顔を赤らめつつも市川の耳にそっと顔を近づけて
続く「ママに頼まれた」という言い訳に市川は「あのキレイなママがなぁ・・・」とキモい妄想にふけってしまい、それと知らない山田はここぞとばかりにハンカチで市川を撫で続けるのだった。
前回の雨で風邪をひいた市川は学校を休み、平日昼間の一人の家を満喫。
そこに給食のイチゴババロアをもった山田がお見舞いでインターホンを鳴らす。
玄関先で少し言葉を交わした後、体調を気遣っておとなしく帰ろうとする山田を、市川は咄嗟に「あ、お、お茶でも、飲んでいっ、たら・・・?」と引き留める。
表情を明るくする山田。
自宅に山田がいるという緊急事態にテンパる市川、お茶の用意をしかけたところで汗まみれの寝間着が気になり着替えることに。
朦朧とした意識の中で「大丈夫、大丈夫」と答える市川だったが、上着を着せようとする山田の腕の中で再び気を失った。
熱に浮かされる市川は、山田に抱き寄せられるやけにリアルな夢を見ていた・・・。
頬を撫でる手の感触に市川が目を覚ますと、手の主は山田ではなく姉。
市川にはどこまでが夢なのか分からなかったが、イチゴババロアと置手紙から山田が来たことだけは間違いないようだった。
チョイ役だが一言だけセリフもあるそうで、唐突に冷たい声で「マジキモい」と映画のセリフを披露する。
山田が発したその言葉にセリフと知りつつ心底の劣等感が震えてしまう市川。
その後もセリフの練習を続ける山田だったが、周りの目を気にする市川の提案で人気のない場所に移動することに。
公開日は卒業直前の再来年春だといい、市川は否応なくその時の二人の関係について考えてしまう。
(再来年の春に)映画を観てくれる?という山田の問いかけに、市川はわからん、善処する、としか答えられない。
が、ほんの少しだけ覚悟をきめると「観られる(自分になる)よう善処する」と、初めて二人の未来について真剣な言葉を発した。
その顔を見た山田は胸がいっぱいになり、セリフの練習が続けられなくなった。
前回を受けてイチャラブ度がピークに。周りに隠す気あるのか?というレベル。
席替えの結果市川は廊下側2列目、山田はその左斜め前とギリすれ違い。
足立が山田と教科書シェア作戦を画策、市川が阻止。嫉妬が嬉しい山田。
山田の長身で黒板が見えない市川が原さんにノートを写させてもらう。頬を膨らませて拗ねる山田。
休み時間「原さんが隣でよかったねと」弱気な山田に「山田がデカくて黒板が見えない」とも言えない市川。
つい「授業中、山田しか見えない(から黒板が・・・)」と口走ってしまう。
結局席順は山田と市川を入れ替えて、最前が足立・市川、2列目が山田・原さん、となった。
市川は山田から借りた「君オク」を読んで山田から自分への好意に気付きかけるが、あり得ない希望を持たないようにその考えを打ち消す。
その場はちいが追い払うも、昼休みの図書室に今度はナンパイ彼女だけが登場。謎の正妻アピールで山田をけん制する。
市川に誤解されたくない山田は暴走してしまい、彼女に連れられて図書室を訪れたナンパイに、市川とのキスシーン(のふり)を見せつける強硬策に出る。
山田からするとかなりの覚悟を要した行動も、山田から市川への恋心を「あり得ない」と考える市川には「好きでもない男を利用する行為」と映ってしまった。
それは「市川のネガティブな世界観」と「山田が隣にいてくれる現実」のギャップを埋める説明としてこの上なく適切であるように思え、
市川は足をガタガタと震わせつつこれまでの全てが「ただ利用されただけの関係だった」と結論。自ら絶望する道を選んでしまう。
その選択はまた、内心抱えていた恐れから解放され、元の自分に戻るという逃避でもあった。
山田を拒絶し昼休みの図書室にも姿を現さない市川、山田は不安を募らせる。
2日目にして耐えきれなくなった山田は、放課後の市川に強引に詰め寄った。
山田はここ最近市川との接触を求めすぎていた事に負い目があったようで、
「おこってるの?なんで?」「私が距離近すぎるから?」と涙目で問いかける。
涙をぬぐおうと取り出したのは、いつかの「ご自由にお使いください」ティッシュだった。
それを見た市川は「山田はそんなヤツじゃない」と分かっていながら気持ちを偽っている自分自身に気付く。
市川は「欲しくてたまらないのに決して手に入らない山田」を想う気持ちが日増しに強くなる事から逃げる口実を求めていたのだった。
自分の本心を知った市川は山田に歩み寄り、たまたま用事があっただけ、と弁解する。
山田は安堵から思わず市川を抱き寄せるが、接触を求めすぎたことが原因だと思い出してすぐ離れ、仲直りのハグだったと言い訳。
市川は精一杯素直な気持ちを振り絞って「嫌だなんて言っていない」と返した。
山田は再び市川を引き寄せると、ようやく心置きなく、愛情のままに市川を抱きしめる事ができたのだった。
その日の帰り道。
浮足立つ山田と賢者タイムの市川の会話はイマイチかみ合わず、市川はやはり山田との相性は微妙と嘆息する。
逆に、君オクの感想を市川から聞いた山田は好きな場面が一致した事で心を弾ませた。
とその時、突如IQが高くなった山田に天啓が降り、君オクの続きを月曜に持ってくると市川に約束した。
はたして終業式の月曜、山田は君オクを持ってくるのを忘れる。
岡江久美子さんが亡くなった。63歳だったそうだ。
うちの母は60歳、とても年齢が近い。
長期休暇になるとはなまるマーケットをみながら朝ご飯を食べていた。
とても明るい方だったと記憶している。
明るくて、少し天然で、たまに強引なコメントがあった。
その姿は、うちの母によく似ている。
うちの母も、とにかく明るくて、小ボケをかまし、自分の理論は強引なまでに主張する。
ちょっと悪口みたいな書き方になってしまったが、私はその強引さが好きだ。
私は一人ではなまるマーケットを見ながら、朝ご飯をもそもそ食べた。
別に母を亡くしたとかではない。
ただ、母のいない家は静かで寂しかった。
そんなひとりの家に、岡江さんの明るい声が響いていた。
それがとても心地よかったことを、テレビで岡江さんを拝見するたびに思い出していた。
母と重なる岡江さんが亡くなった。
私はとてつもなく悲しくなり、不安になった。
母もいつか死ぬ。当たり前のことを突き付けられた気がした。
新型コロナで亡くなったら、故人と対面もできないと聞く。
それを思うと、さらに悲しくなった。
堪らなくなって母に電話した。
相変わらず、明るく笑っていた。
声を聞いて安心した。
安心したと共に、近くに住めず、すぐに会えないことが口惜しい。
早くコロナが終息して欲しいと強く思った。
(この前の話)
帰宅してテレビをつけると、ニュースが流れており、飲食店の一部が「子供」向けにとそれぞれの条件をつけて値段を半額にしたり半額以下にしたりする様子が映っていた。わけがわからなかった。
どうしてそんなことをするのだろうか。やはり企業イメージの向上を図っているのだろうか。それとも、本当に見ず知らずの、一歩外に出れば赤の他人の家計を案じて安い値段で飲食を提供しようとしているのだろうか。
極めつけは飲食店内でインタビューされていた親が「休みがこうも長く続くとストレスがたまると思うので、(値段が安くなるのは)ありがたいですね」という趣旨を言っていたことだ。意味がわからない。※(値段が安くなるのは)の部分は俺が補ってあげた。
だいたい、ストレスが溜まるのは子供なのだろうか?そのストレスの解消と、飲食料金の値段引き下げがリンクしているというのか?
ストレスが溜まっているのは子供じゃなくて親の方だと解釈するのなら、わけわかる。だが、先の文脈では「休みが続いている」のは子供なのであって、やはりストレスが「溜まっている」のは子供としか読めない。
飲食店側の対応も疑問がある。コロナの休みなんて、小学校の冬休みと夏休みが合体した期間みたいなものなのだから、親が子供のメシを用意するのはさほど負担ではないはずなのだ。それに、勝手に子供を産んで育てているのだからメシを食わせる経済力だってあるのだ。だから、子供menuを普段以上に引き下げるというのはビジネスとしてナンセンスなんじゃないかと思う。
そのニュースを観ながら、自分は先週に買っておいた即席ラーメンをゆでて、メンマと薄っぺらいチャーシューをのせ、セブンイレブンの冷凍チャーハンをメインに、生ハムと香味野菜のサラダを作って一人で食べた。
嫁さんもいないし、子供だっていない。なんで旦那や嫁さんがいて、おまけに子供もついている人間が俺より低い金額をメシに払っているのだろうか。そう思うと、怒りと悲しみがこみあげてきた。
地元の私大には馬鹿ってバレてるから推薦もらえないのに、遠くの日本トップレベルの誰が聞いても羨む有名私大から推薦もらえるって何?意味がわからない。
体育祭、文化祭はコスプレ大会。卒業式はヘアメしてティアラつけて馬鹿でかい花束持って。絵に書いたような馬鹿高LIFE送ってこっちが3年間勉強しても受からない私大の推薦もらえるなんてほんと人生イージーモードだよね。
こっちは1年の頃から毎日授業でも朝でも帰りでも小テストやって、土曜日も学校に行って、朝補習もあるし夏休みも冬休みも半分以上補習。体育祭はメガホンさえ持たせてくれない。当たり前だけどスマホ禁止。
自分はまあ国立受かったからいい。いいけどさあ、周りにはまだFラン私立しか合格なくて後期まで私立受けて未だに不安抱えてる人だっているんだよ。
そんなに勉強してそれかよって思われるかもしれないけど、それはそうだけど、でも馬鹿高のトップよりは勉強できるわ。
指定校推薦の人は吐きそうになりながらセンター試験受けたりなんてしないでしょ?白髪になったり円形ハゲになったりもしないでしょ?どんだけ辛かったと思ってんの。センター試験は模試だと思って受ければいいとか信じられない。
まじで指定校はクソ。
中学のとき、高校のとき、仲が良かったはずの友達と、卒業後は、連絡がきても1度も返していない。というかLINEを全員ブロックした。同窓会にも欠席した。出席する選択肢がなかった。
「高校3年間」というスパンで見ても、仲が良かったはずの友達とクラス替えで別々になったら、連絡をとるのがものすごく面倒になった。流石にリセットはしないけど、面倒で連絡を全然返さないでいたら、自然と疎遠になった。大学生である今も、割と似たようなことをしている。
このリセット癖が何に起因するものなのか、自分でも分からなかったんだけど、きょう、理由がわかった気がする。
今、めちゃくちゃユリーカ!!!って感じなのだが、唯一使っているSNSであるInstagramは友達と繋がってるうえに文章を書くのは向いていないし、あまりに薄情な理由なので、日記を書いている個人ブログに書くのも人間性疑われそうで躊躇するので、ここに書く。はてなってありがたいね。ありがとうございます。
結論から言うと、「友達はじめ、人間関係を大事なものと思える価値感が欠落しているから」。ユリーカするまでもない、自明の理ですね。でも今まで気づかなかった。
私の話をさせてもらいたい。
大学に通ったことのある人ならわかると思うけど、大学に行けば、暇な時間は実にたくさん転がっている。
30分超えの暇な時間なら、読書なり、勉強なり、配信サービスで映画を観るなりするけど、細々とした空き時間だと、することがない。ないけど、暇だ。ではどうする?
正解は、「人に話しかける」。
内容なんてなんでもいい。相手が誰でも別にいい。とりあえず近くにいる人(手っ取り早いから)や趣味の合う人(どうせなら楽しく暇を潰したいから)と話す。そうやっていると、大学に入学して1ヶ月もすれば、「誰とでも話す明るいフランクな人」っていうパブリックイメージができあがる。なかでも頻繁に喋る相手とは、「よく一緒に行動する友人グループ」みたいになる。中学や高校のころも、学年が上がる時も、バイト先でも、同じだった。
事実、喋ること自体は嫌いじゃない。バカ騒ぎは苦手だが、色々な人の色々な価値観やものの見方に触れるのはとても楽しい。
私は最初に「休日にわざわざ」が嫌い、と書いたけど、学校終わりに一緒にどっか寄って帰る、程度なら大丈夫だったりする。「暇つぶし」の延長だから。
「誰とでも話す明るいフランクな人」をやっていると、なにかの幹事になることを頼まれたりする。すげなく断ることでせっかく構築した「暇つぶしの話し相手」を失いたくないし、リーダーシップをとってイベントごとを仕切っていくのは得意なほうなので、よっぽど面倒な役回りじゃない限り、引き受ける。
だが、いったんバイバイを言って、家に帰ったり、1人で寄り道をはじめると、大学の友達は、「暇つぶしの相手」ではなくなる。少なくとも、「"手近な"暇つぶしの相手」では。だって隣にいないのだから。だからLINEがきてもなかなか読まないし、返さない。ただLINEなどのレスポンスが遅い人は一定数いるので、ごめんごめんと言いつつ適当に返して適当に無視していれば、「そういう人なのね」と向こうが勝手に納得してくれる。
土日に「遊ぼう」と言ってくれる友達がいるが、土日は大学がないので、彼ら彼女らは「手近な暇つぶしの相手」ではない。
なので、その遊びの誘いは、ただただ「面倒くさい」ものとなる。
面倒くさいので、バイトがあるから、とか適当な理由をつけて、半分は断る。半分は申し訳ないし暇な時の話し相手を失いたくないしで、遊びに行く。
これが「夏休み」「冬休み」になると、友達の「手近な暇つぶしの相手度」は、さらに低くなる。四分の三は断る。それでも4回に1度は行く。
ちなみに「誘いに乗って遊びに行ったらどうなるか」というと、ヘトヘトに疲れ、MPを大幅消費して帰ってくることになる。あの、本当に分からないんだが、ディズニーや旅行ならまだしも、ただの買い物やくだらないカラオケを誰かと一緒に行うことのなにが楽しいんだろうか。1人なら誰にも気兼ねしないし自分のペースで動けるし無駄な時間がないし、カラオケにしても特に聴きたくもない友達の歌を聴くことに貴重?な規定時間を割くこともないのに。
話が逸れた。
さて、先程の「土日」が「夏休み」になり、さらに「卒業」になったら、「友達」は、私にとってどうなるか。
もう答えを言う必要もないと思う。「まったくもって暇つぶしにならない」うえに、たまに連絡が来たりする、「面倒な存在」だ。LINEがきても邪魔なだけなので、ブロックする。
中学のときも高校のときもそうだったし、多分大学を卒業するときも、同じことをするだろう。
そもそもなんで友達を暇つぶしの道具扱いしていると気付いたのかについてそろそろ書かなくてはならない。今日美容院に行ったのだが、美容師さんと趣味の話になり、映画鑑賞が好きだと伝えると、奇遇なことに美容師さんも映画が大好きだという。一通り最新映画の話をしたのち、美容師さんが
「そういえば、Twitterとかやってないんですか? Twitterに映画好きの人、いっぱいいますよ。映画の感想言い合ったり、映画友達作ったり。」
と言ったのだ。
「えー、いやー、やってないですね。SNS苦手なので。」
「やってみたいとか思わないんですか?私やってますけど、びっくりするぐらい趣味のあう友達できますよ。あ、シャンプーしますね」
いい香りのシャンプーで髪を洗われながら、わたしの脳は急速に回転していた。「私、びっくりするぐらい趣味のあう友達、別に欲しくない。」→「なんで友達欲しくないんだ? 大学の友達と喋ったりは好きなのに。」→「いやでも私めちゃくちゃ友達関係リセットするな。」→「わかった、私あの子たちを友達と思っていないんだ。だから惜しげなくリセットできるんだ。」ユリーカ!!!!!
私は、友人がほしいと、あまり思っていないらしい。というか、人間関係にあまり頓着していないらしい。そう考えると、予備校通いをしていたとき、弁当を1人で食べていたら、同じ学校の子に異様に心配されてむちゃくちゃ困惑したこととか、高校でよく「交友関係広いよねー」と言われていたにもかかわらず(実際クラスのほとんどと日常的に話しをしていた)、いわゆるスクールカーストみたいなパワーバランスが全然読み取れていなくて、友達に言われてはじめて「え、あの子とあの子仲悪いの?!?!」とびっくりしたこととか、二十年以上生きてきて今まで恋愛という意味で誰かを好きになったことが1度もないこととか、他にもその他もろもろ、腑に落ちる。
居るなら居るで適当に付き合うし、居ないなら居ないで、べつに不自由しない。あるならあるでいいし、ないならないでいい。
今日気付いたばかりなので、さらに考察を深めていけばまた違う事実が顔を出すかもしれないけれど、今の時点では、自分をこう分析している。人間に興味が薄いのに、映画や文学、演劇など、「人間が創るもの」が大好きな理由は、まだ分析できていない。
自分の悪癖に暫定的な理由づけができたのでなんとなくほっとしているが、多分結婚もせず、暇な老後を慰め合う友もおらず、孤独な老人になって死んでいくんだろうなと思うと、ちょっと残念ではある。それはそれで愉快な老後だと思いこそすれ……