はてなキーワード: 一般教養とは
GUCCIの靴が15万円だって聞いてびっくりしてたらやんわりそんなことも知らないなんて恥ずかしい事だと言われた。
靴なんて4,5万円の革靴買って良い買い物したなってくらいしかなかったし、ブランド品の服なんて興味なかったから値段すら調べたことなかった。
それが好きな人はどうぞ勝手に楽しんでくれればいいんだけど、興味のない部外者も一般教養として知っとかなきゃいけないもんなのか?
そもそもブランド品とかさ、、、、、実際素材や加工技術自体にはそんなに価値もないのに無駄に高くなってるだけだよね。。。。
カッコつけたい人が財力の象徴として見せびらかせたいだけなんでしょ。。。
マジで興味ないよ。。。
エヴァの翻訳が変わって英語圏が大荒れという話題のブコメ、ちょっと信じられない見解が多いな。
原文が読めないとすべての翻訳にケチをつけてはいけない、とはもちろん言わない。明らかに言葉遣いがおかしいとか、誤字脱字だらけで解読不能とか、そういうレベルの指摘なら、別に原文を読んでなくてもできるだろう。
女らしいおしとやかなキャラの一人称が「俺っち」だったりしたら、それも原文を読まずに文句をつけていいかもしれない(もっとも、原文で「男っぽい口調でしゃべる女らしいおしとやかキャラ」ではないことを確認した上で批判するのが望ましいだろうが。仮に原文でも男っぽい口調でしゃべってるのなら、その翻訳は正しい)。
でも、「ここの『好き』は愛情か友情か」みたいな議論するなら原文読めないと話にならないでしょ。
当たり前だけど、文学作品の唯一正しいテキストは原文です。翻訳はわかりやすい補助輪に過ぎない。
(どれが「正しい原文」か、という問題はめんどくさいしエヴァにはまるで関係ないからここでは論じない)
別に補助輪使ってたって悪いわけじゃないけど、補助輪しか使えないのに他人を非難しはじめるなら話は別だよ。
解釈違いだと翻訳者に文句を言う以上は原文が読めて当たり前です。「読める」にも程度があり、ネイティブスピーカー並じゃないといけないとは微塵も思わないけど、日本語の文字が読めて辞書が引けて簡単な和文を翻訳できるくらいは文句をつける最低ラインじゃない?
A Volunteerを「ボランティア軍」と訳してツッコまれてるけど、ツッコんでる連中は最低限、volunteerには日本語の「ボランティア」の他に「義勇兵」とか「志願兵」って意味があり、ここでは文脈的に「ボランティア」じゃないよな、ってことくらいは弁えてるわけじゃん。
You are not yourself! の文字通りの意味がわからん奴には『ロード・オブ・ザ・リング』の「嘘つき!」を批判する権利はカケラもない、ってのもわかってもらえるよな?
aircraft carrierと聞けば一般教養で「空母」だとわかるしわからなくても英和辞書を引いて「空母」のことだとわかるからなっちの「航空機運搬船」に文句を言えるわけじゃん。
逆もまた然りだよ。
カヲル君のセリフを聞いて理解するか、あるいはヒアリングが無理でもせめて書き起こされたセリフを読んである程度意味がわかる程度の語学力がないのに、なんで字幕の批判ができるんだ? 理解に苦しむ。
日本語母語話者はハリウッドの日本語字幕を批判するにあたって英語をある程度理解して、わからなけりゃ英和辞書なり英英辞典なりを引いてるんだから、日本アニメを英語字幕で見る非日本語母語話者にも同じ水準を要求するのは当然じゃない?
書き起こしを通してでもいいから日本語を理解して、わからん箇所を和英辞典なり国語辞典なりを引いて確認できる程度の語学力が、エヴァの字幕を批判するに際しては最低限必要でしょうよ。
もちろん、批判側には日本語学習者がおおぜいいる。そういうひとたちが、原文の日本語と対照させて英語字幕を批判してるのは、全然いいと思う。オッケーだ。素晴らしい。
でも日本語が読めない聞き取れないわからないっていう奴には字幕の解釈違いを批判する権利なんてねーよ。当然だろ。
そもそも今回は、旧字幕と新字幕が食い違ってて、旧字幕の方が好きって連中がヒスってるわけだよね?
でもその字幕の違いが、旧字幕が間違ってるのを新字幕が訂正したのか、旧字幕が正しいのを新字幕が歪めたのか、どっちの字幕も間違ってるのか、原文が曖昧でどちらの解釈にもそれなりの理があるのか、は、原文読まないとわかるわけないじゃん。そういう意味で原文読んでない、読む能力がない、なんてのはお話にならん。
ポーランド語読めないやつに『ソラリス』の翻訳の解釈でケチつける権利なんてあるわけないじゃん、当たり前でしょ? ポーランド語読めないくせに翻訳に文句つける権利があると思ってる方が傲慢じゃない?
上に書いたように、慣用句の間違いとか文体の不統一とかそういう純粋に日本語上のミスなら文句つけてもいいかもしれないけど、作品の解釈にかかわる文句があるなら原文読んでないと話にならんよ。
俺? もちろん読めないよ。当然沼野充義訳に文句つけようと思ったこともないけど。
旧訳の「I love you」が新訳で「I like you」に変更されたのが、同性愛排除だと憤激されていると…。しかし、そこで「日本語読め」という方がエスノセントリズムでは。/新劇場版はTVより同性愛っぽさが強調されてるよな。
訳の良し悪しを論じるなら原文を読め、というのは文学やその他の世界ではごくごく当たり前の話であって、人文系の学問をそれなりに勉強した人間なら国境を超えて同意してもらえると思うけど。
まあ、褒めるときは別に読まなくてもいいかもしれない。でも批判するなら読んでないと文字通りお話にならないでしょ。外国の文化を勉強する人にとっては常識です。
むしろ、「日本語の原文は読まなくていい」の方がエスノセントリズムでしょ。日本の映画ファンは英語を勉強してあの映画の字幕はここがおかしいとか議論してるんだから、外国の日本アニメファンも同じことをすべき。
それは面倒だやりたくないっていうなら、出された字幕にケチなんてつけるもんじゃない。原語わからんやつに翻訳に文句を言う資格はないので。英語わからんやつが戸田奈津子に文句つける資格がないのと同じ。
それとも「英語は学んで当然だけど日本語は学ばなくともよい」って思ってる? それを英語帝国主義というんやで。エスノセントリズムここに極まれり。
例えば「博士の異常な愛情」を今さら「ストレンジラブ博士」って邦題にされても「前の方がよかった」って思うから初出の訳が与えるインパクトは強い/なっち訳のハリポタ映画も本と違うスネイプの一人称で荒れてたし
すまんがあれは原文では別に変な口調ではないのを無理やり「我輩」とかいうヘンテコリンな口調に訳しやがった静山社が悪い案件なので映画の字幕は悪くないやで。日本語版ハリポタはよ改訳してくれ~。
でもこれを言えるのも俺が英文読めて原文でスネイプ先生が何て言ってるかわかるからであって、英文読めないやつは静山社に文句つける権利ないよね、という話であり。
昨今の引きこもりに関連する殺人事件を見るとどうも他人事には思えない。
引きこもりが全て犯罪者予備軍である、などと言うつもりは無いが私は間違いなく予備軍であった。
そして現在はその状況を脱している。(と思う)
先ずはこの書き込みで多くの方を不快にさせましたこと、お詫び致します。また暴力を受けずに真っ当なご家庭で幸福に育って来られた何の非もない方々をわざと煽るような発言をした事も重ねてお詫び致します。
レス、ブコメ、全て目を通させていただきました。当然ともいうべき厳しい意見から私の境遇を慮って下さった方までおられ、有難く思います。
私はたぶん、親と、かつて受けた暴力などが未だにトラウマになっています。そのせいかは分かりませんが、アラサーになった今でも自分の長所がわからず、自分の意見や気持ちをうまく主張できず言葉の強い人に同調してしまい、否定を恐れて常に人の顔色を伺い誰かに同意をもらえないと満足に自己表現すらできず、また自己評価が低いのは自分がだめな人間だからだという思いから(事実ですが)自分を信じる事ができないクズのままで社会人してます。言い訳がましくて申し訳ありません。
どなたか書いておられますが、大人にもなってマナーや一般教養でしかいきがれないなんておかしいですよね。そんなのは努力でどうにでもなり、誰もが出来る事なのに。どんなに若くたって社会人ともなれば何か秀でるものはあるはずで、そんな当たり前の事しか評価する要素がない時点でゴミでしかないと思われているに決まってるのに。
だけど、こんな私にも少しは、ほんの少しだけは礼節や教養云々といったつまらない誇りでなく、自分の努力の成果として心に残っている事柄はいくつかあります。しかし私が何を努力しても、「親の教育が」という言葉は付いて回り、私が努力をすればするほど親の評価が上がって私の受けた教育は正当化されていきます。親戚たちも皆そうです。みな口を揃えて、親に感謝しなさい、親のお陰だ、そればかりです。我慢で食いしばった唇が切れて血が出るまで私を殴ってくれてどうもありがとうと、そう思わなければいけないのでしょうか。よく分かりません。
発達障害も精神疾患も現れる事なく一応人並みに社会に出られてしまった今、私は親の教育を否定する事ができません。また私自身、自分の人生を全否定するのが怖く、あれは虐待だったのでは?と考える前に思考を止めてしまいます。
悪い事をしなければ食事は出ましたし、夕食を抜かれた時でさえ申し訳ありませんと言えばご飯をくれましたし、楽しい思い出も数えきれないほどたくさんある普通の家族でした。そしてこれだけは自信を持って言える事ですが、親はこんな私なんかを確かに愛してくれていました。だからこそ、殴ったり蹴られたりされていたとしても本心から感謝すべき事も多くて、やはり親が好きで、自分のされた事は虐待ではなく躾だったと受け入れたい気持ちが勝ってしまいます。
それが、新聞に載る児童虐待のニュースにあれこれ論議している姿を見る度に「あなただって私をぶったり蹴ったり、言い分を聞かずにへりくつだとねじ伏せて暴力で言う事を聞かせてきたじゃないか」と泣きたいのか腹が立つのかよく分からない感情になってしまうとしても、私は自分とその親を「虐待がありました」と言えないのです。
今回の投稿は、それを誰かに否定して欲しくてわざと親を称賛し肯定し尊敬しているかのように振る舞い、親の行為を虐待だと批判させる事で救われたく、浅はかな私の足りない頭で精一杯考えた結果のものです。
半分騙すような形になってしまったことは申し訳ないですし、想定以上に反響があったことにも申し訳なさを感じますが、「殴られなくても普通の大人になれる」という今まで認めたくなくて親からの暴力を愛情だと全肯定する事で25年間も目を逸らし逃げ続けてきた当たり前の事実を、こうして突き付けて下さった事に何よりも感謝しています。
自分の人格の歪みや自信のなさは結局のところ全て私の至らなさ、力不足、自己責任ですので、努力して直していくしかありませんが、少なくとも自分は親から暴力を受けていた事は悲しかったと言っていいのだと、あれは不当なものだったと主張しても良いのだと背中を押して下さったことに感謝しています。
そしてもう一つお詫びする事がございます。
私には2歳の娘はおろか、結婚すらしておりません。時間が限られている、今すぐに連鎖を断ち切らなければならない、そう思ってくださる心優しい方の目に留まるよう混ぜた嘘です。
私みたいなクズ1人ならば何の価値もない社会のゴミ屑が一丁前に慰め待ちか…と気にも留めて頂けなくても、罪のない子供が登場したならば注目せざるを得ない、そんな方々の良心を利用するような真似をし申し訳ないと思っています。ですが私みたいなクズが母親なんて可哀想ですから私が子供を持つ事は未来永劫ないと思うので、その点はどうかご安心頂ければと思います。
親がくれた身体だけは人並み以上に丈夫でしたので、この25年間特に病む事もなく、また自殺する事もなく無事大人にはなれましたが、自分の人生を自分で否定する事ができない私の弱さと「そんなの躾の範囲内」「叱られることする奴が悪い」で済まされてきた私の十何年分の「痛かった」「悲しかった」をどうしたらいいか分からなかった私を至極真っ当な言葉で解放してくれてありがとうございました。
やっぱり家族が大好きだから、憎んだり間違ってると声をあげたりできなかった弱い私の代わりに、私と、私の親を叩いてくれてありがとうございました。
大学は一般教養と専門分野の基礎知識を学ぶことができる施設である。だが、大学で学んだ知識を活かした仕事をしている人は少ない。では大学は何のためにあるのかというと大学卒の肩書きと人脈を作るためにあるのだと思う。それならば、数百万円の金を払って大学に通う必要はない。卒業資格は大検(大学入学資格検定)のように卒検(大学卒業資格検定)で取れば良いし、人脈は大学でなくても作れる。
しかし、現状では数百万円の金を払って大学を卒業しなければ社会で冷遇される。高卒や専門卒は大卒よりも格下であり、大卒でないものは人間ではないといった態度をとる会社がほとんどである。このいびつな社会構造を是正するには何が必要かと考えてみたが良いアイデアが思いつかない。子供を幸せにしたいと思う親は授業料を稼ぐために働くしかないのか。
高専卒の方のエントリーが上がっていたので,レアな存在である高専について私も語ってみる.何度目の焼き直しになるかわからないが.
15年前に卒業.化学系学科.情報としては古い点も多々あるかと思う.ただ学生会長で全国高専につながりを持っていたので、情報ソースは1校のみではない.
①進学が容易
後述する.
高校1年次から専門教育を受けられる.全課程が専門教育というではなく,高校や大学で履修する一般教養とのミックスになっている.年次が低い段階では一般教養の比率が高く,年次が上がるにつれ逆転するという塩梅だ.まともに単位を取っていれれば5年次は週の半分は研究だった.
①進路が固定されやすい
大多数が工業系の道に進む.進まざるを得ないといっても過言ではないだろう.感覚的に同級生の8割はメーカにいる.世界が技術系一辺倒なので,その他が見えにくい.入学時点で15歳なので、染まりやすく視野を広く持つことも難しいという点もあったかも知れないが,情報網が発達した現代はまた異なるかもや知れない.教員も普通の研究員なので,理系のアカデミアで純粋培養されたような癖が強い人がごろごろ.コースを変更しようとしても,マイノリティになるため後押しもロールモデルが少なくハードルが高い.
専門性が高い故、入学後に技術に興味がないことに気づいてしまった場合,モチベーションが下がりついていくのが困難になる.高専は受験日が普通高校に比べて早いので,度胸試しで受けてみたら受かってしまった,偏差値が高いのでなんとなく来た,という層の一部がこの状態に陥る.一念発起して3年次にセンター試験を受け大学に進学、文転したものもいた.これはレアなケース.
③恋愛チャンスは共学に比べ少ない.15-20歳という多感な時期に恋愛経験はまあ一般的に重要だろう.学科構成に依るとは思うが伝統的な学科であれば女性が少ないので競争は激しい.然しながら化学専攻などは女性比率が高い,それでも半分程度だろうか.
授業時間は90分.1年次から週1-2回のペースで半日かかる実習or実験があり,1年次から毎週毎週濃密なレポート提出を課せられる.締め切りや採点も厳しく,図書館での追加調査を含め毎週5-6時間をレポートだけで費やしていた.科学的文章の書き方の下地はここで醸成されたと感じる.専門科目が入っている分,一般教養が割かれている.歴史はなく,地理も確か1年前期しかなかった.その他普通科高校と比べて色々なものが削られていたに違いないが、よく分からない.
また,数学が難しかったことを殊更に覚えている.入学後すぐに三角関数,確率,2年次に上がる前に微積,線形代数.2-3年次で重積分,偏微分,常微分・・・.4年次以降で複素関数,曲面,群論,ラプラス変換,ベクトル場等の応用数学に入っていく.他にも電磁気,化学,熱力,固体物理・・・うっ.
①就職
就職率100%.求人倍率~20倍.県内の有力企業,大手の現業職(現場職長候補)に比較的楽に就職できる.ただ高専生は世の中のことをよくわかってないので,企業や業態研究をせずに適当に就職してしまい数年後に後悔する同級生はそこそこいた.先生も技術バカが多く,経済的なリテラシー教育はほぼなかった.私のころはインターネットの情報量も多くなく,現在はまた違っていると思われる.
②進学
大きく2つに分かれる.専攻科か大学か.
専攻科:
自校に残り,2年間の延長教育を行う.大卒の資格を得られる.ほぼ研究メインの生活を行う.研究8割,授業2割くらいか.卒業後は旧帝や技術系大学院(奈良先端科技大/豊橋技科大/長岡技科大)などに院進する人が多かった.就職する場合世間的にはレアな存在であり,専攻科?そんなのがあるんだ?という反応をされ,研究漬けで辛い生活を送ってきたのにも関わらず就職アピールとしては弱いと友人はボヤいていた.
進学(3年次編入):
ここが最大のうまみであろう.
①いくつも受験が可能.大学毎に試験日程が統一されていないので,費用と日程確保さえできればいくらでも.自分の場合は4大学に出願し,3大学目で決めた.偏差値が低いほど早めに行う傾向があった.
②受験科目が少ない.例えば東大は数学と英語だけだった.(東大のみ2年次編入だったが)問題も奇天烈なものでなく,真面目に授業を受けてしっかり対策していれば十分に解ける範囲である.
③高専によっては提携大学がある.私が卒業した高専では所在県の大学,提携の私立大学(関関同立など)は指定校推薦でほぼ全入していた.高専から私立大学に行く人は少ないので,競争率も低かった.就職したくはないが勉強も好きではないモラトリアム層は延命策としてこの選択肢をとっていた.大学編入後は一般教養はほぼ単位認定(=免除),専門教科も高専で齧っていることが多く,比較的楽.実験,研究発表においては経験の差が歴然.学部レベルでは専門を変えない限り大きな問題はないだろう.私も彼女が欲しくてテニスサークルに入ってみたが,雰囲気についていけずすぐ辞めたというオチ.
ピンキリ.トップレベルの明石高専や豊田高専などは偏差値60後半でそこらへんの進学校を超える難易度だが,商船高専などは50前後.学科としては電気がいつも大変そうだった.数式だらけで理解するのが大変.材料や土木,環境,その他新興分野はおぼえればいい科目も多く,比較的楽.
全寮制の高専は確かなかったと思うが,大概他県や遠隔地からの学生用に寮が用意されている.寮ではゲーム相手に事欠かない,発売日に漫画がすべてそろう,ありとあらゆるジャンルのエ〇本を閲覧できるなどのメリット(?)もあるが,大きなデメリットとして私が通学していた20年前では上級生による「しつけ」という名の体罰が行われていた.木曜日の夜に1年生を呼び出し,暗闇の中で数時間正座をさせて悪事を白状させるというもの.(風呂掃除に数分遅れたとか,寮の敷地内で先輩を発見した際百m離れていても90度おじぎをして挨拶を”叫ぶ”必要があるが,そのお辞儀角度が足らなかったなど)一定数白状しないといつまで経っても終わらないため,どうでもいい些細なことを報告するのが常であった.正座のみならず1時間両手を上げっぱなしにさせるなど.終わった後は体が痛んだ.脚が痺れを通り越して暫く立てないレベル.なぜ木曜の夜かというと,金曜になるとみんな帰省してしまうため.
さすがに今はもうないだろう.しかし,中学校を出たばかりの小僧に大学1-2年生相当の先輩たちはとても怖い存在で,且つ退寮して親に金銭的負担をかけられないため多数は我慢を選択する,という構図だったし,私の親も鍛えられてこい,という感覚だった.家が比較的近いやつは馬鹿馬鹿しくて通学に切り替えていた.私のころはなかったが,以前は先輩から達しが出るや否や吉野家の牛丼を30分以内で代理購入してくるという「吉野家ダッシュ当番」なるものもあったそう.尚,年次により寮内でのルールは緩くなっていく.年次による権力を揶揄した称号があり,1年次から「奴隷」,「見習」,「平民」,「貴族」,「神」.1年次においては共有スペースの炊事禁止,テレビ閲覧禁止,風呂掃除や朝食準備などの各種当番,祭りでの汚れ系出し物など.2年次になると共同場のテレビ閲覧可,3年次から個室があてがわれ、テレビも自室に設置が可能となる.今思い返せば,陰湿な日本文化を如実に体現しており,乾いた笑いが出る.
私は上級生になった際このシステムを廃止しようと試みたが、全体的にそれを維持したいという空気が流れており結局叶わなかった.ただ親元を離れて集団生活を送ったことで自身も随分たくましくなったと思う.
メーカを何社か転職し,現在はITでデータ解析職.製造業に興味がないことに気づくのに大分時間がかかり,また気づいてからも収入を維持しながらも他業種へ脱するまでが大変だった.現在は34歳で年収950万円.奨学金は500万ほどあったが30歳前に完済することができた.
【2022年追記】現在37で1700万.幸運が重なり待遇の良いコンサルへ転職することができたが,周りの優秀さに埋もれつつありキャリアピークも近いかと感じている.がんばりたい.
同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。
県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大進学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。
自分はというと文化系と運動系の狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器と寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。
親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器の練習をしない方が厳しく怒られたし、数学で10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しか許さない」と宣言されており、真に受けた私は私立のすべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学のテストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく。
これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校の担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。
正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテストは免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対うかると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学と英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語で高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベや推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史は文化史だけ異様にできた。
身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルがキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?
専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース(翻訳・通訳など)」と「海外の大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。
なんで大学編入が英語学科に属するかというと、ほとんどの大学の編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)
授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師も日本人講師もいたが、とにかく英語。リーディング・リスニング・ライティング・スピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEICや学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除、しかも学費も一部免除の特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初のTOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラスに所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。
残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなものを選択できる)の他、第二外国語、小論文対策、PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択で教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。
大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマなくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコースの人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。
【学生】
上記の通り様々なコースの人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単なテストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。
同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止めの私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後の最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。
コースの人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。
あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線で帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身で学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。
【学費】
高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除は簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準に学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)
本来国公立にしか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対に学費を無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人の努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境にお金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。
1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。
3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)
編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつは8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。
面接の練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月に試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験は受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶があいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学を卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入にチャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立や偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICでマックススコア出した人もいる。
あとTOEICのスコアで試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。
英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってからも英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。
小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人の文章センスや知識量がモノをいう感じだった。国語と世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。
編入試験の過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校で過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。
面接指導は就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生の研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。
【試験】
どの大学も小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格を覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。
第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかもバスからまた電車で移動するが乗換をミスり試験に遅刻。席に着くために荷物を通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろ楽しかった。1週間後には結果が開示され、無事合格。
そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり、面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドのライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブはギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。
進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。
上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位を大学の単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律や経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)
1年大学ライフを満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークル!バイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語の資格(TOEICスコア700前後と英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日の面接対策と小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身の編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。
大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。
色々書いたけどあくまで文系の話です。理系の編入はもっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。
東大や京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っからの文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。
あと社会人なってから編入で大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。
私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費の関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集や勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。
いよいよセンターが近づいてきて、不安な受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。
久しぶりに映画見てきた。その時に流れた予告編の感想を覚えてるだけ書く。
※見に行った映画本編は(仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER)
アメコミ系?
半沢の作者のやつにまた香川照之が出てるってそれもはや面白いんか?って思うけど
実際に見たら面白いんだろうなあって思う。だって主演野村萬斎だもんなあ。
実はドラえもんに限らず夕方にやってる子供向け?長寿アニメの類をほとんど見たことがなくって、(見たことがあるのはポケモンとコナンぐらいかな)
ちびまる子ちゃんもサザエさんも当然のように一回も見たことがなくて全く話が分からないのだった。
でも何となく一般教養というか、みんな概要は知ってそうなので私も多少話を知っといたほうがいいのかしらみたいなことは時々思う。
あまり興味はないから見るには至らないんだけど、知っといたほうがいいのかな…みたいな。
落語とか一回ぐらいは見たほうがいいのかな…みたいな。
ワンピースもみんな結構知ってるっぽいけど私は知らない漫画の一つなんだよなあ。
宣伝の戦略かもしれないけど、予告からは全然完成してない雰囲気が出ていてめっちゃ不安になった。
◇翔んで埼玉
クソ映画は好きなんだけど、この映画は映画銀魂的な感じでB級面白いに落ち着きそうなのでむしろあまり惹かれない。
個人的に地方ネタがやや食傷気味であまり惹かれなくなっているというのもある。
反省…。
秋2018
・College Writing
話をしたり作品の分析をしたりは嫌いじゃないんだけどレポートを書くのが死ぬほどしんどい
好きな映画について書き始めたけど見直しすぎてこの映画嫌いになりそう
教授がユーゴスラビア出身の人なのでアクセントが聞いてて気持ちいい
・Intro to Philosophy
哲学(入門)
ソクラテスをベースにデカルトとかミルとか読んだり論法を練習したり
曖昧なことについて考えるのは好きだけど2-3年かけてみっちり勉強したいほどではないと思ったので専攻候補から除外
洞窟壁画とかから始まってピラミッドとかギリシャ彫刻とか仏像とかについて学んでる
美術は好きだけど興味があるのは絵画だから建築と彫刻ばっかりのこのクラスはあんまり面白く感じなかった
でも「アートって何だろうな」みたいなのがちょっと分かってきた気がする
・Multilingualism
この国で使われてる言語、他の言語から受けた影響、方言、文化グループ等について学んでる
正直クソ面白くて入学前には視野にも入ってなかった言語学に興味が湧いてきてる
・Applied Calculus to the Social Sciences
微積分?のクラス 応用問題としてリアルなシチュエーションの文章題とか出てくる
死ぬほどつまらないし教授何言ってっか分かんないしリタイヤしてしまった
冬2019(予定)
・Drawing 1
副専攻として美術やりたいし最近絵書いてなさすぎて画力心配だから基本的なとこから始める
春2019(予定)
・Intro to Cultural Anthropology(民俗学)
・Writing about Performance(レポートの書き方、演劇やダンスが題材)
・Color Theory(色彩理論)かPainting 1(油絵)のどっちか
他に取ろうと思ってる必修(一般教養?)
・理科応用:Data and Society (データと社会)
・数学(再挑戦):Excelかコンピューターサイエンスの入門
そろそろ一般教養を取り尽くしてしまうので専攻を決めないとまずいところだが分からん
法学とか医学とか暗記だらけのエリートルートは無理だしエンジニアリングとかコンピューターサイエンスとかのそこそこ高給安定ルートも興味が持てない
https://www.yutorism.jp/entry/area
これで星集めてるブコメなんて酷いもので、“気候の違いは植生の多様性を生み、それは文化の多様性も育む。”などと抜かしている。まあ晒し上げをしたいわけではないので断っておくが、これはこの人が悪いわけではない。つまりこういう論調はそこかしこに溢れていてこの人は(愚かにも)それを繰り返しているだけなのだ。☆付けてる奴らもバカだな。ツッコミ始めたら(単一民族である事を誇りにしているくせに)文化の多様性とかも全く何の事を言ってるのか意味分からないけど、まあどうでもいいわ。
まず同緯度帯なら日本でなくても四季はあるし、四季折々の風物とかいかにもな事を抜かす奴が多いが、四季なんて中国にもアメリカにもあるわバカ。大体日本だけそんな変化に富んだ気候だったらまず弥生時代に稲作が伝わって来る事もなかったんだけど。そしたら大分歴史が変わっていたはずだ。渡来人に征服されるのはまあいいとして、持ち込んだ作物が育たないなら入植する価値もない「死の島」になっていただろう。『銃・病原菌・鉄』辺り一般教養として当然押さえているはずのはてな民様がこれくらい分からないの実に不思議だな〜。
まあ、日本の気候というと世界の他の地域と明らかに違う特徴があるのだが、面倒だからこの辺にしとくわ。一生、四季自慢してろ。バーカ。
ブコメ読みました。どうもありがとうございます。
トラバは伸びすぎてまだ全部読めていません。(スレッドたためないのかな?)
行列いらないよという方が意外と多いですね。専門によってずいぶん意見が変わるようです。
抽象代数をめざすので2x2の泥臭い計算練習などいらん、ということですね。
確かに数学を使う応用分野に進む子と数学自体を研究対象にする子では必要な勉強が異なるでしょうね。
数学科のことを考えていませんでした。
最後「高校で線形代数を教えろ」じゃなくて「行列をなくせ」になるのですか?
同じようなことを言っている人が何人かいらっしゃいました。(ゲーム業界?)
私にはちょっとピンとこないのですが、その業界の人たちがそういうのなら何か事情があるのでしょうね。
線形代数は大学で教えるでしょ?というのは確かにそうなのですが、1年生に教える物理の授業内容に影響が出ます。
物理科で1年生に教える科目は主に「力学」「電磁気学」、大学によっては「相対論」の入門を教えていたりするのですが
行列がなくなると座標変換が使えません。行列を使わないで無理やり書き下すこともできますが式の見通しが悪くなりますね。特に相対論。
逆行列を知らない。回転行列を知らない。座標変換のイメージがつかめないという子に対応しなければなりません。
2024年に文系からベクトルがなくなります。(復活した数Cに入ります。数Cは理系科目)
それに対応しておそらく物理基礎はベクトルが使えなくなります。
実は1997年にも似たようなことがありまして
微分方程式が消滅、文系から微積が削除された際に高校物理で数式が扱えなくなりスッカスカになりました。
物理科ではずっと問題視されているのですが現在に至るまで救済されず。
さらに削減が進むということですね。
数学では「データの分析」が大幅に増えました。現在の学習指導要領はこちら
次期学習指導要領(高等学校、数学、情報)について思うこと - とね日記
数学Bに 確率変数と確率分布/二項分布/正規分布/母集団と標本/統計的な推測の考え などが入っています
次期学習指導要領では数学Iに 四分位偏差/分散/標準偏差/相関係数 などが入ります
教科 | 科目 |
---|---|
数学 | 数学I,数学II,数学III,数学A,数学B,数学活用(←new!) |
(1) 数学と人間の活動 数学が人間の活動にかかわってつくられ発展してきたことやその方法を理解するとともに,数学と文化とのかかわりについての認識を深める。
数量や図形に関する概念などと人間の活動や文化とのかかわりについて理解すること
イ 遊びの中の数学
数理的なゲームやパズルなどを通して論理的に考えることのよさを認識し,数学と文化とのかかわりについて理解すること。
社会生活において数学が活用されている場面や身近な事象を数理的に考察するとともに,それらの活動を通して数学の社会的有用性についての認識を深める。
図,表,行列及び離散グラフなどを用いて,事象を数学的に表現し考察すること。
行列残っているじゃん、とおっしゃる方がいましたがこれ残っていると言えます??
少なくとも1年生の過半数が行列を習ってないというのですから実質ないも同然なのでしょう。
次期学習指導要領では廃止して「理数探究(仮称)」が新設予定だそうです
数学ではないのですがはてなー的には気になる話題だと思うので書いておきます。
2003年から数学や国語に並んで「情報」という教科ができました。扱う内容はかなり本格的で
高校で使われているプログラミングの教科書を全部購入して比較 (情報の科学) - Yusuke Ando a.k.a yando
情科306 コーディングはHTML、CSS、VBA。SQLも例が示されている。ドリトルという日本語のタートル言語も。 pic.twitter.com/Cn8O0vPWG3— Yusuke Ando@プログラミング教育 (@yando) 2018年7月29日
本当に困る。
どういうことか? 一般教養としてのオタク趣味の必要が出るから。
昔はゴルフを好きでもないのに接待のために覚えたサラリーマンがいたそうだけど、いまの職場では上司のガンダム話に付き合うためにガンダムを観てる。
ガンダムなんて別に興味はないけれど、上司がガンダム大好きで、好きなMSはなに? とか言われて答えられないとノリが悪いと言われる。
いまどき、80年台のロボットアニメを見るのは辛い。
好きなアニメを持ってないと会話がつながらない。
シュタインズゲートとか観たけれどそれぐらい。
オタクが主流になると言うのはオタクには嬉しいことかもしれないが、濃い口のオタクの一般常識をこっちの一般常識だと思うタイプの職場は結構きつい。
「ガンダムを語るためにはイデオンを観ろ」とか「エヴァはイデオンのオマージュだ」とか知らねえって。ほんとに。
一般の職場がワールドカップを観なければいけないように、うちの職場はアニメを見なくちゃいけない。
ほんとしんどいなあ。
またはてなーの皆様には、確率という割と雑に扱われ適当に参照されてしまう数学を、改めて理解しなおしていただきたいと思う。この程度の基本知識は一般教養として知っておいて損のない話のはずだ
確率警察です。軽自動車の安全性について考察してバズった記事を読んで、驚いたので確率についての記事を書きたいと考えた。この記事で伝えたいのは以下の内容になる。
https://anond.hatelabo.jp/20180822005110
全体に対して部分が占める比率の事。比率とは二値A,Bあり、AのBに対する比率を表す場合、A÷Bで示される値の事を言う。
例
比率は特に全体を定義する必要はない。割合と確率は全体が定義されて初めて意味がある。
すなわち、(正規化を行ったとして)、割合は全部分の割合を合算した場合1になる様に、確率は全事象の確率を積分すると1になる様に定義されなければならない。
かみ砕くと、いま宝くじが1等~7等、そしてはずれで構成されているとして、1等から7等とはずれの枚数を足した場合に宝くじ全体の枚数となっている必要があるし
1枚をひいたときに、1等から7等とはずれが出る確率を足したものは1になる必要がある
上記を言い換えるとこうなるが、ここはわからなくてよい。確率は公理みたさなくてはならない。数式を書くのが面倒なのでリンクを張る
http://bin.t.u-tokyo.ac.jp/spzemi2013/chap1.pdf
元増田は普通車登録台数にたいする、事故件数の「比率」を求めている。事故は同一運転手及び同一車両による重複もあり得るとしたら、割合ですらないし、まして確率ではない。
したがって「事故発生率」という事象の発生する割合と誤認させるような表現は、明らかに間違いである。
正しく表現するなら、こうなるべきだろう
1万台当たりの死亡事故数を比較したとき、軽自動車の普通自動車に対する死亡事故数の比率は、1.39となり。死亡事故数が4割近く多い事が言える。
ここまでの説明から、この4割が40%高い「確率」で死ぬということを意味しないことは明らか。「発生率」という言葉とともに、大いに誤認を誘うものとなっており、元増田が確率を理解しているかは疑わしい。
hatekun_b 結論から書いてあって大変読みやすい。台数あたりの事故発生数は7%増なのに死亡数は39%増ということは、一事故あたり30%多く死ぬってこと(4人乗ってた普通車なら1人生き残れても軽だと全滅する)
ここまで説明したことから、比率の加減乗除は無価値であり何も言えてないことが分かるはずである。正しい理解があれば、「一事故あたり30%多く死ぬ」などという結論には、絶対に至らない。
唐突だが、今ここで、ある人の誕生から時間経過にかんする死亡率を考える。人間は必ず100歳までに死ぬ、生死の状態は背反であり半分死んでるなどは認めない、と仮定しよう。死亡率を定義する関数Fを年齢について表す場合、F(60)=0.05などと表せる。
この時、60歳の1年間で死ぬ確率は0.05 = 5%である。F(0)からF(100)までを足すと必ず1になり、F(x)、年齢 xは0以上かつ100以下、 は必ず F(x) は 0以上かつ 1以下 を満たすものである。この時のF(x)の値を確率変数、関数Fの値がなす分布を確率分布とよぶ。
答えはNoであろう。身長体重、性別、などなど多くの情報の影響もうけるはずである。年齢も含めた死亡率に関連のある数値を、関数の値を決定する変数として定めた場合、関数FはF(x0,....,xn)= y のように表せる事になる。
この時、各変数x_i,iは0以上かつn以下、 が互いに影響を与えない、すなわち独立しているならば簡単だが、死亡率のようなものの場合には各変数は互いに相関を持つことは想像に難くない。これを交絡という。
元増田は死亡比率を語っているだけだが、あえて死亡率であることを認めたとして、車種を変更した場合に死亡率は決まるだろうか?上記の話から、死亡率も多数の変数の交絡を考える必要があることは明らかであろう。
したがって、車種を変更しただけで「死亡率」を乱暴に扱う元増田の考え方は非常に危険と言わざるを得ない。死亡比率であったとしても、死亡事故の発生件数を定義する関数は多変量であるはずで状況としては変わらない。
見てきたように元増田は確率に対する誤った理解から、多くのブックマーカーに誤認を与えてしまっている。非常に残念なことだ。軽自動車の開発に携わる人々は、購入者の事を考えて、より便利で快適で安全な車を提供しようと努力をしている。
乱雑で誤った数値いじりによって、軽自動車が普通自動車に対して著しく危険とするのは間違った考え方で改めてほしい。安全試験の結果など、対象の車について明確に定義されている値のみを参考にしていただきたいと思う。
またはてなーの皆様には、確率という割と雑に扱われ適当に参照されてしまう数学を、改めて理解しなおしていただきたいと思う。この程度の基本知識は一般教養として知っておいて損のない話のはずだ
id:tenari んーでも確率の分野でもこれを40%多い確率で死ぬって表現するのは普通じゃないのかな?医療・健康領域とか。詳しい解説がほしい
この指摘はあるかと思っていました。知りたいと思われているのは、こういう事であると想像します。複雑な現象について述べる場合、条件を限定する仮定を置いたモデルのもっともらしさを証明する事によって、複雑な現象をより簡単に述べる事が可能になるような手法がある。この現象について限定したモデルを統計モデル、統計モデルのもっともらしさを測る値を尤度といい、我々が目にする様々な確率を述べるにあたって広範囲に用いられている。この増田で書くには重い話ですので、興味があれば調べられると良いかと思う。