はてなキーワード: 沼野充義とは
エヴァの翻訳が変わって英語圏が大荒れという話題のブコメ、ちょっと信じられない見解が多いな。
原文が読めないとすべての翻訳にケチをつけてはいけない、とはもちろん言わない。明らかに言葉遣いがおかしいとか、誤字脱字だらけで解読不能とか、そういうレベルの指摘なら、別に原文を読んでなくてもできるだろう。
女らしいおしとやかなキャラの一人称が「俺っち」だったりしたら、それも原文を読まずに文句をつけていいかもしれない(もっとも、原文で「男っぽい口調でしゃべる女らしいおしとやかキャラ」ではないことを確認した上で批判するのが望ましいだろうが。仮に原文でも男っぽい口調でしゃべってるのなら、その翻訳は正しい)。
でも、「ここの『好き』は愛情か友情か」みたいな議論するなら原文読めないと話にならないでしょ。
当たり前だけど、文学作品の唯一正しいテキストは原文です。翻訳はわかりやすい補助輪に過ぎない。
(どれが「正しい原文」か、という問題はめんどくさいしエヴァにはまるで関係ないからここでは論じない)
別に補助輪使ってたって悪いわけじゃないけど、補助輪しか使えないのに他人を非難しはじめるなら話は別だよ。
解釈違いだと翻訳者に文句を言う以上は原文が読めて当たり前です。「読める」にも程度があり、ネイティブスピーカー並じゃないといけないとは微塵も思わないけど、日本語の文字が読めて辞書が引けて簡単な和文を翻訳できるくらいは文句をつける最低ラインじゃない?
A Volunteerを「ボランティア軍」と訳してツッコまれてるけど、ツッコんでる連中は最低限、volunteerには日本語の「ボランティア」の他に「義勇兵」とか「志願兵」って意味があり、ここでは文脈的に「ボランティア」じゃないよな、ってことくらいは弁えてるわけじゃん。
You are not yourself! の文字通りの意味がわからん奴には『ロード・オブ・ザ・リング』の「嘘つき!」を批判する権利はカケラもない、ってのもわかってもらえるよな?
aircraft carrierと聞けば一般教養で「空母」だとわかるしわからなくても英和辞書を引いて「空母」のことだとわかるからなっちの「航空機運搬船」に文句を言えるわけじゃん。
逆もまた然りだよ。
カヲル君のセリフを聞いて理解するか、あるいはヒアリングが無理でもせめて書き起こされたセリフを読んである程度意味がわかる程度の語学力がないのに、なんで字幕の批判ができるんだ? 理解に苦しむ。
日本語母語話者はハリウッドの日本語字幕を批判するにあたって英語をある程度理解して、わからなけりゃ英和辞書なり英英辞典なりを引いてるんだから、日本アニメを英語字幕で見る非日本語母語話者にも同じ水準を要求するのは当然じゃない?
書き起こしを通してでもいいから日本語を理解して、わからん箇所を和英辞典なり国語辞典なりを引いて確認できる程度の語学力が、エヴァの字幕を批判するに際しては最低限必要でしょうよ。
もちろん、批判側には日本語学習者がおおぜいいる。そういうひとたちが、原文の日本語と対照させて英語字幕を批判してるのは、全然いいと思う。オッケーだ。素晴らしい。
でも日本語が読めない聞き取れないわからないっていう奴には字幕の解釈違いを批判する権利なんてねーよ。当然だろ。
そもそも今回は、旧字幕と新字幕が食い違ってて、旧字幕の方が好きって連中がヒスってるわけだよね?
でもその字幕の違いが、旧字幕が間違ってるのを新字幕が訂正したのか、旧字幕が正しいのを新字幕が歪めたのか、どっちの字幕も間違ってるのか、原文が曖昧でどちらの解釈にもそれなりの理があるのか、は、原文読まないとわかるわけないじゃん。そういう意味で原文読んでない、読む能力がない、なんてのはお話にならん。
ポーランド語読めないやつに『ソラリス』の翻訳の解釈でケチつける権利なんてあるわけないじゃん、当たり前でしょ? ポーランド語読めないくせに翻訳に文句つける権利があると思ってる方が傲慢じゃない?
上に書いたように、慣用句の間違いとか文体の不統一とかそういう純粋に日本語上のミスなら文句つけてもいいかもしれないけど、作品の解釈にかかわる文句があるなら原文読んでないと話にならんよ。
俺? もちろん読めないよ。当然沼野充義訳に文句つけようと思ったこともないけど。
旧訳の「I love you」が新訳で「I like you」に変更されたのが、同性愛排除だと憤激されていると…。しかし、そこで「日本語読め」という方がエスノセントリズムでは。/新劇場版はTVより同性愛っぽさが強調されてるよな。
訳の良し悪しを論じるなら原文を読め、というのは文学やその他の世界ではごくごく当たり前の話であって、人文系の学問をそれなりに勉強した人間なら国境を超えて同意してもらえると思うけど。
まあ、褒めるときは別に読まなくてもいいかもしれない。でも批判するなら読んでないと文字通りお話にならないでしょ。外国の文化を勉強する人にとっては常識です。
むしろ、「日本語の原文は読まなくていい」の方がエスノセントリズムでしょ。日本の映画ファンは英語を勉強してあの映画の字幕はここがおかしいとか議論してるんだから、外国の日本アニメファンも同じことをすべき。
それは面倒だやりたくないっていうなら、出された字幕にケチなんてつけるもんじゃない。原語わからんやつに翻訳に文句を言う資格はないので。英語わからんやつが戸田奈津子に文句つける資格がないのと同じ。
それとも「英語は学んで当然だけど日本語は学ばなくともよい」って思ってる? それを英語帝国主義というんやで。エスノセントリズムここに極まれり。
例えば「博士の異常な愛情」を今さら「ストレンジラブ博士」って邦題にされても「前の方がよかった」って思うから初出の訳が与えるインパクトは強い/なっち訳のハリポタ映画も本と違うスネイプの一人称で荒れてたし
すまんがあれは原文では別に変な口調ではないのを無理やり「我輩」とかいうヘンテコリンな口調に訳しやがった静山社が悪い案件なので映画の字幕は悪くないやで。日本語版ハリポタはよ改訳してくれ~。
でもこれを言えるのも俺が英文読めて原文でスネイプ先生が何て言ってるかわかるからであって、英文読めないやつは静山社に文句つける権利ないよね、という話であり。