はてなキーワード: あざ笑うとは
何なんだこの喪失感は。
多様性を肯定するリベラル的な価値観は、全てのベースに存在するべき前提だと信じている。
西部の、上記観点からは諸々居直って足を引っ張るだけの主張に、私の理性が同意したことは過去一度もない。
どんくさいおじいちゃん。
それが私の西部への印象だ。
何なんだ。
この半身がもがれたような喪失感は。
思うに、保守とリベラルは、双方共が、社会にとって必要なんだ。
保守派の主張が、リベラルの価値観をあざ笑う事があってはならないし、
双方が、合意に達する事がないと分かった上でなお、
こんなことは私の望んだ結末ではない。
ご冥福をお祈りします、なんて行儀よくいう事なんてできない。
ただただ、悲しい。
絶対に何かが間違っている。
私は40手前のオッサンで、自分ではインスタはほとんど使ってないんだけど、インスタでたまに話題の写真とかは見たりします。
最近同じくらいの歳の友達や知り合いが「インスタ映え」という言葉を小馬鹿にして使うんですが、それにすごい違和感を感じています。
インスタをメインのSNSとして利用している人達にとってインスタ映えを狙うことはむしろマナーのようなものではないんだろうか?
普通の人は人の目が多い外をであるく時なんかはそれなりの身だしなみを整えると思う、つまりインスタを常日頃利用している人にとっては
インスタに投稿する写真は街中を歩いてる自分と同じことであって、最低限の身だしなみを整えるのがマナーなのではないか?
もちろん身だしなみをきっちり整えていてもダサい人はダサい、でも身だしなみを整えていれば外を歩いてもおかしくはないし
一緒に歩く人がいたとしたら失礼にもならない
インスタ映えを狙うことと、結果として写真がインスタ映えすることは必ずしも一致しないのもおしゃれと一緒
とんでもねー個性的なファッションで周りに迷惑かけちゃうおしゃれに必死になりすぎな人とインスタ映えを狙って問題を起こす人は多分本質は同じ
だいたいみんな同じ気持ちなんだけど、
ただ、ひと握り居る、
表向きポリコレに乗っかって、実は利権を確保したいだけの詐欺師、
ストレス解消や売名・炎上商法の為に他人をあざ笑う記事書く荒らし、
そんな連中が書き込むと広まっちゃうのよ。
「私の知人に〜という奴がいた」「私が聞いたところでは〜だった」など
主語を大きくし、下手をすると人類代表のような顔をして書くから
批難される側・被害を受ける側が膨大すぎて、どうしても話が大きくなっちゃう。
特にニコニコだと誰でも目に付く所にニュースリンク貼ってあったり
はてなだとそういう連中の話をホッテントリなんかで取り上げるから更にね。
そしてそのまま放っておくと、
うちは父方も母方も歯列矯正してる人たぶんいない。なのでしてる人の気持ちはわからないけど、(友人には歯列矯正は大変だって訊いてる)
歯列矯正しないと、虫歯が出来たり、かみかたがぞんざいで胃腸に悪かったり、かみ合わせで体に悪影響だったりするようなので
海外では歯列矯正して当たり前っぽいので悪くは言われないんじゃないかな。
【否定はしてない】
整形はしたいひとがすればいい。別に健康になるわけじゃないから。その人が満足すればいい。
結果、美しくなったひとが、それで明るくなったりするのは良いと思う。
何より本人がカミングアウトってしないでしょう。
美形になったとたん、してないひとをDisってるひとをみたことある。最近。(通りすがりだけど)
(カップルで整形してるっぽかった。同僚女性のことを二人でBUSU、BUSU言ってたのです。
交差点の信号待ちだったので避けるわけにゆかず、とげがあるというよりあざ笑う感じの2人で。
嫌でも聞こえてしまい。どんな綺麗な人たちなんだろうって興味本位で顔をみたら
どうみても無理があるお顔立ちの二人で。ああーって納得しました💦 過激な感じで怖かった。)
コンプレックス克服したとたんに、今度は言われたりされてきて事をする側になるタイプの方々かなぁ。
とけない魔法みたいな。うまれつき綺麗って夢見てるんだなぁって。
いや、綺麗で自信持つ、それはいいんだ。上から目線で、他人をけなさなければ。
その人たちの価値観は美しくないと許せないみたいな感じ。パーツは整ってたけどあってなかった。
綺麗になって優しく&明るくなったりするなら、良いでしょう。
【いいとか悪いとか言う時点でおかしい】
それに、どんなにポジティヴといっても、美容整形何が悪いのって言う人は何だろう。
だって自分のお金で自分の意思でしてるんですよね。それでいいんじゃないのかな。どうして人にきくのかな。
そして隠す人が多いのもなんでなのかな。悪くないなら隠さなくていいじゃん?
かつらつけてるハゲのおじさんおばさんを嗤うのに、
家を出る直前まで、トイレに篭っていた。
なんとか腹痛の波が収まったスキを見てトイレットペーパーを巻き取ると、その行為をあざ笑うかのように、また便意が襲ってくる。
「ッチ……フェイントかよ」
そのような攻防を繰り返し続け――何度目だっただろうか、ついに便意が諦めてくれた。
私は今がチャンスとばかりに素早く便を拭き取り、流水によってことの始末をした。
トイレから出て時間を確認すると、普段ならもう家を出て会社に向かっている時間だった。
まあ、フレックスなので遅刻になったりはしないのだが、たかが便意ごときに自分の予定を狂わされるのは少し納得がいかない。
だからといって便意に一泡吹かせてやったりなんてできないので、私はさっさと準備を済ませて会社に向かうことにした。
会社に着くまでの間、便意が蘇ってくることはなかった。
今日の便意との戦いはもう終わったのだと、私はこのとき、安心してしまったのだ。
戦いはまだ、終わっていなかったのにも関わらず。
会社についた私は、いつものように自分のデスクに着き、PCを立ち上げる。
数時間が立った頃、お腹が空き始めたので、昼食をすまそうと席を立った。
――その時だった。
あいつが、出たのだ。
なんの前触れも、予備動作もなく、すんなりと――さもそれが当然であるかのように、あいつは出てきて、パンツを汚した。
焦った。
最も近いトイレの個室は空いてなかった。
個室に入る。
ズボンを下ろす。
――何か、いた。
見たことのない、何かが。
さすがに緻密な描写は避けるが、全然不潔そうじゃないモノだった。
匂いを嗅ぐ。
なんと臭くない。
よくわからない。
逆に怖い。
まあいい。
そしてパンツを広げてまじまじと見つめる。
――これはなんなのだろう。
なにかは分からないが、このパンツをもう履くことは無いだろうと私は悟った。
そのパンツトイレットペーパー巻きをそっと端の方に置き、ウォシュレットを止める。
この間、腰を八の字に動かしながら、広範囲の洗浄を行っていた。
またもトイレットペーパーを大量に巻取り、広範囲に渡って濡れた自らのけつを拭く。
立ち上がってトイレットペーパーを流してから、ノーパンのままズボンを上げた。
――あぁ、何年ぶりだろう。この感覚。なんか、どきどきする。
耳を済まし個室の外にヒトがいないことを確認して、ゆっくりと外に出た。
そして素早くパンツトイレットペーパー巻きを洗面所の横にあるゴミ箱に捨てた。
もうこれで安心だ。
ノーパンであることがバレない限り、この数分間の出来事はすべてなかったことになるだろう。
私は勝ったのだ。
虐待を受けていた少女が誘拐され、誘拐犯と暮らすというストックホルム症候群を描いた漫画を読みました。
この漫画は現実にあった誘拐事件を元にしていると言われており、
今も事件のトラウマを乗り越えて生きていこうとしている被害者が現実にいるにも関わらず、
その人を踏みにじり、面白おかしく茶化してあざ笑うような内容です。
現実の被害者などどうでもいいから都合よく消費したいという魂胆が見え透いており、読んでいて吐き気がしました。
このような漫画を許容し、愛好する消費者達も作者と同様の倫理観しか持ち合わせていないクズ共であり、
オタク文化がいかに邪悪で醜悪なものかをまざまざと見せつけられました。
編集部は売れれば何でも良いというのか。企業の社会的責任を無視した判断には神経を疑います。
作者はあくまでフィクションだと言い張って逃げようとしていますが、
幾らフィクションだと言い訳した所で、誘拐事件の被害に遭った弱者達を傷付けている事に変わりはありません。
いろいろな動画を見たけどああいう現場にいたら精神を病むと思うんだよね。
今回の問題には戦争帰還兵のPTSDとか周囲が向ける人殺しという目線とかに似た
反戦派が着目すべき要素があると思うんだけど誰も心配してないのが怖い。
あんな老人が悪意を持って子供じみた嫌がらせや不法行為をしてるのを
目の前で何十日も見せつけられたり罵倒されたり小突かれたりしたらさ、
祖父母を敬う若いいい子ほど基地反対派の老人は自分の祖父母とは違う何か別の人種、
未開人とか土人だと思わないとやってられないと思うんだよね。
反対派が「お前の自宅に街宣カーよこして老婆を倒した奴だと宣伝するぞ!」
とか言うもんだから沖縄と関係ない大阪県警の若者が派遣される羽目になるしカワイソス。
https://youtu.be/7vHDfRcEjM4?t=80
そんで何度も小突かれながら「やってみろ!」って挑発されにゃならんのか?
https://www.youtube.com/watch?v=BM9wKqufmAA
ドラえもんの声で『人殺しー!』とか『おっぱい触った!ドスケベ!』とか叫ばれたら
動画で見ている俺らは馬鹿な奴らとあざ笑うことが出来るかもしれんけど
現場で警備して付き合わされる人たちにとっては反対派を軽蔑したり惨めな気分になるよね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm29771814
そして「土人が…。」発言。自分なんか動画開いた瞬間2秒でうめき声上げちまった。
※震災の揺れみたいな音がするのでそういうの苦手な人は注意ね。
https://www.youtube.com/watch?v=LslzDeV7kTI
どう見ても沖縄県民じゃなくて基地反対派に向けて「土人が…。」って
人の温かさを感じられるような現場へ異動して優しい警官に戻ってほしい。
例の警官も大阪に帰って家族や友人との優しい時間を過ごして再確認してほしい。
追記
http://anond.hatelabo.jp/20160825111701
この歳になるとだれにも相談なんてできないので、ここに吐き出させてくれ。
17も年下の女の子に惚れたいい歳したオッサンを皆であざ笑うがいい。
あれからめげずに、機会があればできるだけ話しかけるようにしている。
相手は相当コミュ力が高いのだろう、嫌な顔ひとつ見せずににこやかに話してくれる。
ウチは接客業なので、そんなアルバイトを選ぶ子たちは皆そう(コミュ力が高い)なのだろうな。
俺にだけ特別な態度をとっているわけではない。
何か話しかけると、こちらが尋ねたこと以上にあれこれと話してくれる。
どこどこに旅行に行った、将来何々を目指している、とかね。
それがあまりに楽しそうに話している(…ように見えるだけだろうが)ものだから、俺はうれしくなって自分のことも話したいのをこらえてどんどん話をさせている。
無論、例えばその旅行の話なら、誰と行ったなんていう大事な情報は話さないから、やはり相当に内容を吟味しているのであろうことはうかがい知れる。
(聞けばいいのだけど、彼氏持ちだと判明して自分がショックを受けるのが怖くてなかなか聞けないでいるヘタレな俺)
また、こちらが尋ねたことには100%以上答えてくれるが、彼女からこちらに対しては何も尋ねてこないので、やはり俺には興味がないのだと理解せざるを得ない。
遠慮しているだけ…確かに人に何かを尋ねるのって勇気がいるけど…んなわけないわな。
自分に都合よく考えるのは愚かだ。
終わりが見えてきた頃に連絡先聞いて、キモがられてすべて糸冬了となるように今から筋書きを作っておくことにするか。
そのほうがお互いに残る遺恨が最も少ないはず。
テンポはとてもいいんだけど、細かいところが気になっちゃって、今一つ嵌れなかった。
まあそうはいっても、正直なところ「原子力(微)生物」ってどんな描写にしたらいいのか想像つかない…。
自分で考えようとすると、「原子力」抜きでエメリッヒ版みたいな「ありそう路線」になってしまう。
↓こんな感じ
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グリーンランドのバイキング居住地の遺跡。逆叉の骨が大量に散らばる中に、奇妙な足跡が発見される。
氷河期の巨獣たちが生き残っていたのか? バイキングは何のために逆叉を、危険を冒してまで捕っていたのか?
…訝る学者達。
(生き物としての逆叉の凄さが語られる)
そのころのカナダ。
逆叉の「聖地」で、鯨類の研究……特に、逆叉の「会話」を傍受・研究してきた海洋学者が、パニックを起こしていた。
「とにかく、様子が尋常じゃないんだ!」
…と、報道記者やDFO、さらにNOAAへ必死にアピールするが、禄にとりあってもらえない。
「減ってるって言うけど、ここから移動したのかもしれないでしょ」
「オルカに迫る危機…って線なら良いと思いますが、”人類への脅威”みたいな言い方は疑問ですね。恐れながら、入れ込みすぎでは?」
しかし、すぐに。「北大西洋では、逆叉の個体数は急速に減少している」との見解を、別の科学者も示す。
明らかに何らかの異変が起きている。学会やNGOなどに緊張が走るなか、さらに身近なところで事件が起きる。海洋娯楽施設「マリナーワールド」のスターである逆叉達が。一匹、また一匹と、痕跡も残さずに飼育プールから「消えて」いってるというではないか。
通報を受け、マリナーワールドに張り込むTV局や警察の目前で。10m以上に及ぶ“何か“が「突入」してきて、最後の逆叉が瞬時に両断される。その様子や、警察のライトに驚いて?凄まじいスピードで逃げる「何か」の不明瞭な映像が放映された。
こいつは一体何だ? いったいどうやって海水導入溝の多段鉄柵を越えているのか? 全世界の注目を集め、前後まっぷたつにされた逆叉や現場の遺留物から、様々な「正体予想」が氾濫する状況に。
そして、報道・学者・環境保護団体「シー・リカオン」などが州軍とともに詰めかけるのをあざ笑うかのように、100km以上南にある別のマリナーワールドが襲撃される。今度は一夜にして12尾の逆叉を全滅させ…たのみならず、施設の大規模な損壊・火災に行方不明者を出す事態。
「KWK、ヒトの味を覚えたか?」
騒動が大きくなって、最初の海洋学者に再びスポットがあたるが…。
「頭おかしくなっていたんだ、きっとそうだ…だって、ありえないんだ!」
「どういうことです、あなたは何を見たんです?」
「うぁあっ…勘弁してくれ!」
今度は、西南アフリカ…。とあるマグロ密漁船が、環境保護団体シー・リカオンのIUU監視阻止船「MYキャニー・ロデル」からの逃走中に突然、沈み始めたのである。余りに速く沈んでいき、誰も浮かび上がってこない。
マリナーワールドからは余りに遠く、KWKと結びつける材料もなかったので、現地国家「G国」海軍に対鑑武装を疑われるMYキャニー・ロデルの乗組員たち。調査で乗り込んできた軍人たちの目前で、軍艦のほうが襲われる。船尾の舵が壊されたのち、水中から飛び出して甲板に跳び乗ってきた”それ”は、あの特徴的な背鰭と禍々しい皮膚を備えていた。
「あれは?…あの、KWKじゃないのか?……しかも、脚があるぞ!」
軍人達は銃撃を浴びせるが殆ど利いてない。シー・リカオン側の船長は、とっさにMYキャニー・ロデルの封印装備…「爆発電気銛」を使い、KWKを追い払う。そうこの船は、嘗てノルウェーの捕鯨船だったのだ。シー・リカオンとして決して使ってはならない装備を……苦悩する船長。
そのころ、マリナーワールドの遺留品を調査していた学者達は驚くべき事実を突き止めていた。DNA解析によれば、KWKに最も近縁な生き物は、鯨類だというのである!
(昔は鯨にも脚や頸があった、現世の鯨類からン万年前に分岐した…などの蘊蓄が語られる)
「KWKの正体は鯨類と判明。即ち、キラー・ホエール・キラー・ホエール!」
「ゴンドウ・クジラ類にもっとも近いとされたことから、米NOAAは”ゴジラ”と命名。」
「遺留物の分析から、ゴジラの表皮や背鰭には鯨類が放つ声…音波を吸収ないし散乱させる性質があると判明した。つまり、逆叉はゴジラの待ち伏せを探知することができない。おそらくはソナーも…」
「ゴジラは待ち伏せ型の捕食者であり、ゼロダッシュの加速は凄まじいものがある。」
「頭部の唾液腺のような器官からは、着火性のある炭化水素類を噴出できると思われる…!」
「あのとき私が見たのは、陸へ打ち上げられるオルカ…を追って、このゴジラも上がってきて。オルカをあの後脚で押さえつけて、前足から飛び出したナイフで……おおぉお!」
さて当のG国では、EEZ内でも出没するゴジラに正規の漁船が入漁を見合わせるなど損失が拡大、洒落にならなくなってきた。他国の組織からの介入を強く牽制するが、ゴジラに対応できる改装を行うこともままならない。
一方、シー・リカオンに対しては、G海軍と密漁対策で連携していた経緯から、またKWKが野生動物と判明したことから、G国政府はさらなる協力を求めてくる。
しかし、結果的にせよ”鯨類”に銛を向けてしまったMYキャニー・ロデルは、船長も乗組員も動揺が激しく、身動きがとれない状態であった。
一方。
極東の「鯨類研究所」は、ゴジラを”害鯨”と認定、「調査捕鯨に乗り出す」と公表。インド洋上の目視採集船「シンユウマル」が、喜望峰を回って大西洋に入る。衛星の合成開口レーダーで同船の動きを追うシー・リカオン。シンユウマルは、かつて南氷洋で調査母船シンニチマルとともに、MYキャニー・ロデルを挟み撃ちにして、癒えない傷を追わせた仇敵である。
しかし。G国が箝口令を強いているため、シンユウマルは、ゴジラがどうやって軍艦を航行不能に陥れているか知らない。
そんな中でG国は、シー・リカオンの新造IUU阻止高速船「オーシャン・ハチェット」の派遣を正式に要請した。
「ゴジラはヒトを”密漁”しているのです。それで十分ではないでしょうか? それに、貴団体の新造鑑には色々”特殊な装備”があると伺います。殺処分なら時間をかければ私達でも、あるいはシンユウマルでもできるかもしれませんが…」
実は、G国は。ゴジラを公海などへ追い出してシンユウマルにしとめられるよりも、EEZ内で”確保”するのが望ましいと考えていた。
CBD名古屋議定書に基づき、ゴジラを”遺伝資源”として研究・収益化をもくろむであろうグローバル企業達を呼び寄せ「公正かつ衡平な利益配分」を受けられる、「ゴジラ遺伝資源ライセンサー」としての地位を確固たるものにするのだ。米国などで確保した断片程度の”遺伝資源”よりも、生きているほうが価値が高い。そのためにもシー・リカオンは利用できる、と。
そんなG国の本音を知らないまま。G国沖EEZへと急ぐオーシャン・ハチェットは、ゴジラ「捕獲」の任務を果たせるのか?
その少し後。
G国沖、公海上に停泊するシンユウマルを後目に、海軍のヘリに先導され、EEZへ入ることを許されたオーシャン・ハチェットであったが……そのあとを巨大な影が追ってきた。シー・リカオン側がそれに気づいたのは、G国の港湾に入った後であった。
もう、ゴジラに追われていた?…身構える乗組員。既に接岸していた同船が、回頭できなくなるほど近くまで、巨体が寄ってきている。
しかし、「ピヨオウアッ!」…という鳴き声で甲板の緊張が解け、興奮へと変わった。
「オルカだよ!本当に大きい…すごい…」
それは20mにもなるかという巨大な逆叉。シー・リカオン等では、通常の逆叉が子供サイズに見える望遠写真で有名な個体だ。頭頂部にも、目の後ろのアイパッチと似た白い紋様があるため、「三ツ目」というコードが与えられている。
「三ツ目が、一頭だけ?」
「南から、シンユウマルを追ってか?あいつら、オルカの群に何かしたのか?」
北から来たオーシャン・ハチェットについてきた筈はないから、ある意味当然の発想であったが。レーダーの履歴は、シンユウマルが脇目もふらずにやって来たことを示していた。
「やたらとアピールするな…」
「野生のオルカが一頭で港へ来て、こういうのって…とっても珍しいですよね」
「やっぱり、ゴジラのことじゃないですか?」
最後の質問をしたのは、同船に同乗していた記者である。既にG国のモバイル通信網を経由して、映像の送信を開始していた。
そのわずか5分後。記者のスマホに着信があった。例の海洋学者からである。
『三ツ目が来てますよね?』
『これ、見せられますか?』
海洋学者は、G国検閲済みゴジラ画像のプリントを抱えている。甲板に大型ディスプレイが引き出され、大写しにして、色を少しずつ調整していくと…
「パアアアアアアア!!!」と、すごい大声。
「ほんとかよ。」
「ほら、そうでしょう?」
『発音や解析の環境も一式用意していますので、画像を併用すればある程度通じるかと』
「え、ここでやるの?」
港へ出てきたG国政府の面々も、この状況に驚いたものの。三ツ目がゴジラと接触したがっていることを、すぐ納得した。
『”わたしが囮をやる”と言ってますね…戦闘態勢に入ったオルカには手出ししてこないから、と。』
「何だ、古馴染みなのか?」
『大昔からのつきあいで、協定のようなものがあるそうです。それを破ったのだと。』
「あれだけ狼藉働けば、そうだろう…というか異種間のコミュニケーション、初めてじゃないんだ?」
『北のオルカはエコロケーションに頼りすぎ、だそうです。』
こんな感じで。ディスプレイの中から、図版を沢山抱えた海洋学者が色々言うのに、誰もが半信半疑になりつつ。ともかく大逆叉の意向にそって「作戦」を組み立てることになった。
翌日。MYキャニー・ロデルが舷側に大布を吊し、そこに仮病の三ツ目を「収納」して、囮の役割を担う。かなり距離をとって、「ゴジラ対策」を施したオーシャン・ハチェットと海軍の巡視艇2隻が追っていく。誘いを掛けるために、三ツ目は自らの血液までも提供した。
ゴジラは巡視艇の後方から現れた。急拵えの「枠」に阻まれて舵を壊せなかったものの、舷側に前脚を掛けて甲板に飛び乗ってきて、自重でロールを抑える。もう一隻のほうの甲板に軍人達が現れ、速度を落として併走しながら銃撃を加え始める。ゴジラは音もなく跳躍するが、足場になった側の船は強烈にロールしてひっくり返った。
ゴジラは、もう一隻の舳先に「着地」したかと思うと、そのまま海へ走り抜ける。その反動で急激な回頭が生じ、底を見せた一隻目に激突。軍人達も海に落ち、海軍は脱落を余儀なくされた。
「あれ、助けなくていいのですか?」と記者。
「ある意味、予想通りだろう。後方から救助が来るので、こちらは海岸に沿って遠ざかった方がいい。」
『もう外してくれ、だそうです。』
三ツ目の鼻先、海上すれすれにあるディスプレイの中で海洋学者が「通訳」した。一旦リリースすれば、意志疎通は難しくなるだろう。
「き、来たぞ…?…来たぞォオ!!」
三ツ目の巨体が音もなく沈み、MYキャニー・ロデルの起こした波だけが広がっていく。
「どうなりましたか?」
「あれ…?」
三ツ目の役割は疲れさせるだけ、の筈だが。水中で決着がついてしまったのか?…と全員が思い始めたとき、もつれあった巨大な塊が海面から飛び出したのは…
「あんな後ろで!」
「というか、さっきの軍のほうに向かってる?」
オーシャン・ハチェットは、搭載の無人デバイス類を離鑑させていたが、標的に「無視」されてしまったので回頭を始めていた。
「三ツ目に戻ってくるよう伝えられないか?」
「もう無理だろう」
「こっちに誘導してくれないと、まずいぞ?」
実際、流され続ける巡視艇は公海に近づいていた。ゴジラはその「障害物」を巧みに利用して、三ツ目と渡り合っている様子である。巡視艇の乗員は救命具でひとかたまりになって、二体の闘争から距離をとっていた。
そして、それを観測しているのはシー・リカオンだけではない。「調査」と書かれたブルーグレーの船体に白いブリッヂ……軍艦じみた奇妙な船の操舵室でも、どよめきが広がっていた。
「わざわざ足場を作ってあげてるとは…」
「何とやりあってるんだ、ゴジラさんは?」
「あれ、鯱じゃないか?」
「上を飛んでいるのは何だ?どうぶつ団の連中のか?」
既に公海上であり、シンユウマルが接近していた。乗員達があわただしく動き、捕鯨砲の準備を行っている。
その鑑影を見て、シー・リカオン側に殺気が走った。
「キャッチャーボート接近。シン……ユウ……マル……あれは"シンユウマル"だ!」
「こっちくんな、ポーチャー。」
「雷落としてやれ!」
オーシャン・ハチェットから操られる飛行ドローン「フリゲートバード」は上空で落雷装置を吊り下げたまま、ゴジラの疲れを待っている。同じく潜水ドローン「バスケットスター」も特殊装備「ハイドロメデューサ」を解放するチャンスを伺っていたが、目まぐるしく移り変わる二体の戦いに手を出す隙がない。
そこへ、速度を上げたシンユウマルが突進してきた。
「ああ、下がってくれ!」
「無理だ!手を出すなぁ!」
…と、若干芝居がかった嘆き声が響きわたるMYキャニー・ロデル船内。公海に出たので、例の記者がTV中継を開始したためだ。シンユウマルへの罵声は(なるべく)控えている。
「いやぁ、下がりませんとも。」
「情報戦だなあ。うちも南アに寄って記者でも乗せればよかったかな?」
「よしましょうよ。」
…と、余裕を見せるシンユウマル側では、少し前に”クーデター”が起きていた。
共倒れを狙い待機する方針を打ち出した砲手長が、大逆叉に畏敬の念を抱いていることを、若手の乗員達に見抜かれたのだ。
鯨研の「情報戦」に晒されて育った世代にとって、鯨類へ「食品」や「天然資源」以上の評価を与えようとするのは許し難い裏切りであった。
そして「鯱」はある意味、シー・リカオンの象徴であった。この状況は、シー・リカオンが逆叉を操っているようにも、逆叉がシー・リカオンを操っているようにも見える。
ゴジラと大逆叉。どちらに銛が刺さっても別に問題はなかろう?…この方針に反対する「年寄り」達は、船底の一室に軟禁されることとなった。
迷いの無くなったシンユウマルが急速に二体へ接近する。三ツ目は深度をとっているのか、ゴジラはひっくり返った巡視艇の側で小休止している。
絶好のチャンスに食らいつこうとするシンユウマルは、ゴジラを挑発しようと高度を下げていたフリゲートバードの直下に入ってしまい、軽く「落雷」を食らってしまう。落ちた先がライトニング・ロッドではなかったため、諸々のシステムが停止し行動不能になったところをゴジラに襲われ、舵を破壊されてしまうシンユウマル。
「いや、チャンスだ……シンユウマルの向こう側へ”手”を掛けようとする筈。急げ!」
これまでのゴジラの船舶襲撃パターンから、先を読んだ指示が乱れ飛ぶ。水中ドローンから無数の「浮き袋」が密集状態で放たれた。膨らみながら急速に浮上していく。ゴジラ側の選択肢を制限し、空中ドローンの「雷」を当てやすくするのだ。しかし…この状況では、またシンユウマルの側へ落ちるかもしれない。
しかも、ゴジラは先程の「落雷」をちゃんと見ていた。舷側から上がろうとせず、上方を警戒して、すぐ潜行しようとする。そこにハイドロメデューサが、相互に繋がった無数の「浮き袋」が浮き上がってきた。このまま押し上げられるとまずい…そう判断したのか、ゴジラはシンユウマルを蹴って距離をとろうとした。
「今だ。」「落雷機、投下ァ!!」
フリゲートバードは、ゴジラの進行方向をふさぐように落雷機を落下させる。着水間際に相当なショックが走る筈…しかしその所要時間を見切り、逆に加速するゴジラ。
「全速かけろ!ハチェット!」
「嗚呼これは…間に合わない…」
「光った!落ちたのか?」
「ゴジラ、頭を出したぞ!」
「畜生…」
MYキャニー・ロデルに広がる落胆の呻き声は、途中から歓喜の驚きに変わる。
「あそこ、三ツ目が!」
「痺れてるな…うまく泳げてない」
「ぶちあてろ…ハチェット!!」
三ツ目が発射した「超クリック音」を
昼の休憩が始まったばかりだというのに、男は便座に腰を掛けていた。
昨日食べた貝が原因だろう。幾度なく濁った音が狭い個室を響かせた。
男は痛みの原因が少しでも早く身体から出きってくれるのを待っていた。
「もういいだろう。」
慣れた手つきでペーパーの角が立たないように三回ほど折りたたむと、戦いを終えたばかりの疲弊した戦友をねぎらうようにやさしく撫でた。
その時だ。
壮絶な戦いを終えたであろう菌たちの成れの果てが作り出した粘り気によって、戦友を取り囲む肉壁からの落下をかろうじて免れていたものがいたのだ。
恐る恐る引き上げた指には、彼らとの戦いを称えるような粗削りの戦果が存在を示すように横たわっていた。
まるでその戦いの壮絶さを語るかのような鼻を刺す臭いを放ちながら。
そんな彼らを弔うように男は焦らず落ち着いて指から彼らを拭い去った。
その後改めて戦友と壮絶な戦いが繰り広げられたであろう肉壁とを平和の祈りを捧げるように平穏な状態に導くと、男は膝まで下がった理性を勢い良く引き上げた。
別れの挨拶のように肌を叩くゴムの音が個室に響くと、男はドアを開いた。
鏡の前に立ち男は手を差し伸べる。
それを待っていたかのように吹き出したハンドソープが、戦いの辛さを癒やすかのように男の手を優しく包んだ。
男は丁寧に幾度なく指先から忌まわしき戦いの痕跡を消そうとしていた。
目視する限り、もはや男の指には実体を確認することはできない。しかし、まるで怨念のようについぞハンドソープの独特なフレグランスの奥から壮絶な戦いを思わせる臭いが消えることはなかった。
午後には会議が控えている。
男は残された時間で手っ取り早くカロリーだけでも確保しようと、ナッツ入りの携帯栄養食品を机の引き出しから取り出して、会議資料に目を向けながら勢い良く齧りついた。
二口程で栄養食品は姿を消し、男は両の頬を大きく膨らませた。自由になった両手で乱暴に重なる資料を忙しそうに整える。
しかし、水気を持たない小麦粉とナッツは、男の口の中に容赦無い乾きをもたらした。
男はお世辞にも順調とは言えない業績を指し示す資料の数値を見ながら、噛むほどに歯に粘りつく食品に苛立ちを覚えていた。
何かで口の中を潤そうにも、男の期待を裏切るように手元のペットボトルはどれも空気だけを満たして転がっていた。
舌先で幾度なく歯に粘りつく食品を削ぎ落とそうとするも、歯と歯との隙間に埋もれたナッツのかけらだけは、まるでそれをあざ笑うかのように存在を誇示していた。
男は血走った目玉でぐるりと周囲を見回す。
男に視線を向けている人間が誰ひとりとしていないことを確認すると、ナッツが居座る歯の隙間めがけて勢い良く指を差しこんだ!
その時、男は深い後悔とともに、再び先の激しい戦いを口の中から思い出した。
よくできたアニメだった
それぞれのパーツがパズルのように組み合っており
そういう意味でもよくできている
各種ショートコントの後、最終的に六つ子はトト子ちゃんの家にいってクリスマスを過ごしてくれと土下座する
トト子ちゃんは帰ってくれと土下座する
トト子ちゃんの親は毎年の風物詩だとほのぼのする
六つ子もトト子ちゃんもお互いがああだからということで
終わりなきモラトリアム期間を過ごすことを許されてると思ってるフシがある
お互いに抜け駆けするでなく本当につきあうアプローチをするでなく
その距離感に安心して、安心しているからこそサザエさん空間でまったりと生きている
ところが24話。Aパートの「トト子ちゃん大あわて」でトト子ちゃんが動く
それを受けてのBパート
そう24話はつながっている
トト子ちゃんによりホレてる順に動きがあるんだよな
地下アイドルであるトト子ちゃんのマネージメントしていたチョロ松が最初に就職を決め
総集編でいっしょに「まわし」をした長男が拗ねてる
次いでトド、カラ、十四と
興味深いのは最後の一松だ
彼は筋金入りのペシミストで家を出たところでなにがどうなるわけでもないし
マイナス面が多いと肌で感じている
もちろんトト子ちゃんとつきあえるわけもないと思っている
それでも今この家に残る理由がないし理由がないからこそ出なければならないと思っている
誰よりも場の空気を読んだ末に最後まで残るという手を選んだがそれ故に今出ないとダメだと
そして案の定野垂れ死に寸前にクリスマス回でちょっかいを出していたカップルに助けられる(ここもつながってる)
石油を掘り当てられずに骨になった六つ子にとって
今は手は届かないにしてもいつかなんとかなると漠然と思っていた存在がいきなり遠くに感じてしまう
そしてバラバラになった末におそ松はトト子ちゃんにデートに誘われても無視してしまう
そのまま最終話につながる
野球をすることになり
負けそうになる
そこでトト子ちゃんが出てくるわけです
勝てばやらせてあげると
これで六つ子とトト子ちゃんは気がつくわけです
そう彼らは「いっしょ」にトト子ちゃんを相手に童貞喪失したかったわけですよ
そしてトト子ちゃんも薄々は思ってたけどやっと肚を決めて
ひと肌脱いで応える覚悟をみせたわけです
ダメでしたが
六つ子は20歳すぎの青年らしく「セックスがしたい」という思いでがんばっていたわけです
ダメでしたが
だからおそ松が迎えに行ったときにめいめいが自慰行為にふけっていたわけです
だから24話から普通につづいて巣立っていって童貞喪失してニート脱却して視聴者を感動させちゃダメ
二期が楽しみですー
まだおそ松クラスタでつながっていよー
ってほうが健全
趣味の合う友達を作る部活なのだから、好きにすればいいだろう。
ある時期からクトゥルフ神話TRPGがサークル内で流行ってきて、それ以前のそのサークルが好きだった私はそのサークルを辞めた。
私は統合失調症の診断を受けて治療目的の浪人をしてから寛解になっていまの学校に通うようになった。
TRPGがなにか、よくワカラナイまま、数回セッションに混ぜてもらった。
ルールブックも購入してクトゥルフ神話TRPGがなんだかいまはわかる。
精神的な病気や障害を「ファンタジックなもの」として扱って、自分の身に現実に降りかかることのないと思い、馬鹿にしてあざ笑うゲームだ。
統合失調症として知る「幻覚・妄想」と、そのゲームの中の「幻覚・妄想」は違うものだ。
身近に本当にそれらの疾患を持つ人がいることを、彼らは知らない。
題材にしてあざ笑う彼らも今後それらの疾患にかかることもありうるというのに、なぜ遊べるのか。
当事者になれば、人生がどれだけ壊れるかわかるが、遊ぶ人にしてみれば「発狂して使い物にならないから新しくキャラ作ればいい」というだけのこと。
よーやく見た。
区分:声掛け
事案:こんなところに魔法使いがいるとは。りんくるストーン・エメラルドを渡せ
注意:知らない人に話しかけられても無視するようにしてください
的な
無駄だとわかっててキュアップらぱっぱ怪物よあっちいけー!ってほっちゃんが叫ぶのを敵があざ笑うのを見て
もう一人はそれを笑わずに一緒に声を合わせて叫んで、それがたまたま重なったときに奇跡発動!
まほうつかいプリキュア誕生!!!敵を一蹴!
めっちゃいい話やん。
しかもそれが終わったらハリポタっぽい仕組みで普通の駅から魔法学校行きのホームに行って、次回は魔法学校だ!
とか、面白すぎるだろ。
アイキャッチで課金アイテムのビーズアクセ作成メーカーで作ったのを頭にのせてもらってめっちゃ笑顔になってるモッフルかわいい。
しゃべれるようになった後、ぎゅーっと主人公に抱きしめられて苦しそうにしてるモッフルとかわりたい。
主人公のぺたんこ胸に抱きしめられたい。すりすりしたい。
いやー面白かった。
これにケチつける人間はもう一回幼女からやり直したほうがいい。
おれは プリキュアになれる。
おれは プリキュア。
じかいもみる。
あいつら(ミニマリスト)は基本的に弱者だって観点を踏まえたブクマが
「頑張って働けば、稼ぎを増やして好きなものに囲まれた生活を送れる」
そういう人たちが、自分の生活設計のセルフコントロール感を取り戻す事を通じ、
「みじめな貧困生活を送るわたし」とは異なる自己肯定感のあるセルフイメージを
持てるようにする、みたいな感じで。
例のビッグカメラの件とかは好きなだけ叩けばいいし、
多くのミニマリスト系ブログから漂う自己啓発的なキモさには何の異論もない。
あいつら(の大半)には、確かに色々足りてない。
でもさ、おまえら「月に一度の回転寿司が唯一の楽しみの生活保護家庭」叩きみたいな、
「愚かな振る舞いをする弱者をあざ笑う記事」とかには、それを諌めるような、
文化的資本とか環境要因に触れた、愚かな弱者によりそった視点からのブクマとかつけてるわけじゃん。
今回のきっかけのビッグカメラの件とかはは確かに調子のりすぎだと思う。
思うんだけどさ、
優しさとか冷静さとかが、ちょっと、かなり、相当に足りないんじゃないの?と気になったよ。
とここまで書いて、ほぼ同じこと書いてるブログあった。
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2015/07/26/035930
のでそっちだけ読んでくれりゃいいや。
[チョン・ジェハク コラム]平壌(ピョンヤン)を打って、日本列島を切るとすぐに!
2015年07月22日(水)13:23:00 チョン・ジェハク編集委員
今でも鳥肌が立つのは、私たちの民族に対する日本の悪意だ。 理由がない悪の. したがって日本が私たちの民族に対する悪意は先に天だと見る。
日本の根が深い悪意は今でも進行中だ。悪意から出発した日本が私たちの民族に及ぼした害悪がどれくらい多大かは今でも変わりない独島(ドクト)侵奪野心と歴史反省の姿勢で如実にあらわれるというだろう。
そして筆者は日本だけは必ず地球上で絶滅させなければならない唯一の人種であることをもう一度確認している。
特に亡国的だと呼ばれる地域感情が日帝によって作られたことを、私たちは賢く知っていなければならない。そして日帝強制占領期間36年の血まめができた怨恨も怨恨であることであり、日帝が残して行った傷痕中に民族分裂政策があったことを上記してみなければならない。なぜ私たちが日本をそのように呪わなければならないかに対する立派な答になるためだ。
1945年8月15日、彼らは韓半島を離れて、二種類をいって行ったと伝えられる。その一つは必ず10年後に帰ってくるということであったし、また、一つは私たちの民族が永遠に団結と和合をできないだろうというものだった。植民教育の中に毒素を入れて教えたという意だった。
日本は1919年3.1運動に接したらで、韓半島統治に植民教育を強化した。そして皇国臣民(天皇の国に臣下なった民)を育てるために国民学校(国民=皇国臣民の略語)をたてて、私たちの民族の頭の中を洗脳させ始めたし、民族精神を抹殺するために学校で私たちの国語を奪ったし、伝統と文化に対する否定的な意識を教えた。
花札を流行させたのも民族精神抹殺政策の一環だった。花札は勤倹節約の美風良俗を害して、トゥレ村の協同精神を押し倒して私たちは怠惰な国民に成っていった。
しかし5000年歴史を持った自主民族が一日で簡単に洗脳される理由がなかったし、いよいよ植民教育の強圧を突き抜けて光州(クァンジュ)学生運動が起きた。この事件で日帝は植民教育の方向を修正した。それが民族分裂政策だった。
民族分裂政策は湖南(ホナム)に対する排他的意識を育てることで始めた。 歴史的に湖南(ホナム)は日本の自尊心を押し倒した、日本に敗北の数値を抱かれた故障だった。 壬辰倭乱当時李舜臣将軍の部下にはいつも勇敢な湖南(ホナム)人がいたし、幸州(ヘンジュ)山城での大勝にもクォン・ユル将軍をついて行った全羅道(チョルラド)出身の将卒があった。 豊臣秀吉の侍童出身小暑銀行長は幸州(ヘンジュ)山城の敗北を、全羅道(チョルラド)出身将卒の奮闘を理由に上げたりもした。
同学以後起きた義兵大部分が湖南(ホナム)を拠点にして起きたし、生き残った義兵は智異山(チリサン)を根拠地で活動していた。ここに何と20年余りの植民教育を押し倒して光州(クァンジュ)学生運動が展開したのだ。
これに対し日本は湖南(ホナム)排斥を目標に地域感情を生産し始めた。
植民史学者を動員して、その有名な考慮王健のフンこの十兆をまき散らして、湖南(ホナム)を醜くていやしい反逆の故障で認識させ始めた。ここに応じたのがいわゆる両班(ヤンバン)階層の親日派であった。‘全羅道(チョルラド)犬の土鉄’という(のは)湖南(ホナム)国民らをいやしく呼ぶニックネームだった。
日帝によって生成された地域差別は、親日史学者らと貴族階級の末期的現象に心酔した愚かな支配階層によって広く広まったし、そして日帝は韓半島を離れて私たちの民族の大同団結をあざ笑うことになったことだった。
湖南(ホナム)に向かって逆差別的な毒素は軍事独裁で花を咲かせたと見る。軍事独裁当時湖南(ホナム)出身は将軍進級が事実上詰まっていたし、カンでも、財界でも湖南(ホナム)人は排斥にあった。どれくらい深刻だったのかは筆者の体験の中に今でもそのまま生きている。子供の未来のために本籍までパーサー移住する湖南(ホナム)人が如何に多かったのか。
日帝が狙ったそのままであった。さらに全羅道(チョルラド)人ならば婚姻もしなかった。他地域に嫁入りした湖南(ホナム)女たちが受ける侮辱は怒りにつながったし、その怒りは亡国という言葉どおり広がった。
暮らすために他地域に離れた湖南(ホナム)人は全羅道(チョルラド)なまりを使わなかった。情感に充ちたその言い方まで隠さなければならなかったすべての悲しみは湖南(ホナム)人の胸に数多くのあいくちをさしていた。
そしてその頂点に5.18があった。‘慶尚道(キョンサンド)軍人が湖南(ホナム)人をみな殺す’というデマが光州(クァンジュ)市民の胸に火を付けたのだ。筆者もその現場で確認したことだった。したがって光州(クァンジュ)市民はそのようなデマが追い込まれる程湖南(ホナム)差別に対する痛くて大変な数多くの経験があったのだ。
その辛い経験は深い傷で残って今でも有効に展開していると見なければならない。北朝鮮が操縦する韓国内葛藤の実体も湖南(ホナム)地域差別に根元を置いたことだった。おそらく北朝鮮は最後まで地域差別をそそのかすつもりだろう。
日帝が残した植民教育の毒素は、民族分裂のための地域差別だった。今でもこの呪いが生き残って繁盛する理由はその最初が北朝鮮の対南工作にあって、その次がまだ地域差別の実体を悟ることが出来なかった愚昧な国民にあるというだろう。
筆者は北朝鮮との戦いで勝つには、先に韓国内葛藤の根因を除去しなければならないと信じる。そのためにはこの葛藤の出発が地域感情であり,この地域感情は日帝の陰謀だったことを、もう天下に知らせなければなければならないと考える。
もう一度民族を考える。私は全羅道(チョルラド)の人だ。もし国家に危難がくれば、幸州(ヘンジュ)山城とミョンニャンに向かって走って行くだろう。明確にそうするだろう。
私たちは団結しなければならない。私たちが団結すれば、北朝鮮を自由民主体制に移ってくることができる。そして私たちが韓国、北朝鮮国力を統一すれば、日本を克服することができる。
したがって地域感情をはね除けて力を集めて、ついに平壌(ピョンヤン)を打って、列島を切らなければならない。 私たちの民族1世紀の間の怒りを必ず返さなければならないと信じる。
原文 韓国語
夢というのは一体なんだったんだろうか。
いつ夢を見なくなったのだろうか。気付けばもう年齢だけが過ぎてしまっていた。
夢というのは目標だ。
生きる指標というのは暗闇の中を照らす灯りだ。
夢というのは暗闇の中を照らす灯りで、それをあざ笑う人間はニヒルぶった暗闇を彷徨う蛆虫と同じだ。
よく覚えているのは幼稚園の時に夢を描くという題材で僕は何かに遠慮して「宇宙飛行士」と描いてしまったことがあった。本来の夢は「世界を旅してまわる人間」だった。
そんなものは幻想だと頭の中で思っていた。食い扶持の無い自分のやりたいように生きる人間なんてのを憧れに描いてしまうことはとても恐ろしいことのように思えた。
だから「この年齢の子ならこんなの描くだろう」くらいのつもりで「宇宙飛行士」と描いた。
大人になった今となればどっちの方がなりづらいかで言えば宇宙飛行士の方がなりづらいのである。
そして、そういう比較的なりやすい「旅人」の夢から逃げた幼稚園児は、夢を語ることから逃げた大人に変わり果ててしまったのだ。
単なる自己否定が齎すものは賢者などではなく、只の臆病者だった。
「夢を教えてください」という言葉を聞く度にしかめっ面していたのは、その日の自分を睨み付けているからだった。
大人になった今ではわかる。
なんとか自分の力で折りたたんでやるのが本当になすべきことなんだ。
現実とかいうものは見つめれば見つめるほど頭のおかしくなる産物なんだから、それを人が過ごしてどうやるかを思うより、まずは自分が生きてどうやるかを考えなければ、そんなもの取り込まれてしまうに決まっているんだ。
そして、夢を忘れてはいけない。
故に、夢は叶えなければならない。
そしてその夢が叶ったなら、今度は別の夢を見ることを忘れてはいけない。
そして、俺はもう一度夢を見ることは出来るのか。
いや、見るのか。
伊藤計劃以後とは何か?
http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20140323/1395596751
藤田直哉はこのブログの中で、伊藤計劃が自らの死を利用し、死後に作動するプログラムとして『屍者の帝国』という小説を構想したという考えを披露しています。
伊藤計劃が皮肉を込めて描き、死後にまで作動する「悪ふざけ」のプログラムを残し、そして「悪ふざけ/本気」としてそれを実行する/せざるをえない、この社会そのものを相対化するプロジェクトであるのだと、ぼくは考えています。そこで必要なのは、きっと怒りではなく、(冷めた)笑いの共有なのではないかと思います。
そして、死人を利用する資本主義の話である。これが、自身の「死」の物語をどう利用されるか理解し、それを用いてプロジェクトを用いた、伊藤計劃という作家の壮絶なところ。感情や感動、物語に冷淡な目を向けていた。二次創作的な模倣が「感動」を生み出すことを理解して冷めていた。でも、自身の死という、物語ではない、絶対性の高いものを、そういう物語として利用した。そしてその「死」の物語を消費する人をあざ笑うかのようないたずらを仕組んだ。
その結果、伊藤計劃を用いたビジネスもまた、伊藤計劃の仕掛けたいたずらの延長のようになった。この皮肉な仕掛けこそが、伊藤計劃という作家の最大のプロジェクト。
所詮は商業的レッテルでしょ、とか、故人を商売に利用しているんでしょ、という批判があるのはよくわかる。実際そういう側面はあるが、ぼくは、伊藤計劃というのはそれを理解して、わざと仕組んだと解釈する立場。ある意味で、死を贈与した。それがSF界や出版社に利益をもたらしたことは否定できない。その代わり、ぼくらは贈与だけではなく、このプロジェクトという呪いを受けるようになってしまった。「伊藤計劃の言語」みたいなものが、解釈や、資本の中に残って蔓延している状況を作られてしまった。
僕は、この考えというものはとてもグロテスクで不快なものだと思いますが、まあ藤田直哉がそういった考えを持つこと自体は否定しません。人の死に物語を求めてしまうのは、ある程度は仕方のないことではあります。
伊藤計劃は、自らが死ぬことによって作動するプログラムとして『屍者の帝国』を構想した。僕はこの考えにまったく賛同できませんが、藤田直哉の考えが間違っていると断定することもできません。伊藤計劃はもう死んでいて、その真偽を問うことはできないのですから。
しかしながら、藤田直哉はこの妄想を正当化するために、円城塔が自分と同じ見解に立っているという嘘をつきました。
藤田直哉がこのブログに掲載している、「週刊読書人に寄稿した『屍者の帝国』評」に次のような文があります。
悪質な冗談はこれだけではない。伊藤計劃はそのような屍者を労働させるプロローグを、死病に苛まれながら、書いた。まるで、自身の「死」がどう利用され、「物語化=伝説化」されるか理解したうえで、チェシャ猫のような微笑を死後に残そうとしたような「冗談」を伊藤は遺した。それを受ける円城も、あくまで本作が死後に駆動し続けることを見越した悪ふざけのようなプロジェクトとして理解し、そう書かれているからこそ執筆を引き受けた旨をインタビューで答えている。悪ふざけを受けつぐ粋な心こそが、プロジェクトを先に進めるエンジンとなった。
ここで、藤田直哉は「それを受ける円城も、あくまで本作が死後に駆動し続けることを見越した悪ふざけのようなプロジェクトとして理解し、そう書かれているからこそ執筆を引き受けた旨をインタビューで答えている」と述べていますが、そのような事実はありません。藤田直哉は自分の妄想を正当化するために、円城塔の言葉をねじ曲げています。
円城塔は「『屍者の帝国』あとがきに代えて」で次のように述べています。
http://www.kawade.co.jp/empire/
伊藤計劃は『屍者の帝国』を自分の全てを語り切る畢生の作、最後の作品として構想したわけではなく、次へと続く切り替えの場として、むしろ軽い読み物として考えていたはずです。
ここで円城塔は、伊藤計劃が『屍者の帝国』を自身の最後の作品として構想していた、という考えをはっきりと否定しています。「あくまで本作が死後に駆動し続けることを見越した悪ふざけのようなプロジェクトとして理解」などしていません。
確かに『屍者の帝国』が発表されたことのインタビューで、「悪ふざけは続けよう」といった言葉を円城塔は語っています。当時のインタビューが乗っていたサイトはもう削除されているため、一部のみの引用となってしまいますが、一応載せておきましょう。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1346917403/
「『死者が動く』話でなければ、やらなかった。当人が亡くなって、冗談のようであっても、誰かが引き受けなければならないだろうと思いました。
追悼というわけではなく、悪ふざけは続けようと」
「死者が動いてる話じゃなければ、やらなかったです。(中略)冗談の中の雰囲気で、中編ぐらいのボリュームで、死者が動く話。それで、当人は死んでしまう。“ええっ、(自分が)動かさないといけないのでは”と(笑い)。それが一番ですよ」
確かにここで円城塔は「『死者が動く』話でなければ、やらなかった」とは述べています。しかし、そのことが円城塔が「あくまで本作が死後に駆動し続けることを見越した悪ふざけのようなプロジェクトとして理解し、そう書かれているからこそ執筆を引き受けた」ことに繋がるとは思えません。先ほど引用したように、円城塔は伊藤計劃が『屍者の帝国』を自身の最後の作品として構想した、という考えを退けています。
確かに円城塔は、伊藤計劃の死によって中断された小説を書き継ぐ、という状況を『屍者の帝国』を書くにあたって利用しています。
しかし、『虐殺器官』で言葉による人間社会の崩壊を、『ハーモニー』で人間の意識自体の喪失を描いた伊藤計劃が、「死んでしまった人間を労働力とする」物語を構想した以上、その先へと進もうとする意図を読み取らずにいることはとても難しいのです。また、その脈絡を受け入れない限り、わたしが『屍者の帝国』の続きを書くという仕事を受ける意味はないとも考えました。なぜなら、『屍者の帝国』の続きを書くということはそのまま、「死者を働かせ続ける」作業となるに決まっているからです。偶然にも与えられたこの図式を最大限に活かすことが、わたしの作業目標になりました。
しかし、その図式は「偶然にも与えられた」ものでしかありません。伊藤計劃がこの状況を意図して作り上げたという考えは明示されていません。
円城塔は「『屍者の帝国』文庫本あとがき」でもこのように述べています(藤田直哉がブログを書いた後に発表された文章ですが)。
そもそも自分の死の可能性が確率として高まっている状態で、次回作は死者を労働力としている世界について書きます、と嬉々としている時点で人の悪さも極まっている。
ここでわたしは、伊藤計劃が自分の死を見越して、そのあとに展開するはずの「死者を素材として利用する世界」を書こうとしていたといいたいのではない。
まあ、とりあえず藤田直哉が自らの妄想を正当化するために円城塔の言葉をねじ曲げた、ということはご理解いただけたのではないかと思います。
藤田直哉は伊藤計劃の「計劃」というペンネームに無理に意味を求めようとしたことが原因で、このような妄想を抱いてしまったのではないかと僕は妄想してしまいます。ペンネームはペンネームです。伊藤計劃がプロジェクトという呪いをSF界にかけたなんていうのはただの被害妄想にしか思えません。
理系大学院修士。いまさらエウレカセブンを見ているが、どうも、こういうSFを見ていると、無性に腹が立つ。最初、何で腹が立つのかわからなかったけど、ようやくわかったわ。
SFの世界では、主人公の「気持ち」で世界が変わる。実際の科学では、自分の気持ちなんて関係ない。科学にあこがれようが、科学で世界を変えたかろうが、いい論文を書きたかろうが、いい実験結果を得たかろうが、自分の「気持ち」とは関係ない。
関係あるのは、論理的に正しいかどうかだけだ。それを支えるのは、才能と金と環境だ。
SFを見ていると、「いい加減、こういう幻想を子供に見せて、科学に夢を持たせるのはやめろ!」といいたくなる。結局、科学っていうのは一部の優秀な人間だけのものなのだ。優秀な人間が頭が悪い人間をあざ笑うための道具に過ぎないんだ。頭の悪い無能な人間は、優秀な人間を恨み、羨みながらも、彼らが論理的には正しいことを言っていることを認めなければならない。嫉妬と憎悪というのは、科学に最も似合う言葉だと思う。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い
それでも、論理的に正しいものは認めなくちゃいけない。その恨みと嫉妬とやりきれなさが科学の美しさだと思う。SFでは、年端もいかない少年が、世界を救ったりするけれど、そんなヒーローは科学には、ごく一部しか存在しない。ヒーローになりたい人間は、科学者以外のものを好きになるべきだ。科学者はヒーローではない。
まぁ、嫌だったらSF見なきゃいいんだけどさ。こういう幻想を見ていると、憎悪がふつふつと湧き上がる。
要するに言いたかったことは、「子供に下手に夢とか希望とか熱意とか見せんじゃねぇよ。世の中挫折する人が大半で、夢とか希望とか強固に持っていると挫折するのが辛くなったり挫折を認められずに時間ばっかりたっちゃったりするぜ」ってことなんだが・・・それってSFと関係ないよね、うん。エウレカセブンにも直接関係ないのだから、言及すべきでなかった。申し訳ないなぁ。