昼の休憩が始まったばかりだというのに、男は便座に腰を掛けていた。
昨日食べた貝が原因だろう。幾度なく濁った音が狭い個室を響かせた。
男は痛みの原因が少しでも早く身体から出きってくれるのを待っていた。
「もういいだろう。」
慣れた手つきでペーパーの角が立たないように三回ほど折りたたむと、戦いを終えたばかりの疲弊した戦友をねぎらうようにやさしく撫でた。
その時だ。
壮絶な戦いを終えたであろう菌たちの成れの果てが作り出した粘り気によって、戦友を取り囲む肉壁からの落下をかろうじて免れていたものがいたのだ。
恐る恐る引き上げた指には、彼らとの戦いを称えるような粗削りの戦果が存在を示すように横たわっていた。
まるでその戦いの壮絶さを語るかのような鼻を刺す臭いを放ちながら。
そんな彼らを弔うように男は焦らず落ち着いて指から彼らを拭い去った。
その後改めて戦友と壮絶な戦いが繰り広げられたであろう肉壁とを平和の祈りを捧げるように平穏な状態に導くと、男は膝まで下がった理性を勢い良く引き上げた。
別れの挨拶のように肌を叩くゴムの音が個室に響くと、男はドアを開いた。
鏡の前に立ち男は手を差し伸べる。
それを待っていたかのように吹き出したハンドソープが、戦いの辛さを癒やすかのように男の手を優しく包んだ。
男は丁寧に幾度なく指先から忌まわしき戦いの痕跡を消そうとしていた。
目視する限り、もはや男の指には実体を確認することはできない。しかし、まるで怨念のようについぞハンドソープの独特なフレグランスの奥から壮絶な戦いを思わせる臭いが消えることはなかった。
午後には会議が控えている。
男は残された時間で手っ取り早くカロリーだけでも確保しようと、ナッツ入りの携帯栄養食品を机の引き出しから取り出して、会議資料に目を向けながら勢い良く齧りついた。
二口程で栄養食品は姿を消し、男は両の頬を大きく膨らませた。自由になった両手で乱暴に重なる資料を忙しそうに整える。
しかし、水気を持たない小麦粉とナッツは、男の口の中に容赦無い乾きをもたらした。
男はお世辞にも順調とは言えない業績を指し示す資料の数値を見ながら、噛むほどに歯に粘りつく食品に苛立ちを覚えていた。
何かで口の中を潤そうにも、男の期待を裏切るように手元のペットボトルはどれも空気だけを満たして転がっていた。
舌先で幾度なく歯に粘りつく食品を削ぎ落とそうとするも、歯と歯との隙間に埋もれたナッツのかけらだけは、まるでそれをあざ笑うかのように存在を誇示していた。
男は血走った目玉でぐるりと周囲を見回す。
男に視線を向けている人間が誰ひとりとしていないことを確認すると、ナッツが居座る歯の隙間めがけて勢い良く指を差しこんだ!
その時、男は深い後悔とともに、再び先の激しい戦いを口の中から思い出した。