はてなキーワード: 飲み会とは
少子化の話題になるといつも、仕事と子育ての両立が大変すぎるという意見がたくさん出てくる。そんな意見ばかり聞いてると子供を持つことに前向きになれないだろうから、そんな人ばかりでないことをこれからの若い人たちに知ってほしくてこのエントリを書く。
うちは正社員フルタイム共働きで未就学児&小学生の子が3人(9歳7歳4歳)いるけど、毎日余裕があり健康的な生活を送れていると感じるし、独身の友達からも、「子持ちの友人は皆とても大変そうに見えるが、増田は全然大変そうではないね(笑)」なんて言われたりするので、理由を考えてみた。
「実家の近くに住んでいて、何かあったらジジババが助けてくれます🎶」なんて言わないから安心してほしい。実家は両方ともそこそこ遠くて、普段の日常生活で助けてもらうことは皆無。
早速本題に入る。
私の考える、両立余裕ッス!な理由を順番に挙げていく。
①職場が近い
私も夫も、会社は違うが、職場が車で10分程度の距離。その上、夫はほとんどリモートワークでたまに出勤する程度。そりゃ楽だ。子供が小さい間はありがちな時短勤務も不要。
夫はホワイトカラーの頭脳労働でストレスは溜まるが肉体的には目の疲れや肩こり腰痛ぐらい。私はブルーカラーだがデスクワークが多い仕事。帰宅して家事する力が残ってない…というようなことはほとんどない。
妻もDIYや車のメンテをするし、夫も子供の弁当作りやPTAの委員をやる
気付いた方・得意な方がやる方式でうまくいってるのはラッキーだと思う。
④親子ともに障害がない
親子ともに健康で、身体的障害・精神的障害・発達障害がないのはハッキリ言って、それだけで恵まれていると思う。
子供達は主張が激しいので兄弟喧嘩が多く、聞き分けが悪く、性格的にはあまり育てやすい子達とは思わないが、頭も良く、能力的?には育てやすい方だと感じる。
⑤家の近くに手頃な値段の病児保育がある
子供が風邪を引いたり熱を出しても、医師の診察を受けた上で病児保育に預ければ30分の遅刻だけで済む。コロナでない限りは、仕事を休む必要がない。行政の補助金がジャブジャブ入ってるので、費用も一日2500円と格安。赤ちゃんの頃は本当に助かった。看護師さんが診てくれるので安心。
うちの自治体は基本は18時30分まで、延長利用だと19時まで預かってもらえるのだが、他の自治体に住む友人は、小学校の学童の預かり時間は17時までで延長もないから、小学校に入ったら仕事と両立できるかなぁと悩んでいた。
平日は毎日7時に起床(春休みなどの弁当作りがあれば6時半に起床)、用意して、子供を送り、仕事行って、子供を迎え、帰ってきて、晩御飯食べて、風呂に入って、22時〜23時ぐらいに家族皆で寝ている。子供の寝る時間遅すぎ!って思う人多いだろうけど、うちの子たちは皆宵っ張りなんだよなぁ…
職場が遠い友達なんかは、時短勤務しつつ毎日21時には子供と一緒に寝て、朝4時半に起きてると言ってた。
夫も私も、コロナ前は交代で月に1〜2回は飲み会に行ってたので、会社の人との付き合いもそこそこ楽しんでいる。
うちの事例とは逆に、職場が遠かったり、パートナーが家事分担してくれなかったり、子供が発達障害でこだわりが強かったり、だったら仕事と育児の両立は大変だろうことは想像に難くないし、うちがラッキーなだけというのは承知しています。
できれば職場の近くに住め
毎々お世話になります。
下には下があると言う話をしておきたくキーボードを叩いております。
なお、これはジョークである為、笑っていただきたい。ジョークなので、よく似た会社があったとしてもそれは錯覚であり、実在しない。
以上、ご査収の程お願いしたく。
ある菓子製造業の労働組合がある。比較的歴史が長い企業で、戦後に労働組合が結成された。
古老が言うには、結成されたときの最初の要求は「安全な作業着を支給せよ」と言う所から始まったと言う。
地域の中で中心的な役割を果たす労組で、かつてはこの労組から、同系統の労連の組織内候補として国会議員が送り込まれたこともある。(社会党が強い時代)
しかし、それも昔の話だ。
バブル崩壊前は、業態として製造から販売まで同じ会社でやっていた。が、バブル崩壊で同じように出来なくなり、製造会社を分離する事になった。その際に、労働組合が反発した。
ここまではよかった。しかし、労働組合が出した条件が、組合員の給与と立場の維持のみであった。
そこで、その会社が執った手段とは、子飼いの下請け企業に指示して会社を作らるということであった。
親会社との間に資本関係が無いが、技術顧問という形で人を送り込み、事実上支配したのである。
そこでは、不景気の労働市場に乗じて、親会社の給与水準・待遇と比べ遙かに低く、その地方としても下の中ぐらいの待遇で人をあつめた。(その際に、親会社の名前は大いに役に立ったことだろう)
さらに製造業への派遣労働が解禁されると、それを大いに活用した。この時、労働組合はこれを黙認した。何故なら、組合員は出向に選ばれても給与水準や待遇は維持されたからである。
こうしてできあがったのが、コストを削減することのみを目的とした子会社であった。安易な解決策である。
その後、失われた10年が失われた20年に向かおうとする中で、製造会社の経営が悪化する。
当然である。この会社はコストを削減のみを目的としているから、まともな経営改善は行われていないし、投資活動もできていないのだから。
世の中の景気が少し上向けば、他者は投資をして、改善する。そうなると、ついて行けなくなって競争力は落ちていく。しかし、もはやこの子会社がなければ商品が作れない。
そこで、いちど会社を倒産させ、清算、その上で、今度は資本をいれて買収することになる。
この際に、労働組合はどう動いたかというと、やはり「組合員の賃金と待遇の維持」を要求するのみであった。
そして、経営側は、この際、元々別の会社であったものを救済目的で買収するものであるから、ユニオンシップ制は適用されないと言う事で合意を取って買収をしている。
こうして、資本関係のある子会社というものが誕生した。この頃は、まだ子会社も労組入りを呼びかけるべきであると言う話もあったようだ。
しかし、この労組は、親会社内では待遇の維持を堅持して主張していた。このなかでは、自分たちの労働の価値を下げるとして、派遣労働者の導入も組合の同意がなければ駄目だと言う形にしていたようだが、その反動で製造会社の方の待遇は、当時からかなりの格差があったと聞く。
労組が、子会社社員らをに入れる事を躊躇っているうちに、親会社は業務を拡大する。コスト削減目的で作った子会社によって生み出される利益は大きい。他にも何社も子会社を設立していくことになる。
そして訪れるリーマンショック。この時、労働組合は、組合員の給与と待遇の維持を要求。親会社は本体には手を付けられなかった。子会社は大幅なリストラが行われた。
ここで、子会社で働く下々の者から見たら、悪の枢軸としか見えないような労働組合が固まったのである。
さあ、みなさん、ここ最初の笑うところですよ。さあ笑ってください。
リーマンショック時のリストラ攻勢に対し、子会社の社員の中にも組合に相談し、加入したいという要求があったそうである。が、当然のように組合はこれを拒否している。
ではと言うことで、子会社の有志が集まって労働組合を結成しようとしたことがあった。
しかし、この会社の労働組合の幹部は、地域の労働組合、さらには産業別の組織でもそれなりの力を持っており、この労働組合設立の動きに対して、表向き「いずれは自分の所に加入させるため、設立支援はしないでほしい」という話をした。つまり、既成の組織が支援しないようにさせ、労組結成を阻止したのだ(当時は会社に関係なく入れる労組などはなかった)
もしかしたら、彼らは当時本当に組合員として受け入れるつもりがあった可能性も微粒子レベルで存在しているが、結果が全てだろう。
その後、労働組合から会社に都合の悪い部分だけを外したような「従業員互助会」という組織が、親会社人事の指導の下に設立される。
ここは社員だけではなく、社長以下全社員が所属していると言う組織だ。だから労組ではない。1ヶ月500円を徴収し、この金で社員の交流会(花見と月見と忘年会、と言う飲み会。参加はほぼ強制で、欠席には理由書の提出がいる)を行うと言う組織である。表向きは。
しかし、36協定など、労使協定を結ぶときには、経営側の人間は投票権なしとすることによって、従業員代表組織とみなしている。
もはや、御用組合どこでは、ない。
会社の経営危機は何度もあった。その際に、彼らは組合員の子会社を活用すればリストラは不要なはずだ、構造改革が足らない、と組合側が提案書まで書いたらしい。
具体的に子会社をリストラしろ、派遣切りしろとあったかどうかは定かではない。しかし、事実その後、リストラの嵐がやってきて、派遣は総じて契約を解除されたのは事実だ。
そうして人がいなくなった子会社に、親会社で余った人間が出向してきた。
親会社の人間が天下ると、何故か1階級特進すると言う習わしがある。平社員は係長に、係長は課長に、課長は部長に、部長は役員になる。
そうして、実務者が3人減ると、その費用で親会社の雇用が維持される。
さらには、親会社での職位はあくまでも係長なので労働組合員だが、子会社では管理職と言う者が大量に出現する構造ができあがったのである。
彼らは毎年、春闘を行う前にスト権投票を行い、要求を挙げている。しかし、もう30年以上ストライキは行われておらず、交渉は妥結している。
その結果、毎年ベースアップと定期昇給は維持されており、ボーナスも5ヶ月分程度は出ていると考えられる。また、利益は出ていたので、それを背景にした待遇改善要求も通っていたようである。
が、その成果を、ある時から一切公表しなくなった。その理由は「関連会社に配慮するため」とされる。
簡単に言えば、子会社側で、親会社と同等の賃上げレベルを要求する動きが、ごく一部であったらしいのだ。
それを親会社から天下りで来ていた社長が親会社に伝え、親会社は交渉結果を非公開とすることを要求。現在は一切公開されなくなった。
ただ、当たり前だが、人の口に戸は立てられぬ。
続き → anond:20230331164112
「普通の生活」東京の子育て世帯でいくら?⇒30代で月54万の収入が必要(年収650万円)
▼ 夫(正社員)と妻(非正規社員、夫の扶養内)、公立小学校と私立幼稚園に通う子供2人がいる4人家族
- 練馬区にある43平米 前後の賃貸マンションまたはアパートに住み、家賃は95,000円
- 1か月の食費は約11万円(1人1食300円と想定、飲み会費用は3500円で月1回のみ)
- 家族みんなで行楽地に出かけるのは月に1回(1回の費用は8,000円)
- 教育費は1か月あたり約28,000円
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5fdabc66c5b6f24ae35d46d1
上記に対して『貴族か?』とか米つけているヤツいて地獄みがあるなぁと思いました
ワイさんが1人で暮らしてた1Rは10マンやが?かつ別に高級じゃないが?
練馬区, 40平米以上, 賃貸マンションまたはアパート, 家賃の上限は 95,000円
上記の条件だと、駅まで徒歩20分は掛かる自転車必須(悪天候時タクシーは期待できない)
2LDKくらいならマンションもあるが3DK以上欲しいなら木造だろうね
1人ひと部屋ないのもうーんだがそれは目を瞑ってもファミリーが暮らす家が木造アパートってあのさぁ(防音)
【ホームズ】練馬区の賃貸[賃貸マンション・アパート]物件一覧|住宅・お部屋探し情報
https://www.homes.co.jp/chintai/tokyo/nerima-city/list/
なによりスゲーなって思うのが食費1人300円ってとこ
仕事と満員電車に疲れながら速やかに帰宅しても自宅近くの駅に着くのは19時
こっから、えっちらおっちら自転車で自宅に帰って、外食・中食に頼ることなく毎日自炊ですぜ?
このタフさ&手際の良さ、節約系・時短系・自己マネージメント系の YOUTUBER やインスタグラマー&ブロガーでも目指した方がいいのでは???
もし上記が余裕過ぎるって人がいたらもっとドヤっていいですよ。間違いなくそれは技術です
多くの人にはマネ出来ないよ
(健康や好みが考えられてない食事はダメよ。もちろん上記はそれがクリア出来ている前提)
もうひとつ地獄だなぁって思ったのが全部足しても54マンにならないよって米
いや、年収650万円(いずれも税・社会保険料込み)って書いてますやん、額面この額が必要ってことじゃよ
まぁ東京生まれ東京育ちとして4人家族の最低ラインは世帯年収650万円は違和感はない
ただフツーではなく最低ラインな?
マンションなら2LDKで3DK以上求むなら木造って地獄じゃん。しかも駅まで自転車🚲
団地のがええわ、所得マジック(https://anond.hatelabo.jp/20200713070937#)で団地に入居出来ませんけど
休日の午前中に俺がリビングの掃除をしているとき、妻がリビングのソファに寝転がってスマホをいじっていたので、何の気なしに画面を覗くとTwitterでつぶやきを投稿しているところだった。
「夫が朝からこれ見よがしに掃除中。正直、掃除のクオリティ微妙なので点数稼ぎにはなってない。また部屋の隅っこにホコリ残ってるよ・・・」
共働きの我が家では、掃除は全て俺の担当で妻は担当外だが、だからといってこんな言い方があるものか。と、瞬間的に頭が血が上った。
怒鳴ってやろうかと思ったが、それと同時に他にどんなツイートをしているのか気になった。
どうせ怒るなら全ての陰口を見てから言ってやろうと思ったので、瞬間的にアカウント名を記憶し、さっさと掃除を終わらせた。
そそくさと自室に籠って、さっき覚えたアカウント名で検索すると妻のアカウントはすぐに見つかった。
どうやら素性を明かさない範囲で日常の愚痴を綴るだけのアカウントだったようで、フォロワーもまちまちで知り合いはいなさそうなものだった。
早速過去のツイートを見てみると、会社の愚痴が2割、社会への愚痴が1割、そして俺への愚痴が7割だった。
俺への愚痴は、さっきみたいな家事のクオリティに対するものから、日頃の振る舞い、プレゼントのセンスが悪いなど多岐に渡るもので、1年以上ツイートを積み重ねているようだった。
ツイート内容はあくまでも妻主観のものなので幾つか反論や弁解の余地があるものもあったが、9割方は俺が100%悪いと思えるものだった。
なので、怒っていた気持ちもツイートを遡るうちに萎えてしまい、むしろ俺はなんてダメな夫だったんだろうと悲しさが増してきてしまった。
その時、妻が俺の部屋をノックしながら「お昼どうする~?」と聞いてきた。料理は妻の担当だ。
俺は悲しい気持ちでいっぱいで食事どころではなかったので反射的に「なんでもいいよ」と素っ気なく返事した。
その瞬間、妻のツイートの一つが頭をよぎった。
「今日も夫に晩御飯は何が良いと聞くと、なんでもいいよ、と返ってきた。"なんでもいい"は一番困る、といつも言っているのにどうして直してくれないんだろう。馬鹿なのかな?」
俺はハッとして、慌ててドアを開けて「だけど、もし作れるならチャーハンが良い!」と小学生のようなリクエストを付け加えた。とっさの料理でチャーハンが浮かぶとは俺もまだまだガキだなと思った。
妻は俺の慌てぶりに一瞬驚いていたが、少し笑いながら「おっけ~。あ、キムチ余ってるからキムチチャーハンでもいい?」と返してきた。なんだか上機嫌だ。
一緒にキムチチャーハン食べているときもなんだか上機嫌だった。
キムチチャーハンを食べ終わると、晩御飯は何が良いかと妻が聞いてきた。
昼飯の直後に晩飯の話かよ、とも思ったが妻の上機嫌を損ないたくないし、今度は大人の味覚を見せつけてやろうと思いビーフシチューをリクエストした。
妻は「シチューの素はルーでいいよね?おっけ~。どうせならバゲット買いに行くか」と上機嫌を維持しているようだった。
そして俺は洗い物、妻はバゲット買いに近所のパン屋に買い物に出かけた。
20分後、俺は洗い物を終えてソファでくつろいでいると妻が帰ってきた。
ふと気が付くと、ちょっと不機嫌になっている気がする。なんだ?なぜなんだ?
俺はトイレに行くフリをしてスマホで妻のツイートを確認してみた。
「珍しく料理のリクエストをしてくれたので嬉しかったが、また今日も皿洗いのあとシンク回りがびちょびちょのままになってる。いつも誰が拭いてると思ってるのか。落差でいつもよりガッカリくる。」
・・・俺はなんてダメなやつなんだ。トイレから出てふと部屋の隅をみると、妻が愚痴っていたはずのホコリがない。
さっき掃除したときはむかついた気持ちがあったので俺はあてつけのように隅っこのホコリは放置したままだった。
そうか、これも妻が掃除してくれていたのか。それに俺はいつも気が付いていなかっただけだ。
それからというもの、俺は妻のアカウントをこっそりチェックしては妻のダメ出しを反省し、行動を改めるようにした。
すると明らかに妻は上機嫌でいることが増え、夫婦仲は付き合い始めの頃よりもラブラブになっている。俺も幸せだ。
そして、いつの間にか妻の愚痴ツイートも減っていき、いまや会社の愚痴が6割、社会への愚痴が3割、俺への愚痴が1割となった。
今日は妻は会社の飲み会と言っていたので、増田と妻のツイートでも読みながら一人晩酌を楽しもうと思う。
「今日は彼とのデート。夫には会社の飲み会といつものように嘘をついたが、疑っている素振りは一切なし。まじでチョロいwww」
少なくとも家計的には。
宅飲みなら1000円で済む内容が飲み会だと3000円になり、そこに二次会三次会でドンドン飛んでいく。
アルコールの摂取量も宅飲みと比べて節制がしづらいというか、今どれぐらい飲んでいるのかが把握しづらくなって増えてしまう。
宅飲みだと冷蔵庫に入っている今週分のストックが減っていくので「残りは明日以降に取っておこう」という判断がしやすいが、飲み屋に行ってしまうと伝票にズラーっと並んだ注文のウチどれが自分の飲んだ分だったのかが曖昧になる。
これは駄目だ。
色んな方面でコストの嵩みがえげつないことになっているのが明白。
このまま毎週のように飲み会をさせられると貯蓄の計画が狂ってしまう。
というかほぼ毎日飲み会してるような人達はどういう人生設計をしているんだろうか。
アラフォーなのに貯蓄額二桁万円という驚異的な人種は、ボーナスで貯めた分から毎月少しずつ消費している感じなんだろうか?
そんな人達に付き合うのは無理だなあ。
増田になら大量にいそうだけど
世間知らずな若い頃に、ネットの知識で特定属性(障害者、在日外国人、韓国人、女性、老人、専業主婦等)への偏見を持ち、差別や蔑視をしていたが大人になって治りましたみたいな人の経験談が聞きたい。
こういうきっかけで気づいたとか、恥かいたとか、同じ属性になって理不尽さを感じたとか、逆に嫌悪感が強くなったとかでもいい
ちなみに自分はまとめサイト全盛期に学生時代を過ごしていたので、ランチ代3,000円とかの専業主婦はクソじゃんって思ってた。
だけど、実際子供が小さいうちに専業主婦してて気づいたのは、「いや、子供小さいうちは夜出歩くハードル高いから代わりにランチくらいそりゃ行くだろ。誰とも交流せずに暮らせってか?そもそもランチ代3,000円が高いって、普通に飲み会行ってる方がよっぽど高額だが?」と気づいた
この話が聞きたくなったきっかけはTwitter上でたまたま、女と障害者へのヘイトぶち撒けツイートを連投してる男子高校生アカウントを見つけてしまったこと。しかも同じ界隈の人たちからいいねやRTされまくってて、思春期の承認欲求も相まってこれからエグいことになるだろうなと心配になった。案外大人になると治るのかな
タイトルの通り
教員のブラックさ加減は色々なところで今話題になっているが、実態は実はさほどブラックじゃないなぁと自分は考えている
私は小学校教員なので、中学校のブラック部活などについては知らないため、あくまでも小学校では、という話でという前提は持ってて欲しい。
最初にさほどブラックじゃないよって言っておいてなんだけど、残業時間が多い教員というのも山ほどいるのも事実。ただ、その裏では毎日定時に帰っている人間もいるのも事実なのだ。ちなみに私もそう、子供産まれたってのもあるけど、公務員だから出世とかないし、定時に帰っても残業しても給料変わらないし、だったら定時に帰った方がいいってのは小学生だってわかる。
そんな私の経験から、残業が多い人間には3通りいると考えている。
1つ目はノートのコメントやら、丁寧なプリント作成など、とにかく手間をかけるのが好きな人。ベテランに結構多い。こういう人間は基本的に残業が何時間だろうと元気だし、好きでやってるだけと言って辞める気も全くない。こういう人達は残業代に対してなんとも思ってないし、それが当たり前だと思っている。
2つ目は単純に仕事が出来ないか、教員に向いてないのに必死にしがみついている人間だ。教員採用試験に落ちても担任になれるのが今の日本なので、はっきり言ってカスみたいな担任ってのは多くいる。しかもそういう人間には研修に参加する権利すら与えられないので、成長もできず、クラスも荒れてトラブルも増えて保護者にも「ハズレ」認定されて嫌われてと、まさに地獄絵図である。
ただ、このタイプは教員の仕事がと言うよりも本人の資質能力によるものが大きいため、仕方ないよね思ってしまう。無理しないでさっさとやめた方が心と体にいいと思う。
3つ目は、定時で帰れないほど仕事を任されている人だ。多分今1番救うべき人々はこの人達であり、給特法に対して声を上げているのもこの人達なんだと思っている。この人たちの特徴はなんと言っても「いい人」であること。
先程ちらっと言ったが、定時で帰っている人間は一定の割合で存在している。保育園のお迎えであったり、習い事やら飲み会などのプライベートなものであったり多岐にわたるが、とにかく早く帰る人は早く帰る。
そういう人が学年にいると、学年の仕事はその「いい人」が優しさでやってしまう。自分の仕事に追加して人の分までやるのだから、それだけで仕事は倍だ。
さらに辛いことに、管理職は早く帰る人には大変な仕事を回さない。家庭の事情だと断られることもあるし、人によっては仕事をバックれて帰るやつもいるので任せられないのだ。酷い時には組合に相談してパワハラ認定してくる教員もいる。よって管理職は人を選ぶ。普段から残業をする人間=頼めばやってくれる人間だと思われて重たい仕事を任されるのだ。この人たちが一番かわいそうだし、適正な給料を貰っていないのである。
長くなったが、教員というのはそもそもはそこまでブラックでは無い。残業代は出ないが、仕事の量を調節すれば勤務時間内でほぼ終わる場合の方が多い。ただ、その分「いい人」に負担がかかるので、ある程度自分勝手に生きていける人の方が上手くいく(保護者とのトラブルなども、そういう人は他人事なので大きくなりにくいし、抱え込まないので病みにくい)のは間違いない。
定時に帰る側になっている自分にとって、給特法廃止については正直どうでもいいが、何かしら手は打たないと教員の質は無限に落ちていくのは目に見えている。
なんとなく1年の終わりなので書いてみた。教員のくせに文章下手ですまん。特に推敲とかもしていないので、読みにくかったらごめんね。見出しの付け方とかもよくわかんないんだ。ただ、最近思ってたことを文章にできてスッキリした。
おれはコミュ障気味だけど、運良く結婚できたおかげで、会社の飲み会とかでもなんとなくアガリを決め込んでいることができるわけだが、未婚のままだったら本当に面倒くさいだろうな、と思ってしまう。
人は社会常識に縛られて生きているし、多数派だと思い込んでいる人間の意識はそうそう変わらない。常に少数派に対して「なんで?」という不躾な口撃を行なってしまう。
交際数ヶ月で性行為に及んだ。間もなく彼は飲み会で酔っては私たちの性行為について話すようになってしまった。やめてほしかったのにやめてもらえなかったし、話を聞いた人たちからは散々揶揄われた。同じ高校から進学してきた大学同期が、高校の同級生に話したことでさらに噂は広がった。その交際相手と別れて数年経ち参加した高校の同窓会で、その話を面白おかしく掘り返された。また嫌だと言えなかった。
それからまた5年以上経った。あの時私を揶揄った彼ら、噂を広めた彼、話した元交際相手、皆しっかり社会人を務め、家庭を持った人も少なくないようだ。
君たちにとってはもう昔のこと?まだ笑い話?触れられない人間?もうなんでもいい。
前に「若者のゴルフ離れ」「若者の飲み会離れ」って見かけたけど、ぶっちゃけゴルフも飲み会も50代60代~ばっかだし、
私はとある日系企業の駐在員としてフィリピンの某地方都市で働いている。この国では女性の方が男性よりも働き者で、私の同僚も女性が圧倒的に多い(比率は8:2ぐらい)。
女性優位な職場というのと、フィリピン人のオープンな気質も相まって、飲みの場では結構フランクに下ネタ系の話をすることも多い。
先日の会社の飲み会では、日本人夫婦のセックスレスが話題に挙がった。同僚の妹がいわゆる本場のフィリピンパブで働いているのだが、そこに来る日本人客のおじさんは、みんな口を揃えて妻とセックスレスだというらしい(狭い日本人コミュニティを見る限り、そもそも単身赴任の人も多い)。
ただ、日本にいた頃から子供が生まれるとレスになり、したとしても子作り目的の義務的なものしかしていない、という日本人おじさんの話にフィリピン人同僚たちはみな驚いていた。
彼女たち曰く、セックスに付き合うことは妻から夫への愛情表現の一つであり、夫を愛しているなら例え自分にその気が無くてもセックスするのが妻としての義務だという。
セックスレスの場合、夫が浮気したとしても妻がそれを責めることなどできないと言っていた。男の性欲はコントロール不可能なので、誰かが発散させないといけない以上は、妻がそれを担おうというもの。
日本人はセックスというのを必要以上に神格化(大変なもの)だと捉えている節があるが、フィリピン人は結婚した以上は暇つぶしのレジャーの一つぐらいに考えているようであった(カトリック主流の国なので婚前交渉には結構うるさい)。
私はまだ独身だが、今後結婚するにあたり、このフィリピン人スタイルを採用するのはめんどくさいな~という気持ちもありつつ、男の性欲の底深さにうんざりした。
今の物価高騰とかコロナで混乱してる社会の方が異常と正常の見分けがつかなくて生きやすい。毎日出勤するのが当たり前なら私の異常性はすぐにバレるけどバレないし、表情が死んでて人の冗談にあわせて笑えないのもマスクでわからない。
飲み会がなくなったから常識がズレてることもバレてない。超生きやすい。
この日常が続けばいいのに。
かつては大学生だった。今から約20年前のことだ。地元の公立高校で必死に勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部に合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。
40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置にはいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。
これから、大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。
入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑
でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツ系からは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。
文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代はバリボーをやっていたが、大学の部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。
それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家は美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。
アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。
そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都の学生有志で集まる大学間サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都の音楽を発信しよう、みたいな団体だった。
チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。
いろんな大学の学生が集まる、しかもライブイベントのスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校も中学も高校も、文化祭でリーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。
数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風のプロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはすが現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場の下働きだった。
それで、みやこ音楽産業みたいな名前の団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近のカフェで面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。
若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学の看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。
まあ、そうじゃないと、第1回目からくるりや向井秀徳や矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。
もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。
いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。
思えば僕は、アニメや漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーはほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。
僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前の大学の女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。
そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分は臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。
それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室の座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。
ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学の学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都の方言は標準語に直している。
「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」
「高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」
「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」
(3/21追記)コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。
こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学の学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。
「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」
「法学部なんですね!! すごーい」
「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」
今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ、自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。
で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバーが乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。
……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間がモテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって、京都大学に合格した時は、中学校や高校の先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。
でも、違うのだ。大学が保証する個人の能力というのは、実社会で必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。
結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行に内定した。しかし、自分という存在に確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。
銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。
掻い摘んで話すと、社会人一年目から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品の営業がまったくできなかった。
営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子や女の子ですらそうだった。
同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都の山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。
三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。
まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大だからな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。
結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベルの会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。
それからは坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所の会計年度任用職員をクビになった。現業の仕事をするポジション(剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。
書類選考が通って、市役所の役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事未経験の自分でも内定を取ることができた。
もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。
「すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」
「事務職はもうパートさんがおるさかい。あんたには任せれへん」
「すんません」
会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。
これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニでストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。
最後に知っておいてほしい。学歴は仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカの研究で学歴と仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまり、ほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。
そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさんの愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。
――ああ! 誰かがあの肉體からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!
未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99
3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分の言葉じゃなくて申し訳ありません。
もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴と仕事能力は関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。
ある時、同僚が退職した。今から約五年前に一緒に地元の市役所に入った同期だった。タイトルのとおり、調子に乗っている系の若者だった。同期といっても、当方は中途採用なので年は結構離れてる。
その辞めた彼、ヤツと表記することにしようか。どうしてこれを書くかといえば、退職の過程に感じるものがあったからだ。官公庁も民間企業もそうだと思うが、人事異動によって婉曲的にその人のランクを示すわけだろう。でも、その中には、勘違いをするような人事もあると思うのだ。そういうことについて書いていく。
ヤツは、新卒での入庁だった。最初は社会教育の分野で働いていたはずだ。一般的な名称だと、社会教育課といったところか。体育振興とか、公民館の行事とか、どちらかというと大人を対象にした教育活動だ。
ヤツの環境は恵まれていた。俺は最初から本庁の財政課で、銀行出身ということで地方交付税の算定基礎となる数字を固める仕事をしていた。はっきりいって激務だった。先輩が優しいのと、周りに人格者が多いのが救いだった。
ヤツの環境は、はるかに恵まれていた。仕事が楽だったのだ。臨時職員がやる庶務みたいな仕事が大半で、社会教育の仕事もメインでひとつも持っていなかった。つまり、まだ若いという理由で、初心者モードでのキャリアスタートとなったわけだ(祖父や曾祖父が町内会長だったのも大きい)。
仕事が退屈だったからかは不明だが、ヤツは同期会や若手職員の飲み会では調子に乗っていた。「あのイベントは俺も一枚噛んでる」みたいなことを吹聴していた。みんなそのことをわかっていてスルーしていた記憶がある。
中身のない若者だった。リクルート(特にジョブズ)や、サイバーエージェントやGMOとかと交流経験がある人ならわかるかもしれない。実績ゼロにおいてすら、自らの成果を誇張する理解不能レベルの人間がいるだろう。あんな感じだった。
話は逸れたが、入庁一年目から楽な環境であること――それが正しいことかはわからない。だが数年後、ヤツの環境は変わった。組織の再編により社会教育課は厳しい環境に置かれた。
残念ながら、ヤツには実力が身に付いていなかった。その根拠は噂話が0.5、ヤツの姿を実際に見てが0.5、合わせて一本というところだ。
ストレスに耐えられない行動を取っていた。あなたの職場にもいるのではないか。仕事とか家庭とか、なんでもいいけれども、ストレスが多くなって精神的に潰れている人間の姿だ。ヤツは、元々コミュニケーション能力に難があり、いわゆる話がわからないタイプの人間で相当難義をしていた。
・キレやすい
こんな行動だ。特に、その年度末時点では、まるで50代のごとく自分が思ったことを脊髄反射で口に出すようになっており、声をかけるのも憚られるほど救いようがなかった。
職場仲間から非人格的な行動を咎められるのはまだいい方で、はっきりいって見捨てられていた。個人的には視界に入れたくなかった。
次の年度、ヤツは別の部署に異動になった。おそらく配慮があったのだろう。今度は、多くの人が想像するタイプの市役所の仕事だった。社会教育課よりは楽になるだろうと思ったし、実際にそうだった。わかるのだ。自分とヤツとは、その時期は同じ階で働いていたから。
だが、調子に乗った態度は変わらずだった。前の職場である社会教育課の後輩に対して架電していたのだが、市民も見ているであろうに大声で叱責をしていた。私の席からヤツの上司の顔を遠目で眺めると、苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。ほかの職員もそうだ。
が、その年度の終わりだった。ヤツにある意味での最後通告が下った。総務省に出向するように命じられたのだ。
多くの増田民やブクマカには意味がわからないと思われるので説明する。まず、民間と同じく地方公務員にも他組織への出向がある。一定の水準に達している者が出向するが、例外もある。表で説明するほどのものでもない。記号を使って出向先のランク付けについて逗子する。
○出向先ランクの一覧
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(将来を嘱望される職員の出向先)
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(上に準ずる職員その他の出向先)
概ね1〜2年の間、出向先で働くことになる。長くても3年だ。最悪だと4年以上。このうち(上に準ずる職員その他の出向先)については、言いにくい事情が何点かある。
まず、市区町村→国や県への出向については2パターンある。①規模の大きい仕事を進めるために出向が必然となるもの(今だと広島G7サミットの事務局。数年前だとオリンピック)と、②出向が昔からの慣例になっているパターンだ。特に②の場合、国の方から「事業推進のため○人の職員を出向させてください。お願いします」(※要約。実際は崇高な理念という名の大言壮語が書いてある)といった通知が各自治体に届いて、そのお願いを聞く恰好で、地方自治体は中央省庁(+地方事務所)に人員を派遣する。
ヤツは総務省への出向だった。その際、ヤツは相当喜んだ様子だった。LINEで何度も同期グループにメッセージを入れていたし、出向者の送別蟹に参加した際などは(※私もその年に県に出向した)、それはもう大喜びの様子だった。出世コース万歳、みたいな調子だった。
中央省庁には大変申し訳ないのだが、うちの自治体では、はっきりいって辞めてほしい職員、別にいなくなってもいい職員のうち、比較的学歴のある若手を(上に準ずる職員その他の出向先)に送るという慣習がある。※国としては、官僚と同程度の学歴のある人間がいいらしい。
辞めてほしくない職員を国に送らねばならない場合は、1年や、半年ずつに分けて2人など、各個人が負担にならない形で送り出す。
蛇足になるが、未婚の女性職員は送り出さない。断じて出向させないらしい。噂話のレベルだが、中央省庁への出向中に都内で結婚相手を見つけ、出向が終わって夏のボーナスをもらった直後に退職して東京に戻った人が過去にいたようだ。
さて、ヤツは総務省に何年いたと思う? ……正解は言えない。特定のおそれがあるからだ。二年以上とは言っておこう。○年半が経った頃、うちの市から「四年目もお願いする」という連絡をもらった後、ヤツは辞めた。その後、どこに行ったかはわからない。消息不明だ。ラインの同期グループでは、「ずっと毎月残業60時間以上。もうダメだ」といった内容が続いていた。
組織としては、ヤツは辞めてほしい人材だった。ヤツは何度も調子に乗った行動を取ったし、他の職員や上司のひんしゅくを買ったし、市民や団体に迷惑をかけている。ヤツ以外にも、辞めてほしい人間として国に送り出したと思われる若手職員はけっこういる。
だが、実際かわいそうだとは思わないか。国の出向制度を利用して辞めてほしい人間を送り出すなど、制度の趣旨を理解していないのではないか? むごい。
出向先の中央省庁のうち、(将来を嘱望される職員の出向先)と(上に準ずる職員その他の出向先)の区別だが、前者の官庁の場合は、出向者に企画や調整の仕事をさせてもらえることがあるらしい。または、特殊な技能の習得など。公務員として一生使える力だ。
対して後者の場合、出向者は『無料で使える臨時職員』(※出向者の給料は自治体負担)であり、仕事内容も裁量ゼロの大量ルーチンをこなすことになるそうだ。職場の上長は地方からの出向者を指揮することはなく、彼らの差配をするのは20代の若手官僚になるという。なんというか、完全に国の仕事を遂行するための材料として使われている感がある。
なお、この日記にはフェイクはあまり入れていない。リアル感を出すためだ。身バレなどのリスクは私がすべて負うことにする。どうしても書いてみたかった。
あれから月日が経った。ヤツは元気でやっているだろうか。思えば、20代半ばの若者というのは、調子に乗りたがるのがむしろ正常なのかもしれない。
当時の私は、ああいう連中について、聖闘士星矢に出てくるおとめ座(ヴァルゴ)のシャカみたいに思っていた。
「若手職員のガキたちよ。今から引導を渡してやる。おとなしく餓鬼界へ落ちたまえ!オーーーーム!天魔降伏!」くらいにしか思ってなかったが、今ではしみじみと思い返すことがある。
修学旅行とかでずっと話してる奴とかいたけど何話してたんだろう。
飲み会とかでも朝まで飲んだとか。
俺が聞いても興味もてなくて退屈な話なんだろうけど充実してそうでうらやましい