帰省したらテーブルの上に広げてあった父の給与明細を見てしまった
6月は18万だったらしい
これが父にとって高いのか低いのか判らない
父は土木作業員の監督だから安定して18万なわけじゃないだろう
自分が子どものころから雨の日は休みだったし、忙しいときとそうでないときで帰宅時刻が全然違った
うちの家庭は自分を含めて子どもは3人で、地方住まいの自営業者の父、パートの母、大正生まれの祖父の6人だった
自分が幼少の頃、バブル時代は毎週出前の寿司を食べていたし、言えばなんでも買ってもらえたし、田舎だからと言うのもあるが、車が6台だか7台あった
金があったんだろう
昭和59年生まれの俺にとってのバブル時代なんてほとんど記憶にないけど、寿司と車とファミコンソフトに溢れていたのは覚えている
でも、子どもたちが中学生になるころには「お前たちがいくら頭が良くなったとしても、大学には上げてやれない」とか「高校に入ってしまえば勉強なんて一切しなくていい」と言われ続けていた
俺はバカな子どもで、中学の成績は中の上程度だったし勉強よりもゲームやテレビが好きなやつだったから、言われたとおり、高校に入ったあとは勉強しなかったし、そのあと進学もしなかった
変に中学時代は中の上程度の成績を保てたもんだったから、行った高校は半端な進学校で、周囲はみんな勉強していた
だから勉強なんて一切しなかった俺の成績は、下から片手で数えられた
自分はフラフラとバイトを変えたりしたあと、現在は事務系の会社員(非正規)で、弟は地元に残って土木作業員だ
妹は当時流行していた美容師になりたがったが、希望の学校の学費が払えないと言われるなり、高校卒業後は半ば家出のように東京へ飛び出して行き、キャバ嬢を経たあとは働きもせず男の家に引きこもっている
進学はするなと言われていたしね
あーそりゃあそうだ
子どもが三人もいて、月収18万の父とパートの母と家でボーっとしているだけの祖父しか大人がいない家庭じゃ大学なんか行かせられないよな
母は仕事と買い物以外ではずっと家にこもっていて、テレビにも本にも興味がない、無趣味の人間だ
そりゃそうさ、うちにはそんな金がなかったんだ
母はよく「税金だけはちゃんと払え。絶対借金はするな」と言っていたのできっとうちに負債はないんだろうけど、決して余裕のある生活ではなかったんだなあ
今思えば貧乏の片鱗はたくさんあったのに、よくここまで子どもたちに隠し通したと思う
実際、明日の食べるものや着るものがないとか親父がパチンカスの浮気性とかそういうテンプレが通るような深刻な貧乏ではなかったし、両親も家族も仲はいい
おかげで、成人してひとりになるまで自分が勉強不足で世間知らずのバカだったなんて気づかなかった
妹はもう三十路近いのに、今でもフェイスブックに「ぱぱとままみたいなあったか~い家庭があこがれ♪」なんて書いているけど、会うと酒焼けしただみ声をしている
監督さんだからその値なんだよな。 現場の作業員の方がよほどいい。
それ職長じゃなくて監督? 監督ってことは本社勤めの土木部担当? 土木と建築で監督が変わるほどか数がいる大きな現場で手取りが18万円の工事って何してるの?
知ったのは20代後半。一人暮らしするときに保証人(親)の年収書く欄があって聞いた。 増田と違っていたのは、高収入だったこと。2000万円だって言われた。 でも生活は増田より地味...