はてなキーワード: 丹沢山とは
某ラーメン屋と地元酒蔵のトラブルのお蔭か、珍しく神奈川の日本酒が話題になっているので。
一般的に、神奈川に酒どころのイメージはあまりないだろうけれども、実は例の阿夫利山の麓に14軒の酒蔵がある。
ちなみにこんな書き出しにも関わらずでスマンが、自分は件の酒蔵の酒は飲んだことがない。個人的に好きなのは以下。
神奈川の酒では有名な方かもしれない。
酒米の栽培から酒造りまでを一貫して自社でやっており、雑味の少ない綺麗な酒を造る。
今の時期は「夏ヤゴ」ラベルなんかをキンキンに冷やして、刺身やカルパッチョと一緒にキュッといきたい。
残草蓬莱は「ざるそうほうらい」と読む。「ざんそうほうらい」ではない。
白ワインっぽい日本酒から、ドッシリ日本酒らしい酒までオールマイティに造っている。
先日は焼鳥だとか夏野菜の炭火焼きと一緒に飲んだ。うまかったなあ。
とにかく「食事と一緒に楽しむ酒」に特化している。香りが穏やかで旨味が強い。
一般的に日本酒は製造したらすぐに瓶詰めして出荷するが、ここの蔵では数年寝かせてから出荷している酒も多い。
そういう酒は常温でも良いが、熱燗にすると更に深みが増す。これの熱燗と蟹味噌を合わせてみてほしい。雲丹でもいいな。飛ぶぞ。
戦争なあ。
80年代前半、小学生だった私は昔の日本の指導者が悪いことをして周りの国に軍隊を送ってひどいことをして、庶民は巻き込まれてひどい目にあって、清く正しく未来を担当する国であるところのアメリカが全部解決してくれました式の日本史教育を受けていた。
悪の国であるソビエトと戦う正義の国、世界の警察である何もかも進んでいるアメリカ。清廉潔白なアメリカ。叱られている日本。アジア各国にごめんなさいしなくちゃいけない日本。
でも、大正生まれの祖母の言うこととはだいぶ違うなあと思っていた。
祖母の戦争は、神奈川県内の農作業中にアメリカの戦闘機の機銃掃射から逃げ回る話、防空壕の話、当たらない高射砲と高射砲の弾の破片で知り合いが死んだ話、弾に当たったゼロ戦が丹沢山の方へ墜落していった話、横浜の空襲の話、戦争直後の朝鮮部落とのもめごとの話を概ねループする。南方に行った親戚の話や知り合いの特攻隊の話は言いづらいらしく父母はともかく私にはほぼしなかった。
まあ、アメリカがそんな正々堂々清廉潔白なら、根こそぎ空襲とかしないし、まあ空襲するにしたって爆撃でどばっと効率的にやるならまだしも、わざわざ戦闘機で低空に降りてきて民間人一人一人を追い回して機銃で殺すなんて何か小学校の先生が言うのと祖母から聞くのではだいぶ違うと感じていた。
韓国や中国にごめんなさいしなさい式の教育も、祖母の言うカンボの奴らが戦争負けたとたんに横暴になって家畜を盗んでいって警察を呼んでも警察に立ち入りさせなくて、どうやら盗んでいった家畜を全部食っちまったらしいってなって、なるほど警察は来ないんだなってことになってその後ひどいことになった、というのを聞いてるとなんか違うって思ってた。
テレビで韓国のことが出るたびに祖母は信用しちゃいけないよって何度も何度も繰り返した。
宝永年間(1700年代)の富士山の噴火では、降灰により煙草の耕作に適した土壌がつくられたと言われています。
江戸時代に興った秦野葉の栽培は、水府葉(茨城)、国分葉(鹿児島)と並び日本三大銘葉として称せられ、秦野町は全国でも有数な
煙草生産地として知られるようになりました。 明治32年(1899)には、秦野に煙草試験場が開設。
亀本は、秦野葉の名を後世に伝えようと、秦野葉の葉形を型にした煎餅を考案、『煙草煎餅』と名付け製造を始めた。
時は流れ、秦野の町は大きく発展。
煙草耕作は大変な労力がかかり、高度経済成長以降、第一次産業に従事する人口が減少してくると生産が低調になっていきました。
秦野葉は、刻み葉(キセル用)であったため、嗜好品の変化から消費量も減少し、昭和49年を最後に秦野から姿を消しました。
その後は、紙巻き煙草用の米葉と呼ばれる黄色種が生産されたものの、かつてのような隆盛はなく、昭和59年に黄色種の生産も
この一方で、煙草煎餅は、独特の製法・厳選された材料が醸す味覚を大切に守りながら販売が続けられている。
http://tokio-mt.wixsite.com/sugar-and-spice-1/about_us
http://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1001000001160/index.html