はてなキーワード: 収束とは
Google翻訳で、日→英→日→英→日→英→日→英→日・・と繰り返すとどうなるか?不動点はあるのか?
河野太郎ブログ「まだまだ研究者の皆様へ」https://goo.gl/sT6KxG より
(東京工業大学における研究費の使い勝手の悪さの実例を紹介した記事)
1円から全て検収があり、納品書に検収済みのハンコが必要。1万円以上のものにはシールを貼るが、大概、箱に貼るなど形骸化している。最近は検収を受ける前に使用したとしても、よしとしている。
Tokyo Institute of Technology:
We have all inspections from 1 yen, and we need a hand-picked Hanko in the invoice. For those with more than 10,000 yen, we stick a sticker, but mostly it has become a form of skeleton, such as sticking it in a box. Recently I use it even if I use it before receiving acceptance.
私たちは1円からすべての検査を受けており、請求書には手作りのハンコが必要です。 1万円以上の人はステッカーを貼っていますが、たいてい箱に貼るなど、骨格の形になっています。 最近受け入れを受ける前に使っても使っています。
私はすべての試験を1円から受け取りました。 請求書には手作りスタンプが必要です。 1万円以上の人はステッカーを貼りますが、通常は箱にこだわるなどの骨格があります。 私は最近それを使用する前にそれを使用しています。
シロクロはあのままどこかに行ってしまったようだが、それを気に留める者はいない。
改めて捕まえた店員を皆で観察する。
あまり記憶には残っていないが、恐らく以前よりあそこで働いていた店員だと思う。
「私、超能力者だけど、この人も超能力者のようね。性質は違うようだけれど」
ああすると超能力者同士なら分かるらしい。
そうか、おにぎりが消えて客のカゴに入っていたのは、超能力のアポートだったのか。
まるで達観したようなことを言ったので俺たちはタオナケに視線を向けるが、発言者本人もしっくりこなかったようで目を逸らした。
「それにしても、予想以上の展開だったな。まさか、おにぎりの昆布需要の謎が、一人の超能力者によって長年操作されていたとは」
「いや、俺が超能力に目覚めたのはつい数ヶ月前のことだぞ」
「え?」
全員が固まる。
「アポートも試し試しで、おにぎりを移動させたのも今回が初めてだし」
「いや、悪の超能力機関とかがあって、実験台にするために狙ってきたのかなあ、と」
そんなのあるわけないだろう。
超能力があるからといって、超能力者機関があるとまで考えるとは、フィクションに触れすぎである。
俺たちは脱力して、疲れが今になって出てきたのか、その場にへたり込んでしまった。
「ちょっと待てよ、結局おにぎりの昆布の謎が解明できていないんだが」
「あ~? そりゃあ、オメエ。昆布が日本で昔から親しまれている食材だからじゃねえの。同じ具ばっかりじゃ何だから次点として選ばれやすいけど、そこまで好きじゃないから残されやすい、とか」
店員のそれっぽい答えに否定も肯定もする気が起きないほど、俺たちは徒労感にやられていた。
かくして、おにぎりの具問題は俺たちの息切れによって幕切れとなった。
大人気ソーシャルゲーム兼スマホ音ゲーであるシンデレラガールズだが、この主要キャラクターの中でも圧倒的にアンチの多い嫌われ者アイドルが存在する。
そう、パッションタイプ代表であり、デレマスを代表するユニット「ニュージェネレーションズ」のリーダー"本田未央"だ。
このキャラクター、実のところびっくりするぐらい嫌われている。ちゃんと担当Pも存在し、好きなキャラクターに上げる人物も多数いるのだが、
それでもすさまじい勢いでアンチが量産され、今日に至る。アニメ放送時期なんか凄いありさまで叩かれていたほど。登場するだけでニコ動のコメントは荒れ、アニメの実況スレは本田死ねの一文で溢れかえった。
ではなぜ、こんなにも嫌われているのか。それには大きく4つの理由が存在している。
このキャラクターがなぜここまで嫌われるかに至ったのか、その経緯を研究することで、今後同じようなアニメやゲームを作る際に「嫌われないキャラクター作り」に生かせられれば、この記事を作ったかいもあると言ったところである。
なお、最初に書き込んでおくが、筆者は決して本田未央アンチではないことを明記しておく。ただ、本田未央が登場した際に荒れるありさまについて、ひたすらにうんざりしている側であり、
その原因もやはりシンデレラガールズの運営そのものに存在すると自負しているだけであることを分かっていただきたい。いわば運営が作ってしまった「負の遺産」であるということを認めるほかないというスタンスである。
では、早速如何に本田未央がなぜ不人気キャラになってしまっているのか、その4つの理由を記述することにする。
本田未央で検索してもらえれば分かるが、とりあえずあんな感じの見た目である。
シンデレラガールズには180人を超えるデレマスオリジナルキャラクターが存在するが、ぶっちゃけた話、その中でもキャラデザの良さ、可愛さと言う面では、半分以下のキャラクターに劣るといっても過言ではない。
特に注目すべきポイントは「極端すぎる横ハネの髪型」である。髪型は不人気要素を大きく左右すると言われつづけているキャラクタービジネス界だが、アイマスも当然例外ではない。
先輩アイドルキャラである「秋月律子」などが分かりやすいだろう。Xbox版の律子の髪型はご存知の通り"三つ編み"であるが、これがまた律子の不人気に拍車をかけていたと言わざるを得ない。
ニコマス界隈では、この三つ編みを取った律子を「覚醒律子」と持て囃し、可愛い、こっちの方が良いなどといったコメントで溢れかえった。
つまり、キャラの可愛さにおける髪型の注目ポイントは非常に大きいということである。緑髪は不人気であるという風潮もネット界では有名か。
そう、未央の髪型は不人気への拍車をかけているのである。筆者はこれが一番のマイナスポイントだと思っている。
横ハネを持つキャラクターはアイマスには何名か存在する。大正義主人公である「天海春香」もその一人。だが、あまり目立つことがない横ハネであることが見た目で分かるだろう。
そしてシンデレラガールズでは「輿水幸子」が有名か。こちらも大人気キャラであり、キュートタイプの筆頭人気キャラとして君臨しているほど。同じ横ハネでありながら未央と人気の差は歴然。
なぜここまで差があるのか、それは横ハネが自己主張をするレベルで目立っているかどうか、である。未央の場合、髪型を見たとき、とにかく横ハネが目に付く。
ショートヘア―の下半分すべてが左右に跳ねているのである。これはいけない。可愛い見た目を台無しにしていると言わざるを得ない。
その証拠に、同じ髪型をしている「西島櫂」も不人気キャラの筆頭である。なんと未央以上の横ハネ持ち。これでは人気がでるわけがない。二人とも折角の巨乳キャラなのに実に勿体無い。
これをシンデレラガールズ稼働当初にやってしまい、第3回総選挙まで一回も50位内入りすることが無かったほど人気が無かったのだ。レアリティNのカードイラストも実に可愛くない。特訓後のN+なんて修正を入れなければならないレベル。
未央の特徴の1つはやはりパッション溢れる元気娘で誰とでも気軽に友達になれる社交性を持った性格であるだろう。
そもそもとして、オタクは元気で積極的な子に苦手な印象を持つことがわかっている。特に未央はコミュ力魔神であるため、間違いなくスクールカースト上位勢だろう。
未央はそういったキャラクターの中でも特段コミュニケーションを取るという意味では飛び抜けている。無作為に相手にスキンシップを行い、許可も得ていないのにあだ名をつけ、どんな相手にも遠慮なく絡みだす。
未央の場合、ただ元気が良いとは勝手が違うのである。性格上「誰かと絡む積極性」という意味ではシンデレラガールズ随一の行動力の持ち主である。この特徴が逆効果になってしまっていると言えるだろう。
暗い学生時代を過ごしてきた彼らにとって愛着が湧くような性格ではなく、行動そのものが異次元世界の住人みたいなものである。傍から見たら近寄り辛いという印象をうけていることだろう。
そんなキャラクターを果たして彼らは好きになるのだろうか。きっと一部にはいるだろうが、大多数は無理だろう。なぜならオタクが好きなのは「大人しく、自分でも守ってあげられるようなか弱く清楚で小動物な子」だからだ。
デレマスの人気上位キャラクターにはやはりというか、そういう子が多い。緒方智絵里、鷺沢文香などがそれに当てはまるだろう。
この二人は極端だが、とにかく元気過ぎず、自分のテンションでもついていけそうな子がこの手のキャラクターではモテている傾向にある。
つまるところ、自分でも相手が出来そうなキャラクターに愛着をもったり、興味をもったりするのである。普段から根暗な人物たちの人間心理としては至極当然のことだろう。まさに未央の性格とは真逆なのである。
アイマスを好きになるようなユーザーは、未央みたいな性格のキャラクターを好きになることはなかなかないのである。悲しいことに。
同じソシャゲであるガールフレンド(仮)の人気投票1位が誰か知っているだろうか。「村上文緒」というキャラクターであるが、このキャラクターの設定と性格は先ほど紹介した鷺沢文香とほぼ同じである。最早語るまい。
アニメで発言した「ほらほら笑顔、忘れてるぞ☆」はあらゆる視聴者をイラつかせたことだろう。なお、この発言は後述する問題のアニメ6話~7話の次の話である8話で発言されたセリフである。タイミング悪すぎと言わざるを得ない。
ここで言う酷いとは、"不遇だった"という意味ではない。全くの逆、"超優遇"だったからである。それとは別に、最早デレアニ界隈では黒歴史とされている6話についても含め、酷い扱いと捉えることとする。
まずアニメシンデレラガールズ6話について語ろう。この6話が、アニメシンデレラガールズの人気の全てを左右してしまったと言っても過言ではない。
6話の内容だが、軽く説明すると「本田未央が新ユニットニュージェネレーションズのリーダーとなり、ユニットとして初ライブに挑むが、あまりにも少ないお客に未央がプロデューサーに逆ギレし、アイドル止めると叫び逃げ出す」といったストーリーである。
これだけ書くと誰もが思うだろう。なんだこのクソキャラと。実際のところ、この話の背景には様々な思惑やすれ違いが発生しており、一口に語るのは早計であるのだが、この6話を普通に見ていた視聴者達の大半はそう考えなかったのであろう。
放送後、もう荒れに荒れるのである。記事冒頭に書いた通り、アニメの本スレ、ゲームの本スレ、実況スレ、アフィブログ、Twitter、その他SNS、ありとあらゆるサイトで荒れた。
当然と言えば当然だろう。こんな描写をされ、それでも「未央の気持ち分かる」「これはしょうがない」「これでこそ未央」「子供だし仕方ない」だなんて思った人物が果たして何人いるだろうか。いたかもしれないが、決して多くは無いだろう。
この6話以降、アニメ終了まで、いや終了し1年が経過した今でも「本田リーダー」とバカにされ続け、アフィブログの恰好の餌となり、未央アンチを大量生産してしまった結果となったのだ。
アニメのスタッフ曰く、「未央は非常に脚本的にも使いやすいキャラクター」と雑誌のインタビューでも公言しており、シリアスやキャラの成長描写を入れたかったがために、落として上げる脚本にしてみたのだが、結果はごらんのとおり。
落としたら人気が0以下になり、頑張って上げたが0に戻ることは無かった。そんな印象をうけたアニメであった。7話で武内Pと和解するが、それで救われた未央Pがいるのならそれはそれで良しとしよう。
だが、今日の未央の嫌われっぷりを見て、果たして何人の未央Pが心身安定の状態でいるのか実に気になるところ。
このテーマの冒頭でアニメにおいて未央は"超優遇"だったと記述した。上記ではまるで不遇な扱いを受けているように感じるが、問題は8話以降である。
2つ上げるとするなら、「セリフ量がアニメで最も多い」「とにかくいろんなキャラに絡み、出番が多く目立つシーンが多い」。
メイン回が6話にあったにも関わらず後半も数えきれない量で出番があり続け、1期の8話のメイン回以降ろくに出番のなかった蘭子に比べると破格の扱いであることがよくわかる。
ただでさえ6話で下がりまくった人気なのにこのアニメでの扱いである。アンチは量産され続け、普通の視聴者すら面白い心境ではなかったであろう。火に油を注ぐ結果になったのは言うまでもない。
それもこれも「脚本を書く上で使いやすいため」という結果に収束するからである。なんと皮肉なことか。
4.極端すぎる運営贔屓
テーマタイトルそのままの意味である。未央は基本不人気のまま進んで来たキャラであるが、やはりニュージェネレーションの一人として、そしてパッションの代表キャラとして表に出さざるを得ないキャラとなってしまっている。
だが、現状の人気は今まで説明してきた通り。第2回まで圏内入りすることはなく、フリートレードの価値も安い、pixivでもイラストの数は卯月や凛と比べると圧倒的に少ないといった感じ。
だが、第3回総選挙では5位。第4回では18位、第5回では6位を記録している。こう書くと、なんだ普通に人気キャラじゃんと思うかもしれないが、実はここにテーマタイトルの真の意味がある。
シンデレラ総選挙はあるシステムに則って行われている。それは投票権1枚につき1人一票を"何度でも同じキャラに投票できる"という仕組みと、投票券は"ガチャを引くことで手軽に手に入る"という仕組みである。
つまり、その投票期間に行われているガチャのキャラクターがもし自分の担当だった場合、ガチャを回しまくり、手に入れた投票権を担当に突っ込みまくるといった現象が発生するのだ。
もうお分かりだろう、この未央が5位、6位を獲得した第3回と5回の総選挙、未央がガチャ登場キャラだったのである。当然ガチャに登場させるキャラクターは運営が選出している。
こんなことが行われていたら当然納得いかない奴らはこういうだろう、「運営は未央を総選挙上位に押し上げたいからガチャに未央を選出した」。至極ごもっともな意見である。そう思われても仕方がない。
第3回はテーマ上、1stライブに先駆けてニュージェネレーションの卯月、凛と共に月末ガチャに登場といったものだったので、ここはまだライブ関連、ユニット繋がりで言い訳が通りそうなものである。
だが第5回に至っては特にイベントもライブもないにも関わらず直前に未央単体のガチャを投入。あきらかに狙ったものであると言わざるを得ない。
第4回の時には未央ガチャが行われなかったため、18位という結果になり、Paのみでも4位という結果に終わった。
これはマズイと思った運営が未央を上位に組み込むため、総選挙のタイミングでガチャを行ったと思われても不思議ではない。これを贔屓といわず何と形容されるべきか。
上記以外にも、ちょうどいまこの記事を描いているときに問題になっている事柄が1つ存在する。未央の他キャラへのカードイラスト出張である。
つまりどういうことかというと、スターライトステージのガチャで出てくるアイドルのSSRイラストに「未央がそのキャラクターと一緒に映っている」というものである。
SSRイラストといえば、そのキャラクターをこれでもかというほど可愛く書いたイラストであり、手に入れたユーザーにとっては宝物にも等しい。
なのにそのイラストに、全く別のキャラクターが出張ってきてるのである。特訓前のみの登場であるが、これに苦言を示した該当キャラの担当Pが本当に多く存在した。
当然文句を言う人らは「未央アンチである」といった扱いをされ蔑まれているが、当人たちの気持ちとしてはたまったものではないのであろう。分からないことも無い。言葉にはしなくとも、内心そう思っているP達はきっと多いことだろう。
さて、ここまで大長文でお送りしてきたが、いかがだっただろうか。
こんな文章を最後まで読んでくれた方がいるのかはわからないが、今自分が考えていたことを文章として残しておきたかったが故の行動である。
最後にもう一度書くが、筆者は未央アンチでは決してない。思っていたこと、考察したことを文章にまとめただけである。勘違いしないでほしい。
冒頭にも書いたが、これら4つの要素は決してそのキャラクターとそのキャラのファン達を幸せにすることは無い。絶対に無い。
溢れかえる今日のキャラクタービジネスコンテンツだが、明らかに「運営による無能行為」によって闇を見るキャラクターが多くなっている。
ここに記載した考察が世に広まり、アニメ・ゲーム業界の方々の目に入り、今後も本田未央のような「人間の悪意」を一身に背負うような不幸なキャラクターが生まれないようにして頂きたい。
是非とも、これらの要素を今後の反省課題として脳内にとどめて置き、新しいキャラを作り、そのキャラクターを育てていく際の糧としてくれることを切に願う。
以上
元増田とは少し考え方が違いますが、選ばれなかった過去という話を明確に打ち出しているので、「あり得たはずのもうひとつの世界」というのは重要な要素だと思います。
原爆で母を失ったヨーコは母の左手を握っていたために助かりましたが、すずさんが「晴美ちゃんのことを左手で引いていたら…」と後悔する際に出てくる映像と重ねることができます。
終盤にあの凄惨な親子のシーンを唐突に挿入する演出も、かなり意図的なものと思います。
もしすずさんが左手で手をつないでいたなら、晴美は助かっていたのかもしれません。
分岐ということで考えるならば、北條周作の求婚以前に水原哲とすずさんが結ばれていたら娘が産まれ、もしかしたら親子は広島で被害を受けたかもしれません。
ヨーコはそうした「ありえたはずのもうひとつの世界」の住人のようにも思えます。
そして、おりんさんという人も、すず=りんという名前から、すずさんのもうひとつのあり得た姿だったのかもと考えられます。
また、もしかしたら兄要一も南洋で生き延びて、ワニのお嫁さんと暮らしていたかもしれません。
それらのあり得た世界が選ばれなかったのは時代や状況のせいで、ただの偶然にすぎません。
無数の可能性から偶然選んだひとつの結果をどう受け止め生きるのか、ということを語った作品なのだと思いました。
そして最後にヨーコという(どこかの世界ですずさんの娘だったかもしれない・もしくは晴美のような)少女がすずさん・周作夫婦と出会います。
昔おりんさんがすずさんから西瓜の赤いところをもらったように、ヨーコはすずさんから海苔巻きをもらって、無数の世界が収束し重なり合います。
このラストは、冒頭で「海苔を巻いた望遠鏡」を覗いて眠ってしまったバケモノ、失くした右手が描いた鬼イチヤンが結んでくれた縁かもしれないね、と考えるととても素敵な結末に思えます。
先に言っておく。
先日、会社の人たち(男3女1)と飲みに行った。
仕事の話なんか各自現状報告をするぐらいで、これといって盛り上がる話でもない。
こればっかりは質問待ちという受け身にならざる負えない。
結局は恋愛経験豊富の人から様々な話を聞き、それに対して各々が意見を言うことに収束してしまう。
たまに自分に話がふられるが、恋愛経験がないことを告げると、そこで話が終わってしまう。
特段のツッコミはなく、再度恋愛経験のある人たちへ話の矢がささる。
恋愛をしたことないというだけで、その会話からは除外されるのだ。
最近、飲み会の場はこのような疎外感を味わうだけなので参加するのがとても辛い。
いったい何が言いたいのか?
閉じた箱の中に、生きた猫一匹と放射性物質、放射性物質からの放射線を検知するセンサースイッチと、スイッチが入ると青酸ガスを放出して猫を即死させる装置が入っている。
量子論っていう、なかなかに難解な物理学の話であり、私のような門外漢の馬鹿に簡単に分かるわけはない。
要点は、我々が認識可能な猫の状態は生か死かいずれかに限られ、排他的なものであり、一方量子論ではその排他であるはずの生死を確率的に重ね合わさったものとして記述するしかない、つまり量子論的記述は我々の認識とは全く矛盾する、というものらしい。
この箱には蓋が付いているところが肝で、観測者は中をいつでも確認できる、ということだ。この蓋を開けて観測する行為を「収束」と呼ぶらしい。
さて、生死が重なった状態などあるはずがない。現実には、生物の生死の境界線を何処に引くかという問題はあるが、それは境界線問題であるに過ぎず、生死の定義をしさえすれば、猫の生死は必ず一方に決まる。
しかし、量子論上では収束しない限り、箱の中の猫の生死はあくまでも確率的に重なり合った状態なのである。蓋を開けて観測すると絶対に生死のいずれか一方の状態であり、蓋を開けなければ生死が重なり合った状態?????
これをもう少し深く理解するには、難しいシュレディンガー方程式は無理としても、量子論をきちんと入門から勉強すべきなのだろう。
名前は何にしよう?
そうだね。で、原因は色々あるよね。
・逆に「大御所」を大事にしすぎている、あるいは頼らざるを得ないギョーカイの体質
・「大御所」を引っ込めることも「若手」を引き出すこともできない、大手プロダクションや芸能事務所の無能(無能、というのは言い過ぎだと思うけど、適切な言葉が思いつかない)
・etc...
まあキュレーションメディアがテレビからネットに移行するのは上に挙げた原因とかでもう避けられないと思うし、
テレビ局もテレビギョーカイもネットに適応しつつあるし、30~40年くらい先には、そのまま収束、って形になるのかなと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20161106195215
そうそう、基本的に人口問題といえば人口爆発問題だった。で、実際、世界的にはその問題は収束してなくて、日本だけなんね、いま人口減少を問題にしてるのは。
で、結局は総数の問題じゃなくて、バランスの問題。高齢者ばっかり増えるから問題なんで。それを、「人口減少」にすり替えてる連中の真の意図は別のとこにあるわけでね。
人口のバランスが崩れたのは、元をたどれば昭和の戦争でしょ。あれで特定の年代がごそっと減って、その反動で特定の年代がどっと増えて、それが若い頃には若くて使いやすい労働力がいくらでもあって、その年代が高齢化してるってだけの話。それを一般化されてもなあって感じ。
Hulu は最近国内テレビの見逃し向けオンデマンド番組みたいなのばかり増えて映画のラインアップがよろしくない。
Netflix は北米本家に比べて映画・テレビ番組のラインアップ数が少なすぎるうえに VPN 使っても北米本家の番組が見られなくなってしまった。
Amazon Prime もだいたい Netflix といっしょで、"Man in the high castle" とか面白そうなものが沢山あっても amazon.co.jp では見られないものばかり。
総じて値段に見合わないから自分が見たいものを見たい時に金払って見るという明確なスタイルに収束する。
http://d.hatena.ne.jp/essa/20161029/p1
・短期的な、この件単体については、このまま出場停止期間を終える可能性が高いのじゃないかと。
金属探知導入、内部に収束、週刊誌の影響を抑える…恐らく竜王にとって想定した状況をすでに回避した後のように思いますので。
・将棋ソフトの開発者の方々は、大会前の最後のチューニングは評価関数の作りこみになるため、
「パラメータを変更」「変更前後で数千局ほど自己対戦」「有意な差があればパラメータを新バージョンで更新」
をずっと繰り返すのがかなりきついという話をしていて、そのとき少しだけ、「この部分は自動化できないのかな」と思いました。
ボナンザや技巧でいわれたようなメソッドの変化、駒関係などでの新たなパラメータ導入でない部分で、「将棋ソフトが強くなることを自動化できてしまう」可能性です。
またこの自己対戦は勝率以外は確認しないので、開発者にも大会のときくらいしかアウトプットされた将棋は見られないそうです。(それが最適なので。)
アウトプットされたその大会の将棋は、プロ棋士がこういう意味の手ですとリアルタイムで視聴者に解説している。
・将棋ソフトの大会で面白かったのは、逆転が起こる局では2つのソフトの評価関数で「両方とも有利だと判断している」という状況があって
そのときに「説得できた」「反省させられた」という言葉が使われていたことです。
一つの局面をお互い有利だと読んでいて、でも進んでいくと片方がやっぱりこれは不利だったと「説得されて」「反省する」。
勝ち負けと呼んでないのですね。すごい S・F・感 があった。
・「竜王」と呼ばれて通っているのは考えてみたらすごい話で、ドラクエの世界ですよね。
でも竜王の写真をみたら、「竜王だ」と思いますし。それを社会のある領域が認めている。
人の営みの中で、将棋のようなパズルが最も強いことは価値がずっとあって、その「理の際」についた言葉が「名人」だと思います。
「竜王」は名人に伍する新たな名として考えられたそうで。将棋の駒は戦にある人や人の乗り物で、でも「竜」だけは人の枠外にある。
ソフト連携の疑いを持った局をほぼ再現した上で、新規の手順で上回った竜王戦第一局は、プロ棋士がソフト将棋を取り込んでいく一つの形として凄みを感じました。
理の外でも、そういうものがある、と知った時点でどうしようもなく理の内側になっていく。
・「棋譜や読み筋からソフトサポートを受けたか推定」したそうですけど、ソフトとの一致はあくまで補助の話で、
「棋士単体」と「棋士+ソフトサポート」 の間での棋力推定をしたように見えて…。会心の一局で説明できるか、特定局だけ強くなったとしか思えないか。
しかし将棋をして相手を「アマ二段くらい」というにはアマ二段の実力では無理ですよね? 今回疑いをもたれた棋士の方はここ数年レーティングでおよそ10~20位。
そのような人の実力の幅を把握し、棋譜の実力を推定して比較し、「説明がつきにくい。確定ではない。」という計測ができるのが、世の中に 3,4人しかいなかった…?。
現役棋士の80%以上の人には説明できないわけで、合意を形成できるはずが無い気がします…。一致率、離席のタイミングは説明できますが。
0.999…が1と等しい事がわからん中学生がいる、っていう増田のエントリ[1]があって、
それに対してわっと氏が「等しいのは公理だから」って返答[2]している。
[1] http://anond.hatelabo.jp/20161024040352
[2] http://watto.hatenablog.com/entry/2016/10/25/133000
ちなみに私は[1]の増田とは別人。
わっと氏の主張のどこが間違っているか述べる前に、
じゃぁ、0.999…=1となる本当の理由は何か、というのを先に書いておく。
そもそもなんとなくごまかして「0.999…」と書くことで9が無限に続いている事を表現しているが、
実際には人間の有限の寿命で無限個の数字を書けるわけもない(ヒルベルトの「有限の立場」)。
なんで、実際には有限個数であるn個の9を書いて、そのnをどんどん大きくしているのである。
で、nを大きくするたびに、0.999…が1に近づくというのが、「0.999…=1」の正しい数学的意味である。
高校数学をわかってる人向けに書くと、ようするにnを無限大に飛ばしたときの極限を考えているわけ。
で、わっと氏の何が間違っているのか。
おめー、0.999…=1が実数体の公理だってんなら、有理数体や複素数体の上では「0.999…=1」は
成り立たないってのか!?
当然そんなわけない。
つまり実数体の公理の中でもっとも重要な公理であるデデキントの切断公理が満たされないケース(有理数体)や
順序の公理が満たされないケース(複素数体)でも「0.999…=1」は成り立っているわけで、
「0.999…=1は実数体の公理」という主張はおかしい(注)。
じゃぁ何が重要なのか。
答えは実数体の「距離構造」である(更に弱く「位相構造」でも良い)。
先に極限の話をしたとき、0.999…の桁数nを大きくすると、1に「近づく」って述べた。
「近づく」ってのは「距離が小さくなる」ってことなんで、距離が関係しているわけだ。
わっと氏が触れているε-N0式の極限の定義でも、
0.999…は1に近づくとは限らない。
d(x,y) = 0 if x=y
d(x,y) = 1 if x≠y
0.999…は1に収束しない。
(注)もちろん、実数に関する性質を導くには必ず実数の公理を使うわけだから、
そういう意味では「0.999…=1」の証明に実数の公理を使うことにはなるんだけど、
そんなこと言い出したら「πは超越数」とか「5次方程式は解の公式を持たない」とか
実数に関する全ての定理は実数の公理を使っていることになるでしょ。
★追記
わっと氏の新しい記事を見て、わっと氏が何を勘違いしているのかわかった。
例えば
0.123456789101112131415....
という小数を考えたとき、この小数の桁数を無限に飛ばした極限の
実数(チャンパーノウン定数)が存在する事を示すには切断公理が必要となる。
しかし0.999...の場合は収束先の実数である1が存在することは
新記事の「これはデデキントを遠目で見てます」という記述を見る限り、
わっと氏は無限絡みで実数直線を2つにぶった切るときは常に切断公理が
必要になると思っているようだが、これは正しくない。
上述したようにこのケースはデデキント切断公理は必要ではないので。
デデキント切断公理は「実数直線を2つにぶった切るとどちらかに必ず端点が
今回はモアイ
流して読んでいたら分かりにくいが、読み返してみたら何となく分かった。
もちろん、それはストーカー行為の一環だったわけだが、結果として功を奏しているわけね。
自分がストーカーをしていることがバレたくないのと、ストーカー相手を警察に突き出したくないのと、爆弾犯ではない潔白を証明したいという葛藤などを考えれば、作中の主人公の言動にも納得がいく。
まあ、最後のオチからすると恐らくその後の展開は、主人公含めて全員がそれぞれ罪に問われることになりそうだ。
特に間の取り方や、セリフややり取りのチョイス、それらのリズムは好み。
ただ絵が、特に人物の表情が固いのと、ちゃんと読んでいないとストーリーを理解しにくい構成なのが難点かなあ。
短いページ数の中で、見せたいものを最低限表現できているストーリー構成なのがいいね。
ただ、必然的な短さではないと思った。
キャラの人格を読み取る背景とか作中でのやり取りとか、そこに至るまでの言動を読者に伝える描写がないから、出来事だけ描かれてもピンとこないんだよね。
おー、タイトルに偽りなしと感じた。
格闘シーンもそうだが、物語やテーマもキャットファイトに収束していて、高い構成力があると思う。
画力は上手いと言い切れるものではないんだけれども、安定感のなさや野暮ったさがかえってキャットファイトの妙さを滲ませている。
それでもイマイチ絶賛する気が起きないのは、単に私の趣味じゃないからなのか、言語化できないだけで致命的な欠点があるからなのか。
作中の相互に作用する独特の関係性や、それに伴う嗜好や劣情といったものがテーマなのかね。
WEBコミックを中心に色々と読み漁っている私からすれば、このレベルの変態的な描写は凡庸の範疇だと思ってしまうなあ。
ただ、逆に言えばこれ以上やると読者の大半は引いてしまって物語を追う所ではなくなるかもしれないから、これくらいが丁度いいのかもしれないね。
読者が理解しにくいであろう箇所に関しては登場人物に心情を吐露させることで、付いていきやすいようにしていて、配慮しているんだろうなあ。
構想の時点で目をひくが、それを通じて心理描写をちゃんと展開させているのは好感持てる。
その上で起承転結ちゃんと描いているから、読後感では今回の新人賞の中では一番かなあ。
そこが美麗にかつ圧巻に描かれてこそ、テーマに漂う歪さを表現しきれると思うので。
丁寧というか、真面目というか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/spotlight-media.jp/article/332136371516457023
「女性目線で見る「巨乳VS貧乳」それぞれのオッパイの利点~」
これに対して、ブコメで女子だけじゃなくて男子もいろいろ、コメントをしている。
そのコメントについて、ちょっと思うところがあるので、書きました。
===
>スマホは本当に楽に綺麗に拭けるんだよ……/ところで汚い言葉使うけど、これそれぞれの利点を挙げたもので個々人の嗜好を問うものではないので男性諸氏が勝ち負け付けてるのマジうざいです。性的魅力の話ではない。
===
ほんとこれ。ほんとこれなんよ。
元記事は女同士で「あるある」話をしているだけで楽しいのだけど
なぜ、突然横から入ってきて
こっちが圧勝だの
勝つの負けるの
・・・当然のように「男にとっての性的魅力」の話に収束させる(また、そう語られるのが当然とする)人々が、ちょこちょこ、けっこう、いるのか。
いや、ついしちゃうのはわかる。楽しいのもわかる、男子がおっぱいの話して楽しいのは、そらそうだ。
でもこれちゃうねん。大きいとこうだよー小さいとこうだよーって
===
>貧乳の人の絵が泣いてる時点で貧乳の方は巨乳のネタありきの自虐ネタなわけじゃん。そこに「性的魅力の話ではない!」とかドヤ顔されてもですねぇ・・・。
「胸がある方がカッコよく見える服が着れない…」「赤ちゃんできたとき授乳どうなるの・・・」というような貧乳悩みもあるわけで、
実は女子は男子が思ってるほど胸を「男性に向けた性的魅力をもったコンテンツ」とは考えていないと思います。
これね、ただの自分の体なんです。男性向けコンテンツ、じゃないんです。
===
例えば、私は胸が小さくて、また自分でも「ない方がいい」と思っていて、
(細身が合う服が好き&いろいろらくちん等)
たいへん快適に、しあわせに、過ごしている。
なので、自分の身体としては「ない」方が圧勝(?)なのだけど・・・
なんか突然「性的な魅力」のモノサシを持って入られて
胸のない女は、可哀想、魅力がない、つらい
・・・って、なんじゃ。なんなんだこれ。
戸惑うし、貶められて、腹もたつ。
(昔この手のこと対面で言われたこともあった・・・
男的には多少太ってるくらいがいいのになんで女ってダイエットすんの・・・
って、そりゃその肉体が男のためだけに存在しているわけではないからですよ!?)
よい例えじゃないかもしれないけど、これ、こんな感じじゃないかと思うんです。
といろんな職の人がいて、うちはココいい、うちはこうだね
って話をしているところに突然
「年収」のモノサシを持った女が入ってきて
って突然言い始めるのと同じだと思うんですよ。
ってなんないですか。
そんなかんじでは、ないでしょうか・・・
そう、女子の見た目の序列話をついつい無邪気に批評しちゃう男子は
えーそういう女やだ・・・!って思ったら、やめよう!
えーみんなそうやってるし、楽しいからする!っていうなら、知らない!
おわり
(俺はおっきいのが好きです!とか、でいいのにね!なんで勝ち負けにするんだろね!)
(評価遊びしたいなら、せめて同性しかいない酒の席でとかね!)
(でも私はこういうのいやだーーと思うから、どこであっても、しない!!)
――
長谷川豊による「自業自得の透析患者は殺せ!」との一連の言説からの炎上が、
イケハヤのエントリが提示した「あるべき倫理観」によって収束解消されてってる気がする。
けど、あんな御為ごかしで溜飲下げてる阿呆は運動と瞑想と睡眠と野菜とPCの電源落とした後にモニタ映る怪物との対峙が足りない。恐ろしい恐ろしい。げに恐ろしきは人の心。ああ今はスマホか知らん。靄靄するので書き出す。
長谷川の繰言もイケハヤの戯言も個人の責任論に終始している。本来いま議論し深めるべきは、来るべき苛烈な負債処理社会に向かう再分配制度の再設計、人命尊重至上主義からのその基盤となる思想、そのパラダイムにシフトする方策なのだろう。一連の話は関連するがまずはさておき。
それにこの文章は腐れトマトの与太の与太っぷり、味わい深さについて口上を述べるなんていう霊媒師の譫言だ。
――
” いやいや、そりゃあ、卑怯者はいるでしょう。当たり前です。この世から犯罪はなくなりません。”
まず、犯罪者と卑怯者は違う。これ混同すんのは真の与太者の思想だ。
元エントリを要約する。
~~
卑怯者はいる。けれど、「その人が弱者であるかどうか、卑怯者であるかどうか」は判断できない(他人からも自分からでも、)
だから、人々の倫理観を高めるべき。それは他者に対する疑念を捨て、他者を信頼すること。
「大半の人は正しく行動している」と信じることで、自分自身も正しい行動を取るようになる。
「みんなズルをしている」と考えている人は、当然ズルをしたくなる。
だから、ぼくらはまず、信じなければならない。
不正をする人がいても、ほとんどの人はそれを正しく、望ましく利用している、のだと。
~~
自分でも他人からでもその人=自分が卑怯者かどうか判断できないっていう考え方ね。
「その人」とは「自分」と交換可能じゃなければまずおかしい。ここでもう自分だけ特別なのか?
・自分からも他人からもその人または自分が×か○か判断できない、
もしくは、
・自分からも他人からも、その人または自分は×あるいは?、/じゃなければ○。
間違っているかどうかはわからないのに、正しいかどうかだけはわかる。現代詩かよ。
で、この「大半の人は正しく行動している」の「正しさらしさ;正しさみ」を判断している主体は誰?
これは、「大半の人は“ボクにとって正しいと思える”行動をしている」という程度の意味だ。
あるいは「みんなは、ボクから見て正しいと思える行動をしているなあ」って、阿が取れたら呆者だ。
ボクにとって正しいと思える行動をみんながしていると信じるならば、ボクにとって正しいと思える行動を取ることは容易い。
ボクにとってズルと思える行動をみんながしていると信じるならば、ボクにとってズルをするのは容易い。
お前はどこからどのようにその価値判断基準を得てきたんだよ。社会から、自分なりに、だろ。
だから大体において自分は正しいわけだ。なのに、差異があり、衝突もある。おかしいな、自分は正しいはずなのに。当たり前だ。みんな自分なりに様々な文化社会から得てるんだから。
みんな違うのです。なので絶対的な正しさはないのです、だから「自分からも他人からも価値判断されるものではないです」などと言うのは誤りだ。それは社会上、相対的に決まる。たとえば法律がある。人がどう思うかによる。
(アプリオリかどうかとかは知らん。;
このひとつの人間の心理、思考回路は、拙筆にも矛盾なく親しく感じられる。私はこの心理を、日常生活においてはあなたや、誰にとっても矛盾なく親しく感じられるものと思っているが、厳密には誰かにとって矛盾なく親しく感じられない可能性があることは理解している。)
――
たとえ、「ボクにとってさえ本当はズルいと思える行動」があっても、他人によってそれがズルかどうか判断される意味はなくなる。
また、ボクに良いこと・自然なことと思えることこそ、他人にとっても良いこと・自然なことだと思えるようにならざるを得ない。
――
ここで正しいとか間違ってるとかいうのは、人間社会での価値の判断だ。それは単純な話、みんなが間違ってるって言ってれば社会通念上の間違いだし、みんなが正しいって言ってれば社会通念上正しいってだけの話だ。
自分にとってどんなに正しいと主張しても、その社会において認められなければ間違いとされるし、自分にとってどんなに間違ったことだと主張しても、その社会において認められなければそれは正しいとされる。Xはなんでも良い。論理の式が真理なだけだ。
自分の価値判断は自由だし誰にも侵されない。考えてるだけなら自由だ。でも、文章をはじめ、行為にしたとたんに何らかの、他者からの評価、価値判断は免れ得ない。
――
懸命な諸氏にあられては既にお気づきのように、紐解けばこれまでの、逃亡トマト師への批判と齟齬ないだろ。で、お前らも揃いも揃ってサイコパスか。って言いたいためだけに書いてる。
――
ほとんどの人が「それ」を、自分にとって正しく、自分にとって望ましく利用しているはずだ。
自分にとって正しくなく、自分にとって望ましくない「それ」の利用が不正と思えるだけだ。
たとえば「それ」がなされなければ死ぬというとき、「それ」が自分にとって正しくないことだ、なんて言えるだろうか。
現に制度が整備され、第三者によって利用が認められ、「それ」なしでは自己保存本能が侵されるときに、「それ」を断てるだろうか。
そこに「卑怯者」はいない。社会通念上の価値判断を外してただ個人の生存から見るならば。
そうなったらみんな同じだよねと。
どんなイメージを持つかは自由だけど、基本的にはただ待ってるだけで自分の存在が脅かされるときに、何もしないで待っていられるのは、そりゃ馬鹿か釈迦か瞑想のし過ぎのどれかor全部だ。
誰もがみな生きることに必死だ。必死で生きてるんだから。必死なのに生きずにはいられないんだから。
死にたくないんだ、より生きたいんだ、卑怯もクソもあるかよ。使えるカードはみんな使うよ。
要するに生存競争なんだからと。それを敷衍してけば、バレなきゃなんでもアリだ。捕まらなきゃいいんだ。バレてもゴリ押せば勝ちだ。大義名分の下に持てる力全て使ってこの先生きのこるんだと。
だから、誰かに対して、あなた方だけはどうぞご遠慮くださいなんて言い出す奴は、お前こそ御免下さいだとよと焚べられるのも当然の流れで。
じゃあどうするのか?爺婆が自分で自分を火に焚べるのをまだかなまだかなって夕ご飯よろしく待つか。あるいはカタワらもまとめて誰かが知らぬまに処理してくれるのを見て見ぬふりするか。とりあえずどう考えても自業自得っぽい麻薬中毒者はガンガン殺してもいいかな。もちろん人殺しはどんどん死刑にしよう。「私達」が安心して生きられるようになるまで、どんどん減らそう。
ね、だいたいそんな感じで人類は衰退するんじゃないかな。トランプが勝って、核もまだいっぱいあるし。おそらくそのほうが最適なのかもね、地球全体にとっても。
自分で自分を制御できないんだから、AIに操作してもらい、バランス取ってもらうのが最後の頼みの綱ではあるよね。環境に適応して増殖し始めちゃって自分達では止められないんだもん。ライフゲームよろしく、絶妙なバランスを、自分たちの手だけで構築できるなら良いけど、どうやら無理っぽいし。ホーキング博士やイーロン・マスクが恐れてるのってそういうことだと思うけど、もうそれ以外に方法がない。自分だけ助かる方法なんてないし、結局みんな死ぬんだから、まあ、それでいいんじゃないかな。
「被害妄想っていうけど、実際どの企業でも自主退社に追い込むための異動は日常茶飯的に行われている。
↓
そっくりそのまま返す。
可能性というなら、自主退社狙いの異動だ、なんて断定的な言い方する必要がそもそもないわけで、
当然善意で異動して適性の無い社員を仕事のプレッシャーから守るためにわざわざイチから仕事教え直すコストを会社が負担した可能性もあるわけなんだから。
最初に根拠のない決めつけで可能性を収束させようとしてるのはそっちの勝手と憶測でしょ。
あと近鉄がブラックならこんな回りくどいことせずにちょっと時間使ってでもそのまま解雇にもっていくから。
陰謀論とか大好きなのかな。
取りあえずこの話は該当する運転手が退職してからでしか広げようのない話だから最初から除外しておけよ。
軽い記憶喪失か。海馬やべーぞ。酒の飲み過ぎは人生を破壊する。
「あとな、運転手で居続けろなんて増田の誰も言ってないんだが。ちゃんと理解出来てる?処分の仕方と発表の仕方が労働者に優しくないよな、って話だ。別に企業は労働者に優しくしなきゃいけないって事もないんだが、いざとなったら切り捨てるんだな、っていう感は否めないよなって話だわ。恫喝したクレーマーが何を言ったのかハッキリしてないんだからな。」
↓
いやだから企業の対応はこの上なく優しい処分の仕方、少なくとも現時点においては、なんだがこれの説明十分してると思うんだけど、マジで何が理解するうえで足りてないのかな?
会社側からみても運転手側からみても第三者視点でもこの上なくベストな対応にしか思えないんだけど。
たぶん関係者各位のそれぞれ置かれる立場のシチュエーションと問題解決に必要となる要所がそれぞれ理解できてなくて感情論でしか判断できなくなってるからなんだろうけど。
「会社」「運転手」「その他従業員」でそれぞれ落ち着いて感情移入してシミュレートしてみた方がいいよ。
部外者視点のままだからいつまで経っても理解できないんだと思う。
あなたの置かれている境遇と彼らの境遇はリンクしてないからね?
ちゃんと前提条件をそれぞれ切り替えて、その後統括して最善策を考えるってプロセスちゃんとしてる?
面倒がらずにしようね。まずそこからだよね。
「お前やお前の周りが言ってる事はわかるし理解できるが、職場に恵まれてる奴らだけなんだな、という見解も捨てられんな。
鉄道会社なんてブラックだぜ?マジで。(元鉄道会社勤務の増田より)」
↓
今は恵まれてるけど、普通に下積み時代は家帰って千切りキャベツにソースかけてオカズにして食う電気勿体ないから早めに寝て朝起きて勉強して会社行く生活を2年間送るとかしてきたからね?
それも結局、ポストに値する人間になるために必要なステータスを得るための投資だったし、
もし上手くいかなかったら諦めなければいけないという腹積もりも当然できてたから、集中することができた2年間だった。
鉄道会社がブラック環境なのは既に勤務形態が世に出回る前からそれなりに業界として知られているし、
就職する前にどういった職業なのか予め調べておかなかったのは個人の責任というまでもなく完全に自由の話。
その中で恵まれた職場を自由に選んで能力に見合った席に座ってるだけの話。
これにとやかく文句言われる筋合いはないし、分不相応の席に座ってしまったことのほうが異常だからそっちを矯正するべきじゃないの?
能力の無い人間に無理に仕事させるほうが十分ブラックだと思うんだけど。
この運転手を追い込んで自殺すればホワイト会社なの?俺にはもう何が白で何が黒なのか分からなくなってきた。
お前は世の中をどういう物差しで測ってるんだ。
申し訳ないけど、ブラックブラック、世の中の会社は全てブラックにしか見えない、
会社も今のご時世、人材確保のために多少気を使った方がコスト安ってことは分かり切ってるし、
金掛けて運転手で雇った社員を問題を起こしたからといって即ポイ捨てしてたら利益に繋がらないのよ。
いくらブラックといっても利益率を上げたいから人件費を減らすため使ってるのではなくて、
人材が集まらんから分業できなくなってるんだよ、人口が少ないの特に鉄道は。それが根本的な問題。
子どもの希望者を増やすために私鉄・JR問わず色々やってるから。
ちゃんと伝わるのかこれ?
http://synodos.jp/fukkou/17814
あなたの思う福島はどんな福島ですか?――ニセ科学とデマの検証に向けて
ブコメと一緒に読んでみた
#反福島のデマをばらまいた奴らは万死に値すると改めて思った。
#情報が錯綜していた事故直後はいざしらず,ある程度落ち着いた#2011年5月頃を過ぎてもデタラメを吐き続けた人間が,反省もせずのうのうとしているのを見ると怒りを感じる
確かに読んでみれば分かるけど、
#たとえば、2011年7月に発売された週刊現代では「残酷すぎる結末 20年後のニッポン がん 奇形 奇病 知能低下」とのタイトルで特集を掲載し、低線量被曝によってガンや白血病の発症率増加、新生児の先天性異常率増加などの危険性があると主張しました。
みたいにまぁ、ひどいもんではある
でも、これって極端な例だと承知してもらいたい
反原発派の中には、ある意味放射能の恐怖に妄執的に囚われとる人もいるんだろう
実際に、放射線量的には問題ないなんて政府から発表されてるのも知っとるが、結局当時は防げずにメルトダウンまで引き起こして、今更不手際をちょぼちょぼ認めてるような狡い真似をするような連中の言うことを一から十まで聞いて安心しろと言われる方が無理な話だ
流石に電力会社も福島原発の惨状を受けて全く対策を取ってないとは思わない
でもな、
#http://www.asahi.com/sp/articles/ASJ807DWVJ80ULBJ017.html
初めて原発を爆発させた時に「想定外」なんて言葉を使った時点で、もう信用度はゼロなのよ
対策とってまた事故られても、彼らはまた、「想定外」って言葉を使うだろう
まあ、話題が逸れたが、最初に挙げた記事のブコメで、反原発派を宗教やら話が通じないやらと、反原発派を一般化して語る輩が居たからな愚痴らせてもらった
ナコルル問題で急に有名になったtwitterer、kotnei
togetterをみるとアイヌ関連で攻撃的なまとめを何個も作り、軋轢を生んでいる人物であることがわかる
このような人格はなぜ形成されたのか、2011年から始まる彼のつぶやきを概観することで調査してみた
twitterを始めた当初、kotneiの会話の中身は他愛のない趣味のカメラの内容ばかりであった。
変節が始まるのが2013年前半あたり。金明秀や李信恵といったいわゆるしばき隊人脈との会話が増えていく
金明秀 KIM, Myungsooさんへの返信
@han_org 質問させてください。ここでの同化主義と排外主義は対立する概念なんですか。それとも,一人の人がその両者を同時に持つことはあるのでしょうか。
そのきっかけはtwitterだけではわからないが、朝鮮生まれ満州育ちの母や鶴橋で育ったという彼のルーツが影響を与えていることが推測される
ネトウヨにならなかった理由を@rinda0818 さんが聞いていましたが,育った地域の環境に加えて,朝鮮生まれ満州育ちの母の影響はかなり大きかったのではないかと思います。
ここまでは韓国・朝鮮関連とのかかわりが多く、アイヌに関するツィートはごくわずかだったのだが、
札幌市議によるヘイトスピーチ。 RT "@kaneko_yasuyuki: @IcloudBurabu アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理。納税者に説明できません。"
転機は金子快之市議が「アイヌはもういない」発言で除名された騒動のあたり
ちょうどこの頃、小林よしのりがアイヌを標的にしだした時期であることから、敵の敵は味方とばかりにアイヌ関連の話に入り込むことになったのだろう
そもそも、彼は現在北海道在住なのでアイヌ問題を話題にしやすかったものと思われる
本来ならば必要のないことですが,カエルの粘着があまりにも酷いので,私の生い立ちについて説明しておきます。私は四国生まれの日本人の父と植民地時代の朝鮮生まれの日本人の母との間に生まれた日本人であり,在日コリアンではありません。高校までは大阪で育ち,その後北海道に住んでいます。
ここまでの流れでわかるとおり、kotneiの激しい攻撃性は、しばき隊の行動理念に根底がある
ここ数年は周辺のアイヌ人twittererにも悪癖がうつっている傾向があり、頭の痛いところだ。
[追記]
表現規制賛成派なんでしばき隊と相性はよさそうだったけど、北海道関係ないよね
[追記の2]
togetterの騒動は、どうやら両陣営お互いしか書き込めないまとめを作って収束したようでよかった。
このまとめを作った意味は、本来対立するべきでないオタクとアイヌの対立を避けるために、攻撃対象を正しくしばき隊に向けることにあったんだけど
オタ陣営も「アイヌ警察」「アイヌ自警団」なる単語を作って切断処理を進めてくれたのでありがたかった
kotneiおじさんも普段の相手とはまるで物量が違う相手が現れてさぞ疲れただろう、しばらく頭冷やしてくれればいいが、、、
今しばき隊の影響下に置かれているtwitterアイヌも、今のしばき隊の内ゲバぶりが顕在化するにつれ
いずれ元の穏やかな書き込みの人たちに戻るだろう
その際には快く迎えたい
ただ、本来は小林よしのり辺りがアイヌに噛みついた時点でしばき隊以外のもっとまともな面々が支えるべきだった
このために一時でもこんなに溝が深まったのが悔やまれる
[追記の3]
kotnei、今度は城娘に噛み付いてまた火だるまになっとる。いい加減学習しないか。
それはそうと、今度はオタク側が金子快之や砂澤陣の記事・著作を参照にし始めた。
こいつの中身を信じるのは良くない。
kotneiやマークウィンチェスターがしばき隊に取り込まれたアイヌ警察なら、
金子快之や砂澤陣は小林よしのりに取り込まれた反アイヌ論者。いうなれば鏡の存在。
オタはこういうのに入れ込むのは良くないし、
なにより彼らの論法どおりアイヌ民族の存在が否定されたら、困るのはオタク趣味を持っているアイヌだ。
観測者である自分を量子論から除外してる方がオカルトでしょうが。
ミクロだけでなくマクロにおいても作用されていると考えるのが今の主流科学だから。
シュレディンガーの猫は実在・非実在のゆらぎにあるのは猫だけでなく観測者である自分自身も含まれていることくらい知ってるんだよな。
なら観測者自身も見ている自分と見ていない自分の存在・非存在に分岐されているのに
結果が集約した後はどちらかしか存在しないのはどこで決まったと思う?
ランダムはランダムでしかないんじゃなくてそこに観測者の存在が介在するからこそ結果が1つしか得られなくなる=観測者も参加型の選択権を所持しているってこと。
4人に1人「本気で自殺したい」 日本財団が4万人調査:朝日新聞デジタル
※前提として私はアイナナファンです。ついでにうたプリファンでもあります。
あとすごく長いです。
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ここ何日か主にTwitterでアイドリッシュセブン(以下アイナナ)について色々起きています。
私個人としては一言で言うと「 ('A`)メンドクセ」な気分です。
まあそれは別として、騒がれ始めてから「愚痴垢」「問題提起垢」というようなTwitterアカウントが見られるようになりました。
それらを作った人は「元ファン」だったり「ラレとされるもののファン」だったり色々です。
最初の方こそ、「このカードのポーズや構図はおかしくないか?」「キャラの設定・デザインのかぶりはどうなのか」などの意見が多かったですが、だんだんおかしくなっていきました。
こじつけとも言える重なり判定、こちらでは知りえないことをあたかも事実であるかのように拡散する…
そしてとうとうその「おかしさ」はファンに向けられるようになりました。
「アイナナという作品を好きであるということは悪」という文言を正義に「ただ楽しんでいるファン」を攻撃するようになりました。
些細なことを大げさにとらえて晒す、レイヤーさんだったら容姿を貶す、反論されれば「アイナナが好きなことが悪い」。
これ、ただのいじめではありませんか?
そんな様子を見ていて、とある声優さんのことを思い出しました。
寺島拓篤さんです。
寺島さんは2010年にXbox360用ソフト「THE IDOLM@STER 2」に「天ヶ瀬冬馬」役として出演する事が決まった時、アイマス界隈は荒れました。荒れたところがお葬式でした。
寺島さん自体はラジオ出演時に謙虚(こうなるのもおかしいのですが)だったこともあり、どちらかというと同情的に思われていましたが冬馬をはじめとするジュピターのメンバーは散々に叩かれました。
「ジュピター コラ」と検索するとわかるかもしれませんが酷い画像が溢れ、「男なんていらない」と言われ…
寺島さんが「魅力を最大限引き出せるように気を配った」冬馬は傷付けられました。
すべては「大好きなアイマスを、アイドルを守る」といった間違った正義の犠牲になったのです。
http://blog.livedoor.jp/terashimatakuma/archives/1532466.html
寺島さんの発表当時のブログです。ものすごく言葉を選んで書いています。
時が経ち、ジュピターたちは思われていたようなキャラクターではなかったことと曲の高評価もありかつてのファンたちも受け入れ(去った人も少なくないでしょうが。これとは別の問題も合ったので)、アニメから現在はSideMで活躍しています。
そしてもう一つ。2012年にあった「ココロコネクトドッキリ企画炎上騒動」。
ココロコネクトドッキリ企画炎上騒動 - http://dic.nicovideo.jp/id/4954228
経緯は長いので上のページを参照してほしいのですが簡単にいうと声優・市来光弘さんへのドッキリ企画を発端とした炎上騒動です。
この騒動で一番に叩かれたのは企画者であるプロデューサーでしたが、同じように批判の矢面に立たされたのは寺島さんでした。
市来さんと仲が良かったこと、ドッキリ映像のナレーションやラジオのパーソナリティーを務めていたことで一番目立つポジションにいたことが原因かと思われます。
今は消されていますが、まとめWikiにプロデューサーと同じようにページを作られ今回の騒動とはまったく関係のない言動が取り上げられてそれすらも炎上のネタとされました。
「好きだったのに失望した」「もう作品も見ないし買わないしラジオも聴きません」寺島さんに対してこんな意見が沢山見られました。
後に公式や声優さんたちがコメントしたことで次第に収束していきましたが、今現在でも「イジメコネクト」などと言って話題にする人がいるなど決して綺麗には終わりませんでした。
長々と書いていきましたが、この2つの騒動今回のアイナナの件に似ていませんか?
人が「正義」を武器に徹底的に叩く。泣いたって怒ったって知らない。だってこっちは正義だから。
失望したり、嫌いになったりしても構いません。それを思うのは自由です。誰も止めません。
私だって嫌いなものたくさんあります。それでもそれを誰かに強要したり、そうでない人を攻撃しません。
普通の人はみんなそうだと思いたいです。
間違った正義を手に叩いている人。今一度考えてみてくれませんか。本当に自分がやっていることは正しいのかと。
中の人を盾にするのかと言われそうですが、寺島さんはきっとあなたたちみたいな人を許しませんよ。
かつて自分を傷付けた人たちに似ているを大事に思ってくれると思いますか。
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思うがままに書いてしまったので誤字や表現に変なところがあるかもしれませんが、あえて推敲せずに載せます。
私から公式に望むのは「お騒がせしてしまって申し訳ありません」くらいの言葉です。
これからもアイナナを愛していきたいです。