はてなキーワード: 上原とは
選手名 | 年齢 | 防御率 | 試合 | 勝利 | 敗北 | 投球回 | 自責点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
西村 天裕 | 26歳 | 0.00 | 12 | 1 | 0 | 19.1 | 0 |
村田 透 | 34歳 | 3.00 | 7 | 0 | 2 | 18.0 | 6 |
吉田 侑樹 | 25歳 | 3.26 | 20 | 4 | 3 | 80.0 | 29 |
北浦 竜次 | 19歳 | 3.38 | 19 | 3 | 5 | 88.0 | 33 |
斎藤 佑樹 | 31歳 | 3.49 | 18 | 4 | 2 | 38.2 | 15 |
井口 和朋 | 25歳 | 3.66 | 25 | 1 | 2 | 32.0 | 13 |
上原 健太 | 25歳 | 3.72 | 11 | 2 | 1 | 46.0 | 19 |
鈴木 遼太郎 | 23歳 | 3.81 | 27 | 4 | 4 | 54.1 | 23 |
生田目 翼 | 24歳 | 3.88 | 20 | 4 | 4 | 65.0 | 28 |
藤岡 貴裕 | 30歳 | 3.91 | 17 | 2 | 2 | 25.1 | 11 |
立田 将太 | 23歳 | 3.99 | 53 | 4 | 3 | 67.2 | 30 |
吉田 輝星 | 18歳 | 4.35 | 18 | 2 | 6 | 62.0 | 30 |
田中 豊樹 | 26歳 | 4.60 | 31 | 4 | 3 | 31.1 | 16 |
宮台 康平 | 24歳 | 4.60 | 17 | 4 | 3 | 62.2 | 32 |
中村 勝 | 28歳 | 4.73 | 18 | 0 | 6 | 78.0 | 41 |
吉川 光夫 | 31歳 | 4.76 | 7 | 0 | 1 | 17.0 | 9 |
福田 俊 | 23歳 | 4.90 | 51 | 2 | 4 | 68.0 | 37 |
バーベイト | 27歳 | 5.50 | 18 | 1 | 3 | 34.1 | 21 |
田中 瑛斗 | 20歳 | 5.85 | 18 | 0 | 11 | 84.2 | 55 |
高山 優希 | 21歳 | 6.25 | 30 | 2 | 2 | 31.2 | 22 |
浦野 博司 | 30歳 | 6.62 | 15 | 1 | 2 | 17.2 | 13 |
杉浦 稔大 | 27歳 | 7.30 | 6 | 0 | 3 | 12.1 | 10 |
柿木 蓮 | 19歳 | 8.24 | 26 | 2 | 4 | 43.2 | 40 |
ソース:https://baseball-data.com/19/stats-farm/pitcher-f/ip3-1.html
投球回数10以下を除いて防御率でソートをかけたが、斎藤佑樹は上から五番目である。
ちなみに、この年にクビになったのは中村勝・田中豊樹・立田将太で、高山優希は育成選手となっている。
ただし、斎藤佑樹がクビにならないのは、成績のためだけではない。
その理由を考えるには、まず斎藤佑樹を取り巻く状況を説明しなければならない。
斎藤の年度別成績を見ると、プロ入り一年目は、優秀とは言わないまでも、そこそこ見れるものだったことがわかる。
そもそも一軍で1勝もできずに去っていく選手がどれだけいるだろう。
(田中将大と比較するからショボく見えるだけで、)斎藤には確かな実力があった。
斎藤がダメになったのは、プロ入り2年目の右肩関節唇損傷のせいである。
これは多くの選手が引退に追い込まれてきた重傷であり、斎藤も普通に投げれば痛みが出るので、完全にフォームを変えざるをえなかった。
野球をあまり知らない人だと「プロでまったく通用せず、クビが当然の成績でも、何故かクビにならない…」と思っているかもしれないが、そうではない。
斎藤がクビになって然るべきなのは成績ではなく故障のためなのである。
重大な故障をして元の能力を取り戻す選手は少ない。つまり「上がり目がない」と見なされる。
正直なところ、これだけの怪我をしていれば、並の選手なら故障の数年後には戦力外通告を受けているだろう。
なにせあの人気である。
斎藤がもたらした莫大なグッズ収入、そして知名度や人気の向上。
さらにドラフト1位であることを考えれば、球団は「一生面倒を見る」くらいは考えているだろう。
球団は「功労者だからやれるだけやらせてやればいい」と思っているし、本人も「球団にクビにされるまではやれるだけやりたい」と思っている。
これはそういう話なのである。
元巨人の上原浩治投手が田沢ルールについて即座に廃止すべきと述べている
これについては私も同感だ
※田沢ルール:NPBのドラフトを経由せずに直接MLBに行った選手は、帰国後一定期間NPBでプレー出来ない
ただ、上原投手はその前に上原式プロテクトというルールの盲点を使って人的補償指名を回避した件について説明すべきである
2018年、広島カープの丸選手がFAにより巨人へ移籍したため、広島カープは人的補償を得ることが可能となった
その際、巨人はプロテクトリストを作成したわけだが、リスト作成前に上原は膝の怪我を理由に自由契約となった
そして広島カープが人的補償として長野選手を指名したわけだが、プロテクト前に自由契約⇒その後すぐに契約ということを
認めてしまうと、人的補償を回避するため有力選手を全て自由契約⇒人的補償指名後に再契約ということが可能となってしまう
こんなルールの盲点をついた汚いやり方をする奴がルールについてどうこう言う資格は無いと私は思う
上原を人的補償で指名する意味あるの?⇒上原は別に要らない ただ功労者である上原をプロテクトしなくて済むので若手有望選手を1人余分にプロテクトすることが出来る
一旦自由契約になったんだから他の球団が上原を獲得できるんじゃないの?⇒既に巨人とは話がついており、例え他球団が交渉しても適当な理由で断られるだけ
自分は漫画作品の原作ファンなのだが、二次創作について思うところがあってこの記事を書いている。
描かれる世界はいわばパラレルワールドで、キャラクターは同姓同名の別人。
妄想では何をしようと自由。この国では思想も表現も自由で、趣味嗜好も性癖も自由だ。
それ自体を批判するつもりは微塵もない。そんな権利も自分にはない。
二次創作が、原作や原作ファンに直接的な影響を与えることは無い。
というか、影響を与えるのは好ましくないことだと思っている。二次創作は法的にグレーゾーンだから。
それなのに、原作関連の情報を探すためにサーチをかけたりすると、
大好きなキャラと同姓同名で同じ出で立ちをした誰かが、あられもない姿になっていたり、
大好きな作品名の「ジャンル界隈」で炎上騒ぎになっていたりということが、往々にしてある。
名目上原作とは無関係のはずの二次創作における問題で、原作の名前が挙がる。
どうでもいいのに、目に入る。原作が好きというだけで。
多様性が尊重され、棲み分けが重視される時代だから、面と向かって批判することもないし、他人の権利は尊重したい。
そう思って自衛を試みても、キャラ名や原作名が入っている以上、検索避けがあまり意味をなさない。
原作ファンがサーチをかけたときに、容易に見えるところにそういうものがあることに、何か引っかかりを覚える。
同じく原作ファンである少年に「(作品名を)検索したらエロいBLが出てきた」と言われてゾッとしたことがある。
最近では、原作側が特定の二次創作主を認識していることが公式的に発表されるという話も度々聞く。
全ての二次創作主にとって、そういった話は他人事ではないはずだ。
だからといって誰がどうするべきだなんてことが言いたいわけではない。
ただただ長い間つもり続けている、なんだかな、という気持ちをどこかに吐き出したかった。
追記:
発信者が棲み分けしていない・受信者がしようと思ってもできない状態には違和感を覚える」
という話
お前はもうずっと増田で、「査読がないことは論文の質を決定する要素ではない」と言っているだけ。それに対して、高いレベルの査読が行われていなければ再検証の対象としての優先度は下がるし、再検証されない論文は被参照数が増えず、論文としての価値が低いと言っているわけだ。査読は優れた研究であることを同業者に認められるための条件の一つになるが、査読されていなければ再検証も行われず優れた研究と認められることは稀である。ゆえに査読されない事は、論文の価値を実質決定する。
被引用数にやたらこだわる人が多いと思ったらそういう理由があるのね。当たり前だけど、マイナー事象を扱っていればメジャー事象を扱ったものより被引用数は少なくなるから、それは直接価値を測る尺度にはならんよねって話をしてるわけ(この問題はとうぜん査読誌にも存在するよ。英語圏でも日本語圏でも、ナチスについての歴史研究とそのへんの小国の歴史研究、読まれる頻度が高いのは研究者人口からいって前者なわけで。まあ当の小国で出た論文に限れば頻度は逆転するわけだけど)。あと、論文の中でダメダメな研究を引用した上で批判する、なんてのもよくやるよな(まさかやらんのか?)。このような研究分野において、被引用数は文字通りどれだけ多くの人に引用されたかという尺度に過ぎず、引用の多寡は直接的には論文の価値とリンクしない……というのは流石に理性があればわかってくれるよね? まあ実質的にリンクしている分野があるのは理解したけれど、他分野においてもリンクしている、あるいはリンクさせるべきだという主張はまったくもって理解に苦しむ。
そして、社会学においては、偉い先生が書いた査読もされない招待論文が価値があるとみなされる構造に問題があると言っている。当初から査読の有無は問題視されていない、論文のクオリティを担保する仕組みについて社会学での在り方が、社会学者内でも文科省でも疑問視されている事を指摘されている。
偉い先生が書いた良い査読なし論文には、そのへんの若手が書いた微妙な出来の査読論文よりも価値がある、という話なので。そしてもちろん近年は査読重視にシフトしている、という話もさんざんなされているわな。同じ社会学でも世代とか環境によって「格」の考え方には差があるわけで、1人の学者の放言に基づいて構造を云々してしまうのは到底科学的な態度とはいえない。まして、社会学に限定するのではなく、「文系」というより広いくくりでの議論をしようとするならば。要するにきちんとリサーチしろと言っている。ろくに対象について調べずに的外れなこと言ってんじゃねーよバーカ、って言えばわかりやすい?
お気持ち表明学問とは違って、理工学は先行研究との間の比較実験をして、実験結果について先行研究との比較を解析的に行う。先行研究との比較には、同様の実験を再度行う場合や、同じシステムを構築しなおす手間を含む。時には、予算も時間も考えられない程かかる。
先行研究との比較ねえ。まず文系といっても色々あるので一概に言えないわけだが、たとえば歴史学なら先行研究で引用されている史料はチェックするよな。文学なら、まあ文学といっても多種多彩だけど、刊本が容易に手に入る小説の内容についての分析なら手元か図書館に同じ本があるはずなんだから再検証は容易にできる。のでみんなやってるはず。逆に文化人類学なんかはフィールドワークのデータに依拠する以上原理的に完全な再現が不可能だけれど、そこは天文現象についての研究と同じだと思ってもらえれば。一回性の振る舞いを膨大に集めて理論を構築していくという意味で。社会学も、フィールドワークに基づいたやつなら文化人類学と同様だし、統計に基づいているなら統計に基づいた議論ができるよな。法学は、まあ、条文が目の前にあって、それをどう解釈すべきか、あるいは個別の事件がまずあって、そこに条文をどう当てはめるべきか、という議論だから、再現性とかあんまり関係ないと思う。とまあこんなふうに、分野によって「再検証」のあり方というのは実に多種多様なのね。理系とひとくくりにされてはいても、工学と天文学と生物学と理論物理学と数学じゃあ「再検証」のあり方は違うっしょ? 理工系がスタンダードな研究のあり方、ということではまるでないわけで、そうなんですか理工系ではそうなんですね勉強になります、以上のことは言えない。
逆を言えば、文系の場合は、査読の有無にかかわらずただ読むだけでいいという事だろう。論文の良しあしに関わらず、ゴミの山に埋もれるのは空しいな。そして競争もない。
ただ読むだけでいいというのが何のことなのかはわからないけれど、普通に競争はある。考古学なら新しい遺物が発見されたとか、歴史学なら新史料を見つけたとか、そういうマテリアルな新規性もあるし、独創的な理論や解釈を提唱したという意味での新規性もあるわな。そして同じ事象を研究するにしても出来のいい研究と悪い研究とでは当然与えられる評価も異なってくるし、違う事象について研究していても同じディシプリンの中にいる以上出来の良し悪しというのはわかってしまうわけで(だから被引用数を重視する文化が存在しない。たとえどれだけナチス研究の方がそのへんの小国研究より注目されていようと、出来の悪いナチス研究と良く出来た小国研究なら後者の方に価値があるから)。
オリンピックや野球中継やバラエティ番組なんかで芸能人や記者やアナウンサーが一流アスリートに話を訊く場面はよくある。
その様子がテレビに映し出されると、俺の友達はいつもムスッとした顔になり、ピリついた雰囲気を出す。
「『どんなお気持ちでしたか?』じゃねえよカス。このバカ、ほんと死ねや!!」
「うわ、こいつありえねえわ……馴れ馴れしくしてんじゃねえよ、相手誰だと思ってんだよカスタレントのくせに」
俺が見る限り、いっつもこんな感じで怒りまくってる。
正直言って、一流アスリートと絡む側にこれといった粗相があるようには思えなかった。
仕事上当然聞かなければいけないお約束の質問を投げかけたり、笑顔を浮かべて朗らかに接したり、そういった全く問題のない言動や振る舞いを槍玉に上げて友達がブチ切れまくってるようにしか俺の目には映らなかった。
アスリートの側が最初から非協力的な態度を取ったり、機嫌を損ねてたりしてるのが画面越しでも見て取れるときなんかはもう友達は大爆発。
「偉大なるアスリート様を不快にさせるなんてとんでもないクソ野郎だ!!問答無用で無礼者だ!!」
(レッドソックス時代の上原にスポーツ番組が密着したときなんかがまさにこのパターンだった。
「シーズン真っ只中にわざわざ時間を取ってくださった上原を怒らせる最低のマスゴミ連中」と怒りまくってた。
ちなみに、その放送は俺も家で見ていたけれどあれは上原がとにかく酷かった。マスゴミだなんてとんでもない。
「記者がいるだけでムカつくんだよ」とでも言わんばかりにカメラの前で終始イライラし続けて、
ディレクターからのごくごく普通の質問に対しても「だから、そんなん〜に決まっとるやろ…」なんて痺れを切らしたように噛み付く。
その密着でどっからどう見ても横柄で胸くそ悪いのは上原だった)
どんな経緯があろうともアスリートを不快がらせたのなら、いや、アスリートとただ相対しているだけで、芸能人やマスコミ関係者を「無礼なカス!!」と顔を真っ赤にして糾弾する。
俺は内心でこの友達はなんかのメンタルヘルスを患ってるんじゃないかと疑っていた。
天皇への不敬を咎める右翼なんてレベルじゃなかった。理由もないのに怒りまくる。ほとんど通り魔的といってもいいくらいだった。
「遠いところわざわざご苦労さまです」
「遠いところわざわざご苦労って……てめっ、おめえいい加減にしねえとよお。まあいいや、早く鍵よこせや」
などと爆発しかけたことがあった。オーナーは呆気にとられていた。
部屋につくなり俺は、なぜ突然怒り出したのか理由を問いただしたのだけれど、5分以上かけて意味不明な説明をされた覚えがある。
「こっちが予約して金を落としてやってるのに『遠いところわざわざ』だなんて、俺たちが突然やって来て驚いた、想定外の客だみたいなリアクションしやがって。人間失格」
みたいなことを言ってたような気がする。
とりあえず、意味不明で独りよがりな俺ルールを振りかざして、いかに自分の怒りが正当で礼儀に則っているかをずーっと熱弁していたことは強く覚えている。
正直、友達がこういう老害性が強烈な男であることはもう嫌というほど分かっているから、アスリート万歳が転じた無差別激怒も、ひとえに彼のキチガイ性の表れの一つだろうと納得していた。
でも、この友達レベルの奴がどうやら世の中にはかなりいるようなんだよね…。
アスリートを天皇みたいに神聖視して、インタビューや対談や番組出演となったら「どこが失礼なの?なにが問題よ?」っていうようなことでタレントや記者を叩くツイートしてる奴の多いこと多いこと。
どうやら、アスリートに笑いかけるだけでも、心境を尋ねるだけでも、打ち解けて盛り上がるだけでも不敬の極みに思えるようで。
俺の友達と完全に同じ。
アスリートを戦時中の天皇くらいに崇め奉って、あらゆる絡みも問いかけも無礼だといきり立ってるようなキチガイって意外と多いようだ。
頭が痛くなる。
俺の友達と同じタイプだっていう自覚がある人はどうか精神科の診察を受けてみてほしい。
「優勝した大坂なおみにセレーナに関する質問ばかりするなんて!って批判が殺到してるけど、
あんなもん世界的に注目されてる出来事なんだから記者がそれにまつわる質問するのは当然。文句言ってるやつはおかしい」
って怒ってたけど全く正論。
これ良いようにも見えるだけど、知的な遅滞というのは、くっきりとラインがあるわけではないし明確に区分できるわけではない。学校の独自テストや成績付けに基づく留年では不満を抑えられまい。せいぜい公的な客観テストで測るしかないだろうが、センター試験を上回るものすごいコストが必要になる。それも毎年、全学年でやるとなれば!ここに第一の難関がある。
次に、実際に留年させるとなったとしても、たとえば「14~15歳になってまだ小学校に居座る子」が出てきたら誰がどう面倒を見るのか? という問題がある。少なくとも、同じ学校にずっと置いておくわけにはいかない。思春期にさしかかる子の身体の発達は早いので、一緒の教室で生活する下の学年の子が不憫すぎる。授業をする教員の違和感も相当なことになるだろう。そこで、たとえば年数プラス2年で卒業できない(あるいは卒業できないと分かっている(2回以上原級留置した)生徒は、別の学校(現行の特別支援学校の組織を利用した)に行き別のプログラムの授業を受ける、という仕組みをたとえば同時に作る必要がある。そういう仕組を作るのは「最低限の学力」を保証する意味では有効かもしれないが、しかし心理的、そして社会的には大変不安な問題を引き起こしかねない。また、そこで誰がどういう資格で指導をするのか、というのもなかなか難しい問題もある。また、そもそも、別の学校に行くことを希望しない場合、誰がどうそれを強制できるのか、強制しないとしたらものすごい負担が小学校にかかるわけだが、そのコストを誰がどう支払うのか。
こういう学校制度や仕組みをつくりたいと希望しても過半数の賛成を得るのは難しいだろう。というわけで、現状のような「ソフトな選別」システムが成立しているわけだ。
私の会社には寿司がいる。ネタはマグロで握り型、そう珍しくないタイプだ。シャリは少し温かく、サビ抜き。少々慌て者だが穏やかな人柄で、けして女の子にモテるようなタイプではないけれど、人に信頼されるタイプの人物――いや、寿司だった。
寿司が社会進出しはじめたのは、今から十年ほど前のことだった。当時の私はまだ中学生で、友達とのグループチャットでの対応がこの世でもっとも大きな悩みであるような小娘だったが、この事件についてははっきりと記憶に残っている。
「寿司と仕事をするだって? そんなの腹が減って仕方がないじゃないか」
テレビを見ていた父が忌々しげに叫んだのを今でもよく覚えている。
「いいじゃない、あなた。だってナマモノは苦手でしょう? 寿司がいたってお腹が減ったりしないわ」
「そりゃあそうだが、母さん、あれだぞ。俺はサーモンだけは別だ」
テレビに写っているのは炙りサーモンの女性だった。まだ若いらしく鮮やかなオレンジ色の表面はつやつやと輝き、ところどろころに見事な焦げ目がついているのだった。
ああ、美味しそう。私は思わず舌なめずりをした。父と違って私はナマモノだって食べれるし、寿司をほとんど愛しているといってよかった。
一瞬にして現実に引き戻された私は、はいはい、と生返事をしながら慌てて受話器に手をかけた。内藤さんは本社勤務のカンパチである。早稲田大学卒のエリートでプリプリのカンパチだ。相当モテるらしく高飛車な性格で、いつも隣に鉄火巻だの軍艦巻きだのの女の子をはべらせている。
彼、海苔が好きらしですよ、いやらしい。二つ下のイカ握りの後輩が話していたことを思い出す。海苔が好きである、ということと、男性のいやらしさというのが直結せず、私は曖昧に頷いたものだった。
せめて愛があれば堪えられただろうに、嫁は不倫からの離婚計画中じゃ救いないよなあ
それにしても上原の不倫中ラインの”自分は真面目で一途です”感が読んでてなんとも言えず苦々しい気分になる
”自分は不器用だから、双方とうまくはやれない。旦那と離婚の話を進める、そしてあなたと一緒に”
誠実なわたし、として話しながら
体の相性がびっくりするほど良くて、と既に旦那は裏切っており
大人になってこんな風な気持ちになるとは思わなかった、と特別な/運命的な恋として肯定する…
旦那の遺影を抱えて泣いたのもあれはあれで本心なのだろうと思う
不倫ラインの自分は器用ではないからといういい子ぶりっ子発言も、それはそれである程度事実だったのだろうと思う
不妊で仕事もスランプの旦那をほったらかし間男と不倫し、旦那を自殺に追いやった
そんな事実とは裏腹に上原は普段はそれなりに真面目だったんだろうなと思えるゴシップ記事だった
けどまあ、頭は弱そう